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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6193件
2023/07/16

内側の僕からの反論?

個人の行いは社会の行いに通じる、逆も然り自殺の原因は苦しみがほぼだろう、詳しい原因はそれぞれだが、周りが与える影響が、その人の行いを左右するのは事実であろう。 故に他の人の自死は大小あれ社会全体に影響を与える(水滴と水槽の理論)ので我々は自殺者をなるべく減らす様に行動しなければならない。自死が増える→社会が病む→苦しみが増える→自死が増えるのループこのループの最初は社会が病むかもしれない。 とはいえ、実際に追い詰められている人は周りの事など考える余裕などないであろう。よってその様な場合は理論構築よりも寄り添いや共感で心の余裕をつくる必要がある。 以下、理論構築精神的に余裕のある時に参照 ケース1 自分なんか 何らかのの理由で自己肯定感が低下した場合、これは方っておくとなぜ自分だけ→恨みに変化する。 原因となる自己肯定感の低下を解決できればいいがそれが不可能なケースも存在するはず。自分の価値観を変える、若しくは多角的な視点を持つ必要がある。恐らく実物的な苦しみは消えないが生きがいは生まれる事になるので恨みには発展しにくく自死まで考え辛くなる可能性がある ケース2 環境による攻撃等 この場合は自身が疲弊していくため特に正常な判断がし辛くなるのでは。一番はその環境から離れる事だかそういう訳にもいかないパターンも存在するであろう。この場合は自分自身と周りから距離を取り休息が必要になるだろう。何もかも疲れたは限界のサインなのですぐ自分を危険から守れる安全な場所を探すべきなのだろう。動けるうちにどれだけ安全な場所を探し回復できるかが鍵になりそうだ。 ケース3 理想への解離 このケースは自分が思い描いていた理想とのギャップに苦しみケース1と同じように自己肯定感の低下に繋がる。いろいろな状態が考えられるが手っ取り早い解決法は今に満足する事であると考える。今この瞬間をマイナスではなくスタートと考えてこれから進めばいいし進めず後退しても意外とどうにでもなる(社会保障等を使うなど)と気楽に考えるのもありかもしれない。仮に未来への絶望があったとしても今スタートラインに立てているので(少なくとも死んでいない)この状態から自分にとってプラスになる可能性の行動をすればすぐに今より好転。 ケース4 恋愛関係の悩み よくわからん がアイツの意見なんですがどうなんでしょう 長くてすみません

有り難し有り難し 24
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死ぬ時期を決めて生きる父

初めまして。 私の父は61歳です。                     現在一人暮らしの父は、どうやら自分で死ぬ時期を決めているようなのです(数年以内のようです。)。                     理由は二つ。 一つめは、介護状態になったとき、子どもに迷惑をかけたくないから。 二つめは、生きる期限を決めた方が、金銭面で苦労することなく、楽しく生きることができるから。 というものです。                     「そういうわけだから、俺の心配をするな。ある日突然いなくなるから。迷惑はかけない。」と言います。                     父の言い分は理解できないものでもありません。長生きすることが幸せだとは限らないと、私もよく考えるからです。私だって死にたくなるときはあります。                     ただ、それを子どもである私に伝える意味が分からないのです。                     父の決意が本気だとしたら、私は父の言葉をどう受け入れればよいのでしょうか。                     自分で死ぬ時期を決めるということに対して、反対すべきなのか、そのつもりで心構えをすべきなのか。                     自分の親に「自死宣言」をされ、心穏やかにはいられませんし、正直憤りさえ感じます。                     今まで散々心の虐待を受けた挙げ句、自死宣言。いつまで私の心を傷つけるんだろう?とも思ってしまいます。                     まとまりのない文になってしまいましたが、回答をいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 5
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2023/08/03

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
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生きてるのが怖い

