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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗教 」
検索結果: 2701件

お坊さんの好きな作品

御覧頂きありがとうございます。 カテゴリー違いでしたらすみません。よろしくお願いいたします 映画、ドラマ、アニメ漫画、小説から芸術作品まで、何にしても、見る人の感性や価値観によって大きく感想や印象、好き嫌いが変わると思います。 そこで世間、いわゆる俗世間から離れ、「一般的」とは価値観の変わった御坊さんはどんな作品のどんなところが好きなのかな?と気になりました。 絵画や写真ならまだしも、映画などストーリーのあるものとなると、やっぱり仏教観が影響してくるのではないかなと思うのです。 多くの人がたいして注目していない部分にも「すばらしい、いいね!」と感じたり、またその逆などが起こるのでは?と。 それとも、そこは特に影響しないでしょうか。 普通の作品でも、宗教ものの作品でもありがたいです。好きな作品やその作品のどんなところが好きかお教え下さい。よろしくお願いいたします (ちなみに、セイントお兄さんという仏陀とイエスの友人漫画のクチコミが、キリスト教徒からの高評価ばかりで仏教徒からのレビューはみあたりませんでした(笑)。教徒のそれぞれの宗教観の違いか、教徒の母数の問題かわかりませんが。)

有り難し有り難し 30
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2023/02/16

結婚に関して葛藤と迷いが出てしまいました

31歳女です。独身で家族と同居、独り暮らし経験なし、いつか結婚したいと思いつつも周囲の同年代や年下が結婚出産を順調に進めている姿を見て焦りを感じています。 私は元々キリスト教の家庭に育ち、将来は仲間同士で結婚するものと思っていました(そう勧められてきました)。 自分でもそれが幸せと信じていましたが、ある時親が宗教に対する反感から活動を離れ、私も最初は親の圧力に抵抗していましたがそれに疲れ、現在は宗教自体から離れています。一時期親との間に亀裂が入り相当な精神的苦痛を味わいましたし、ずっとキリスト教で育った為一般の人とお付き合いしたことも殆どありません(一度だけ宗教の教えに反してお付き合いしたことはありましたが、自分に見る目がなかったのと、教えに反する罪悪感で自分から交際を終わらせた経緯があります)。 女性には出産にリミットがあることや結婚市場で年齢が上がると価値が下がるなどの不安もあり、結婚相談所のカウンセリングにも行きました。ただ、ずっと宗教絡みでしてこなかった推し活や制作や友人とのライブ、旅行等の楽しみをごく最近体験し始めたこともあり、このまま独身生活を終えてしまってよいのかという気持ちと、環境が変わることへの不安を大きく感じています。 また宗教を離れてから占いに頼ることが増え、個人的に信頼する占い師から今年は出会いに積極的な方がいい、踏み出すのは今だ、とアドバイスをされたのに、いざ結婚相談所に登録する段階で上記の迷いもあって踏み切れずにいます。 結婚している・彼氏がいる人は羨ましい、自分も欲しい、人を好きになりたい、将来的に子供も欲しくなるかもしれないからリミットも心配、でも結婚し出産すれば今ようやく経験してる自由はきっと同じように謳歌できなくなる、相談所に登録するということは自分の手でそれに終止符を打つことになるからそれも怖い。今なのか、違うのか。占いや世間常識、自分の中の不安に苛まれて、何が本当の願いかわからなくなってしまいました。 本当は自然と出会って自然な流れで好きになり心動かされて結婚したい。 人間て本来そういう生き物だと思うのに何故こんな生き急がなくてはならないのだろう、周りにできていることがどうして自分にはできないのだろう。 少しでも生きる希望を見い出せればと今回頼らせていただきました。 とりとめなく恐縮ですが宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 31
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仏教と神道

