いつもお世話になっております。 最近、化学や物理、医学や栄養学に興味を持ち始めました。 「物事は、なぜこうなるのか」逆に、「このような事は、どうしたら 防げるか(発生しないか)」このような、「あらゆる事象の法則性や、 因果関係を明らかにし、生活に活かしていく」という概念に、魅力を 感じたのです。 また、実際には効果がないのに、さも効果があるように謳った、 自称「医療機器」や「健康グッズ」に騙されたくない、という 思いもあります。 そこで、学校の教科書には書いていない、より実用的に理法を 説いてくださっている先生方が著されたご著書を購入して、勉強 させていただきたいと思っています。 しかし、医学書やカウンセリングを一つ取り上げても、滅茶苦茶な 事を吹いていることも多々あります。例えば、がんは放っておいても 治るだとか、障害者が攻撃されるのは、歴史を見ても、古今東西 当然の事だから諦めて備えろとか…(ナチスのホロコーストを 例に挙げて) ちなみに後者は、私の先代の心理士の妄言です。他の支援者さん たちは、これを聞いて大変驚き、 「ひどい事を言う。優しい人も世の中にはたくさんいて、ロータスさん には、それに気が付いてほしくて支援しているのに」 と憤っていらっしゃいました。傷つき、さらに無明に拍車が掛かった 私を、懸命に光の下へ引き出してくださろうと必死で活動してくださった のを覚えています。 昨今は、情報氾濫社会といわれています。数多の玉石混交の情報 から、石ではなく宝石…正しい理法を説いているメディアを拾い 上げるには、どのようにして、見極めの目を持てばよいでしょうか。 私が考えたのは、 ・感情や本能を刺激する、また単細胞的な事を言っていないか →「@@製薬が国民を騙した!」「ワクチンで死ぬ!」 ・一見、楽そうな方法のみを提示していないか →「がんは放っておいても治る」 表紙を見ただけではわからない本もあります。実体験ですと、 「叱られることはいいこと」といった表紙の本を買って開けて みたら、表紙のようなことは1,2行しか書いておらず、あとは 若者は脆弱だ、すぐキレて恐ろしい、犯罪にまで走る…といった、 アジ演説的な内容でした。これで、2,000円です。しかも、大寺の お坊さんが書いた本です。 お知恵をお貸しいただきたく存じます。
私の母がお守りを紛失してしまって、とても落ち込んでいるので相談させて頂きます。そのお守りというのは母のものではなく、私の弟のもので、一生もので身代わりになってくれるお守りだよと私たち兄弟に祖母がくれたお守りです。まだ幼い弟は危なっかしいので、弟が出掛けるたびに母がバックに付け替えたり、弟に持ち歩かせているうちにどこかに紛失してしまったようなのです。母は紛失してしまったことが今日わかって、私がなくしてしまったせいで息子になにかあったらどうしようととても落ち込んでいます。新しいおまもりを買ってもよいものなのですか?こういうときは何かすべきことはあるのでしょうか。対処の仕方などあれば教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。
無宗教で葬儀をお位牌なし、僧侶によるお経なしでしました。後日、仮位牌を葬儀屋に依頼して作りましたが、開眼供養はしていません。一周忌を迎えるのあたり、仮位牌に開眼供養をと思っていますが、仮位牌で開眼供養は可能でしょうか?一周忌での開眼供養は、仮位牌、本位牌の順に必要でしょうか?仮位牌を作れば、魂はそれだけで宿るのでしょうか?
