いつもお世話になっております。 先日、入籍し幸せなはずなのに、 昔の記憶が蘇り憂鬱な気分になります。 頭から過去の失敗が離れません。 毎日なにかしら思い出し、 辛い気持ちになります。 消えてしまいたい。自分の責任なので 一生背負っていくものだとは思ってます。 以前の助言で 誰かに話すと良いとあり、 実践しようと思いましたが なかなか話せるものではありませんでした。 旦那にこんな私で申し訳ありません。 ほかに改善できる方法はありませんでしょうか。
初めてご相談させていただきます。 私は死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。 例えばお葬式、葬儀場、霊柩車、火葬場、お墓などです。 始まりは小学生の頃、親戚が亡くなり初めて遺体を見ました。今でも忘れられないのですが、母親から幽霊の話をその時に聞かされて恐怖で逃げ出したい気持ちになりました。その後、成人してから父型の祖父が亡くなった時に初めて火葬場に行きましたが、とてつもなく怖くて出棺後を見届ける事ができませんでした。その後祖母も亡くなった時も怖くて立ち会わず恐怖に苦しみました。 私はどちらかと言うと母方の祖父母の方で育てられました。その2人もこの10年で亡くなりました。その際は最期まで見届けて、骨上げにも立ち会う事ができました。 しかし、その後異常な行動が始まりました。死にまつわる物事に異常なまでの反応をします。 例えば葬儀場の近くはなるべく通らない。 喪服を着てる人を見かけたら、その人が歩いていた所はジャンプしてまたぐ。 電車で見かけたら車両を変える。 霊柩車が通った道は遠回りしてでも避ける。 葬儀に参列した際はその時着用していた下着やシャツなど全て処分する。 カーナビなどで、〇〇苑【葬儀場や火葬場】と言う言葉を見つけると異常なまでに恐怖を感じる。その日、何時間も気にな楽しめない。 霊柩車を1日に何台も見つけてしまう。 小さい頃、霊や悪霊が悪さすると母親から刷り込まれ今だに目に見えない不思議な物を信じて恐怖にかられています。 霊が私に何かするんじゃ無いか?不幸を連れてくるのでは無いか、呪われるのでは無いかと、毎日恐怖にビクビクしてとても生きづらいです。お墓の近くを通ったりした際はすぐに洗車に行きます。 コロナが始まってから余計にこの強迫概念にかられとても苦しいです。 僧侶の皆様にこの様な質問は失礼に当たるのでは無いかと何年も悩みましたが、勇気を出してお伺いします。 どうかこの強迫概念が少しでも楽になる助言をいただけましたら幸いです。 よろしくお願い致します。
笑い話しのような質問ですが、至って真面目です。 私は大黒様の信徒なのですが、猫が大好きで、偶然かわいらしい「招き猫」の土人形を見かけまして購入。 それを奉納品のつもりで大黒様の祭壇に飾っておりました。 私は気に入っていたのですが・・・ それを見た友人が「大黒さまのお使いはネズミだから、猫なんか置いたら、お使いが逃げちゃうよ」と。 その時は大笑いだったんですが、後から気になってきました。 竜神さんの祭壇に虎の置物を置くと、竜と虎は仲が悪く喧嘩になるので置いてはいけないと風水の本で読んだことも。 当時はお不動さんのお寺では、よくダルマさんが授与されているので、良いんじゃないかな? と思っていたのですが・・・ やはり、祭壇にはあまり縁起物の類は置かない方が良いのでしょうか。
最近生きていることがつらいです。 食事をとること、楽しむこと、喜ぶことに対し罪悪感を感じます。生きていることのありがたさにとても申し訳ない気持ちになります。 とうとう夢の中で知らない人間に「死ぬ事は悪いことではない」と言われる夢を毎日見るようになり、自殺未遂を繰り返してしまいます。 両親から、生まれてきてくれた事への感謝の言葉や、どれだけ私を愛してくれているか聞くたびに心が悲鳴をあげます。祖母の介護をして祖母から感謝されるたびに罪悪感で涙が出ます。友人に化粧や容姿を褒められるたびに消えてなくなりたくなってしまいます。 どうして生きてることに罪悪感を感じてしまうのでしょうか? 自殺未遂をするたびに私の背中をさすりながら泣く母を見ることがつらいのに、生きることや喜ぶことをやめたくなってしまうのはなぜなのでしょうか? 死ぬ事は悪いことなのでしょうか? 乱文ですみません、よろしくお願いします。
今年で旦那が42歳になります。本厄です。旦那の親から先日、本厄の厄落としのためにと10万円送られてきました。厄払いや厄落としのために周りの人たちに丸いものを送るようにと。私は自分の厄年は、長男の出産のため、厄落としはしませんでしたし、お金をいただいものは、出産返しにかわりました。旦那は、私を信用してくれておらず、使い込んだと言います。私は、緊急をようさない限りは、お祝いのお金は使わないようにしています。この度の10万円も、私が使い込むと思われていてかなりショックです。旦那は私以外の家族には優しいです。子どものためにはまだ離婚はしていません。厄年ってそんなに根積めて考えるものですか?私が悪く言われないといけないのでしょうか?
