hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5035件

とにかく死が怖いです

初めて質問させて頂きます。 幼い頃から【両親の死への恐怖】が止まらないです。 最近さらに増したように思います。 私は一人っ子のため、相談できる兄弟も居らず、今苦しい時間を過ごしています。 両親とは離れて暮らしていますが、とても仲が良く、月に1度は長距離を移動して会っています。母とは毎日電話をするほどです。 しかし、元気だった父の反応が最近鈍ってきたように思い、病気で逝ってしまったらどうしようと思い始めたのが死への恐怖が増したきっかけです。 長年透析をしている母はいつまで元気で居てくれるのか。 さらに今年出産をして、両親だけではなく、自分の家族への死の恐怖も覚えてしまいました。 隣で寝息を立てている息子に何かあったらどうしよう。 いつもしっぽを振って懐いてくれる犬はいつか居なくなってしまうのかと、そんなことを考えては涙が止まらないのです。 夫は良い人で話を聞いてくれますが「悩んでも仕方ないんじゃ?」との答えばかりです。 大好きな家族との別れを考えては涙し、不安になり、体調を崩しそうになります。 先のことを考えてばかりではダメ、今を生きなければと分かっているのですが…。 拙い文章で申し訳ございません。 どうかよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1

息子が「死」を恐れる

ご無沙汰しております。よろしくお願いします。今中学生の息子が数日前から「死ぬの怖い?1億年後も俺の気持ちってあるの?嫌だな。何か胸がザワザワする。」と言って何も手につかなくなり終いには泣いてしまいます。どうやら話しを聞くと1億年後も自分の気持ちがこの世にあるのが嫌だ。死ぬと何処に行って気持ちはどうなるのか?と思うみたいです。今日は、吐き気までしていました。テレビでコロナに感染した人や死亡してる人の報道を見て怖くなったと話してくれました。誤魔化してはいけないと思い「まず、死ぬのが怖くない人はいないんだよ。皆死ぬのが怖いんだよ。そして、コロナという病気だけが死ぬ病気でもないんだよ。あなたが死んだらあなたはいなくなる。けど、あなたを忘れずにいる人の心の中にはあなたは生き続けるんだよ。」と話しました。 でも、また明日になると始まると思います。何度も何度も「死」について話すべきなんでしょうか?それとも、もう話さない方がいいんでしょうか?私の説明は間違っているでしょうか?教えていただけると助かります。「死」の事、死んだ時、死んだ後の自分の気持ちはどうなるのか、お願いいたします。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

毎日死について考えてしまいます

私は毎日、大切な人たちの死を考えてしまい、悲しくて苦しくてこの先の人生に希望が持てなくなるような瞬間があります。 大切な人たちというのは主に家族で、特に両親や姉妹のことです。 昨年、結婚し初めて実家を出ました。 元々結婚願望がなかった私でしたが、婚約してからはあっという間に家を出ることになってしまい、当時29歳でしたが、なんだか現実に起こっていることと自分の心がついてこないような感覚でした。 あぁ、私も結婚する歳なんだなぁ…大人になってたんだよなぁ…というような感じです。 結婚生活はとても楽しく、実家にもよく顔を見せに帰っていますし、姉妹とも連絡は頻繁に取っています。 しかし、いつも楽しく幸せだと感じる裏側で、いつかこの幸せも終わってしまう、いつまでも幸せではいられない。そう思ってしまうのです。 もしかしたらあと10年後には両親がいないかもしれない。もう少し前の私であれば、そんな考えが浮かんでも「まだまだ若いし元気だから大丈夫」と自分を励ますことができたのですが、最近ではもう親の死も他人事ではないというか、あり得ないことではないと落ち込んでしまいます。 いつだって人は死と隣り合わせで生きているし、親がいくつだろうと、自分が大人でも子どもでも関係ないことだったのに。 この先私が親や姉妹よりも長生きするとすれば、私の未来にはとても悲しくて辛い出来事が必ず当たり前のように訪れます。 「大切な人の死」という、想像しただけでも胸をえぐられるような悲しみ以上に、楽しいことや幸せだと思えることが今後あるのでしょうか。 もちろん私の両親も自分の親とのお別れを経験しているわけですし、人はそうやって生きていくものだと思いますが、こんなことを夜な夜な考えてはこの先の未来に影を落としてしまいます。 少しでも前向きに考えていけるようになりたくて、ここでお話しさせて頂きました。 わかりにくい文章で申し訳ございませんが、何かお言葉を頂けたらと思います。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

