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hasunoha 問答検索結果 : 「 悟り 」
検索結果: 2158件

年明けを待たずに死にます

現在、貯金を切り崩して生きています。 このまま稼ぐ手段が見つからなければ死にますが、自分が野垂れ死ぬことには納得がいくというか、客観的な視点で「こんな奴死んだ方がいい」と自分にずっと思いながら生きてきました。 問題のある人格に対して「そんなんじゃ生きていけない」と家族から「厳しくも厳しくもありがたいお言葉」をいただきながら育ちました。結果、その通りになりました。 この世界がうまく回っていて、私だけに問題があるのならばまだ生きる希望がありました。しかし、現実はそうではない。私が生きていてもいなくても、この世界はどんどんと悪くなっていく。そもそも、生きることそのものが欠陥だとしか思えません。 人生は「他人にどう見られるか」が全てです。完全な自給自足ができない以上、何かの手を借りなければなりません。そのためには他人に好ましい印象を与えなければなりません。私はそれができませんでした。 この世界は私が生きようが死のうがどうでもいいものです。生きていられる人間は、「自分を大事にしたい」という動物的本能を疑わないでいられるから生きられるのです。しかし私はその本能こそが全ての苦しみの元凶と憎み、「全ての生命は存在しないほうがいい」という強固な思想に囚われています。これを打ち破る根拠をこの世界に見出せれば良いのですが、その機能が私に備わっている気がしません。何を論じられても、申し訳ないことに、「わざわざ生きる根拠」にはなり得ません。この世界には私よりもずっと有能で賢い人間が沢山いるのに、全生命を安楽に絶滅させる方向に行かないのは、私が決して感じることのできない「それでも生きる意味」があるからなのでしょう。 私の人格や感性が望まれたことなどありませんでした。それとも、関わる人間の誰からも死を望まれながら、殴られながら生きるのが修行でしょうか? 未来を捨て、この世界や他の人間に「生きさせてください」と頭を下げ、心身を削る「労働」を辞めた今が人生で一番安楽です。つまり、私の幸福は死の直前にしかありませんでした。 私の望みは、「物質世界から解放される」「五感、痛覚、あらゆるものを感じる機能を失う」「誰からも観測されない状態になる」こと、つまり、「永遠の死」「存在しないこと」です。そして、これこそがあらゆる生命が目指すべき地点だと思っています。こんなことを考える人間だから生きられないのです。

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慈悲とは、共感、広い心?

こんにちは。仏教の慈悲について考えていたのですが、迷いました。お暇な時に、教えてくださると助かります。 私は最初、慈悲は愛と同じかな?と思いました。愛とは誰か困っている人を見つけたら自分がしてほしいと思うように相手を扱い助けることだ、と助祭から昔教わったんです。それと似た気持ちかなと思って。でも慈悲について過去の記事を読んでいるうちに、慈悲と愛は違うかもしれないと思うようになりました。仏教では周りの人や生き物と自分が皆繋がっている考えがあると感じたんです。それで、まず慈悲とは共感することなのかなと思いました。でも、共感だけではなくて広い心で人の為に祈るような意味もあるのでしょうか。うまく言えないけれど、憐みみたいな....例えば、自分に敵意を持っている人に対して慈悲の心で接するような表現をどこかで見たのですが、それは相手が自分のやっている悪い事に気がついて正しい道に進めるように祈ることかな、と思ったり。あれこれ考えているうちにわからなくなってきました....。 題とは直接関係ないけれど、今月父の一周忌でお坊様のお祈りと共に納骨されていくのを見届けることができました。普段は全然泣かないのに涙が出てきました。悲しいからではなくて、安心したからだと思います。僧侶とはすばらしいお仕事ですね。とても感謝しています。

