お世話になっております。 以前より、死の恐怖が強い事について相談している者です。 今回は、坐禅会に行く事以外の方法で、無意識下の死の恐怖と生きていることの気持ち悪さを抑制できる方法があれば教えて頂きたく質問致しました。以下、詳細です。 自分の不安一つ一つに暖かなご回答を頂き、今は「頭でっかちになりすぎず、坐禅会などを通して身体で仏道を学ぶ」ことを教えて頂き、実践したいと思っていました。 しかし、多忙のあまり、一度も坐禅会に行くことができていません。また今後も、先1〜2ヶ月ほど予定が詰まっています。 にもかかわらず、死の恐怖がまた、日に日に強くなっています。特に睡眠後一時間程度で、本当に急に「私は私の身体から逃げられないのだ、いつか死ぬ、死んだらどうなるか分からな、死ぬ現実から逃れられない」と思い出し、自分の叫び声で目が覚めます。夢現のせいで、意識的に考えないようにすることができないため、本当に毎日起こり、それが怖くて眠れなくなり…の悪循環です。これが2〜3ヶ月続いていて、心身ともに参っています。 空き時間に、お薦めしていただいた本を読んだりyoutubeを見たりはしていますが、それを観ている時は少しだけ心が落ち着くのですが、夢現の時の恐怖は抑制できません。お念仏も同様です。また、お念仏の動画を流しながら寝れていた時期もあったのですが、最近はお念仏が切れるとむしろ起きてしまうようになったため、こちらも上手くいきません。 毎日死の恐怖を嫌でも思い出すので、昼間も、自分の手が一人称視点でしか見れない事にふと気がついて、いつか消滅する身体や、死そのもの、それに伴う記憶の消失を強く自覚し、生きているのが気持ち悪く、恐怖で叫ぶ…といった具合に、「生きている事」も肯定できないのです。だから、生きているだけでつらいです。 前置きが長くなり申し訳ございません。 上記したような状況から、少なくともあと1〜2ヶ月ほど、適切な坐禅会などに参加できない中で、「睡眠時の無意識下の恐怖」と「昼間の生きている事の気持ち悪さと恐怖」を少なくする方法について、アドバイスを頂きたいです。 お時間ある時で構いませんので、ご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。
はじめまして。 今まで誰にも話していないことです。 だいぶ前から、自分の中にうっすらと希死念慮があります。 これをどうしたらいいでしょうか? 生きる希望や拠り所になるものがなくて、ずーっと不安でした。 でも、極力それを表に出さず、まともでしっかりした人間であるように振舞ってきました。 転職、実家からの独立を目指してここ数年がんばってきました。 それらを達成して落ち着くと、頭が暇になって、余計なことを考え始めました。 最近始めた婚活が不調なこともあり、心が不安定な状態に傾きそうで怖いです。 ただ安心して毎日を過ごしたいのです。 心が満ち足りて不安がない、という状態になってみたいのです。 アドバイス頂けたら、幸いです。
教えてください。 私は二年ほど前から不安障害を患っています。 何かと挑戦はしてきたのですが、中々良くなりません。 そして色々考えます。命に意味はあるのでしょうか。 不安障害が良くなったとしても、老いてまた他の病気、事故などで、苦しみ死んでゆく。 スピリチュアルな考えでは、人は自ら望んで生まれ、望んだ人生を歩んでいるとか。 幼くして、天災、人災、病気などで、悲惨極まりない運命を辿る人間が実在します。 悲惨極まりないと捉え、運命に抗おうとする心がエゴで諦めるというのが仏教なのですか? 僕は馬鹿で我が儘でどうしようもない人間です。 良い年をして皆が最低限幸せに生きられたらなんて幻想を抱いています。 こんな考えを抱くのも恵まれた環境で育ったからだとおもいますが。 宇宙は何故人に心を持たせたのでしょう。 偶然の産物なのですか? 何故と問うことにすらもう意味はないのですか? 気にしすぎだと言われます。不安障害だからかもしれません。しかし、この問題を乗り越えないと私は心から笑えません。目を背けても何れ死は訪れる。
