生き物の本来の姿とは、闘争と弱肉強食です。自分を存続させるために他者を食らい攻撃するのが生き物です。日本においてはこの80年が奇跡のようなものでしかなかったと、昨今の国際情勢が物語っています。 枯渇する資源を巡って奪い合いの世界では、力による現状変更が正当化される時代に逆戻りしてしまいました。いつどこで世界規模の軍事衝突が発生してもおかしくない、どこで核兵器が使われてもおかしくない世界になってしまいました。 しかし、私はこの仮初の平和に固執してしまいます。この命が終わった後に、またこの争いの世界に生み出されると考えると恐ろしくてなりません。しかし極楽浄土が現世に存在せず、私の命などといったものは脳味噌をはじめとした身体の生体反応でしかないという事実の上では、どうあがいてもこの絶望的な結論から逃れられず、狂いそうになります。 戦争に巻き込まれて無残に死ぬのは、これまで家畜や虫などを殺してきた報いなのかもしれませんが、どうしても受け入れることが難しいです。これはいけないことでしょうか。これまでの罪の報いとして受け入れなければならないのでしょうか。 今の国際情勢のすべてが、人間としての限界、人類史の終わりに向かって真っすぐ進んでいるとしか思えません。欲望を剝き出しにする権力者が己の行いを反省する頃には、この地球は焦土と化しています。今の国際情勢を見ていると、10年後、5年後があるとはとても思えません。少し調べれば、もうすべてが破滅に向かっていることがわかります。それに対し希望や問題の解決策が存在せず、希望と絶望を天秤にかければ大きく絶望に傾きます。 「平和とは、戦争と戦争の間の期間だ」という言葉があります。そして今、その通りの時代になっています。そして、人間は地球のすべてを破壊してしまえるほどの兵器を手にしています。身勝手な理論で戦争をしている国があります。生き物には元来いたわりや慈悲などというものは備わっておらず、あるのは自己保存のための闘争本能です。そして死んだあともまたこの世界の脳味噌、生体反応の何かが自分として存在してしまいます。つまり、私達は無残な死から逃れられません。それが恐ろしいのです。 「耐えきれなければちゃんと死ねる」かもしれませんが、死ねないまま生きてしまう可能性もあり、また、死に至る痛み苦しみは避けられません。これを恐れるのは良くないことですか?
先日公園で、カラスにつつかれて怪我してるタヌキの赤ちゃん4匹がいました。 他の人が警察に連絡して警官が来て、あちこちに連絡していましたが、 警察としては連れて帰る事は出来ないのでそのまま置いて行くと 言う事になったので、見るに見かねて保護しました。 世話をしていたら、タヌキではなくアライグマである事に気付きました。 動物園やペットショップに連絡しましたが、引き取る事は出来ないし、 危険な動物なので今は法律で飼う事も禁止されてると言われて困ってしまいました。市の保健所にも連絡してみましたか、特定外来種ですが、 うちの市では引き取りまではやってないので害虫駆除の業者に 殺処分にしてもらうか、元居た場所に戻して下さいとの事でした。。 餌を食べさせて、怪我を治療し体力が付いたら元の公園に放そうと 思っていました。 私は元々自然が好きで、野鳥や動物達を観察するのが趣味です。 元いた場所に戻すと、これから夏鳥の繁殖の時期なので 肉食獸のアライグマは卵や雛を襲う事は容易に想像出来ます。 元来日本に生息している動物ならそれも仕方ないのですが、 生態系を壊してしまう事と、特定外来種として駆除の対象としての 過酷な運命の中生きて行く道を選ぶ事も出来ませんでした。 凄く悩みましたが、動物病院で安楽死をさせました。 今は4匹一緒に埋葬しています。 もちろんアライグマの赤ちゃんには何の罪もありません。 人間の勝手で海外から連れて来られて、飼えなくなって 捨てられた親から生まれた子達だと思います。 一番苦痛のない方法を考えたつもりでいますが、 私の自己満足で保護し、自己満足で安楽死させてしまった事に 凄く罪の意識を感じてしまっています。 例え外来種でも私に尊い命を奪う権利などないはずです。 どうする事が最善だったのか?自問自答していますが 答えが出ません。。
お世話になります。 以前こちらで、夫に腎臓を移植し、その後亡くしてしまった話を聞いていただきました。 夫が亡くなって、もうすぐ一年になります。 その間、自分がこれから生きていく意味をずっと考えていました。 私は夫と少しでも一緒にいられるようにとの思いで、腎臓を一つ夫に贈りました。 しかし、移植手術から夫は一度もまともに歩くこともできず、さまざまな病気を併発し、入退院を繰り返し、難病にまで罹り、最期はコロナに罹患し、それを起因として突然逝ってしまいました。 夫の延命を願い、私から提案した移植手術は、結果的に夫に更なる苦しみを与えることとなりました。 今は夫の死に対する責任と後悔の念に囚われ、押しつぶされそうになっています。 