ずっと身の丈に合っていないなと思う職に就き、それでも自分なりに頑張っていました。 そんな中、同僚に人格から能力まで私の全てについて逃げ場のないような言葉の攻撃を受け、体調を崩して休職しました。 同僚は厳重注意処分を受けましたが、異動が難しい職場なので彼と離してもらえません。上司をはじめ周囲は面倒を避け、誰もサポートしてくれず孤立していきました。同僚の暴言からも立ち直れませんでした。どんどん心身が壊れていきました。 打つ手がないもどかしさもあるのでしょう、暗くなった私を疎ましいと思う人が増えていきました。出勤しても一言も誰とも口を聞かない日がほぼ毎日です。声をかけても露骨に無視する人もいます。 体調に配慮という名目で業務外しもされました。何年か頑張りましたが自分の存在の無意味さに絶望して死にたいと思うようになりました。何度も首を吊ったりベランダから飛び降りそうになったりしました。死なないために長期出張をもぎとり一息つきました。 でもあと少しで戻らなくてはなりません。ようやく「死にたい」から「生きている意味がわからない」まで、少しだけ回復したのに、あの職場に戻ったら1カ月ともたないのではと思います。 思い余って、出張から戻る時は所属部署と物理的に離してほしいと上に頼みましたが回答がきません。 私の希死念慮のことは相談しています。死ぬために戻るような気持ちです。 死にたいほど辛いのなら辞めるべきと思いますが、特殊な職種で潰しがききません。スキルがなく心を病みその間に年齢も高くなった私に何ができるのかと考えたら、全く先が見えなくなりました。死にそうだから辞めたいのに、辞めたら生活の不安で死にたくなりそうです。 進む方向が定まらず、何を考えても破滅的な方向にしか思いが向きません。眼前の仕事に集中できず、更に自己嫌悪がひどくなります。 何もかもから逃げ出したい。永遠に逃げ出すのが一番良いように思われてしまいます。 どうしたら迷いを取り去り前に進むことができるでしょう。
ちょうど一ヶ月前に母を癌で亡くしました。 僕の場合は特に罪悪感が強く、母の元気な時は結婚もせず、孫の顔も見せれず、病床で寂しがっていた時も 付き添ってやらなかった(付き添おうと思えば出来た) そして、最後も看取れず・・ 怖さと孤独と寂しさの中で逝かせてしまった・・という罪悪感に毎日毎日かられて、それを思うと、母が可哀想で可哀想でたまりません。 一人っ子なので、今は母のいなくなった家で 一人寂しく暮らしてます。 特に一人で晩ご飯なんか食べていると、寂しくてたまりません。 あぁ・・ 母もきっと 最後はこんな孤独の中で逝ったのかな・・って思ったりもして。 もうどうしようもないことはわかってます。 でも なんで一人で逝かせた? 付き添おうと思えば、いくらでも付き添えたのに・・ 叫ぶほどに寂しがっていたのに・・・ 寂しさは時間が癒してくれるかもしれませんが、この罪悪感だけは 一生もので、僕が死ぬまで背負っていかなければいけないような気がしてます。 母の性格なら『終わったことはもういい これから頑張れ』と言ってくれてるように思います。 ただそれは僕の勝手な気持ちであって、未だに寂しい気持ちの中で彷徨っているかもしれない・・・ でも、それも今となっては教えてもらえず・・・ 『寂しい・・』 『家に帰りたい・・』 逝く前の母親のこの叫びが、僕の胸をえぐります とても苦しいです。 とにかく 寂しさの前に、今は罪悪感が非常に強くて 毎日、胸を痛めて、なかなか前を歩く一歩が踏み出せない現状です。 母親がまだ元気な頃は、あ~だこ~だ言ってお世辞にも大切にはしていなかったのに、いなくなって初めて、寂しい・・可哀想・・もう一度だけで良いから逢いたい・・ 今に思えば、僕の結婚、孫の顔ももうとっくに諦めていたはずだし、横になりながらTVを見ているような毎日で、母親はいったい何が楽しみで生きていたんだろうな・・と考えたり。 こんなことを、母親がいなくなってから想っている自分勝手な息子です。 僕のおふくろが死んだなんて、まだ信じられないです。 やはりこの罪悪感は親不孝物の代償でしょうか? 一生背負って生きていかないといけないものでしょうか? 是非、意見を聞かせてください。 辛さのあまり自分の命も絶つことも考えました。 でも、結局は生きていくしかなく・・・
