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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 悲しい」
検索結果: 1494件

8月末に母が亡くなりました

8月末に母が亡くなりました。 実家のマンションのリフォームの関係で悩んでおり、私も色々と協力したり、 お金の面でも工面すると話していました。 母は判断力も低下しており、寝不足気味の様でした。 私も話を聞いていて憔悴してしまっていました。 母に安定剤をもらいに病院に行こうと、話していた矢先、 母は「病気とかじゃないんだよ」と言っておりましたが、 父が自宅にいるときに黙って外出し、私も仕事をしていた時に母は川へ行った様で入水し、溺水で亡くなっていました。 あくる日、帰宅していないので、警察に捜索願を出していた所、散策をしていた方に中洲で亡き母を発見されたようです。 生前は一緒に出かけたり、ご飯を食べに行ったりと大変仲が良く、趣味も近く友達の様な存在で、もう一生会えないと思うと寂しくて悲しいです。 解剖の結果、死因は溺水で不慮の外因死ということでしたが、 今も気持ちの整理がつきません。 どうか安らかに眠ってほしいです。 母に寄り添ってあげられなかった罪悪感が拭えません。 この先気持ちを整えていくには何が出来るでしょうか? 母の事、大好きでしたので、母に会えない私の一生なんて、短くて構わないと思ってしまいます。

有り難し有り難し 9
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2023/06/27

生き続ける意味

夫の不倫と離婚がきっかけで希死念慮に憑りつかれている子なし独身の女です。 不倫の発覚から何度も死にたいと思い続けてきましたが、両親や友人を悲しませたくないという一心で何とか生きながらえてきました。 しかし最近は自分のためでなく他人のために生きていることに意味があるのだろうか、と考えることが増えました。 心療内科に通ったり仕事に打ち込んだり、新たな趣味を始め体を動かしてみたり、色々試しましたが特に効果はなし。最近は具体的な死に方や、死ぬ前に必要な手続きのことばかり考えています。 もちろん私が死ねば悲しむ人が大勢いると理解しています。 自死を選ぶ業の深さも分かっているつもりです。 でもそれを上回る希死念慮が日に何度も襲ってきて、そのたびギリギリのところで踏みとどまっています。 ひとまず死ぬ前の身辺整理をしているうちに気持ちが変わるかもしれない、と思い時間稼ぎをしていますが、そろそろ整理も終わってしまいそうです。 自分が望んでいないのに生き続けなければならない理由ってなんなのでしょうか。 周囲が悲しむ・迷惑がかかるから、という理由以外に何かありますか? いつか時間が解決してくれるとしても、それまで耐え続けるのはあまりにも辛いです。

有り難し有り難し 5
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死後の世界について

最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。

有り難し有り難し 19
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祖母、母と相次いで亡くしました。

初めて質問させていただきます。 昨年10月末に祖母(97歳老衰)を、11月中旬に母(67歳病死)を亡くしました。祖母と母は実の母子です。たった二週間の間に二人も亡くしたのですが、全く悲しくありません。祖母への感情は老衰なので「素晴らしい生き様を見せてもらえた」と思い、母への感情は長らく闘病していて最後は祖母の葬儀にも出席出来ないほど衰弱していたので「やっと楽になれたのかな」と思っています。二人が亡くなる1~2か月前から両者とも危ない状況が続き、電話が鳴る度に動揺したり父と病院へ対応しに行ったり、正直その事に疲れきっていた…誰にも言えませんが、そんな思いもあります。(私自身も仕事と家事と育児と毎日フル稼働) 母とは、私の物心ついた頃から愛情は感じておりましたが、過干渉なプチ毒親で、過干渉以外にも価値観の押し付けや、意見すると見放す発言等、良い親子関係だったとは言い難いです。病気になってからは弱音を吐いたりするようになっていましたが、完全に寝たきりになった昨年夏からは「誰とも会いたくない、あんたや孫にもこんな姿見せられない!」と…近くに住んでいるのに拒絶され、祖母のことがあるまでは会う回数も減っていました。私はその時「最後まで勝手な人だな…」と思っていました。それでも体調が良い日は電話をかけお互いに色々な話をして、生んで育ててもらった感謝を伝えたり、母の過去の過ちを謝ってもらえたり、最後には今まで絶対にしてもらえなかった「褒める」をしてもらえました。その時初めて「あぁ私褒めてもらいたかったんだ…」と母に対する負の思いが払拭出来たように感じました。それから少しして、母の死を迎えましたが悲しいというよりは、むしろ今は母を近くに感じています。きっと私の中にいてくれるし、孫やその先代々まで…と考えると不思議と悲しくないのです。私の子供たちにもそう伝えています。 周りの人や職場の人からは「お辛いでしょうが…」とか「これからだよ喪失感…」とか言われるのですが、正直「???」と思って聞いてます。 そこで、質問ですが、この思いは「今」だけなのでしょうか?この後、猛烈な喪失感に襲われるのでしょうか?私が二人の死を受け入れきれていないのでしょうか?この「悲しくない」の感情は罰当たりな考え方なのでしょうか? 拙い文章で恐縮ですが、是非お答えいただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1
2025/01/09