正直に言えば、生きている意味を見出せないのです。 私には趣味がいくつかあり、今後もそれを続けていける環境にありますが、もうそんな事もどうでもいいと思うほど、生きていくのが嫌になっています。 もちろん自分から死を選ぶ事はしないと思いますが、このままただだらだらと生きていて何の意味があるのだろうと、思うのです。 そんな話を、友人や知り合いにすると、皆、私の思いに寄り添ってはくれず、ただ「考え方が極端」だの「まだ若いじゃないか」だの、私にとってどうでもいいような事を言い、話題を変えようとします。 誰も、そんなネガティブな話など聞きたくはないでしょう。 それは仕方ない事だと分かってはいても、もう誰も私の気持ちに寄り添ってくれないのだと思うと、どこにも自分の居場所はないと思ってしまうのです。 もう十分生きました。 この世の苦しい事、辛い事、悲しい事、少しの楽しい事、たくさん経験させてもらいました。 自分には無理だと思っていた結婚もできました。 子供はできませんでしたが、かけがえのない人と一緒に30年も暮らす事ができました。 もういいのです。 今年で60歳になりますが、60年も生きて来れて、もう十分です。 最近は、寝る、食べる、お風呂に入るといった、当たり前の事が面倒で、外に出る用がなければ、かなりめちゃくちゃな生活をしています。 ただ、飼い猫がいます。 この子を残していく事だけは、どうしてもできません。 たった一つ残された希望は、ここで、どなたかに私の思いを受け止めていただけたら、寄り添い支えてくださる方がいらっしゃればという事だけです。
初めて相談させていただきます。 少々急いでおりますため、乱文どうかご容赦ください。 私は現在転職を考えております。 福祉関係の仕事から、亡くなった方の旅立ちのお支度をする仕事への転職です。 その仕事自体に興味を持ったのは五年ほど前でした。 しかし興味はあれど、まさか自分がその仕事に就く、就きたいと思うようになるとは正直なところ考えておりませんでした。 きっかけとなったのは、三年前の祖父の死です。 祖父は数年間病気と闘った末に召されました。 私は祖父が大好きで、亡くなったという報せが入った瞬間、また実際に遺体を見た瞬間、心の中でなにかがほろっと崩れるような感覚を覚えました。祖父の死というものが信じられなかったのです。 呆然としていても時間は淡々と進み、自宅で祖父の湯灌が行われることになりました。 そのときの祖父の表情は今でも忘れることが出来ません。 温かいお湯で身体を清められている祖父の顔は本当に安らかで、眠っているようで、気持ちよさそうで。おじいちゃん、と声を掛ければ、返事をしてくれるのではないかと思えるほどでした。 周りで湯灌を見ていた親族も、みんなほっと微笑んで祖父を見ていました。 そのとき私は、亡くなった方を、遺族をこんなにも優しい表情に出来る湯灌、 納棺という仕事をしてみたいと思うようになったのです。 なかなか募集もないだろうと思っていた矢先、なんと求人広告で湯灌の仕事を見つけました。 連絡を取ったあと、現場の見学までさせていただき、更には歓迎する旨まで伝えてくださったのです。現職のこともあり、先方は私に一か月以上の猶予をくださいました。 給金、時間、その他もろもろ、現職よりもマイナスになることは多々ありますが、それでも自分なりに考え、やはり私がしてみたいのは旅立ちのお手伝いだと思い、転職を決意しました。 すべては私自身が決めることです。 それはわかっているのですが、どうしてもあと一歩が踏み出せずにいます。 決意したと言っておきながら矛盾していると思われるでしょうし、我ながら勝手を申していることは承知しております。 心は決まっております。 それに踏み出すために、背中を押していただきたいのです。 どうかよろしくお願い申し上げます。
自分の人生に不安な事があってこれから生きるのが怖いしやらなきゃいけない事も多くて面倒くさいと感じている高校生です。 (自分の人生の不安は定期テスト、模試、大学選び、大学受験、大学生活、自立できるか、就職、仕事、人間関係、親しい人達との別れ、推しロス、健康、恋愛、性、結婚、子供、親の介護、親の死、犯罪や事故を起こしたり、巻き込まれないか、自分の老後、自分の死、自然災害、将来の日本、世界の事など) そんな感じで最近はこれから生きることが怖いしめんどくさいなと感じていますが、かと言って死んだら自分の好きなことが出来なくなるし、美味しいものも食べれなくなるから死にたくはないです。だからこれから生きるのも死ぬのも怖いし嫌だという気持ちになっています。 でも僕は世界的に見たらすごい恵まれてると思うんです。帰れる家があって、教育を受けられて、毎日美味しいご飯が食べられて、趣味も持てて、自分の好きな人達が今も生きてて、信頼できる相手も居て、毎日屋根の下で眠れたりする事ができててとても幸せだと思うんです。なのにそれでもまだ苦しみがついてくるのかと思ってます。 そしたら僕はこんな考えが浮かんで来たんです。