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hasunoha 問答検索結果 : 「親 死 わからない」
検索結果: 778件

子供を残して自殺することについて

もうすぐ2歳になる男の子と主人の3人暮らしです。夫婦仲は良く、子供のことは誰よりも大切で愛しています。経済的な不安等、特段思い詰めるような原因はありません。普通の幸せな家族です。 その状況で私は死にたいという思いが強くなる一方で、これが鬱病なのか気質なのか、そのどちらであっても私の死にたいという気持ちを消してくれる可能性があるなら教えて頂きたく存じます。私はその気持ちを消したいのです。 私は物心ついた頃から死にたい・消えたいという願望が常に頭の片隅に張り付いています。楽しい時や悲しい時など、その時の状況・感情に応じて出るものではなく、常にです。死にたいというより、最初から自分の存在をなかったものにしたい。それと同時にこの世の全てが自分の夢の中なのではないかと思います。 私は人に全て話せるような普通の家庭環境ではありませんでした。それでも誰よりも辛く苦しい悲惨なものでもきっとありません。ただ、子供がしなくても良い経験を色々としてしまったのだと思います。 それが恐らく私の感覚を普通とは変えてしまった要因の一つだと感じています。恐らく普通の人より常に悲しく存在意義がなく、生きてる実感が鈍いです。みんなが抱えるような悩み云々ではなく、悩みなどなくてもひたすら暗いのです。 家庭環境に恵まれなかったので、私はサザエさんのような幸せな家庭に強い憧れがあり、それを今手に入れることが叶っています。それでも私の気持ちは明るくならず辛く重い一方で、もう限界なのかなと思っています。 今まで必死に前向きに、この暗い気持ちを消したくて頑張ってきたつもりですが、はたから見たら実に幸せな家庭を手に入れましたが、それでも私の気持ちは変わらないのです。もう頑張れる目標・気力が見つからないのです。 今、子供を残して死ぬのか、子供と一緒に死ぬのか、その選択で迷っています。 親を失う子供の気持ちは痛いほどわかっています。だから一緒に連れて行きたい。でもこの子の人生を私が奪ってしまっていいわけがない。それでも私は死にたい。その繰り返しで後は勢いで判断するしかないのかなという状況です。 死ぬのはいけない、というのはわかっています。死に方に悩むなら生き方に悩めと自分でもわかっています。だから、そもそものこの死にたい気持ちを消したいんです。 助けて下さい。お願いします。

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2024/12/24

死にたい気持ちが消え去ってくれない

死にたいという気持ちは、誰もが抱えられていると思います。それでも平気なフリして、みんな頑張って生きているんですよね。いまにも首を絞めたい、そんな思いで歯を食いしばってやりたくないことを頑張っているんですよね。自分もそうです。 ちょうど4年半ぐらい前、俳優で自死をされた方がいました。その時自分は、長生きしたな、よく頑張ったなと思いました。その時から、その俳優が亡くなった年齢まではせめて生きようという目標ができました。半分ぐらいは布団の中で過ごしたので、その俳優の功績とは比べものにはならないが、抗うつ剤や睡眠薬を飲んで、なんとか目標を達成しました。 人生は長いです。長すぎます。人生100年時代なんて言いますけど、それならまだ自分は1/3も終わっていない...こんな地獄があと70年近くあるのかと考えると気が遠くなる。狂ってしまいそう。正直、もう狂ってるかもしれない。 小さい頃から、漠然と、楽しいことより辛いことの方が多く、死にたいという気持ちが少なからずあった。それが大人になるにつれてどんどん大きくなって、寝込むようになった。いまはその暗闇からなんとか抜け出したけど、死にたいという気持ちがなくなったわけじゃない。いつまで経っても消えてくれない。 毎晩目を瞑る時、これで全部終わればいいのにと思う。朝目が覚めると、絶望する。でもみんなそうですよね。自分だけじゃないですよね。だったらもうみんなで一緒に死んでしまうのはどうですか。よくここまで頑張ったと思います。ほぼ定年まで生きた親には頭が上がらないですが...こんな地獄をどうやって切り抜けたのだろう。想像するのも辛い。僕には到底無理だろう... 楽に消えてしまう方法が知りたい。

