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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 悟り 」
検索結果: 1816件

現実との折り合い

こんにちは 私は長く躁鬱病を患い、頭の中のリアリティも害もある想像の会話が止まらず苦しんで来ました。 昨今のマインドフルネスの普及から仏陀が仰ったことに興味を持っているのですが、 確かにマインドフルネスで今ここのあるがままを観察していると、心はただ離散集合しているだけの実体の無いものだし、執着するのではなくこのようにただ現象を観察することで過去や未来からも切り離されて楽になれるな、ということが実感としてわかります。 ただ現実で仕事をしていると、ある意味自己実現という幻想で駆動して物事にとことん執着し、過去と未来に執着し、ただでさえ認知的幻影である世界にさらに消費という幻影を作ってゆく作業だと思うので、いくらでもストレスが湧いて出てきます。 心は実体のないものだから執着したりすることはないんだ、と思えることで精神疾患的にはとても良いと思うのですが、仕事をして生きていくことを考えるとマッチポンプ状態で、この二つは折り合いがつくのかな? と思うのですが、仏陀はどう考えていたのでしょうか? それとも、元々が、出家してない人間には向いてない考え方なのでしょうか。 どうやって「現実世界で生きること」と元々の仏陀の教えたことと折り合いをつけるのか(そしてそれで苦から放たれるのか)知りたいです。 なるべくおおもとのエッセンスが知りたいです。 浅い知識で質問しているため誤解に基づいて書いてるところも多々あると思いますがよろしくお願いします。

有り難し有り難し 12
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イベント日をスルーしたい夫と大事にしたい妻

イベント日を、スルーしたい夫と、大事にしたい妻は、どうしたら折り合えると思いますか? 夫は記念日やイベントをスルーします。 彼はお正月、誕生日、クリスマスなど、気にせず普通にすごしたい人です。 私はイベント日は普段と違うことを楽しみたいタイプです。 イベントを無視されると二人の時間を蔑ろにされているように感じ、彼にとって自分は大事ではないように感じてとても苦しくなってしまいます。 単なる価値観の違いなのですが、どう対処していけば楽になれるでしょうか? ちなみに、今は海外に住んでおり、家族や友達があまりいないため、夫なしでは必然的に一人になりがちです。 普段愛情深い夫ですが、自分の興味嗜好優先で単独行動をする点に、私が淋しく感じることは多々あります。 (たとえば、どこかに一緒に出かけても、往復の交通は一緒だけれど現地での行動は別など。 彼は一人だろうと二人だろうとそれをすることそのものに意義を感じ、私は二人でそれをする時間に価値を見出すので、むなしくなります。) ゲーリー チャップマン著「愛を伝える5つの方法」という書籍がこの悩みに効果的であると感じ、彼にも読んでほしいと勧めたり、要点を説明してもみたのですが、まったく手ごたえがありません。 他愛ない質問で恐縮ですが、何かお言葉を頂戴できましたら幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 22
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精神病の疑いの私が恋愛…結婚は出来ないのか?

私には随分長く片想いをしている人がいます。彼は県外に住んでいて、遠距離の片想いです。 私は過去に極度の疲労から統合失調症の疑いがあると医師に言われましたが、環境を変え夢を実現する事を諦めず、今はしっかり働けています。 このサイトの過去の質問の中に、統合失調症の人と結婚は難しいのか?と言う内容を見ました。私は自分の事を言われているように感じました。そうか…私はどんなに普通に働いて努力しても、恋愛や結婚なんて出来ないんだって。先月、父が病気で亡くなり、母と二人暮らしの私は、この先いつかは自分一人になるのだと思いました。お嫁に行った妹はいますが、遠く離れていて、親戚はいません。 父が亡くなったからって悲しんでないで、まだまだ頑張って働かなきゃいけないんだから!まだ私の人生は長いんだから!と思っていたのですが、でも精神病かもしれない私に恋愛や結婚なんて望んではいけない事なのだと…思い知りました。片想いの彼がメールの返信をくれなくなったのも、きっとあまり関わりたくないと言う気持ちの表れなのでしょう。まだ長い人生、私は今の歳で恋愛や結婚を諦め、どう生きていけば良いのでしょうか?

