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検索結果: 718件

親の死について

久しぶりに質問をさせていただきます。 転職と実家を売り引っ越してから約2年は過ぎました。 経済的自立と精神的自立を目指して1度は一人暮らしをと計画し親に打ち明け、まずは不動産屋にというところまで決まったのですが、ワクワクしていた筈なのに、寂しくて不安で仕方がありません。 少し距離を取りたいとまで思っていたのに、甘えて家族に依存し今が続けば良いと望んでいたのだと実感しました。 ですが不安はそれだけではなく、普段から考えない様にしていた親の死が急に身近に迫ってきました。祖母が死に、側にいたのが当たり前ではないと実感してから親の死について考え、気落ちし考えない様にと繰り返しながら先延ばしにしていた事が、家を出る為に動いた事で私の心を支配してしまいました。 一人暮らし計画を辞めてずっと家にいたい。でもそれは自身のためにはならない。親が存命のうちに試してみたい。でも離れる事が擬似的な死別に思えて怖くて仕方がありません。 未知の恐怖がそうさせるのでしょう。時間が解決すると思っていても胃の腑が冷えて体が震えて仕方がありません。布団から一歩も出れません。 心の調子を崩し不安感が常に付き纏う様になってから、前向きになる事が難しくなりました。考えも極端なものになってきました。 心をどのように保てば良いのでしょうか。ご教授頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 6
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親の死

現在、週末期を迎えている父がいます。 父は10年以上前に病気が発覚し、すでに末期だったので現状維持を目的とした治療をしてきました。 完治はない事からずっと覚悟はしてきたつもりですが、8月に入って急激に悪化し、あっという間に動けなくなりました。 両親は横浜、私は東京で一人暮らしです。 姉夫婦が近くに住んでいて、頻繁に様子を見に行ってくれていますが、基本的に母が一人で不安と戦いながら面倒を見ていると思うとそれも辛いです。 職場の理解もあり、隔週で休みを多めにもらい実家に帰っていますが、帰る度に弱っていく姿を見るのが辛くて怖いです。 東京へ戻ると、急変したらどうしようと考えて眠れなくなる日も。 父がその時を迎えるのを直視できる自信がありません。 それなのに、全てが終わったら長期休暇を取って10年間支えてきた母の疲れを取るため、一緒ににゆっくり過ごそうか。と今から不謹慎な事を考えてしまう自分もいます。 でも、その為には父との別れを経験しなければいけません。 いつ来るかわからない、そう遠くない別れを待つ日々が辛いです。 穏やかに、静かに迎えたい気持ちと、 早くラクにしてあげたい気持ちと、 やっぱり怖いと思う気持ちと。 心がゆらゆらしています。 どのような気持ちを、どのように保てば良いのか教えてください。

有り難し有り難し 35
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「親が悲しむから死ねない」というのがわからない

「自分が死んだら親が悲しむから死ねない」という感情がわからないのです。 私は、もし自分が死んでも、たぶん親は悲しまないと思ってしまいます。 うちの親は「お金(教育費)をかけたのに無駄だった」とか「親孝行(介護)をアテにしていたのにいなくなった」と、私が死んで親が怒るイメージは想像できるんですが、親が悲しんでくれるイメージが想像できないのです。 だから、自殺を思い留まるときに「親が悲しむから」という理由が理解できないのです。 この事を、友人に話しをしたらドン引きされてしまいました。 なんで皆んなそんなに親が好きなんでしょうか? 親に恩返しをしたいんでしょうか?親に長生きして欲しいんでしょうか?私にはまったく理解できないんです。 「子供の頃にされたように親に恩を返す」という言葉を聞きますが、それならば自分は親に愛されていなかったんだろうか?と考えてしまいます。 自分は冷たい人間なのか、自分の考えはおかしいのか、と悩んでいます。 「自分が死んでも親は悲しまない」と思っている人は他にはいないのでしょうか?それはいけない事なのでしょうか? 大概人に話すとドン引きされてしまうので、軽々しく相談できるところが無くて困っています。 お坊さま、是非おたすけをお願いいたします。

有り難し有り難し 28
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2022/10/23

親の病気と死の恐怖

父の事であたまがいっぱいです。 今までは、持病はあるものの元気に過ごしていたのですが、突然体調不良になり原因を追求できないまま日に日に衰えていき、ただうろたえるばかりでした。 認知症かも。 兄弟でそれを告知するかどうか意見が分かれて、うまくコミュニケーションがとれなくなりました。 結果、認知症ではなく他の病気のようで検査待ちですが、コミュニケーションがとれない期間がとても長く、その間に病気がかなり進行してしまい深刻な状況になってしまいました。 私が告知をためらい検査を拒んだことから始まり、周りを混乱させてしまい、その結果父を苦しめる事になってしまいました。 あの時、ちゃんと検査を受けていればもっと早くに病気がわかったのに… あの時、他の病院に行っていれば… あの時、余計なことをしてしまって… あの時、きちんと話し合えば良かった… あの時もあの時も。 何よりも何よりも、父の寿命を縮めてしまった責任を感じ、申し訳ない気持ちと後悔と反省で心が押し潰されそうです。 時間は戻らないとは、分かってはいるものの、今度は、父がいなくなるのではと怖くて怖くてたまりません。 いい大人なのに、未熟者で情けないです。 父に対する罪悪感と死に対する恐怖心と、どう向き合っていけばいいのか教えていただきたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 6
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2023/04/02