人生を深くとらえすぎてしまい、最近なかなか心から楽しめません。あまりに考えすぎてしまい悩んでいます 私はよく、戦争の記事を読みます。 自分と同じ世代の子どもたちが、人間魚雷に乗り、しぬと分かっていて突撃しに行くことが、自分だったらどうかと感情移入しすぎてしまい、家族を思い嗚咽するほど泣いてしまうことが多々あります 特攻隊の方の手紙・遺書をよみ、なぜ何の罪もない人間が、罪深き別の人間に殺されなければならないのか。大切な家族がいて、まだ若いのに家族や恋人を残し、自ら突撃した時の痛み・苦しみを考えるだけで、苦しく、涙が止まりません 自分は普通に生きているけれど、何かに立ち向かう勇気もないし、辛いとすぐ逃げる。そんな自分が心底嫌いです。自分のかわりに生きて欲しかったと思ってしまいます 数年前、学校で被爆者の方の体験談を聴きました。どれだけ月日が過ぎようと傷は消えず、皮膚が少しでも張ると激痛が走るそうで、毎日体重計に乗り管理しているそうです。 地獄のような苦しみの先に命を落とした人も、地獄を経て生きている人も、どれほどの苦しみ・不安・憎しみ・痛みを感じていたのかと思うと、辛くてたまりません。 自分だったらと思うと恐怖で震えてしまい、なかなか寝つけなくなることもあります。 最近、North Koreaの映画を見ました。 人間としての扱いを受けれない人間が今も山のように、この同じ空の下にいると知りました 脱走がバレれば拷問。処刑。脱走しなくても強姦。妊娠。公開処刑。強制労働。餓死。劣悪な衛生環境。病死。それも、大切な家族や友人がされている、苦しんでいる、死んでいく様子を見る。 これ以上に辛いことがあるかと。 自分は、人生結局なんとかなるから大丈夫。や、どんなときも希望をもて。などの名言がとても好きだったのですが、もうどうでもよくなってしまいました。ただの綺麗事だと。 「俺たち、食ってトイレして働いて寝て。なんのために生きてんだ?」と、強制労働者の子の言葉がささりました。 100年前後の人生。私たちは何をしているのか。生きる意味は?頑張る意味は? 19歳で、こんなことを考えすぎて、空虚な、抜け殻のような自分になってしまいそうです。 自分だったら、家族だったらと恐怖に脅え、何も楽しめません。 当事者でもないのに苦しいです。 どうすればよいですか。
死が怖いです。大切な人や自分がこの世からいなくなる、どうなるか分からないことへの不安と恐怖で毎日ぐるぐる考えては1日を無為に過ごしてしまいます。 こんなに怖いなら生まれなきゃよかったと思うし、自我が芽生える前にしんでればよかったと考えてしまいます。 二十数年間生きてきて、大切なものも増えてしまいました。それらを失うことも怖いです。 朝目が覚めるだろうか、この車は私の元に突っ込んでこないだろうか、大きな事件や災害が数秒後に起きるかもしれない、目を離したとき愛犬が倒れたらなど不安が多くて、家から出られません。 事件事故のニュースを見ることも出来ませんが、何も知らずに生きることも怖いのでネットニュースを読むことはできるように頑張っています。 街中で妊婦さんやお子さんをお見かけすると、この人たちはとても幸せそうに見えるけど次の瞬間には…と恐ろしい事態を想像してしまい、素直に祝福できなくて自己嫌悪します。 50を過ぎた母が、「私はもう死んでもいい」「あと5年で逝くからあんたそろそろ自立しなさい」などと口にすることも私の不安を駆り立てます。(母は現時点で健康体です) 不安や恐怖を解消するまでにいかなくても、上手に向き合う?付き合っていく?方法はないのでしょうか
夜中に仕事の帰りに、車で動物をひいてしまいました。恐らく、もうひかれて亡くなったであろうという動物の遺体をひいてしまったのだと思います。 怖くて確認できずに、あとで主人に行ってもらったところネコだったとのことでした。 生々しい話ですが、血や肉片などがタイヤなどについていました。 本当にネコさんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。どんなにつらかったかと思います。 自分は最低な人間です。罪の意識に苛まれています。 わたしは交通事故を何度もしており、また同じような事故を起こすのではないかという不安もこみあげてきました。 どうすればよいでしょうか。お寺か神社にネコさんの供養に行くことで救われますか、それとも車や自分のお祓いに行くべきでしょうか。うらまれたらどうしよう、家族にも何かあったらと不安で… 車は帰って水を流し、塩を撒きました。 対応の仕方もわからなくて… 質問も最低な内容で申し訳ないです。 せめてもの償いとして、遺体を道路管理のところに電話はさせていただきました。 どうかアドバイスを頂けると幸いです。