どんな場所に産まれても、どんな生物に産まれても、結局生きる事が苦しい事には変わりないんじゃないかって。とはいえ死んでも苦しい。 そこで質問です。 何故生きる事は苦しい事なんでしょうか? 何故生きる事と苦しい事がセットでついてきてしまうんでしょうか? 何故こうも生きる事って面倒くさい事、苦しい事、理不尽な事だらけなんでしょうか? 何故私達生物は苦しまなきゃいけないんでしょうか? 何故人生は思い通りに行かないんでしょうか? 生きる意味はないってよく聞くけど、じゃあ何で生きてるんでしょうか? 何故生きても死んでも苦しみが着いてきてしまうんでしょうか? 未来の恐怖、不安を無くすにはどうすればいいですか? こんな状況で僕はどうすれば良いですか? こんなめちゃくちゃな長文を最後まで読んでくださりありがとうございました。
以前母が突然死してしまい相談させて頂きました。 死ぬ直前まで元気だった母の死を経験していろいろ考えてしまいます。 私には父80歳と弟がいます。 母と父は不仲で30年以上家庭内別居していました。 ほんとに仲悪かったです。 戸建ての1階が父、2階が母でご飯等全て別々に生活してました。 私は父と幼い頃から関わりなく育ち母とは親であり親友の様な存在でした。母の面倒は私がみようといろいろ話し合っていたので葬儀やお墓等の手続きを全て1人でやりました。 父から情けないと思う様な嫌がらせをずっと母と一緒に受けてきました。 母が亡くなった今、今までしてきた嫌がらせ等無かったかの様な態度です。 言葉にはしませんが老後の面倒みろと思っている様に感じます。 弟が父の面倒はオレがみると母の遺産相続中は言っていました。 相続が終わると弟は父にいい顔ばかりして老後の話などしません。 80歳過ぎたのでいつ介護が必要になるか分からないので話し合って欲しいのに口先ばかりです。 冷たい人間の様ですが私はサポートはしますが関わりたくないす。 相続で態度が変わった弟が信じられないし、私に面倒みろみたいな感じがして嫌な気持ちになりす。 あまりにも母の死が突然だったので父も突然介護とか訪れるのではと考えてしまいます。 父は自分の事なのに何故話し合わないのでしょうか? 普通の家庭でも介護等大変なのに仲の悪い家族の介護なんて考えたくない、母が居ない今1人で考えてしまいます。
子供の虐待死が相次いで報道されています。子供を持つ親として、また一人の人間として許せない気持ちになる毎日です。 もし、身近で様子がおかしいなと感じる子供がいたら、何と言われようが食い止めたい、絶対に見てみぬふりはしないと心に誓っています。 そんな虐待死のニュースが溢れている中で、ふと、親と子供の魂の関係についてお坊様に聞いてみたいと思い、投稿させていただきました。 私は特定の宗教に属してはいませんが、不思議な話(霊的なものから宇宙まで何でも)にはどちらかと言えば興味がある方で、不思議関係の本なども読んだりもしますが、中にどんなふうに生まれたか記憶があるという幼児の話を幾つか知っています。表現の仕方は様々ですが、「お父さん、お母さんを選んで上(天国)から長い滑り台で降りてきた」なんていうのもあります。私は「親を選んで望んで生まれてきた」という記憶のある子供の話が全て戯言とも思えません。でも、これらの話が真実だとすれば、虐待を受けるであろう親をわざわざ選んで生まれてくるだろうか…という疑問も残ります。 因果応報で、虐待受ける子供は、前世で悪いことをしたから、今生でその報いを受けているという説も読んだことがあります。が、あまりそのようには思いたくありません。それでは結局負の連鎖が続くばかりで、そんなことを天が望んでいるとは考えたくないからです。 今生は修行の場だから、この世での行いはポイント制になっていて、善行によりポイントが高い者は来世の運命がある程度選べる(どの両親に生まれたいかが選べる)が、ポイントが低いと選べない…という説も読んだことがあります。ポイントというと安っぽいですが、ある程度なるほどなあ、とは思いました。 宗派などにより、考え方は異なるかと思いますが、お坊様たちは虐待を受けるような子供と親との魂のつながりをどのように捉えていらっしゃるのでしょうか。