有り難し有り難し 6
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現世の家族関係について

母は専業主婦で父の収入のみの中流家庭に育ちました。年子の弟と7歳下の弟ふたりは、重度の知的障害で、1番下は私が15歳の時7歳で亡くなりました。私は離婚歴があり、前の旦那の子供ふたりとも知的障害で、上は養護学校に通う14歳男の子、下が11歳女の子で軽度の知的障害はありますが普通学級に通っています。5年前に再婚し再婚相手との子供で3歳になる子がいますが、最近この子にも遅れがあることが分かりました。 幼い頃から、普通ではないということがコンプレックスで、なぜ私には障害のある弟がふたりもいるのか、ずっと悩んできました。結婚し、自分が子供を授かっても、障害があったらどうしようと悩んだこともないこともないですが、その時は、まさか自分が授かったこども全員に障害がある子が産まれるとは思っていませんでした…こどもは親を選んで産まれてくる。障害のある子を育てられる力があるから産まれてきたとか、出産はボランティアとか、何かに頼りたくて読んだ本や、人が話してくれる内容はそんな感じで、それを信じてきましたが、最近ある人から言われたのは、先祖が悪いことをした(人を殺したり傷つけたり)から、その罪を背負わされていると…共働きしないと、主人の給料だけでは生活できないため、週5フルタイムで仕事(介護の仕事をして日々、人のために仕事をしているつもりです)をして、クタクタで帰って、個性の強い子供達に、生きるために必要なマナーや挨拶を伝え、なぜ出来ないんだろう、この子達が将来どうなってしまうのだろうと悩んだり、イライラして愛せていなかったり、鬼のような母親であった時期があったと思います… 私の父親の弟も、大学を卒業した頃に中途失明しました…父のいとこは、何年か前に自殺しました… 聞きたいことは、なぜ私の家族には、この世の中では普通ではないとされる障害のある人間ばかりなのか、なぜなのだろうなぜなのだろうと日々考えています。もし、先祖の悪行のせいならば、日々目には見えない傷つけられた方々に謝罪して生きていかないといけないと思っております。なぜ家族に障害者ばかりなのか、教えていただきたいと思います。私は善行をして、こども達に幸せになってもらいたいです…宜しくお願いします。

有り難し有り難し 10
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死ぬことに決めたのに死なせてくれない

義理の母には子供の頃から迷惑をかけてきて、怪我をさせたことや所持品を誤って壊してしまったこともあります。父親に騙されて再婚したと言っていましたし、恨まれる理由には山ほど心当たりがあるので、昔から何度も「気持ち悪い」「嫌いだ」と言われても納得できます。自分でも世間様に馴染めない人柄だとは自覚しています。 なのでもう無理に生きていたくないのですが、どうにも母は私のことを「生き汚く悪賢い怠け者」と思っているようです。日々聞かされる私の存在を疎ましく思う言葉の数々に堪えてまで生き恥を晒そうなどとは考えていませんし、昔から考えていることは何もかもうまくいかない空回りの人生で悪知恵などあろうはずもありません。怠けたいのは事実ではありますが、そんなぐうたらな人間に生きる価値などないことも百も承知、なので死にたいのです。 こういった話をどこにしても、「母は本当は私のことを想ってくれているよ」と知ったようなことを言われます。そんなこと万が一もないのは、一つ屋根の下で暮らしている自分が一番理解しているのだから、そんな無責任な慰めで我慢を強いられるのは納得がいきません。もう何かを耐えてまで生きていたくなんてないんです。 でも父は悲しむでしょう。口数が少なく何を考えているかわからない父ですが、多分悲しむんじゃないかな、とは思います。母から、未だ学校生徒の、自分の腹を痛めて産んだ子供たちの目の前で日常的に離婚を求められていてまで、仕事をしていて生きてて楽しいのかな、とは思いますが、これ以上の心理的負担に耐えられるか心配なのは事実です。 お医者さんに今度かかることになりましたが、初診の日まで母の「はやく消えろ」アピールを耐えてまで診療してもらうような理由がないというか、そこまで人生に希望が持てません。なので次に何か耐えられなくなったら、もう現世の人間関係なんてどうでもいい。自分ひとりだけでも楽になりたいので、死ぬことにします。 母はヒステリックでなんでも決めつける人なので、私が死んでも見当違いのことしか言わないでしょう。それは生きて聞いた人が勝手に解釈すればいい。 せめて、本当はなんでこの人は死んだのか?というのを、どこかに書き残したかったのです。これを読んだ人にだけ、理解してもらえれば、それだけで生きてて満足でした。もう何も要りません。今は死だけ欲しいです。