はじめまして。 つい最近、私がずっと応援していたアイドルの方が自殺をしました。 私はそのアイドルの方の死を受け入れられません。自殺の理由や、遺書がネットに出ていてそれを読む度に涙が出てしまいます。一番やってはいけない後追い自殺なんて事も考えてしまいます。 今まで尊敬していたし、応援していたからこそ、しっかりと受け入れるべきなのだと自分で分かっているのですが、まだどうしても受け入れられません。 この事を友人に相談しても気を遣わせてしまうと思うと気が引けるし、家族に悩んでいる事を言うと「どうでもいい」と言われてしまいました。本当にショックでした。 やはりアイドルの死が受け入れられなくて悩む事は馬鹿馬鹿しいのでしょうか?アイドルの死で悩むなんておかしいのでしょうか? もう誰にも相談できず、一人で悩んでいました。 そこでお坊さんに相談したいと思い質問させていただきました。よろしくお願いします。
長文失礼致します。 「早く死にたい。なんのために生きているんだろう」という、答えの出ない疑問に悩んでいます。 前々から思っていた事ではありますが、最近は特に強く、そして気付けばずっとそのことばかりに頭を悩ませています。 数年前、母がうつ病を煩ってからというもの、発達傷害を持った姉の事もあり、両親の喧嘩は毎晩絶えず、その度私は一人で声も出さず泣く日々を繰り返しました。 当時小学生だった私に頼れる存在はなく、他の兄弟もすでに自立しており、我が家ながら自分の居場所がどこにもない感覚に押し潰されていました。 幼少期の経験からか、今は対人恐怖症なのかなと思う程人と関わるのが苦手で、集団の中にいると酷く虫酸が走るような感覚に襲われ「どうしてこんな所にいるんだろう」と、自分の存在意義を見失います。 昔から勘の鋭い自覚はあり、相手の顔を見るだけで相手の考えている事が分かってしまう為、カウンセラー相手でも本音を言う事は滅多にありません。 己を含む人という生物が嫌いで、その為他人から向けられる好意が気持ち悪く感じてしまいます。 そのくせ人を傷付けることが怖くて出来ず、自分が傷付けたという事実に自分が傷付き、自己嫌悪に陥ります。 「他人を傷付けるくらいなら自分だけが苦しい思いをしていればいい」と、笑顔を作り、他人を優先する…我ながら馬鹿馬鹿しい程の矛盾と無意味な自己犠牲のせいで、結果他人から好かれ、異性からは好意を向けられたりと、終わらない悪循環で苦しみます。 そして例えば、化粧っ気のなかった同級生が久々に会ったら化粧をして綺麗に着飾っていたりなど、自分の知らない所で周りが変わっていってしまうことに恐怖を感じます。 つい最近、年の離れた姉の妊娠事実を知りました。喜ばしいことのはずなのに、最初に抱いた感情は戸惑いや恐怖でした。姉と彼氏との仲がそこまでよくなかったこともありますが、それよりも自分の姉が姉でなくなる事に漠然とした喪失感を覚えました。 姉を独り占めしたいだとか、そういう事ではなく、ただ変わることへの恐怖が非常に強いです。自分は変わりたくない。 このように、人とろくに関わる事もできず、どうしようもない性格なのでこの先不安しかありません。死ぬことを考えてる時は他のことを忘れられるので、今はどうやって死のうか、又、大人になったら死のうと心の逃げ場を作っておく事で生きています。
私はつい最近、自分の会社の社長が亡くなりました。 その事で、今酷く落ち込んでいます。社長が倒れたのが私の目の前の事でした。私一人しかいなかったので動揺しましたし、倒れる1分前まで普通に会話をしていたのであまりにもショックが大きすぎて中々気持ちの整理が出来ず困っています。 倒れた時の顔や最初は息をしていたのにそれが止まった時の事や救急隊が心臓マッサージをしている所がフラッシュバックのように思い出され、とても苦しいです。私がもっと異変に気付いていたらとか、出来た事があったんじゃないか?とか考えてしまいます。 その反面、その場にいなかった従業員を恨めしく思ったり(目の前で私の様に見てないから)。どうしたらこの心の苦しみを楽に出来るでしょうか?
