命の賞味期限が過ぎたけれどまだ生きてる 久し振りにこちらへお邪魔しました 先生方の顔触れにも変化が… 家族同然に可愛がっている動物は死後どうなるのでしょうか あの世では会えますか?
四十九日法要のために、お坊さんサービスを介してお坊さんを頼みました。 直接、お坊さんからご挨拶のお電話があった時に、初盆と四十九日をいっしょにするなら、初盆の分を半額にしますよと言われました。しかし、四十九日はお盆を過ぎた後ですので、初盆は来年のはずですし、四十九日とは死者があの世に向かわれる日で、お盆とはあの世におられる死者の霊を迎える日ですよね?それでは、四十九日で送り出した数分後にまた呼び戻すということですか? 最近は合理化の為、葬式の日に初七日もいっしょに行なったりするようですが、四十九日と初盆を同時にというのも一般的なのでしょうか? 私には違和感があり受け入れられませんので、当然お断りいたしました。
魂は修行をするということを聞きました。 生きているときに修行し亡くなったら 魂があの世へいきまた肉体に宿る これを繰り返すということは魂は自分のものではないのでしょうか? 誰かの魂が生まれてくる人に宿り修行をするのでしょうか?
この世にもあの世にも天国にも地獄にもどこにも居たくありません。 もし本当に居心地の良いところがあれば紹介してください。 存在しなければ一切の苦は生じません。 ブッダの「一切皆苦」が真実であるのなら、この世やあの世は苦でしかなく、 トータルとしてマイナスですので存在しないほうが得です。 存在しない=ゼロですから、マイナスよりはマシです。 このように考える人は世の中にたくさんいるのに、 なぜ私たちは存在しなければならないのでしょうか。
今年、三回忌をむかえます。 他界した者は、あの世で何をしている頃ですか? また、他界した者の年齢を数えてはいけないと聞いたことがあるのですが、ご存知のお坊様いらっしゃいますか? よろしくお願いします。
今日は妹の命日です。 1年前の今日亡くなりました。 今でも信じられません。 信じたくありません 死んだ人は1年たつと、あの世で何をしてるんでしょうか❓ 今、現在に生まれ変わっていたりするんでしょうか❓
私の母親が54歳で自ら命を絶ちました。 母親は約25年統合失調症と戦いました。 最近は精神症状は昔ほどひどくないかわりに、手足のシビレや脱力に悩まされ。 排便や移動などを父親が介護する場面も多々あったようです。 本人は父親や周りの方に迷惑をかけてしまっていることや、自分で自分のことができないことで精神的に落ちていたようでした。その日は父親が仕事に出かけるため訪問看護の方がくる予定でしたが、訪問看護の方がきたときにはベッド柵にベルトをかけ亡くなっていたようです。まだ暖かっかったとの状況も聞きました。 手足のしびれと戦い、25年間も精神的な病と闘い。家族としてはとても頑張って生きていたと思っています。亡くなっていたその顔も窒息とゆう要因ながら、とても穏やかだったそうです。本人も辛さからも解放されたのかなと考えることしかできません。 ですがネットなどを調べていると、自害した人はあの世にいってもとてつもない苦しみを与えられる、いわゆる天国?という場所には行けないなどという情報がたくさんあり、今後の母親のことがとても心配です。 残された遺族が、49日までの7日ごとの供養以外できることはありますでしょうか? この世で苦しんだ分、少しでも楽にしてあげたいです。 読みずらい文法、文脈で申し訳ありません。お時間がありましたらお答えください。
幾度も死にたいを先延ばしにしながら生きてきました。 それなりに辛い人生でしたので自殺も図りました。 私は生産性のない人間ですが、主人と出会い、彼は私を母親にしてくれました。 私の様な母親から生まれたのに、娘たちは優しく、強く育ちました。 そして今年、長女は大学を卒業しました。 私の役目は終わりました。 これからは自分の人生という気持ちになれず、これでやっと静かに休める場所に行けるんだと考えたとき、人間のいない場所はあの世しかない事に気付きました。 絶望しているのでもなく、寂しいのでもなく、親としての責任から卒業したいのです。 そして治らない持病からも逃れたく、本当に本当にただ静かに静寂の中、人生を終えたいと思っています。 多くの人は、いづれ必ず死ぬから待ちなさいと言います。 もっと楽に好き勝手に生きるのが人生だと言います。 しかし私はこれから先を生きる理由がありません。 あの世は静かな場所でしょうか? 仏様がいるとしたら、「お疲れでした」と仰ってくださるでしょうか?
