はじめまして。よろしくお願いいたします。 前の職場は初めての接客業で、不器用な私は毎日ついていくのがやっとでした。 しかし、上司が助けてくれ、時には冗談も言って笑わせてくれ、職場で話しにくいことはメールや電話で相談したり、世間話をしていました。 その後、私が転職し職場が別々になった後も、お互い近況報告をしていました。 しかし、だんだん連絡を取らなくなり、ある時、偶然街で上司とばったり会い、その時はお互い笑顔で挨拶だけしました。 私は偶然会えたことがうれしく、仕事終わりに上司に電話しましたが、1回目は出なくて、2回目は着信拒否設定されました。 その後は私も連絡を控えていたのですが、4ヶ月後、上司が亡くなってしまいました。 手術を受けたらしいのですが、術後の経過が悪く、こういう結果になってしまったそうです。 お葬式にも行きましたが、棺の中の上司の顔が今でも忘れられません。 みんなに平等に接してくれ、人が嫌がる仕事も率先してやる、尊敬する上司でした。あんなに元気だったのに、これからやりたいことがあっただろうに、無念でなりません。 亡くなって3ヶ月経ちますが、毎日ため息ばかりで、気持ちの落ち込みがひどいです。 上司のご冥福を祈り、家でお線香をあげたり、手を合わせて心の中で上司に話しかけたりしていますが、着信拒否するほど嫌われていた私から手を合わせられるのは迷惑なことでしょうか。 今でも上司の死が受け入れられず、思い出すと涙が止まりません。 長文で申し訳ございません。よろしくお願いいたします。 [hasunoha]ご登録ありがとうございます
先日、婚約者が突然の死を迎えました。 十数年付き合って、今年始めに婚約しました。 お互い40代です。 なんの前触れもなく倒れ、緊急手術後、翌日には一度は話が出来ましたが、その後、悪化し、手術から1週間後、亡き人になってしまいました。 7月末の事です。 その後、婚約者のお母さんたってのご希望で、 お別れ会という形の通夜、告別式を私が全て 手配をして、やっと今に至ります。 彼女が倒れてから、亡くなるまでは、ほとんど寝ずにずっと側にいました。 もちろん、息を引き取るときも側にいました。 それが自分の役目だと思っていました。 亡くなってから、約二週間経ちました。 亡くなったのがまだ信じられない時、 気持ちも今までと変わらないとき、彼女が亡くなってしまったのだと、泣きながら嗚咽をもらすとき、何でもないときにふと涙が溢れる時もあります。 また、彼女を想っても、涙が出ないときもあります。 そんなときは、冷たい人間だと、自分を責めたりもします。 どこに行っても、彼女との想い出があり、すごく辛く、また仕事にも身が入りません。 今は、お酒に逃げている時か、寝てるときだけが、辛さから少しだけ解放されます。 いま、自分の気持ちが自分でも分かりません。 ただただ無気力で、自暴自棄になっている自分がいるだけです。 自分と出会わなければ、もっと長生き出来たんじゃないか… 自分と過ごせて、幸せだったのかな… 助けてあげられなかった…等、 後悔ばかり、タラレバばかり、浮かんできます。 会社の同僚には、気持ちは落ち着いた?と言われました。 たった二週間で、どうやって落ち着くのか‼️ 怒りさえおぼえました。 ただ、やっぱり親類縁者以外には、他人事だと言うことをあらためて思い知らされました。 時間が解決してくれるのを待つしかない… それは分かるのですが、あまりにも辛い毎日を これからも過ごしていかなければならないのか。 将来が見えません。
私は福祉の道を志し毎日精進しています。人の幸福に少しでも寄与できればと思ってのことです。専門的な勉強は楽しいし仲間は刺激し合うことができ、充実しています。しかしふと、たまにどうしようもなく死にたくなることがあります。以前精神病で引きこもっていたころのようなどす黒い感情が蘇るのです。ふと死にたくなることはきっと誰にでもあることでしょう。しかし周りも辛いから自分も耐えろ、と言われるのは酷です。なにか突如として起こる負の感情の鎮め方や捉え方はないものでしょうか… 駄文で申し訳ありません。本気で困っているのです。