有り難し有り難し 30
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自分を愛し受け止めたい

私は男性ときちんとお付き合いをした事がありません。口に出せずに終わる片思いか、都合のいい女か。恋の数もおのずと少ないです。なんとなく付き合う、といった経験もありません。 私はずっと自分に自信がなく、こんな私を愛してくれる人なんていないと思っています。素の自分を消して、それでいて恋にのめり込み相手のことばかりを考えてしまう為、恋愛中は自分を高める努力はおざなり。 一緒にいてもつまらない、魅力のない人になってしまいます。 40代を目前とした時に、10年以上ぶりに恋に落ちましたが、上記の理由で始まる前に音信不通のまま、終わってしまいました。誰かと一緒って安心出来るんだな、そんな事を教えてくれた。そして、また同じ失敗を繰り返してしまったと情けなさでいっぱいになる恋でもありました。 誰かに愛される為には自分を愛する事とはよく言います。本やインターネットで自分を愛する方法を読んでみると、どれもこれも納得いくものばかりです。 だけど、40年も自分を愛した事がない為、自分を愛する、と言う感覚がわからないのです。 世の中のたくさんの男女は、みんな自分を愛する事が出来るのかな、だから誰かから愛されるのかな。与えて与えられて、みんなが出来ている事、どうして私には出来ないんだろう。そう思うと自分が情けなくてかわいそうで仕方なくなります。 だけど、自己憐憫に浸りたいのではなく、どうにか自分を愛せる人間になって、1人の男性に愛されたい、その人にも愛を返したい。それだけなんです。 私は過食傾向があります。ずっとストレスが原因か、ただの食いしん坊かと思っていましたが、男性から愛されたい欲求が満たされず、食べる事に欲求をぶつけているのだと気付きました。 気付くと自分が情けなくなるから長い間蓋をしていたけど、私の中に長年抱えていた願いとは、1人の男性と愛し愛される関係を築きたい。というものでした。 私は犬と暮らしています。何があっても、どんな自分であっても、まっすぐに愛をくれます。なのに飼い主である私は、自分なんて愛される価値がないと思っている。この子に失礼な考え方です。 この年齢ですが、幸せな恋愛をまだ諦めたくないのです。1人の男性と愛し愛される喜びを知らずに人生終われません。 だから、自分を愛せる人になりたいのです。 漠然とした文章で申し訳ございません。

有り難し有り難し 26
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死にたくて死にたくて仕方ないのに

前にも相談しましたが、死にたくて死にたくて仕方がありません。 原因は上司のモラハラ気質な言動と寮の先輩です。 なぜ私だけ親の職を侮辱されなければならないのか、なぜ私だけ嫌みったらしい言い方をされるのか…実に耐え難いです。 先輩はあれこれと言ってくるくせに自分は全くやらないし、潔癖の押し付けで毎日毎日何かと小言を言ってきてストレスゲージが振り切れそうです。 辛いことから逃れたいから死にたいのではなく、自殺してこの2人を社会的に潰してやりたいのです。苦しみから逃れたい思いも3割くらいあるかもしれません。 誰か身近な人間に相談しろと思われるでしょうが、職場の人間以外に周りには知り合いもおりません。 親に死にたいなんて言っても親は「何言ってんの笑」と笑い飛ばすタイプで真剣な相談なんて出来ないし、職場の上司は死にたい原因の一つで相談できません。その上の上司に相談したら直近の上司は指揮系統に従わなかったことに対して今まで以上に嫌味を言ってくるのが目に見えています。それに上にバレると過保護なので病院に連れていかれてしまいますし、そこで診断なんてつきようものなら、そこから人並みの昇任コースから外されてしまう職場なのでそれは避けたいです。先輩に相談しても死なれたら処理が嫌だからやめてよ〜の一言です。 2人は潰してやりたいけれど、職場や親に迷惑を掛けるのは嫌でどうしても踏み切れません。転職なんてめんどくさいし、泣き寝入りと同じで嫌だし、生きるのも辛いし、2人を堕としてやりたいし手っ取り早く死んでしまいたいです。病気の人とかには申し訳ないですが本当に死にたくてたまりません。なのに昇任の勉強とかして先を考えている自分もいてもうどうしたらいいか分かりません。生きていきたいわけでもないのに先の事を考えて行動してる自分も死にたい自分もいてもう自分がよく分かりません。どうしたらいいでしょうか。 支離滅裂で読み辛い文章ですみません。

