hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「自分 悟り 」
検索結果: 1806件

ご先祖様や仏様に愛されるには…

初めて質問致します。 よく先祖供養やご祈祷などで「ご先祖様にお願いします」「仏様にお願いします」と言いますが 私の供養をご先祖様は受け取り 私のお願いを 仏様は本当に聞いて下さっているのだろうか…と思います。 と いうのも私は 生前の両親とは 仲はあまり良くなかったし、怒られていた記憶しかありません。 そんな私がお彼岸やお盆などに「先祖供養」しても その思いは亡くなった両親やご先祖様は受け取って下さっているのかどうか、気になります。 否、多分私が本当に真心込めて供養したとしても 「何を今更 ゴマすっているんだ?」と嫌がっているように思います。 仏様へのご祈祷でも 穂特様側から見れば 「はぁ?お前 普段 信心も何もしてないくせに”ご利益を下さい”なんて  図々しいにも程がある!」と思っていらっしゃっるのではないかと思い  ご祈祷をためらってしまった事もあります。 やはり ご先祖様や仏様から見守って頂き またお願いなどを聞いてもらうには お坊さん方のように 欲を断ち切り善行を行うしか 他に方法は無いのでしょうか? 例え純粋な思いで供養しても ご先祖様から疎んじられ 純粋な気持ちでご祈祷をお願いしても 仏様に門前払いされてるような気がしてなりません。 やはり お坊さんのような修行をしないと 仏様はご利益を与えて下さらないし、両親や親戚縁者と 仲が悪かったら どんなに供養しても受け取ってもらえない…と思うと悲しくなります。

有り難し有り難し 60
回答数回答 4

お酒や後悔、恐怖色々なこと

何度もごめんなさい。 なるべく戒律を守ろうと思ったのですがその中に飲酒を禁じているものがあることが自分の中で悩んでます。正直に言いますと私はお酒が好きです。お酒の味がするお菓子も好きです。もちろん、迷惑をかけるほど飲んだり食べたりはしたいと思っていません。しかし、お酒を飲むのも必要にかられた行動ではないです。やめようと思えばきっとやめることができます。なのにやめないことは大罪なのでは死後地獄に落ちるのではと恐怖しています。 また、私の両親、特に父はお酒が好きです。沢山飲んでいますが、別段暴れたりすることもありません。私が見る限りあくまで趣味の範囲だと思います。父がお酒が好きなことを知っているので誕生日プレゼントなどには私はよくお酒をあげていました。ですがこのような行為もよくないことなのでしょうか。私は自分だけでなく、家族や友達好きな人たちが地獄にいくことも嫌です。お酒を飲むのをとめた方がよいのですか。 最近は自分が過去に犯した罪深いことへの反省だけでなく、未来に自分が今忘れてただけで悪いことを思い出したらどうしようと怯えてしまいます。もし、借りてたものなどなら連絡先はわかるのか誰に借りたかわかるのか、償えないなら地獄にいくのではと怖がっています。また嘘をついてしまうかもしれない。もし罪が見つかっても償えなくてもその都度反省すればよいのでしょうか。今までの悪いことも迷惑をかけた人に直接償えなくても前に進んでいいのでしょうか。反省は何度もしています。迷惑をかけた人に直接償えなくて苦しいです。自分なりに、償える人には償おうとしてます。でも連絡先がわからなかったりして皆に償うことは難しいです。でもその考えも私の甘えなのでは、もっと頑張れば償えるのでは、償えなきゃ罰が下るのでは、そして地獄にいくのではと恐怖しています。 母親がゾンビになった時に安楽死を想像してしまうことに対して想像するだけでも罪だというような相談をたまたまハスノハさんで読みました。それを見て想像しないようにしようと思いましたが、思えば思うほどもしかしたら想像してしまったかも知れないです。大罪で地獄行きかと怖いです。 善行を積むこともよいとききましたが迷惑をかけた人や嘘をついた人とは関係ない人によいことをしてもよいのでしょうか。こんな考えをしながらすることはきっと善行にならないでしょうがそれでもよいでしょうか。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

死んでしまいたいほどです

仏教を学んでいくなかで、これだけ素晴らしい教えを2600年も前にお釈迦様が伝えてくれているのに、どうして今の人類はその教え通りに生きることを選ばず、そして多くの人が苦しい方向に行っているのに国家がこのお釈迦様の教えを元にそういう生き方は良くないですよと止めないのか、むしろお釈迦様の教えを無視することを推奨するようなことをするのか不思議でなりません。 そして因果の道理でいうならば上記のようなこの世界で生きている僕は過去世にこのような結果が現れるような原因の種まきをしていたのだろうと言うことを感じていて行き場のない自己嫌悪を持っています。 ここで自殺してしまったらまた同じことの繰り返しになるのかもしれませんが、この業を清算することができる気もしません。 生きている以上他の生命をいただき続けるのは確定ですし、大したこともできませんから世直しは不可能です。無財の七施すらいつでもできるほど人間ができていませんし、結局は絶対の幸福に至れないで苦しむ気がします。 お坊さん方はどのように感じて今のこの世の中を生きておられるのですか? そして僕の問題はどうすれば解決出来ますか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

久々に悩み事をご相談させてください

 こんばんは。ずいぶん前にハスノハさんにお世話になっておりました。斉木と申します。ハスノハさんのサイトに来たのは久々で、過去にどんな質問をしていたのか気になって見てみました。とてもお恥ずかしい質問ばかりしていて、赤面してしまいましたよ笑。  以前の自分は仏教用語を理解すれば悟れる、つまり苦しみから解放されると考えていましたが、理解したところで何も変わらず、意味がないと実証しました。  なので今は仏教用語やらは全部放っておいて、坐禅する生活を送っております。  過去のお話はここまでにして、ここからは日常生活においての悩み事をご相談させてください。このジャンルのお悩みは以前よく質問させていただきましたが、人間関係についてです。人間関係が楽になるにはどうしたらいいのか、という内容です。  ある体験談をさせていただくと、僕は中学校の時に友人から嫌われて陰口を言われ、クラスで孤立した経験があります。  そして、同じ中学の人がいない高校に上がった時に、初めの数ヶ月はクラスの人と馴染んでいました。しかし、授業中に誰かが友達と話していると、自分の悪口を言っているんじゃないかと考えてしまい、勝手に[俺は嫌われたんだ。もう無理だ]と決め付け、信じ込んでしまいました。  そしてこう思いました。[もうどうでもいいや。嫌われたんだから何をしてもいいだろ。]と。その途端、急に楽に、自由な感覚になったのです。後に、普通に友達が声をかけてきたことから、勝手に自分が嫌われていると信じ込んでいたことが分かり、結局元の不自由な状態に戻ってしまいました。  ちなみに、アドラー心理学という学問では、自由とは他者から嫌われることを恐れないことだ、と教えられています。  嫌われていると信じ込んでいた時の僕は、まさに他者から嫌われることを恐れていなかったのです。しかし、その後自分の勘違いだったことに気付くと、また元に戻ってしまいました。なぜこのような体験談を書いたかと言いますと、今の自分の状態が過去の自分の状態と似ているからです。  これは勘違いではありませんが、職場で明らかに僕のことを嫌っている人がいます。落ち込むことは落ち込みますしとてもショックでしたが、一方で楽にもなっています。一体なぜ、嫌われることを恐れない心境になったのでしょうか? 意味の分からない質問で申し訳ありません。回答いただけると有難いです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 2