死に対して怖くてしょうがありません。 もしかして死んでしまうかも知れないという状況に何もできなく、見にも行けなくて、聞くのもつらい、その人、その物などなくなるのが怖くて耐えられないのです。あの世に行ったらどうなるんだろうとか、死ぬ時には苦しいんだろうか? もう会えなくなると思うだけで眠りないこともあります。あの世はこの世の延長で終わりではないとか、誰かの言葉をみて言い聞かせたけど、いざ自分の身内の なくなったり、危ないと聞くと震えて過呼吸になり、パニックになり、安定剤を過剰に飲んだりしました。みんな同じ思いなのに、私だけ出来ない受け止められない、現実逃避してる自分が苦しいです。助けて下さい。全般性不安障害を持ってます。だからといって避けられるものでもないし、もっと強くなりたい。
ペットロスから老い、病い、死について延々と考えてしまう時間が長くなっています。 こちらでいただいた回答を読み返し、少しずつ考えが変わってきたような気もするのですが、死ぬまでの過程で病や老いも避けられないと思いまた怖くなってきてしまいました。 (若くして事故なんかで死ぬのは絶対嫌です…) テレビを見ていても医療保険のCMでウッとなってしまうのですが、そこで疑問が浮かびました。 保険に入っている人はたくさんいますが、全員使っていたら商売が成り立たないのでは? もしかして別にそんなに病気で苦しまずまあ寿命といった形で亡くなる方もそこそこいるのではないかと思いました。 お坊さんは色々な方の死に触れていると思いますが、高齢、そんなにひどい病気でもなく割と明るいお葬式だったみたいなパターンもあるのでしょうか? 高齢で亡くなるとそこまで悲しみに暮れず和やかだったというような話も聞くのですが、身近でそういった例がありません。 そんなに病み苦しむこともなく天寿を全うされたような方の死は珍しいのでしょうか?
高3男子です。ここ1、2週間の話ですが、急に死の恐怖に苛まれるようになりました。「まだ高校生の分際で…」と自分でも思います。しかし、このような状況になってから何事もあまり楽しく感じられません。授業や受験勉 強も手につかずに、今はYouTubeを沢山見て気分を上げようとしていますが、どうも一時的です。不変の心理なのは分かっています。それでも今までのように楽しく生きたいです。同じ症状を克服された方や、何か治す方法をお願いします。本当に世界の見え方が歪んでしまい、困っています。
初めて質問させていただきます。 数年前、母方の祖母が事故で亡くなりました。 幼い頃から、とても良くしてくれて大好きな祖母だったのですが、葬儀の際まったく悲しいという感情がわきませんでした。 周りの親戚や、私の兄弟たちは、みんな涙を流し悲しんでいるのに、私はその光景を他人事のように見ていました。 そんな自分が怖く、また祖母にたいして申し訳なく思っています。 私はこのまま普通に生活をおくっていってもいいのでしょうか。
外敵の脅威に晒されず、田畑をのんびり耕し、子どもは伸び伸び育ち、ご近所さんや家族仲間と笑いあい、物々交換しあっていた日の差す日本が羨ましい。 もうその頃の善意良心、温かみだけで成り立っていた世には戻れない。 「安楽死」の言葉、なんて魅力的。「安楽」が布団の中でぬくぬくすやすや眠るイメージ。 しかしやる事は自殺。それも他人様に殺人の罪を被せるわけだから制度として確立されるわけがない。 死ぬのは怖い。それでも知りたいのは自分の死期。委託殺人があった、制度が出来たら死ななきゃダメなの?みたいなクソ漫画もあった、海外と日本の考えが全く違うのも分かる。 希望は内側から開けられない、逃げられないカプセルの中に入り、瞬殺するガスのボタンを自らの手で押す。処理だけはお願いしておく。これが理想、これなら誰も悪くない。 自分の死期はここまでって選択として握っていたい。安楽死制度がもし出来たら私の守りになる。今より熱がきっともてる。明確なそこで死ぬというゴールが欲しい。 某占い師ばりに寿命を断言してほしい。 死期の知り方を教えてください。
