4歳、2歳、生後1ヶ月の子供を育てている28歳です。 23歳から3回の妊娠、出産、産後を経てからなのか、もしくは元々の性格からなのかはもう忘れてしまったのですが、 ものすごく不安を感じやすいです。 常に何かの不安で心がヒヤッとしている感覚です。 例えば今なら、生後1ヶ月の息子が突然息が止まったらどうしよう、それが夜中で私が寝ていて気づかなかったらどうしよう、乳児は突然死の可能性があるんだよね...と頭の中をぐるぐるそのことだけが駆け巡り、スマホで乳児の突然死について調べ出し、経験談を読み泣いて、余計に不安になり、眠れず...。という具合です。 たとえば一旦この気持ちが落ち着いても、今度は「長女が幼稚園で何か危険な目にあったらどうしよう」「次女が食べ物を喉に詰まらせたらどうしよう」「夫が急に大きな病気になったらどうしよう」「私が今急に余命宣告されたらどうしよう」「両親が死んだらどうしよう」「お金がなくなったらどうしよう」「家に強盗が入ってきて殺されたらどうしよう」と、キリがないんですが常に不安を抱えてしまいます。 ただの杞憂に終わるだろうと思える時もあったのですが、実は先日、産後の入院中に自宅に空き巣が入りました。夫も娘たちも私と赤ちゃんの様子を見に病院にいる間、家を空けていた数時間の間に窓をこじ開けられ入られ、指輪やバッグは盗まれ、退院してくる新生児のために綺麗にした部屋はぐちゃぐちゃに荒らされていました。 「家に泥棒が入ったらどうしよう」とたまに考えていたことがまさに現実になってしまいました。 この経験で私は不安に思ったことは現実化してしまうのではないか?と余計に不安を強く感じてしまうようになりました。 1人目、2人目の産後も不安で精神的に不安定になり心療内科へ通うこともありましたが、根本的な解決にはなっていない気がしてまた行く気になれません。 もっと今この瞬間の子供たちの成長や幸せを味わいたいのに、「今よくてもこの後ものすごい不幸が来るぞ」と思ってしまってハラハラが止まりません。 そしてこの「不安が止まらない」ことに関してもネットで検索したり、別の質問サイトに相談したりとしてしまって本当にキリがありません。 何か助言をいただけませんでしょうか。
不毛な考えに頭が支配され、何をしていても鬱々とした気分になってしまいます。 「マインドアップロード等の技術開発が進んでおり、近い将来、人間が不老不死になるかもしれないこと」を数ヶ月前に知りました。素晴らしい技術と思いました。 一方で、平等であった死すら、経済格差等によって、死ぬ人と死なない人に分かれてしまうことに恐怖を感じました。この技術が確立した際に、家族、特に私の子どもが、私自身が正社員として働かなかったために、お金が足らず周りが不老不死になる中で、死んでいかなくてはいけない状況が頭にこびりつき、毎日苦しいです。 仕事が原因で精神疾患になってしまったこともあり、いまは退職してしまいましたが、上記のことが毎日頭をよぎり、激しく退職を後悔しています。退職の際には、家族からフルタイムで働くことはもうやめた方が良いと言われ、自分自身もフルタイムで働くと子どもに寂しい思いをさせてしまい、さらには私の心に余裕がなくなってギスギスした家庭になるのではと思い、パートや派遣として働いていきたいと思っての決断でした。 前置きが長くなりましたが質問内容としては、 どうしたらこの考え(不老不死の技術が確立した際に自分たちだけ死んでしまうのではないか)を取り去り、過去の決断を受け入れることができるのか、アドバイスをいただけるとありがたいです。 起こるかもわからない未来を恐れて、今を生きることができていない状況です。 長文駄文で申し訳ありません。もしよろしければ、ご回答お願いします。
私はお付き合いしてる人と数ヶ月前からペットを飼っています。 以前から飼いたいと思っていて、ペットショップで胸を打たれてしまい、2週間後にお家にお迎えしました。 とても可愛くて、大事に大事に育てています。 しかし、あることがたまに心にひっかかり苦しくなります。 それは死についてです。 ペットは私たち人間より寿命が短いので、成長していくたびに嬉しい反面悲しい気持ちにもなります。 私が飼っているペットは平均寿命が8年といわれています。 そんな悲しいこと考えてしまうと、ペットにも失礼だとわかってはいるのですが、ずっといっしょにいられないんだと辛くなります。 彼はペットが幸せを全うすればいいんだよとアドバイスをしてくれますが、 幼い頃に大事にしていたペットが亡くなった時のショックが今でも忘れられません。 そんなにトラウマなら飼わなければいいのにと言われますが、ペットといっしょにいると人間にはない癒しがあります。 今飼っている子を幸せにしたいから飼いました。 死について、後ろ向きに考えてしまいます。 死についてお坊さんからお話していただけたらと思います。 お返事よろしくお願い致します。