タイトル通りです。 自分は今未婚ですが、このまま独身になって、 両親が亡くなったら天涯孤独になりそうで怖いです。 しかも、友達もほとんどいないし余計に不安になります。まだ30にもなっていないのに、独身の老後というのをネットで見て不安になっています。 会社にも50近くで独身の方がいますが、孤独と周囲に評されて、実年齢より老けて見えるので、独身を貫くのは怖いとすら感じます。 確かに結婚しても子供がいても孤独になる人はなると思います。 独身貫いたら、将来は孤独死?と感じます。 独身の老後が怖いです。 何10年かしたら、私の人生何だったんだろう?と思うのが怖いです。 アドバイス下さい。
母子家庭の高校生です。 母方の家系は霊感?というものがあるらしく 曽祖母も祖母も母も霊と呼ばれるものが見えるそうです。 私は幼い頃は見えていたようですが今はあまり信じていません。 とりわけ母は見る力?が強いらしく今でもよく何かが見えるそうです。何かによって今まで良くない目にあったこともあるそうです。 ここから本題に入ります。 私の母は幼い頃からほぼ毎日悪夢を見ています。 化け物が出てきて、夢の中で殺されたら 実際に死んでしまうと言われて襲いかかられる夢だそうです。その夢の中でまだ幼い母は自分がいつ死ぬかを告げられたそうなのです。 その「自分の死ぬ日」というのは 母の誕生日でもある10月6日なのです。 今年のです。 先ほど母から「自分は近々死ぬ、あなたを幸せにできたかな?」 といったようなメールが来ました。 母は夢で告げられた死を信じきっています。 そんなことあるわけないと私は母に何度か言ってみましたが 幼い頃からほぼ毎日のように刷り込まれてきた死の印象には太刀打ちできません。 夢で言われた通りに死ぬ、なんてことあるはずが ないと言いながら、私も多少信じてしまっている部分もあります。 本当にその日に母が死んでしまうかもしれないと考えると怖いのです。 せめてその日は母の側にいたいのですが、部活の大会があり遠くに行ってしまいます。 何かあっても私にはどうすることも出来ません。 こういった事もあって「何かが母を守るものを引き離しているんじゃないか」と非現実的なことを考えてしまいます。 私1人じゃどうすることも出来ません。 母は正直生きることを諦めているような感じがします。 それに先ほども述べましたが母は今までにそういった霊や不思議な力?でひどい目にあったこともあるそうなので今回も抗う気が無さそうです。 私はこんなことで母が死ぬと思いたくありません。でも例えばその日にもし母が事故にでも遭ったとしたら生きようと救急車を呼んだりせずに死を受け入れてしまったりしそうで怖いのです。 母を失いたくありません。 私はどうしたら良いのでしょう。 助けてください。
拝見してくださり、ありがとうございます。 私は20歳の女性です。 1年前、62歳の母の癌が発覚しました。 そしてこの間、余命があと3ヶ月程だとお医者様に告げられました。 私自身とても辛い幼少期を過ごしており、 ようやく人生が楽しいと感じ始めた頃に母の病が発覚しとても辛いです。 自分が今辛い状況に立っているのを認めたくなくて周りの人に頼る(相談する)事が出来ません。 楽しい事を楽しみたいという気持ちと、母親と過ごす時間を大切にしたいという気持ちがごちゃ混ぜになって苦しいです。 母親が苦しがっている所を見ると、私自身もとてもしんどく苦しくなってしまいます。 毎日楽しく過ごそうと思っていても母親の事を考えて重く沈んだ気持ちになってしまいます。 ウイルスの影響で面会も中々出来ないし、人混みに行くと私も感染しているのではないかと不安でいっぱいになってしまいます。 生きる気力をなくした母を見ると、どう言葉を掛ければいいのか分からなくなります。 「私を産んで、ここまで育ててくれてありがとう」など感謝の気持ちはたくさん伝えてきましたが、 母が亡くなる事も亡くなった後後悔するのも全て怖いです。 生きている以上、死は必ず来るものだと分かっていますが、身近な人間の死がとても怖く感じます。 質問になっているかわからないですが、ぜひ、メッセージをいただきたいです。 よろしくお願いいたします。