お世話になります。 7月24日お昼に母が旅立ちました。乳がんを患っていましたが本人の希望により病院へは行っていませんでした。始めは日常生活が送れていたものの5月頃から呼吸が苦しくなり自宅にて往診を頼むため市に相談し往診にきてくれる医院を紹介して頂きましたが看取り専門の医院だったようで救急車を呼ばない事、心臓マッサージ等の延命行為はしないとの内容の同意書にサインをしました。亡くなる前日に呼吸困難と意識不明になり、翌お昼に嘔吐、喉につまらせたのか心臓が止まり亡くなりました。どうして看取り専門の医院とわかった時点で市の紹介を拒否しなかったのか、延命行為をしない救急車を呼ばない事の同意書にサインをしてしまったのか後悔ばかり。最後に苦しんで苦しんで、苦しめて苦しめて目の前で苦しんでいるのに往診の先生にしか連絡せず救急車を呼ばず結果、亡くなってしまった。私が殺したようなものだと思います。亡くなる前の食事ができていた時も母の体のためと「苦しいから食べたくない」と嫌がる母に無理矢理食べさせたり、「もういらない」と嫌がる母に無理矢理飲ませたり、無理矢理歯磨きしたり、無理矢理身体を拭いたり、無理矢理頭を洗ったり、無理矢理オムツを替えたり。母のため母のためと思って私なりに一生懸命介護してきたつもりですが、母が亡くなってからは、私が勝手に母のためと思っていただけでただの私の自己満足だったような気がして後悔ばかりです。 急な別れで母の最後の言葉も「苦しい」だったので、何か最後に言いたい事とか話したい事はなかったのだろうかと何度も考えてしまいますし、せめて夢でいいので会いたくて毎日出てきてとお願いしていますが出てきてくれません。やっぱり母は私に怒っているのだと思います。母は小さい時からずっと恵まれない環境で育ち、父と結婚してからも姑からのイジメ、父の浮気、父からの暴力、生活費ももらえなかったので必死に夜中も皿洗いなどをして私を大きくするために働いてくれたりたくさん苦労してきました。私が大人になり経済的に母1人の面倒なら細やかながらみてあげる状態になった時に父との離婚を勧めましたが、父は大嫌いで一緒にいたくないけれど世間体を気にして離婚に踏み出せまんでした。お墓がこのままだと父と一緒ですがそれがいいのかも確認できていないままです。とにかく後悔ばかりです。早く母に会いたい。母を近くに感じたいです。
初めまして。 父親の死に対する様々な思いについて、ご相談させて下さい。 今年2015年3月18日に、父が急逝しました。 浴室で、何らかの原因で意識を消失し、風呂のお湯を飲んだ事による溺死。 享年83歳でした。 私は2015年2月まで東京で7年間暮らしており、3月に実家の九州へ帰郷したばかりでした。 父親はプライドが高く頑固な性格で 子供の頃は怖い、苦手というイメージを持っており 大人になっても、あまり父と真剣に向き合ったり、接する事は少なかったと思います。 しかし自分が歳をとるにつれ、父親が自分の一番の理解者である事を感じるようになり 自分の人生や両親の事など、色々考えた結果、帰郷する事に決めました。 そして、まさに帰ってこれからという矢先に、父が亡くなってしまいました。 今まで父とあまり話せなかった分、これからもっと色々な事を話したかった。 父が近年ずっと気にかけていた、私への心配(仕事・結婚)を無くしたかった。 (再就職、そして結婚して、孫の顔を見せたかった) これから父を支えていきたかった。 そういった父への叶わぬ願いが「もっと早く行動しておけばよかった」 という自分への後悔に変わってしまい、ずっと心から離れません。 葬儀の時「お父さんは、お前が帰ってくるのを待っててくれてたんだろう」 「お前に看取って貰えて嬉しかっただろう」と、親戚が言ってくれましたが 私は何一つ父に返せないまま父を亡くしてしまった、間に合わなかったという思いが強いです。 また、父の存在の大きさに亡くなってから改めて気づく部分も多々あり 父と今の自分をつい比べ、自分を卑下してしまう事もあります。 そして現在、父が亡くなり、残った母は要介護の為に老人ホームへ移り住む事となり 実家には自分1人で住んでいます。 自分が生まれ育ち、両親との思いがつまった家で、1人で暮らしていると 様々な思い出や、父の面影が頻繁に頭に浮かび、喪失感が募ります。 特に浴室は父が亡くなった場で、死んでいる父を私が発見したのもあり 毎日必ず入る場でもあり、入浴時に思い出さない日はありません。 父が亡くなって現在3ヶ月が経ち、先日、百か日の供養を済ませた所です。 後悔と喪失感に苛まれる現状から、気持ちの折り合いをつけていくにあたり 何か助言を頂けたらと思っています。 宜しくお願いします。