現在一人暮らしをしている大学1年生です。 ここのところずっとつらいです。 元々ネガティブな方で死にたいと思う事も実行しようとした事も何度もありました。ADHDとHSPの気質があります。環境に左右されやすく、有名人の死や戦争のニュースなどにショックを受けるタイプです。また、去年の夏に大好きだった友人を自死で失っています。その日から毎日彼の事を考えています。 自分の事が大嫌いで、人の褒め言葉も素直に受け取れず、いつも他人より劣っている箇所を頭の中で延々と列挙しています。 大学生になって上京し様々な人と出会う中でその癖がどんどん増してきました。通う大学は割と名門ですが、皆私の上位互換で、私より美人な人も頭が良い人もピアノが上手い人が沢山居ること、分かってはいましたが現実として突きつけられました。すれ違った人を皆観察して比べてしまいます。本当は音大に行きたかったです、まだ諦められてないし小さい頃の夢です。今でもどうして皆を説得してやりたい事をやらなかったのだろうと後悔ばかりです。 また一人暮らしなのですが、親は過保護で私の事を心配してくれていますが、迷惑をかけたくないので何も無いように振舞っています。ちょうど1ヶ月前まで帰省していたのですが、その時は慣れた人達と景色でまだ楽でした。思えば地元から東京に帰ってきてからより酷くなったかもしれません。また、近くに住む高校時代の友達は少ないです。LINEで相談しようと思っても、古い関係性に固執しているのは私だけ、相手は迷惑かもと思って躊躇してしまいます。また、ネガティブな気持ちをTwitterのごく身内のアカウントでツイートしていたら、とある先輩から人に見せるためのネガツイなのか、頭を使えるようになるといいね、と言った少し攻撃的なDMがきてつらくなってしまい人と繋がる手段だったTwitterもInstagramも消しました。 夜、全く眠れません。いつも空が明るくなってくるまで考え事をして苦しくなってどうにか寝ようとしていますが自己嫌悪が止まらないです。 逃げたいです。大学、将来、人からも逃げて知らない場所に行きたいです。何をしていても悲しくてつらくて自分で自分の首を絞めています。このままじゃ八方塞がりな事は分かっていますがどうしようもなく怖くて動けません。何も失う事無く大丈夫になるにはどうしたらいいでしょうか。
こんにちは。失礼します。 一昨年、難病指定を受けていた父が緊急入院し、障害者かつ認知症を患っていた母も別病院に入りました。 両親はとても仲が良く、去年父を亡くしたのですが、母は一時帰宅で四十九日まで一緒に執り行ったにも関わらず父の死を認知出来ません。 母の見舞いに行くと父が見舞いに来ないと愚図られます。 昔の話をしようとしても母は姉の世話をしていたので私との接点がなく、むしろ蹴られ投げられ罵られた記憶しかないのでお互い話が続きません。 会う度に痩せて小さくなっていく母と何とか共に過ごせないかと考えているのですが、徘徊の危険も大きく、周りから止めるよう言われます。 4、5歳頃と9歳の時に性的暴行に遭っているのと、姉に対する遺伝的トラウマがあり、男性と交渉が持てず結婚は考えていません。 長年勤めている会社も精神的身体的に追い込まれ、休職を余儀なくされています。 3人子どもを産んだのに1人しか残らず老いて病院に入れられている母、働きながら障害者施設を作り10万人に一人という難病と闘った父。 何年も笑うことが出来ません。 母が病院で過ごしていることを考えると、食べることも息をする事も罪に思えます。 父の友人には私の父の死に対する気持ちが整理出来ていないのでは、と言われました。 母は父の遺族年金でやっていけるので、私的には理不尽な人生を一度リセットしたくてなりません。 何らかのよすがの道があればお示しいただけると生き長らえるように思います。 お読みいただき、本当にありがとうございました。
最近ずっと「死」について考える毎日で自殺を考えています。 先日、大学受験に失敗してしまい国公立のみの受験でしたし、親との約束もあって就職に方向転換した18歳の女です。 4月よりお惣菜を対面で販売するお仕事をさせていただいております。急な就職ということで、正社員登用を目指しアルバイトとして働いております。 現在、副店長の方とうまく仕事が出来ず苦しんでおります。 副店長はお客様よりも利益を中心に考えられる方で、お客様に少し冷たく、厳しいです。極端に仰ってる訳ではありませんが少し言い方がきつく、ぶっきらぼうな話し方をされます。決して間違ったことは仰っていませんし、為になるお話もあります。性格が悪いわけでもありません。 私は、例えどのようなお客様であっても平等に接し、喜んでいただきたいですが勿論、商売は慈善事業ではありません。そこは私も認識していますが、副店長と私の考え方の違いで苦しんでいます。 毎日怯えながら仕事をしており、注意を受けたり、お客様への対応を指摘されたりするとすぐ涙目になってしまい、必死で隠して帰ってから自室で涙を流す日々です。私は過剰に反応しすぎるのです。 また、ミスや聞き間違い、聞こえずに何度も聞き返すといったことが多く迷惑をかけてしまっていることが申し訳ないです。 店長や他の方とは上手くいっており、副店長と一緒の日でなければ普通に働けます。 今日と明日はお休みですが、明後日からまた仕事で副店長との仕事が続きます。どうしても嫌で嫌で、行かない方法として自殺しか考えられません。この2日で全て終わらせようと思います。 他の悩みも多々抱えております。 受験のことも未だ気にしていて、大学や専門学校に通う友人に嫉妬や憎悪の感情を抱いてしまっている自分に嫌気がさしています。 元々、悩みなどを人に言えない性格で友達や親にも話せません。嫌な事などはここまで全て引きずってきました。人前では明るく振る舞っています。唯一の相談相手であった高校の先生も卒業してからはお会いしておらず、連絡も取っていません。 この不況で働けない方もいる中で、家族や友人にも恵まれた幸せな私がする行為ではないのは重々承知ですが、もう疲れました。死を持って過去の過ちを償い、救済を求めます。 文字数の関係で読みづらい文章で申し訳ありません。