私は死ぬのが怖いです。 前からふと「死」について考えてしまう事があります。その度に泣いたり、怖くて苦しくなり鼓動が早く息が苦しくなったり、発狂しそうになりました。 しかし、そうなる事も数年に何回かある程でしたが、今はここ一週間程ずっと考えてしまいます。 死んだらどうなるのか、今こうやって物事を考え、生きていること全てが消えてしまう。「無」になってなにも無くなってしまう事が怖くて怖くて仕方ありません。 どうすることも出来ないのに、どうなるのかを想像して、その度に苦しくて苦しくて仕方ないのです。ずっと生きていたい。生きていられるのなら例えどんな事でも出来ると思う程に、生きていたいと思うのです。 私は、眠りにつくのと死は同じだと思っています。寝てる間は意識がなく、今は自然と目を覚まして、自分が寝ていたという事に気づきますが、死とはそのまま起きることが無い状態なのだと。考えても、誰も答えは知らないので、仕方の無いことだとは思うのですが、ふと考えてしまい、苦しくて怖くて何も手につきません。それでも、次の瞬間には、まだまだ先のことだから今考えても仕方ないと思ったり、きっとその後の世界があると思ったり、ふと気楽に考える瞬間もあるのです。そしてまた、ふと怖くなって・・・。この繰り返しを一日に何度もしています。どうか、助けてください。
こんばんは。 このサイトを拝見して少し自分について考え直すことが出来た様に感じます。 私は今を精一杯生きて、自分が苦しいときや、迷ったりした時は仏様に救いを求めようと考えています。 しかし、私は死んでしまう時のことを考えて恐ろしくなってしまいました。仏様の教えには諸行無常と言う物があり、全ては無に帰ると聞いたことがあるので、死んでしまった後のことは余り考えない様にしています。 ですが、死んでしまうその時が恐ろしくなってしまいます。勿論誰だって痛かったり苦しいのは嫌だと思います。 しかも私は、何も無い人間なので、孤独死だったり、重い病気にかかってしまったりするかも知れません。 死に対する向き合い方を教えて頂くことが出来たら幸いです。 新型コロナウイルスが流行し、自粛を続ける生活の中で、考え込んでしまう時が増えた様に感じます。毎日ニュースも暗いものばかりで、何も手につかず、ずっとぼんやりしてしまいます。早く元の生活に戻れることを願っております。皆さんお体に気をつけてください。 ご回答いただければ幸いです。
在り来りな質問です。お許しください。 私は毎晩床についていると、ふと、自分の死について考えます。分かるはずもないのに、あーだこーだ考え恐怖で眠れなくなります。 私自身一度も心霊現象のような霊的体験はした事がなく、魂の存在を信じたくても信じきれません。 私の母方の祖母や母が歳をとり、時折見せる老いて弱々しい一面を見ると怖くなります。いつかは自分も死ぬと。 死ぬのは怖いです。永遠に生きれたらと何度願ったか分かりません。どの様に考えたら、死への恐怖は和らぐでしょうか? そしてお坊さんの皆さんは、どの様に死を考えていらっしゃいますか? 是非私に教えてください。
私は最近ずっと「死」について考えています。朝起きてすぐ、 「いつかはこの生活も終わる。」 「怖い。」「何も無くなることが怖い。」 などと考え始めてしまいます。 学校に居ても同じです。授業中もずっとずっとそのことでいっぱいです。 「どうせこの人も死ぬ…」 「頭のいい人も悪い人も結局死ぬんだ…」 なんて、縁起の悪いことが頭の中をグルグルしています。 私は、具体的に「死」の何が怖いのか考えてみました。それは、死んだ後の「自分」が「無」になるのではないか、ということでした。 それが怖くてたまりません。調べてみれば「無」になったら死んだことすら気づかないとか、痛みなども感じないとか……恐怖でしかありません。 また、死んだら生まれる前の状態に戻るから何も怖くない。というのですが、私はそれを信じていません。 もうだいぶ前の記憶なのでそれが本当かも分かりませんが、 私の1番古い記憶は砂嵐のような黒い空間で、ピーという超音波のような?ものが聞こえているというものです。この時は眠っているような感覚でした。 私はこれを赤ちゃんの時の記憶だと思っています。 もし、これが生まれる前の感覚なのだとしたら……そう考えるだけで怖いです。 とにかく辛いです。 楽しいことも楽しいと思えなくなり、人が言うちょっとした言葉にさえも敏感に反応して勝手に悲しくなったり。 「明日」が来るのが怖いです。前までは休日というだけでハッピーだったのに今では1秒1秒、時が進んでいくのすら怖いです。 どうしたらこの怖さを取り除けるのでしょうか。 誰にも分からないことへの怖さはどうしたらいいのでしょうか。 後悔しないように幸せに生きろと言いますが、その、「幸せ」さえも心の底から感じなくなってしまいました。 この場合、どうしたらいいのでしょうか。 疑問が多くてすみません。 どうか、回答をお願いします。 この叫びたくなるほどの不安と恐怖が晴れるまで自分は質問していきたいと思っています…… ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
