hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 不安」
検索結果: 1430件
2022/10/06

家族を失う恐怖について

私の両親は50代で病気もなく健康体です。ですが、私自身「もし両親が急に死んでしまったらどうしよう」というどうしようもない不安を常に抱えて生きています。 先日家族旅行に行き、帰りの空港でもこの旅行が家族での最後の旅行になったらどうしようと考え、1人でこっそり泣きました。また、この空港でのエピソードを友人に面白おかしく話そうとしたところ、その時の感情を思い出して再び泣いてしまいました。 私自身、予想もできない未来に不安を抱いて生きるより、今一緒に過ごせている時間を楽しく過ごした方がいいことは十分理解しています。むしろ私自身もそうやって過ごしたいのですが、楽しい時間を過ごしている時ほど、終わりを考えてしまいます。 私自身、身近な人を失った経験が現時点でない為、人一倍死への恐怖が大きいように感じます。家族との別れを想像しても、乗り越えられる気が全くしていません。小学生の時から20になる今までずっとこの考えで生きてきたので、根本から変えるということは難しいのかもしれませんが、少しでも楽に家族といまこの時間を過ごせるような考え方はないでしょうか、、 お坊さん自身が、ご家族との別れについてどのように考えているかだけでも教えていただけたら幸いです。

有り難し有り難し 23
回答数回答 1

死に時を決める

去年亡くなった愛犬と仲良しだった愛猫が後を追うように病気で亡くなりました。 愛猫は愛犬に会えたでしょうか? 今はもう苦しんでいないでしょうか? そんなことは誰にも分からないことは 理解しているのですが、 心配でしょうがなく、 とても苦しいのです。 この苦しみはどうしたら 和らげることができますか? また、私は学生時代から 自殺願望があり、一時期自殺未遂で 入院したりしていましたが、 現在は立ち直り、一点を除けば まあ普通に楽しく生活しています。 私は飼っている動物たちを みんな看取ったら 死のうと思っています。 そのことについて自分的には 悲しいことだとは 思っていないのですが、 周りの人には理解されません。 もっとも愛する両親を遺して逝くのは あまりに酷い仕打ちだとは思いますが、 両親が天寿を全うするまで この世に留まるのは 私にとってとても苦痛です。 その理由が先ほど述べた 「ある一点」なのですが、 自分の死は怖くないけれど、 愛する人たちの死が本当に恐ろしく 毎日怯えてしまうのです。 例えば家族が出かける前に 「気をつけてね」と言わないと 事故に遭うんじゃないかと 帰ってくるまで不安で ソワソワしてしまいます。 まるで自分で自分に 呪いをかけているようで、 解き方がわかりません。 精神薬や精神科医では 解けませんでした。 そういうことの繰り返しに 疲れてしまいました。 なので、愛するペットたちをみんな 看取ったらもう終わりにしたいのです。 自分の死に時を自分で決めることはそんなに悪いことなのでしょうか。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

母親に次々と病気が。

はじめまして。 母親が入院しています。 腎臓が悪く透析をはじめ、そして先日、子宮に癌がみつかり摘出しました。その後、腹痛が続き再度入院しました。今度は腸に穴が空いている可能性があり、癌が他に転移しているのではないかとのことです。 母親はまだ旅行も美味しいものも食べたいだろうに。そして私の家族に新しい命が秋に誕生することもあり、まだまだ生きたいと思うのですが 今日の説明で最悪はどうしようもなく、骨に転移していたら痛みを伴うと。。。 悲しくて、悲しくてたまりません。 まだそのことを知らない母親がかわいそうで、最初は1週間くらいの入院でしたので、5月には帰れるかな、、一回帰りたいなとつぶやくので、泣きそうなります。 いや、もしかしたら気付いているのかもしれません。それを一人で背負っているのかもと思うと切なくて。 今はコロナ感染の影響で会いに行くことも叶いません。 人の死とは必ず来るものだと思いますが、悲しいですね。 どのように接してあげるのが良いかなど、とても悩みます。不安を少しでも拭ってあげたいです。 まだ身内の死を見たのは祖父の時だけです。一番身近で一緒に生きてきた母親がいなくなるのはやはり嫌です。なんとか少しでも生き延びて欲しい思いと、病気で苦しむなら早く逝かせてあげたい気もしますが、まだまだ気持ちの整理がつきません。 祖父の時は少しでも長生きできないかと、咄嗟に祖父が好きな仏像を病室に届けてしまいました。非常識なのでしょうが、何かできないかと言う思いです。 死を覚悟しないといけないのはわかります。でもどうかなんとか、、、という思いで相談しました。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