昔から、0か100かの考え方をするタイプだったように思います。 最近は、「生」か「死」について考えていないといられなくなり、苦しいです。 「死ぬのが怖い」と発作を起こすこともあります。でも、落ち着くと 「さっさと死にたい」と考えています。 自分が死ぬシチュエーションを何パターンも考えたり、 「もし今ここで死んでも大丈夫?-うん(orまだ嫌等)」自問自答を繰り返しています。 幼少期から死ぬことが怖くて仕方なかったです。発作を起こすこともしばしばありました。 大学在学中~大学卒業後、フリーターをしていたときに 自分の置かれた状況、無能さに嫌気がさして、死にたいと思うようになりました。 その後就職し、なんとかもちこたえていましたが、コロナのせいか、楽しみがなくなった途端に不安・恐怖におそわれるようになりました。 どうせ死ぬならいつ死んでも同じなのでは? 生きる意味も必要もないのにどうして皆生きていけるのだろう、 でも死ぬのがとてつもなく怖い…ぐるぐると考え、 考えることに疲れ果て、「今なら安らかに死ねそう」と思ってやっと眠りにつくことが多いです。 心療内科を受診したこともありますが、先生のスタイルもあってか、 睡眠薬の処方のみで、強制的に眠って体力は回復できましたが、 考え方が変わらないとずっとこのままだな、と感じています。 現在の生活に不自由は特になく、心だけが置いていかれているような気がします。 「死が怖くない」今のうちに死んでしまいたいです。また怖くなるターンが来ても苦しいので。 違うことを考えていたり、趣味を楽しんでいるときにもふと、 「どうせ死ぬのに何やってるの?」と現実に戻されるような問いかけが浮かんでしまいます。 思考に左右されるのにも疲れました。どうしたらいいのでしょう。 家族を遺すことに少し抵抗がありますが、でも皆死んじゃうからな…と思っています。 長文・駄文すみません。書き出してみれば何かわかるかも、と思いましたが、難しいですね。
自殺未遂の後遺症で近いうちに死んでしまいます。 これはふとした気の迷いのせいで、この頃はネガティブになってたのか、どんどん悪い方に行き難聴の次はついには命さえあと少しという最悪の状況になってしまいました。 病は気からと難聴になったときふと思ってましたがなんとなく死にたいという前の私じゃ考えられないようなネガティブさにいつのまにか振り回されました。 視野が狭くなってて未来とかいろいろ考えられなくなってたし、いろんなものに無関心になってました。正気なときとネガティブなときがあるのです。 障害で仕事先が限られること、自分の能力に自信がないこと、楽しみがないことで内心絶望して自殺を試みたのだと思います。 自分の体で実験するくらいのノリで死のうとしてしまったんです。 現実に向き合うことさえできないような人間が死や死後の苦しみに耐えられる自信がありません。自殺した人間は基本的に大きな苦しみを追い続ける死後が怖いです。 私という人間の人生はあと少しで終わるし、また人間に生まれ変われるのか、もう極楽や天国へ行けないのか、もし地獄ならその長い苦しみに耐えられるか不安しかないです。 現実から逃げ続け、命の期限を勝手に設定してしまいました。散々死ぬ方法や確率以外にも自殺したらどうなるかもみたのに頭がはっきりしてなくてどう行動したらの結果がわかってなくて。死んだら自分が終わること理解できてませんでした。自分のメンタルが弱いばっかりに家族を悲しませることになるのは少し悲しいです。自分の人生があと少しで終わるのも怖いですがネガティブなループに気づけない限り難聴と違って避けられなかったことなのかもと、もう少し思い切ってサイクリングが早ければ違ってましたが。 死ぬときの苦しみも怖いし、自殺行為の末の死なので、死後どうなるか不安です。 あと体が動くうちにやっておいたほうがいいことのアドバイスが欲しいです。