約3年程前父が突然亡くなりました。 金銭的な理由で家族葬でお坊さんを呼ばず見送りました。 うちらしくて終わった時は良かったと思いました。 うちは、三姉妹で、私は三女になります。 父の死後位から、次女の様子がどんどん 変わり、次女が父がいつも言うような言動になっていきました。 色々あり、今次女とは疎遠になっているのですが、近況を聞けば父そのものの言動です。 父をちゃんと成仏させる事が出来なかったため、父の魂が次女にのりうってるようにも見えてきました。 今の次女に何を話しても聞き耳をもってくれるとも思えません。 元々の次女は本当に優しく面倒みのいい人です。 父の死とは関係ないのか気になります。 どうしたらいいのでしょうか。
先日行った人間ドックで肺に炎症性変化があり3ヶ月後の再検査となってしまいました。 現時点での医師の説明ではおそらく心配ないものであるが、可能性はゼロではないので念のためという事での再検査です。 CTを撮ると結構な人数の方が再検査になるらしく、風邪の炎症でもよく映り込むので癌ではない人が殆どですと。 医師の感触では否定的でした。 癌宣告を受けた訳ではないですが親を肺癌で亡くしているため、先々を考えると恐怖心が拭えません。 平常心を保とうと普通に生活し、歩いて気分転換を図ったりしていますが、また直ぐに考えてはネット検索してしまいます。 人間はいつか死ぬ事は身近な人の死から分かってはいるものの、やはり怖いです。 一人っ子の子供を置いて逝くのも忍びなく、できれば自分の親の年齢を超えるまでは一緒にいてあげたい。 それに施設にいる親の介護もある。 など、色々と考えてしまう心のざわつきを鎮める方法はありますでしょうか? プロフィールを読んで頂くと分かりますが、親や夫婦間で様々な問題に長いこと悩まされ、いけない事とは思いながらも他の男性と長期的にお付き合いを重ね、心のバランスを保ってきました。 この様な事をしているので天罰が当たったのかもしれません。 彼とは割り切った付き合いであるものの、付き合いも長いのでお互い情が入っています。 いつかは病や生活の変化で別れる時が来るだろうとも思っていましたが、お互い心の拠り所になっていたのは確かです。 病の心配と彼との今後について混同してしまいましたが、どうやって今後の人生に向き合ったら良いのか教えてください。
私の両親は50代で病気もなく健康体です。ですが、私自身「もし両親が急に死んでしまったらどうしよう」というどうしようもない不安を常に抱えて生きています。 先日家族旅行に行き、帰りの空港でもこの旅行が家族での最後の旅行になったらどうしようと考え、1人でこっそり泣きました。また、この空港でのエピソードを友人に面白おかしく話そうとしたところ、その時の感情を思い出して再び泣いてしまいました。 私自身、予想もできない未来に不安を抱いて生きるより、今一緒に過ごせている時間を楽しく過ごした方がいいことは十分理解しています。むしろ私自身もそうやって過ごしたいのですが、楽しい時間を過ごしている時ほど、終わりを考えてしまいます。 私自身、身近な人を失った経験が現時点でない為、人一倍死への恐怖が大きいように感じます。家族との別れを想像しても、乗り越えられる気が全くしていません。小学生の時から20になる今までずっとこの考えで生きてきたので、根本から変えるということは難しいのかもしれませんが、少しでも楽に家族といまこの時間を過ごせるような考え方はないでしょうか、、 お坊さん自身が、ご家族との別れについてどのように考えているかだけでも教えていただけたら幸いです。
3年くらい前に母が亡くなりました。 母が亡くなった日に2人目を妊娠していた事がわかり、つわりや出産、2人の子育てでいっぱいいっぱいでした。 まさにコップのお水が表面張力でいつこぼれてもおかしくない、ちょっとの衝撃でこぼれてしまう、 そんな精神状態で、日々過ごしていました。 母が亡くなった直後はただ息をするだけ、立っているのもやっとなくらいでした。 3年ほど立ってやっと気持ち的に落ち着いてはきましたが、少しでも不安ことやストレスがあると心が揺れてしまいます。 母の死だけが気持ちの不安定さに直接関わるわけではないと思うのですが、 大切な人の死から立ち直るのにはどれくらいのかかりますか? 3年たってまだ気持ちが落ち着けないのは悪い事ですか? また、どうしたら大切な人の死と向き合えばいいでしょうか?