2週間前に大好きだった母が自死しました。 父と二人暮らし。父が病気をしたことで精神的に参ってしまい、不安症を発症。 不眠症・食欲減退となり、そこから自律神経失調症だということまでしか聞いていませんでしたが、結局は酷いうつ病になっていたのでしょう。 最期は自分で死を選び、この世を去ってしまいました。 精神的に病んでいることは知っていて、辛いということも漏らしていました。 眠れないのがつらい、と。 父が入院で不在の時は頻繁に電話したり手術の時は付き添ったりなどしましたが、父が家に戻ってからは少し安心していました。 人が家にいると安心する、と言っていたので、大丈夫だろう、もう少ししたらよくなるだろうと高をくくっていました。 仕事・家事・育児のことで頭がいっぱいで、母の気持ちに寄り添ってあげられていなかった。 もっと話を聞いてあげていたら、電話ではなく会いに行っていたら、抱きしめてあげていたら、私に相談できるようにゆとりをもって接していたら、、、 後悔ばかりがあふれてきて、毎朝起きるたびに、夢じゃない、現実を突きつけられて落ち込む日々です。 母は治したいと努力していました。 病院にも通っていたし、毎朝近所のお友達のところに話をしに行って元気になろうと努力していました。 そんな姿を見ていたから、徐々によくなるだろうと思ってしまっていました。 そこまで追い込まれて、そんな選択をさせてしまうなんて、、、 兄や妹も同じ気持ちだと思います。 特に一緒にいた父は一番つらいと思います。 父も病気をして不自由になったので余裕もなく、イライラしていたそうです。 母はお世話好きなので、いろいろ口を出されるのが嫌で、会話も必要最低限しかしていなかったそうです。 そんな自分の態度や発言を父は後悔して自分を責めていると思います。 父の悲しみや後悔、喪失感を考えると、私以上だと思います。 ただただ、毎日がつらい。 母のことがずっと頭から離れず、急に涙が出てきてしまう日々です。 この先もずっと消えることのない後悔とともに、あと何十年も生きていくのかと思うと、辛く悲しくなります。 お母さんに会いたい。 お母さんに謝りたい。 お母さんを抱きしめて、大丈夫だよ、大好きだよって言ってあげたい。 ただただ、後悔ばかりです。
はじめまして。よろしくお願い致します。 義母が亡くなりました。 入院してからわずか数週間でした。 その際、自分の両親が義母に最後のお別れをできないまま義母が旅立ってしまった事に後悔しています。 私自身、義母に対して精一杯の事をしたつもりですが、両親の事を二の次に考えておりました。 入院前に義母の病状等は話したのですが、手術すれば落ち着くと医師から説明があった事や、当時義母が体調が悪く携帯に出るのが難しかった事もあり、義母に電話をするのはもう少し落ち着いてからでいいよ、と私から両親に話してしまいました。 それからすぐに危篤状態、コロナ渦で面会が難しい中、私自身は少しの時間面会できましたが、その時に両親の事は全く頭になく、面会できない子ども達にビデオ通話を繋ぐのが当時の私としては精一杯でした。 後から思い返せば、その時に同じくビデオ通話する事も、入院前に私が義母の側にいる時に両親に電話を繋ぐ事もできたと思います。 しかし、そういった事が少しは頭をよぎったものの、自分の両親はここにいる夫側の家族にとっては他人だから…という遠慮もあり、考えないようにしていたのかもしれません。 色々とバタバタしている中、自分の両親が義母をとても心配している事を分かっていながらその橋渡しをするという事に意識が向きませんでした。 病状は逐一報告していたのですが、直接話すという行為を私自身が断ち切ってしまったように思っております。 葬儀も終わり落ち着いた今、ふと後悔の念が沸き出てきてそれからは止まりません。 両親も後悔はあるでしょうが、今はそれを出さずに私や夫、子ども達を支えてくれております。 一番辛い立場の夫には話せず、私はひとりでこの気持ちを反芻し続けております。 以前、身近な人の死を経験した中で、次に何かあった時は絶対に後悔しないようにと思ったはずなのに、また同じように後悔している自分がいます。 この気持ちをどう処理したらよいのか。また、この気持ちを両親に伝えた方が良いのか、その事によって両親が逆に悩みを深めてしまうのかも…という事も考えております。特に母は私と性格が似ているため、今も同じように後悔しているのではと心配です。 とりとめのない文章で申し訳ありません。 よろしくお願い致します。