先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。
私は死に対して恐怖を感じてます。 自分が死んだ後どうなるのか魂はとか 色々考えてしまいます。 死後の世界はあるなんて、みなさん言いますが、私にはそれが分かりません。 死に対しての恐怖を取り除く事は 出来るのでしょうか? よろしくお願いします。
初めてこの場所を使うので慣れず間違ってるかもしれません、初めに伝えておきます、すいません。 なぜこの考え方に行き着いたかハッキリとは分からないけれど、自分の親友の付き合っていた彼女が16.17歳の時に自殺で亡くなり、それにとても責任があると重く考えた自分の親友が鬱病と診断されました、毎日死にたい死にたいと悩んでいました、その度に自分は何度も何度も励まし慰めて 男2人一緒にクリスマスも過ごしたりしました笑、しかしどれだけ一緒に遊んで楽しんでも彼の思い(決意?)は変わらないように思えました、それでも変わらずにいたのですが、その数ヶ月後に彼女と同じ死に方を選び自殺をしてしまいました。彼の母親から連絡を貰った時は何故か冷静でいれました。それはやっぱり自分が19年間生き てきた中で1番分かり合えた人間だった からかも知れません。 そんなことがあってから 死とは何か、生きるとは何か、特に自殺とは何かを考えるようになりました、でも、まだまだ未熟な自分には分かりっこありません。しかし時間が経つにつれて自分の中にあった死にたいがまた現れ始めました。 自分はハッキリとは覚えてないけど、小学校低学年の頃から行きたい願望はなく死にたい欲?がありました。 小学2年生の時に、喉の手術を受け数ヶ月?入院しましたその頃から勉強に全くついていけず、宿題に手をつけませんでした そのせいなのか元々そうだったのかは覚えていないんですけど宿題をしないと義理の父親が怒って何回も何回も殴られた記憶があります、怒っている時に目をちょっとでも逸らすと殴られた。 また兄弟で楽しく遊んではしゃいでいる時もうるさいと言われ殴られまくりました、 母親が止めてくれた覚えは全然なく家では自分の居場所がなく思えていました。 学校でも自分が太っていた為その事で虐められたりハブられたりされて、本当に死にたかったです、毎日毎日マンションのベランダに立ち飛び降りようか泣きながら悩みました、けど、そんな醜い人間のために自分が死ぬのはおかしいと思い踏みとどまって今まで数十年生きてきました。 けれどもう我慢の限界なのかも知れません 自称大人や人間が大嫌いな自分が唯一分かり合えた親友も居なくなり耐えれ無くなってきました。どうすればいいのでしょうか、分かりません、もうそろそろ1000文字になっちゃうのでやめようと思います。長文失礼しました。
上の子の発達障害のサポート、下の子の入園、同居での義父母との関係性、職探し、季節の変わり目と一気に色んな変化があり、精神面での調子を悪くしてしまい精神科に通っております。 はじめの頃はお薬を毎日決まった分飲んでいればとても調子が良かったのですが、日常とイレギュラーな事があった時(学校行事など)、前もって分かっていたはずなのに自分にとっては大きなストレスとなっていたようで、その出来事の前後に悪夢を見たり眠れなかったり、気晴らしのつもりで出掛けた先でパニック発作を起こしてしまいました。 その都度お医者さまに相談をしてお薬を追加してもらってはいるのですが、パニック発作や強い不安感を持っている時間はとても辛く、耐え難いものでいっそこのまま死んでしまいたいと思い、死に場所を探し回ったり、とにかく手首を切りたいと思ってしまいます。 発作が落ち着きなんとか日常生活に戻ると死にたい気持ちは消えるのですが、少し油断するとまたあの恐ろしい時間がやってくるのではないかと思ってしまったり、耐えきれず突発的に自殺行為を起こしてしまうのではと思います。 自殺は、後に遺された人たちをどれだけ苦しめ悲しませる事なのかということは分かっています。 だけれど今の自分の精神状態が正常ではないので死にたいと思うときに何かしでかしてしまうのではないかと不安でたまりません。 仏様は何と仰るのか分からないのですが、神様は乗り越えられない人にはそういった難しい試練は与えないと聞きます。それが本当だとしたら、私は自分のこういう体質を試練として乗り越えて自殺という形で投げ出すことはせず、生涯を全うすることができるということなのでしょうか?