「離婚しないなら半年以内に死ぬ」という夫

先日、夫から「離婚するか自殺するか選ばせてほしい」と言われました。 理由は、「お前ことをもう好きではなくなった、10代の頃からの希死念慮がぬぐい切れず、お前に説得され考えを改めようとしたがもう限界だ。俺との将来をもう期待しないでほしい。自殺する前に離婚すればお前に迷惑をかけなくて済むし、一人になったほうが精神は安定するから」とのことでした。 また、私が日頃そんなこと言っても思ってもいないのに「お前に限らず、周りが俺のことを財布だと思っているとしか考えられない」とも言っています。 そんなふうに思わせたくなくて、私は定期的に生活費の負担額を見直そうと提案していたのに、「もともとお前に経済面で負担をさせるつもりはないから」と、そこは譲らずでした。 私のことは嫌いだとか憎いわけではないが、特別な気持ちがない相手と一緒に暮らすのはきついとのこと。転勤族の彼についていくために免許を取ろうと思い、二週間の免許合宿も申し込んだ矢先に、こんなことを言われひどく悲しく、うろたえています。 付き合っていたころから、希死念慮のことは聞いていました。長生きしたくないとも言っていたし、それは軽い気持ちで言っているわけではないともわかっていました。「お前と一緒に居るのが嫌だから死にたいわけじゃない、30歳までに死ぬとは前から考えていた。」この言葉を聞いて、「なら離婚は嫌だ、自殺は止めないから、その時まではせめて一緒に居たい」と言ってしまいました。私は彼のことが大好きだし離れたくないから。もちろん、それが彼の自死を速める可能性があることも、彼の考えを尊重できていないこともわかっています。 ですが今、私を不要と感じ、一人で死のうとしているのだという現実を受け入れられずにいます。 合宿免許が終わって帰宅したら死んでいたとか、家を引き払ってお前の住まいがなくなっていたとかそんな酷なことはしないから安心して。自宅では死なないし死ぬときは死体のあがる場所を教える」とも言われましたが、死別が怖くて仕方ありません。また、だからといって離婚してそれっきりになるのも受け入れられません。どうしたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 32
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2023/07/04