初めて相談させていただきます。よろしくお願い致します。長文で申し訳ありません。 先日息子が亡くなりました。27歳でした。息子は障害をもって生まれ体もあまり丈夫ではありませんでした。亡くなる時は体力も落ち本当に辛そうだったので、もう仕方ない今までよく頑張ったねという思いで見送りました。 私は夫を自死で亡くしています。その時2人の子供はまだ小さく、仕事での借金、度重なる浮気など亡くなった後にわかった事も多く、本当に辛い日々でした。ただ目の前の子供を育てていかなければという思いで必死に生活してきまた。 夫が亡くなってから仕事もしていましたが、自分なりに頑張ってきたのは子育てでした。なので息子が亡くなった事は理解していても本当に辛く、私の必死だった20年はなんだったんだろうという虚しい気持ちと共に、月日の流れの中で思い出す事も少なくなった夫への複雑な思いが蘇ってきました。あの時夫が自死を選んだ事で私の人生は大きく変わり、その事で経験した悲しみ苦悩を自分の中でどう消化していいのか未だにわかりません。許せないという気持ちです。亡くなった人にそんな感情を持つ事は許されるのでしょうか。 そんな中、普段から気に掛けてくれて、息子が亡くなった時にもとても力になってくれた親族と飲みに行きました。辛い気持ちを少しでも聞いてもらえればというつもりでしたが全然違いました。 私がひとこと言うとそれに対し全く理解出来ないことや、私の生き方そのものを否定するような言葉をたくさん言われました。確かに親族から思えば私は理解し難い道を歩んでいるのかもしれません。私の人生に対して親族が思う事をずっと言われ続けました。 人それぞれ人生も経験も違うので、理解して欲しいというより話を聞いてもらいたいと思っていたのですが、それも甘えだったのでしょうか。 またコロナ禍やスキル不足で仕事も決まりません。 色々な事が重なり辛い日々です。 一緒に住む子供の為にも頑張りたいと思っているのですが、今後どのような心持ちで暮していけば良いのか自分ではわかりません。ご教授いただけると有り難いです。
厚かましく、非宗教説を続けます。 釈尊の言行については、立川武蔵先生の「ブッダをたずねて」の受け売りですから、皆様先刻ご承知と思いますが、信仰について言及したいと思います。 先ず釈尊は、偶像崇拝を禁止したとのことですが、釈尊の死後、舎利を分配して、早速信仰の対象にしました。 仏像も信仰の対象として作成され、祇園精舎での説教で済むところを、巨大な寺院を建築し、仏像を納めて 荘厳さを競いました。 これは中国の仏教を模倣したのでしょう。 釈尊の言行からはまったく不要なものであるはずです。 次に釈尊の死が近づいたときに、近隣の村人たちが釈尊の葬儀の支度を始めているのを見て、弟子にあそこに参加してはならないと戒めたそうです。 元々葬儀には無関係だったようです。 確か応仁の乱で加茂川に死体が放置されていたのを、僧侶が荼毘に付したのが始まりだったようです。 釈尊の言行に従って、これらの行事を無くせば、仏教はただ説教と修行に励むことだけが残ることにはなりませんか? 仏教は信仰とは無縁だと思います。これが非宗教説です。 蛇足ですが、通常寺院の参道に仁王門がありますが、これが参道の入り口ではなく中ほどに建てられいます。 これは参道が、輪廻転生を示したと考えられます。 参道の入り口は娑婆です。参詣者は参道を通って本堂に向かいます。 本堂は娑婆から切り離された死の世界です。 本堂に居続ければ平穏ですが、娑婆に還るときは仁王門で苦しめられます。 「チベットの死者の書」によれば、丁度3週目に怒りの神々に遭遇します。 仁王門が中途にあるのはそれを模したものと考えられます。 従って輪廻転生は仏教にとってそれ程重要なものです。 現在仁王門の像は参道を向いていて外敵を防ぐと言われていますが、参道の中途にあるのも不自然だしその必然性が考えられません。 像は本堂を向くべきだと思います。 さびれたお寺の仁王門がその向きになっているとの記事も見かけました。
私はあまりにも大きすぎる罪を犯しました。 まず一つ目は、 周りに対して傲慢になり、思いやりを持てなかったことです。 次に、私はある夜、霊に憑かれました。 霊、と判断できたのは匂いと寒気からです。また、当時私は10日程眠っておらず、深夜とても疲れた状態でタクシーを拾いました。そこで恐らく霊を連れてきてしまいました。 最後に、私はその状態で外を歩き続けました。おそらくおびただしい霊魂をつけてしまったのか、その日から、私の周りに病気になる人、事故に遭う人、亡くなる人が増えていきました。 実際、夢で、「あなたは人殺しだ」と言われました。 私は神仏を信じており、目に見えない世界や、天と地獄の存在も信じています。 ですから私のこの状態について、してしまったことについて、天は激しく憤っておられると常日頃から感じております。 私がしたことは、家族からもあらゆる周りの人からも見ることができませんから、彼らは私がとんでもない罪を犯していることを知りません。 私は、本気で死を考えております。 天に私のしたことを悔い、申し訳ないと懺悔し、悔い改めて生きようとしていました。 しかし、私のしたことは周りの人から罪に定められることではなく、自分と天しか知らないことです。 しかし、霊は存在し、私のしたことは、実際に周りの人や世界に悪影響を与えました。 傲慢な言い方にも感じるかもしれませんが、間接的に私は悪を世に運んでしまいました。 このような、霊について、おそらく私の邪の波動と合ってしまった結果だと思います。 