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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 心配」
検索結果: 1356件
2024/07/15

考えない方が楽だけどこれで良いのか

いつもお世話になっております。 以前から死の恐怖について相談させていただいておりました。 最近は仕事もプライベートもそれなりに忙しく充実しております。体力的にも時間的にも死の恐怖に囚われている時間は少なくなり、心安らかに過ごしていました。 ですがふと、 やっぱりこの世は諸行無常で、今の幸せや充実もいつか無になり、私は私を自覚できなくなり、死んだあとは未知でしかなく、「死」という未来が待っている以上この先の人生のエンディングは絶対的な絶望なのだ、と 以前と同じ恐怖が強くよみがえりました。 日々の幸せに夢中で死を考えなくなり、「まあでも、これが今の私なりの死への向き合い方なのだろう」と甘く捉えていましたが、 結局、恐怖は忘れていただけで、死ぬ事実も絶望感も変わらずに私の中に存在します。 たくさんのお坊さんにご回答をいただき積極的に「心安らかに死んでいける心持ち」を探し求めても、知識だけが増え頭でっかちなまま、結局は恐怖も絶望感も拭えぬまま、不安な心のままです。 お坊さん方の視点から、私は今後、どのように死と向き合ってゆくのが良いと思われますか。 積極的に怖さに向き合い死を学ぶショック療法のような形か(ただ、もう死の恐怖に面と向かって辛い思いはしたくないという甘えも自分の中に今はあります)、 それとも自然の流れに身を任せて死を忘れたような日々を過ごすのか(そのうち死を自然と受け入れられると信じて)、 はたまた仏様に全てを任せ不安な心持ちのまま生きてゆくならば、まだ心の底から仏様を信じられない愚かな私の、実在する「不安な気持ち」をその都度「大丈夫」と躱していけばそのうち信心が得られるのか、など。 もちろん最終的に何を選択するのかは私が決めるべき問題と思っておりますが、 なんだかもう、自分でもどうしたら良いのか分からなくなってしまったため、アドバイスをいただけたらと思います。 お忙しいところ大変恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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過去に振り回される

家族や親戚について、昔のことを振り返ってみると、嫌な記憶が多いです。 それは当時の彼らに余裕がなかったからかもしれないし、私の受け取り方が悪かったのかもしれません。ですが、結果として今、嫌な記憶だと思っています。 今では少しずつ彼らの言動もマシになり、また私も気楽になれる時間も増えました。 しかし、時折過去のことが鮮明に蘇ってきて希死念慮に襲われます。今と昔が混同してしまい、本当に優しい言葉だのに「私が思いどおりに動かなかったら怒鳴り散らすのでは」「見捨てるのでは」「罵るのでは」と考えてしまい辛いです。 心療内科の先生の「御家族はあなたのことは昔から大事に思っていらっしゃると思うよ」という言葉に頷いてはいますが、果たしてそうだろうかとも思います。 私としても、こうやって昔のことを何度も何度も掘り返してしまう自分のことが嫌いで殺したくなります。 また昔の私は、家族や親戚に怒られたりネグレクトされるのが怖くて機嫌を伺ってはおどけて見せたり言動は慎重に選んだりしていました。 今ではそういうことも少なくなりましたが、人から馬鹿にされたり、私を踏みにじるような言動をらされると、家族の言動が甦って怒りに腸が煮えくり返りそうになります。 こういった過去のことから振り回されることを無くすには、どのような考え方をしたらいいでしょうか。 過去があるからこそ今があるのは分かります。 ですが過去の数多の嫌なことが無ければ、私もこうして苦しんだりしませんでした。苦しみが不必要とは言いません、ただ首を吊ったりするほどの苦しみを誰が受けたいでしょうか?誰が引きずりたいでしょうか? 乱文になってしまい申し訳ありません。今、自分の中で頑張りたいものがハッキリしてきているので、それに向かっていきたいだけなのです。 過去のことに無駄に時間を費やすのは、もうやめたいです。

