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hasunoha 問答検索結果 : 「 死後 」
検索結果: 1344件

浄土真宗の教えについての質問

浄土真宗の教えについて質問があります。 悟りの反対が迷いだとして、迷った時に阿弥陀様のお力を心底信頼し、私は大丈夫なんだ!と思う事ができたら迷いがなくなる。それは最早悟りで極楽である。という理解でよろしいでしょうか? 仮にその様に考えると、悪人正機説で親鸞様が仰りたかった事は、「迷いの多い人の方が南無阿弥陀はよく効きます。」という事で、善良な市民や、悟っているお坊さんを批判したかった訳ではなく、犯罪者を特別庇った訳でもない。という風に考えられます。 ところが、浄土真宗のお坊さんのお話によりますと、「現在、この世は末法の世界のため親鸞様は生きている間に悟られる事はなかった。」とお聞きしました。 そう考えますと、私が今、いくら南無阿弥陀と唱えようとも悟る事はなく、この世では楽にはなれない。苦しいまま。という事にならないでしょうか? 私は阿弥陀様の本願、お力を心底信頼し、南無阿弥陀と唱えた時の心のあり様が悟りで、極楽浄土ではないかと思うのです。 それとも、極楽浄土という別世界が西のどこかにあって、生きている間は苦しいままですが、死後苦しみのない極楽浄土へ行くのでしょうか? だとしたらそこには何が行くのでしょうか?魂でしょうか?肉体でしょうか?心なのでしょうか? お手数ですが、回答頂けましたら幸いです。

有り難し有り難し 27
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お裁き

先日、最愛の母を真言宗で見送らせていただきました。 葬儀会館の方は『これからお母様は四十九日まで、家族で共に過ごされたお家や、ご自分の生まれ育った所、訪れた場所、数々の所縁のある場所を巡られます…』と、お話してくださいました。 四十九日までの、七日ごとの法要も辛さの中、こちらで皆様に教えて いただいたように個人の成仏の為にと出来る限り祈りお願いをしてまいりました。 そんな中、先日改めて四十九日までの『お裁』きにつて詳しく調べてみました。 その余りにも生々しく苦難の連続に思える道のりに、また故人への思いが溢れ出し、自責の念と共に今すぐ傍に行って助けてあげたいと思うようになりました。 そのように子供が後を追ってきたような親の魂は、更に惨い裁きを 受けてしまうのでしょうか? 稚拙かも知れませんが、このような裁きを受け苦難の四十九日の間に所縁の場所を巡るなど出来るのでしょうか? 『死』の時もあれだけ苦痛であったのに、『死後』もまたこのような 苦痛の連続だとは…あまりにも惨過ぎる気がいたします。 もうすぐ四十九日を迎えます…。 どのような気持ちで、どのような事を心掛ければ、少しでも故人の苦痛は和らぐのでしょうか?成仏させていただけるのでしょうか? 何度も同じような疑問をぶつけてしまっているかも知れませんが、どうかどなたかご教授お願いいたします。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

死について考えすぎてしまいます

現在高校3年生です 受験を一通り終え人生の節目に立ったことと、時間がとても余っていて暇なこともあってか、ここ数日死について考えてしまいます。受験とコロナという状況も相まって自室という閉塞的な場所に長期間いて家族以外とあまり会えず精神状態が不安定なのかもしれません。 僕は今までとても幸せな生活を送ってきてこれまでの人生に後悔はありません。 だからこそ、いつか来る終わりが怖くて仕方ありません。 死については科学や宗教など色んな立場の人が色んな意見を出し合っていると思います。 今この世に生きている以上結局死後のことは何も分からないことも分かっています。 けれどあれこれ考えてしまいます。 もう大学生ですし結婚願望もあるので親と一緒に過ごせる時間やそして必ず来る親の死、自分の寿命が尽きた時の自我の消滅などを考えると怖くて仕方ありません。 僕としては自分が死んだら、親や兄弟、ペットとまた幸せに暮らしながら、自分の子孫などを見守り、時が来たらその子とも暮らしたりという、あの世での永遠を望んでいます。 これはとても都合のいい考えだと分かっていますが、こうでも考えないとおかしくなってしまいそうです。 もちろん死ぬまでは精一杯生きるつもりですが皆さんの考えを是非お聞かせ頂きたいです。