実家や親類一族、妻の一族においても、難病や精神疾患、突然死や離職が多く、恐れがあります。 少し覗いてみれば、どの家庭にもあることかも知れませんが、やはり気にせざるを得ません。 何を持って縁とするかは分かりませんが、実家の墓に他人の墓石があり、なぜか父親に問うた所、先祖が世話になったそうで、非業の死を遂げたものの無縁仏にするわけにいかず置いているそうです。戦中戦後の話のようです。 父親は詳しい話は知らず、また子の言うことを聞き入れはしないので、何とかせよと言うても、変わりはありません。 一族の話と縁も縁もないことかも知れませんが、ご助言を賜りますようお願いいたします。
以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。
はじめまして。 どうしても苦しく、初めて投稿いたします。 中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。 大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。 死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。 そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。 なんて弱くずるい人間なのでしょうか。 夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。 このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。 そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。 まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。 このような場をいただけたこと、感謝いたします。
私は二十代中頃に結婚し、子供が授かれず5年で離婚しました。その時から相談相手になってくれてたのが妻子ある彼です。実家にも甘えれず一人暮らしを始め、生活できる収入を得るため男社会・業界での中間管理職になりました。責任あるデリケートな仕事ですが、社内ではあまり理解されない仕事で、やり辛い事が多々あります。 ですが、彼がサポートしてくれたり話を聞いてくれたり、一緒に楽しく過ごす時間があったのでここまで頑張ってこれました。 何より彼にしっかりついていけばいつかは一緒になれると信じていた方が糧になっていたかもしれません。 彼の家庭は、円満です。交際中に第3子が誕生したり、今度家も建てるようです。離れたくないのが本心ですが、9年も一緒にいてくれた彼から離れてあげなければと思っています。 多分彼は私を見捨てきれずにここまできたんだと思います。 最近、諸事情があり会社にもいつか迷惑をかけるんじゃないかと、仕事が行き詰まっており、退職を考えていますが、1人で生活できるほどの収入が見込める転職先がこのご時世ありません。 今まで彼が私の生きる糧でなんとかやってこれたのですが、人生の中で大切な2本の柱が無くなると何が残るのでしょうか。 この先不安でしかありません。あまり言いたくないことですが、今まで考えてもなかった『死』というものが頭によぎるようになりました。 道理に背いて生きてきたのは自覚しています。 全て私が招いた結果がこれならば受け止めなければいけません。
僕は30代後半で年収600万くらい、子供二人、車も持っていて一見不自由のない生活をしています。 しかし今の仕事は10年近くやっていますが毎年毎年、年度末にかけてプレッシャーが重くくうんざりし、毎年毎年同じことの繰り返しなのにストレスが大変大きくうんざりしています。 子供も小さく育児ノイローゼ気味で妻がもし亡くなったとしたら、とてもじゃないけど子供を見ることはできないなと、考えても仕方のないことを考えてしまいます。 仕事は人間関係もきつく、残業等で遅くなれば妻の機嫌は悪くなります。 こっちも残業なんかしたくはないのですが。 こんな感じで365日中300日くらいは暗い気分に包まれていて、いっそ死んだら楽になるんだよなと、死について考えることもここ数年多いです。 僕の死は妻や子供に対して大きな負担になってしまいますが、それにも増して僕をとても大事にしてくれる母を僕が死んだら本当に苦しめてしまうことになり、中々死ぬという選択は思い止まっています。 しかし安楽死できる薬が目の前にあったとしたら飲んでしまうと思います。 仕事は残り30年近く、人生の残りは40年近く平均寿命までありますがそんなにやっていける自信はないです。 こんな自分ですが健康的な精神の持ち主になることはできるでしょうか。