「いのちの停車場」(南杏子・著、幻冬舎)という本を、お盆の期間中に読みました。 ・「癌悪液質」 ・「疼痛緩和医療」 ・「疾患別死亡曲線」 ・「譫妄(せんもう)」 ・「下顎呼吸」 この本に出てくる言葉ですが、私の母(2008年死去)の場合は、ほぼ当てはまっていました。諸般の事情で、在宅介護が出来なくなり、最期は病院の緩和ケア病棟で看取ったのですが・・・。 当時は、「緩和ケア」等の考え方が、まだ緒についたばかりで、私も周囲も知識がありませんでした。少しでも知っていれば、こちらの受け止め方も、多少は違っていたと思います。 回答僧の皆様の回答でも、「死」に関するものが、多いですね。心(精神面)だけならば、hasunohaの回答で十分だと思いますが、医療面での知識も必要だと、改めて感じます。 答えのない質問をぶつけて申し訳ないのですが、回答僧の皆様は、主に在宅介護する家族に、「死を学ぶ授業」が、必要だと思いますか?
はじめまして。 9月にまだ4ヶ月になったばかりの子供が突然亡くなりました。 子供と2人でお昼寝をして、ふと目が覚めて隣を見た時には子供の体は冷たく心肺停止の状態になっていました。 病院で蘇生し、小さな体で最後まで頑張ってくれましたが4日後に亡くなってしまいました。 原因不詳の突然の死に気持ちがついていきません。 数時間前まで私に笑いかけてくれていた姿と、目が覚めた瞬間に見た真っ白になって隣で眠る姿が頭に浮かんで眠れません。 私のせいで亡くなったわけじゃないとお医者様や周りの方に言われてもどうしても同じ空間にいたのに変化に気付くどころか寝てしまっていた自分のせいだと思ってしまいます。 私が笑うと一緒になって笑ってくれた子供の為にも笑顔でいたいのですが、子供の事を考えるとどうしても涙が止まりません。 自分の為にも、子供の為にも前を向いて生きていきたいのにどうしてもできそうにありません。 前を向く為の一歩として、また子供を作ることも勧められましたがまた自分の子供がなくなってしまうのではないかと不安で仕方ありません。 どうすればきちんと子供の死と向き合えて、前を向ける日がくるのでしょうか。助けてください。
初めまして。優子と申します。 私は幼い頃から『人は死んだらどうなるんだろ。死んだあと残された家族が悲しんでいる姿を見るのは怖いな…』等良く考えていたのですが、数年前に頭の手術をしてからその思いが強くなりました。 月に数回なのですが、たまたま息苦しさを感じたり頭痛感じたり些細なことで 『寝ている間に死んでしまうのでは…』 と、ほぼありえないのはわかっているのですが不安になり考え込んでしまう事があります。 家族に相談しても『考えすぎ』と言われて終わりです。 このような気持ちになったときどうやって気持ちを切り替えれば良いのか教えて頂ければ幸いです。
小さい頃から、命が有限であることをネガティブにとらえ、生きることに執着してしまいます。 仏教の教えに従うことで、こうした心が安定するのを感じます。 しかし、一方で、「死を受け入れるしかないなんて虚しい」とも思ってしまいます。 心が安定する→虚しくなる→心が安定する→虚しくなる、この繰り返しです。 このまま死ぬまでこのループから抜け出せないのではないかと不安な気持ちでいっぱいです。 最終的に、死に対してどのように向き合えるようになれればゴールなのか教えていただきです。
先日、祖父を亡くしました。半年前には祖母を亡くしました。 2人とも僕にとても尽くしてくれて、人間としても素晴らしい方々でした。 祖父の最後は僕のために洗ってくれたお風呂の中でした。少し発見が遅れてしまい、1人にさせてしまったことが今でも悔しいです。 祖父が使って、洗うために台所に置いてあった食器を供養の気持ちを込めて洗っていた時に、ふと、もうこの食器を使っている姿を見れないんだなと思う気持ちと、生前に食器を使っていた場面が鮮明に思い出されて、保っていた涙腺が崩壊してしまいました。 その後もただ、祖父母のいなくなった部屋を呆然と眺めているだけで、喪失感、自分と2人との部屋での日々を思い出し、涙が出ます。 