初めての相談です。 物心ついた時から希死念慮が消えません。 もちろん楽しいことをしている真っ最中や、そう言った予定の前日は消えますが、基本的に死にたいという漠然とした思いがあります。 中学生の時、祖母と同居するようになり、ストレスがひどくなりました。 毎日祖母と母親が喧嘩するからです。 母親は祖母から躾という理由で暴力を受けていたこともあり、私は祖母のことが嫌いでした。父も母も祖母のことは嫌いで、家庭環境は最悪でした。 先日祖母が亡くなりました。道徳的に問題があるとは思いますが、人生で一番嬉しい瞬間でした。 この時、今後は一切のことに悩まず毎日明るく楽しく暮らそうと決意しました。 しかし、実際は仕事が思うように進まないなど小さなことで不安になる自分を変えられませんでした。ちょっとしたことで死にたいと思ってしまいます。また、不安なことがあると夜寝れなくて、次の日思うように自分の力を発揮できず、そんな自分に苛立つことも頻繁にあります。その気持ちを夫にぶつけてしまう自分に何より嫌気がさします。こんな不安な気持ちにすぐなる自分は人間に向いていないと感じています。客観的に見て仕事も安定していて、人間性がとても良い夫もいて、人間関係にも恵まれている、不満のない人生だと思います。 結局は小さなことに反応し、不安になり、死にたくなる自分に問題があるとわかっています。これだけ死にたい気持ちがあっても死ねない自分の勇気のなさも情けなくてたまらないです。 まとまりのない文章で申し訳ないですが、何かアドバイスが頂ければと思い、相談しました。よろしくお願いします。
今日知り合いの友人が亡くなったとLINEで来ました。学生の頃からの友人で多分40歳くらいだと思います。 辛いだろうなと思いつつ気持ちが分からず、とりあえず、「かわいそうだね。無理せず頑張って」と送りました。もっと何か言えないかなと思いながらもそれしか思い浮かびませんでした。その人が、人と時と場合によって性格が変わり、仲良くしてる人でも悪く言う人なのもあるかもしれませんが。 昔は思ってなくてもどう言ってあげれば相手が喜ぶかとかよく分かったのですが、今はさっぱりわかりません。 35歳ぐらいに自分で飼った2匹目のねこが死んだあたりから、ペットも含め誰かを愛せませんし、身近な人が死んでも多分悲しくないと思います。 だからといっていじめたりはしません。そうゆうことは嫌いです。 猫が死んだときホントに悲しくて、主人が寝れるのもご飯が食べられるのも理解できませんでした。 でも、今は夫婦して親から絶縁されており、今飼っている猫に依存している主人は、多分何もできなくなって仕事も辞めるかなと思います。何日もなくかもしれません。 それを思うと私は今から面倒です。 私はおかしくて冷たいでしょうか? 今友人を亡くした知り合いに、この先猫を亡くして絶望する主人に、なんて言えばいいのか、どうしたらいいのか、全く思いつかなくて困っています。というか不安です。 不謹慎な質問かもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
先週実母が急逝しました。交通事故でした。朝の散歩で横断歩道を渡っていたところ、車に撥ねられました。 母が住む実家と私の住む場所は遠く離れており、告別式が終わり戻って来たら、母が亡くなったは夢だったのではないかと思えました。病気ひとつなく元気に過ごしていた母がこの世にいないことが信じられません。 しかし、現実には母はもうこの世にはいません。電話をしても繋がることはなく、たわいもないおしゃべりをすることもできません。 仕事の最中は気持ちに蓋をして明るく振る舞っていますが、家に帰ると放心状態になります。そして胸が苦しくて張り裂けそうになります。加害者への怒りが日に日に増すのを感じます。怒っても母は戻ってこないのに。 自分の心がカオスになっていて、どう向き合えばいいのかわかりません。
長文になりますが吐き出させてください。 働き過ぎて過労死一歩手前まで行きました。 暗闇が差してきたのですが、「このまま死んだら息子を誰も守ってくれない!」と「ハッ」と気付いて 体の内側から外側に自分が出てきました。 それまでの自分には目の前に透明な膜?があって 話しかけてくる人に対して「なぜこの人は寄ってくるんだろう」と思っていたり、 歯医者に行き忘れたことに3ヶ月後に気がついたり、友達との予定をすっぽかしていたり、いつの間にかトースターにパンが入っていたり… 感覚的には意識体だけが先に進み続けてるようなイメージです。 気を使い過ぎて、あらぬ方向に狂ってしまいました。 相手によって見せ方や人格を変えているうちに 心、感情、考え、行動、言動全てがバラバラになってしまっていたようで 統一された今、人とどのように接したら良いかわかりません。 日本語を一から覚えて行っています。 理解できない言葉も多々あり、 私にとって時間が断片的にしか存在しないこと、 演じてきたため、自分がどんな人間かわからないことに悩んでいます。 根本には「自分に自信がない」「人を心から信用できない」「人が怖い」というのがあります。 何か生きやすくなるヒントを頂けますと幸いです。