死ぬのが怖いです。 死んで自分の意識が永遠になくなることも、いま当たり前におくれている生活がいつか終わってなくなってしまうことも、将来やってくる家族の死も何もかもが怖いです。 私にとってはこの世界、今感じてるこの感情が全てで、それがいつかなくなってしまう、そう考えるとたまらない気持ちになります。 子供を産めば子孫を残していけるので、死んだ後も私の断片が続いていくかもって思って子供は将来産みたいです。子供を産んだら子供の方が大切になって死ぬのが怖くなくなるかもしれないので。でも、そうしたら今度は子供が死ぬのが怖くなるみたいです。 死ぬのなんてへいちゃらさ、みたいなテンションで生きていきたいのですが、性格的にウジウジしてしまう方なので、パーッと楽しんだりもできず・・・人生一回なのにそんなことで悩んでる自分が嫌になります。どうすれば前向きになれるでしょうか。
こんにちは、おはようございます いつも死に、ついて考えています。質問者の中に、自死されて深刻な質問もある中、こんな質問もなんだと思いますが、自分が死ぬことは、肯定は出来るのですが、死ぬことに、恐怖があります。人間は、何時か亡くなるときが来ます。恐怖を感じないようにするには、どうしたらいいと思われるでしょうか?
周りからはよく、繊細だと言われることが多いです。 自分で今ストレス溜まってるかも?とか思うと、そればかり考えすぎてめまいがしたり、胃が痛くなったりします。 考えなければいいじゃん?と言われますが自然と考えてしまっていて、考えないようにすればするほどダメです。 そして最近では、街中で自分が突然叫びたくなったり(強くではない)、叫んだらどうなるんだろう?とか思ったり、自分の大事な人に対して死という文字が頭に浮かんだり(相手に憎んだりなどの悪の感情は持ってない)、いつか自分が自分でなくなってしまうのでは、と思うことがほぼ毎日あります。 とても怖いです。 ちなみに私の性格はネガティブ思考の小心者で、断れないタイプです。 この状況からどのように脱出したら良いでしょうか、、。 そして、ポジティブになるにはどうしたら良いでしょうか。 ちなみにこのような事から、最近では友達と外でご飯に行っても動悸がしたり、突然そうなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、と未来のことを想像して楽しめなくなり、むしろにぎわってるところに行くのが怖くなりとてもインドアになっています。
始めまして。初めて投稿させていただきます。 現在29歳、独身です。 転勤族であり、親とは離れて過ごしております。 最近になって、親の死について深く考えるようになりました。 親がいつまで生きているかわからない、身近な人で60代で親を亡くしている人を見ると悲しくなってしまい、自分はどうすればいいのかわからず、親より早く先に死にたいと思うようになりました。 仕事にも手がつかず、毎朝仕事に行くのも億劫です。 親はすでに60代、会える時間ももう短くなると考えると、本当に悲しくて、 転職活動を勢いで始め、実家から通える場所がないか探し始めました。 親には、安定している企業だから後悔するとは言われますが、 自分としては、少しでも親と一緒に居たい気持ちでいっぱいで行動に移しました。 いつかは親が死んでしまうことを考えると、孤独感がさらに強くなります。 そうしたときに、結婚をしたいとも思いますが、できるだけ親に近い場所で過ごすことができる人を見つけたい、でもそんな人いないだろうと思い込んでしまいます。 親の死と、自分の孤独の二つに挟まれて、どうしようもない状況です。
