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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 好き」
検索結果: 527件
2024/11/29

孤独感でしんどいです。

父親、母親両方から虐待されました。両親は医師の姉を子供時代からひいきにしてきて、両親は外面がとても良く、私以外の人には、優しいみたいです。私には小学校時代は夢が無くて、安定してたらいいとか思ってたんですけど、10代からは看護師になりたいと思っていて、母親からはキリスト教の強制があって、ずっと優しかったのは祖父だけで、精神的に私には支えでした、祖父が亡くなってから、母親に勉強させられて入れられた、私立の中高の高校を中退しました。その時に、看護学校に行きたいと言ったら、母親に禁止されました。キリスト教を止めたいともいいましたが、許されずに、しんどかったです。なんとか、浪人して、母親も納得できる、国立大学の看護学科に合格しましたが、父親が昔、起こした事故で負った傷で実習で負傷し、辞めました。母親は私と姉を大学に行かせるために離婚しないといつも言っていて、性的な関係は私が出来てからないので、私が父親からの性的虐待を一身に受けて育ち、看護学科を辞めてからも、セクハラは続きました。大人になってから、母親がそれしか許さないので、看護学科でないですが、大学に行きました。しばらく介護職をしてましたが、看護学校は合格しました。おじいちゃんに報告に生きたいと思い、日蓮正宗のお寺に行ったら、やっと落ち着きました。今から、キリスト教徒から日蓮正宗に改宗するのは、どう思われますか?後、小学校1年の時に好きな男の子に近づきたくて、失礼な事をしました。どうしたら、お詫びを伝えられるでしょうか?

有り難し有り難し 5
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どんどん心が醜くなっていく気がします

病気で生殖機能を失ったにも関わらずプロポーズされ、結婚式まで上げてもらいました。 更に主人の両親からも素敵なハネムーンのプレゼントまであり、周りからはとても羨ましがられました。 それなのに子供が産めないというコンプレックスからか、友人で婚活しているのに失敗続きで結婚できない子達に対して、心の中でこのまま幸せになって欲しくないと思ってしまっています。 何故か結婚して子供も居て幸せな友人にはそんな気持ちは沸かないのですが…… その子が憧れているもの(自由に海外旅行にいける経済力、好きなものを買ってもらえる、専業主婦で趣味に打ち込める環境など)全て持っているのを自覚しています。 羨ましいとも言われます。 その度私の中の悪い部分が大きくなり、業と幸せ自慢をして傷つけては優越感に浸ると言うような事もしてしまいます。 彼女は恐らく私の幸せを心から喜んでくれました。 それなのに私はどうして彼女の幸せを心から願えないのか、なぜいつも彼女が幸せになる事を恐れてしまうのか…… 今の生活はとても幸せな筈なのに、こんなドロドロした感情を抱いてるのは主人にも申し訳なく、毎日が苦しいです。 長い上に読みにくい文章で申し訳ありませんが、何かお言葉を頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 21
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母が亡くなりました。

一昨日、母が老衰で亡くなりました。病気も沢山あり、認知症も酷く、最期数年は老人ホームでの生活でした。 また、このコロナ禍でしたので、母に会うのも数ヶ月に一度でした。 元々、父はシッカリしたお葬式をしましたが、母は介護生活も長く、母の兄弟も年齢が高い為家族葬で、お見送りだけにしました。 主人が宗教に反対の考え方で、お通夜も葬儀も無く、私と子供と主人の三人でお見送りしました。 仏着もありません。生前母が好きな服を着せました。 昨日、収骨が終わった直後は良い式だったと思えたのですが、時間が経つにつれ、母は向こうに行って、父に会えるだろうか。 向こうの世界で苦労していないだろうか。 私は凄く苦しませたのではないだろうかと、不安と恐怖でこちらにご相談させていただきました。 母の遺骨にお線香などもしておりません。 戒名も付けておりません。 主人には気になるなら私が付ければ良いと言われています。 母は、成仏できているでしょうか。 父や、母の両親と会えているでしょうか。 向こうで苦しんでいないでしょうか。 今更ですが私に出来る事はありますでしょうか。 血の繋がってない私を大切に育ててくれました。 絶対に忘れる事も、思い出を粗末になんてできません。 母が穏やかになるにはどうしたら良いか教えてください。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 14
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母からの発言