以前から同じような相談をさせて頂いており、その度に温かいご回答を頂き感謝しております。 ご回答のおかげもあり、少しずつ死の恐怖を克服していたつもりでした。 しかし、それでも何度も何度もどうしようもなく死の恐怖に襲われます。死ぬことに怯え、泣き、気が狂うような恐怖で、これを感じないためには死ぬしかないのかと、本当につらいです。 自分で沢山考えた結果、私の一番の恐怖はやはり死後が分からないことでした。無になることが一番怖いです。でも、輪廻転生できたとして、宇宙が無くなったら転生は止まるのか?解脱したら、魂は消えてしまう(無になってしまう)のか?など、怖さで考えが段々大きくなり、恐れることがどんどん増えていってしまいます。 死後を考えても仕方がないと、頭では分かっている筈でした。死は逃げられるものではない。だからこそ、死そのものを、たとえ死後が無だったとしても、ありのままに受け入れる姿勢、考え方が大事だと理解しているつもりでした。でも、どうしても、湧き上がる恐怖が勝ってしまいます。 いつか死ぬと理解してから、人生が虚無です。最後死ぬのに、消えるのに、生まれて自我を持つなんて、なんて残酷な世界なんでしょう。なんでこんな世界に私達はいるのでしょう。 どうしたら、死の恐怖を消すことができますか?死を受け入れることができますか? 私はこれから、最後は無になる(かもしれない)ような分からない未知の世界に否応なく行くしかないのに生きて、耐え難い死の恐怖に襲われながら死んでいくしか無いのでしょうか。 乱文かつ感情的で本当に申し訳ありません。どうしようもなく苦しいです。どうか、助けて下さい。
私は33才の男性です。10月に祖母が亡くなりました。私は2才で母親と別れました。父親は他所で好きに暮らしています。祖父母に育ててもらいました。60を過ぎてからの子育ては大変だったと思いますが自分を犠牲にして育ててくれました。私は幼い時から祖父母には楽に暮らしてやりたいと思っていました。周りの人は親なし等見下してきましたが余計に負けん気で頑張りました。働きだして少しずつ孝行できる様になった矢先に足が弱り、祖父は認知症になり介護が始まりました。私は酷いことも言いましたが祖父母は、いつも優しかったです。私も結婚して子どもが出来ましたが、嫁父に年寄りがいるから離婚すると言われ連れて帰られました。私は祖父母を選びました。祖父は施設に入所出来ました。祖母は一人の時、家で転んで起き上がれない事が多くなりました。私は家にいて欲しかったですがケアマネに止められました。入退院を繰り返し祖母は小さくなりました。私は何も出来ませんでした。9月より何も食べられなくなり医者より点滴を止めたら一週間持たないと言われました。私は点滴はしてほしいと頼みました。コロナで面会出来ませんでしたが医者より会って良いと言われ会いました。祖母は、嬉しそうな顔をしてました。次の日も会おうと思いましたが亡くなりました。私が行った時は、温かかったです。それから葬儀で忙しく忌明けまで何とか過ごしました。出来るだけ立派な式にしました。死んでからしても意味ありませんが私の気持ちで全てやりました。 今は、祖母に何も恩返し出来なかった 祖母は幸せな人生だったのかと思っています。私は、これから何を思って過ごしたら良いのでしょうか? 乱文ですが宜しくお願いいたします
どうやって生き続けていったらいいのでしょうか。 希死念慮、自傷行為、自分自身をぐちゃぐちゃにしたい気持ちが抑えられません。 お風呂にも週1-2回しか入れなくて、人間として最低限のこともできません。情けないです。身だしなみも食べることにも興味をもてません。 弱い自分にも嫌気がさしています。 昔から精神的に落ち込んでは少し回復してを繰り返しながら、年々その折れ線グラフが下降していきます。生きていてもいいことはありません。なぜあの時死んでしまわなかったのかと以前に何度かあったチャンスを活かせなかった後悔ばかりです。生き続けても数年後にやっぱりあの時がチャンスだったのにと思う未来しか想像できません。 前世の業を返す今世を全うできないのだとしても、阿弥陀様がお迎えにきてくださるなら自死も悪いものでないように思います。