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2023/01/27

事故や災害で亡くなった人の遺族について

災害や大事故の遺族はなぜあんなに故人に執着するのかとふと疑問に感じました。あの様子だと故人は成仏するどころか、遺族を見たら浮遊霊や呪縛霊にならないか心配になりました。 私は死を受け入れ、故人に手を合わすことで、時と共に故人がいなくなった悲しみが癒え、苦しみが和らぎ、故人との思い出が刻まれるものと思っています。私は10年前にガンで母を亡くしているので体感的にそう感じます。しかし、遺族を見てると様子が違う気がします。 確かにある日突然、大切な人が亡くなったという悔しさ、悲しさなど色々な感情が複雑に起こってくるのはわかります。でも、ある日突然…ということであれば交通事故、心筋梗塞、脳梗塞も災害や大事故と同様、瞬間的にもしくは数時間で死へ向かうという状況は遺族にとっては同じだと思うんです。 私は阪神淡路大震災の時は14歳で尼崎で被災しました。今年防災センターへ行き、尼崎と神戸では全く状況が違ったこと改めて理解しました。その後1.17の集いの会場にも行きました。尼崎と神戸は被害状況違ったと言われたらそれまでですが、追悼、鎮魂のために祈る人が穏やかに時を過ごすのと同時に執着、執念そういうものも感じました。そして、福知山脱線事故の時と同じ感じがしました。この事故の時は家で掃除してました。13時にテレビつけたら特番流れてて「え?これ何?プラレール?(電車模型のおもちゃ)」って思うほど状況把握できない映像が流れてました。私は現場とは一駅違いです。救急車の音がずっとしていたのを覚えてるし、ニュースで死者数がどんどん更新される怖さを覚えてます。そしてあのマンションが保管されると尼崎なり、JRが結論出した時は驚きました。もう見たくないという遺族、マンションや地域住民もいたのに保存派が粘り勝ちしました。これに関してはJRの初期対応の悪さなど遺族感情を逆撫でするようなことがあったので遺族が怒りをあらわにしたのもわかるのですがニュース見てたら故人追悼よりもやり場のない怒りの矛先を故人を盾にどこかにぶつけているようにさえ感じました。 当事者しかわからないことがあるのはよくわかってますが、こういう状況って故人は安心して成仏できるのだろうか、また追悼施設や追悼会場があることで成仏できない霊が集まって余計に成仏できないとなると本末転倒です。 お坊様や和尚様ならどう考えるか教えてください。

有り難し有り難し 35
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2023/04/23

どう向き合えばいいですか?

2年半前に離婚した元夫が、昨年の夏、自死しました。 嫌いでとか、憎み合っての離婚ではありませんでした。 元夫の死後、とにかく何もする気が起きず、仕事以外は家に閉じこもることが多くなりました。もともと苦手な家事もあまりしなくなってしまいました。 何を楽しいと感じていたのかも思い出せず、長い間笑った記憶もありません。 一人娘には、両親が離婚するという辛さだけでなく、父親が自死するという耐え難い痛みを経験させてしまいました。 それでも少しずつ前を向いて歩こうとしている娘の姿に少し安堵しながらも、私自身は全く立ち直れずにいます。 元夫が亡くなる数ヵ月前から、仕事が原因でうつ状態になり、精神科に通院しています。診察やカウンセリングでは、仕事のことだけでなく、元夫のこともいつも聞いてもらっています。 それでも一向に気持ちが回復してきません。 元夫の自死のことを考えない日はありません。離婚を踏みとどまればよかったのか?と言う自責の気持ちや、私と出会って結婚しなければよかったのか?と言う後悔にずっととらわれてしまっています。 元夫の自死とどのように向き合えばいいのでしょうか。 毎日苦しいです。辛いです。いくら悔やんでも、元夫は帰って来られないのは分かっています。それでも考えてしまいます。私に何かできなかったのか?私のせいなのか? このままでも、いつか時間が経てばこの苦しさや痛みが和らぐのでしょうか? これからの半生、元夫の自死とどのように向き合っていけばいいのでしょうか? 楽しいと思える、幸せだと思える人生を望んでもいいのでしょうか?