いつもお世話になっております。 母親からの発言で生きる意味を益々見いだせなくなりました。 自分は存在してもいいのか、生きていてもいいのかわかりません。 精神的な不調により仕事を辞めて療養のため実家に身を寄せることにしました。 貯金は底をつき年老いた両親に頼ってしまっている状態です。 両親はそれでも”気にしなくていいから…”と言ってくれたこともあり、その方向で話を続けていました。 色々と心配をかけてきたこともあり、倒れるまで母に現状を離せない状態でしたがちょっとした事がきっかけで話をする事になり退職まで話が進んだ…という感じです。 数日後に引越しを控えているのですがふと何かを思い出したように”アルバイトはいつからするの?””最低限のお金はどうにかなるよね”と話し始めたのです。 そんなに給料もらってる訳でもないし(両親は現在も共働きしています)おんぶにだっこじゃ困るのよ!と。 正直な所、今の精神状態ではとても仕事に出られる自信はありません。最低限のお金をと言われても貯金も底をついてしまった話をしていたので頭はパニック状態。 挙句、”そんな性格生きにくいでしょ?もっと気楽に考えなさいよ”と。 言葉が出ませんでした。私だって好きでこの性格になったわけではありません。 1番現状を理解して欲しい人に、突き放されてしまったような…自分を全て否定されたような…。 とにかく谷底に落とされたような気持ちです。 1番受け止めてほしい人にそんなふうに言われて、仕事もお金も何も無い私は生きている意味があるのかと、なんのために生きているのかと考えるようになりました。 正直、今すぐにでも身辺整理をして関係する人達の記憶ごと消え去ってしまいたい思いでいっぱいです。

有り難し有り難し 11
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想いを伝えるのに忍耐が足りない気がします。

こんにちは。 こちらで質問をさせていただくのは2回目です。 悩みとは表題の件ですが、その前に背景を話させていただこうと思います。 性別の女性とは体の性ではなく、性自認です。 また、性自認とは別に性指向と言うものがありまして、私はパンセクシャル、全性愛者です。 また、関係あるかはわかりませんが、発達障害者です。 本題です。 私は2年前に2週間ほど、お付き合いをしたレズビアンの女性がいます。 お付き合いを持ちかけ、OKの返事をもらったので、2週間とは言え、確実に付き合ったといえます。 お付き合いを始めるにあたって、彼女からこれだけはしないで欲しいこととして「気を引くために、嫌いだと嘘をつくこと」と提示され、了承しました。 その後、相手から友達関係に戻る提案をされ、了承したので、それ以後、それは傍らに置いて、他の方へアプローチなどもしました。 当時、恋人関係を取りやめることとなった心当たりは、相手の準備ができていないうちに、立て続けに想いを伝えたために、相手から急に距離を詰められても困ってしまうという旨の言葉をいただいておりますので、その一つにはなると思います。 その後は友達関係として、時々映画を見たり、お出かけをしたり、相手に恋人がいた時期なども含め、そのように過ごしていました。 最近はお互いにひとりであったため、再び付き合うことを持ちかけましたが、彼女が私のことを好きとわかるまで待って欲しいと言われ、了承しました。 私はLINE上で「2年間片想いで、想いを伝えてある人がいるんだけれど、毎日連絡したらその人は面倒だと思うかな?」と訪ねてみました。 返事は「直接普通に聞いてくれたほうが手っ取り早い。友達としてのやり取りなら歓迎。」というものでした。 私は普通という言葉に引っかかり、2年前の約束を思い出して謝罪しました。 「あれに該当するかもしれない。あの言い回しは君に私の想いを意識させようとした打算があった。本当にごめん。」 その返答は「そこまで深くは考えていなかったが、勢いよく間合いを詰められると怯んでしまうのも事実かな。」だそうです。 2年前と同じことをやってしまったようです。 同じミスを減らしてゆくには何を心がければ良いでしょうか? 裏読みも要因と思いますが、どのように付き合っていけば良いでしょうか? 文字数の関係でかなり省略しています。

有り難し有り難し 23
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阿弥陀如来様は実在しないのですか?

