5年の間に心不全、脳幹出血2回になり体はボロボロです。ずっと会社でのパワハラや人間関係そして今お付き合いしている人へのストレスが原因と考えられます。 現在自宅療養中ですが早く仕事復帰しないと月々の支払いがあるため困っています。 職場復帰、病気の再発の不安と死の恐怖により潰されそうです。助けてください。
自分の性格は心配症です。 例えば車を運転していたら、この角から人が飛び出してくるかな?自転車に乗った人が急に来るかも?反対車線の渋滞した車の間から人が出てくるかも?と心配になります。 本題は、自分の親がもし病気になったら、亡くなったら耐えられないと、不安に襲われることです。 いま現在、両親はありがたいことに健康で生きていますが、急に病気にかかるかもしれない、急に亡くなるかもしれないと考えると、不安で仕方ないです。 歳を取ったことによる両親の体の不調が、もしかしたら大病(がん、心臓や脳の病気等)かもしれないと、急に不安で心配でたまらなくなります。 心配し出したらきりがないですが、最近はとても不安でたまりません。 もちろんいつか人間は亡くなりますが、自分が両親の病や死の時を迎える時、耐えられるのか、どう対処したらいいのか、分からずにいます。 大切に育ててくれた両親がいつまでも健康で長生きしてほしいですが、いつかはやってくる別れの時を想像すると、不安で仕方がありません。 どのような心構えでいるべきか、不安に襲われた時はどう対処したらいいか、教えていただけないでしょうか。
はじめまして、よろしくお願いします 母がこの度進行癌になり、余命がある程度わかる状況です 母60代、私30代の男性ですが、仲は良く 同居しながら自営で仕事をしていた矢先です 質問としては、母の死を意識すると 私の命までそこで終わってしまうかのような 恐怖感が強く、これは異常なことなのじゃないかと 仏教、浄土、愛別離苦、色々な見方から 自分も、強く生き抜きたいですが、 どうにも気持ちが生死から離れません 母をしっかり見送り、先を過ごせるよう 何か教えをいただけませんでしょうか。
私は今不安障害になり仕事を辞め病院に通いながら自宅療養中です。 病気のせいもあり急にいろんな事で不安になります。悩んでる時がないくらいに辛いです。その中でよく死ぬ事がとてつもなく怖く感じてしまいます。 死んだらどうなってしまうのだろうと考えてしまい、なかなか眠れなかったりします。 私は内気な性格で昔からいじめられる事が多くそのストレスで家で爆発してしまい両親や兄弟に当たったり傷つけたりたくさん迷惑をかけてしまい今思い返せば異常だったと思います。学生時代は悪口も言ってしまったり自分がされて嫌なこともしてしまっていました。 今は人にされて嫌なことはしないよう心がけていますが、過去は変えられないしもう手遅れかなと思ってしまいます。 こんな私はきっともし死後に地獄があるのならば地獄にいってしまうのかなと考えたら涙が止まりません。 死んだらその先ずっと苦しむのかと思ったら死ぬのがとても怖くなってしまいました。 何か死への恐怖を和らげる考え方はありますでしょうか。 もしよろしければご回答よろしくお願い致します。
いつもお世話になっております。 最近強迫性障害のようになり、確認ばかり、歯磨きできているかなどつらい毎日です。 わたしもう36です。本当なら正社員で働いているか、結婚しているか、夢を叶えている筈の年齢でした。ですが、実際は非正規社員、恋人がいない歴年齢、夢を叶えられず、認められることもなく虚しい人生であり、自信をなくしてとうとう精神的におかしくなってきました。 これから職業訓練試験をうけるつもりですか、親に負担だし、こんな精神じゃ、受かってもつづくか、受からなかったら、無職だし仕事見つかるから不安です。 よく好きなことすればうつ病はなおるみたいな話ありますが、お金が優先ですよね。 わたしは趣味あるし小説家になりたいですが、不安で没頭できません。 とにかくみじめなこんな人生を認めたくないし、生きているのが苦痛です。 このまま虫歯恐くて歯磨きや確認に時間とられるくらいならしんだほうがましです。 理解者はいません。病気も病院も怖いです。 もう苦しみたくないです。 まだ自力で歯みがきも確認もできてますが、どうしたらまた楽しくいきれるかわかりません。 わたしは耳も目も子宮もだんだん悪くなるんです。本当に人生間違えました。もうなにもかんがえたくないです。承認欲求がつらいです。