私は元々虐待を受けていて、外出することも遊ぶことも、友達を作ることも学校にいくことも禁止でした。 家出することも何度も試しましたが、生まれ育った場所が田舎で保護者に気づかれずにその町から逃げ出すことはでぎせんでした。 大人になり、法的にも自由になり 公認をとって大学を卒業し、上京してすぐに結婚しました。恋愛経験もないのでよくわかりませんでしたが、失うものもないですし、血の繋がった家族と家族団欒というものを経験してみたくて、子供が欲しかったので結婚しました。 しかし流産と不妊で仕事もできなくなり、正社員の仕事もすぐに辞めざるを得ずアルバイトなどで食いつなぎながら不妊治療を受ける日々が続きました。(元々10代で学校にいっていないので、学歴がなく望んだ職には就けないのですが……) 不妊治療をしている人はどこを見ても30代以上。彼女達はお金もキャリアも持っているし、何も持っていない私は孤独感を感じていました。 30代に入り、経過があまり良くないとはいえ、やっと子供を授かったのですが……、喜びもつかの間、私よりあとに結婚した20歳の知り合いから年上の知り合いまで……皆、去年出産していたと知りショックです。 私には家族も学歴も職歴も遊んだ経験も恋愛経験もなく、それでも頑張って生きて行こうとしてるのに……その苦労とは一体なんだったのか……。 そう思えてならない気持ちと、そんな私でもようやく家族の団欒を経験できるかもしれないという期待が渦巻いています。 でも、世間にとってはそれすらも取るに足らないものなんだろうな、と思うとなんだかやるせなくなります。 その気持ちを無視したとしても、これ程の努力でもやっとここまでしかたどり着けない私が、この先どうやって生きていけばいいか不安です。
私は昔から色んな物事が無くなってしまうことを前提に考えてしまいます。 例えば 人の命はいずれなくなってしまうから目の前にいるこの人もいつかいなくなる。 この人が言ってくれて嬉しかった言葉もいつか忘れてしまう…などです。 だからこそ人に優しくしたり何回も思い出したりしてプラスのこともあります。 しかし簡単に「死ね」や「もう無理、死にたい」などの言葉にすごくイライラしたりどうしようもなくさみしくなる時があります。 この考え方がふと頭をよぎるだけで目の前の相手が生きていてくれる幸せといなくなってしまう不安で胸が一杯になり迷惑になるのも構わずに泣きそうになります。 誰か大切にしていた身内が亡くなった等は親戚の人しかいませんし、大きな病気をしたわけでもありません。それなのにどうして生に執着してしまうのか本当に分かりません。 質問が分かりづらくて申し訳ありません。 目の前のことを手放しで喜べる考え方をするにはどうしたらよいのでしょうか。 またやはりこの考え方は変えて行くべきでしょうか。 どんな御意見でも構いません。 感想でもよいので、よろしければ回答をよろしくお願いします。 ここまで読んでくださって本当に嬉しいです。ありがとうございます。
初めまして。 どういう風に質問していいのか 分からないので 今、思っていることを正直に質問します。 よろしくお願いいたします。 私の母は、10年前に胃ガンでなくなりました。 母が生きてる頃は、勿論 私の子供を可愛がってくれたり本当に感謝していました。 そんな中 母か胃ガンという病魔に…。 母が助かる方法、ガンになった原因を私なりに模索しました。それでも 病魔は、母の体を蝕み 痛み苦しみを与え続け 亡くなってしまいました。母は、私達が子供の頃から苦労をしていました。父が酒乱で殴られて血だらけになった姿を何度も見てきました。そこまで苦しんできた母がどうしてガンになって苦しんで死んでまったのでしょうか?苦労した分 安らかに天に召されて欲しかったです。 それに私の心の中で 母は、私のせいでガンになったんじゃないかって思ってしまうのです。 主人が不倫してたのですが、母は、私に離婚するよう進めていました。子供抱えて離婚する勇気がなく苦しんでもいいから 極力離婚は、我慢しようと思っていたので母の言うことは聞き入れませんでした。それで母も悩んでいたのではないか?それが原因でガンになってしまったのでは?って 母が亡くなって 今もそう思っています。毎日 お母さん会いたいよ!お母さんゴメンね!って口にしています。でも夢にも出てきてくれません。やっぱり恨んでいるから夢にも出て来てくれないのですか?私が嫌いだからですか?兄も四年前 母と同じく胃ガンで亡くなりました。兄にも会いたくて会いたくてたまらないのに…。