有り難し有り難し 6
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50年前に他界した預けたままの父の遺骨について

父は50年前に他界し、その遺骨をお寺に預けたままになっています。 父は次男なので、先祖代々のお墓に入ることはできず、またお墓を 作るお金がなかったので、お墓はないままです。 父の死後10年~20年くらいはお坊さんに読経に来ていただいたり お彼岸やお盆にはお寺に足を運んでいましたが その後お寺まで遠いということと、幼い私たち兄弟を連れて行くには 不便な場所で車酔いするということもあり、出向くことがなくなってしまいました。 お盆などには「お布施」として現金書留を送っていたようです。 母は当時のお坊さんに「ここまで来るには大変なので、遺骨を近くの 一心寺(宗派の関係なく遺骨を預けられるお寺)に預けたい。 遺骨を返してもらえないだろうか」と頼みました。 しかし「あなたもいずれはこのお寺のお世話になるのだから」と言われ 返してもらうことができませんでした。 また、返してもらえたとしてもいくらかのお金を包まねばならず 知り合いに聞いたところ200万円くらいは必要と言われたようで そのままになっています。 母に父の遺骨はどうするのか?と以前聞いたところ「しばらくは保留」という返事でしたが、昨年手術をきっかけに認知症になってしまいました。 母は自分の死後、その一心寺に入りたいと常々言っており その際は父の遺骨を一緒に預けたいのですが 遺骨を返してもらうには一体いくらくらい包めばいいのでしょうか? 母には貯金が全くありません。 当時のお坊さんもお亡くなりになり、今はその息子さんが跡を継いで おられます。 何十年もそのままになっているので、遺骨自体がどうなっているのかも わかりません。 お寺さんからの連絡も一切ありません。 この場合、どのようにしたらいいのか教えていただけないでしょうか? よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 16
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地獄が怖くて今を生きられない

私は最近突然、死後について考えるようになりました。その時八大地獄について知ってとても怖いものだと知りました。私はご飯を食べるために生き物も頂いているし、虫も殺してしまっています。また、学生の頃にものを借りたまま返さず、そのかたとも連絡がとれず。もう1人借りていたかたのものは喧嘩して私が不登校になったときに売ってしまいました。連絡は取ろうと思えばその人とはとれるのですが今更とるべきか悩んでいます。また、音楽やアニメを勝手に無料で聞いてしまっていました。試食も多めにとりました。謝罪することもできず、私は地獄いき決定でしょうか。謝罪したくてもできないです。後悔ばかりです。今からでも極楽にいけますか。 最近は、何をするにしても地獄の怖い絵が頭に浮かびます。熱い鉄板の上に寝転ばされ長い時間ノコギリでさかれる黒縄地獄の絵が頭から離れません。家族に相談すると、そんなこと、嘘だよと言っていますが、私は昔の偉い人がかいたものなら本当にあるのではないかと思っています。不勉強なのですが八大地獄とはどなたが言い出したものなのでしょうか。八大地獄があるとすればもう、そこにいくことは避けられないのでしょうか。 もちろん、これからも努力すべきであると思い、よいことをしようと心がけています。しかし、例えば誰かとお話しようとすると、私が覚えていないだけでこのことはもしかしたら嘘になるのではと思い話せなくなります。また、ご飯を食べるときもこれは殺生になるのではと思い食べるのが怖いです。何をするにしても地獄が頭を過り、なんの行動をとるのも怖いです。今まではゲーム実況を見たりすることを楽しんだりしてました。でも、ゲーム実況も著作権違法のグレーゾーンかと思い、地獄に落ちるのではと楽しむことも怖くなりました。違法で地獄が怖いです。 八大地獄が本当に怖いです。 地獄にいきたくないです。 死ぬのが怖いです。 家族に相談して、私達もしたことあるよと慰めてもらっても皆が地獄にいったらどうしようと怖くなります。 今も悪いことをしている人も私の頑張りで家族も極楽にいけますか。皆地獄いきですか。 私は生きて楽しんでもいいですか。 どうしたらいいかわからないです。 誰か八大地獄について詳しく教えて下さい。仏様は怖い方なのですか。 知識不足ですみません。乱文ですみません。 本当に怖いです。眠るのも怖いです。極楽にいきたいです。

