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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6157件

戦争に対する恐怖心

こんにちは。 初めて質問させていただきます。 最近、ニュースを見ていると世界情勢がどんどん悪い方向へ進んでいる気がして、近いうちに大きな戦争が起きて家族みんな死んでしまうのではないかと、毎日不安に押し潰されそうです。 私はかなりの心配性で昔から戦争への恐怖心はあったのですが、子供が生まれてからさらに強くなりました。子供が生まれてから本当に幸せで、本当に可愛くて、たくさん遊んであげたいですし触れ合いたいのですが、その恐怖心のせいで子供を可愛がるのが怖くなっています。もし戦争が起きたら、痛く辛い思いをして殺されるくらいならその前に家族全員で出来るだけ楽に死んでしまった方がいいのでは、ということまで考えてしまいます。 もちろん、世の中戦争だけではなくて病気や事故などでも死ぬ可能性があるのは分かっていますが、なぜか戦争に対してだけすごく恐怖心があります。恐らく、戦争は私がいくら気を付けていても意味がない(=子供や家族を守れない)こと 、他にも多くの人が死ぬことなどが恐怖心を抱く原因かと思います。 将来のことなんて誰にも分かりませんし、私が悩んだところでどうにもならないことは分かっているのですが、どうしても上記のようなことを考えては落ち込んでしまいます。 読みにくい文章で申し訳ありませんが、アドバイスよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 15
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祖母が亡くなって悔やんでいます。

両親が離婚してから、母親代わりに自分を育ててくれた祖母が先週亡くなりました。 祖母はしばらく地元で独居でしたが、2年前からはいつでも会えるように父と自分がいる町の老人ホームに連れてきました。少しでもさみしくないように、地元の人と連絡できるように電話を買ったり、実家の写真を壁に貼ったりしました。その年に脳出血になり寝たきりになってしまいました。 だんだんと怒りっぽくなり、注文が多くなって、数日おきに会いにいきましたが仕事が忙しいことを理由に面会時間ぎりぎりに会いに行って、いつも少し話して帰るだけでした。95歳の誕生日に父と一緒にお祝いしようと話していましたが、葬式をするかしないかで喧嘩してしまい、結局自分だけ会いにいきました。いつも通り短時間の面会をして、おめでとうと言うと「ありがとう」と絞り出すように言われました。弱っていることは感じていましたが、受け入れられないまま、まだ大丈夫、と自分に言い聞かせていました。翌日は会いに行かず、翌々日は仕事で行きませんでした。その次の日に会いにいくと意識がなく、息をしているだけの状態で、おばあちゃん、とだけ声をかけて、また明日会いに来よう、そこで悪くなっていたら付き添おうと思い、彼氏と出かける予定があったので帰りました。その翌日に、父から亡くなったと連絡がきました。 結局、火葬だけして遺骨を実家に連れて帰ることにしたのですが、父が1番安いプランにしていたので、花や枕飾りなどないまま父の家に棺だけで置かれていました。自分も一般的な見送り方が分からなかったので小さな写真たてで遺影を準備して、(祖母は神道なので)御神酒や米などで簡単な枕飾りを作り、花や榊を棺に入れました。火葬の日、火葬場の大きな写真立てにかけられた小さな遺影や空っぽの花瓶をみて、ちゃんと準備をしていなかったことを後悔しました。いろいろ考えていたら最後のお別れの時も顔を見るだけで何も言えませんでした。 もっとたくさんわがままを聞いて、話をして、喧嘩せずに最後の誕生日を父と3人でお祝いしていたら…意識がなくなってからずっと付き添っていたら…火葬の準備をしていたら…後悔ばかりです。 亡くなるのが怖くて会いにいくたび撮っていたビデオを見ながら涙が止まりません。 おばあちゃんは幸せだったでしょうか。また会いたいです。どうしたら思い出す度に悲しくならずにいられますか。