 こんばんは。先日は私の質問に真摯にご回答下さりまして、誠にありがとうございました。こちらで質問させていただいて、お坊さま方の回答から今後の生活のヒントになることを沢山学ぶことができました。本日は、さらに質問したいことがございますので、ご迷惑かとは存じますがご回答頂けますと幸いです。  私は、仏教について勉強していく中で、日本では仏教と神道が結びついて独自の文化を形成してきたということを学びました。それは、ヨーロッパのような激しい宗教対立ではなく、大乗仏教の柔軟な教えがあったがゆえに土着の信仰を包摂できた結果生まれたものであり、世界の中でも珍しい信仰体系であると思います。  しかし、仏教の教えと神道の教えは相容れない所があるようにも思い、そこが自分の中で考えの整理がつかない点でもあります。例えば、先祖崇拝はもともと仏教の教えには無かったと学びましたし、神道の荒魂・和魂といった概念も仏教の教えとは異なるもののように感じます。この両者の教えの違いをお坊さまはどう整理されているのでしょうか。  なぜ、このようなことを申し上げたかと言いますと、私の実家の信仰と上記の問題が関連しているためです。私の実家の宗旨は浄土真宗なのですが、仏壇の他に神棚もありますし、両親は仏壇の他にも調理場や庭石などにお供えをしています。また、お寺にも神社にもお参りに行きますし、お墓へもお参りに行きます。これまではこれらを当たり前のこととして受け取っていたのですが、仏教を勉強していくうちにこれらの習俗に対して疑問が湧いてきてしまいました。  浄土真宗を信仰する家庭では、神棚は基本的には置かないと伺っております。また、死んだら即成仏という考え方であるため、位牌も必要ないと聞いております。しかし、私の実家には神棚もありますし、黒塗りの位牌もあります。この両者の間の矛盾をどう整理すれば良いのでしょうか。菩提寺の住職様に質問はしてみたのですが、曖昧な答えで納得のいくものではありませんでした。私は、人生を生きていく上で道標となるものを得たいと思い、仏教の勉強をしてきたのですが、現実の生活に活かせるように整理しようとすると、矛盾点が多く悩みはむしろ以前に比べて増えてしまっているような気がします。  お忙しいと思いますが、お坊さま方のご意見を伺えましたら幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 47
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子どもにどう話すべきでしょうか?

不義の関係で当時出来た子供(長男)に、正直に話したいと思いますが、子供の事を考えると一生話さない方がいいのでしょうか? 私が以前、自らを高める手段として性交渉を用いた教義を説いていた宗教団体に居ました。主人と出会う前の話です。 その時は何の疑問を持つことなく、教祖だった男性と性交渉をして、少ない稼ぎの中から多額のお金を支払い、そして教祖との子供を産むことを強要され続けてきました。 ですがある時主人に出逢い、主人の考え方に触れる内に教義の矛盾と自分の考え方が如何に幼稚なものだったかを思い知り、この事をすべて主人に話して、無事宗教団体を抜ける事が出来ました。 主人との子どもも、教祖との関係がばれないようにすれば、主人と子供を作ってよいと指示されたため、試行錯誤を重ね長男を授かりました。 血の繋がりがないかもしれない、という事は主人・主人の母・自分の母は知っています。子どもを授かったからには、自分の子でなくてもきちんと育てる!という言葉通り、主人は長男を慈しんで育ててくれています。TVであるような「自分の子供じゃないから!」と言って蔑ろにするようなことはありません。 きちんと調べたうえで、長男が自分の事は自分で決められる年になったらきちんと話したいですが、むしろ話さない方がいいのでしょうか?ずっと迷っています。よろしく願いいたします。

有り難し有り難し 14
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2023/05/07

子どものお祭り・法要について思う事

 いつもお世話になっております。日本には、各地の寺社で、 「泣き相撲」や「得度式」などの法要や祭りがあります。  私は、思う事があります。ある日ニュースを読んでいると、 得度式について取り上げられていて、 「小学生の息子を得度させました。本人は、初めこそ嫌がっていた ものの、周りの子たちもみんな丸刈りなので、慣れたようです」 と母親が記者さんに答えていました。  これ、カルト宗教とやってる事変わらないんじゃ? 子どもは、自分で意思表示をすることができません。 たとえ「いやだ」と言えても、大人から圧力をかけられれば、 恐怖のあまり隷従してしまいます。  じゃあおっかさん、あんたは得度したのかえ?完全に、 自分の子をアクセサリーにしているように感じました。  まして、今の日本では宗教なんて慢心のためのアクセサリー みたいな考えの人が多いのに。  さらに、成長期の子が断食をし、それを褒めたたえたタレント がいました。医療界からは、 「なんて事を!成長期の子どもが栄養を断つなんて、危険極まり ないことなのに。イスラム教だって、子ども、妊婦、生理中の 女性の断食行は免除されている」 と驚きの声が上がっています。  泣き相撲もそうです。赤ちゃんが泣くのは、不快だから。これは、 育児や発達心理学の基本です。わざと泣かせて、楽しむ? それこそ、心理的虐待でしょう。  さらに、未就学児の小さな体に、2kgもの餅を背負わせて歩かせる 儀式もあります。あまりの重さに、泣いて倒れこんでしまう子ども もいます。それを見て、大人は喜びます。骨折でもして一生後遺症、 なんて事にもなりかねません。  これらの子ども系の祭りや法要は、すべて、子供の意思は無視。 得度式など、人生がかかっているのに。結果を出そうとしない 怠惰な大人が、「うちの子すごいでしょ!」と驕るために、 子どもに思想を押し付けるのでしょうか。  意思のない人への信仰の押し付け…カルト宗教そのものだと 思います。私は、一人の宗教者(俗人ですが、あえてこの言い方 を使っています)として、憤慨しています。  何度も言うように、今の日本では、宗教は心の原動力(エンジン) ではなく、怠惰の免罪符、驕りのアクセサリーになっています。  本当に、嘆かわしい限りです。

有り難し有り難し 9
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