有り難し有り難し 65
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20歳 死にたい気持ち

私は今年で20歳になる大学生です。 最近自己嫌悪・悩むことが多くなり、疲れてしまいました。 今年20歳になると書きましたが、中身は全く子供のままで、大人になることがものすごく怖いです。 仕事や将来のこと、人間関係、自立すること、一人で責任をもって行動すること、実家を出ること、、など、これからのことを考える度、不安で、自分には何も出来ないと思ってしまいます。 1度だけ、もし1人になったらと考えた時に少しだけどパニックになりそうになりました。それくらいに将来のことが怖いです。 また、今の自分のままだとこれから先もっと悩みだらけになって行きづらくなるのではと考えてしまい、より辛くなります。もうどうすれば良いか分からないです。 前は平気だったのに、一人で行動することも怖くなってしまいました。 家族や友達に相談することも気が引けてしまいます。皆には皆の人生があるのに自分のことで心配や迷惑をかけたくないと思ってしまいます。 今までも悩みはあって、それでもどうにか生きてきたけれど、もう今年中には死のうかなと考えています。 何か最期に助言があればお聞きしたいです。また、死後の世界はあるのか、自分はどこへ行くのかなど、人生や生死についても教えていただきたいです。 よろしくお願いしますm(_ _)m

有り難し有り難し 4
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2025/03/27

4年前、両親が立て続けに自死しました。

はじめまして。ずっと考えていて、解らなくて、考えることを放棄していた事について相談があります。 私の家は、某新興宗教団体の信者で、小さい頃から「南無妙法蓮華経」という題目を、私自身も大切にして生きてきました。 私の両親も、熱心な信者でしたが、 正直なところ、この私の人生35年を振り返っても、本当に家族全員つらいことばかりでした。 そしてついに、4年前、両親は立て続けに自死をしてしまいました。 元々わたしは、ハタチの頃から、この宗教から離れていたのですが、 この事があり、神も仏も信じられなくなりました。 神も仏も存在しない。存在していたら、あんなに熱心に祈っていた両親がこうなってしまうわけがない。 でも私は、解らないのです。 偽のご本尊に題目を唱えていたから 私たち一家は、こんなことになってしまったのか。 でも、私の両親が、死ぬまで信じて(?)祈ってきたご本尊だから、このご本尊に題目を唱えて、追善供養をすることが、両親が一番に望む事なんじゃないか。 もし、本当に死後の世界があったら、両親は自死してしまったから成仏できないんじゃないだろうか。 このご本尊に供養の題目を送り続けて大丈夫なんだろうか。 だから、わからないから 何も考えたくないんです。 結果的に、科学的に考えた方が、 気が楽だから 死んだら、無。終わり。 両親は、救われなかった。 つまり最初から、神も仏も、いない。 そう考えた方が、一番心が楽なんです。 でも、やっぱり矛盾してて 心のどこかで、両親とこれからも、 死ぬまで一緒に生きていきたい。 私を見守っていてほしい。 すごくさみしい。会いたい。 だから、家には仏壇があり、たまにお香を焚いたり、手を合わせたりしています。 お墓参りも行きます。 まとまりのない文章になってしまいましたが、 わたしは、もし死後の世界があるのなら、両親が安らかであってほしい。そのために、私は今のご本尊に祈り続けてもいいのでしょうか。