私は阿弥陀如来様が大好きです。 毎日救っていただくことへの感謝として念仏を唱えています。ハスノハでもたくさんの問答を見るのが楽しみです。 ところが、先日、ハスノハで真宗のお坊様が「極楽浄土があると信じていない」人への解答で、「阿弥陀如来様や浄土というのは働きのことで、実際亡くなった人が浄土という場所で生まれ変わるということではないのだろう。だから浄土とはこの世での働きのことで、死後の世界としてあるわけではないと思う」「仏様というおとぎ話を使って今生での安寧を得るのだ。だから阿弥陀如来様が実在するか否かはどうでもよい」「自分も科学的に極楽浄土の世界は懐疑的」 という旨のことを仰っているのを拝見しました。一人ではなく何人かのお坊様がそういったことを仰っているのを見ました。 誤解していただきたくないのですが私はハスノハのお坊様方のことを尊敬しております。ですが少なからずショックでした。私は今生で死んだら、阿弥陀さまに迎えに来ていただいて極楽浄土に生まれ、そこで仏となる修行をできることを嬉しく思っていたからです。 また、何があっても阿弥陀如来さまがいつも一緒にいてくださることが喜びであり、心の支えです。 法話を聞いたりしていると、「阿弥陀如来様という素晴らしい仏様がいらっしゃる(=阿弥陀如来は実在する)」「死んだら極楽浄土にいき仏になる(=極楽浄土は実在する)」とお経も親鸞様もハッキリ仰っているように思います。 阿弥陀如来様や極楽浄土の存在を確信するのが、浄土真宗ではないのですか? 私が、元はキリスト教を学んでいたこともあって、阿弥陀如来様や極楽浄土への解釈が違うのではないかと不安です。 (極楽浄土と天国は、極楽浄土は阿弥陀如来様の国(他の仏様もそれぞれ浄土をもっていらっしゃる)。という違いだと理解しています) 私はこれからも阿弥陀様といつも一緒だと思っていても良いですか?

有り難し有り難し 194
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いつか死ぬことが怖い

はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 19
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2024/03/09

急に嫌いになった

今、母に対する自分の気持ちが分からず悩んでいます。昔から母のことが大好きで愛していました。今も愛していますし、感謝しています。しかし、最近関わるのが怖い、嫌い、離れたいと思ってしまいます。楽しいことがあると、母に伝えて共有したいなと思う気持ちもあるのですが、嫌だ、話したくない、と心にブレーキがかかります。この矛盾した気持ちにどうすればいいか分からず悩んでいます🥲 この気持ちになり始めたのにはきっかけがあります。それは母と義母、母と父の関係が悪化したことです。確かに義母、父の方が悪いのですが、母の言動も少し行きすぎているのではないかと思ってしまいました。そのことで母に対する不満が少しずつ溜まり、心の奥底で嫌いという感情が生まれてしまったのではないかと考えています。 この感情はずっと続くのしょうか。一度、潜在意識で嫌い、怖い、嫌だという感情が生まれてしまったら、もう前のように心にブレーキをかけることなく関わることができないのでしょうか。今は、この気持ちを受け流して、いつかなるようになると信じて今に集中して生きるよう努めています。 相手を拒絶してしまう気持ちはどのように対処していけばいいのでしょうか。アドバイスいただけると嬉しいです💦

有り難し有り難し 14
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悲しみから抜け出せない

20日の日にとても大好きな父が亡くなりました。 自分は母を4年前に病気で亡くしてます。 その病気の介護のときからの15年間父親と生活していました。 母の死後、父と2人で田んぼをやってコレからはもっと2人で田んぼ大きくして行こうとしていました。ところが去年の4月頃に父に前立腺癌が見つかり、父は入退院を繰り返す様になりました。 それまでは父と2人で楽しく作業していた事が自分1人になり苦痛の作業になり、自分でもどんどん自分がすさんんで行くのがわかりました。 そして12月になり病院から「これ以上治療は出来ないので、緩和治療になります」と言われました。頭が真っ白になりました。そして泣いて泣いて泣きました。 家に戻る事も無く年を越し、1月10日に転院しました。そして改めて父を見て見るとがっしりとしていた身体はヒョロヒョロで、色は白く、お腹の両脇からは尿を出すための管が出ている、そんな身体になりながらも自分が行くと「ちゃんとご飯食べてるか?」「無理はするなよ」と私の事を気遣ってくれます、私は家に帰ると毎日泣きました。1月19日、父は大分弱って起き上がる事はなく、だか問いかけると目を開け「うん」「ちがう」などの返答をしていました、そして夕方に父に「どうする?今日俺、病院に泊まる?」と聞くと、とても嬉しそうに「うん、うん、」と答えてくれました。次の日の朝、「おはよう」と問いかけると目を閉じたまま、何の反応もありませんでした、先生が来て「今日は危ないかもしれないです」と言われました、それからは、父の耳元で「俺は親父が大好きだよ」「親父俺を1人にしないでくれよ」「反応してくれないとわかんないよ」「ほら一緒に田んぼいくべ」など色々言ってました、そしてお昼になり、父の呼吸は止まりました…67歳でした。 それから私は喪主として御葬式を務めあげました。 そして今は大きな家に自分1人となってしまい、家の中、納屋の中、田んぼ、すべてにおいて私が大好きだった、元気だった頃の父の姿が重なって見え、涙が止まらなくなってしまいます。本当に大好きなのです。 また一緒田んぼをやりたい、会いたい、他愛無いことで喧嘩したい、会いたい、話したいです。 ツライ、ツライ、ツライです

有り難し有り難し 37
回答数回答 1