悟りと解脱、輪廻転生について
こんにちは。
これだけこのサイトにお世話になりながら、悟りについて良く考えた事がありませんでした。私の考え含めて質問させていただきます。
仏教の入門書だとよく「修行の完成」→「悟りを開く」→「輪廻の苦海から解脱」と解説されています。
しかし自分はこの解脱と言うか、輪廻転生が今一つピンと来ません。
生前や死後については無記とするのがお釈迦様の真意に近いと思うし、
輪廻とは一種の比喩と考えるのが適切と思うからです。
実際、輪廻を考えると色々と矛盾が生じます。
例えば虫の輪廻転生。一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?善行を積んだセミが高次の存在に転生し悪行を積んだセミがさらなる悪趣に落ちるのだとしたら、誰がそれを判定するのでしょうか?
そのような超越的な存在(判定者の類)は仏教では否定されるのではないでしょうか?
となると、悟りも輪廻転生を前提にしている限り、よくワカラナイものになってしまいます。
悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか?
だとしたら悟ったかそうでないか判定者がいる事になります。
(ここでまた超越的な判定者の問題にぶつかります。)
悟りによって体質と言うか、魂(?)の質が変わるとでも言うのでしょうか。
じゃあ輪廻とか死後が無記なら、結局「悟り」て何なの?って話になって
頭の中ぐるぐるで何だかよくわかりません。
こんな考えって戯論でしょうかね?
お考えを教えて頂ければ嬉しいです。
有り難し 84
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