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生きているのがつらいです。

自分の価値が分かりません。 自分を大切に出来ません。 数年前から、毎日毎日、寝る前に「目が覚めたら死んですように」「明日こそ死ねますように」と祈るようになり、朝起きるたびに「まだ生きてる」と絶望していました。 それでも、やりたいこと目指しているものがあったので、これではダメと鼓舞し未来をイメージするようにしました。 しかし、お前にはそれは許されないと戒めのように、プラスのイメージを持つたびに、大なり小なり突き落とされ続けてきました。 そのうち30歳までに死にたいと思うようになり、29歳のときに癌が見つかりました。 Ⅱb期の子宮体癌です。 抗がん剤と手術で根治する、と言われ絶望しました。 まだ、死ぬことが許されないほど苦しみ足りないのですか? 両親や友人に望まれ、治療を受けることにしました。 二月から抗がん剤投与が始まり、来月末に摘出手術を受けます。 周りの人達に心配をかけまいと前向きな発言もしますし、そのときは自発的に元気になったらやりたいことがイメージされます。 それでも、浮上すれば落とされの繰り返しです。 これ以上大切な人達に心配も迷惑もかけたくないから愚痴も言えないです。 けれど、毎日死にたいと思いながら生きるための行為を繰り返すのは辛いです。 やはり、一度死を渇望した私には心から笑って明るく生きる資格はないから苦しんで苦しみ抜け、ということなのですよね。

有り難し有り難し 172
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2023/10/15

親が死ぬ時、どう受け入れればいいのか

私25歳、妹23歳、両親64歳です。 社会人で一人暮らしを初めて両親の有難さに気づきました。 長年の不妊治療の後産まれた私は何の取り柄もなく、今までの迷惑と心配をかけてきた申し訳なさもいっぱいで、日々両親の健康と幸せを願うばかりです。 実家に帰るたびに、両親の白髪の多さや縮んだ背丈など、老いに気づく場面が多くなりました。ぱっと思い浮かぶ両親の姿は、背が高くて見た目も声も若い昔の姿です。ランニングが趣味だった父も「すぐ疲れる」と外出が少なくなりました。「私が死んだら食器あげるわ」「次元号変わるときはもう生きてないわ」と笑顔で話す両親の会話でも泣きそうになります。そうやって老いて死に近づいていく状態をみるのが辛いです。 昨年祖母が亡くなりました。身内の死は初めてです。 今でも祖母に会いたいと一人で泣くこともあり、祖母も祖母の家もなくなって悲しく寂しいです。 恥ずかしながら、祖母の死で改めて家族の大切さや感謝を感じました。 祖母が亡くなってこんなに悲しいなら両親が亡くなる時、受け止められる覚悟はできるのか?もし結婚して自分の家庭を持っても両親のいない長い人生を生きないといけないのか?と思ってしまいます。 「誰も死んでほしくない。健康のままずっと生きてほしい」と子供みたいに、大切な人が死ぬという現実から逃げたい気持ちでいっぱいです。 命に終わりがあるのはわかってますが、家族の死にどう向き合って立ち直ればいいかわかりませんし、受け止められる覚悟ができません。 両親が死んだらきっと悲しみで気が狂うだろうから自殺したい。でも大好きな妹のことを思うと自殺もできません。 また、介護施設で認知症の方の対応をしていたのを思い出し、両親が認知症になって私や妹ものことを忘れたら…という怖い気持ちもあります。 どうやって大切な人の死を受け入れて乗り越えたらいいのでしょうか。

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おじいちゃんが無事に天国へ行くためにできることはなんですか