職場いじめへの憎しみと恨みが風化しない

はじめまして、月石と申します。 こういった相談事を書くのは初めてなので、読みにくいところが多々あるかと思いますが読んで頂けると幸いです。 私の相談事はもう十年も経つのにバイト先で職場いじめをしてきた人達への憎しみと怒りが少しも風化しなくて苦しいことです。 忘れたいのに出来ません。 その時の事を四六時中思い出し、怒りや恨み悲しみが甦ってきます。 つらいです。 職場でのいじめは色々なことがありました。 一部優しい方達もいましたが、殆どの方から敵意を向けられていました。 仕事を教えて貰えず放置、面接時には説明のなかった業務の追加、悪口陰口、挨拶やお礼の無視、私と目が合うと嫌そうな顔で踵をかえしていく、耳元で暴言を囁かれる、身障者扱いをしてくるなど。 またこれは私にも非があったのですが、その当時歯の矯正を行っていた為にどうしても口臭が残ることがあったようです。 その為、業務のことで話したあとにあいつ口臭いと笑われたり、あからさまに顔を背けられたりしました。 それ以来、今もずっと人と会う時や外出の時にはマスクが手放せません。 特に辛かったのは一生に一度の成人の年をいじめによって台無しにされたことです。 同じ年の職場の人は皆に祝われて嬉しそうにしていたのに、どうして自分は違うのだろうと、凄く辛くて憎くて悔しくて、なによりも悲しかったことを覚えています。 職場いじめにあって以来人が怖くなり鬱を発症してしまい、そのせいで就職も歯の矯正も上手く出来ませんでした。 本当なら今頃職に就き、親や兄弟に恩返しが出来ていて、夢を叶えて、念願だった歯の矯正を問題なく終えていて、もしかしたらパートナーも出来ていたのかもしれない、と思うと悔しさと憎しみと涙が溢れてきて叫んでしまいます。 正直なところ、もう生きることに疲れましたので何度も自死を考えました。けれど家族の職業柄、自死の後処理などが残した家族や色々な人にどれだけ迷惑をかけるのか知っている為、なかなか実行に移せません。 ですがそれでも時折、自死が出来たらとても楽になるのだろうなぁ…と考え、実行に移してしまいそうになります。 衝動的に書き殴ってしまいましたので、分かりづらいと思います…申し訳ありません。 もしよろしければ何かアドバイスなどを頂きたく思います。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 26
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他人の自殺動画を見てショックをうけてます

こんにちは。 実は、とある駅で女子高校生が電車に飛び込み自殺しました。 その瞬間をその娘、自身がライブ配信で撮影してネットに動画が残っていました。 最初は、興味本位で見ようと思い、見たらぶつかった瞬間や遺体などは、映ってはいませんでしたが、何の躊躇もなく線路に飛び降り、その後特急が通過しました。 とても衝撃的でショックでした。 その娘のSNSを後から見ると、色々苦しいことや悩みが書いてありました。 早く、気づいていたら相談にのれたのに、 何か力になれたのに、と無力感などもあります。 1度も会った事もなく顔も見たこともないですが、とても他人事とは、思えません。 ついこの前までは、生きていたんだとか、本当は、死を選択したくはなかったんだろうな、など色んな事が頭をよぎりかなり感情移入しています。 私自身、とても悲しくて、辛いです。 合掌し、ご冥福をお祈りはしました。 他に、楽しい事などを考えて一時的には、楽になりますが時間がたつとまた飛び込む瞬間などが出てきて辛いです。 SNSでも、彼女の事を忘れてはいけないとおっしゃっている方もおり、その通りだとも思う反面、思いだすとまた、苦しくなるだろうな、と考えてしまいます。 でも、完全に忘れては、その娘に申し訳ないという気持ちもあり葛藤があります。 時間が解決してくれるものでしょうか? どうか、アドバイスお願いします。

有り難し有り難し 37
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亡くなるのは母でなくてもよかったのに

大好きな母の死から10ヵ月が経ちます。 SNSでリア充アピールしたり、職場では人が変わったように明るく振舞って悲しくてどうしようもない気持ちを抑えようとしても何だか虚しくなるだけの日々です。何だか明るくなったねって人から言われるとなおさら そう演じたりして苦しくなって… そんなとき家に帰り、眠りにつこうとしたときバイク一族の騒音に起こされたり、病人や障害者、子どもに対して心ない言動を見ると怒りを覚え、 もちろんその人たちにも大切な家族がいることもわかっていますが、あんな人たちいなくなればいいのに。この世からいなくなるのは大好きな母じゃなくてもいいのにと思ってしまいます。 そんなこと考えてること母が知ったら、そういう人のことでイライラするの馬鹿みたいだからもう止め!って言うと思いますが。 楽しいこと考えてた方が幸せになるんだよ、。 って(´๑•_•๑) それでもどれだけ願っても夢の中でしか母には会えません。同じくらいの歳の人は今日もお母さんと買い物してるのにな。 どうしても行き場のない悲しみは続きます。 最近、喪中はがきを作ったので改めて悲しみがこみ上げてきたこともあります。 まとまらない乱文になって申し訳ありません。 明日からもいろんな意味で明るく生きていけるようにアドバイスお願い致します。