父のことでこのhasunohaのサイトに出会いお坊さんにいろいろとアドバイスをいただきました。 さて本日は自分のことでお話を聞いていただきたく書き込みをさせていただきます。 以前からなのですが、病気が怖くて怖くてたまりません。 何か体の不調があると、それを癌と結びつけ、夜も眠れないほどの恐怖に襲われるのです。 昨日も胸の辺りの肌が変色していたため皮膚科を受診しました。 先生ははじめは、よく分からない様子だったのですがルーペで観察をしたところタムシであるとの診断を下しお薬を処方していただきました。 しかし、帰宅後皮膚片を顕微鏡で観察しなかったことや皮膚科で使用する特殊な拡大鏡で皮膚を観察しなかったことなどから、本当はタムシでは無く皮膚癌では無いのかという思考に陥り、一晩中その事が頭の中を巡り、眠れない一夜を過ごしたのです。 このhasunohaでも父の死からも人間の命は永遠では無いことや人間には病の苦しみが付きものだと言うことは理解しているのですが、癌が怖くて怖くて仕方が無いのです。 心療内科も受診し、薬物療法とともに先生からは気分転換をしなさいと言われるのですが、時には恐怖から呼吸が苦しくなるなどの症状になることもあります。 本当に本当に弱い人間で情けない限りですが、今後どの様な対応をすれば良いのか?、アドバイスをいただければと思い書き込んだ次第です。 よろしくお願いします。
私は家族のことが大好きです。けど、大好きだからこそ家族が私を置いて死んでしまった時のこと、特にお母さんが死んでしまった時のことを考えると涙が止まりません。 いろんなサイトや体験談や本を見聞きしても怖くてたまらなくて、今が幸せだと思えば思うほど怖くてたまらなくて、置いていかれる前に死にたいと思ってしまい、そんなことしたら残された家族が悲しむからと我慢しますが自分が悲しむ側に回りたくなくてやっぱり死にたくなってしまいます。 お母さんだけじゃなく、他の家族にも、せめて亡くなった後「ああしておけば良かった」と後悔はしたくないと思い触れ合いますがまた悲しくて切なくて、自分が考えれば考えるほどその時は近付いてしまうんじゃないか、この「行ってらっしゃい」が最後になってしまうんじゃないかと毎日考えて辛くて辛くてたまりません。 3年前にあまり関わりのなかった親戚のお葬式からからずっとで、もうこんなこと考えたくないです。ただ、家族みんなで誰かが死ぬとか考えずに、幸せに過ごしたいです。毎日怖くて泣きたくないです。どうしたらいいですか?
いつもお世話になっております。 カテゴリーをどこにするべきか悩みましたが、宜しければお知恵をお貸しください。 私は遺体が怖いです。 気持ち悪いとかではなく、怖い。 例え大切な親類やペットだったとしても、いざ寿命や老衰、病死で綺麗な状態で亡くなっていたとしても、怖くてしかたありません。 曽祖父が亡くなった時も、父が亡くなった時も、ペットの犬猫が亡くなった時も、とても大好きだったのに触ることだけはどうしてもできませんでした。 飼っていたメダカが死んで水槽に浮いていた時も何故か怖く感じてしまい、自分で引き揚げて埋めてあげるということすらできず、他の家族に頼むほどです。 「最期だから触ってあげて」 「手を握ってあげて」 「怖いものじゃない」 親戚や周りの大人からそう言われても、怖くてできません。 身内が亡くなったのに薄情だと白い目で見られたこともありますが、正直近付くのも怖いんです。 私からすると何故皆亡くなった方の手を握ったり、顔を撫でたりできるのか不思議でしかたありません。 どう表現していいのか分からないんですが、空っぽになったというか、何か足りない、生きている者とは違う存在、と言いますか… かといってドラマや映画に出てくる死体は怖いとは思いません。 自分の目で実際見る遺体が怖いんだと思います。 ずっと自分はおかしいんだと思っていました。 身内でも怖いのに、他人だと見るのも近付くのも怖いです。 ご遺体を扱うお仕事に携わっている方達には失礼な話だと重々承知しています。 これから先、葬儀の場に呼ばれることも増えるでしょう。 こんな意味不明な理由で行かない訳にもいきません。 何故こんなにご遺体に拒否反応が出てしまうんでしょう。 またご遺体に向き合う時の心構えなどお教えください。 拙い文ですが、よろしくお願い致します。
自分は二十歳を迎えて以来、月日が経つのが早いと思うようになり死というものが怖いと感じるようになりました。 死ぬまでの痛みとか苦しみに対してではなく、死んだあとのことや、本当に大切な家族や友達と永遠に会えなくなると思うとすごく不安になります。 こんなこといくら考えても解決しないとは充分わかっているのですが死というものが怖くなくなる、不安にならなくなる方法や考え方はありますか? よろしくお願いします。
