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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 」
検索結果: 3053件

心のあり方

非常に読みづらい文章で申し訳ありません。 以前にも相談させて頂いたのですが、私は人生で躓き苦しんでいたある時、頭の中で光に包まれ同時にそれが「救い」であると信じ、以降常にその光が示すであろう方へ突き進んでしまいました。 結果、人生が滅茶苦茶になり今現在も逃げられないような状況を作り上げています。 その状況の内容は、父親が私の為に会社を立ち上げたのですが、勢い任せで立ち上げたため具体的な計画性がなく将来的な見通しがほとんど見えない点です。私の意思としては絶対に設立を反対した方が良いとわかっていましたが、当時の私は光の方向に従ってしまい設立を許してしまいました。父親が70歳越えた高齢であること、また、私がその仕事に対してほとんど素人である他不安な要素が多すぎて毎日恐怖と闘っています。また、親子であるため考え方の距離が近すぎるため、衝突しないよう常時神経を使っているため気が狂いそうです。 なんで光の方向なんてものに身を委ねてしまったのか怒りと悔しい思いで毎日頭がおかしくなりそうです。 また、自分が勝手に「救い」であると勘違いしたのが悪いのですが、仏また仏教というものに対し逆恨みで強い恨み憎しみが湧いてしまいます。 自分はどうしたら良いのでしょうか。 仏、仏教というものに憎しみを止め心を正し、毎日お題目を唱えていれば救われるのでしょうか? また、怒り憎しみを鎮めるためにもどのような心持ちをした方がよいでしょうか? 心が乱れてしまい無茶苦茶な文章になってしまい申し訳ありません。 返答お待ちしています。

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猫の供養について

よろしくお願い致します。 自宅の小屋で野良猫が死んでいました。 保健所に引き取ってもらいましたが、子猫もいました。 実は2週間ほど前、小屋に猫が入り段ボール箱に子どもを産んでいたので、箱ごと外に出し、親猫も外に出るよう促しましたがなかなか出てこず、しばらく小屋の戸を開け放したままにして外に出たところ戸を閉めました。 我が家では動物を飼うことはできないので、親猫が子猫を連れていくのを遠くから見て待っていたのですが、連れていく様子はなく、そのうちカラスが子猫1匹を連れ去ったので、親猫が入れる程度の隙間を作って、保健所の方が来るまで囲いをしていました。 保健所の方がきて保護したときには子猫は1匹しかおらず、他の子猫は親猫が連れて行ったのだと思っていましたが、今日、小屋に親猫と子猫の死骸を見つけました。 小屋の戸を閉めたときに見た猫は、親猫ではなかったということになります。 それなのに私は戸を閉めて親子の間を割いたばかりでなく、親猫も子猫も死なせてしまいました。 仕事から家に帰り、猫がいた小屋で線香をつけて南無阿弥陀仏と唱えましたが、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 私は猫たちに恨まれますか? どのように供養してあげたらいいのでしょうか?

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両親の言葉

先日は両親の遺骨の分骨について教えて頂き、ありがとうございました。 両親が亡くなって、寂しい、悲しいなどいろんな気持ちが溢れては消え、消えては溢れる…そんな毎日の中で、最近 ふっと両親が生きてた時に話してくれた事を思い出します。父親は、私が怪我をしたりすると「痛い痒いは生きてる証拠。」とか、またある時に私が新しい生活に慣れなくて悩んでいた時などは「いつか良くなるって思うから苦しくなる。まっ、こんなもんか、って力を抜けば何か知恵も浮かぶってもんだ」など、今になって思えば、その通りだなぁっと思う事をいろいろ教えて貰った事に感謝してます。母親からは、嫁いだ時に「いくら義父母や旦那に腹が立っても、自分の言いたい事はよく考えて言いなさい。一度、言葉に出してしまったら、その言葉は拾えないからね。」と、言われた事は今でも私の人間関係を築く上で、大切にしています。そんな両親が残してくれた言葉を思い出した時、何にも変えられない両親が生きた証…今度は私が子供に残してあげようと思いました。 生きていると嫌な事や辛い事の方が、楽しい事や嬉しい事よりも多いと思いますが、両親のように幸せ探しをこれからもして行こうと思います。お坊様方は、生きてく上で辛い時に思い出す言葉はありますか? 子供の頃からお坊様にいろんな話しをして頂いた事もあり、是非ハスノハのお坊様方にも聞いてみたいと思いました。 宜しくお願い致します。

