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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6207件

犬の死

20歳 女です 昨日、10年間 共に暮らしていた 犬が急死し涙が止まりません 私の家族は、父 母 2歳したの弟 そして 犬です。 一昨日から 弟の彼女が自宅に泊まりにきていて 父と母も了承済みなのでいいですが、 流石に犬が死んだ時は帰ってほしいと思いましたが、まったく帰る気配もなく のうのうとご飯をいただいて けらけらと 弟の部屋から よなかまで笑い声が聞こえるので 本当に腹がたって仕方がないです。 前回にも 朝の6時に風呂が入るなど 非常識な行動にイライラし 直接 彼女には言わず 弟に ちょっと入る時間考えてくれる?と言うと 逆ギレされてしまい なんも言えず 母にも 仲が悪くなるのだからそういうことは言わないのと おこられてしまいました。 私自身も 彼氏を連れてくるのですが、迷惑をかけないようにしてるつもりです。 話が戻りますが、流石に帰らないことにびっくりし悔し涙がでてしまい、両親に相談すると 父はそういうこと言わない。いいから。弟が嫌な思いすると話を聞いてくれません。母は、気持ちは分かるけど言った所で解決しない。おまえは、犬に後悔あるから、グジグジいうんだろとおこられてしまいました。 何が良くて悪いのかわからなくなってしまいましたが、回答の方 よろしくおねがいします。

有り難し有り難し 26
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父の死についての心の持ちよう

先日、父が亡くなりました。 半年ほど入院していて、ずっと家に居なかった上に、容態の急変で死に目には会えず、遺体は病院から葬儀社へ直行したため、父の死が実感できません。 火葬の日まで、祭壇を家に置くことを葬儀社から案内されましたが、断りました。家に帰って祭壇を見るたびに、父はもう死にました!と突き付けられるのが、どうしても嫌だったからです。 こう思うこと自体、親不孝なのでしょうか。 数日後に父を火葬します(通夜は行わず、葬儀は火葬後に父の故郷で行います)。お伺いしたいのは、その火葬の日までに、父の死としっかり向き合い、覚悟を決めて火葬に臨むべきなのでしょうか。 今、心をどこにどう置いていいのか、とても迷っています。 父の遺体と2度ほど対面しましたが、穏やかな顔してるね~と私は笑うばかりで、まだ一度も泣いていません。 遺体を前にしても、変な違和感と、どこか他人事のような感覚…というよりは他人事にしたい感覚というか、死と向き合うことから逃げているのかもしれません。 こうして文章を打っていると涙が込み上げてきますが、それでもまだ死と向き合えずにいます。 今、私は心をどう置くべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 170
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自分以外の者の死

私は物心ついた頃から「死ぬのが怖い」とよく泣く子供でした。それは自分の死に対してではなく、家族の死に対してです。 せっかく家族で旅行をして楽しい気持ちになっているのに「でもいつかこんな事も出来なくなる…」など余計なことまで考えて気分を台無しにしてしまいます。楽しい事をただ楽しいと感じたいだけなのに、死への恐怖1つでいろんな事を台無しにされてる気がします。 私は今小さな喫茶店で働いており、喫茶店で働く事は好きなのですが、お客さんは本当にお年寄りばかりで、 お年寄りのする会話は基本『寿命』と『病気』の話で、昔から死への恐怖が人一倍な私には苦痛でしかない内容です。 さらにお客さんにはよく「若い人は良いわね、私なんかもう働く事すら出来ないわ」などと言う事をよく言われます、最初はそう言われても嫌な気分も何もしませんでしたが、最近はそんな言葉に怒りさえ覚えてしまいます。 今の私は若い事が嬉しくないんです。 早く歳をとって死んでしまいたいとさえ思ってしまいます。 大切な人が先にいなくなってしまうくらいなら長生きなんかしたくないです。 大切な人の死を見るくらいなら誰よりも先に死にたいです。 ですが自分がとても恵まれた環境にいて、幸せであるのに最終的に早死にを望んでいる弱くて自分を守る事しか考えてない自分もすごく嫌です。 申し訳なくて親には口が裂けても言えません。 少しでも命と向き合うにはどう考えていかなければならないのでしょうか。