私は当時それに対する罪悪感がありませんでした。しかし今ははっきりと、自分が周りの人に対してしてしまったことを認識しております。 悔い改め、我に立ち返ると何て馬鹿なことをした、と思います。 しかし私が霊に取り憑かれその影響が周りに出ている事は、事実です。 見破れる人は見破ることができます。この間親切にしていただいてるお坊さんから、何か悪いことでもしましたか?と聞かれました。 私は否定してしまいました。正直に話せば良かったと思っています。 中世でいったら火刑になるくらいの罪だと思います。究極、本当に他者を愛してたら影響は自分に留めようとし、自死を選ぶべきだったと思います。 この罪を知っておられるのは、天と己のみです。何という罪に定められるでしょうか。
宜しくお願い致します。 母の口癖は、本当に苦労したからお父さんみたいのを選んじゃダメよ!でした。 父は、今で言うヒモでした。 ギャンブルによる借金、気が小さいのにプライドが高い、短気、なんでも母親任せ、人の気持ちが読めない。モラハラ気味。社会性がない。 ただ、1ついいところがあるとしたら優しいと言う事でした。 なぜ、離婚をしなかったのか聞いた事があります。いくつか理由を聞きましたが、本当に離婚しようと思ったらできたはずです。 でも、離婚はしなかった。それは母なりの考えがあってそちらを選んだんだと思います。 私には彼がいます。 ただ、どうしても父に少し似ているところがある事に気づいてしまいました。 前回、書かせていただきましたが、母はもう意識も低下し、余命半月もないと思います。 彼は私を言葉では支えてくれます。 意識があるときはお見舞いにも来てくれました。 ただ、現状を伝えると、元気な母の頃のイメージしかない彼は、見るのが辛い、信じたくないと逃げ腰です。 結婚を前提としていてお互いの親も会っておりますが、ここに来て彼の頼りなさに不安を感じております。メンタルが弱い彼です。気も小さい。と自覚もあるようです。 (私も強い方ではありませんが) 本来は家族を大切にし、親族と仲がいい彼です。 こんな時に強くいて欲しい、せめて心の支えになって欲しいと思うのは私のエゴでしょうか? 父よりはましですが時々、父に似ていると感じる彼との将来に不安を感じてきています。 100%完璧な人なんていないとわかっていますし、私も完璧な人間ではありません。 だけど、なぜかこういう時に逃げ腰な彼に対して、悲しくなります。 人の死、自分の死、生きている中で一番怖くて悲しい事のように思います。だから、逃げ腰な彼の気持ちもわかるのですが…。 私はどう受け止めたら良いのでしょうか? 宜しくお願い致します。
質問の閲覧ありがとうございます。私は1ヶ月前に母を自死で亡くしました。その原因が私であることに悩んでいます。 母は私を可愛いがりすぎて、過干渉な親でした。靴一足にしても母が良いと思ったものでないと買わない、母の意見に背くとヒステリックになるため機嫌を損ねないように母の言うことに流されるように従ってきました。ただ、そこに母が私のことを考えてくれていたのはよく知っていました。 私は当時就活をしていて、前年から就活に取り組んでいました。その中で学科試験に合格し、面接に進むことになる度に、母は大丈夫か?大丈夫か?と緊張させることを言い。やめてくれ、放っておいてほしいと言っても、心配して言ってるのにと口論によく発展し、ムシャクシャしたまま面接に行き落とされてしまうという結果が続きました。 そして就活も終盤戦に入り、企業の数も減ってきている中、内定が一社もでない状態が続き、企業を探しても良い企業が少なくなり、企業説明会に参加した際に出てくる企業があまり良いことをしているように思えない企業ばかりが出てきたことにショックを受け。私は自暴自棄になり暴れました。 その中で私は母に就活の邪魔をしてくれたせいで、私は終わりだ。あなたの過干渉に付き合わされたせいで私の人生は無茶苦茶だ。と今までの恨みを思い切りぶつけました。 それから私は他の企業の面接に参加する際も、母にどこの面接に行くのと言われても、母が緊張して結果的に邪魔になるからと徹底的に無視をして面接に挑みました。 少しすると、会社から最終面接の連絡が来て、私は喜びました。しかし、それを家族に漏らすと母に伝わると思い、家族にも隠しました。 その次の日に母は自死をしました。遺言には、疲れた、こんな母でごめんね〇〇(私の名前)。と書かれていました。警察官の人の取り調べの際も、あなたが殺したのではないのですね?と聞かれ、やはり私が母を追い込み殺したのでは?という思いが今もあります。 母の過干渉は嫌っていたのですが、母はとても大好きでとても大事にしてくれました。 初給料が出たら美味しいご飯を食べさせてやりたかった。孫の顔も見せたかった。それなのに私は我慢できずに母に文句を言い、父や弟を悲しませる結果にしてしまいました。そして何より、私に謝って死んでいった母が不憫でなりません。私は何を間違ったのでしょうか?