私は持病の症状とは別に、この世の者ではないものが見えたり聞こえたりする事があります。 ご先祖様や亡くなった家族は助言をくださり、時には叱ってくださり、とてもありがたいです。 ですが、苦しんでいる霊にも会ってしまいます。 戦で亡くなった落ち武者は、「利用された、苦しい、辛い」と言っていました。沖縄戦で亡くなった霊は、軍服を着たまま首から上が無く、断末魔のような叫び呻き声を上げていました。 死んだ後もあの世へ行けず苦しむ程にこの世の試練は苦しく残酷なのは何故ですか? 仏教では輪廻転成があると聞いたのですが、人が他人を殺すこと、人が動物植物を殺すことが許された世界に、私たちは何故何度も生まれてくるのでしょうか? 輪廻転成はいつまで続くのですか? 転成しなくて良いまでに、学び成長した後は私たちはどうなるのでしょうか? たくさん質問をしてしまって、申し訳ございません。 生きる意味のヒントが頂けたらと思い質問させていただきました。 宜しくお願い致します。
聴覚障害者のゲイです。 今まで、親がとある宗教教団に既に入信していて私が生まれたときからずっとその教団のなかにいました。色々と活躍してきたのですが、いじめや障害、肺疾患で欠席の繰り返しなどがあったため、何やっても幸せになれないと思い、20代の頃に辞めました。 教団を離れて洗脳での苦しみやスピリチュアルに関しての様々な考え方を本やネットで色々と学びました。それから今年、コロナ流行を感染し始めた頃に、なぜわたしだけ聴覚障害なのかずっと疑問に思っていたことであの世との関係を色々と調べたら、大衝撃でした。 障害を選んだ人は魂レベルの高い方で最終課題であると知りました。それに生まれる前の自分が転生計画していたことを初めて知り、障害者にならなければいけないではなくて障害者としての苦しい試練のある重大な課題を試されているんだな、としみじみ感じました。 しかし、そのことを信じるかどうか誰にも言えず、健常者には何だか申し訳ない気持ちです。 健常者にその事を教えたらショックを受けるのでないかと思い、誰かに何も伝えていません。私は絶対にありそうな気がして信じたい気持ちですが、人に大衝撃な真実を言わない方がいいか悩んでいます。
はじめまして どうにも苦しく誰かに教えて欲しいと思い質問致します。文章を書くのは苦手ですが回答を頂けると嬉しいです。 先月の初めに大好きな彼がなくなりました。転落したそうで、短いものでしたが私とご両親宛に手紙がありました。 直前まで一緒にいて、その後もいつも通りに会えると信じて疑わなかったので、どうして何も気付けなかったのだろうと後悔するばかりです。 原因も未だにはっきりしたことは分からなくて、何か困らせてたのかな、私がカウンセリングに通っていたから悩みを話せなかったのかな、他の人と交際していれば今も彼は幸せに過ごしていたのではないかと考えてしまいます。 彼のご家族がとても親切にして下さりお通夜もお葬式も荼毘の時もとても近くでたくさんお別れをさせてくれたのですが、1ヶ月半たった今も全て夢なのではないか、またすぐ会えるのではないかとなかなか受け入れることができません。 彼はいつも他人の事を思いやって自分のことよりも人のことを考えるようなとても優しい人で私の事も何度も助けてくれました。 彼があの世に行って苦しむ事なく幸せに過ごして欲しいのですが、そのために何か私が出来ることを教えて頂きたいのです。 今住んでいる所と彼の実家が離れているため頻繁には行くことが出来ないのですが遠くにいても出来ることを教えて下さい。 また、とても良くして下さった彼のご家族にも負担を少しでも減らすために何か出来ることはないでしょうか。 最後に私の実家が代々お世話になっている曹洞宗の和尚様にお話に行きお経を教えて頂きました。彼のお葬式は日蓮宗の和尚様が行なって下さったのですが、そのお経をへたくそな素人なのですがこれからも読んで大丈夫でしょうか。宗派が違うので心配になってしまって… 長くなってしまい申し訳ありません。回答よろしくお願い致します。
自分は3月で死にます。 私の母は「自殺なんてしたらあの世でもっと苦しい思いをすることになる。だから自分は絶対に自殺しない。」と前に言っていました。 私は鬱病と診断されているのですが、鬱で死ぬのは自殺ですか?病死ですか? 自殺は死んだ後、どうなるのでしょうか。 寿命を全うされた方とは異なるのでしょうか。 病死と考えるなら、寿命を全うしたとなるのでしょうか。
私は懺悔がしたいです。 幼い頃虫を無意味に殺してしまったり、誹謗中傷をしてしまったり、買い物の中にレジに当てられなかった商品を店員に黙って持って行ってしまったことがあります。 懺悔する理由は地獄に堕ちるのが怖いんです。 もう二度としないと誓うため懺悔をしたいです。 私の懺悔をあの世まで届けるにはどうしたらいいでしょうか?