有り難し有り難し 13
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誰か教えてください

私の母は元々痩せ気味で 体調が悪くても病院には行かず我慢するタイプの人でした。 なので体調が悪い。と言われてもそんな心配するわけでもなく「こんど病院いきなっせ」くらいでした。 親は離婚していて姉達も家を出ていて私と2人暮らしでした。 4月に母の胃癌が見つかりました。 その時私は家をでて自立してみたい。親離れをしてみたい。という時期でした。 病院に着いていくのも なんか義務?みたいになっていて 本当に心から心配していなかったのかもしれません。 偏食化でいつか病気するだろうな。ずっと思っていました。 胃を全摘し、退院した母は体重がさらに減り自力で歩く力もなくなっていました。 いつか治るだろうと思っていた私は なんで私ばっかり休みの日も全部病院に連れて行って姉はなんで何にもしないの?と 自分の事ばかり思っていました。 本当は歩くのもキツイのにご飯を作ってくれて帰りを待っていてくれたり 一歩も外に出ない為私だけが話し相手なのに 私は自分にも余裕がなく冷たく接してしまっていました。 元々介護の仕事をしていた母は私たちに介護されるのを情けないとよく言っていました。 病気がわかり3ヶ月で母はこの世を去りました。 亡くなる前日まで意思疎通はとれていただけでも幸せだったのかな? 母は私の前では一回も泣きませんでした。弱音もはきませんでした。いつまでも母という存在でいました。本当は一緒に泣けるくらい寄り添って欲しかっただろうに 母は 私が冷たくした事 寄り添わなかった事 恨んでいるでしょうか? 罪悪感でいっぱいです。 誰かにお前が悪い と言ってもらえたら心が軽くなるけど 皆 よく頑張ったね、大変だったろう と言ってくれます 違う…私は母と向き合う事をせずに他人事のようにしていただけなのに… ずん、と心が重くなります。 私はどうやって母に償えばいいのでしょうか? 遺影を見ても実感もわかず どこかに入院しているような感覚で どうしたらいいのでしょうか…

有り難し有り難し 21
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死にたい

前回質問した時 生きがいは後から見つけるものと教えてもらったのですが結局見つかりませんでした まだ若いからそんなに早く見つかるわけないと思うかもしれませんが、今生きている理由が欲しいです というのも自分は周りにお道化て接していて 知らないうちに本当の自分ではない 所謂もう1人の自分のようなものが生まれました 前までは特に気にならなかったのですが 高校に入り、彼女ができ、 一年過ごし、今、彼女と別れそうになっていて お互い精神が不安定で、相手はいいですが 僕はもう生きている理由が見つからず どんな趣味より死んだ方がずっと楽だと思います 死ぬことが芸術のように美しいとおもいます 人の血を見ると性的に興奮するほどです 自分の人格が壊れていく事が怖いです 周りの目が怖いです 完全なる第三者以外信用できないです 親にも本当の自分をみせられないです 自分でも本当の自分がどっちなのかわからなくなってきました。 もはや生きていないといけないとか、生きてさえいればどうにかなるとか、全然響きません。 でも心の何処かにまだ生きていたいと思うのかもしれません。こうやって質問する事で少しでも生きてみようとしてるのかもしれません。 もう生きるのに疲れました。 このまま苦しい人生を送るなら 死んだ方がましです 最近は自傷をしそうになり、 結局やめました しかし、自傷したい衝動が抑えられません。 ただ死にたいという感情だけが頭の中にあります。 寝ても覚めても死ぬことを考えています。 頑張れとか期待されると苦しくなります。 優しくされると死にたくなくなります でも優しくしてくれるのは かりそめの自分に対してで本当の自分ではありません。 そうしてかりそめの自分に触れた時死にたいとおもいます。そうすれば僕に関係した人の中にはかりそめの自分だけが残り、本当の自分になるからです そうして本当の自分を消してしまいたくなります。 無意識に嘘をついてしまって 直せません。 何度も直そうとしても そのたびに嘘を重ね、自分の首を締めています。 生きている事がそんなに偉い事なのでしょうか 死ぬのは本当に悲しいことなのでしょうか じぶんには死ぬことは名誉だと思えてなりません この悩みについてお坊さんの意見が聞きたいです。 めんどくさい人間ですいません。 こんな質問困りますよね…