昨年の6月に父親が亡くなりました。そのことを知ったのは9月末でした。 私の実母は若くして亡くなり父は再婚しました。 しかし後妻と私は折り合い悪く実家と疎遠になっていました。 父の死は後妻から手紙で知りました。後妻の話によると葬儀は行わず直葬しただけとのことでした。相続は家は後妻で預金等は私が相続することを決めました。 後妻と父の仲はすでに冷めており後妻は家が相続できればよかったみたいです。実家には父のお骨が仏壇の前にぽつんと置かれていました。お骨は私が父の生家の近くのお寺に納骨しました。 納骨のときにお寺のお坊さんに法名を決めていただきやっとお経をあげていただくことができました。 葬式すらしてくれず家も父親も奪った後妻に深い憎しみを抱いてます。殺したいとすら思います。もちろん実際にそんなことしたら犯罪者になるのでできませんが。もう相続手続きは済んでいるので家は戻りません。 後妻に家を相続することを許したのは父の遺志通りだったのか悩んでいます。もしかしたら私に相続して欲しかったのか、どちらにしたらよいか決めかねていたのか遺書もなく遺志はわかりません。 もしかすると相続は死んで尚父に酷いことをしたのではないかと後悔が消えません。 私は父の見舞も行きませんでした、お通夜も葬式できませんでした。 法事の49日も100日もしてません。 せめて親族で一回忌はしたいと思うのですが、父の兄弟はほとんど亡くなり近い身内は思い当たりません。お金もあまりないので大きな式はできません。 相続手続きも落ち着き、父の死を知ってから3ヶ月くらい経ちました。最近父を普通に看取れず葬式も出せていないこと、相続の後悔の重いが苦しくてつらいです。 気持ちを整理をするためどうしたらいいでしょうか。 今のこんな状態で父に対して何ができるのでしょうか。 よきアドバイスがあれば教えてください。
母方の御先祖様が武士で、石高等が書かれた巻物がある由緒ある家系です。 母の兄弟、子供達、孫、みな若くして病気になったり、早死しています。 母の兄弟は、生まれつきの持病があったものの前日まで元気だったのに突然死、40代で透析、難病、60代前半で2人亡くなっています。 70代の母は60代で脳梗塞(軽い麻痺)、片目失明、心臓病、足の血管が梗塞し長時間歩く時は車椅子生活。 私のイトコは40代と50代で13人いますが、結婚したのは私の他3人。 従姉妹は「結婚できない家系なんだ」と嘆いています。 イトコも生まれつきの病気あり数人、20代で突然死、30代で脳梗塞、珍しい病気など。みんな40代までに病気になっています。 私も7歳で手術、中学生から精神疾患、高校から内臓疾患があり、他にも生死をさまよう病気に3回なりました。1年、寝たきりの車椅子生活でした。 生きているだけ奇跡で、病気を理解してくれる夫と結婚できたことが幸いです。 ですが、夫婦共々、不妊の要因があり、手術をするか、高度不妊治療をするかです。 私は子供が欲しいのですが、持病が悪化するリスクと精神疾患もあり、治療、妊娠、子育てができるか自信がありません。 子供を諦めるべきか悩んでいます。 母は障害者、姉は40代で亡くなり、兄も脳梗塞になり、頼れる人がいません。 夫は元々子供はあまり望んでおらず、夫婦2人で楽しく暮らすことが出来れば良いと言っています。 私には姉の子供がいますが、母もたまに私の子供が見たいと言います。 夫は一人っ子なので義両親も本当は孫を抱きたいようですが、不妊の話をしているので強要されたりはしません。そこはありがたいです。 祖母に「武士は人をたくさん殺しているから、子孫が病気や怪我をしたりする」と言われていたそうですが、そんなことはあるのでしょうか? 従姉妹が言うように、結婚できない人が多いのも関係ありますか? ちなみに皆、性格も容姿もよく働いています。 また、私達夫婦がお互いに不妊の要因があるのは、子孫繁栄できない見えない力のようなものがあるのでしょうか? それに逆らうように不妊治療はしない方がいいのでしょうか? まとまりなくてすみません。 全て御先祖様と関係があるとは思いませんが、見えない力の影響は有りますか? お答え頂けたら嬉しいです。
今はまだ、世界規模で見れば幸福な環境の中に居ることがわかります。しかし、いつかは死ななければならないし、死んだ後はどんな残酷な世界に産まれるかもわかりません。この世界で起こっているあらゆる残酷なことが、いつかどこかの自分が体験する可能性がある。それが恐ろしくてたまりません。 この人生は、これから繰り返す過酷な自我の前の休憩地点でしかない、と最近感じるようになりました。自我を作っているのは脳味噌と感覚器官なのですから、自分が死んだ後はまた別の生き物の感覚器官が「自分」になってしまいます。だから、できるならばこの命が終わった後はもう存在していたくない、もう二度と物質的世界に生まれたくありません。 けれど、この「生まれたくない」「存在していたくない」「他者から加害されたくない」「とにかく自分の安全がほしい、安心したい」といった煩悩が強い中で成仏などできるのでしょうか。南無阿弥陀仏と唱えればお浄土に導かれるとも言われていますが、信じるのが難しいです。物質的世界とは違った世界があるという確固たる証拠があれば安心して生きられるのですが、そうではないから毎日を不安と絶望の中で過ごしています。 科学によって生き物の在り方が判明し、政治によって私達の未来はどうしたって暗いことが判明してしまいました。故に死を意識するようになり、死んだ後の残酷さに気づいてしまい、繰り返される死へと至る苦痛に怯えるようになりました。これは「死にたかった」私への罰なのでしょうか。 物質的世界の残酷さが強すぎて、精神的世界の温かさや理想論を信じられなくなっています。人間も動物なのですから、自分を守るためならどんな残酷なことだってします。こんな世界なのに、どうすれば「死んだ後は極楽浄土に導かれる」と信じることができるでしょうか。希望を持つことも何かをすることも怖いです。何をしようとしても、「途中で自分の人生が終わらされる」と感じてしまいます。家畜や戦争地帯に生まれる覚悟、できていますか? 私にはできる気がしないのですが、今の世界の仕組みを変えることもできないと諦めている時点で、この世界の残酷さに加担しているという罪を背負っています。いつかは世界のために自分を犠牲にしなければならない時がくるのでしょうか。 この世界の残酷さからは逃れられないという事実に狂いそうになります。どうしたってたどり着く先は絶望。