小学生2年生の娘が 死ぬことに対して恐怖を抱いているようです。また、生きてるのかということについても考えて、不安になっている様子です。 思い返すとここ数年で ペット(熱帯魚)が死んでしまったり、娘にとっての曽祖母が亡くなったり、死について考える事は何回かあったのですが、曽祖母は娘自身は会ったこともほとんどない近しい関係ではなかったので、それほどショックを受けるような感じではなかったです。 それでも、人が亡くなったらお葬式をして、お骨になるという事は少しショッキングだったのかもしれません。 私はいつ死ぬの? 死んだらどうなるの? 私は本当に生きてるの? 「まだ死なないから大丈夫だよ。 あなたが死ぬのは、ひいおばあちゃんぐらいの年齢になってからだと思うよ。」 「たくさんいい事をすると天国に行けるみたいだよ。」 などとも話してみたりもしましたが、なかなか不安は解消されないみたいです。 明日死んじゃうかもしれないと泣き始めることもあります。 生きてることについては うまく説明もできず 「自分が生きてるのかを今考えられてるってことはあなたが生きてるってことなんだよ。」と 「我思う故に我あり」のような事を伝えてみたりしても、小学生には、まだ上手く伝わりません。 死への恐怖 死後の話 生きてること どのように話してあげればいいでしょうか?
こんにちわ。 以前個人的な質問をさせていただき、2度目の質問になります。 以前は大変貴重な回答を頂き非常に感謝しています。 さて、表題の質問になりますが、 小学生の頃「死」について考えたことがあり、その時は・・・ 死んだら考えることすらできなくなってしまう。 死んだらこうやって「死」について考えることもできない。 自分という存在はどこへ行くのか。 と、怖くなって夜寝られなくなってしまった思い出があります。 葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉の意味を調べたり、 100歳を越えてもなお現役の医師を続けていらっしゃる日野原重明さんのコラムなどを読んでから、私は「死」という概念は、 抗うものではなく受け入れるもの。 そしていずれ来る死をどのように受け入れるか。 が大事なのではと思うようになりました。 私は仏教には詳しくありませんが、仏教にも輪廻転生や極楽浄土など死後の魂の行方や考えがあると思います。 よろしければ、仏教的観点でも宗派的観点でもご回答くださる方の個人的な観点でもよいので、「死」についての考えをお聞かせ願えないでしょうか。 宜しくお願いいたします。
幼稚園の頃でしょうか、祖父の死に接して、死ぬってどういうことなの? と眠られぬ夜を過ごしたと親から聞かされたことがあります。 中学高校の頃になると死ぬこと、無ということが恐ろしいと埒のあかない煩悶に苦しみ、そのうち、そもそも目の前に見える、知覚する世界の存在だって何の保証もない気がしてきて、そもそも懐疑論者というよりは病的に存在とか認識の作用自体確信がもてない、と不安にさいなまれていただけなので建設的でも哲学的でもなかったです。 「虚無」というのも言語や人間の思考の生み出した幻でしかないのでしょうか。 分析哲学みたいに考えればそもそもそんな思考のおよび得ないことは哲学の扱う領分ではないし、人が考える意味もないことなのかもしれないと最近は思って気もしました。 それに存在に懐疑するなら虚無だって懐疑すべきで…。 こんがらかってしまいます(笑)。 そもそもそういうことを考えてみたとて幸せに結びつくのかとも思います。
気がつけば私は本当に深刻な悩みを相談できる人が身近にいないということに気づきました。 人から相談されることは度々ありますが私はそれができません。 家族や友達がいないわけではなく、私の気持ちの問題としてできないのです。 弱い部分を見せたくないのか、まわりを信頼できていないのか、相談したところで結局は自分次第という思いがあるのか、自分でもなぜ相談できないのかよくわかりません。 だからなのか、常に漠然とした不安が心にモヤモヤと巣食っているような気がしています。 今健康に不安があります。軽く、誰かに話できれば、それだけで気持ちも楽になるかもしれないのに出来ません。 不安がある自分を認めたくないのかもしれません。 どうすればもっと心を楽に生きていけるのでしょうか。
死というイベントが良くわかりません。 死は所詮他人のイベントだと思うのです。 ご遺族が『後を追いたい』と言っても実行する方より生きている人の方が多いのでは無いでしょうか。楽しい思い出と時折思い出す悲しみはあるかとは思いますが、死に際の辛さは風化されていくように見える気がします。 また、亡くなられた際について周囲の方(ご遺族も含めて)の反応は 大往生された方には『立派』と褒め称えるように、 病気で亡くなられた方には『最期まで闘病して...』と勲章のように、 でも自死については世間に知られたく無い雰囲気が漂いますよね。 死にもランクがあるのでしょうか。私はランク付けされたくないです。 結局いくら周囲が『生きて、死なないで』と言ったところで、他人のイベントでしかない以上説得力がないと思っています。 このような考えの私はどこかおかしいのでしょうか?