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飼い猫が事故死し、後悔しています

突然の出来事と後悔で整理がつきません。 3日前に飼い猫を外に出し、いつもなら2時間くらいで帰ってくるのに帰ってこず、一昨日市役所にて引き取られていました。無傷でしたが、おそらく事故死だと思われます。 日常的には庭で紐を繋いで遊ばせていました。たまに玄関が空いた隙に出てしまうことがあり、それでもわりとすぐに帰ってきていました。 13年一緒に過ごしてきましたが、同じ布団で寝てずっと一緒に過ごしてた母が今年の8月に他界し、その後父も施設に入所することになり、猫にとっては毎日いたはずの2人が突然いなくなってしまいストレスが溜まってるのではないかと思い、たまに夜少し紐に繋がず外に出してあげるようになりました。 いつもすぐ帰ってくるし、団地で車通りも少ないから大丈夫だろう、という安易な気持ちでした。 まさかこういうことが本当に起こるとは思っておらず、自分の浅はかさに後悔しています。その出した日の夜、ちょっとだけ猫の鳴き声がしました。今にして思うと、ぶつかったときの飼い猫の鳴き声だったのかもしれません。他の猫と威嚇しあってるのかなと、性格的にわりとすぐ逃げる猫だったのですぐ帰ってくるだろうと思ってました。そんな近くにいたのにもし探しに行ってたら救えた命かもしれません。飼い主の責任として命を守ってあげらることもできませんでした。 最近ようやく、淋しいのか私の部屋で過ごすことも増えた矢先の出来事でした。悲しくて悔しくて、まだ数年は一緒に過ごせた未来があったのかと思うと申し訳なくて涙が止まりません。痛かっただろうか怖かっただろうか、寒いところで一晩も過ごさせてしまいどう償ったらいいのかもわかりません。今は天国で母と過ごしてることを祈るばかりです。

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お経と愚痴

毎朝神棚に祀ってある荒神様と弘法大師様に『おんきんばやそわかー』とお経をあげている上司との接し方についてご相談です。 1日には決まったお寺へお参りに行き、 年に1度は高野山へお参りに、 毎朝毎晩仏壇にはお経をあげている。 自分の親は立派なお坊さんだった、と言う方なのですが… とにかく愚痴が多く、トラブルがあれば人のせい。 どんな些細な事でも自分は全部知っていると思われたくて、 相手の言っている事を全否定し、自分の論を押し付ける。 気に入らないとどのような場面でも怒鳴り散らし、 (銀行の窓口が少し混んでいるだけでも怒鳴り散らし、店長を呼ぶ始末。) 口癖は『金がない』『金持ちはクソみたいなケチが多い』『あいつは○○』←少しでも自分を立ててくれない相手には差別用語。 『何で俺は熱心にお参りしてるのに宝くじ当たらないんだ』 二人しか居ない職場なので、避けるわけにもいかず疲れはててしまいました。 お坊様方、私は、先祖に手を合わせることしかしたことがない者なのですが お経をあげれば愚痴をこぼしても良いものなのでしょうか。 愚痴やマイナスな言葉って、口から出ただけで自分の回りに嫌な空気を撒き散らすだけだと思うんです。 義務感でルーティーンになっているお経を、完璧に覚えてあげることより、手を合わせる気持ちと、何か前向きな言葉を発することの方が よっぽど素晴らしいと思うのですが、どうなのでしょうか。 お坊様方だったら、どう考えてこのような場所で嫌な気持ちにならないでいられますか? どうぞアドバイスをください。 よろしくお願いいたします。

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生きている内は苦しみだけなのですか?

心のままに打っているので失礼な文がございましたら申し訳ありません。 つい先程、私は父親を殺してしまうところでした。 と言っても現実には何もしていません。 朝から小さな事で叱られ、カッとしてしまいました。 父親に化粧道具を投げつけ、台所から包丁を取り出し何度も切りつける想像を何度も何度もしました。 でもその台所には父の朝食を作る母がいました。 いつも母を思うと何もできません。 寂しさと惨めな思いしかしない人生を終わらせたいと何度も思いました。 短気で傲慢な父親や職場の同僚を殺したいと何度も思いました。 でも何十年も短気で傲慢な父親や祖父母の介護に耐えて今の幸せな家庭を築いた母を思うと何もできないまま吐き出せないまま立ち尽くしてしまいます。 母を気にすることができる内はまだ余裕があるのかもしれません。 でもきっと母がいなかったら私は自殺しているか父親を殺していたと思います。 このままずっと苦しみや寂しさを味わいながら何の喜びも味わわないまま生きていかなければならないと思うとこの先の人生が苦痛でしかありません。 今は何も喜びと感じられないのです。 常に寂しさや苦しみが先行してしまうのです。 生きている内は修行だけですか? 死んだ先にだけ幸せ、極楽浄土があるのですか? ほんのすこしのしあわせもないのでしょうか? ほんのすこしでいいんです。

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