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hasunoha 問答検索結果 : 「 縁 」
検索結果: 14107件

住職である父が嫌いになってきています。

私は小さい頃からお寺を継ぐことは考えていませんでしたし、好きなことをしろと言われていたので自分の興味のある仕事をしたいと思い今の大学に進学しました。 それが今になってお寺を継げだの父が用意した人と結婚させるなどいろいろ言われ、普通に父が好きだったのがこのごろ嫌いになっています。 お寺も嫌いではなかったのに、実家がお寺じゃなかったらいいのにと思ってしまうようになりました。 自分の就職を考え大学院に進学するのですが、それに踏まえ夏休みでも学校にいかなければならなくなり、それでもお盆などは帰省して家を手伝おうとは思っていたのでこの日からこの日まで帰るねと伝えたら短いだの、家のことを何も考えていないと言われました。挙句の果てには休みもなく死ぬほど働いているのにお前は呑気に遊んでいるんだろうと言われ、さすがにこちらも口調が荒くそんなことはないと言ったのですが信じてはもらえず、いろいろと嫌味を言われます。 さらには卒業後は父の言う通りに働き結婚するんだとまで言われ、疲れました。言い返す度にここまで誰に育ててきてもらったと思ってるんだと言われそれを言われるとこちらもなかなか反抗しにくく、父と母に育ててきてもらったことはわかっているし感謝もしているのですがどうしても、父からはわたしはお寺を繁栄させるためのただの駒なのではないかと考えてしまい実家に帰るのも憂鬱で父にも会いたくないです。 育ててきてもらったことはわかっているので恩返しもしたいのですが、わたしの人生全てを父の思い通りにしなくてはいけないのが納得できないです。したくはないし、できないと思っていても時々縁を切りたいとまで考えてしまいます。 母はお寺の事はどうとでもなるから継ぐとか考えなくてもいいと言ってもらえました。しかしいつかは父とぶつかる日が来るのかと考えるととても憂鬱です。 友達にもお寺の娘さんがいるのですが、そこはお寺の事は考えず自分のやりたいことをしなさいという方針ですごく羨ましく思ってしまいます。父がこんな人ならなと思ってしまいます。 ですが基本父のこは嫌いではないのです、お寺の話になると父が嫌いです。 ここまで読んで下さりありがとうございます。 ほとんど愚痴になってしまいました。 もし何かアドバイスなどがあればよろしくお願いします。

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母の死が受け止められません

2度目の相談で申し訳ございません。 5月末に母を亡くしました。わずか2ヶ月余りの闘病で薬も効かずあっという間でした。母が帰りたいと言うので、主治医を説得して退院、家族全員で看取りました。 母の最期を見届けたのに、それが夢のように感じて受け止められません。母が部屋にも台所にもいないことに悲しくなり、どこに行くにも必ず連れて行っていたので、行く先々で思い出します。遺骨を見て、あ、ここにいるんだ、と不思議な気持ちになります。亡くしてから、母の存在の大きさに気づきました。家族のバランスを取ってくれていたのも母だったのです。当たり前の毎日を失い、その深さを知って悲しみに暮れています。 この苦しみや寂しさはいつまで続くのかと思うと、元気が出ません。先日も妹と大喧嘩になり、落ち込んでいます。 生きる意欲が持てません。 自分の年齢を考えると、いつまでも、と思うのですがどうしたら良いのかわかりません。夫は、わたしが看護師だから家で看取ることができたんだよ、親孝行できたよ、と言ってくれるのですが、わずか数日の看病でしかなく、もっと頑張れたし、してあげたいこともたくさんあったのに、と思います。とにかく苦しくて仕方がありません。

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飼い猫を死なせてしまった。ペットの死

今年の4月頭、普段は人懐こく、一緒に寝ることも多い飼い猫が突然凶暴になり襲ってきました。(神経質な猫種でした) 1回目は両腕と左足に深い傷が沢山でき、廊下に大量の血がついていました。 それから猫のことが怖くなり1週間ほど距離をあけました。(その間の餌は同居人にしてもらいました) 数日後、帰宅しました。 怖かったですが、仲直りしたいと思い、ご飯をやりに猫に会いに行きました。 リビングの襖の間から猫の様子を伺い、しゃがんで手を差し出しました。 するとはげしく威嚇し、私の右腕に噛み付いてきました。 叩いて振り払うこともできましたが、余計に興奮させたくなく、されるがままでした。 しかし、歯や爪が肉をえぐる痛みに耐えられず、立ち上がりました。 少ししたら猫は噛むのをやめて床に着地しましたが、私はパニックでその場を離れて二階の自室へ逃げました。 とてもショックで悲しかったです。手からは血がダラダラと垂れていました。 似たような猫のことを沢山調べて里親を探すことや安楽死も考えましたが、大きなゲージを買い、一時的に入れて関係の修復を選びました。 その時点で病院につれていくべきでした。 毎日の大学と元々私が躁鬱気味なこともあり、恋人の家にいる時間が多く、猫に構ってやる時間が少なくなっていました。 エサやトイレの掃除は行なって、帰れない時は同居人に頼んでいました。 ある夜大学から帰ると猫がふらついているのに気付きました。餌は入っていました。 ゲージにキャットタワーを入れていたものの、軽い運動不足だと思い様子を見ることにしました。 次の日、心配でしたが大学に行ってしまいました。この日病院に連れていけばよかったのに。 その晩に容体が急変し早朝に息を引き取りました。 唯一の救いは2日間、大学以外の時間ゲージのすぐそこで寝て食べてお風呂に入らずいたこと、容体が急変してから5時間ほどをゲージの外に出してそばにいて手を握りながら看とれたことです。 『飼い主失格、最低』だと思うことが猫への冒涜、何の解決にならないこともわかっていますが、私の過失が多すぎて後悔しかありません。300枚を超える写真や動画を見ては涙が止まりません。人・動物の死の経験が初めてで、しかも自分のせいで。まだ3歳でした。 私はこれからどう生きていけばいいのでしょうか、楽しんで生きてもいいのですか。 可愛い可愛い猫だったのに。