2011年の掲示板ですが、呪いに関する体験談を語っているものになります。呪いが分散されてこの掲示板を見た人は呪われるとありました。内容は詳しく説明することは避けますが、話しを聞いた人や体験談を語った人の家族が全員自殺や事故などで亡くなってしまっているそうです。読んでしまった私も悪いですが、本当に呪いがうつるのでしょうか?自分はともかく家族や友人に迷惑をかけたくないです。回答の程よろしくお願いいたします。
先日父が亡くなりまして、自宅でも供養をしたいとはじめて思いました。しかし私の主人のご先祖様や義父などの仏壇もなく、まずはそちらから整えなくてはいけないと、父の死をきっかけに思いました。 主人は複雑な家庭環境で幼い頃に母に出ていかれ、その後父親に施設に入れられそのままでしたが、30数年後に警察から亡くなった連絡をうけたものの、孤独死の為、日にちもたっていて会うこともできず写真もなく唯一あるのは祖母の写真一枚のみ。まずこれでどうやって供養をしたらよいのか? 実家のお墓があるのかもわかりません。 そして、私の祖母、父親は並べて供養してもよいのか?色々調べておりますが全くわからず。アドバイスお願いしたいです。
5年以上一緒に住んでいたパートナーを亡くしました。自死でした。 パートナーと私は、不倫関係でした。 最初は、パートナーを亡くした悲しみ、寂しさ、今考えるとサインはあったのに、どうして気づけなかったのか、もっと優しくなれなかったのか、パートナーを追い詰めてしまった後悔が押し寄せてきました。 だんだん、パートナーのことを本当に思うなら、一緒にいるべきではなかったこと、 パートナーのご家族みんなを不幸にしてしまったこと、 人の気持ちを考えず、狭い自分の世界しか見えていなくて、目先の楽しいことにのめり込んでしまった愚かな自分。 パートナーといた時間は楽しかった、幸せだったけど、全部が罪であったということ。 パートナーのことを愛しい、恋しいと、今思うことも、罪なのではないか。 自業自得だと思いますが、心が2つにちぎれたようで、とても苦しいです。 許されることは望みません。 罪を背負って、これからどのような心持ちで、何をすれば良いのか。 ご教示いただけないでしょうか。 自分の家族は心配してくれますが、優しい言葉をもらう資格もないと思い、こちらを頼らせていただきました。
こんにちは 日本に住んでいる外国人です。 キリスト教で育ってきましたが日本で仏教を出会い、とても素敵だと思っています。仏教について本読んだり、お寺に訪問したりしています。 キリスト教から仏教に改宗するのは可能ですか?仏教の信者になるため儀式ありますか?
初めまして、芹香と申します。 私は幼い頃から宗教学、宗教史に興味があり、父方の親戚に住職さんがいることから、特に仏教学に強い興味を惹かれていました。 ですが、私は、父が熱望していた看護師になるため、看護大学に入学しました。 しかし2年前、「これは私の道じゃない」という思いから、うつ病を発症しました。 そして父の期待を裏切ってしまったこと、そして自分の「道」が見えなかったことから、絶望し自殺未遂を繰り返しました。 ある日私はネットの友達に相談をしました。その友達はお寺出身で、大学で仏教学を学んでいました。 その人に、「自分の「道」が見えない、こんなんなら死んでしまいたい」と言うと、その人は間髪入れずに、「君は何度自殺しても死なんかった、つまり君は生かされたんやから、その命を人に使えばいい。それが君の「道」やと俺は思う」と言われました。 それから私は、これまでの私を受け入れ、自ら命を絶つということをやめました。現在はアルバイトをしながら生活しています。 ところが今年、父が肺病で緊急入院になりました。そして、担当医から言われた言葉は「夏は越せない」というものでした。 母も私も途方に暮れ、残りの命が少ない父に何が出来るだろうと、必死になって考えました。しかし、なかなか現実を受け入れることができず、日々は過ぎていきました。 そんなある日、母がぽつりと「家に帰れないんやったら、せめて、私たちだけでも普段通り接してあげようよ」と言いました。私は「分かった」と返事し、早速その日のお見舞いから、父と何事もないように接することになりました。 父は自分が余命宣告を受けていることを知りません。私達も口外にはしません。病室で、私と母と父は雑談をしては笑い合います。もうすぐ夏になりますが、そんなことを忘れて、私達はいつもの家族として笑い合います。 そんな中、私はふと、自分の「道」を見つめてみました。 すると今まで真っ暗だった道が開けて見えました。そこでは、父や母、そして私の友人達が笑顔でいました。 そう私の「道」は「人を笑顔にさせ、苦しんでいる人を助けること」でした。 私は将来僧侶になりたいと考えています。しかし本で得た知識しか私にはありません。なので、ぜひ私に色々とご教示下さると嬉しいです。 長々と自分語りが長く申し訳ありませんがよろしくお願い致します。