初めまして。 私は昨年の5月に中絶をしました。 当時付き合っていた彼とはもうお別れしています。 私は産みたいと言ったのですが「自分の子じゃない」と認めてくれず中絶することになってしまいました。 私の家は仏教徒で私はその子のために祖母に戒名をつけてもらい、それを読み上げてほぼ毎日お経をあげさせていただいています。 水子供養に行きたいと思っているのですがなかなか行くことができません。 そして昨年の夏に出会った新しい彼がいます。仲良い友達の紹介でその友達の従兄弟です。 彼と私は結婚を考えており、私は中絶したことを隠してお付き合いしていくのが何だか嫌で打ち明けました。 彼は「また戻ってきてくれるよ」と受け入れてくれました。 しばらくすると彼も元カノとの間に中絶した子がいるという事を明かされました。 私は自分の子にお経を読んであげられているけど、彼はもちろん宗教をやっていないので自分の子にお経を読んであげる事もできないし水子供養にも行っていないそうです。 最近彼が夢でテレビに反射した子どもをみたそうです。 それがすごく怖かったそうで、 私は水子供養したほうがいいんじゃないかと思い、彼に「水子供養、したほうがいいんじゃないかな。」と伝えました。 彼も行きたいと言ってくれて今度二人でお互いの子のために水子供養に行こうという話になりました。 できれば二人で供養しに行きたいのですが二人とも子どもが違うのでどうすればいいのかわりません。 またお寺の方になんと伝えたらいいのかもわかりません。 よろしくお願いします。
私は10代の頃はお酒やタバコ、ドラッグ漬けでした。 見るもの全てが不愉快で、馬鹿馬鹿しくて不機嫌でした。 そんな生き方を、祖母の介護が変えてくれました。 重度の認知症になった祖母は、祖父から殴られ蹴られ、アザだらけでした。 粗相をしては、父母から嘆かれ 祖父から暴力を受けていた祖母を守りたくて、オムツの交換や体を拭いたり洗ったり 着替えさせたり、食事の介助を懸命にしました。 寂しそうだなぁっと思ったら、ぎゅーっと抱きしめて、大好きだよと言いました。 今では祖父母は他界しましたが、 最後に少しだけ恩返しができたこと、嬉しかったです。 守ろうと思ったことで 自分がしっかりしようと思えるきっかけを祖母がくれたことに感謝しています。 その数年後、自分が大病に倒れ体の自由が奪われてしまいました。 2年の寝たきりの生活や、病気の痛み苦しさに悶えて8年経ち、今に至ります。 病気をしてよかった事は、視野が広がった事と、やさしく穏やかになれたことでした。 今は殆ど怒りません。 イラっともしなくなってきました。 冷たく強く当たってくる人もいますが、 そんな人でさえ愛しく思えるときがあります。 ここまで成長できて、よかったぁ。と思います。 ただ、私はこれからどのような心構えで生きてい行ったら良いのかわからなくなってきてしまいました。 こちらで質問するのは失礼かとも思ったのですが、仏門に入るかクリスチャンになるかを迷っています。 ご助言頂けたら幸いです。 宜しくお願い致します。
先日、自分の人生は自分で生きる! と言われました。 色々な解釈があると思うのですが、正直私にはよくわかりません。 どのような解釈をしたらよいのでしょう。
時々亡くなった祖母が頭に突然浮かびます。浮かぶというか、TVをつけたときみたいに目の前にバンと現れる感じです。数日前は亡くなる直前に話してたときの場面でした。夢にも出てくるときもあり毎回会いたくて泣いてしまいます。何かの意味があるのでしょうか?
交際相手の連絡がまめではなく誘わなければ会えません。 一方では数人の男性からの交際を申し込まれたり食事のお誘いや連絡先交換の連絡をもらいますが、お断りしています。 自分を大切にしてくれない相手ですが長く思い続けた末に交際できたので、恐らくこの先も相手を慕う気持ちは変わりません。 これはすでに腐ってしまった縁でしょうか? どのように心の折り合いをつけたら良いでしょうか。
死にたい自分と 死にたくない自分とで 挟まれ 心が苦しいです。 情けない限りです。 どうしたら楽になれますか?