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実家の愛犬の死

初めまして。長くなりますがお話聞いて頂ければと思います。 3日前に実家の愛犬が16歳で亡くなりました。 私は海外での留学の為、2年以上も会えず死に目にも会えませんでした。 最後に愛犬と触れ合ったのは私が日本を出国する前で、まさかこれが最後の別れになるなんて考えてもいませんでした。 3月末に妹から〇〇ちゃんが昨日体調を崩した、今は薬と注射で落ちついてるけどまたいつ体調を崩すかはわからない。会いたいなら会っておいた方がいいと思う。 と連絡があり一時は日本へ帰る事を考えましたが、 今、留学ビザを違うビザに切り替え中で、日本への渡航許可はありましたが、その渡航許可は日本には帰れてもまた海外に入国できるかは100%保証はないという事と、短期間しか日本へ滞在できない事 〇〇ちゃんは絶対に何があっても死なない。うちの犬は絶対に長生きをするとなぜか理由もないのに過信していた事 妹からの連絡の数日後には、またいつもの様に散歩をしている動画を両親が送ってくれた事 夏にはビザの切り替えが済むので日本に長期滞在が出来る、夏にすぐ会えるという事もあり 日本には帰らない事に決めました。 今ではその選択を悔やんで仕方ないです。自己嫌悪でいっぱいです。 もしかしたら愛犬は私が帰るのを待っててくれたかもしれないのに。 最後にもう一度会いたかった。 帰るタイミングならいくらでもあったのに。 なんであの時、帰国の予約をしかけて最後までしなかったんだろう。あの時予約していれば。 せめて家族に頼んで元気なうちに愛犬とテレビ電話でもすれば良かった。 家族とのテレビ電話は恥ずかしくてメールでのやり取りや動画のやり取りしかした事がありませんでした。 ああすれば良かったこうすれば良かったと言うのも全て後付けの考えという事はわかっていますが頭の中から、なんであの時、、、と言うのが消えません。 今さら悔やんでも愛犬が亡くなった事実は消えないのもわかっています。 ですがそれでも後悔でいっぱいです。愛犬には沢山のかけがえのない時間をもらったのに自分は都合の良い時だけ構ってなにもしてやれなかった申し訳ない気持ち、最後に会いたかった無念、帰れたのに帰らなかった自分のした選択への自己嫌悪で潰されそうです。 最後までお読み頂きありがとうございました。

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生まれてきた意味

私は二人姉妹の長女ですが、あまり可愛がられることがありませんでした。 それは生活が苦しく両親に余裕がなかったこと、私がどんくさくて両親をイライラさせたことが理由と思います。 現にお人形のように可愛いく成績の良い妹にはいつも優しく皆で可愛がっていたのですから。 お前はどんくさくて覚えが悪いのだから人の何倍も努力しなさい、そう言われたとき、私の心は砕けたと思います。 学校でいじめを受けても私が悪いと思い、人生を諦めました。 ありのままの私ではダメなんだと。 私なんかが生まれてきてごめんなさい、と思いました。 なぜ生まれてきたのか、なぜ、なぜ、そう思い今まで生きてきました。 好きな人ができても、私なんか愛されるわけがない、そう思い近づけません。 職場ではそれなりの役職に就きました。 でも私はダメな私が出てきて自分の居場所がなくなることが怖くて怖くて、頑張りすぎてしまい、周りから疎ましがられてしまいます。 毎日が苦しく、私なんかいなくなればいい、消えてなくなりたい、とさえ思います。それでも私だって、 人に愛されてみたかった。 結婚、してみたかった。 子供、産んでみたかった。 でも、私は子供に生きる喜びを、教えてあげられない。十分に愛してあげられるだろうか。 私と同じように苦しい人生を歩ませたくなくても、そうしてしまう、生きる意味を教えてあげられない。 だからずっと一人を選びました。 でも、やっぱり私は生きなくてはいけない。 こんな私に、生まれてきた意味、生きる意味、教えてください。