まだ動揺していて乱文で申し訳ありません。 彼を自死で亡くしました。 遺書はありましたが、家族宛で私の事は一切書かれていなかったそうです。(亡くなった後のお願い、誰にも知らせないで下さい等しか記入されてなかったとの事で見ていません) 5年と3ヶ月の交際、内3年同棲していました。 1年前に彼が離職してからは、私の給料のみで同棲、生活していましたがなかなか金銭的に厳しく、別れずに別々の生活をする事に決め、私は2ヶ月前に遠方の仕事に転職、引っ越し、彼は実家に戻りました。彼は再就職を希望しておらず、投資家になると。そのために勉強していると。 でもいざ投資するにも資金がいるし、生活していくには少なくとも実家でもお金は必要だから落ち着くまではバイトでもしないと…と、話が合わず、最後にやり取りしたのは(私って彼女なの?)(俺は彼女だと思ってるよ)と今更、確認したのが最後のLINEです。私がお金を貸したりは無いです。ここから1ヶ月、冷静にならなくちゃとお互い連絡を取らず… そんな最中に警察から彼が遺書を残して車ごと川に転落したと連絡がありました。 お母様から聞いた話では彼には借金があってそれを苦にしての事だろうということでした。 葬儀も終わり4日振りに自宅に戻り、もしかしたら私の家に彼から遺書の代わりに手紙でも郵送で届いているかも…と最後の期待をしていましたが、ありませんでした。 彼が亡くなった悲しみ、もう会えない寂しさ、これから何のために遠方で頑張る意味があるの?何を目にしても今までの楽しかった思い出と重なり涙してしまう。 借金があること、悩んでいる事も知りませんでしたが、話して欲しかった、何も力になれなかった自分の無力感。もういくら後悔したかわかりません。 でも、最後ぐらい…サヨナラ、今までありがとう、幸せになってね…等、一言でもあっていいのでは?!それすら無いの?!私ってあなたの何だったの?!と自問自答を繰り返しています。 寂しさと虚しさでおかしくなりそうです。 (彼の最後は、もうお金の事で頭がいっぱいで私にまで気が回らなかったんだ)と言い聞かせていますが、私は愛されてなかったのか?だから何もないの?と悲しく辛くなるばかりです。 どうしたらこの闇から解放されますか?
祖母が亡くなりました。 両親、兄、私の4人家族でしたが、私が小学生から中学生にかけて母と兄を続けて亡くし、母親の逝去後から元は別居していた祖母がほぼ同居のような形で一緒に生活をし、母親代わりをしてくれていました。 高校に上がる頃には自分で家事ができるようになり、祖母は自宅へ戻り週に1〜2度私の家に訪れる程度になりました。父は休みが取りにくい仕事で、小学校の参観や懇談会、中学高校の入学卒業、大学の入学式は全て祖母が来てくれていました。 大学進学後は祖母と会う機会がさらに減り、年2回ほど親戚の集まりで会う程度になりました。 私が就職した頃から祖母の認知症は進みだし、年数回しか会わない私のことを孫と認識できない状態になり、しばらくして徘徊などの症状が出現、病院に入院したのちに介護施設へ入所となりました。入所時には会話はできていましたがコロナ禍になると面会ができず、面会制限が解除される頃には言葉は発せなくなっていたと祖母の面倒をみていたおばから聞きました。 私は就職後、亡くなるまで3回しか面会に行きませんでした。私自身の生活の中で、将来の不安から転職をし、数年後にコロナ禍が始まり、その最中に父が急性心不全で亡くなりました。父の突然の死はとてもショックで、自分のことで必死になっていましたが、それにかこつけて会いに行ける距離いるのに祖母に会いに行く時間をないがしろにしていました。亡くなった連絡を受けて、なぜもっと会いにいかなかったのか、祖母になんのお返しもできていないことへの自責の念、そして私のことを無条件に愛してくれていた祖母がいなくなることへの恐怖心や孤独感が溢れてきました。祖母を失うことで私を愛してくれる人はもういなくなるのではという自分都合の考えをしてしまうことにも嫌気がさしています。 最後に面会をした先月、目はほとんど閉じていましたが、呼びかけると一瞬目を開け私の顔を見て、少し目に涙が溜まった祖母と目を合わせたのが最後になりました。手を握ると強く握り返してくれて、温かく力強く握ってくれた感触を思い出し、もっと祖母に触れていたかった、生きていてほしかったと今さら思ってしまいます。ただ愛を与えられるばかりでなんのお世話やお返しもできなかった後悔と、喪失感で心が苦しいです。