自死遺族となって…

実際に自分自身が自死遺族となりました。 そのような実感もあまりないのですが 毎日が息苦しいです。 いろいろな支援があるということを こちらのサイト様でも地域の情報でも 拝見いたしましたがハードルが高いです。 全く知らない人に電話をし自分の状況を説明すると思うと… つらい聞いてもらいたいという気持ちより 精神的にしんどいという思いが先立ち せっかくの支援も利用する気になれません。 情緒不安定が続いたとき メンタルクリニックも考えましたが 予約の電話すらできませんでした。 捜索時の慌ただしさから お通夜お葬式…四十九日と 周りの時間は普通に戻っていくのですが 自分だけ取り残されているように感じます。 今月より心機一転とも思ったのですが… 1人で苦しませてしまったにもかかわらず 私がのうのうと生きてることに 違和感を感じます。 こちらのサイトの問答をたくさん拝見し そんなことは望まれていないと思うのですが 理解と実践が全く別物です。 身近の人の死に対する 気持ちの経過もこれが自然なのか 異常なのか全くわかりません。 誰よりも辛いはずの両親も いろいろと気遣ってくれ 優しい家族に恵まれ、 決してしんどい状況ではないのですが 精神的にどうしようもないときがあります。 子供の成長に悪影響がないか怖いです。 一生懸命できるだけ供養し 一生抱えるしかないのですが どのように向き合えばよいか いろいろなお言葉を聞いても わからないままです。 ハスノハ様でしたら気持ちを 少し書ける気がしたので書かせていただきました。 従来の問答と重複するものですが ここまで読んでいただき 誠にありがとうございました。 いつもお坊様の有難いお言葉に 励まされております。

有り難し有り難し 80
回答数回答 4

孤独死が怖いです

こんにちは。私が恐れていることを聞いて下さい。 私は、自分が迎える最期は孤独死なのではないかと思い、恐怖しています。 自分が孤独死すると思う理由は、2つあります。 1つ目は、これまで誰も、私に恋愛関係になろうと言い寄ってこなかったからです。 私が学生でいられるのは、今年が最後です。 しかし、私には恋人ができたことが1度もありません。 世の中の学生同士のカップルの話を耳にする度、 自分はもうずっと恋人を作れないのではないかと不安になります。 社会人には恋愛に割く時間などないのではないか、 自分には魅力がないのではないかと思ってしまうのです。 2つ目は、私が一人でいるのが好きだと自覚したからです。 私は、昔から人見知りをする子でした。 大学進学を機に地元を出てからは、久しぶりに地元の友達と会っても、 以前のように心から楽しむことができなくなりました。 また、大学で新しく友達をつくることにも苦労しています。 ふとした瞬間に一人でいる気楽さを優先したい自分を認めてしまいます。 以上の2つの理由から、自分に伴侶ができる未来を想像できなくなってしまいました。 生涯独身を貫き、果ては独居老人となるのではないか。 死後しばらく気づいてもらえず、体が腐り、虫が湧いて初めて片付けてもらえるのではないか。 そういった不安が常に頭に浮かんできます。 これを読んで下さった方、どうかご意見をお聞かせ下さい。 お願い申し上げます。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