こんにちは。たくさんの質問があるなか、お忙しいとは思いますが、ひとつお尋ねさせていただきます。 先日、祖父が亡くなりました。 優しくてユーモアがあって大好きな祖父でした。 私にとって身近な人が亡くなるのは初めてで、自分が想像してたよりも遥かに人の死というのは悲しくて寂しく、また、綺麗な死に顔を見たことや骨だけになってしまったこと、死という全てが衝撃的でした。 1ヶ月ほど前、元気な姿で会った祖父は一体どこへ行ってしまったのでしょう。 骨になったら全てが終わりなのでしょうか。 祖父がいまどうしているのか気になり、ネットで自分なりに仏教について調べてみました。 そこで、49日間かけて故人は裁判のようにひとつひとつ過去の行いを審査されそれをもとにその後の行き先を判断されるというお話を知りました。 祖父はまだ初七日も迎えていない状態です。 もしかすると祖父はいま、行ったこともない道を一人で寂しく歩き、不安な気持ちで審査を受けてるのではないかとおもうと、心配でたまりません。 祖父は1人で寂しくないでしょうか? 祖父が無事に天国へ、もしくは安心できる地へ、祖父の先に亡くなった家族が待っている元へいくために、私にできることはありますか? 手を合わせて、想いを込めるだけでも力になれますか? 祖父のことが心配です。 もし今の私にできることがあれば、教えてください。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 24
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母を亡くした後の一人暮らし

今年の8月末に介護をしていた母が亡くなり、2か月が経ちました。 父は12年前に他界し、姉と兄はいますがすでに所帯を持っていて 40代で独身の末娘の私と母と二人暮らしでした。 見送った後、正直なところ、介護が終わってホッとしてる部分もあります。 ずっと身動きができない生活から解放されたのですから。 これからは自活しなければならないのでフルタイムで仕事をしてるのですが、 四十九日が近くなったころから心が苦しくて、仕事を休みがちに なってしまいました。現実的に仕事をしなければ、生活はできないと、 わかっているのですが、体が動かないのです。無理して出勤しようとすれば 動悸やめまいがしてしまいます。 母の最期の会話は、「お金は大丈夫か?生活はできる?」と、 唐突に聞かれ、私は大丈夫、心配ない、と答えました。 今となれば、私の現状を予期してたかのような一言のようにも感じます。 母が火葬され遺骨を拾いながら、またいつか会える、という奇妙な感覚も味わって、もう死は理解したつもりでした。 私が自活することが母の供養になるはずなのに、私の体は思ったより動かない。 母の死を頭では理解してるつもりでも、心がキチンと受け入れてないから、体が動かなくなるものなのでしょうか? ちなみに父のときは確かにショックでしたが、酒飲みでくだをまかれる生活だったので、ショックを受ける時期は短いほうでした。

有り難し有り難し 20
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30歳で死にたい。老いに対する恐怖

はじめて質問をします。失礼な所もあるかもしれませんがご了承下さい。 自分は女性で今21歳の大学4年生です。 はっきり言いますと、30歳で死にたいと考えています。 理由はどんどん歳をとっていく不安・老いに対する恐怖です。 20代は若く服もメイクも何かに挑戦するのも気にせず出来ますが、30代・40代につれてできる事が限られてくるし、最も自分が老いる想像がつかないです。 最近では若者はこれからもっと苦しくなる(仕事・年金等)ってのも一理あるかもしれません。 とにかくいろんな不安が混ざってます。 心が年齢に追いついていないのかもしれません。自分はまだまだ精神年齢が浅く子供のようです。 日に日に過ぎていく事に不安や恐怖が募り情緒不安定で食事もあまり摂らなくなりました。 これからくる誕生日も憂鬱です。 元々心配性で何か不安な事があると緊張したり眠れなかったりします。 以前にも、同じように考えた事がありますが時間が過ぎるとすぅーっと気にならなくなりました。 ですが、今回はそうはいかず、考えないように・他の事に集中しようともダメでした。 こんな考えをする事自体可笑しいと思います。でも考えてしまいます。 自殺をするなら首吊りか薬の過剰摂取(OD)にしようかと考えてますが。 希望は安楽死がいいと思ってます。 海外など安楽死制度がある国や州は凄く羨ましいです。日本にも安楽死制度があったら...って何回も思いました。 質問よりは悩み相談みたいになってしまいました。 生きる事とは何でしょうか?老いで得られる事は何でしょうか? 長々と書きましたが、お手すきの際にご教授下さい。

有り難し有り難し 49
回答数回答 2