有り難し有り難し 96
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早く死にたいです

幼いころから希死念慮が強く、早く死にたいと毎日考えております。 持病もいくつかあるのですが、最近治療をやめました。 食事も一食食べれば良いくらいで、眠れないので睡眠薬を飲んでいます。 幼少期に祖母の虐待が酷く、「お前は弱い人間だ。私の役に立たなければ生きている価値がない」と言われ続け、当時母にも相談できず、大人になって祖母を介護しなくてはいけなくなった時に初めて、精神的なこと以外にも馬乗りになって殴られたことなどの虐待の事実を言いました。 このことは私の中では「済んだこと」と蓋をするようにしてきましたが、最近、成人した息子にも「役立たず 早く死ね」などと言われ、私は本当に生きている価値のない役立たずなのだと、完全に生きる気力を失いました。 来週まで仕事が休みなので、今のうちに死んでおこうと、自殺の仕方などを調べていたら、このサイトをたまたま見つけました。 昨年も自殺を図ったのですが、運悪く母に見つけられてしまい、未遂に終わりました。 今まで希死念慮はありましたが、自分の命は「生かされているもの」として、常に人にも物にも感謝して「お蔭さま」「感謝」の気持ちをもって、何とか生きてきましたが、もう限界だと思いました。 何か上手くいかないことや気に入らないことがあると全て「お前のせいだ、役立たず」と言ってきた祖母、元主人は我慢できましたが、最愛の息子にまで言われるとは・・・どんなにダメな人間なのかと絶望感しかありません。 「私のために生きて」と言ってくれる母には申し訳ない気持ちでいっぱいですが、もう限界です。 最期にお坊様のお言葉を頂戴してから逝こうとおもい、ここにメッセージを書かせて頂きました。 相談内容にこんなことを書いてしまい、申し訳ありません。

有り難し有り難し 29
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悩みを本音で話せる家族友人がいません

こんばんは。 ご相談たくさんのところかと思いますが、よろしくお願いします。 私は他界した実母のこと、怒鳴り散らす主人のことでつらくなり誰か親しいひとに聞いて欲しいときがありますが、友人たちも仕事に子育てと忙しいため、自分のダークサイドを見せるのを躊躇しています。 いつも明るく振る舞い、悩みなんかないように見せていながら、夜な夜なおちる。 これが寂しく辛いです。 私は結婚して10年、子供がもうすぐ5歳と3歳です。子供との生活は心から愛おしい日々ですが2人目を出産してから夫とはいろいろあってうまくいっておりません。残念ですが、いまは無理に修復しようとも思っていません。 実母が2年前に闘病の末他界しておりますが、当時夫はほとんど寄り添ってくれず、今も母のことで落ち込み泣くときは夫に隠れて泣きます。落ち込んでいるとそれとなく伝えたこともありますが相手にしてくれません、相手にしてくれないことに不満をいうと、俺は悪くないと言ってくるので、改善するのは今じゃないと思っています。 仕事と子育てで忙しく、友人はめっきり減りました。 なんだか人生が孤独でおわるような気持ちなってしまいます。なんだか寂しい人生というか、母親以外の何者でもないことに、悲しくなります。 このむなしいきもちとはどう付き合えばよいのでしょうか。 母が生きていてくれたら、と、さみしいときは本当に落ち込んでしまいます。。。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1
2022/12/20

