従兄弟の娘が亡くなりました。 もうすぐ2歳になる女の子でした。4歳のお兄ちゃんもいます。 明後日お葬式があるのですが、自分の息子たち(4歳男、3歳女)を参列させるべきか迷っています。 私の両親は無理に参列させなくてもいいのでは、と言っていますが、あまりに突然の死で、絶望の淵に立っているであろう当人達のことを考えると、子供達と一緒に悲しんであげたほうがいいのでは、と私は考えています。 これは私のエゴなのでしょうか?
死とは苦しみからの旅たちなのですよね? 死んだら無になるのですか? 残された人は苦しみが増しますよね。 それは亡くなる人にとっても苦しみなのではないのですか? ということはやはり死ぬことは苦しいことなのではないですか?
お世話になります。 救われるや、救われたいなど、それは どういう状態なのでしょう。 私が救われた状態って、どんな状態? 今の苦しみは、逝ってしまった娘の事。 もし、目の前に現れてくれたら もし、あの日の続きができたなら だけど、その「もし」はありません。 私が死ぬまでありませんよね。では、生きてるうちは救われないのでしょうか。 時々惨いニュースを見ると、もしあの日 娘の自死を思い止める事ができていたなら、それは、娘を救った事になったのだろうか。 こんな生きにくい世の中で、生きたくないと願った娘を、無理やりこの世に留めることは、娘を苦しめただけ。生きて欲しいと願うのは、私のエゴだったのかもと思えるのです。 私はこれまでに、病気や事故に合いそうになり、回避できたことを、ラッキーだと思っていました。私って運がいいって、感謝していました。 でも、あの時死んでいれば、こんな辛い思いをしなくてすんだのにと、悔やんでしまいます。 動物や草花のように、生きる意味とか、理由とか考えないで、その日その時が来るまで、自分のできることをして、過ごせたらなあと思います。そう思うのに、この頭はごちゃごちゃ、考えて苦しんでしまうのです。 生きてるうちに、楽になる方法。 娘に会えなくても、悲しくない方法。 何かないですか?
10年前 私が20代半ばの頃です。約2年半程 交際していた方が自ら命を絶ちました。当時は 悲嘆に暮れ 絶望感と今までに経験したことのない喪失感でいっぱいでした。 私の言動や行動が 彼を追いつめたのではないかと思い自責の念にも苛まれました。 彼に対して 『何故、どうして?』という気持ちがいっぱいで溢れそうになり 時にはそれが『なぜ私をこんなに悲しませるの』と、怒りになることもありました。 彼がいなくなってからも 私の日常は変わらずにあり 泣いてばかりもいられませんでした。半年も経てば 彼がいない生活にも慣れてしまいました。亡くなってからの一年間は 周りに心配をかけまいと 必死に毎日を過ごしていたように思います。楽しいことがあれば普通に笑えたし、その一方では 死にたいと考えてしまう自分がいたり。今思えば、 常に両極端な緊張感の中にいるようでした。結果 糸がプッつり切れてしまい休職するに至りました。 『時間が経てば癒される』と よく言いますが、三回忌を過ぎた頃からは 彼がいないことに対して寂しくて泣くことは少なくなりました。あんなに毎日の様に彼のことを考えていたのに 自分のやるべきことに追われ忙しい日常にいると すっかり彼のことは忘れていましたし、それでいいのだとも思っていました。しかし そう簡単に割り切れる訳もなく、 少し疲れていたりすると 決まって彼のことを思い出しては悔やんでいる自分がいたのも確かです。 七回忌が終わった頃には 私自身も 歳を重ね 彼の自殺の原因を考えるより 彼が亡くなった意味に想いを巡らせる様になりました。 歳月が流れて 私の気持ちにも沢山の変化がありました。時間はかかってしまいましたが 私なりには彼の自死を消化してきたつもりです。しかし、10年が経とうという今でも あの当時の喪失感だけは拭えません。新しい誰かと未だに向き合えない自分がいます。 また、物にも あまり執着しないようになり、とにかく身軽でいたいと年々 思うようになりました。彼以外にも この数年に大切な家族を立て続けに亡くしたことも かなり堪えています。 すっかり 自分の進むべき道を見失ってしまいました。生きることに執着がない自分自身にも とても不安になります。何か新しく手に入れたり 出会いが生まれれば、そこから貪欲になれるのでしょうか?
