僕は「生きる意味」を自問自答し、それを見出せませんでした。僕は僕の意志に主体性が介在しないという結論に至り、もうすぐで寿命が尽きてしまいます。どうすればいいでしょうか。 「知」の欲求が、「生」の欲求を上回り、生活を営めないがために健康を害し、身体が悲鳴を上げている。 これを自覚してなお、僕は自らの意志に主体性を見出せず、仏様から授かった寿命が尽きてしまうことを悲しいと思うことしかできません。しかもこれに対して僕はどうすることもできません。 取り急ぎ回答をお願いしたいと存じます。
先日の疑問に答えてくれた方、ありがとうございました。m(_ _)m 仏教を学び、これからは五戒を守ろうと決めました。 仏教を実践しようと、身近な家の手伝いからはじめたのですが、 家が農家なので当然畑仕事が含まれます。畑仕事の内容のほとんどが 作物の収穫なので、植物の命を奪う殺生の罪にならないのでしょうか。 仏教を実践して、五戒を破るようでは本末転倒なのでわないか?と思い疑問を投稿させていただきました。 また、畑仕事は悪いことでは無かったとしても、その為に害虫や害獣の駆除はいいのかなどの、どこからが良くてどこからが悪いなどの事と、何故、虫や動物の殺生が悪くても、植物の殺生はいいのかと言う 事にも答えていただけるとありがたいです。 ご回答お待ちしています。
高校1年ですよね母が離婚しシングルマザーで、家が貧しいため我慢することや挑戦したいことが出来ません。勉強する環境も良いとは言えません。僕は進学したいのですが、高校に行くにも奨学金を利用しないと行けないぐらいの環境です。友達との格差を感じる時があります。 不満を親に伝えると「だったら出ていけ」「うちでは無理だね」などと答えられてしまい、親の考えが理解できません。原因は母が貧しいためなのになぜ母はこんなにも無責任なのでしょう? またそんな時決まって僕は生まれた意味がわからなくなります。こんなに辛い環境にいるくらいなら死んだ方が・・・と思うことも最近増えました。僕はなぜ生まれたのでしょう?教えてください。
お坊さんの皆様は安部総理が掲げる安保法案に ついてどう思いますか? 率直な意見が聴きたいです。
つい先日大切な人が亡くなりました。 火葬終わって気持ちの整理が付いたと思っていたのですが、同棲していた家に帰って遺品整理をしていたら、やっぱり気持ちが落ち着かなくて。 後悔しかなくて。俺が仕事休めば、一緒にいてあげたら、無理矢理にでも病院に連れて行けば、全部俺が悪いんだと思います。 会いたい、会いに行きたい。謝りたい。 俺はどうすればいいのですか?どうすればよかったのですか?
自殺は悪いことなど誰も言っていません。 言ったもん勝ち、やったもん勝ちの世の中で犯罪でもありません。 ただ自殺する気力もなくなっていました。
最近、身近な人の死に接する機会が増えました。 友人や親戚の訃報に接し、「やがて自分も死ぬのだ」と死について意識するようになりました。 しかし、理屈では「死から免れない」「生まれたものは必ず滅する」とわかるのですが、自分は「まだまだ死にたくない」という気持ちが沸々と湧いてきます。 事故にでもあわない限り、遅かれ早かれ必ず死の間際を迎えると思います。そのとき、自分はどうしているのか想像がつきません。 宗派によっても死生観がことなると思いますが、死をどのようにして受け入れていったらよいのかご教示賜りたいと存じます。 よろしくお願い申し上げます。 合掌
よろしくお願いします。 「世の中、お金がすべてじゃない」という言葉をよく耳にします。 「しかし、この世の中、いい大学を出て、大きな会社で働いて、お給料をたくさんもらって不自由のない生活をするのが幸せ」 というような雰囲気を感じています。 特に自分のように、まともに社会に出たこともない人間にはそのような雰囲気や考え方はとてもつらく、むなしくなります。 その考え方は間違っているとは100%言い返せません。
切羽詰まると全て放り投げて逃げてしまう癖があります。 ある程度追い詰められるとエンジンがかかるタイプなのか、窮屈な生活が好きなのか、苦しい状況に自分を持っていきがちです。 逃げずに立ち向かえば大概は自分の思った通りに進んだり、思ったより簡単に事が済むのですが、8割方「もういやだ!」と放り投げて逃げてしまいます。 いやだ!と思わずに前に進めばいいのですが、その気持ちになるまでに多大なる時間を無駄にしています。 自分で招いた状況から逃げずに、いやだなと思わずに立ち向かえるようになるには、どうしたら良いのでしょうか?
戦国時代の大河ドラマをみていました。 織田信長が比叡山を焼き討ちにした後、信長の奥さんがお坊さんをたくさん殺すなんてとんでもないと信長を激しく非難します。 しかし、信長は「比叡山の僧は酒をくらい女を抱き、夜盗のような暮らしをしている。あんなものは僧ではない」といいます。 だからと言って殺していいわけではないと思うのですが、確かにお坊さんなのに武器を持って武士を殺し、仏を敬わず酒色におぼれる。 お寺に住んでいるけれど、戒律を守らずに略奪ばかりしている。 とてもお坊さんと呼べるような人たちではありません。 もちろん時代劇ですので、面白いように脚色しているのはわかります。 しかし、現代でもお坊さんなのに悪いことをする人もいるし、権力闘争で世間を賑わす人たちもいます。 一度仏門に入ってしまえば、悪いことをした後でもお坊さんとしていられるのでしょうか。 お坊さんも僕らと同じ人間なので、誘惑に負けたり間違った判断をすることがあると思います。お坊さんが悪いことをするとどうなるのですか?悪いことをして死後地獄におちた場合、お坊さんだと仏様に近い生活をした分だけ罪が軽くなるのでしょうか?