祖父は祖母が亡くなったのとほぼ同時に進行したがんの発見や老いによる身体の不自由。さらに仕事という生きがいを無くし、僕たちに生活の迷惑をかけていると思っていることや祖母の死になにもできなかったと悔やむ姿。とても辛そうでした。 亡くなってしまったことはとても残念ですが、夫婦一緒に納骨できること、辛そうな祖父が解放されたような気がして、これでよかったのかもしれないと。こう思ってしまう、僕は間違っているでしょうか? そして、祖父母を亡くしたことで自分や家族、友人、大切な人が次にまた無事に会えるのか毎日怖くなってしまいました。 些細な不調なんかでも最悪のケースを常に先に考えてしまい、不安で無気力になってしまうこともあります。 寝てしまって、そのまま自分に何かあったら、それ以外の人もそのまま永眠してしまったらと自分が寝るのも家族などが寝るのを見るのも怖くて、あまり寝れません。 死とは突然で世界を一変させてしまうものだと祖父母に気付かされました。 誰かに聞いて欲しい。それだけを思って書いてしまった部分もありましたが、お許しください。 そして、どうかお言葉、知恵を与えてください。お願いします。
何度もお世話になっております。よろしくお願いします。母が、介護施設でお世話になり、5年過ぎました。施設内でコロナがクラスターとなり(2回目)連絡ありました。介護士さんの中にも、コロナ陽性者が出たので、母親にも可能性があります。介護度5ですので、お世話にならなければ、ならないことも十二分に承知であります。その数日後に、昨日から発熱があり、検査受けに行ってきました。との連絡ありました。人は必ず死を迎えます。しかし、コロナにかかって亡くなった最期は、いつも通りに見送ってあげられない。ずっと頑張って生きているのに、最期まで辛い思いをしなければならないかも知れない。もちろんそうなったわけでもないのに、考えれば考えるほどおかしくなります。私はいい娘ではなかったし。いちばん辛い思いをしているのも、母親です。死を迎えたら、楽になるのかな。とも考えた時もあるけれど、今はとてつもなく母親の死が怖いです。人は必ず死を迎える。父も母の姉妹も、たくさんの大好きな人たちを見送っているのに。なぜにこんなに怖いのか。私も死ぬよね。どうなるかなんて分からないし。でも、死んでしまったら、母や妹、父はじめ供養してあげられなくなってしまうから。それが今の生きる糧なのですが。なぜにこんなに母の死を恐れるのか。辛くて仕方ありません。お言葉頂きたいです。よろしくお願いします。
今から約8年前、自分が高校生のとき 事故で急に姉を亡くしました とても仲が良く友達みたいな姉妹でした。 それからなのか人の死がとても怖くなり 家族が家に帰ってくるのが遅いと 事故にあったんじゃないかどっかで 倒れてるんじゃないかとか 異常なくらい心配になります。 また体のどっか気になることが あったりテレビで色々な病気の ドキュメンタリーを見るたび 自分もそーかもしれないと思い込み 病気になった気分になり 病気=死を連想してしまいます 少しどーかあると気になって気になって 色々検索してしまったり 今は卵巣に小さな奇形種があると 言われていてそれが気になってしまい 先生は経過を見ていくしかないと いう風に言ってくれてるのに それで大丈夫なのかとか色々 深く考えてしまいます。 もし病気が進行して手遅れに なってしまったらとか なんか病気だったらとか 考えるとキリがないです。 家族と笑いあってるとそのときは 楽しいのにいつかこの楽しさも なくなるのかなとか 誰かまた亡くなったらとか 考えると悲しくて仕方ないです。 今年は結婚もし赤ちゃんも10月に 産まれる予定です。 嬉しい事が続いてると余計色々 怖くなってしまって どーしたらいいか分からないです。