約2年前、まだ2歳の愛犬を一時的な感情で殺してしまいました。 父母や友人には突然死したということにして火葬をしお骨を持って、家に一緒に帰ってきました。 殺してしまった理由は、愛おしかったはずの愛犬の存在がいつの間にか自分の人生で邪魔な存在として捉えるようになり、もう育てきれないと感じていたので里親に出すことも考えましたが、家族に反対されたため、もうどうしたらいいかわからずパニックになったからです。 私がイライラして愛犬に何度当たっても、いつも全力で私の存在を喜び、尻尾を振り構って構って、と近づいてくる子でした。 亡くなったとわかったとき、自分でしたことなのに、愛おしかった存在の死に悲しくてこの世の終わりのようで、涙が止まらずなぜあんなことをしてしまったのか後悔という言葉では片付けられないほどで、一日中泣きわめきました。 これから一生かけて償っていきます。 愛犬に恨まれることもわかっています。 この先の人生、私に殺された愛犬と同じ苦しみ、それ以上の苦しみや痛みを感じて生きていくことも覚悟しています。 私はこれからどう生きていくべきでしょうか。
はじめて質問させていただきます。よろしくお願いいたします。 私は、何のために生きているのか分からないまま生きています。これと言った夢もなく、恋愛もできず、ただ時間だけを重ねて50歳になりました。 「せめて死ぬまでには」と思っていましたが、それまでの時間はあまり長くはないそうです。進行ガン。5年生存率は28%。 それを知らされてもショックはありませんでした。執着するモノがないからだと思います。 病気になったことより、自分の人生の虚しさが悲しいです。50年も生きてきて、執着するモノがないのです。残りの時間に何をしたいのか、何のために治療をするのか、この期に及んでも私には分かりません。 このまま時間を無駄にして終わることになりそうです。こんなの人生に、なんの意味があるのでしょうか。 自分自身で答えを見つけるべき問題なのでしょうが、あまり時間がなさそうなので、ご助言をいただきたく、よろしくお願いいたします。
はじめまして。 5月に16年連れそった愛犬を亡くしました。 しかしその後迎えた子犬2匹のうち、1匹を不注意で亡くしてしまいました。 どんなに悔やんでも詫びても、毎日申し訳ない気持ちで遺骨に土下座して謝っては号泣して自分を殴ったり自傷行為をしてしまいます。 どうしようもないのに私が死ねば良かったとか自分を責めるばかりの毎日です。 午前中のパートには泣きはらした目を拭って、気持ちを奮い立たせて行ってます。 過失死させといて自分の辛さばかり… 勝手な人間です。 自分が憎いです。 消してしまいたいです。
先日喧嘩した友人のことが許せず、怒りが収まりません。 いろいろと準備が必要な約束をしていたのですが、彼氏を優先され前日の夜にドタキャンされました。それに私が怒ったことに対して友人も怒り、喧嘩になりました。 約束というものの重さや人間関係の優先度に差があることは理解していますが、とても楽しみにしていたし、最近仕事で昇進し疲れ切っていたこともあって、どうしても彼女のことが許せませんでした。 なんとか気力を振り絞ってこちらが悲しかったことも伝えようとしましたが、友人は自分は何が悪いのかわからない、あなた(私)の対応がショックだ、と自分のことばかりで、私がその友人を許せない以上、関係は続けられないのだなという結論になりました。 10年以上の付き合いのある親友だったので、約束を軽く扱われたこと、悲しかったことを伝えてもこちらを一方的に責めてくる姿勢、関係性を保つ努力を彼女がしなかったことが悲しく、怒りがおさまりません。 私は価値観の違う人を必要以上に認めないと指摘されました。わかっていて10代の頃から自分を変えようとしてきましたが、いい加減疲れてきました。 親友を許せない自分を責める気持ちも強くありますが、許せるように変わろうとすることにも疲れてしまって心の行き場がありません。 自分も親友も許せない私はどうしたら良いでしょうか。ご回答お待ちしております。