死に対する矛盾と疑問

私は家計的に仏教とは縁があり。 お坊さんの思想をとても信頼していまして、以前からこのサイトを自分自身の励みとしています。 まず私の人生を話しさせていただきます、以前縁あって地下アイドルをしていました、某AKBなんてメジャーな運営ではないので、日の目を見ることはほとんどありませんでした、それでも僅かなファンを大事にしてまいりました。 その活動の傍ら私は男になりたいう性同一性障害に苦しむようになりました、自分の求める容姿になれない、輪郭も骨格も、男になり切るには無理があると周りから言われても諦めず叶わぬ夢を追い、そのストレスの反動でたくさん親やメンバーに悪態を吐きました。 性別を変えるためには膨大な費用がかかり我が家の財産では到底無理でした、毎日苦い思いに泣く日々、鏡を割ったり死のうとするのは日常茶飯事でした。 学校もろくに行かずに3年程アイドルを続けて、そろそろ将来やべぇ、って思いました。 アイドルを辞めて、高校受験をしました、今では無事入学し、文学と生物学の勉強をしてそれなりに充実しております、見た目も男と女の中間だって、半端だってそれが自分なのだから受け入れよう、妥協したっていいじゃないかと思うようになりました。 そんなある日、何気なく死後について考えました。 死んだ後はどうなるんだろう。 思い出の服、大切な友達や家族との記憶、大好きな歌、憧れの人のことを全て忘れてしまうのかな。 やってきたこと全て無駄になるの?。 死にたくない、生きたい、ずっと生きたい。 あれだけ死ぬことばかり考えていたけれど、今度は生き続けるために画策しなければならないなんて、あぁ、なんて皮肉。 記憶は脳が作ってるから死んで脳が焼かれたらおしまい、あの世って考え方は死への恐怖をなくすための御伽話なのかな。 あの世があっても転生して魚や牛になって食われるのは勘弁だよ。 そのために今は自分なりの徳を積んでいます、散々私がいじめた親に恩返しをしています。 死への恐怖、なくなりますかね? あと人は死んだらどうなるのですか? 人格が変わってしまいました、興味と欲望と生きる気力がなくなりました、かと言って死にたくもないのでただ存在しています、死を気にしない溌剌とした自分に戻りたいです。 死という概念に囚われずに輝く同年代が少し羨ましく思えます。 今私が見えているものは灰色の世界です。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

主人の死と向き合えていなかったこと

こんばんは。 歩き出しては立ち止まり、迷ってはお坊様方にいただいた回答をもう一度読み返し、気持ちを切り替えてきました。そして、ようやくひとつ先へ進めたかのように思えていた矢先に、ある音楽を耳にしました。それは、2人で良く聴いていた曲でした。 私はとても嫌でした。聴いていられませんでした。なぜだかそのときはわからなかったのですが、あとからじわじわと気づきました。 私は主人の死に全く向き合えていませんでした。 亡くなったらどうなるのか、それがわかれば生きていける、そればかり気にしていて、根本的なことを受け入れていなかったのです。 主人の為にお葬式や新盆はしっかりやってあげたかったし、会社の方が来られてもしっかりした様子を見せたくて気を張っていたし、子供たちにはあまり悲しい顔を見せないように、もちろん子供たちが辛いときは一緒に悲しみに寄り添い、いままでと変わらない元気で明るい家族でいたくて頑張ってきました。主人の為、子供たちの為に進んでいくしか、生き方がわかりませんでした。 周りの人に「ちゃんと前に進めてるよ」って言ってもらいたかったのかもしれません。 そのために死を受け入れる時間は後回しに、どう向き合っていくことが幸せなのかを優先に考えてしまったのだと思います。 主人の死を受け入れるためには、どうすべきなのでしょうか。向き合う必要性があるのかすら私にはわからないのです。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