時折、無性に死ぬことを渇望してしまいます。 何より周囲に迷惑がかかるし、 してはいけないことだと理解しているのでしませんが、 幼い頃から何かと死にたがってしまいます。 死がとても魅力的に見えるのです。 昔は情動豊かすぎる子供だったので、 死んでやるー!と短絡的な気持ちで自殺する構えをしたりしていたのですが(本当にクソガキですね)、 最近はとても自然な誘惑のように思えるのです。 死ぬことで全てが完結する、とでも思っているのでしょうか。 とても救いのように思えるのです。 ですが、何か嫌なことがあるたびにいちいちこのようなことを考えていては、 時間の無駄であるし何よりますますダメな人間になっていくことも分かっているので、 (おそらく逃げ道として死を魅力的に思っているのだと思います。) この感情との付き合い方を知りたいです。 もしも完全に無くす方法があればお聞きしたいですが、それは自分自身の問題である気がするので…。 どうかご意見をお聞かせください。 よろしくお願いいたします。
最近毎日死ぬ事を考えてしまいます。 鬱で通院経験がありますが、ここ数年は自分で仕事を始め、それなりに楽しく生きてきました。ただ最近は何もやる気が起きず、自然と涙が溢れてきます。 現在精神科への通院はしてませんが、内科で睡眠薬を処方してもらっています。仕事でやらなければいけない事があっても、気分の落ち込み、不安に耐えられず、逃げだと分かっていても睡眠薬を飲んで寝てしまいます(大量に薬を飲むとかではありません)やらなければいけない事がどんどん溜まっていきます。 おかしいかもしれませんが、中学生の頃なんとなく、あーきっと自分は将来自殺するんだろうな〜と思った事を覚えています。両親の様に生きたくなかった。けどどう生きていいか分からないまま、ただ年齢だけを重ねてしまいました。 社会に出てからは楽しい事もたくさんありました。でも最近はいよいよその時(死)がきたのかと思ってしまいます。僕には自分で人生を作っていくことができません。コツコツと前向きな積み重ねが出来ません。 もう終わりにしてもいいかなと思ってしまいます。すぐに実行する気はありませんが、今後思い立った時にすぐに実行出来るように七輪を買っておく事を考えてしまいます。 人生は自己責任だと思います。何も積み重ねて来なかった私の人生もそうです。私は結局楽がしたかっただけなんだと思います。 本当は生きたいです。死ぬのはいやだけど今後良くなるとも思えない人生、それと良くなる為の小さな努力も出来ない自分に疲れてしまいました。
今年の三月に、お一人様だった叔母がガンで亡くなりました。 彼女は海外生活が長かった為、自己主張が激しく、他人への接し方も物凄く厳しかった上に人の悪口ばかりを言う人だったので、周囲の人達から避けられていました。また、実姉である私の母とも会えば直ぐケンカになってしまう事が多かった為、彼女一人では出来ない身辺の世話は、長年私の役割になっていました。 (私が思春期に入る頃に別の病気で帰国してきた時は勉強面でこちらがお世話になることが多かったのですが、こっちもこっちで反抗期だったのでやはり喧嘩の繰り返し…。落ち着いて接し合う事が出来るようになったのは、私が大学生になって彼女への接し方を学んできた頃からだったと思います。 クリスマスにはお手製のディナーを振る舞ってくれたり、紫陽花の季節には一緒に遠出をしたりと、いい思い出もだんだん作れるようになっていました。) ですが、8年前にガンが発覚して (たまたま私が家を訪ねた時に物凄く体調を崩している姿を発見し、「このまま死にたい」という彼女を泊まり込みで1ヶ月掛けて説得して病院につれていきました) 以降、入院中はほぼ毎日病院に通い、退院しても診察の度に病院まで送り迎えをし…。彼女がだんだんと弱っていくさまを一番近くで見ていました。昨年春に余命宣告された時には涙が溢れて止まりませんでした。 病状が悪化してからも、彼女は先述の通り我が強かったので、在宅介護の方に説得されても頑なに意思を曲げず最期まで自宅にいる事を選びました。最期の日、意識のあるうちに「私の叔母さんでいてくれてありがとう。大好きよ」とお別れをしました。 そして、息を引き取ったあとは、彼女から生前言われていたとおりの手はずを整えて葬儀も終えました。 …なので、何もかもを完璧に終えたはずなんです。終えたはずなんですが、私だけがまだ、叔母の死を受け入れきれてない気がするんです。 叔母が好きそうな猫のグッズを見つけたり、よく一緒に行った場所へ行ったり、出かけるために車の運転席に座ったり…。そんな一瞬にさえも、叔母の存在を思い出してしまって、なんとも言えない気持ちになってしまうのです。 他の人はもう、彼女の死を受け入れて前へ進んでいるのに、このままでは私だけが取り残されてしまったままになってしまう様な気がして、不安でなりません。どうしたら、私も前向きになれるのでしょうか…