有り難し有り難し 17
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ご先祖様について

初めて質問させて頂きます。 先日、知り合いの葬儀に参列して、お坊さんのお話を聞かせて頂きました。心にしみる良いお話だなと感動したのですが、ふと一つの疑問が生まれました。そのお坊さんは「49日まで生まれ変わりを繰り返し、そしてご先祖様として私達を見守ってくれる存在になります。ご供養をかかさないようにしましょう。」とおっしゃっていました。『ご先祖様』という存在は今まで何の疑問もなく受け入れてきましたが、興味本位で色々な仏教書を読んでおりますと「人は生前の行いにより、亡くなった後何に生まれ変わるか決まる」といった輪廻という考えがある事を知りました。 もし生まれ変わり、新たな命としてこの世に存在するのならば、ご先祖様は存在しなくなるのでは?という疑問が生じて、先祖供養やお墓参りの時に誰に手を合わせているのだろう??と考えてしまいます。 「ご先祖様」はその姿形で私達の近くにいて、守ってくれているという存在だと思っていましたが、生まれ変わるのならば、何か姿形を変えて違う生命として私達の近くにいるという事なのでしょうか? 長々とまとまらない文章で質問させて頂き恐縮ですが、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 85
回答数回答 4
2025/01/11

目の前が真っ暗な感覚

具体的な悩みは勝手ながらプロフィールに書かせていただきました。 自分1人で考えていると苦しいのでここで相談させてください。 仕事を初めて数年たち他人から感化されたりいろいろな経験からしてだんだんと自分の仕事の責任に自覚を持つようになりました。本来であれば仕事についた時から自覚を持っていないといけない仕事です。 以前も害を与えようと思って仕事をしていたわけではなく頑張ろうと言う気持ちでしていました。しかし、今考えるとなんでそんな不潔なことができるのかととても恐ろしいことです。 私のせいで害を被った人には大変申し訳ない気持ちです。 私は昔から地獄を信じていたので、死後地獄に落ちるだろうと思いました。 自業自得だし申し訳ないことをしたので当然だと思う一方で、地獄がなければ、罪悪感は感じながらも普通の日常を送れそうなそんな自分も嫌です。 本当の意味では反省していないように感じます。 あるか分からない死後のことよりも、反省を生かして仕事に当たって行くことが最善だと頭では分かっていますが、同じことをぐるぐると考えてしまいます。 こんなことをしときながら何かを楽しむ自分にも嫌気がさすので生きていくのが苦痛です。

有り難し有り難し 9
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宗教とは

祖父の葬儀の時に「死後の世界はこうなっています」と何層かになっている図の説明を受けました。 仏教に限らず死後の世界、天国地獄も含めて「あることは知っているでしょ」からはじまることが多く、「なんでだれも見たことないのにあるということになっているのか」が解りません。 さらに私の認識では例えば仏教はゴーダマシッタルーダが釈迦のペンネームで小説を書いてそれを各宗派の開祖が読んで読書感想文を広めた、というイメージなのです。そう考えないと宗派毎の教典の違いや祭事の違いなど差が出てくることが理解できません。 宗教が絶対のもので揺るぎがないものであれば解釈が変わったり宗派が分かれたりするものではない。会派が別れたり解釈が変わるのは不完全な創作物である証かと思います。広めるために土着信仰と結びつくなどその尤もたるところです。 かなり偏った意見になっているのですが「こういうことになっている」だけで「なぜそういうことになっているのか」「それが間違いない検証は取れているのか」を説明しているものがあれば教えていただきたいと思います。 化学実験でいえば「再現性」、こうすればこうなる、というものです。それがなければ「どうなるか解らないのに信仰するの?」となってしまいます。 また、どうしても論理的に根拠がしっかりしているものでないと認められない性格なのですが、「いやいや宗教というのはそういうものじゃないんだよ」というのがあれば教えていただけないでしょうか。

有り難し有り難し 38
回答数回答 4