霊魂やあの世についてお坊さんの考え方

お坊さんは霊の存在 あの世の存在について 「真実はどこにあるのか」意見交換のようなことはしないのでしょうか? 普通 専門分野には 「学会」などがありますよね 例を挙げると 医者の世界なら 学会で 様々な治験結果を発表して 病気に対してどんな治療法が有効なのか 意見交換をしたりします。 そして その結果は一般人も知ることができ普段の生活習慣や食生活などにも気を遣うようになる人もいます 仏教でも宗派によって「霊魂は存在するか否か」についても見解が違うようですね。 真実がどこにあるのか情報収集をしたり学会のような意見交換はないのでしょうか? (どのように敬称を使うのかわからないので 以下敬称略で書きます。申し訳ありません) 歴史のタラレバの話になりますが もしも 最澄や空海が乗船していた遣唐使船が暴風雨に見舞われた時に海没していれば後の天台宗や真言宗はありませんでした。 法然が父親の敵討ちのために武士になる道を選んでいれば後の浄土宗はありませんでしたし、弟子の親鸞も存在せず浄土真宗もなかったかも知れません。 土御門道親が長命で朝廷の権力争いに勝ち位人臣を極めていれば道元も公家としての生き方をして曹洞宗はなかったと思います。 北条時宗が平頼綱を止めなければ日蓮は殺害されて日蓮宗はなかったと思います。 ちょっと歴史が変わっていれば、現在仏教の宗派も存在しなかったり、新しい宗派ができていた可能性もありますが それによって霊魂やあの世の存在について真実が変わることもないはずです。 多くの人に嫌われたり 尊属にも虐待されて生きてきた人 周囲と仲良くやってきて尊属の愛情を感じて生きてきた人 人それぞれです、 友人やペットなどに対する思いも人それぞれです 霊感商法に騙されて 宗教=悪と思っている人もいると思います あの世や霊魂があるのか 真実を知ることで生き方も変わってくると思います お坊さん=霊能者 ではないことはわかっていますが いろいろな人の体験談を聞いたりして 何か真実なのか調べようとすることはないのでしょうか?

有り難し有り難し 41
回答数回答 3
2023/02/13

縁を切った者に対する気持ちの整理

弟は父と私と縁を切りました。母とは会っているようです。仲良し家族でした。先日、弟夫婦以外で旅行に行き楽しかったのですが、弟が縁を切った原因の一つは私でもあります。幼少期から押さえつけ、理不尽に接してきました。因果応報ですが、両親のことを考えると焦る気持ちがあります。なんとか和解して欲しい、自分も仲直りしたい。そう思うのです。歩み寄っても無駄だったのですが、父に対して申し訳ない気持ちが特にあります。私と父はお互いに経営者ということもあり性格も価値観も似ています。弟に関してはもう何をしても無駄ですが、両親のためにもまた円満な家族に戻りたいのです。こんな形で親不孝なまま死なせたくありません。人はいつ死ぬかわかりません。だからこそ、こんな形でバラバラになりたくないのです。家族だからと言ってみんなが揃うわけでもないし、それぞれ家庭があってそこが円満なら良いのではないかと言う気持ちもあります。家族でも価値観が違うこと、合わないこと、当たり前だと思います。これまで私たちは同じ道を仲良く辿ることができたけど、違う道に歩きたくなった、それが弟です。諸行無常とはまさにこのことではないかとも思います。無理に引き留めて戻そうとしたり、何かを強制して的に戻ったとしてもそれは本質的に戻っていません。形だけのために誰かが犠牲になる必要もなく、行きたい方へ行けばいいのです。頭ではわかっていますが、どうしても清々しい気持ちにはなれません。かといって、自分の行動を後悔してるかといえば、全く後悔はありません。なるべくしてなった、いずれこうなっていたと思うからです。それぞれの道に進む。これで良いと思いつつ、両親がこのまま死んでしまうのが嫌です。気持ちの整理がつきません。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1