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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 不安」
検索結果: 1430件
2023/07/21

大切な人が死ぬのが怖い

付き合って半年以上の彼氏がいます。 私は、母親とトラブルがあって以来、家族とは疎遠になっています。 頼れる人がいない中、同い年の彼氏は、私のことを父親のように可愛がったり、とても支えてくれています。 将来のことなど、たまに話したり、幸せな未来を想像します。 そのとき、私は、人生の終わりの死まで考え始め、もし、ある朝、大切な彼氏がどんなに起こしても目覚めなくなったらどうしようと、不安と悲しさでいっぱいになりました。 大好きで大切な、家族のような彼氏が私より早く亡くなったら、もう笑いかけてくれないし、話をきいてくれたり、ハグしてくれなくなると思うと涙がとまりません。 人はいつか亡くなりますし、人生の長さも決めれません。 分かった上で、彼氏より先に私が天国に行ければとも考えたのですが、逆に彼氏が悲しむと思います。 絶対に死んでほしくなくて、私がいつも歩道側を歩きます。 ですが、考えつくのは、こうなったらどうしようという、悪い想像ばかりです。   もし、彼氏が先に亡くなったら、私は、この世界で生きていけないと思います。 それだけ、彼は、なくてはならない存在になっています。  今までいろいろ乗り越えてきましたが、彼の死は乗り越えられないと思います。 私の方が先に亡くなる可能性もあるのですが、彼の死に対して、気持ちを落ち着けようとしても、人生経験と、思考が足りず、どうすればいいかわかりません。 どうしたら、この不安な気持ちを落ち着けられますか。

有り難し有り難し 10
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30歳で死にたい。老いに対する恐怖

はじめて質問をします。失礼な所もあるかもしれませんがご了承下さい。 自分は女性で今21歳の大学4年生です。 はっきり言いますと、30歳で死にたいと考えています。 理由はどんどん歳をとっていく不安・老いに対する恐怖です。 20代は若く服もメイクも何かに挑戦するのも気にせず出来ますが、30代・40代につれてできる事が限られてくるし、最も自分が老いる想像がつかないです。 最近では若者はこれからもっと苦しくなる(仕事・年金等)ってのも一理あるかもしれません。 とにかくいろんな不安が混ざってます。 心が年齢に追いついていないのかもしれません。自分はまだまだ精神年齢が浅く子供のようです。 日に日に過ぎていく事に不安や恐怖が募り情緒不安定で食事もあまり摂らなくなりました。 これからくる誕生日も憂鬱です。 元々心配性で何か不安な事があると緊張したり眠れなかったりします。 以前にも、同じように考えた事がありますが時間が過ぎるとすぅーっと気にならなくなりました。 ですが、今回はそうはいかず、考えないように・他の事に集中しようともダメでした。 こんな考えをする事自体可笑しいと思います。でも考えてしまいます。 自殺をするなら首吊りか薬の過剰摂取(OD)にしようかと考えてますが。 希望は安楽死がいいと思ってます。 海外など安楽死制度がある国や州は凄く羨ましいです。日本にも安楽死制度があったら...って何回も思いました。 質問よりは悩み相談みたいになってしまいました。 生きる事とは何でしょうか?老いで得られる事は何でしょうか? 長々と書きましたが、お手すきの際にご教授下さい。

有り難し有り難し 49
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命に対するジレンマ、疑問

看護師をしています。 私は病院で働く中で多くの患者様を見てきました。軽症から重症まで。若い人から超高齢者まで。 その中で、看護師として働くことを諦めるような悩みを抱えました。 ご高齢の方や終末期の方は、死への恐怖というより現在ある痛みや苦しみ、排泄など恥ずかしい部分を他人に見られる羞恥心などから、もう楽にしてくれという方が多くいました。殺してくれとも。 命を救う側の私たちは、目の前の命を救うという責任があります。見捨てることはできません。 しかし、それでも何度も何度も楽になりたい、あちらの世界に生きたい、今自分の意思で生きているのではなく他者に生かされてるだけだと、涙ながらに、そして時には怒りながら訴えられました。 そんな方々を多くみる中で、私は看護師として生きることを諦めないようにお話をする機会もありました。 その中で私は、ここが生き地獄だと思っている人たちを救うことが本当に人のためになるのだろうかと疑問を持ちました。 本人の意思ではないのに、多くの管で繋がれ、ベッドに縛り付けられてまで命を守ることが本当に正しいのだろうかと疑問に思いはじめました。 私はこの疑問に対する自分の中での答えが出ず、看護師を一度完全に辞めました。このような疑問を持つことは、命を救う立場の者としてあってはならないと思ったからです。 世の中には尊厳死や安楽死などの言葉が存在します。尊厳死は、延命治療を無理にせず苦痛を取り除きながら、自然に死を迎えられるようにというものですが、日本の医療の現状としてなかなか行われていないのも事実です。苦痛は痛みだけではありませんし。安楽死などもっての外です。 以上の過程があった上で相談したいことは以下の通りです。 ・生命は大切にしようとよく言われるが、そもそもその考え方はどこから生まれたのでしょうか?生き地獄だったとしても必ず守らなければならないのでしょうか? ・安楽死などの考え方について、仏教の視点からはどのような考えがあるのでしょうか? ・命の大切さという根本的なところが分からなくなっている私は医療従事者として失格でしょうか? 長文で申し訳ありません。 お時間のある際にご回答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 30
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2024/12/04