死ぬのは怖いです。 死は未知です、五億年という時を経っても意識は永久に無くまるで気絶した時のようです。 私はとても自殺願望が高いですが、私でもわかるようにこの世にいる人は誰も本来的には死にたくないと。 死はとても美しいものです、全てが虚無になります。 どんなにクローンが生まれたとしても、それは自分の意識でもなくクオリアもありません。 しかし同じように生きてるのも怖いです。 人生一回しかないという重い重い現実があります、そこにはどんな物理法則も変えられないという絶対的なルールがあるので一度でも足を切断やらしたら永久に手が生えてくる事もありません、誰かが死んだら永久に会えません、一度顔面に塩酸をかけられたら二度と顔は再生しません、一度ホームレスになると一生勝ち組になれません、一度HIVになると一生治りません。 悲惨な人生だったら一生悲惨なままです。離婚したら離婚したままで今後誰からも愛されることはありません。 そういうのが怖い。 人生は可塑性がありすぎて一度何かをやったらそこから変わる事がないです。 死と生は表裏一体です。 死があるから生が尊いものになります。一度しかないから一生とかいう言葉を使い自分の人生を有り難がります、死があるから身近な人が死ぬのを悲しみます。 私は、この物理法則が次々変わるのがこわいです。 現実が移り変わるのが怖い。 いまこの瞬間があるのが怖いです。 いつも恐怖や不安を抱えています。 私達は現実に金融資本で搾取されてます、労働で自分の貴重な人生の時間が搾取されています、二度と返ってこないです。 何処かで働いたら金になるだけでその時間は二度と返ってこない、私の親は底辺職に就いてたので何十年と人生を安く買い叩かれて人生という貴重な時間を費やしていました。 私は20代ですが私の貴重な時間を使用して作られた富を老人に吸われています。 また同じように過去の偉人や天才やらが貴重な人生を使用して発見、発明した数式や発明品やらなんやらを何の苦労もなく得ています。 そういうのが怖い。 いつか重い病気になったり、事故ったりして苦しみのが怖い。 来月の今頃は何か嫌な悩みが増えてると予想できるのが怖い 明日は口内炎で口が痛いかもしれない。 明後日は親友と仲違いするかもしれない。 生きるのが怖い。死ぬのが怖い。 恐怖から逃げたいです。

有り難し有り難し 13
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2023/07/09

死にたいと思いながら死ぬのが怖い

はじめまして。 どうしても苦しく、初めて投稿いたします。 中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。 大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。 死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。 そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。 なんて弱くずるい人間なのでしょうか。 夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。 このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。 そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。 まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。 このような場をいただけたこと、感謝いたします。

有り難し有り難し 5
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辛い人生を何とか生き抜きたいです。

度々お世話になります。 就職して、紆余曲折あって辞職して、自死に失敗して、そして転職して1年が経ちました。 この1年、仕事こそが生きがいだと自分に言い聞かせ、前職を辞めた自分への罪滅ぼしも兼ねて脇目も振らず突っ走ってきました。結果的に仕事に不満はなく、良好な人間関係に恵まれています。 ですが、その裏で常にどうしようもない生きづらさを感じています。物心ついてから今まで、ただ生きてるだけであれこれ考える事が多すぎて、生きる事が相変わらず苦しいです。 仕事もキャパオーバー気味な上、いろいろなことを考え込んでしまい潰れそうです。地元在住ですが頼れる人はいません。上手く例えられないのですが、自分を支えてる張り詰めた糸が何かの拍子に切れてしまいそうです。 そもそも、自分は1度自死を試みた時に死んでたはずです。あの時感じた「やっと終わった」という、今までにない安堵感のようなものが忘れられません。 耐えられなくなった時、衝動的に自死を選んでしまいそうで、実際その一歩手前の段階まできています。 苦しみながら生きる意味が分かりません。かといって前回とは違って仕事上の責任を負った今、投げ出すこともできません。 以前、死んでしまおうと思っていたところを救っていただき今に至ります。今回も何とか頑張りたいのですが、こんな状態の私はどうしたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 6
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2023/07/21

大切な人が死ぬのが怖い

付き合って半年以上の彼氏がいます。 私は、母親とトラブルがあって以来、家族とは疎遠になっています。 頼れる人がいない中、同い年の彼氏は、私のことを父親のように可愛がったり、とても支えてくれています。 将来のことなど、たまに話したり、幸せな未来を想像します。 そのとき、私は、人生の終わりの死まで考え始め、もし、ある朝、大切な彼氏がどんなに起こしても目覚めなくなったらどうしようと、不安と悲しさでいっぱいになりました。 大好きで大切な、家族のような彼氏が私より早く亡くなったら、もう笑いかけてくれないし、話をきいてくれたり、ハグしてくれなくなると思うと涙がとまりません。 人はいつか亡くなりますし、人生の長さも決めれません。 分かった上で、彼氏より先に私が天国に行ければとも考えたのですが、逆に彼氏が悲しむと思います。 絶対に死んでほしくなくて、私がいつも歩道側を歩きます。 ですが、考えつくのは、こうなったらどうしようという、悪い想像ばかりです。   もし、彼氏が先に亡くなったら、私は、この世界で生きていけないと思います。 それだけ、彼は、なくてはならない存在になっています。  今までいろいろ乗り越えてきましたが、彼の死は乗り越えられないと思います。 私の方が先に亡くなる可能性もあるのですが、彼の死に対して、気持ちを落ち着けようとしても、人生経験と、思考が足りず、どうすればいいかわかりません。 どうしたら、この不安な気持ちを落ち着けられますか。