普段から心配性な性格をしているのですが 夏の疲れが溜まっていたのか、いつもなら気にしない母のうっかりミスや悲しいニュースで強いショックを受けてしまい そこから還暦過ぎた両親が認知症になってしまったら、私自身が癌になってしまったら、身内が死んでしまったらと 暗い妄想ばかりが頭から離れなくなってしまいました。 特に裕福ではなく伴侶もいませんが、ありがたい事に衣食住に困らず人にも恵まれています。 仏教では老い、病、死は避けて通れず諸行無常と言われていますね。 けれど私は周りの人達に辛い事が降り掛かって欲しくなくて、不安な気持ちが離れなくなりました。 全ては変わっていく事、考えてもどうにもならない事と頭では分かっていても、心が拒絶するのです。 未来が怖くて仕方ありません。 幸せな状態のまま全てを終わらせたい、など極端な考えまで出てしまいます。 私がこんな悩みを抱えていると知ったら、親も親戚も友達もとても心配してしまいます。 なので誰にも打ち明けられず、ここで相談させて頂きました。 いずれ訪れる老いや病、死や未来に対する不安にどう向き合ったり、捉えたりしたら良いか どうやったら未来を明るいものとして考えられるか お坊様のアドバイスを頂きたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。
このサイトに出会い、死のことを考える(死の恐怖を考える)のを少しずつですがやめることができた者です。 お坊さんのありがたいお言葉をいただき、今を全力で生きることに集中しています。 ただ、一つもやもやしたものがあります。 子供を産むことです。(男なので産むは適当ではないかもしれませんが便宜上) 近い将来、結婚する予定であり、これまでは漠然と子供も欲しいなあなんて思っていました。 ただ、改めて死のことなどを考えた時、自分の子供にその恐怖や苦しみを与えることになるのだと気づき、子供を産むことは酷いことではないかと思い始めました。 仮に子供が死というものを考えず、前向きに人生を過ごしてくれたとしても、最後は辛く悲しい死という結末を迎えます。 いつか死ぬ存在を自らが産み出すのは、恐ろしいことではないか、そう感じて仕方がありません。 極論、人類繁栄の放棄につながるので危険な考えだとは思うのですが、やはり個人という存在に目を向けた時、上記の考えが捨てられません。何かよい発想の転換はないでしょうか。
度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。
正直な所、私が殺してしまったようなものです。 幼い頃から犬が欲しくて、小学生の頃にようやく飼うことができました。 犬がシニアになった頃から大きな病気をいくつも患うようになり、この子の為になるように勉強し、動物病院に勤めました。 犬の体調が悪い時は同伴出勤し、入院した時も長く一緒にいられるように8時に出勤・22時過ぎに帰宅したり、特別に医療機器を持ち帰り自宅でも治療をしておりました。 ですが、勤務先でなくかかりつけ病院で大手術を受け見た目が大きく変わった為、職場の方に根掘り葉掘り聞かれるのが嫌で、その後同伴出勤することはなくなりました。 1番苦しいのはこの子なのに、向き合うのが嫌で家に帰るのが辛くなり、夜遅くまで帰らなかった時期もありました。 ある日の朝、犬の食欲が無く体調が悪そうだったのですが、仕事から帰宅後の様子次第でかかりつけ病院へ行こう考えておりました。 深刻さは理解しておりましたが、今までも何度かあったしきっと大丈夫だと思い出勤しました。 この時に職場の人の目を気にせず同伴出勤するべきだったと後悔しています。 まもなく定時になるという頃に、家から職場に連絡が入り、犬が亡くなっていたと知らされました。 家族は仕事や学校でしたので、犬は最後の瞬間もひとりでした。 家には粗相の跡があり、体も汚れ食餌もできていない状態。 孤独で苦痛に耐えていたのかと思うと苦しい気持ちになります。 家族が帰宅し犬を見つけた時、最後の力を振り絞ったのか、一声だけ鳴いたとのことです。 私は連絡を受けた後直ぐに帰宅しましたが、最後の瞬間に立ち会うことはできませんでした。 死後硬直しかけている少し温かい感触を覚えています。 やりたいことを全て楽しんでから後を追おうと考えていましたが、来年も花火を見たいなど欲が出てしまい、後を追うことをやめ数年が経ちました。 ここまて長々と書き連ねましたが、結局は「私はこれだけ頑張った」とアピールしたいだけ。 誰かに「あなたのせいじゃない」と言って欲しいだけなのかと思います。 最愛の愛犬を殺しておいて、自分だけ救われたいだけです。 犬の死にどう向き合い、自分の気持ちにどう折り合いをつけるのが正解なのでしょうか。 いつか、また犬を飼うことは許されるのでしょうか。 貴重な時間を割き、最後までお読み下さいましてありがとうございました。