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納得のいかない法話

質問させていただきます。 回答しづらければ、スルーでお願いします。 母の四十九日法要の和尚さんの法話でのことです。 「亡くなった人はどこへ行くか?」と和尚さんは私の甥に尋ねました。 小学生の甥は、「心の中」と答えました。 それは、亡くなった母が教えたことです。 母は「自分が死んでも、いつも見守ってるから」という意味で、生前、そのように話したのだと思います。 が、その和尚さんは、それを完全否定しました。 人は死んだら「無」になる、と。 何もなくなる、心の中ということはない、と。 実際に仏教でどのように考えられているかは知りません。 和尚さんが仰ることが正しいのかもしれません。 ですが、そこはあえて否定する必要があるのでしょうか? マチガイハ タダスベキということですか? 甥だって大人になるにつれ、母の言葉の意味は理解するだろうし、何より母の法要で母を否定されたような気がして、何とも言えない気持ちになりました。(「黙れクソ坊主がっ!」と思ったことは内緒です) また、その話の流れで、ホームレスは人間のクズだから地獄に堕ちるという話をされました。 いや、ちょっと待て! 人は死んだら無になるんじゃなかったのか? 無になったら、地獄も何もないのではないか? それとも、ソレとコレとは違うとでも言うのだろうか? それより、ホームレスが人間のクズとはどういうことなのか!? それが仏教なのか? 和尚さんの偏見ではないのか? 和尚さんに対しての怒りの感情と、母に対して申し訳ない思いと… お前が地獄に堕ちろ!とマジ思いました… ホームレスの方達に炊き出しをするボランティアをしていたので、色々と思うところがありました。 もう数年前のことですし、そのことを引きずって悩んでいる訳ではありません。 過去のことに上書きすることはできませんし、それはソレで、そういう事実があった、でよいです。 ただ、その本当のところが知りたいです。 数年前のことを、なぜ今、このタイミングで?と思われるかもしれませんが、今まで聞く人がいなかったからです。 hasunohaのサイトを最近知りました。(遅っ!) よろしくお願いいたします。

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独学で行う“印”と“真言”について

初めまして、私は仏様を側に感じたい時やお寺で参拝する時に印を結び、真言を唱えている破戒するヒトと申します。 私の結ぶ印や唱える真言は師に習ったものではありません、ネットや書籍で調べたものです。 本当は出家をして師に習うのが一番だと言うのは分かりますが、どうしても人が苦手で集団に溶け込んで修行する自分が想像出来なくて、独学でまったりと学ぼうとしています。 このように独学で印や真言を調べるなかで「印は行者しか結んではならない」「印や真言は誰が行おうと構わない」「師に習わない印や真言に効力は無い」「軽い気持ちで印を結べば仏罰がくだる」…など様々な情報が入り乱れて混乱します。 ただそれでも私自身に「印を結び、真言を唱えたい」という欲求が合ったので都合の悪い情報は気にしないようにして印と真言をしてきました。 ちなみに理由は魔法使いみたいで格好が良いから、または自分はいま仏様に近付く修行している…といった心地のよい感覚があり、このまま根気よく続けていれば仏様との間に、より濃密なご縁を頂けるかも…なんて期待をしつつやっていました。 しかし時に後ろめたさの様な物を感じる事があります。この行為はもしかしたら仏様に対し失礼に当たるのではないかと。 とある質問サイトでこのような事を質問してみても意見はバラバラでどうすれば良いか分かりません。 このような混乱と欲求と後ろめたさが入り乱れ撹拌されてか、今朝の夢のなかでお坊さんに「真言や印は欲望で行うものではない、貴方が好意でそのように行動しても仏様は迷惑だと感じるだろう」と言われました。 すみません、あくまで夢の中のお話です でもとても鮮明な夢で「仏様は迷惑だと感じるだろう」という言葉が突き刺さり、堪らずこちらのサイトに登録を行い質問をさせてもらいました。 もしも夢など紛い物で無いお坊さんにそのように言われれば、私はキッパリと印と真言の欲求は断ち切るつもりです。 しかし私の欲求として仏様の迷惑にならないなら印を結び真言を唱えたいです。 どうしたら良いでしょうか。 分かりにくい所があったらすみません。 混乱と欲求が激しく渦巻いてそれ以外の事が考えられません。 どうか回答お願いします。

有り難し有り難し 98
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禅やマインドフルネスについて

いつもお世話になっております。この度は、禅やマインドフルネスについての質問でございます。 当方、少し大きな壁や課題があると途端に不安になり、焦ってしまいます。これまで失敗経験が幸か不幸か少なかったこともあり、極度に失敗や叱責を恐れています。失敗を恐れるなとは言われるのですが中々難しいですね…。 最近は、友人の助言もあり、人に言われたことは大半は受け流して、自分が改善すべきところだけを取り出して改善していくこと、人の意見を過敏に100%受け取らないこと、これを意識していこうと頑張っています。 このような不安定な経緯もあり、またこれからの生き方を漠然と心配し、色々な本で禅や、そこから派生したマインドフルネスというものを少しですが知ることができました。将来への焦りや苦しみは、今ここに極度に集中すると消えて、結果的に人生がうまくいく、というものだったと記憶しています。読んでいて私はなるほどと思いました。焦っている時は何事も手がつけられないというのには覚えがあります。 一方、生きていればもちろん誰でも様々な苦難が降りかかります。時には圧倒されそうな困難もやってくるかもしれません。それをも今に集中することでただひたすらやるべきことをこなしていくとすれば、このプロセスには理論上、焦りや苦しみといったものは存在しないものなのでしょうか。なんだかちょっと信じられない自分がいます。 また、もし苦しみがないのなら、苦しみを経験しない人生ということになると思いますが、苦しみがない人生というのも、なんだか不思議とそれでいいのか…?という疑問が湧いてきました。 自身が禅やマインドフルネスを知って日も浅いため、理解が生半可で的外れな質問になっている可能性はありますが、迷える大学生にお教えいただけたら幸いです。 ここからは質問ではないのですが、率直な気持ちとして、禅やマインドフルネスは、大変魅力的な考え方だとおもうのですが、あまりに自分が短いながらに生きてきた価値観とは違って、心からまだ受け入れられていません。でも、心の底では、このような生き方ができたらな…と羨む思いがあります。