有り難し有り難し 25
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まだ生きている気がする

先日大伯母が亡くなりました。 98歳という大往生でした。 通夜と葬式を昨日終えたところです。 晩年は認知症で私の事は忘れたようで「どちら様ですか?」と言われました。 それでも私は大伯母の事が大好きでした。 大正時代から生きて、結婚への圧力は凄かったでしょう。それでも生涯独身を貫き一人で雑貨屋を営んでいました。 実家から徒歩2分ほどの場所に住んでいたので、小さい頃から料理を作ったら届けに行くのが日課でした。 いつも笑顔で接してくれて、何歳になっても背筋が真っ直ぐでした。 就職にともない実家を離れてからは会う機会が月に1回、半年に1回と少しずつ減りました。 最後の日も母から「午前から血圧が高くなってるらしいの、またお見舞いにいってやって」 と言われ 「分かった、じゃあまた今度の休みに行くよ」 そのまま午後に大伯母は亡くなりました。 なぜ「また今度来るね」という状況を作れなかったのか、それは未だに悔やまれますが 大伯母は棺桶の中の姿があまりにも綺麗で、死化粧も素敵に施していただけました。 葬儀場の椅子が足りなくなるほどの人に囲まれ、顔が見えなくなるほどの花に囲まれ焼かれていきました。 私は、出棺の時に棺を持ち上げても、大伯母がわずかばかりの真白な骨に変わっても、その骨を箸で掴んでも、なんだかピンとこないまま今日を迎えてしまいました。 涙は出ないままでした。 むしろ誕生日をお祝いするように穏やかな気持ちのままなんです。 現実逃避をしているのかもしれません。 今もどこか大伯母が生きているようで、一人暮らししていたあの家にいるような気がしてなりません。 あずきサンドが好きで、熱いお湯で淹れたお茶が好きで 今日も電子レンジでご飯を温めすぎて「嫌な熱さだ」と怒ってるかな。 なんて考えてしまいます。 生きてる姿しか見えません。 こんな経験は初めてです。 今までは、誰が死んでも葬儀が終わるまでには実感が湧いてきて涙が出てくることばかりでした。 なぜこうも思い入れの深い人に限って受け入れられてないのでしょう。 そもそもこれは現実逃避なのでしょうか むしろすべて受け入れた結果のようにも思えます。 実感のない死との向き合い方 ご助言いただければ幸いです。 よろしくおねがいいたします。

有り難し有り難し 26
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読経をすすめられた理由

セラピストたちに読経をするようにすすめられます。 私自身も言われたので読経しますが続きません。 読経といっても「般若心経」くらいです 一時期は般若心経とお経を一巻あげていた時期もあります。 読経を薦められる理由は「霊性を高めて欲しい」という理由です。 でも、続けられません。 あげれば心も軽くなり 朗らかに毎日を笑顔と愛に満たされた心地ですごせるのです。 それらを自分自身で感じてきました。 読経という専門的な日々のおつとめに励んでおられるお坊様にお聞きしたいのですが、 やはりお経をあげることを私にすすめられますか? セラピストたちが一方的にすすめたとしても、 私は納得できる回答をうけとれていないのです。 こうして、読経したくない気持ちをここに書いているのも、 たぶん納得できない一つのあがきだと思います。 毎日を明るく過ごせたならとても幸せだと思います。 そうなりたいと思うのにできない自分が悲しいです。 どうして、私はこの世に生まれてきたのでしょう。 そんなふうに、自分自身の存在すら認められなくなってしまいます。 お坊様たちはまいにちのおつとめで何を得られていますか? 多く質問し恐れ入ります。

有り難し有り難し 54
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