医療福祉の仕事をしています 仕事柄お看取りの場も幾度となく経験してきました。 また お看取りの場には立ち会わなくても「また明日」が通用しない方々と多数接してきました。 通夜葬儀に参列する機会も同年代異職種の友人達よりは遥かに多い現状です。 いつからとも無く、どれ程深く関わっていた方であっても「死」という状態に接した時悲しい、寂しいという感情を失ったような気がします。 同僚等は通夜葬儀で涙を流して遺族の方と話をしています。 私にはそれが全く出来ないのです。 仕事で関わった方に対してだけなのかとも思っていましたが、親族のその場でも全く悲しい寂しいという感覚が沸かなくなっていた自分がいました。 居なくなること、いなくなったことに対して虚無感喪失感はそれとなく覚えるのですが、何故だか感情が何一つ湧いてこないのです。 感情が無くなったのか、それとも「死」というものに慣れすぎたのか。 通夜葬儀の場に行くたび、泣くことの出来ない自分に嫌気がさします。 こんな私でも仏前に手を合わせる資格はあるのでしょうか
お世話になります。 今すぐに死にたい、ということではないのですが、 私は、かねてから「自殺してはいけない理由」が分かりません。 遺族や他人に迷惑をかけるから、というのは理解できます。 しかし、生きているほうが周りに迷惑をかけてしまう者もあると思うのです。 私は同性愛者で、家族や伴侶はおらず、 将来、いわゆる無縁死や孤独死を迎えるのは、 ほぼ間違いないと考えています。 交通事故に遭うなどすれば別ですが、 そうそう都合よく、ぽっくりとは死ねないでしょうから、 体力が衰え、あるいは何かしら病を患うようになった頃からは、 例えば地域の民生委員や、市の高齢福祉課などに、 多少なりとお世話になってしまうでしょう。 そのような方々の手を煩わせ、 また、一般の方々が収めた税金を費やすべき価値が、 私の死にあろうはずが無いのです。 さらに、私は低所得者で、蓄えもございません。 つまり、死を迎える年齢の頃には、 金は無いわ身寄りは無いわ、 ただただ扱いづらいだけの年寄りになるのは、目に見えています。 これで認知症を患おうものなら、さらに厄介な存在となるでしょう。 だから、まだ体や頭が動くうちに、 無価値な自分自身に、落とし前をつけたいと考えてきました。 こちらの相談サイトで、 自殺を肯定するアドバイスなど頂けないのだろうと思います。 では、こんなクズでも生きていかねばならない理由を、 私に教えて頂けますでしょうか。 宜しくお願いします。
私は長く高齢者施設で働いています。施設では医療行為は行えず、死を待つだけ。 昔は床の間の畳の上で看取りをしていましたよね、施設とは云え同じように職員が看取っていくのです。 人の生きる姿を見るときは、死はまだまだ遠い先に見えるものなのです。しかし死へ向かう姿を見るときは目先に見えるものです。私たちはどのように送り出せばよいのか、心を痛める瞬間が多いです。何もできない。わずかな時間手を握ることそれだけです。それ以外の時間は業務です、体を拭いて・点滴をして・清潔な環境・シーツ交換・栄養補給…。 私は人の死に向かって生きる姿・死を前にされている方にどんな手が差し伸べられるでしょうか。
駄目な父親です。やはり子供を作ってはいけない人間だったと思います。 不登校気味の息子からある日ポツリと「高校辞めたい」と言われました。 私と妻はせっかく一生懸命勉強して入った高校なんだからもう少し頑張ってくれないかと返しました。 これが、最後の会話になりました。 遺書には勉強についていけない。親の期待と周囲からのプレッシャーが辛いとのことでした。 今思うともう少し頑張れという台詞はただ世間体を気にしての台詞だったと思います。 私は自分の子供のことを何も分かっておらず、知ろうともしませんでした。 意図しない妊娠に責任を取るような形で籍を入れました。ですから妻、子供共に関心があまり持てませんでした。 しかしそれでも多少の愛情は持っていたつもりでしたが、心の芯の部分で愛してはいなかったんだろうと長男が死んでようやく気付きました。 長男の死から2か月、憑き物がはれたかのように妻に対する親しみもすっかり薄れてしまい別れるつもりですが、自分の子供を殺した父親ということがとても重いです。 これから新しいパートナーと生きていくにあたっての助言やご一喝をいただけますでしょうか。