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俗世間から離れたい

こんにちは。 私は昔から内向的な性格で、人の社会の中でやっていくことが非常に苦手だと感じています。そのため、人との交流を避ける傾向があります。 最近では、その傾向が強くなってきたように思います。世の中との関わりを絶とうとしている自分に気が付き、しかし本当にこれで良いのか迷っているのです。 最近の私は、世の中に溢れている沢山のものから故意に自分を孤立させようとしている気がします。例えば… 私は、流行のものを知ろうとしないどころか、知ることを嫌います。私は、ビデオゲームを一切しません。私は、本や漫画も読みません。私は、好きだったテレビ番組もだんだん観なくなりました。私は、好きだった音楽も全く聴かなくなりました。私は、SNSを見ません。私は、友達が何かを勧めてきても、自分の世界を壊されたくないので、その新しいものを知りたくなく、拒絶します。… 何故なのか、自分なりに考えてみました。そうしたら、こんなことが浮かんできました。 1,世の中に溢れているものは、私には刺激が強すぎる。私は多分感受性の高い人間なので、楽しい事を知ってしまったら激しく舞い上がる。しかし、その後には反動で落ち込んでしまう。→だから、何も無い状態「無」の方が心が安定する。(と思っている。)だから、自分なりに保っている心の平穏を刺激物らによって壊されたくない。よって、拒絶する。… 実は私、近年仏教に興味を持ち始め、色々調べていました。私が心の平穏・無の境地に憧れているのも、世間から離れた所にいたいのも、そういう聞きかじりの知識から来ているのかもしれません。 しかし、私の今のやり方は間違っているようにも思います。 私のように過剰に世間との関わりを絶とうとするのは、病的でしょうか? 「関わりを絶つ」という目標に執着しているのでしょうか? 仏教的には、俗世間からの刺激あれこれを過剰に避けるよりも、俗世間の中にいながら受け流せるようになる方が良いのでしょうか? また、私はまだ「人々は何か世間で楽しいことをやっているぞ、いいな。」と他人が世間に溢れる刺激の中で暮らしていることを羨む気持ちも捨てきれていないのです。 この機会に、本物のお坊さんとして生活していらっしゃる方にぜひご意見を頂きたいと思い、質問させて頂きました。拙い文章でお見苦しいところもあるかと思いますが、ご回答を頂けたら嬉しいです。

有り難し有り難し 17
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「師匠無しは外道です。仏教は世界を救うためにあります」

坐禅会で副住さんと二人きりだった。 気候に依るか、今日は二人だけという縁に依るものであったのか、僕がムカつく顔をしていたのか…なるようにして、そうなったのでしょうが…。 会話量は僕が2、お坊様が8くらいでした。法話聞きに行ってるので。 風の吹き方一つで虫の居所も変わるでしょうし…なるようになったのか? 「山には色んな入口と登り方があり、諸宗教も同じですよ。」 僕「山なんて本来無いのでは?」 「貴方と話してるとウンザリするんですよ…こう言うのも面倒くさいんです(半笑い)」 「えっ」 突然だったので驚きました。これは何らかの方便なのでしょうか? 縁が整った故の個人的な考えですが、神様には個々人の内に誕生日があって、各々が見聞していく中で神々の造形や威光が深められていき、その信徒が己の生み考えた偶像にひれ伏すようになっていく。そういった一切は縁起に依り、各々が思うように仕立て上げていると気付くために坐禅等の諸行によって三昧、思い込みの縄を解き、無自性=縁起に気付き、よくよく見極めていく。 「自覚」縁起の教えが仏教。そこが諸宗教と一線を画する所では? と考えています。 そう思える縁が整っただけですが…。 上記のような屁理屈だって蹴倒れる程に悲しい。 因縁仮和合云々並び立てても殴られりゃ痛いし、彼の軽蔑は悲しい。 それで心相続していって変遷していく。 またその場の気分も風の吹き方一つで変わるので、次はお寺に行くかもしれないし、行かないかもしれない。嵐か地震が来るかもしれないし、実際は考えに依ってくれないし。 世界を救うって何を…? 僕「師がいなくて外道なら、在家信者は外道ですか?」 「師ならそこらじゅうのお寺にいるでしょう。 解釈に囚われているから、そういった考えになるんです」 僕「はい」 「ウチは檀家100件を超えておりますが、法事をして救いもして、救いもしない事が救いになる事もありますよ」 「師について学ばないとオウムと変わりませんよ。空だから〇してもいいっていう」 僕「え?(なんで突然オウム?そもそも誰かを〇すなんて)」 彼が気に入るだろう答案を提出できる縁に僕は恵まれなかった。 痛い位に今日の彼から伝わってきたのはもう僕に二度と会いたくないってこと。 僕が出来るのって出来る限り接する人に親切にしていこうと願う事位。 世界を救うって何?彼の真意は何でしょう?

有り難し有り難し 114
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