私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。
最近、死についてよく考えています。僕は死後の世界があると信じています。 でも死んで生まれ変わっても家族や友達と離れてしまう可能性がある、ましてや次は人間にも生まれ変われないんじゃ、さらに死後の世界が無く死んだら同じ魂を持って生まれ変われないのではと とても恐ろしい想像をしてしまいます。 更に今すぐにでも家族や自分が死んでしまうのではと日々その事ばかり考えてしまいます。 どうか僕の不安を和らげて頂ける回答おまちしております。
現在54歳で、致命的な持病を抱えているわけではありませんが、毎日飲酒をし脂肪肝です。人は、いつか死にます。いつか忍び寄る漠然とした死を考えると、死ぬことが怖いです。 理想を言えば、ある程度は長生き(80歳近く)して、肉体的に苦しまなくて死を迎えたいです。 最近トイレで、お尻から鮮血が出て、便器が血に染まったので、大腸ガンではと、恐くなり(3日程で治まりましたので、おそらく内痔核)不安を感じました。また深夜に目覚め、鼓動が速くなっている時もあり(落ち着けば治る)不安が募ります。 いつか母親が死に、私もいつか『死』を迎える。後悔なく死ねる人は余程の人格者で、少数とも思います。よく『今を一生懸命生きる』事が、死への恐怖感が薄まると言われますが、『今』をどのように懸命に生きたらよいのか、わかりません。 どのようなことを日頃、心掛ければよろしいでしょうか?
私は今19歳です。1ヶ月前からずっと死について考えて頭から離れません。 考えすぎて、気持ち悪くなって、ご飯も食べれず夜も寝れなく、寝れたとしても、あー私はいつか死ぬんだと思って起きます。 長くなりますが、よろしくお願いします。 小さい頃から死が怖くて考えただけでもパニックになっていました。いつもなら考えないと言い聞かせて考えないようにしていました。ですが、ここ1ヶ月死んだら私はどうなるのだろうか、どうして死ななければならないのだろうか、いつか私がいたことさえも忘れられてしまうのではないだろうか、この世界はこの先どうなっていくのだろうか、とか色々考えてしまいます。 あと、私は80歳まで生きるとして60年しか時間がない、1年はあっという間に過ぎていくから私はすぐ死ぬだとか、生まれてこなければこんな苦しむことも無かったのにとか、本当に死が怖くて怖くて仕方がありません。 家族は、そんな私のためにいろんなところに連れて行ってくれます。母は話をたくさん聞いてくれます。でも、そんな母にも会えなくなる日が来ると考えてしまい、もっと怖くなってしまいます。 人間だから死ぬのは当然です。でも、どうしても怖くて仕方がありません。自分が消えてしまう、自分がいなくなってしまう。最近では、人間を見るとこの人達は200年後生きてないんだなと思ってしまいます。 不老不死になれるならなりたい。 なにをしていても死が頭の中に出てきてしまいます。突然死んでしまったらどうしよう。生きているのに火葬されてしまったらどうしよう。そんな不安も押し寄せてきます。 どうしたらいいでしょうか?受け入れるしかないのでしょうか?吐き気が止まりません。 人生あっという間に過ぎるといいます。こんなことを考えながら過ごしていくのは時間がもったいないと言い聞かせています。ほんとうに人生あっという間に過ぎてしまうのでしょうか?そう考えると死が怖いです。受け入れることができません。 私の苦しみをどうか助けてくれないでしょうか。 よろしくお願いします。