死ぬことが、怖い。

私は最近ずっと「死」について考えています。朝起きてすぐ、 「いつかはこの生活も終わる。」 「怖い。」「何も無くなることが怖い。」 などと考え始めてしまいます。 学校に居ても同じです。授業中もずっとずっとそのことでいっぱいです。 「どうせこの人も死ぬ…」 「頭のいい人も悪い人も結局死ぬんだ…」 なんて、縁起の悪いことが頭の中をグルグルしています。 私は、具体的に「死」の何が怖いのか考えてみました。それは、死んだ後の「自分」が「無」になるのではないか、ということでした。 それが怖くてたまりません。調べてみれば「無」になったら死んだことすら気づかないとか、痛みなども感じないとか……恐怖でしかありません。 また、死んだら生まれる前の状態に戻るから何も怖くない。というのですが、私はそれを信じていません。 もうだいぶ前の記憶なのでそれが本当かも分かりませんが、 私の1番古い記憶は砂嵐のような黒い空間で、ピーという超音波のような?ものが聞こえているというものです。この時は眠っているような感覚でした。 私はこれを赤ちゃんの時の記憶だと思っています。 もし、これが生まれる前の感覚なのだとしたら……そう考えるだけで怖いです。 とにかく辛いです。 楽しいことも楽しいと思えなくなり、人が言うちょっとした言葉にさえも敏感に反応して勝手に悲しくなったり。 「明日」が来るのが怖いです。前までは休日というだけでハッピーだったのに今では1秒1秒、時が進んでいくのすら怖いです。 どうしたらこの怖さを取り除けるのでしょうか。 誰にも分からないことへの怖さはどうしたらいいのでしょうか。 後悔しないように幸せに生きろと言いますが、その、「幸せ」さえも心の底から感じなくなってしまいました。 この場合、どうしたらいいのでしょうか。 疑問が多くてすみません。 どうか、回答をお願いします。 この叫びたくなるほどの不安と恐怖が晴れるまで自分は質問していきたいと思っています…… ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1
2024/01/31

鬱になりそう

はじめまして。大学1年生、19歳。 みょんと申します。 私は物心ついた時から希死念慮を抱きながら生きてきました。 母に「私なんて生まれなければよかった。」と、泣き叫んだこともあります。 (その時は幼かったので、母に如何に大切に思っているかを伝えられて落ち着きました。) ここ数年落ち着きを見せていた鬱状態、希死念慮でしたが度重なる多忙、精神不安から再発しています。 ➀サークルの仕事 イベントサークルに所属しておりSNS運営や画像作りを担当しているのですが 大学祭のイベントの投稿2週間分を前例のない状態で作り上げたこと。 ミスコン団体のイベントのポスター、SNS投稿作り、リハーサルを同時並行で行ったこと。 ➁疎外感 サークルや友達と居ても疎外感を感じてしまい、寂しい思いをしていること。 ➂アルバイト アルバイトの仕事で仕事を教えてもらえない、お局様からのいやみなどで電車に乗れなくなり アルバイトに行けなくなって辞めてしまったこと。 バイトを変更して、新しいバイト先になったはいいもののよく体調を崩してしまうこと。 (理解のある職場で体調不良時も優しくしてくださいます) ➃ホームシック 田舎から出てきたホームシックで都会の喧騒に疲れてしまい、家に篭りきりな事。 同棲している彼氏にこのままでは壊れる、と言われてしまいました。 私もそう思います。 どうしたら心が保てるでしょうか。 来年度からはサークルが自分たちの代になること、 現状5人程度で運営するミスコン団体の幹部になりタスクが増えること、 彼とうまくいかなくなってしまったら など、不安要素が沢山で毎日苦しい、頭が痛い、希死念慮で溢れる日々です。 どうしたら前向きに過ごせるでしょうか。 長文失礼いたしました。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1
2023/10/15

親が死ぬ時、どう受け入れればいいのか

私25歳、妹23歳、両親64歳です。 社会人で一人暮らしを初めて両親の有難さに気づきました。 長年の不妊治療の後産まれた私は何の取り柄もなく、今までの迷惑と心配をかけてきた申し訳なさもいっぱいで、日々両親の健康と幸せを願うばかりです。 実家に帰るたびに、両親の白髪の多さや縮んだ背丈など、老いに気づく場面が多くなりました。ぱっと思い浮かぶ両親の姿は、背が高くて見た目も声も若い昔の姿です。ランニングが趣味だった父も「すぐ疲れる」と外出が少なくなりました。「私が死んだら食器あげるわ」「次元号変わるときはもう生きてないわ」と笑顔で話す両親の会話でも泣きそうになります。そうやって老いて死に近づいていく状態をみるのが辛いです。 昨年祖母が亡くなりました。身内の死は初めてです。 今でも祖母に会いたいと一人で泣くこともあり、祖母も祖母の家もなくなって悲しく寂しいです。 恥ずかしながら、祖母の死で改めて家族の大切さや感謝を感じました。 祖母が亡くなってこんなに悲しいなら両親が亡くなる時、受け止められる覚悟はできるのか?もし結婚して自分の家庭を持っても両親のいない長い人生を生きないといけないのか?と思ってしまいます。 「誰も死んでほしくない。健康のままずっと生きてほしい」と子供みたいに、大切な人が死ぬという現実から逃げたい気持ちでいっぱいです。 命に終わりがあるのはわかってますが、家族の死にどう向き合って立ち直ればいいかわかりませんし、受け止められる覚悟ができません。 両親が死んだらきっと悲しみで気が狂うだろうから自殺したい。でも大好きな妹のことを思うと自殺もできません。 また、介護施設で認知症の方の対応をしていたのを思い出し、両親が認知症になって私や妹ものことを忘れたら…という怖い気持ちもあります。 どうやって大切な人の死を受け入れて乗り越えたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