個人の行いは社会の行いに通じる、逆も然り自殺の原因は苦しみがほぼだろう、詳しい原因はそれぞれだが、周りが与える影響が、その人の行いを左右するのは事実であろう。 故に他の人の自死は大小あれ社会全体に影響を与える(水滴と水槽の理論)ので我々は自殺者をなるべく減らす様に行動しなければならない。自死が増える→社会が病む→苦しみが増える→自死が増えるのループこのループの最初は社会が病むかもしれない。 とはいえ、実際に追い詰められている人は周りの事など考える余裕などないであろう。よってその様な場合は理論構築よりも寄り添いや共感で心の余裕をつくる必要がある。 以下、理論構築精神的に余裕のある時に参照 ケース1 自分なんか 何らかのの理由で自己肯定感が低下した場合、これは方っておくとなぜ自分だけ→恨みに変化する。 原因となる自己肯定感の低下を解決できればいいがそれが不可能なケースも存在するはず。自分の価値観を変える、若しくは多角的な視点を持つ必要がある。恐らく実物的な苦しみは消えないが生きがいは生まれる事になるので恨みには発展しにくく自死まで考え辛くなる可能性がある ケース2 環境による攻撃等 この場合は自身が疲弊していくため特に正常な判断がし辛くなるのでは。一番はその環境から離れる事だかそういう訳にもいかないパターンも存在するであろう。この場合は自分自身と周りから距離を取り休息が必要になるだろう。何もかも疲れたは限界のサインなのですぐ自分を危険から守れる安全な場所を探すべきなのだろう。動けるうちにどれだけ安全な場所を探し回復できるかが鍵になりそうだ。 ケース3 理想への解離 このケースは自分が思い描いていた理想とのギャップに苦しみケース1と同じように自己肯定感の低下に繋がる。いろいろな状態が考えられるが手っ取り早い解決法は今に満足する事であると考える。今この瞬間をマイナスではなくスタートと考えてこれから進めばいいし進めず後退しても意外とどうにでもなる(社会保障等を使うなど)と気楽に考えるのもありかもしれない。仮に未来への絶望があったとしても今スタートラインに立てているので(少なくとも死んでいない)この状態から自分にとってプラスになる可能性の行動をすればすぐに今より好転。 ケース4 恋愛関係の悩み よくわからん がアイツの意見なんですがどうなんでしょう 長くてすみません
私は母を自死で亡くして4年、離婚してからもうすぐ2年になります。 離婚した事に後悔はありませんが、母を一人で死なせてしまった事は4年経った今でも後悔して泣きそうになります。 母を亡くした事で私は天涯孤独な人生をあゆむのかと不安になっています。 次の伴侶になろう人とも全然出会えませんので...。 私は寿命が尽きるまで一人で生きていく宿命なんでしょうか?
主人が亡くなり毎日、寂しがりな私は寂しくて、心細くて、不安です。 主人の死を受け入れなければと思いながら過ごしています。 今まで主人を頼っていたし依存してたから自分に自信なく、仏壇のようなのを置き毎朝お参りしています。 今までしてきた葬儀、お寺は本家とは関係のない方にお願いしたり、私のしてきたことが良かったのかダメだったのか、そしてこの先のどうやって生きていったらよいのか導いて欲しいです。
閲覧ありがとうございます。聞きたいことが複数あり申し訳ありません、この3つだけが私の人生の悩みです。1つでもアドバイスを頂けたら助かります。 (1)来世があるならば引きこもりで自分に自信がなく人と接するのが怖い自分にもできる良い行いはなんでしょうか? (2)祖父の代でお狐様を祀っていたのですが疎かにしてしまい、知り合いの霊などが見える方に見てもらい「私達のこれからの人生を失敗するように、良い方向に向かわせない」と言っていたのですがどうすれば良いでしょうか? 両親が後始末をして謝って本殿にお帰りいただき毎年謝りに行っています。祖父と祖母は亡くなっています。 父方の方はこれまで色々な問題があり母親が言うには「私は滅多に助けを求めない、助けを求めるのは本当に本当に助けてほしい時、その時に助けてくれなかった」と言っていました。 