有り難し有り難し 6
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最愛の祖母の葬儀に出られず苦しい

先日祖母が亡くなった事を実母からの電話で知りました。 しかも、亡くなったのは一週間前で葬式も済んでしまったと。 あまりに突然の事でただただ混乱しています。初孫だったので祖母には大変かわいがってもらい、本当に大好きな祖母でした。結婚してからはなかなか会えず時々電話はしていました。 母親とは10年前に些細な喧嘩をして私は謝罪しましたが、疎遠になりました。遊びも来るなと言われ会ってもいません。電話では時々話しており、先月も話をしたばかりです。 せめてその時祖母が入院したことを教えてくれていたら。 せめて亡くなった日に電話くれていたら。お葬式の事教えてくれていたら。 お別れもできず会えないままで本当に苦しいです。夏休みに会いに行けばよかった、電話すればよかった。毎日後悔しています。 祖母が亡くなった日に自分は何も知らずに過ごしていた、葬式の日に何も知らずに笑ってた。後から知ってやりきれないです。 母親への憎しみも募るばかりです。母親が亡くなってもここまで悲しくないほど祖母が大好きでした。よけいに母親が憎いです。 毎日がつらく何もやる気がおきません。未だに信じられない思いと寂しく悲しく 昔の事を思い出しては泣いています。子どもや主人にも八つ当たりして家事もままならないです。こんな姿を祖母が見たら悲しむと思うので、頑張ろうと思っても続きません。せめてお骨に会いに行こうと思っても体が動きません。 祖母に感謝の気持ちを最後に伝えたかったです。 そして母親への憎悪が止まりません。 もし祖母の事で会う事があったら自分が抑えられず罵倒してしまうと思います。 祖母はそれは望まないとは思います。やはり二度と会わない方がいいのでしょうか。

有り難し有り難し 4
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理性じゃ死にたい欲求は消えない

もはや現実的な解決策は試し尽くしたといって過言ではない。 私は人生と戦った。 私はそこらの偶々運が良かった人達、ただただレールに乗る人達、親が恵まれてた人達、何も考えることも無く低次元なレベルの生き方をして何も学習することも無いまま哲学や物理学などを学習せず中学レベルで切り捨ててるボケどもより完全に人生の問題に対する解決策を試してますし考えてます。 勿論そこらのカスみたいなアドバイスや低次元の道徳の教科書レベルの文言なんて何億回も聞いてます。 でも友人やカウンセラー含めて悩み相談を聞く側がそこまで悩んだことが無いから当たり障りがないアドバイスしかない。 もう沢山だ。 そんな現実的な解決策が無く、ヤバい状況なら幾らでも解決策を試してるよ。 リアルタイムで生きるのが嫌だから、解決策が無いから自殺する人が絶えないんだよ、だから自殺者毎年数万人なんだよ。 そして自殺を考えてて本当頭おかしくなるくらい自殺願望者は自殺を自発的に止めようと努力する。 だからネットや病院やお坊さんに死に物狂いで相談する。何とか誰か助けて欲しい。 そこで返ってくるのは「辛いなら死ねば?不幸なやつとか生きてる意味ない」とかの冷たい言葉。 私が「そもそも人が生きてる意味という命題に対する答えを全人類含めて誰も根拠として持ってなくお前にもないんだけどなw」と返答した所で自殺したいという不幸な状況は変わりません。 自殺するとして死は恐怖であり、生きるとしても人生に苦しんでる。 人という存在は悪でありズーート争いをしてきてて「辛いなら死ねば?」とか「さっさと死んだ方がいいよ」とか言えるのは寧ろ当然というか。人間に希望は無いんだなって思う。 だから最後は宗教にすがってる。 助けて欲しいくらいに沢山質問しました。でもどんな良い回答を貰っても現実が解決されるわけではなく理性じゃ死にたい欲求は消えない。 寧ろ1人のお坊さんから貰った人格否定を含む嫌味な言葉で仏教が嫌いになりかけてました。 だって暴言吐いても修業中だからオッケー!みたいな論理を使えば他人に危害を加えてもオッケー!みたいなのがまかり通る。 まあなんにしても最後は宗教に縋りたい、なんとか楽しく生きたい。 なんかしら助けて欲しい。知恵を分けて欲しい。意味はないかもしれないけど、もはや限界に近い。

有り難し有り難し 31
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どんなに願ったり努力しても叶わないことがあることの意味