こんにちは、現在高校生の者です。 突然ですが、最近ふと親の死を考えてしまい怖くなっています。 私の父は難病を抱えており、もう長くはないと自分でも話しています。そんな日に日に痩せていく父や、白髪の増えてきた母を見ていると、ふと死に対する不安と恐怖に包まれます。 自立しないといけないと分かっていながらも、未だ親離れ出来ていません。こんなに仲良く楽しく話しているのに、もし明日死んじゃったら、と思うと怖くてたまりません。 いのちには限りがあると分かっています。でも、それにどう向き合ったらいいのかが分かりません。 どのような心構えをしているのが良いのでしょうか。ご回答お願い申し上げます。
こんにちは。 初めて質問させていただきます。京都在住の大学2年の者です。 先日、私の祖父が亡くなりました。 昨日お葬式の後、人生で初めて火葬場に行き、祖父が遺骨になったのを見届けました。 身近な人が骨になってしまったのを初めて間近で見てとても衝撃を受けました。そのときはさみしさや悲しさよりも衝撃が勝っていました。 つい最近まで生身の肉体があり、感情があったのに火葬されることで物質になってしまうことが衝撃でした。 今まであった感情や肉体はどこにいったのか?と混乱しました。 もちろん、人が燃えれば最終的に骨になることは、理論上理解できます。ですが、それを頭ではなく心で受け入れようとしたら難しいです。 そして、いかに人間がはかなくてもろいのかと思うと自然に涙が出てきます。その中にはおじいちゃんがいない寂しさもあり、この先いずれ直面するであろう身近な人の死を乗り越えられるかどうかの不安も混じっています。 そんなわけで今日は死の不思議さと、寂しさと不安を考えてもやもやしています。 お坊さんが人間の死をどのようにお考えか、聞かせていただけると幸いです。 よろしくお願いいたします。
昔から、事件や事故に巻き込まれることに対する恐怖が人一倍強い気がしています。新型コロナ、無差別殺傷事件、残忍な事件や事故、世界情勢のニュースを見ていると、いつか自分や大切な家族が巻き込まれたらどうしようと不安でたまりません。家にずっといれば安全かもしれない、どこにも行きたくないという気持ちになる日も多いです。起きてもいないことに不安になって今の時間を無駄にするのは良くないと頭ではよく分かっているのですが、不安になるとそればかり考えてしまいます。 また最近はそういった不安から、夫が先に死んでしまったらどうしようとよく考えるようになってしまいました。私がくじけそうになったときにいつも隣で支えてくれた夫を失うのは私の人生で一番つらいことです。夫に先立たれるのもつらいし、夫を残して一人ぼっちにしてしまうこともつらいです。 死に対する恐怖に打ち勝つにはどうすれば良いでしょうか。また心を強くするにはどのようなことが効果的でしょうか。乱文となり申し訳ございません。よろしくお願い致します。
健康診断で不安な結果が出てしまい、その後精密検査の結果は大丈夫だったものの死への恐怖だけが残りました。 もとから死への恐怖が出ることが良くありましたが、今までは一晩寝たり何度か深呼吸すれば収まっていました。 しかし、上記の事があり「自分もいつか死ぬ」と言う事実がより具体的に見えてしまったのをきっかけに、病気への不安からは解放されるやいなや死への恐怖がついて回るようになりました。涙を流すほどつらいです。 こんな精神状態になる前はいろんなことが楽しかった→死ぬと全て無になるのが悲しい・怖い&いつか死ぬから全て無意味なのではないか→この恐怖と悲しみの中で生きたくはない→楽しいことをしたい→最初に戻る と言う思考のループに一日中陥ってしまっています。 今までの自分を演じている空っぽな自分がいて普段はそいつが前に出てるが、常に上記の事を考え泣いている自分がもう一人いて時々そっちが表に出てくる、血の気が引き現実感が無くなっていく、どちらが自分なのかわからない、そんな状態です。 