有り難し有り難し 46
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心が空っぽ。心からやりたいと思える仕事がない。

こんにちは。私は39歳の女性です。 私の悩みを聞いてください。 私の心は空っぽです。 何をしても何に対しても心から喜べないし、心から楽しむことができません。 心から笑顔にはなれませんし、心から笑顔になれる出来事はありません。 心から自分と人を愛することができません。 好きなこと、夢中になれるものがありません。 心の支えなにること(物・人)がありません。 小学生・中学生の時は毎日がキラキラ輝いていて、好きなこと、夢中になれるものがありましたし、心から自分や人を愛することができました。 心の支えになること(物・人)もありました。 決して今の生活に不満はありません。 実家で両親と同居して、毎日母が食事を作ってくれます。 病院などへ行くときは、時々父が車で送り迎えをしてもらっています。 両親からとても愛されています。 障害年金をもらっているので、お金にはまったく困っていません。 何かも恵まれて幸せで、心が満たされてるはずなのにまったく心が満たされません。 もうひとつ悩みがあります。 もうすぐ40歳になりますが、心からやりたいと思える仕事がありません。 今までスーパーの陳列・品出し、コンビニでのバイト、テレホンアポインター、アイスクリームショップでのバイト、コンビニのお弁当・サンドイッチなどを製造する工場などいろんなアルバイトをしてきましたが、「この仕事がしたい」「これ気に入った」という仕事は見つかりませんでした。 未だに心からやりたいと思える仕事がありませんし、どんな仕事をしたいのか考えてもわかりません。 子供の頃は「婦警さんになりたい」「漫画家になりたい」と将来の夢は ありました。 20歳のときある人に「将来の夢は?」と聞かれたとき「自分は将来何をしたいのか」「どんな職業に就きたいのか?」などいろいろ考えました。 でも、答えはまったく見つかりませんでした。 仕事以外の夢はたくさんあります。 (例:海外に住む、など) もうすぐ40代に入りますので、激しい焦燥感を感じています。 お話を聞いてくださってありがとうございます。

有り難し有り難し 40
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これからの、老後の人生設計

これまで、何度か、いろいろ質問させて頂き、アドバイス、助言を頂き、感謝してます。 今回は、ふと、独りの時間になった時に、今後の、人生、老後の人生について、いろいろ、考えるように成りました。 今は、四人の孫達(間もなく。5人目の孫、誕生)に囲まれて、幸せを、実感、感謝しつつ、毎日を、過ごして、頑張ってます。 でも、孫達も、日々、成長する事を、願いつつも、思春期にも、なってくると、友達、又は、異性に夢中になっていくと、思うと、自分自身の、これからの、人生、老後の事も、真剣に、考えて、いかなければと、よく、思うようになりました。 よく、廻りの人からは、「貴方は、沢山の孫達に囲まれて、幸せだよね。」と言われる事が有ります。 確かに、端から見れば、幸せそうに、見えるでしょう。 でも、自分の心の中では、何か、葛藤が、日々、有るのも事実です。 これ以上の幸せを、望んでは、贅沢でしょうか?甘え、自分自身に対する、エゴでしかないのでしょうか? 今も、次女家族と、同居し、将来は、「父さん、新居も構えたら、父さんの部屋も、ちゃんと作るから、一緒に住もうね。」と言ってくれてます。感謝の気持ちで、いっぱいです。 しかし、今後の人生を、廻りに家族も居て、独りで無いのは、良く理解してる、つもりですが、不安だし、自分自身の幸せも、掴みたい気持ちも事実です。 今となって、亡き妻が、緩和ケアに居る頃、ふと、夜中に、「父さん、私の棺の中に、以前、若い頃、付き合ってた頃にしていた、交換日記が、タンスの奥に、有るから、一緒に持って行きたいから、忘れず、入れてね。」と言った事の意味を、最近、良く、考えるようになりました。 未だに、その答えが、見つからずに、居ます。 長文に成りましたが、今後の自分自身の、人生、老後について、善きアドバイス、助言を頂ければ、幸いです。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 23
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