何度か相談させていただいております。 妻が自死してからもうすぐ2ヶ月となります。 仕事に復帰し、日常生活に戻ろうとしていますが、やはり妻の事を思い出して集中できず、夜も睡眠薬を飲んでなんとか眠っています。 こんなにも苦しい思いをするのがわかっていれば、もっと全力で助けようとすることができたのに。妻の調子が悪かったとき、自分の生活や気持ちを優先して100%の対応をしなかったこと。とても申し訳なく、どこまでいっても自分がかわいいのだな。と気付きました。 この苦しみはそんな自分に対しての罰なのかなと思っています。 今は、毎朝毎晩仏壇と妻の遺影に念仏をとなえています。 私も妻の実家も宗派は浄土真宗とのことでした。 妻が亡くなるまで、自分の宗派は知ってはいましたが、その教えなどは知りませんでした。妻も、知らなかったと思いますし、もしかしたら自分の宗派すら知らなかったかもしれません。 そんな妻も、亡くなってから成仏できるのでしょうか? 浄土真宗は、南無阿弥陀仏の心をもっていれば成仏できるというものだと理解しています。 妻は亡くなったときその心をもってなかったかもしれません。 残された者たちが、お祈りをすることで成仏できるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。
友達のように仲の良かった母が 先日癌で亡くなりました。 最後は苦しみながらではなく、 昏睡状態のまま亡くなりました。 癌が発見されて約二年半でしたが。母のしたいのと、食べたいもの、会いたい人にあって 濃厚な二年半を過ごしました。 癌が発見されてから、いつかこの日がくるとは分かっていても、親友のような母だったので、 毎日連絡取っていたのが、取れなくなり、喋りたくても喋れない。。 とても寂しいです、分かっていても寂しくて 歩いていても、母と娘2人が歩いてる人を見ると羨ましくて仕方ありません。 人は亡くなると四十九日までどうなってるのでしょうか? 天国に行っても、悪い人から追い払うとか聞いたのですが、天国にも悪い人なんているのでしょうか?三途の河は存在するのでしょうか? 母が心配でなりません。。 夢で会えると思っていましたが、まだ夢でも会えていません。たくさん話したい事があるのに、 話せなくて…。 昏睡状態のまま亡くなった母は、 自分の命が長くない事に気付いていたのでしょうか。そんなことばかり気になってしまう日々を過ごしています。 長々と申し訳ありません。 少しでもこの疑問が解決出来ればいいなと思い、投稿しました。
先日、父が亡くなりました。まだ60代でした。 元々、滅多に風邪もひかない人で、体調が悪いと言い出してから数日で倒れ、心筋梗塞と重度の糖尿病が発覚して入院し、手術の予定日の朝に突然、呼吸と心肺が停止しました。 父は、あまり自分の話をしない人でしたが、母から聞いていた限りでは、辛い経験を幾度となくしてきたようで、それらを父はいつも独りで抱え込んで、弱音を吐くこともなく耐えてきたのだと思います。さほど強い人ではないので、そのせいか少しひねくれてしまったところもありますが、頑張り屋だったのでしょう。 体のことも、入院時には主治医から「よく生きて病院まで辿り着いた」とまで言われたほどなので、実は随分前から体調は芳しくなかったのだと思います。そんな様子は全く見せてくれなかったので、私たち家族には正に『青天の霹靂』で、あれよあれよという間にいなくなってしまったという感覚です。 母と弟には、非常に大きなショックだったようで、時折放心したようになったり、色んなことを悔いたり、「早すぎる」と泣いたりしています。 私はというと、悲しくないわけはないのですが、どこか腑に落ちたというか、納得してしまったような感覚なのです。 父はさほど強くもないのに、これまで多くの苦難に独りで耐え忍び過ぎたと思います。 そしてこれから先、母を看取ることや、自分が寝たきりや要介護になることは父にとって、この上なく耐え難い苦痛であり、それを避けられたことは、父にとって決して悪いことではなかったと思えてしまうのです。 これは私自身の死生観ですが、生き抜いた先に穏やかに眠れる場所があるなら、それは『救い』だと思いますし、私もいつかそこに辿り着けることに安堵感すら抱いています。 体から解放された父はこれからは、痛い思いも苦しい思いもせず、誰かに傷つけられたり、辛い思いをしたりすることもなく、『楽』になってくれているように思えるのです。 なので、母や弟のような悲しみ方が私には出来ず、このまま日常にスっと戻れてしまうようなのですが、周りとの温度差がありすぎて、これは私がまだ悲しみを実感出来ていないだけなのか、それとも私の感覚が少しズレているのかと考えてしまいます。 私のこの感覚や考え方は、特殊なものなのでしょうか?