長文失礼いたします。 祖母が8月に亡くなりました。92歳でした。2月に突然脳梗塞を起こして、肺炎を起こして1ヶ月くらい意識不明でした。そこから意識が戻って療養型病院に移って、脳梗塞は順調に回復して退院寸前でした。祖母も自宅に帰るのを楽しみにしていました。その直後もともと持っていた間質性肺炎が医者も驚くほど知らぬ間に悪化していることが分かりしてそれから3週間くらいで亡くなりました。発病してから本当に毎日休みなく家族3人全員が2時間くらい車で30分くらいの病院に顔を出して看病や介護をしました。私は亡くなる当日朝から亡くなる瞬間まで意識ない祖母の手をずっと握っていました。生きている限り希望を捨てはいけないと思っていました。でも、亡くなりました。でも亡くなった瞬間、全て努力なんか全く無意味で死んだら無なんだと確信しました。何をどう努力しても死んだら無なんだと。 唐突に話は変わりますが、漫画で、「ジョジョの奇妙な冒険」という本があります。その中で西部開拓時代のアメリカの話で、上手く言えませんが、ある国に特殊な技術を持っている、医療行為と死刑執行を代々生業している一族の登場人物が出てきます。ある時その登場人物の診療所に、夫のDVで失明した女性が仕事中の怪我で運び込まれます。登場人物は自分の持つ特殊技術で女性の失明を治せると確信したので、治そうと試みますが、ほんの少しの偶然の出来事で彼女の失明を治せず彼女は永遠に光を失います。治せるはずの彼女を治せなかったことにショックを受ける息子に、登場人物の父は、「彼女の失明を特殊技術で治せると父である自分は分かっていた。でも意図的に治さなかった。彼女は盲目が故に生かされている。もし失明を治せば、DVを行った権力者の夫達は、目が見えるようになった彼女の命すらも奪う可能性があるからだ」と言いました。 結局何を言いたいか上手く言えなくて申し訳ありません。ただ、祖母の死の無の感触を思い出すと、なぜかこの漫画のことを思い出します。 どう繋がっているか考えても分かりません。結局言いたいのは、題名の通り、いくら願っても努力しても叶わないことは一体どういう意味を持つかということです。本当はもっと突き詰めて自分なりの意見をじっくり温めてみたいと思っていますが、どんなことでもいいので、何かお言葉を頂けたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 51
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最期まで嘘をついてしまいました

はじめて質問させてもらいます。 3年前に同居だった祖母を亡くしました。 それは突然のことで「ちょっと体調が悪い」と言う祖母を病院に連れて行くと末期の癌だと告げられました。もって1ヶ月だろう、と。 それまで足腰が悪いだけで家事も買い物も出来た祖母。入院した当初も食欲はありませんでしたが、とても元気に見えました。 そんな祖母に病名が告知出来なかったんです。 元々ちょっと撃たれ弱いところがあったので親族で話し合った結果『伝えない方がいいだろう』との結論に至りました。 祖母は入院してからずっと病名を気にしており、何度も聞かれましたがその度にはぐらかしてました。しかし身体も弱ってきたある日「何言われても覚悟してるから正直に言ってな」と言われました。その時は病室に私1人で。親族みんなで決めたことだから、とそれでも嘘をついて「治る病気だ」と言ってしまいました。 その後祖母は話すことも出来なくなり間もなくこの世を去ってしまいました。 私はずっと嘘をついていたことを後悔しています。本当のことを早くに伝えていれば、やりたいこともあったんじゃないかと。 お坊さん方、なにかお言葉を頂けたらと思います。

有り難し有り難し 20
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生き方

数年前に、私の姉が自死しました。 突然のことだったので、その事実を受け止められない時期続きました。 その後すぐに父に癌が見つかり、父は療養していたのですが、癌発見から一年後には父も他界してしまいました。その姉が亡くなってから父の療養期間の間、私は既婚でしたが、お互いの性格の不一致等あり、その間に離婚してしまいました。離婚したことについては後悔していません。 それから約4年が過ぎましたが、当時のことを思い出すことがたびたびあり、姉や父に対して寂しさや自責の念に苛まれたり(姉が悩んでいることに全く気づかず、父には親孝行ということができていないという気持ち)、結婚に対してはその期間にあったとても嫌なことを思い出し(トラウマのようになった出来事や言葉)、私の身近にいる人は離れていくのではないかという不安感に苛まれています。当時のことをふと思い出すことがあり、悲しみでいっぱいで、涙が止まらないことがあります。 結婚に関しては次の幸せを見つけたいとは思いますが、また同じように離れていくのではないかという恐怖心が勝ってしまい、何も前に進めていません。 他に姉や母がいますが、正直、残された家族はあまり上手く行っていません。 そのような状況から喪失感や悲しみに襲われてしまうことがたびたびあります。人生に対しても前向きに捉えられることができません。どうせ人は死ぬのだから、そこまで努力しなくてもいい、現世に残すものは何もないから今の自分が楽しければいいというような刹那的な考え方をしてしまうことがあります。ただそのような考えを持ってはいますが、他の人に迷惑をかけることはしていませんが。 支離滅裂な文章になってしまいましたが、この状況からどのように前向きに進めていくことができるでしょうか。

有り難し有り難し 7
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