長文で失礼いたします。はじめまして。 去年の8月頃から、死ぬということに対して過敏に恐怖を感じるようになりました。 ふと、母親がいなくなったら恐ろしいと感じ、そこから、いつか誰もが死を迎えるということに気がつき、自分もいつかそうなるのだと強く感じて、「死んだら自分はどうなってしまうの?」といった恐怖で常にいっぱいになるような状態になっていました。 怖がるだけではどうしようもないと感じ、友人や母に打ち明けて相談に乗ってもらい、一時的に恐怖から離れられることもありましたが、安心できる状態がしばらく続いた後、ふっと思い出し、どうにもならないという思考になってまた怖くなるような状態の繰り返しになってしまいました。 忙しくすれば忘れられるという親の意見を元にアルバイトを始めてみたりもしましたが、バイト中に恐怖心が押し寄せてくることもあります。 不安のあまり、SNSで同じような悩みを持つ人たちの投稿を見た時に、そこで「産まれなければよかった」など不安を掻き立てるような言葉ばかりの人を見てしまい、恐怖が押し寄せてくるような事もありました。 産まれることは自分の意思で選べないことであり、この世へ産まれた以上は死を迎えるまでは懸命に、楽しく生きたいと思っています。就職も迫っているので尚更この考え方が大事だと思います。それなのに、まだ死が恐ろしいと感じてしまう自分がいることが不甲斐ないです。 こんな状態が続いて苦しいです。私はどうすればいいのでしょうか?
昨年の4月に悪性リンパ腫で私の息子は入院しました。医者は、8回の抗がん剤をやれば完治するとの事だったが、心配になり霊視占いにも見てもらったら、死にはしない!親より先に死ぬ事はない!治るとの事だったので安心してました。 ところが、7回の抗がん剤が終わった時に医者から腫瘍がまた大きくなっているから退院は無理と言われ更に強い抗がん剤をやったがダメでした。私達は、不安になり癌に効くサプリやお墓参りも何度か行き、神社にも毎日行き、神社では不思議な現象も何度か体験してもしかしたら治るんじゃないかと期待していたのですが、様態はどんどん悪くなり正月早々に亡くなりました。 息子は、23歳でしたが激しい痛みにも耐え根を上げず、ずっと頑張っていました。亡くなる最後の日私にハグをして、愛してる愛してる!ありがとう!の言葉を残し他界しました。 頑張っていた息子の為にも私は、残された家族のために頑張らなくてはいけないとは思っているのですが、仕事も家の事もやり気が出なくて泣いてばかりの毎日です。 息子は、私の言う事は信じて頑張っていました。亡くなる日に私は、息子にこんな病気何くそー負けるか!負けてたまるか!って言う気持ちでいなよ!絶対に治るから!と言ったせいなのか息子はかなり弱っていた体に力を振り絞って長い時間ベットの上で便を頑張り力尽きて亡くなりました。 私は、息子の寿命を縮めてしまった!かける言葉を間違えてしまったと言う後悔で息子に申し訳なくてこの先どう生きていけばいいのか分かりません。 無理なのはわかってますが、もう一度息子に会って謝りたいです。
今度初めて夜行バスに乗らなくてはいけなくなりました。 20代の女子大生です。ゼミ合宿のために乗ります。 夜行バスは危ないと聞いたことがあるのも踏まえて、事故になったらどうしよう、事故死したくない、と思ってとても憂鬱です。 でももう行くことは決まってしまっているし、私1人だけ別で向かうことはできません。 しかも、夜行バスに乗る日は私の誕生日の翌日です。家族や彼氏とご飯に行ったり、誕生日を含めてそれまでにたくさん楽しい予定があるため、ドラマみたいに最高に幸せなところから突き落とされるように、という感じで事故死したりしないか怖いです。 考えすぎ、大丈夫、と親や友達に言われていますが、怖くて怖くてしかたないです。 最近は就活も始めていたり、彼氏との何年目かの記念日があったり、まだまだこれからだと思っています。頑張って働いたり、将来は家庭を持ったりとまだまだこれから楽しく生きていたいので、尚更死にたくないです。 夜行バスや事故死以外にも、普通に歩いていても飛び降りてきた人とぶつかって死にたくない、通り魔に遭いたくない、車が突っ込んでくるかもしれない、などについても、怖いと日々思ってしまいます。 これらを踏まえて、夜行バスが怖いです、、 まとまりのない文をここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。 このような場合、どんな心の持ちようでいれば良いでしょうか。また、どんな考え方をすれば良いでしょうか。 お教えいただけたらありがたいです。 よろしくお願いいたします。