有り難し有り難し 21
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認知症による安楽死について

友人の祖母が認知症になりました。 小さい頃、何度もお会いしたことがありますが、とても快活な気持ちの良いお婆ちゃんでした。 なのに、今は友人を財布の金を盗む泥棒と呼び、暴れるのだそうです。 お婆ちゃんっ子だった友人から笑顔が消え、愚痴が増えました。 その愚痴を聞くたびに私は「お婆ちゃんが早く死んだらいいのに」と考えてしまいます。 お婆ちゃんに恨みは全くありません。 しかし、友人の中の大好きなお婆ちゃん像が崩れていくの事にやるせない思いでいっぱいです。 この様な考えが頭をよぎる私は心がねじ曲がっているのでしょうか? 自分は認知症になる前にどんな方法でもいいから死を選びたいと本気で考えています。 家族に迷惑をかけたくないという気持ちと自分の尊厳を守りたいという気持ちからです。 (死ぬ事で家族に迷惑がかかるという意見がありますが、それを承知の上での考えです。) 自分が老人になる頃には安楽死制度が充実していて楽に死ねたら良いのにと考えているのですが、この様に考える事は人の道に反している思想なのかもしれません。 キリスト教においては自殺はとにかくNGですが、生が延びきっている現代においてその理由がどうしても理解ができません。 仏教に従事する皆様は自殺や安楽死についてどの様にお考えなのでしょうか?

有り難し有り難し 14
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人の死が受け入れられません

初めて相談させていただきます。 よろしくお願い致します。 先日、芸能人の方が自殺して 亡くなるというニュースがありました。 その人のファンなの?と聞かれると そうです!と胸を張って言えませんが、 ドラマやバライティ等の番組で その方の姿を見るのは当たり前だったので 自殺と報道された時は衝撃的でした。 言い方が悪いかもしれないですが、 その方が病気とかだったら まだ納得が出来たのかもしれません。 ですが、亡くなった原因が自殺と知って テレビの前でキラキラと輝く人が 自殺してしまって自分が知らない 業界にも闇があることを知り、 また、無力だけど自分に出来ることは 何かなかったのかなと考える日々です。 これからドラマにも出る予定で 映画も公開されてCDも販売するのに 理由は本人にしか分からないけれど 心が苦しいです。 追悼のサイトができて メッセージを送ろうと思っても その方のSNSを見ると 素敵な笑顔で笑っていて 亡くなったという実感がなく まだ生きてるのにと思ってしまって メッセージも送れません。 亡くなってるのは 頭の中で分かるってるはずなのに 心が追いつけず受け入れられません。 人の死に対面することは経験していて 気持ちが苦しくなったけど、 大切な人達の死を 受け入れることができていたのに 今回のその方の死は受け入れられません。 直接関わったこともない私が こんな気持ちになるのは おかしいことなのかもしれませんが、 気づくとその方のことを考えていて その方のSNSや動画をみて涙を流して なんとも言えない感情に襲われます。 どうすれば死を受け入れられますか?

有り難し有り難し 5
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死にたくないのに死について考えてしまう

何故だか、死について考えてしまいます。 死を選んでしまいそうで、怖いのです。 私は心療内科に通っており、一人で遠出するのもかなり緊張してしまう状態です。症状が酷いときはお薬を飲んでしのいでいますが、『いい歳して、ろくに外も歩けないのか…』と思うと、苦しくなります。 苦しい気持ちはありますが、私自身、非常に恵まれた環境で生きていると思っています。一度メンタル面で体調を崩し退職したものの、現在はなんとか仕事に就けています。両親も健在。家庭環境や人間関係に困っていることもありません。傍から見れば、何一つ不自由のない生活だろうと考えています。 ですがある時、ふっと頭に『死にたい』という言葉が浮かびました。 自分でも非常に驚きました。年金もらうまで死ねない!なんて思っていたはずなのに。自殺についてなんて、少しも考えたことがなかったのに。 しかしよくよく考えてみれば、私には資格もなければ趣味もありません。なんの取り柄もない人間だと思います。心の奥底では、そんな自分に価値がないと思っている気がします。 決して死にたくはないのです。ですが気分が落ち込んで、今ではうっかり死を選んでしまいそうです。自分がコントロールできなくなるような気がして、恐ろしくて仕方がありません。 自分の中に生と死の2つの考えが頭から離れず、どうしてもソワソワしてしまいます。 私はおかしくなってしまうのでしょうか。どうしたらいいのか分かりません。 生きる知恵、良い考え方を教えて下さい。しっかり生きて、人生を楽しみたいです。 うまくまとめられず読みにくい文章になってしまいました、お許しください。

有り難し有り難し 3
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2023/08/03

天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
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死の苦痛が怖くて仕方ありません