たびたび何度も申し訳ありません。 次々とやってくる試練を乗り越える事が出来ません。 今の時代、死ぬ事すら出来ません。 身体、社会的問題、人間関係。 頑張りも限界です。 乗り越えられません。 世間から離れ、静かに「生きて」いくためにはどうすれば良いのでしょうか。 お寺などに行くと、一時、心がら楽になります。 楽そうに見える。と言っているのではありません。 沢山の事がありすぎて抱えきれません。 静かに、心惑わされず、丁寧に生きて生きたいです。 仏の道に進みたい そう考えるようになりました。 病気の身体でも仏門を目指す事は出来ますか。 どうすれば良いのでしょうか。
初めて質問させていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。 目の前の事象を五感で感じるときに、そこに思考を挟むことで苦しみが生まれる、と聞きました。 目の前の物や出来事は変わらずそこにあるのに、私がそれをどのように受け止めて考えるかで、苦しみが生まれているのだと理解しています。 とはいっても、どうしても感情に左右されてしまう毎日。 心が穏やかになるような事象であれば何も問題はないのですが、不愉快に感じてしまうような出来事もあります。 そのたびに、批判めいた感情が生まれてきたり、そんなふうに思う自分が嫌になったり。 挙句には、いまのこの社会に身を置いていることすら、憂鬱に感じてしまいます。 座禅の心得で、浮かんでくる思考はそのままにして深く追いかけない、という話をききますが、座禅を続けていけば自分の思考を挟まないで物事を受け止めることができるようになるのでしょうか? よいお智恵を授かりたく存じます。よろしくお願いいたします。
いつもお世話になりありがとうございます。 懺悔と言いましょうか… 同じマンションの住人の方からクレームが来て怒られてしまいました。 (クレームの原因は、お恥ずかしいのでマイページに書かせていただきました。) うちが120%悪いため、ただひたすら頭を下げて謝罪しました。 完全にこちらに非があるため、言い訳の余地などなく…当然ですが怒られた時のショックが大きいです。 以後、二度と同じ過ちを繰り返さないように、細心の注意を払おうと思います。 またこちらから改めてお詫び、も考えています。。 非を完全に認めているつもりなのですが、何か用事をしていても、ふとクレームのことや、きっとダメな隣人!と思われたことだろうな…と、 度々思い出してチクチク胸が痛みます。 厄介なのが、やる気がなくなる…と言うか、自暴自棄と言うか元気がなくなります。 (これは深層心理では非を認められていないからでしょうか…プライドでしょうか…分かりません…) これは私自身の精神が未熟なせいもあるのかも知れません。 お坊さんのように、修行を積まれた方でも同じようなことはありますか???
現代語訳してある書を探しておりますが、偽書もあると知り、どれを選んだらよいか迷っています。 おすすめの書がありましたら、宜しくお願い致します。
ユーチューブの「みすずの野望」チャンネルにて、住職の方がクラブのママと心霊スポットに出向き、クラブのママにお酒を飲みながら接客を受けるという企画を目にしました。 その企画を見た瞬間に、亡くなられた方を馬鹿にしているように見えてしまいました。とても不謹慎なことをしていると思いました。 住職がこのようなことをしても良いのでしょうか。
在宅出家を含む、御説法の聴講生活をしたいと思っています。 私は49歳の会社経営者です。 感謝に堪えませんが、人にも運にも縁にも恵まれ、さしたる苦しみもなく、経済的にも立場的にも自身の能力を超えた日々を頂いております。 しかし、足るを知る生き方も昨今は少しずれてきている事自認しております。 また、恵まれ過ぎた人生だったため、生きる事のままならなさへの受け入れは全く出来ていない自分を自覚しています。 斯様な中、55歳を目途に様々な考え方に触れる人生を送り、自分なりに上記に対する答えを求めて生きてみたいと、漠然と考えています。 (在宅出家と言う言葉がちらつきはじめたのは、もうかれこれ10年近くになろうかと思います) これから着々と準備をしていきたいのですが、 ・どのようなサイトや会で情報を調べた方が良いよ ・一度相談に来れば話は聞いてあげるよ ・何処々々に相談に行って見ればいいよ 等のアドバイスを頂けましたら幸いに存じます。
日本の仏教と中国の仏教は深い絆があります。 長い時間を経て、両国の僧侶の生活習慣はどんな違いがありますか? お坊さんはどう思いますか? どうぞよろしくお願いいたします!