母親から聞いた最低な話の1つは「子供1人をタクシーに乗せ自宅まで送って自分は酒を飲む」でした。 その話を聞いた時にもし誘拐されて殺されてたらどうするのと怒っていました。 相当なアルコール中毒でしたが、現在はやめていますが 辞めた理由が自分の体を心配してとの事です。 アルコール中毒を治す記事がありに自分が病気になると勝手にやめるとありました、まさか本当に自分の親がそうだったととても最悪な気分になりました。 (3)犬を飼っていてとても愛していましたがまさか死ぬとは思っておらず自分は全然散歩を経験しませんでした。 初めて愛するものの死を経験し乗り越えました。 お正月誕生日お盆等にはお参りに行くようにしていて幸せを祈っておりますが 愛犬が幸せになる為には他にするべきことはあるでしょうか? 以上の3点がとても不安です。 (2)で聞きたい事がはっきりしなくなってしまいましたが祟りなどがとても怖いのでお狐様にすべき自分にできる事はなんでしょうか? プロフィールに私のこれまでの事を書きましたが、辛く苦しくても絶対に自殺をしない理由は自殺したら今の人生をもう1度味わうという自分の中の謎の結論が出ていてなぜかそれが恐怖で来世で楽しみを考えて今を耐えて頑張っています。来世が不安で仕方がないです
こんにちは。 はじめて質問させていただきます。 プロフィールにも記載させていただきましたが、2018年3月に同棲していた彼氏が自殺しました。 同じ会社に勤めており「仕事に疲れた、もう辞めたい」という愚痴も聞いていましたが、まさか自ら死を選んでしまうほど追い詰められていたとは知りませんでした。 どうして気が付かなかったのか、私が代わってあげたかった、どうして私を置いて行ってしまったのか、と未だに考えてしまいます。 その後、別の男性とご縁がありお付き合いをすることになりました。 元彼の自死のことも全て打ち明けた上での交際で、私のことを1番に考えてくれる素敵な人です。この人となら楽しいことも辛いことも一緒に分かち合えると感じ、昨年末に入籍しました。 入籍から数ヶ月が経ちましたが、私が情緒不安定な時も側にいてくれ、結婚してよかったと本当に思っています。 ですが主人の素敵な部分を実感する度に、私は元彼に優しくできていたのだろうか、こんな素敵な人私にはもったいない、と考えてしまいます。 特に元彼に関しては楽しかった思い出というよりも、どうして自殺してしまったのか、私は本当に助けられなかったのか、最期は何を考えていたのか、あの世では幸せなのか、私の結婚についてどう思っているか、など今更考えてもどうしようもないことが脳内を巡っています。 また今の主人に対しても不慮の事故で突然いなくなったりしないかと勝手に不安になります。不安を告げても、今度はこれを繰り返すうちに愛想を尽かされるのでは、と悪循環になりますし、亡くなった元彼のことを未だに引きずっていることも主人への裏切りにあたるのではと思ってしまいます。 時間が解決してくれると思っていましたが、自死から3年以上経った今もどうしたらよかったのか、また今後どうするべきか悩み続け、特に1人の時間や深夜になると上記のようなネガティブなことしか考えられなくなってしまいます。 現在心療内科で鬱の診断を受け、精神安定剤と睡眠薬に頼りながら人並みの生活を送っていますが、結局自分の気持ちの整理がつかないと根本の解決にはならないと思い、こちらに相談させていただきました。 元彼の死を受け入れる方法、これから主人と生きる上で気持ちの落とし所を決めないと先に進めない気がするので、アドバイスいただけますと幸甚です。 どうぞ宜しくお願いいたします。
漠然と死にたい気持ちがずっとあります 子どものころは誕生日を迎えるのがこわかったです 歳を取るのは死に向かっているんだと思い、1分1秒と自分が年老いていくのを怖いと感じていました 今は昔ほど恐れを感じにくくはなりましたし、彼と出会って、彼と生きたいと思えるようにもなりました それでも死にたい気持ちはなくなっておらず、こんな気持ちを抱えたままでお付き合いをして、彼に失礼じゃないのかと思っています この思いはなくならないのでしょうか こんな気持ちを抱えたままでお付き合いして、彼は迷惑ではないでしょうか 彼にこれを伝えてなお、一緒に生きようとは言ってくれましたが不安でたまりません