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どう生きれば良いのかわかりません

とても苦しいです。身体に鉛の塊があるようで、それが溶けだして涙になるようで動けない。このまま石になって死んでしまえれば、とすら思います。 仕事に就く度に身体を壊し、心を壊し、もう自分が信じられなくなった時、それでも、私を好きだと言ってくれた人がいました。 その人に見合う人間になろうと、勉強を重ねました。病院への通院も頑張りました。 苦手だった料理や化粧などもなんとか形になってきて、病気も多少快方に向かい、周りから綺麗だよ、と言われるようになってきて、ほんの少し自信がついたような気がしてきた。 その矢先に、その人から、他に好きな子ができた、こんな中途半端な気持ちでは貴方に失礼だから、と別れを切り出されました。 それじゃあ仕方ないね、幸せになってね、と笑って送り出したし、それは本心からのものでした。遠距離恋愛で、病気を抱え、しばらくは働くこともできないだろう私より、もっと良い子と幸せになってくれれば、と。 でも強がっていたのも紛れもない事実。身体は思った以上に正直で、次の日からストレスで身体中に湿疹が広がり、体の痛みと心の痛みで涙が止まりません。 よく優しい人だと言われます。努力家だとも言われます。両方事実ではあると思うし、ネガティブな言葉ではないはずなのに、それが私を苦しめる。 人の分まで考えて、無駄に頑張ってしまって、頑張りすぎて自分を傷つけてしまって、最終的には失敗して自己嫌悪に陥る。 それを取り戻そうと頑張っては、また泣きを見る。ずっと繰り返しているのはわかっているのに。なんて不器用なんだろうと思います。 もっとわがままになりたかった。あの時だって、正直に一言「いやだ」と言えればよかったんです。でももうどうしようもない。 あの人は父の死に際に立ち会って、「この子は自分が幸せにします」と言ってくれました。 それが嘘だったなんて、父の墓前にどう報告すれば良いのでしょう。何も知らずに孫が楽しみね、とにこにこしている母にどう伝えれば良いのでしょう。 もう疲れてしまいました。これからどう生きれば良いのかわかりません。

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人の心と言葉の伝え方

こんにちは。書籍も拝読させて頂きました。今回の質問ですが、私の母の妹である叔母の事です。叔母は娘と2人家族で主人が亡くなり主人の親戚ともうまくいかず、他県から逃げるように私たちの近くへ引っ越してしました。私の母は闘病中で会話もままならなかったため、家探しから何かにつけて私が主になり付き合いをしてしました。その間に母は亡くなりましたが。 付き合ううちにこちらの土地、人柄、職場、住まい、全てに愚痴、不満を言います。引っ越す前にそちらで付き合いのあった人たちの悪口、こちらで知り合った人たちの愚痴ばかり言うので、私はその度にため息の日々でした。それだけならまだいいのですが、生活が苦しく、私たち家族にお金の工面をする事がありました。それは私の父親に頼んできた事なので、叔母と父の話だと割り切っていました。日にちはかかるけれど、ちゃんと返すので、思う事はあるけど見過ごしてきました。そして、今回またお金の工面をしてきたので、父が断ったため今度は兄に頼んできました。それを何に使うかと言うと、元いた土地へ引っ越したいからその引っ越し資金に充てるみたいで。どうもこちらに馴染めず、故郷がいいと思って帰りたいみたいなので、どこに住むかはその人の事なのでいいのですが、引っ越しを決めたなら、その資金をコツコツ貯めてからするものではないのか。と思い、今回は私の思っている事を伝えたのですが、いつも娘と2人で行動するので、お金の事を娘の前で言わないほうがいいと思いメールで伝えたら、それから音信不通です。いつも2人一緒だから、、、と前置きした言葉を、叔母は2人で一緒に来るな。と解釈したようで、捉え方に驚いています。60にもなるのにあまりに浅はかな考えと常識はずれにどう向き合えばいいのか分かりません。私はどう思い方を変えたらいいのか、ご指導頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 17
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2023/02/19

