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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 」
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比喩表現なのか...謎

お世話になっています。僕はこれまで、「お念仏は1日10回程度でいいだろう」と思っていました。何なら、1回でもいいと思っていました。ところが、あるお坊さんから聞いたのですが、「お念仏というのは、瞑想みたいなものだ」と言っていました。ただ手段が違うだけだと。瞑想では、呼吸や身体の感覚に集中することで、「今」に心を置きます。お念仏も瞑想と同じで、お念仏を唱えている時だけ「今」を生きることができると言っていました。自力の計らいというのも、瞑想でいうところの雑念なのでしょう。また、阿弥陀様や如来というのは、この世の大いなる働き(空、因果律)のことだと言っていました。浄土真宗はとにかく比喩表現が多いんだと。これらのことは本当なのでしょうか?もし、本当だとしたら煩悩を自覚する意味が分かりません。また、煩悩即菩提の概念もよく分からなくなってしまいます。僕は今まで本当に浄土(死後の世界)があり、阿弥陀様も実在する「人」だと思っていました。 しかし、内心では疑いを持っていました。南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に往生でき、それが出来なければ地獄行きというのは疑問に思っていましたし、大宇宙の法則がなぜ「この人は浄土、この人は地獄」と判断するのかもおかしいと思っていました。もし、このお坊さんのいう通りなら、色々と納得できる部分がありますが、実際のところはどうなのか気になります。回答お願いします。

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信頼していたお寺に裏切られた気持ち

20年前にご縁のあるお寺にてご祈祷を受けたところ、凄い効き目がありました。その頃、霊現象が多かったのですが、口伝のまじないのようなものもその時教わりました。(口伝なので、人には内緒にするよう言われました) 色々効き目は凄かったのですがここでは省きます。 それから、20年毎年正月にはそのお寺で新年のご祈祷を受けていたのですが。 最近、良くないことが重なったので、いつものお寺でご祈祷をしてもらおうと伺いましたところ、 今まで見たことのないお坊さんが受け付け、私の話を笑ってバカにするのです。しかも、同じお寺にもかかわらず、以前受けたご祈祷のこともバカにされた(言ってはいけないと言われた口伝も無理矢理聞き出した上で)為、私は怒ってご祈祷を受けずに帰りました。 しかも、寺を出て5分もしないうちにゴールド免許だったのに警察につかまり罰金です。 そのお坊さんは人間としても最低だと思いましたが、 私は20年も通い続けたお寺に裏切られたと、仏縁が無くなったと感じ、そちらの方がショックなのです。 もう、お正月に御札を替えに行く気持ちもなくなりました。 しかし、次にどこを頼れば良いのか。今回の件で、どれだけ自分がいつものお寺を頼りにしていたかもよくわかっただけに、帰る実家を無くしたような気持ちです。 このような場合、お正月は新しいお寺を探して行った方が良いのでしょうか? それとも、そのクソ坊主に当たったのはたまたまだと考えて同じお寺に行った方がいいのでしょうか?お正月、また会ったらイヤなので、とても迷っています。

有り難し有り難し 30
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