生きやすさを求めて生き続けながらもがく?
私は40代独身者です。
考え方や性格の関係もあって、人とのつながりを継続するのがなかなか難しく、社会的孤立の中でどうにか生きてます。
つながりのほとんどはネット上にしかないなか、わずかなつながりに依存しているのですが・・・・
つながっている人たちは、おおむね何十~何百人とつながりがあり日常的に連絡しあっているようで
自分よりは孤立はなさそうに見えます。人生が上手くいきだした方もいます。
年に数回、彼らと会う機会があり、その時にもそう感じます。「生きづらさ」での仲間たちです。
最近、その彼らたちと自分を比較して、非常に心が苦しくなることが増えました。
比較しても勝ち目のない人たちなのは分かっていますが、眠りから覚めると途端に比較が始まります。
自分が眠りから覚めなければよいのにと思ったりします
もともと自死・安楽死や死後の世界にも興味があります。
ある著名者の方がこんなことを話しておられました。
「これまで多くの相談者が「死にたい」と口にし、助かっても「なぜ助けた」と苦しむ様子に向き合ってきた。 結論から言うと、それでも生きた方が良く、生きることを阻害する要因を減らすことに注力した方がいい。 つまり、死なない方がいい。生きやすさを求めて生き続けながらもがいた方がよい」
生きづらさの原因が自分自身にある場合、自己否定や寿命までの年月を思うと、耐えきれない思いに苛まれます。
私のような人は、案外少なくないだろうと思います。
先の著名者のような「生きやすさを求めて生き続けながらもがいた方がよい」考え方は、仏教でも同じような教えになるものなのでしょうか?
ある書では、カルマというものがあり、死んで楽になることはなく死後も苦しみはついてまわるとありました。なにか関係ありそうでしょうか?
自分を変えることとは、高額な医療費や、生涯お世話にならなければいけない支援者と密接に関係があると思います。
そんなお金やコネはありませんが、訪ねてみるべき場所などあるなら行ってみたいとは思います。
よろしくお願いします
有り難し 8
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