ペットの死後の世界は

とても懐こくて家族で可愛がっていたハムスターの福ちゃん(1歳4ヶ月女の子)が一昨日旅立ちました。 年末に脇の下に小さなしこりを見つけ、呼吸も少し早くなり動物病院へ行こうとした日に家族全員がコロナ感染。療養中も気にしてうつさない様に気を付けながらお世話をし、療養期間が空けて直ぐ動物病院へ駆け込みました。 超音波とレントゲン検査をした所、皮下腫瘍の他に内臓腫瘍が幾つも見つかり、呼吸は胸水によるもので手術は逆に危険なので不可。残された日を一緒に大切に過ごして下さいとの事でした。 出来る事ならば痛みや苦しみを最小限にしてあげたい訴え、病院から内服薬を貰って毎日お世話をする中、眼球突出して両目を失明…福にとっては壮絶な闘病生活だったと思います。 安楽死も頭に浮かびましたが、それは全て自分の都合だと思い、福が命を全うするまで寄り添う覚悟を決めました。 それでも自分が決めた選択は正しいのか?どうしてこんな事に?コロナに罹らないでもっと早くに病院へ行っていれば助かったのでは?と自問自答して気持ちが揺らぐ毎日でした。 満足に動けない中、撫でて欲しいと近寄って来ては「いい子ね」と抱き上げ、お腹が空いていないか?喉は乾いていないか?と常に気にかけていましたが、どうしても出掛けなければならない用事があり、ほんの少し娘に託している最中に「福が逝ってしまった」と電話が掛かって来て、急いで帰宅すると眠ったままの体勢で息を引き取っていました。 安らかに逝けたかな?と想像する事しか出来ませんが、その瞬間を看取ってあげられなかった悲しみや後悔の他に「これで痛みや不自由さから解放されたね、楽になれたね、頑張ったね。」といった安堵の様な気持ちもあります。 昨日家族皆で立ち会い火葬をして貰い、骨も拾い上げました。全ての骨が崩れる事なくしっかり残っていました。まだ気持ちの整理がつかずに片付ける事が出来ないゲージの中に骨壷を置き、お花とご飯、おやつをたっぷり供え、福は静かに眠っています。 (暖かくなったら遺骨を樹木葬にしてあげたいと思っています。) あの子と一緒に過ごせた日々はとても愛おしくて幸せな時間でしたが、福も同じ様に幸せだったのでしょうか?無事に向こうへ辿り着けたでしょうか?腫瘍による多臓器不全や浮腫で満足に動けず、視力も失って逝ってしまった福はあちらの世界でも不自由なままなのでしょうか?

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何故人は「独りぼっち」を恐れるのでしょうか

前回の相談より、自分と向き合うことを決めたところ、「何故孤独を恐れるのか」という疑問がわいてきました かつての狩猟時代の名残で孤立は死につながりやすいからか… しかし現代ではそう簡単には身体的な危険は迫ってきません 「孤独」を知るため色々観察してみる事にしました ・「孤独だ」と言っている人を端から見て「孤独では無いよ。周りに思いやってくれる人がいるじゃないか」と思うことがありました ・一人で家にいて、メールなどが入っていない状況で「自分は孤独だ」と感じるときとそうでないときがあります ・人に冷たい態度を取られた後や体調が悪いときは「孤独」を感じやすいような気がします ・友達と楽しく過ごしていても「これも永遠では無い」と妙な寂しさを感じたことがありました これらの事などから、「孤独」とは物理的な状況では無く、また「寂しさ」とも違うのだと思いました そもそも「孤独」とはどのような状態なのかというところまで考え込んでしまい、そこから先が見えなくなってしまいました 上手く言いたいことがまとまりませんが、「孤独」とは何で、何故人はそれを恐れるのか教えて頂きたいです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
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