よろしくお願い致します。 先日祖母が亡くなり、ふと死が怖くなりました。自分が死ぬことへの恐怖、死んだらどうなるんだろうという事や、自分の家族や周りの大切な人が死んでしまったら、自分は耐えられるのか、そればかり考えて漠然と不安になります。 昔から「死」まで行かなくとも、卒業や引越しでの「別れ」や「終わり」というものに人一倍敏感で、ドラマやアニメの最終回ですら気持ちが不安定になる性格です。 これから年齢を重ねるにつれ、色々なものとの別れが増えると思いますが、どういう心構えでいればよいのでしょうか。
急ぎの要件ではございません。 ◆◆◆ 世間では、大学生カップルでも性行為をしたり、そこまでいかなくても性的なスキンシップを取るのは普通みたいです。しかし私は自分が社会人になるまでは性行為をしたくないと思っています。 第一の理由は「学業があるので親にはなれないから」で、第二の理由は「異性としての男性が『なんとなく』怖いし信頼できないから」です(性被害などの辛い経験は特にありません)。 低用量ピルによって、かなり確実な避妊効果が得られるようです。しかし、自立しておらず生命に責任をもてない学生の身で、家族に隠れて処方してもらうのは自分の考えに合いません。 ◆◆◆ だから恋愛をしないつもりだったのですが、昨年秋、私の意思を尊重したうえで交際してくれる人に出会いました。 彼は「最後までの性行為は結婚まで無くてもいいし、性的なスキンシップもmitのペースに合わせるから焦らないでほしい」と言ってくれます。それに、私が不安な気持ちになっていないか、いつも気遣ってくれます。 理性的な彼と過ごすうちに男性への恐怖も軽くなってきました。キスまではするのですが嫌な気分にはならないです。 ◆◆◆ ずっと一緒にいよう、きっと結婚しよう。彼はそう言ってくれて、本当に嬉しいのですが、不安になってしまうことがあります。 私の自立は、ずいぶん先です。それまで我慢させたりしてストレスじゃないかな、とか、心が曇ることがよくあります。彼は「引け目に感じないで」と言ってくれますが、内心ごめんねと思っています。 ◆◆◆ 『付き合ったら性行為しなきゃ、なんてことはない。少しずつ性的なスキンシップだけ取ればいいんだ。どうしても無理があるなら別れる選択もある。』そうやって論理的に考えれば不安要素はないはずなのに、『なんとなく』不安です。 TVで見る望まない妊娠の問題が重すぎるから?ネットで見る性表現が暴力的だから?どうして、こんなに不安になってしまうのか分かりません。 ◆◆◆ こんな漠然とした不安のせいで、優しい彼に気を遣わせてしまうなんて悲しいです。彼を信頼していないみたいで失礼だとも思います。内向的な私の毎日を、明るくしてくれたのは彼なのに。 ◆◆◆ 読みづらい文章、失礼しました。 お忙しいところ恐縮ですが、ほんの一言でもご助言いただければ(あるいは読んでいただくだけでも)気持ちが軽くなる気がします。
この前、精密検査をして結果が出る間 不安で不安ですごくうろたえました。 (ほとんどパニックでした) 自身のあまりの「生への執着」に驚いています。 ネットを見ると、私より若い方々が余命宣告うけて それでも強く受け止め、戦ってらっしゃる姿を拝見します。 ホントに心から尊敬します。 自分よりも家族の為に生きれば、恐怖は薄まるのでしょうか? (一応、そのつもりでしたが…) それとも、もともと無だからそれに戻るだけなのでしょうか? どのように考えれば、住職さまのように心穏やかに死への恐怖を 克服できるのでしょうか? これからの人生、うろたえるコトなく過ごしていきたいです。 難しい言葉ではなく分かりやすい言葉で アドバイス頂ければ幸いです。