最近、自分が何がしたいのか、自分がどう言う人間なのか分からなくなってきました。 私には6歳の娘がいますが、私と過ごす時があまりにもつまらなさそうなのが気になっています。娘が何を思っているのか、余裕が無いからか理解もしてあげられません。 これは、私が怖い顔をしているからなのか、余裕が無くて笑っていないからなのか?色々考えてるうちに自分に自信がなくなってきました。 私は今まで自分の親や兄弟、夫や周りの人たちにとても助けられてきたと思います。その反面自分の力だけで乗り越えた事が無いように思えたのです。ただ、周りに流されてきたような。 いったい、これから私はどんな自分を目指して行ったら良いのでしょうか? 娘に信頼される母親になりたいです。
いつも、有難うございます。 大好きな実母の、十七回忌の御塔婆をお願いするために、 本日、実家の菩提寺(真言宗)に行きました。 でも、かなり、きつくショックなことを言われました。 (私は嫁いで別の市に住んでいるので) この寺院とは別の寺院(同じく真言宗)の境内に 樹木葬墓地を購入し 「生前戒名」まで頂いたことを伝えました。 すると、実家の菩提寺の御住職様が 「私は、樹木葬なんて墓として認めない!!」と 仰いました。 そして、 「当寺院は樹木葬墓地を作る気は全く無いし、あんなの 墓じゃ無いよ」 と仰いました。 御住職様によって、いろいろな考え方があるのだと 思いますが、 私が、今、ここで、樹木葬墓地を購入したことを 告げたばかりなのに、否定されて、凄く悲しく ショックでした。 私達夫婦には後継者がいないのだから、しょうがないのにと。 そして、 内心、「生前戒名」まで頂いていることを誉めてくださると、 少しだけ期待していたのに真逆でした。 同じ真言宗智山派の御住職様なのに こんなに考え方が異なるものかと思いました。 そして、生前位牌(戒名は朱色)を作ろうと思っていることを 伝えたら、 「位牌は死んでから作るものだ」だと仰いました。 本当に「生前位牌」はイケナイのでしょうか? 今日は、ショックで落ち込みながら家に帰って来ました。
こんにちは。 前回、占いに気持ちがやられてることを、質問させていただいて、ご回答に元気をいただいたものです。気になったことがあったので質問させて下さい。 私は、いつも真言宗智山派のお寺にお世話になっているのですが、占いにはまっていたときに、真言流という名前を出して神仏の教え?や言葉?を代弁する?ようなネット有料占いを見たことがあったのですが、真言宗智山派は占いに対してはどういう考えでしょうか? その占いを、やってみたらバーナム効果が使ってあったりしたり、私も、同じ生年月日の友達も同じ結果が出てあまり当たっていなかったのですが、どうなんでしょうか? 無知で申し訳ないのですが、教えてください。
数か月前、姉がリサイクルショップで購入した数珠を使っていると相談し、気にする事はないとお言葉を頂きました。有難うございました。 一週間前に姪の次女が9か月の命を閉じました。原因不明で、朝すでに硬直が始まった状態だったそうです。姪から連絡をもらい火葬に立ち会ったのですが眠っているかのような安らかで可愛い表情をしていました。姪は4歳の長女とお腹に6か月の子供がいます。あまりにも深い悲しみから少しでも早い立ち直りを祈るしかありません。子供たちのためにも。 父の時と同じく、葬儀もお経もない火葬だけの送りでした。初七日やその他の儀式も一切する気はないようです。 父が亡くなった時、姉夫婦に「葬儀屋やお坊さんにぼったくられるだけのものだからいらないよ」と猛反対されて反論できませんでした。 でも、納骨の際はお坊さんに来てもらいましたし、月命日前後には母と二人で墓参りには行っていました。ところが、一周忌が過ぎても父の気配がすると(父が使っていたベッドをひっかく音など)母が気持ち悪がるので、姉に内緒で知り合いのお坊さんにお経をあげてもらいました。一か月程読経を続けてくださったそうです。それから、空気が軽くなったと言っていました。(一周忌にはお経はありませんでした) 幼児は穢れがないので、成仏が早いと聞きますが、このような見送りで父のように迷うことはないのでしょうか? 今私が姪のために陰ながらできることは有りますか? 小林正観さんの「ありがとうの神様」という本に{幼くして亡くなった子どもは、「神様」に近い存在。だから、悲しまなくていい}という文章を見つけ、姪に本をあげました。
今高校生なのですが、天台宗のお坊さんになりたいです。 どのようにしてお坊さんになることができるのですか? 仏教系の大学に行くべきなのでしょうか?