愛する人を亡くしました。 進行の早い病気で、でも希望を捨てたくなかったので、治療がうまくいく前提でしか話をしていませんでしたが、結局は…。 こんなことになるなら、もっと彼に対する感謝の気持ちを伝えたかったという後悔の思いばかりです。 私は、魂とか輪廻転生というようなことを信じています。 人は亡くなった後、49日までは魂がこの世にいるのですよね。だとしたら彼の魂は家族のところにいるのでしょうか? 私は彼の家族ではありません。 彼は天国に行けるでしょうか。 家族を大切にしている人でしたが裏切っていたことには変わりないので、それは“悪いこと”であり、天国には行けないのでしょうか…。 また、愛する人の死を“乗り越える”とはどういうことなのでしょうか。 彼が亡くなって以来、頭ではわかっているものの、気持ちがついていけません。それでも私は普通の生活を送るしかなく、自分は何をしているのだろうという気持ちになったりして、どうしたらいいのかわかりません。
私は4歳の時に父を自死で亡くしました。なぜ、父がその道を選んだのかは母にも見当がつかずわかりません。私は幼いながらに、普通の亡くなり方とは違う、ということも気づいていました。 成長する中で、仲のよい友達や周りの人にも父の話題になった時には、やはり自死とは言えず、いつも「病気でなくなった。」と本当のことは言えませんでした。大人になったいまでも、後ろめたい気持ちで、なかなか本当のことは言えずずっと偽り続けているようで、苦しくなる時があります。自分の子供にでさえ、話せない自分がいます。 自死を選ぶ人にも本人にしかわからない理由はあるのだと思います。でも、遺された家族もまたその理由を探し、もがきながら生き続けていきます。だから、自死はやっぱり悲しい選択です。自分が結婚し子供を持って、改めて強くそう感じるようになりました。 世の中には、私のように本当のことを話せず、生きていかなければいけない人もたくさんいると思います。そんな人達が、ほんの少しでもスッと肩の力がぬけるようなお手伝いが何かできないかと日々感じております。私にできることはありますか?
2日前に、ゲーム関係でネット上だけで遊んでいた友人が癌で亡くなったと、別のゲーム友達から聞かされました。 私は20代後半で、亡くなった友人は私の10個上でした。 この歳で友人との死別を経験するとは思ってもいなくて混乱し、ゲームをして楽しかった日々やTwitterなどで会話していた事を思い出してとても悲しく、胸が張り裂けそうです。 ネット上だけでの関係だったので、主人にはこの件を話しましたが、親には話せていません。本当はこんなことがあって苦しいと言いたいです。それを堪えて親の前では元気に振る舞っているのが今はとても辛いです。 この事があってから、夜、睡眠薬を飲んでいてもなかなか寝付く事ができなくなりました。眠れないのは私の持病にとって悪影響なのできちんと眠りたいです。 でも、寝ようとすると動悸がしてなかなか眠れません。 実際会ったことのない人なんだからと割り切れられればいいのですが、こんなの亡くなった友人が可哀想ですし、忘れたくない大切な友人だったからこそ割り切れません…。 友人との死別はどうやって乗り越えていけばよいのでしょうか。今でも涙が止まりません。 混乱していて、支離滅裂な文章だったらごめんなさい。
介護の職場について早13年…。 こういう仕事ですので、 終末期や急変等で亡くなる方を 看取る事があります。 自分は、他の職員からすると、 看取ってきた回数は多いほうだと感じています。 今月に入って、夜勤中に 急変の方がお一人、終末期の方をお二人看取ってきました。まれにみる多さだと感じています。 自分としては、人が亡くなる事は悲しい事ですが、最期の時、家族でもない自分を選んで頂いたと感謝しています。 先日、亡くなった方を見送り、職員が出勤して来た際に「また◯◯君の夜勤の時?」と数人から言われ、とてもショックを受けてしまいました。 あたかも、自分が夜勤の時に、不幸な事が起きていると言われてるようで…。 人が亡くなる事って、そんなに悪い事でしょうか? よろしければ、お聞かせ下さい。 宜しくお願いします。