今までを思い返せば親がいて友達がいて、普通に仕事をしてお金も貰っていて、好き嫌いはほとんどなくてご飯は全部美味く感じて、ストレスはあるけど後から思えば大体「何だこんな事で悩んでたのか」で過ぎてく人生だったと考えます。 そして、なんて幸せだったんだろうか、何でこれが永遠には続かないのか、永遠も辛いとは言うがこれなら永遠に続いて欲しい、何で幸せだったことに気づいてしまったのかと考えてしまいます。 そして、最近一年の体感がものすごく早く感じ、時間なんてあっと言う間に過ぎてしまうと考えまた悲しくなります。 宗教を学ぼうともしましたが、ここに質問しておいてなんですがやはり死後の世界や魂は無く感情は脳の現象であり死後は無である、と言う変に唯物的な考えがついてまわります。 祖父が亡くなったとき「爺さんいまどこ行ってんだろうなぁ、畑とか家の様子とか見てんのかなぁ」とかのんきに謎の宗教観を持っていたくせに今ではそんな考えしか持てません。 そして怖いという事すら感じなくなるのが怖く悲しく、無になるならすべて無意味に感じます。 精神科に行くことにもしましたがそれとは別視点で、何か考え方を変えるヒントをもらえたらと思い、文字数いっぱいのとりとめのない文章になってしまいましたが書き込ませていただきました。
死に関する夢についてです。 先日、母親が亡くなった夢を見ました。直接母親が死ぬところや遺骸を見たわけではなく、どこかの建物(病院?)の廊下で、ふと「あ、死んだんだ」と夢の中の私が悟る、という夢でした。また、夢の中で「これからどうしよう」と考えたり、母親に代わり姉が家事をする光景や、父親が悲しそうな顔をしている場面が印象に残っています。(場面は飛び飛びです) 夢占いによれば、死は吉夢であり、特に親の死は自立に関係するようで、確かに私は就職したばかりです。また、死の予知夢である場合は稀らしく、仮にその場合は、橋や川、白い花や蝶が出てくるそうですが、そういった類のものはなかったように思います。 しかし、私は、10年ほど前にも似たような夢を見たことがありました。その時は、祖母宅の庭を眺めながら、ふと「ああ、祖母は死んだんだ」と夢の中の私が悟る、という内容で、先日見た夢と似ていました。 そしてこの夢を見た数年後に祖母は亡くなったのですが、祖母宅から霊柩車を見送るために庭に出た際の光景が、その時の夢とよく似ていました。(天気など) その夢を見た時点ですでに祖母は高齢であり、また亡くなる半年ほど前から体調を崩していたことから、言い方は悪いですが自然と言えば自然です。逆に現在、母親はとても健康です。 ただ、私は所謂「正夢」というものを度々見ることがあります。ハッキリこれは正夢だ、と認識しているものが3つ、またそれ以外にも、おや?と思ったものが無数にあります。そのため、先日見た母親の死を悟る夢が、数日後か数年後かに本当になるのではないか、と不安になっています。 人はいずれ死ぬ、という事は理解しており、いずれ両親が亡くなることもまた確実です。ですが、祖母の死が個人的にトラウマになっており、あんな思いをするのは向こう30年はごめん被りたいというのが本音です。 また、つい最近、近所でコロナウイルスに感染した方が出た、というニュースを聞いたこともあり、より不安な気持ちになっています。 バカみたいな話だ、と言えばそうなのかもしれませんが、、、 実際、私が見た夢は将来起こりうるものなのでしょうか。また、私はどうすれば良いでしょうか。
私は現在大学一回生です。大学入学まえの春に母を癌で亡くしました。母の死から半年以上たっても母の死を受け入れることができません。また、受験のため、闘病中の母に何もしてあげることができなかったことをとても後悔しています。ときどき、自分は1年間勉強してたことが間違っていたんじゃないかと考えてしまいます。正直母の死を受け入れる気がしません。どうすれば少しでも母の死を受け入れれるのでしょうか?