死の間際に感じているであろう苦痛が怖くて仕方ないです。 最近、ときどき「死ぬ間際の苦痛」がどうしようもなく恐ろしくなってしまうことがあります。 多くはフィクション作品やドキュメンタリーを鑑賞している際に感じています。「死」や「病」に関する描写が出てくると、ふと「死ぬ間際にはどのような感覚なのだろう」と想像してしまうのです。 例えば病であれば、病床で満足に動くこともできず逃げられないまま病による苦痛を味わい続ける日々を想像し、気分が悪くなってしまいます。 フランス革命の話題であれば、「ギロチンにかけられた場合でも間髪入れずに死ぬのではなく、一瞬は生きているだろうから、その際に激痛を感じているのだろうな」などと考えてしまいます。 それ以外にも、例を挙げれば枚挙に暇がありません。 調べてみれば、やはり「苦しまない死」を享受できる可能性はそれほど高くないとのこと。 私はこの、「人生の終わり間際に大きな苦痛が予約されている」という状況そのものに耐えがたい恐怖を感じてしまいます。 思えば、私は「予定された苦痛」というものが非常に苦手です。 以前、微熱と悪寒があり「もしかしてインフルエンザかも」と思った瞬間に、来たる高熱での苦痛への恐怖で血の気が失せて吐きそうになったこともありました(ただの体調不良でした)。 コロナウイルスのワクチンを接種した際も、注射そのものではなく、ほぼ確実に発生するという副反応へかなりの恐怖を覚えていました。 死の苦痛も、私の中では同じです。 死ぬことそのものにはそこまでの恐怖を感じてはいません。 ですが、そこに至る過程である「苦痛」の存在が、私は恐ろしくてなりません。 夜遅くや、朝起きたとき、ふと浮かぶその恐怖に押しつぶされそうになってしまいます。 こうした「来ることが確約されている痛み」への恐怖を和らげるためには、いったいどのような心構えでいればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 11
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死について考えるとパニックになります

死ぬことがとても怖いです。 死んだ後、こうやって今文字を打ってる、自分という存在はどうなるのかと考えると、怖くて仕方ありません。 死は逃れられないのだから、どうにか死を受け入れられるように、死というものに悲しいイメージを抱かないようにと、お釈迦さまの考えや、聖書など様々なものを読みました。 ですが、いざ死について考えた時、魂という存在や天国、地獄など、それらのものが無かったら?と考えてしまいます。 最近はニュースなどで殺人や自殺など誰かが亡くなってしまう内容を見ると、死は突然訪れるのだと強く感じ、とても苦しく、死にたくないと叫び泣いてしまいます。 こういう話を周りに相談すると、後悔の無いように生きることを全うする、考えても仕方ないのだから考えないようにするなどアドバイスをいただきます。 ですが、後悔の無いように生きても、私は死にたくないんです。死ぬ前に生きてて楽しかったな、なんて思える気がしません。 不老不死でいいのかと言われたら、それで構いません。私という存在が無くなることの方が怖いです。 死からは逃れられないという気持ちと、死ぬことが怖いと思う気持ちどちらも交互に出てきて、また教えやアドバイスを受けても、実際はどうなのか分からないじゃないかと考え受け入れることが出来ない、そんな自分はどうすればいいでしょうか。 まとまりのない文章となり申し訳ございません。お願いします、助けてください。

有り難し有り難し 62
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死の恐怖への対処法

いつもお世話になっております。 死への恐怖が強く、以前よりご相談させて頂いております。 私は、本当に死ぬのが怖いです。 なぜなら、死んだ後どうなるか分からないからです。 仏教の中には、死後について細かく書かれている本や考えもあるとご教示頂き、いくつか拝読致しました。しかし、大変申し訳ないのですが、信じることができませんでした。 死んだ後帰ってきた人は居ません。ということは、少なくとも私の今生きている世界では、死んだあと私の意識がどうなるかについて明確な根拠と理論を持って説明できる人は、いらっしゃらないのではないかと考えてしまい、信じられませんでした。 次に発想を変えて、恐怖心を消すことを考えました。死ぬことは変えられなくても、死の恐怖さえどうにかなればいいと思い、怖くなったらお念仏を唱えるように致しました。仏様にすべておまかせするという考えです。しかし、これは一時凌ぎで、恐怖が何度もぶり返すようになってしまいました。死が「自分ごと」だと認識すると怖いのです。お念仏を唱えている間は、死が「他人事」のように感じられて、死が遠くにあるような感じになり、一時的に怖くなくなります。きっと、私のお念仏のやり方に、何か間違いがあるのだと思います。 私は今、なぜか、ここに生きてしまっています。生きているから、いつか死ななければなりません。 どうしようもなく恐ろしいです。 いつかくる死に怯えて、気が狂う程の恐怖に、毎晩叫んで、ジタバタしてしまいます。もう、本当に、生きているのがつらいのです。矛盾していますが、この恐怖が本当に本当に耐え難く、こんなに恐ろしいなら死んでしまいたいと思う毎日です。 今回の質問が、仏教に対して失礼でしたら、本当に申し訳ありません。私は仏教が好きです。出会えて良かったと思っています。また、今までご回答頂いたお坊様方、本当に感謝しております。ご回答頂いたのに、前進できない愚かな私で申し訳ありません。 支離滅裂な文章ですみません。ここまで読んで頂き、ありがとうございます。 私はこれから、どうしたらいいでしょうか。 毎日「この世界に生きている」と実感するたびに、「いつか死ぬ」と恐怖で発狂するこの状況を解決する方法を、どうか教えてください。ここから私は、次に、何をしたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1