有り難し有り難し 10
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感情の移り変わり

もうすぐ自死によって亡くなった彼の四十九日です。 職場の彼のデスクは片付けられ少し寂しさもありますがその景色に慣れつつもあります。ですが、現場での仕事が多いので現場に向かう道のり等にも思い出がありまだまだ浮いたり沈んだりの毎日ではあります。 悲しみの質量が減る事は無いのですが、私の事が好き過ぎて抑えるのが辛いと言って自死を選んだ彼に行き場のない怒りの様な感情が湧いてくる事があって自分の狭量さに辟易としてしまいます。 好きだと言いながら、なぜ私が一番苦しむ方法を選択したのか、そして彼自身も身内を自死で亡くしているのに残された者の気持ちは分からないのかと、ぶつけ様のない怒りに似た感情で押し潰されてしまいそうです。 最期の日のメールは安定剤の乱用で支離滅裂な文章や自死するまでの実況の様な内容ばかりで、消してしまいたいと思うのですが、これを消したらもう何も残らないのかと思うと、消す事も出来ません。「(自殺を)止める気がないなら気にするな」や「死ぬ場所が見つかったので準備します」とか「死んで楽にしてあげます」など何度読んでも止める事も出来ずにただ恐怖の感情しか湧かなかった自分に後悔しています。 もうどうやっても戻って来ないのは分かっています。それなのにそんな相手に怒りの感情を持ってしまう自分の身勝手さにとても嫌悪感があります。

有り難し有り難し 9
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2025/04/24

飼っている老犬の生死

私には平均寿命を超えた老犬がいます。昨年この子が一番懐いていた母を亡くしたため、「もう歳だしこの子に何かあった時は治療せず、母の所に逝かせてあげよう」と決めていました。半月程前に犬が突然のたうち回りながら苦しみだし、私は浅はかにも他の家族にどう思われるかや、ただいなくならないでほしいという気持ちで悩んだ末病院に連れていきました。幸い投薬が続くけれど治る病気ではありましたし、死にそうになりながらこの子は寝たきりから回復してくれました。そして今日も病院に連れて行ったのですが、治療費の高額さを聞いてから、また浅はかにもこの子の生死を悩みだしました。 「もう目も見えず、寝てばかりのこの子をやっぱり逝かせてあげたほうが良かったのでは?」「でもせっかく頑張って生きてくれてるのに」とか「今更治療やめますなんて病院に言ったら病院の人にどう思われるか」「犬が死の淵から生き返ってくれたのは私に死を受け止める覚悟のための時間をくれたのかな」など浅はかで都合の良い考えばかりが浮かんでしまいます。 今よたよたと歩くよわよわしい犬を見てたら「死なせてあげたい、どうやったら安らかに逝けるのか」と考えています。どんな結論を出しても自分の中で否定と肯定と人からどう思われるかばかりの堂々巡りです。せめて、病院の人とお金のことを考えずに結論を出したいんですが、どうすれば気にせずに犬にとって最善の答えを出せるでしょうか。 また、この子の死を受け入れる覚悟と準備はどうすればできるでしょうか? もしよろしければご回答お願いします

有り難し有り難し 3
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自殺は止めるべきなのか

自殺はいけない。 以前はそう考えていました。 実際目の前で自分の命を絶とうとしている者がいたら全力で止めたと思います。 実際には止めてるつもりでも言葉の使い方によっては最後の一押しになるかもしれず、こういう時は中国人のように無関心で居た方が安全なのかもしれません。まぁそれでも「止めよう」とはしたと思います。全力で。 止めるのが正しいのか悩んでいる今でも実際にその場に居合わせたら止めるかもしれません。でもその理由は「目の前で死のうとしている人を放置して実際に死なれたら寝覚めが悪いから」という利己的な理由からであって。以前のように「それが正しいことだから止める」という風には考えられなくなっているのです。 先日「刑務所に入りたいから」という動機で漫喫に立てこもったバカがいました。去年も同様の事件があったと記憶しています。というかもはやそんなに珍しい事件ではないのかもしれません。 もっと悲惨な事件もあります。今年二月に起きた大坂の心療内科クリニック放火事件。動機も空かさないまま犯人は死んでしまいましたが生前「生きづらさ」を訴えていたとと聞きます。生活困窮者で将来の希望もなかったのでしょう。 自分の嫁との関係を疑って相手の家族を殺した挙げ句(相手本人は不在のため殺害を免れる)犯人が自殺、というケースもあります。遺族には恨みをぶつける相手もいません。 そして今回安倍氏を銃撃した山上某。 彼の境遇も悲惨、凄惨です。事情だけ聞けば春原も同情しています。同情せずにはいられません。 これはこれで本心なのですがその上で「こんなことするくらいなら死ねよ」と考えている自分が居ます。 そんなにタヒにたいのなら他人を巻き込まず自分だけでどうぞ、ってことです。 自殺がいけないことだということはよくわかっています。生きるための努力をすべき、ということも。 でも精神やられちゃってそういうことができない人も居るでしょう。そういう人が死のうとしている時に果たしてそれでも止めるべきなのか。 どうお考えでしょうか。

有り難し有り難し 49
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