もう少し強くなりたいです。

お世話になります タイトルのことについてお話しさせていただきます 私は2年前に母を自死で亡くしました 母が亡くなったその時は私自身、新しい仕事場での不安(主に対人関係)が膨れ上がり、軽い鬱のような症状が出てしまったため仕事を辞め転職し、工場での仕事に就く5日前の出来事でした 元々軽い鬱のような症状があったところに母の自死が重なり中等度の鬱病を発症、働けなくなり退職しました 当時は婚約者と同棲をしていたのですが、私が働けていなかったことで母の死の1年後に別れを切り出され、今は実家に戻り父の金銭的援助のもと暮らしています 元カノはしばらくは支えると言ってくれて今年の7月までは連絡をとってくれましたが、好きな人が出来たということで連絡ができなくなり、そこから不安が増していきました 今年の9月にスーパーの仕事に就いたのですが接客(特にレジ)の時に不安や恐怖を感じ、メンタルクリニックに行ったところ不安神経症と対人恐怖症と診断されました そこからはどんどんメンタルが落ちていき、以前、普通にできていたことができなくなっていく、もしくはできるけど不安になるといったことが増えました ですが、自分なりに考え方や日々の過ごし方を工夫して少しずつメンタルを回復させていき、カウンセリングの先生からも「もう大丈夫」という言葉をいただき、まずは負担の少ない派遣の仕事から始めようと思い、派遣で生産管理の仕事を来週からスタートすることになりました しかし、自分の中では相変わらず不安が頭の中をぐるぐるもまわり疲れてしまいます これから始まる仕事のこと(主にコミュニケーションの面)や恋人が見つかるかどうか、最近ではまた鬱病になったらどうしようとかも考えてしまいます 以前なら彼女に話して考え方の軌道修正をできていたのですが、今はいないのではじめのうちは友人や家族に相談していました ですが、私の不安や悩みを友人や家族に話してもまわりの人は私を助けられないというか、どう声をかけていいか分からないのだと思います みんな忙しいこともあり、最近では少し距離を感じています こうした経緯から、自分の中で不安や悩みをうまくコントロールしていくことが大事という結論に至りました しかし、自己肯定感が低かったり今まで良い選択をしてこれなかった自信の無さからうまくコントロールできないでいます 何か良い方法はないでしょうか?

有り難し有り難し 1
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2023/12/14

生きていることが恐いです

今年の夏は、異常でした。でもあれは、今年の夏だけの異常さではないと思います。 今、南半球では、異常な夏が訪れています。私たちの住む北半球でも、30度を超える冬、魚の大量死など、異常な冬の訪れを告げるニュースがあちこちで流れています。 地球が壊れかけています。異常な暑さと、環境の変化による食糧不足、水不足、それらを起因とした人々の争い。これから先の未来を考えると、恐ろししか感じません。 そんな世界に子供を産んでしまったことが、申し訳なくて仕方がありません。自分はもう死んでしまいたいと、こんな怖ろしい世界にいるくらいなら、もういいと思います。でも、そんな恐ろしい世界に親もなく残された小さな子供たちのことを考えると、苦しくてたまりません。 必死で生きてきました。仕事も見つけ、色々ありながらも、家族を養える程度には何とかなっています。でも、これからの大きな変化の中では、そんなもの何もなりません…… 逃げ場はないですし、それでも生きていくしかないと頭ではわかっています。でも、恐怖は、変えられません……。 化石燃料を無駄に使う人を、憎む気持ちすら浮かびます。こんなもの、なくていいじゃないかと、エネルギーの無駄ではないかと思うものを見るたびに、落ち着かない気持ちになります。でも、ヒトが生きていくには、時に「無駄」に見えるものが重要なことも知っています。 こんな状況で戦争なんて、何をやっているんだと思います。個人でできることを必死で探してやろうとはしています。でも、そんなもの何もならないことも、やはり頭ではわかってしまうのです。 こうした不安を、エコ不安というようです。世界でも増えているようですが、無理からぬことだと思います。出口のない、ないことを知ってしまっている、苦しさがエコ不安の難しさだと感じています。 出口がないのなら、しのごの考えずやるべきことだけをやる。分かってはいるつもりですが……苦しいです。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1