納得のいく死

先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。

有り難し有り難し 31
回答数回答 2

初めて身内の死を経験してから

3年半前、祖母は余命2~3ヶ月の末期癌と診断されました。 ですがよい病院に巡り会え、度々余命宣告されても、家での治療を続け元気な姿を見せてくれました。 その祖母も、春に余命2週間を宣告され、そのとおりに亡くなりました。 亡くなる数日前までは酸素も回復し、本人も「みんなでお花見しよう」「退院したら○○へ夕飯行こう」なんて楽しそうに話していて。 突然危篤状態になり、次の日にという流れでした。 私はこの3年間延命してる姿を見て「こんな笑ってる人が死ぬわけない」と思い込み、祖母に優しくできなかったことをとても後悔しています。 仕事を理由に何度も誘いを断り、私が口ベタなこともあり話のキャッチボールが少なかったり。 まともな思い出も去年秋の旅行と、亡くなる前の誕生日会くらいです。 亡くなって2ヶ月半経ちますが、かなりの頻度で夢に出てきます。 街中で同年代のお年寄りを見かけるだけで悲しくなります。祖母の願いであった私の結婚報告も、式の参列へも、叶えられなかったことを考え泣いてしまいます。 亡くなる数時間前、駆けつけた私を見て涙目で手を握ってくれました。 必死に抱きしめようとしてくれましたが、医療器具やベッドの柵が邪魔で出来なかった悲しみや、死の直前まで生きたいと願っていた祖母の姿が頭から抜けません。 死の悲しみは誰もが通る道だとは分かっていましたが、、 どうすれば前向きに生きられるでしょうか。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

孤独死を避けたい

こんばんは。 もともと仏教に興味があることもあって、死期を悟った時は安らかに終末を迎えたいと思っています。 病気、貧困、痴呆などで孤独死することもあると思いますが、それも受け入れたいと思います。 ですが、その後、腐敗したまま発見されないのではないか?と想像すると怖くてなりません。孤独死した身内を発見して、凄惨な現場を見たトラウマがあります。自分が、夫が、親が、またあの状態になるのではないかと、毎日考えてしまいます。不安がわいたきっかけはコロナウィルスです。高齢の親が遠方にいて、夫とは仕事の関係で離れることがあります。安否確認はとっていますが、間に合わないこともあると思います。また、夫婦もどちらか先に逝くので、遺された方は一人暮らしになります。子供はいません。家庭の事情と仕事の関係で地域との繋がりも薄いです。 例えば、終末期の老人であれば、看取り介護や見守りサービスが受けられます。でも、元気な高齢者や若者の方は一人暮らしが続くため、孤独死の可能性が高いのではないでしょうか。 そこで、ご質問させてください。病気、貧困、痴呆などやむにやまれない事情で、死期を悟り、静かに死にたい人達の看取りホームのようなもがあれば気が楽になると思ったのです。本人が納得したら医療を受けず、最低限の水と塩だけ与えて貰い、誰かに背中をさすって貰い静かに死ぬ施設で生き絶えれば、すぐ火葬もしてもらえると思います。ぎりぎりまで頑張って自殺しようとされる方がそうした施設で最期を迎えるという選択肢もあるのではないでしょうか。イメージしたのはインドの死を待つ家ですが。私も介護年齢になる前に、コロナの治療が受けられないとか、病気で働けない、介護や生活保護は受けられない、でも一人暮らしが難しいとなった時、そうした最後の瞬間には、看取りの施設に入りたいと思いました。 私は人に迷惑をかけたくないという考えが強く、孤独死から近隣に影響を与えることに抵抗を覚えます。孤独死した身内も決して幸せだったと思えませんし。 ですが、私が考えるような終末期の家は、日本では法に触れたり、犯罪の恐れを呼んだりするのでしょうか? もしも許されるなら元気なうちにそこでボランティアしたいとさえ思うのですが。 終末期の家の考えはおかしいでしょうか? だとすれば、地域とつながりのない一人暮らしの人が孤独死を避けるにはどうすれば良いのでしょうか?

有り難し有り難し 7
回答数回答 2