友人の携帯から友人の妹より、訃報が届きました。 その友人とは高校が同じで1つ上の学年の先輩で、容姿端麗でとても目立っていたので存在のみ知っていました。卒業後に、私の当時仲良くしていた同級生がその友人を慕っており、みんなを含めた場にも来たのが話すきっかけで、すぐに意気投合し仲良くなるのに時間はかからず、私や彼女の状況が変わり環境が変わってもお互いに連絡し合い、時間が空いても定期的に会える私の唯一の心からの友達の1人でした。 先月急に元気か気になり、1年ぶりに連絡をして毎日連絡を取りながら話が進み、彼女の自宅に行くことになりました。 彼女は占いやスピリチュアル的な事が好きで会うと自分の在り方や価値観をお互いに話す事が多かったです。当日会うと友人は前日にお付き合いしてる方とお別れしたらしく、体調もとても優れない様でした。その日は友人の家に泊まり次の日は温泉に行って解散しました。よく久しぶりに会うと、なるべくしたタイミングで引き合ったね。(私の名前)と会うと元気になれる。同志だ。前世は身内だったと思う。と笑いながらよく言ってました。わたしも同じくそう感じました。 その時に、今年の頭に卵巣嚢腫ができ腫瘍をとったら悪性腫瘍で癌だった事。抗がん剤はしない選択をした事を聞きました。根掘り葉掘り聞くことはなく、手術痕が化膿して喘息が出てると言っていたのでそうだと信じていました。また、温泉行こう。体調よくなったら温泉旅行行こう。と 会った日から丁度1ヶ月後に彼女は入院したらしく、私と毎日連絡を取りながらも一切そのことは言わず、亡くなりました。 いまだに信じられません。 今思うと相当体も辛かっただろうにいつものパワフルな彼女でまた会えるだろうと思ってた自分がとても愚かで、なぜこんなに人は簡単にこの世を去ってしまうのか。なぜ彼女が亡くならなければいけないのか。運命が敵に思えてきて、怒りさえ湧いてきます。 葬儀を終えて仕事をしながら彼女の写真を見たら涙が止まらなくなり感情が抑えられなくなりました。そうしたら、1匹の虫が私の目の前を不自然に飛んでるんです。何度も何度も何度も同じ文字を描く様に、目を凝らしてみても何を描いてるかは見えなかったのですが、1分程最後は丸を何度も何度も同じ場所をループして。その後は普通に飛んでいたので思わず彼女の名前を呟きました。彼女が来てくれたのでしょうか
私は、あと何年、苦しまねばならないのでしょうか? 「老いも病も受け入れよう」(瀬戸内寂聴・著、新潮社) 7年前に、この本を読んでいるのですが、受け入れられない自分に、折り合いをつけられません。 私は、寝たきりの状態や認知症になってまで、生きていたくありません。私は、その可能性が高く、安楽死が認められていない今の日本では、長生きしても苦しむだけです。 前回の質問で、文中に「親の二の舞を演じる可能性が高い」と書きましたが、本当にそうなりつつあります。昨年、特殊詐欺の被害に遭ってから、その傾向に拍車がかかったと感じます。 私は、これまでに、何度か「殺されかかったこと」があります。とりわけここ数年、その時に殺されていれば・・・と、夜中にうなされることが、増えました。 登録名・しげさん様(名指しでゴメンなさい)のつぶやきに、「安楽死希望」という主旨のものが、あったと記憶しています。私の考え方と、かなり近いです。ただ、今の日本では、安楽死は認められていないので、親の介護が終了して「お役御免」となっても、私はまだ「生きて」いますが・・・。 質問やつぶやきを読むと、「死にたい」「なぜ生まれたのか」などと、嘆く方も多いですが、もっともな話です。回答僧の皆様の考え方にも、一理ありますが・・・。 読売新聞社に、「安楽死を容認する法案を、早急に成立させるよう、国会議員に働きかけを・・・」という投書も、出しています。