現在二十代後半という年ですが、 25歳まで生きている事が辛くて、面倒で、価値がないと思っておりました。 なるべく若い内に自分の好きなタイミングで死にたいと思っておりました。 それがここ数年で未来に楽しみを感じる事が出来ました。 彼氏のおかげです。 彼氏の就職先も決まり2年以内には入籍も考えております。 子供が大好きな彼氏と将来子供が二人は欲しいねという話をしています。 彼氏と話している時は凄く楽しくて身籠ってすらいないのに名前を考える馬鹿っぷりです。 ですが、帰宅し一人になると 今まで怖くなかった死が凄く怖くなりました。 私が死ぬのも怖いし 彼氏が死ぬのも怖い 彼氏に依存してるのかと思いましたが、依存とは違う気もする 最近抱き始めた負の感情がすごく苦しいです。 自然災害、震災、交通事故、なども怖いです。 ふとしたときに、 今地震が起きるぞ!暴走車が来るぞ! と身構えてしまう時があります。 死を感じず日々を送りたいです。 怖くて眠れない日々もあり、心療内科にいくのも怖いので こちらで死への向き合い方、立ち向かい方、怖く思わない方法を教えて頂けたら嬉しいです。
プロフィールにも書きましたが、現在フリーターです。 昔からなんだか気が付いたら大変なほうを選んでしまう自分がいます。 これが自分の性なのかぁと内心あきらめかけています。 そして経験するにつれて、歳をとるにつれてだんだん自分が丸くなってきているのがわかります。 もはや、仕事も人も好きか嫌いかで判断するものでもないと。 感覚として嫌いな人やものでも、付き合っていくうちにその人のことを理解しようと思うのですが、かえってそれが自分が無理をする足かせになってしまいます。つまり、分かろうとするから、それが必要な理由が分かるからこそ無下にできないと思ってしまうのです。 両親であれ、学校の先生であれ、仕事仲間であれ、どんなに嫌でもその人のことを理解しようとして選択をした結果が、現在の状況であり、いつも大変です。 世の中のきれいな部分汚い部分含めて、それが正しい正しくないという枠組みを超えて、今いる場所が自分の人生なんだなぁと納得しつつあるのですが、 自分のいいところを誰に認められることもなく、自分の中の悪かった部分は改善され、良かった部分は削られていく現状に不安があります。 なぜ良い部分を削らないといけないのか。 若いうちは、ある程度自分の良いところを軸にキャリア選びをしていくものではないか、自分の好きなこと、興味があること、やりたいことを軸に生きて行ってもいいのではないかと思います。 しかしそんな若々しい芽を発芽させることなく、そしてそれももはやわからなくなってきました。 人と違うことをしたり、何の精神的な支えもなく一歩を踏み出せるほど強い人間でもないですが、大人として落ち着いていくことにまだ未練があります。具体的には、仕事選びに関してです。ですが丸くなればそのほうが精神も安定しますし、なんやかんや仕事は続けられるマインドセットではあるのです。 おそらく、もう少し歳をとったら、あんなこともあったなぁというくらいに見れると思うのですが、30手前の今だからこそ、もう少し葛藤していたい自分もいます。 丸くなってしまうと、自分がなくなってしまうんじゃないか。その結果自分が今までされてきたように若い子たちの自由の芽を逆に摘み取ってしまう側になるんじゃないかと怖いです。どうしたらいいでしょうか。
こんにちわ。 以前個人的な質問をさせていただき、2度目の質問になります。 以前は大変貴重な回答を頂き非常に感謝しています。 さて、表題の質問になりますが、 小学生の頃「死」について考えたことがあり、その時は・・・ 死んだら考えることすらできなくなってしまう。 死んだらこうやって「死」について考えることもできない。 自分という存在はどこへ行くのか。 と、怖くなって夜寝られなくなってしまった思い出があります。 葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉の意味を調べたり、 100歳を越えてもなお現役の医師を続けていらっしゃる日野原重明さんのコラムなどを読んでから、私は「死」という概念は、 抗うものではなく受け入れるもの。 そしていずれ来る死をどのように受け入れるか。 が大事なのではと思うようになりました。 私は仏教には詳しくありませんが、仏教にも輪廻転生や極楽浄土など死後の魂の行方や考えがあると思います。 よろしければ、仏教的観点でも宗派的観点でもご回答くださる方の個人的な観点でもよいので、「死」についての考えをお聞かせ願えないでしょうか。 宜しくお願いいたします。