父の死から、死について考えてばかりいる

死について考えてばかりいます。 ちゃんと仕事に行き、普通に毎日を過ごしていますが、頭の片隅にはいつも『死』が居座っています。楽しいこともするし、おいしいものも食べる。でも『死』を考えないことはないのです。 積極的に死のうとは思わないのですが、親が生きている間は死ねないなぁと思っています。昨年の夏父が亡くなりましたが、死んでからどこへ行くのだろうと考えます。あの世なんてあるのかな、そんなものあるわけないとか、考えは逡巡します。 死について初めて考えたのは小学生の頃だと記憶しています。自分が死んだ後も世界は回っていくんだ、今死んだら明日起こることは自分にはわからないんだと気づいて恐ろしくなりました。 死にたい(というか消えたい)思いと、親や夫、子どものことを考えると死ねないと言う思い、振り子のようにこの2つの思いの間を行ったり来たりしています。 今の自分の意識がなくなることが恐ろしいのかな。考えたりしている自分がいなくなる。それがこわいのかな。あの世なんてあるのかな。死んだらどこへ行くのかな。 そんなことを考えながら何食わぬ顔で普通に生活している自分に疲れてしまい、休日はほぼ寝たきりで過ごしています。 どうか死について教えてください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
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2023/07/07

親の二の舞(続・安楽死所望)

前回と似た内容で、申し訳ありません。 親の二の舞を演じるのが明白なのに、生きていく意味があるのでしょうか? 生まれてから今日に至るまでの現実体験を踏まえれば、DNA(遺伝子)の問題であるのは、間違いありません。 具体例を1つ。 「歯茎が、お父ちゃんと同じやなぁ・・・」 初診時に、現在も通院しているかかりつけの歯科医から、言われたセリフです。父も診てもらっていたので、事実なのでしょう。 今、上の前歯がぐらついて、いつ抜けるかわからない状態です。私の歯と歯茎の状態は、その歯科医の「予想した通り」の経過をたどっています。 その他、親の二の舞の具体例には、枚挙にいとまがありません。 ところで、2019年の参議院議員選挙(比例代表)で、政治団体「安楽死を考える日本の会(安楽会)」が、候補者を立てていました。 結果は、得票数26万9,051票(得票率0.54%)で、議席獲得はなりませんでした。昨年(2022年)の同選挙では、安楽会は候補者を立てていませんでした。 日本では、安楽死の問題を議論する雰囲気は、「微塵もない」ようです。 生き方を熱く語る著名人・有識者は、星の数ほどいますが、「死に方」を論じる著名人・有識者は、私の知る限りでは「皆無」ですね。人は、いつか必ず死ぬというのに・・・。 前回の質問文中にも書きましたが、読売新聞社あてに出した投書は、ことごとく「無視」されました。 とっくの昔に、心は折れてます。 体が思うように動きません。 体のあちこちが痛みます。 もともと弱かった心臓も、さらに悪化しています。 身も心もボロボロです。 お金もありません。 何かあった時に、助けてくれる人もいません。 死んでも、白骨化するまで、誰にも発見されないでしょう。 父の七回忌までは、まだ生きている意味もありますが、それが済めば、本当に終わりです。これらを踏まえれば、やはり「安楽死所望」です。 今後の予測がついているのに、それでも、生き続けなければならないのでしょうか?

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

死について

このタイトルの質問は多くたくさんは拝見するのですが、少し私は考えが違うかもしれませんので、投稿させていただきます。長文御容赦ください。 私は死について考え出したのは小学6年生の時でした。 そのときは、死んでしまうともうこの世には帰ってこれないし、今楽しいと思うことはもう二度とできない。といったものでした。 そして、考え方は年々変化しました。 今は以下のことを考え、夜になると吐き気をもよおすこともあります。 ・死んだらどんな姿になるのか ・姿が変わっても親や妻、夫に会えるのか、また後から来る人にも会えるのか ・生まれ変わるというが、今実際前世何かだったという記憶も多分ありません… ・あの世でも老化ということがあるのか?あればどのくらい前の人まで会えるのか?なければ老けない姿でどうやって会いたい人を探すのか? ・なんといっても向こうでも働くのか?食べるのか?ずっと活動するのか? といったことがこれでも一部ですが、考えてしまいます… 誰も死に逢ったことはないし、わからないものです。 ですが、かといってこういうふうな捉え方をするなと言われてもできそうにはありません… ありがたきお言葉をお待ちしております……

有り難し有り難し 34
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