ことごとく「無視」されましたが・・・。 回答僧の皆様は、問答を読む限りでは、ほとんどの方が、安楽死に「反対」のようですね。 私は、独り身なので、長生きする必要性は、ないでしょう。兄とは、ほぼ絶縁状態です。兄は、「死ね」と、私を罵倒しましたから・・・。 本音を言えば、国会で「安楽死容認法案」が成立したならば、その権利を行使したいです。そうすれば、死の予定日から逆算して、慈善団体にいくら寄付可能か(残りの生活費の計算)などの、数字・金額を弾き出せますし・・・。 字数制限の関係で、文章をかなりはしょってしまったので、要点が曖昧になったかもしれません。 私が、受容できない自分を受容することは、永久に不可能なのでしょうか? 「一切皆苦」と言いますが、安楽死が認められていない今の日本の現状では、死ぬまで七転八倒するしか、選択肢はないのでしょうか?
初めまして。よろしくお願いいたします。 今年、長く介護してきた母が亡くなりました。 その喪失感たるや、目の前の生活が全て崩れ落ち、まるで人生が物語に思え、生を感じられなくなるほどでした。 その中、私が喪主となり葬儀を行い、お坊様の読経の美しさに涙し、とても救いとなりました。 そこでここを思い出し、このように相談するに至っております。 私には交際し同棲すること五年目の恋人がおります。 お互い未熟なところが多く、全てが順調な交際とは言いきれませんが、日々は比較的穏やかに過ごしております。 しかし元々正反対の性格でして。 母の死に触れた時、相手の言動に絶望するくらい傷付くことがありました。 相手は悪意があるわけではなく、ただあるがままにいると私を傷付ける結果となるようです。 その際別れようと告げられ宥めました。 今までも大小あれど、普段は良くても、辛い時ほど傷つく言動が多いのです。 私がそうなのですから、相手ももしかすればそうなのかもしれません。 また、私は結婚と出産がしたいですが、相手は結婚も出産も興味がありません。 機嫌が良ければしてもいいよ、機嫌が悪ければやっぱり嫌だと、まだ人生に迷うことが多い人です。 もしくは私が相手だからこそ迷うのかもしれません。 ただ仕事もこの五年間で毎年変わっている人で、相手自身人生が落ち着いていないのは確か。 また、外国籍の人なので日本に永住するかも分かりません。 私はまだ心の平穏を取り戻しておらず、そんな相手といて良いのか迷い、ただ生活するだけで心がすり減るようになってきました。 別に相手が何か怒鳴るわけでもないのですが、いつも顔を伺い機嫌にビクビクしてしまいます。 お互いに大事なことは相手に告げない関係性になってきました。 母が亡くなる前、何だかとても毎日ラブラブだった時期があり、それがまるで嘘のようです。 私には実家など帰る場所もなく、相手との家もとても気に入っていて心落ち着く場所でもあります。 急いで別れようとも思いません。 でも振り返れば悩むことばかりに時間を費やしている関係性な気もします。 相手といることを自分自身の言動で正解にしたいですし、しなければ母といた時間も失うような、むしろもっと母といられたのにと悔いるようにも思ってしまいます。 時間が過ぎ、心落ち着くまで待てば、自ずと悩みも解決していくものでしょうか?
また、相談します。同じような内容ですみません😢母が突然死してから一年がたとうとしています。自分にも母を死なせた原因がありいつまでも母に申し訳なく毎晩涙がとまりません。そして、何より夫に申し訳ないのです。色々とやるべきこと考えることあるのですが、どうしても身体がついていきません。夫には、普通の精神状態の人が相応しいのに、私はまた人を不幸にしたくないです。だけど、元気に振る舞えません、心配ばかりかけて夫を気遣うこともできません。消えてなくなりたい気持ちで苦しいです。 長い文章でわかりずらくてすみません😣