お彼岸などでお墓参りをするとき線香をたてますが、そういえばなぜ線香をたてるのか考えたこともなく、何気なく行っていました。なぜお線香をたてるのでしょうか? また我が家には仏壇はありませんが、親の実家には仏壇があります。 遺骨はお墓に眠っているのに、なぜ仏壇があるのでしょうか?
社会人4年目です。 学生の頃から、いわゆる『逃げ癖』のようなものが酷くて、高校生の頃は受験から逃げて一浪、その後どうにか入れた大学も中退、という中途半端な生き方をしています。 社会に出てからも職を転々としていて、偶然の御縁で数ヶ月前から大学時代に目指していた業界で働き始めました。 いつ頃からなのかは定かではないのですが、あまりにも仕事や人間関係でストレスを溜め込んだり、逃げ出したくなると「かえりたい」と口走るようになりました。 それが通勤中や会社などで出てくる言葉なら「家に帰りたい」という意味であるとは思うのですが、これが寝起きだったり、休みの日だったり、家の中にいる時でもぽつりと呟くことが多いのです。 きちんと働かなければいけないと理解していて、頑張らなければいけないと思う自分と、本音として何もやらずにひきこもりたく、今のストレスから解放されたい自分とでいつもうまくバランスが取れず、結果として「かえりたい」と呟いてしまいます。 どこに「かえりたい」のか、自分でもわかりません。 これを家族に聞かれた時、冗談半分で「土に還りたいんじゃないかな」と言ったことがありますが、わりとその通りなのかなとも思います。 「かえりたい」と呟くのをやめて、しっかりやるべき事と向き合いたいのですが、どうしたら良いのでしょうか。 逃げ癖が出そうになって必死に抑えていることがあるのですが、どうしたらすんなり逃げ癖をやめられるようになるでしょうか。
唐突ですが自分の頭が悪すぎて困ってます。 物事を考えてもなかなか答えがわからなかったり、答えが出るまでとてつもなく時間がかかったりします。いつも迷ってる気がします。 これもきっと自分の知恵が悪いからだと思います。 仏教を修行すれば知恵が鍛えられ迷わない心を手に入れることができるでしょうか?
小学の時いじめられていて、友人に死ぬ呪いをしてしまいました。本当に亡くなってしまいました。この件では、3ヶ月反省しました。神様、先祖、お寺でも謝りました。でも、罪悪感は消えません。僕は地獄にいくのでしょうか。今を幸せに生きていいのでしょうか?分かりません。天国に行けるでしょうか?もうやらないと自分の中で誓いました。どうしたら、許してもらって天国にいけますか?そして、この呪いをしてしまった事は忘れていんでしょうか?
最近,生きる理由 (モチベーション) を挫折により失い, 人生最大の壁にあたっております. そこで,一度自分を見つめ直そうと,「禅」 というものをやってみようと思ったのですが イマイチやり方が分かりません 「禅」 の目的とは,悟りを開くため,と見聞きしたのですが 仏教での 「悟り」 とは何を意味するのでしょうか. 「悟りたい」 と思っている事自体が 「悟る」 ことと矛盾しているような気がして 良く分かりません. また, 「禅」 というものはどのように行えばよいのでしょうか.
みなさまには基本的かと思われる質問ですが、お許しください。 仏教で言われる三昧とはなんでしょうか?詳しく教えてください。 その定義はあるのでしょうか?条件とか? また、それに至るための修行がありますか? 修行があるならばそれはどういったことをするのですか?
救われる道を探して仏教を学んでみたもののやはり合点がいきません。 具体例 これまでお釈迦様しか成し遂げられていないらしい解脱を一般人が目指しても無理だろうに解脱を掲げるのは合点がいきません。方便でしょうか? 中道が大事と言っているのにこの世に楽はない一切皆苦と極端に偏ったことを言われます。 仏教に救いの道はあると思えず何を頼りにしたらよいか途方に暮れています。
天国や地獄へ行く。生まれ変わって新たな命となる。 火葬なら幽霊になって、土葬ならゾンビになるとも聞きます。 死後の世界。きっと生きている限り分からぬ世界。 しかし、生きているからこそ、死への恐怖や不思議に囚われます。 知らないからこそ死への恐怖が拭えるのか。 それとも知ってしまう方が安心して死んでいけるのだろうか。 天国や地獄がもしあるのなら… またその世界で生きていかなくてはならないのか。 生まれ変わって新たな命となるのなら… 知らぬうちにまた同じ世界で苦しまなくてはならないのか。 この世界に生きるものとして。いつか死を迎えるものとして。 死と向き合うためにアドバイスお願いします。
先が見えないからなのか、人は不安になりますね。 写経をして心を落ち着かせても、寺社巡りをして自分の叶える事の意志を神様や本尊様にお願いしても不安は、消えません。 今がまさにその時なのです。 この不安は、どうしたら良いのでしょうか?
結婚したいですが、なかなかお相手に巡り合えません。 「この人かも」と思っても、長く生活することを考えると相手の欠点が気になり別れることを繰り返してしまっています。 どうすれば良いのでしょうか。