こんにちは。 うつ病を患っていて、精神科に通院中です。 時折、とても強い希死念慮に襲われます。 その度に処方された薬を飲んで、逃げるように眠ります。 私は父を自死で亡くしていて、娘の私もその選択をしようとしているのです。 現状は確かに辛いのですが、死ぬほどのことなのかと言われるとそうでもない気もするし、けれど確かに「死にたい」「消えてしまいたい」「死ななければ」という思いもあるのです。 子どもはかわいいはずなのに、今は成長を喜ぶことが精一杯で、世話はほとんどを母に任せてしまっています。 私がいなくてもきっと、子どもは育っていくのでしょう。 無責任なのは十分に承知していますが、もう疲れてしまいました。 いつもいつも、ギリギリのところでなんとか生きてきたような、綱渡りをしてきたような感じがします。 自死した父は、今幸せなのでしょうか。 自死する私は、後悔するでしょうか。 とりとめのない文で申し訳ありません。 なにかお言葉を頂けるとありがたいです。 子どもは3人、下の子は双子です。 夫とは離婚を前提とした別居中。 過去に実家族から性暴力を受けていました。(今もたまにあります)
ここにくるまで時間がかかりました。 以前から希死念慮はあります。仕事をやめて二ヶ月経ちました。些細なことすぎるかもしれませんが人間関係で悩んだことがきっかけです。 労働そのものが嫌なのではなく 働かなければならないと思っても また同じような目にあうかと思うと前に進めていません。 半月ほど前に 初めて娘に話しました。希死念慮という言葉は使いませんでしたが そういう思いがあることは言えました。仕事に就かず家にいることに不信感はあったと思うので打ち明けましたが 娘は責めるでもなく静かに聞いてくれました。娘に負担を与えてしまったかもしれません。 今の状態を抜け出したい気持ちが起こると焦りや死ねたらいいのにと思います。 死ぬ気でやれ や 死ぬ気になれば何でもできる とは 本当に確実に死ねるのならできると思います。でもできないので苦しいのです。 傷つかない今のままでいたいけれどどうにかしなければいけないのだろうと思いながら生活しています。こう思うことが甘えなのでしょうか。わかりません。
私は最近になって歳を取るのが怖くなりました。 日本人の多くが70から80まで生きますし、私の祖父、祖母もそのくらい生きています。家系としては長寿なほうで、 私が寿命を迎えるまで、あと50年から60年かかります。 人間の寿命が長すぎると感じるのは私だけではないみたいで、同じ年頃の同僚とも、4、50歳くらいで良いとか話したりします。 このまま健康でいられるわけでもないし、家族を先に無くすのも怖い。 生まれて来なければ楽だったのにと思ってしまう。 どうやって乗り越えたら良いのかまた分からなくなってきました。 人生楽しみたいけれど常に不安が付きまとう。生きてるのが辛い。 だけれど死ぬのも怖い。 本当かどうか分からないけれど、幽霊が見えるという友人が昔いて嘘をつくような子ではなかったから、そのときはああ、やっぱりいるのかなと思ったりもしたけれど、バカらしいけど死後も意識があるなら自分や周りの人間が死んだ後もどうなるとか。そんなことまで考えるようになりました。 完全におかしい。 おかしいんですが輪廻とか仏とかそういったものと日々接している僧侶の方の考えを聞きたいです。
タイトル通りです。しかしながらネガティブな意味ではありません。これまでの人生大きな挫折もなく、側から見たら順風満帆に写ってると思います。 これまでも嫌なことを我慢して乗り越えて得るものも得てきました。もう嫌なんです。もう十分なんです。これ以上苦しみたくありません。 今の生活を手放すのが怖くて仕事も辞めらません。辞めても生きていたら貧乏して苦しまなくてはならないから。 死んでしまえればもう苦しまなくていいとワクワクすらします。 私は自分の考えがおかしいとは思いません。ただこれからも生きてる以上人生は続きます。楽しみ3に対して苦しみ7くらいでしょうか?笑 先が思いやられます。怖いです。私はこれからどう考えれば良いでしょう?(他人のために生きろなどは言わないでください。無理です。自分のことで精一杯です。)
親が死ぬ事が非常に怖いです。 私は実家を離れ一人暮らしで 経済的にも自立はしています。 今までは自分の自由にやってきました。 ただ私自身30歳が近くなり、親もあと6年で 70歳と考えると元気にいられるのは何年だろう と考えます。 今、祖母は2人共元気ですが、 両親もいずれは祖母と同じく、物忘れや、体が言うこと効かなくなると思うととても悲しく、苦しくなります。 たまに実家から荷物が届き、段ボールを開けてみるとお節介なほど色々入っています。 親はいつかはいなくなり、このようなこともなくなってしまうのだなと考え、悲しくなります。 親の死について考えると怖くなりませんか? 私だけでしょうか?