私は今、大学院2年生です。 ですが、来年から働く場所はありません 就職活動を頑張っては来たのですが、心が折れてしまって、就活に関しては何もすることが出来ません。 (研究の中間発表があったり、学会があったりするのですが、そちらはまだ頑張ってやれています。) 自分でも研究するために大学院まで来たので後悔はしていないのですが、就職活動で失敗して先が真っ暗になったので、どうしたらいいかわかりません。 また、割といい大学なのに就活失敗してしまい、自分は何をやっても無駄だと(社会不適合者であると)実感してしまいました。 あがり症で上手く喋れずにずっと面接で落とされ続けてつらいです。(学会でも、もちろんあがり症なので発表するのは苦手です。) 就活で失敗して、生きてはダメなんだと思い、何回も自殺しようとしましたが、怖くてすることすら出来ませんでした。 とりあえず大学院は卒業しようと思っていましたが、学費を払うのすらもったいなく、早く死ななきゃなと思っています。 私は何が間違っていたのでしょうか。 生まれることすらダメだったのでしょうか。 頭がこんがらがっていて乱文だと思いますが、失礼致しました。
最近、受験生なので勉強に没頭していました。 すると突然、自分の確実にある死を意識させられました。 学校がないことや歴史の勉強で歴史に圧倒させ られてしまったことが理由にある気がします。 今までも考えたことはありましたが、 自分なりに楽しく過ごそうくらいしか思っていませんでした。 しかし、最近になり自分や両親が死んだら と想像して勉強も手につきません。 今を楽しく生きたいし、夢もあって叶えたくて 勉強しているはずなのに消えてなくなってしまうんだ、と考えてしまい苦しいです。 そんな中、知っている方が亡くなってしまい さらに抜けられなくなりました。 死後の世界はあるのか 生まれ変わったりするのか なんてずっと考えてしまいます 考えることは悪くないかなあと思うんですが もう少し楽に生きたいし、 その頃に戻りたいです。変な質問ですみません
私は母から虐待を受けて育ちました。 母は精神的に弱く、何かあると神仏に祈っていました。私は母の愚痴を聞いたり、母の言う通りのいい子になろうと頑張ってきました。 でも母は幸せになりませんでした。 私は母に連れられて神社や寺に行くとき、みんなが幸せになりますようにと祈っていました。私の4歳の娘もこないだ初詣に行ったら同じ願いをしていました。 母は何を願っていたのでしょう? 幸せになりたいわけではなかったんでしょうか? おみくじを先日引いたら 神の御手にすがりなさい。さすればあなたは救われます。 と言ったようなことが書いてありました。信じていれば本当に神様や仏様は私を幸せにしてくれるのでしょうか?
霊園事務所の墓地周辺の掃除をしながら、口ずさむ時間は心が落ち着き救われた気持ちになると同時に、墓地で眠られる方々の供養になればと勝手に解釈しております。 鬱病の夫婦の、これからの生き方が分からなくなりました。私は、先月内視鏡検査でポリープを切除して大腸癌の一部がありました。妻も、来月の検査で肝臓癌の疑いがあるかも知れません。 私は、何故?生きているのかも分からないです。
私は今年高校を卒業し春から大学生になります。 大学生活を送るにあたり不安に思っていることがあります。そのうちの一つが友人関係です。 私はもともと自分から積極的にコミュニケーションをとるが苦手でした。そんな自分が嫌で高校からは無理して明るく装って友達をつくってきました。でも逆に嫌われるのが怖くていつも「どんな風に言ったら嫌われないんだろう」ということばかり考えてしまいます。 自分から一緒に遊ぼうなどと声もかけたことはなく相手側から誘われたら行くという状態です。SNSなども使いますが自分から連絡を取ることはありません。 高校での友達との縁が切れたらと思うと怖くてしかたがありません。高校卒業後はみんなそれぞれの進路に向かいます。なかなか会う機会のない中で連絡も取らずにいたらいずれ忘れられてしまうのではないかと毎日不安に過ごしています。 最近では友達って何だろうなということをよく考えるようになりました。本音を話せる人が友だちなのか一回でも遊んだ人が友だちなのか…正直もうわからなくなってしまいました。 今では人との関わりを避けるようになってきました。自分ではどうすればいいかわかりません…。
駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。