親が死ぬのが怖いです。

私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。 親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。 私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。 大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 89
回答数回答 3
2022/12/21

多忙で坐禅会に行けない・無意識下の恐怖

お世話になっております。 以前より、死の恐怖が強い事について相談している者です。 今回は、坐禅会に行く事以外の方法で、無意識下の死の恐怖と生きていることの気持ち悪さを抑制できる方法があれば教えて頂きたく質問致しました。以下、詳細です。 自分の不安一つ一つに暖かなご回答を頂き、今は「頭でっかちになりすぎず、坐禅会などを通して身体で仏道を学ぶ」ことを教えて頂き、実践したいと思っていました。 しかし、多忙のあまり、一度も坐禅会に行くことができていません。また今後も、先1〜2ヶ月ほど予定が詰まっています。 にもかかわらず、死の恐怖がまた、日に日に強くなっています。特に睡眠後一時間程度で、本当に急に「私は私の身体から逃げられないのだ、いつか死ぬ、死んだらどうなるか分からな、死ぬ現実から逃れられない」と思い出し、自分の叫び声で目が覚めます。夢現のせいで、意識的に考えないようにすることができないため、本当に毎日起こり、それが怖くて眠れなくなり…の悪循環です。これが2〜3ヶ月続いていて、心身ともに参っています。 空き時間に、お薦めしていただいた本を読んだりyoutubeを見たりはしていますが、それを観ている時は少しだけ心が落ち着くのですが、夢現の時の恐怖は抑制できません。お念仏も同様です。また、お念仏の動画を流しながら寝れていた時期もあったのですが、最近はお念仏が切れるとむしろ起きてしまうようになったため、こちらも上手くいきません。 毎日死の恐怖を嫌でも思い出すので、昼間も、自分の手が一人称視点でしか見れない事にふと気がついて、いつか消滅する身体や、死そのもの、それに伴う記憶の消失を強く自覚し、生きているのが気持ち悪く、恐怖で叫ぶ…といった具合に、「生きている事」も肯定できないのです。だから、生きているだけでつらいです。 前置きが長くなり申し訳ございません。 上記したような状況から、少なくともあと1〜2ヶ月ほど、適切な坐禅会などに参加できない中で、「睡眠時の無意識下の恐怖」と「昼間の生きている事の気持ち悪さと恐怖」を少なくする方法について、アドバイスを頂きたいです。 お時間ある時で構いませんので、ご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1
2022/11/04

楽観的な生き方が出来ません。

人生を深くとらえすぎてしまい、最近なかなか心から楽しめません。あまりに考えすぎてしまい悩んでいます 私はよく、戦争の記事を読みます。 自分と同じ世代の子どもたちが、人間魚雷に乗り、しぬと分かっていて突撃しに行くことが、自分だったらどうかと感情移入しすぎてしまい、家族を思い嗚咽するほど泣いてしまうことが多々あります 特攻隊の方の手紙・遺書をよみ、なぜ何の罪もない人間が、罪深き別の人間に殺されなければならないのか。大切な家族がいて、まだ若いのに家族や恋人を残し、自ら突撃した時の痛み・苦しみを考えるだけで、苦しく、涙が止まりません 自分は普通に生きているけれど、何かに立ち向かう勇気もないし、辛いとすぐ逃げる。そんな自分が心底嫌いです。自分のかわりに生きて欲しかったと思ってしまいます 数年前、学校で被爆者の方の体験談を聴きました。どれだけ月日が過ぎようと傷は消えず、皮膚が少しでも張ると激痛が走るそうで、毎日体重計に乗り管理しているそうです。 地獄のような苦しみの先に命を落とした人も、地獄を経て生きている人も、どれほどの苦しみ・不安・憎しみ・痛みを感じていたのかと思うと、辛くてたまりません。 自分だったらと思うと恐怖で震えてしまい、なかなか寝つけなくなることもあります。 最近、North Koreaの映画を見ました。 人間としての扱いを受けれない人間が今も山のように、この同じ空の下にいると知りました 脱走がバレれば拷問。処刑。脱走しなくても強姦。妊娠。公開処刑。強制労働。餓死。劣悪な衛生環境。病死。それも、大切な家族や友人がされている、苦しんでいる、死んでいく様子を見る。 これ以上に辛いことがあるかと。 自分は、人生結局なんとかなるから大丈夫。や、どんなときも希望をもて。などの名言がとても好きだったのですが、もうどうでもよくなってしまいました。ただの綺麗事だと。 「俺たち、食ってトイレして働いて寝て。なんのために生きてんだ?」と、強制労働者の子の言葉がささりました。 100年前後の人生。私たちは何をしているのか。生きる意味は?頑張る意味は? 19歳で、こんなことを考えすぎて、空虚な、抜け殻のような自分になってしまいそうです。 自分だったら、家族だったらと恐怖に脅え、何も楽しめません。 当事者でもないのに苦しいです。 どうすればよいですか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1