死について考えてばかりいます。 ちゃんと仕事に行き、普通に毎日を過ごしていますが、頭の片隅にはいつも『死』が居座っています。楽しいこともするし、おいしいものも食べる。でも『死』を考えないことはないのです。 積極的に死のうとは思わないのですが、親が生きている間は死ねないなぁと思っています。昨年の夏父が亡くなりましたが、死んでからどこへ行くのだろうと考えます。あの世なんてあるのかな、そんなものあるわけないとか、考えは逡巡します。 死について初めて考えたのは小学生の頃だと記憶しています。自分が死んだ後も世界は回っていくんだ、今死んだら明日起こることは自分にはわからないんだと気づいて恐ろしくなりました。 死にたい(というか消えたい)思いと、親や夫、子どものことを考えると死ねないと言う思い、振り子のようにこの2つの思いの間を行ったり来たりしています。 今の自分の意識がなくなることが恐ろしいのかな。考えたりしている自分がいなくなる。それがこわいのかな。あの世なんてあるのかな。死んだらどこへ行くのかな。 そんなことを考えながら何食わぬ顔で普通に生活している自分に疲れてしまい、休日はほぼ寝たきりで過ごしています。 どうか死について教えてください。 よろしくお願いします。
今日セミナーに参加してきました。 セミナーが終わる20分ぐらいにいきなり右側から「お経」が聞こえて来ました。 お経と言えばつい最近職場の上司が亡くなりました。その時に聞いたのは覚えてますが……。 もしかして、その上司の方が自分の所に来たのでしょうか? 回りにお経をあげるような音はありませんでした。 そして自分も上司の方の事は考えていません。そしてセミナーの内容もお経の様なくらい話ではありませんでした。 周りを見ても自分しか聞こえてないようでした。 何だったのでしょうか? 今考えるだけでも、鳥肌が経ちます。
自分は これだけ頑張った から 凄いでしょう? って心でいたら どれだけ素晴らしい事をしてたとしても 見返りを求めたその時点で 無功徳に なりますか?何十回般若心経をお唱えしても 全然 叶えて頂けません。一体何をしたら 念願て叶えていただけますか? 努力というのは どれだけしたらいいのでしょう? 目に見えないもの 魂や仏様 それはあの世のものですよね。努力もいくらしても 目に見えるものではございません。 難しいです。
こんにちは、宜しくおねがいします。 生き方について悩みが多く、暴れる心をなんとか鎮めたいと最近、 浄土真宗の聞法に通っています。 随分昔に死んだ明治生まれの祖母を思い出したからです。彼女は封建的な夫に黙々と仕え、息子に戦死されても、一人娘に急死されても、毎日の日課を黙って静かにこなし、仏壇になんまんだを唱え、老いては子に従い、右を向いていろといわれれば右を向き、左を向いていろといわれれば左を向いているような、大切にはされていたのでしょうが全く存在感のない祖母でした。無口で静かでしたから声も覚えていないのです。すっかり忘れていたのです。 ところが、自分も老境に入り、しかしいまだ心穏やかならず、怒りや貪りに振り回され苦しむ有様で、あの諦観したのか、または阿弥陀様にお任せしきったのかのような祖母の姿が私を聞法に向かわせました。 しかしこの身はしぶとく、聞法をいただいている間は少しは素直な気持ちになるのですが、それもなが続きしません。 第一、近代教育を受けた私には、「はからいを捨て、お任せする」のは難しいです。はからうことばかりを目指し、学び、訓練してきたのですから。もしかすると、もっと死が近づいたら少しはそんな気持ちが持てるのかもしれませんが・・・ ただ、三木清が言うように「自分は最後は親上人の言葉どうり、あの世で懐かしい人たちに会えることを信じている」のは私も同じです。 問題はあの世のことでなく、日々の生活で心配や怒りや嘆きに振り回されることです。 そんな私が禅宗の教えで行住坐臥を整えることや、禅の言葉に従うことで、少しは苦しみから離れられるように思うことがあります。 子供のころ永平寺を訪れて、「こんな風に生きている人もいるのだ」とショックを受けたことから大人になって、禅林句集や道元禅師を読むようになりました。指針になります。 阿弥陀様にお任せできない私が曹洞宗に頼るのはいけませんか? 浄土真宗では一筋でないといけないと聞きます。お任せしきらないといけないと聞きます。浄土真宗と曹洞宗の二股みたいで罪悪感があります。 迷える私にお言葉をいただきたいです。 宜しくおねがいします。 とんぼ
質問は2点つあります 1つめの質問 お坊さんはテレビに出ている霊能者 故 宜保愛子さんや 江原啓之さんをどう思っているのでしょうか? 現在 新型コロナウィルスの影響で 院内感染防止のため病院では以前のように面会が出来ないところが多く、 家族と面会できずに亡くなるが大勢います(コロナ患者だけに限りません) 遺言が伝えられないで亡くなるが大勢いるのです。 霊視番組では 宜保愛子さんや 江原啓之さんを通して 亡くなった親族の霊が 相談者にいろいろ伝える それが本人達しか知らないことなので 相談者が驚き また宜保さんや江原さんに感謝する というスタイルですが このようなことは本当に存在するとお考えでしょうか? 2つめの質問 新型コロナで亡くなる人が増えたのは、新型コロナウィルス感染対策を故意に妨害する人達だと思います。陰謀論者です。 新型コロナウィルスがただの風邪だの、実は存在しないだの 猛毒ワクチンを接種すると2年後に死ぬだの人口削減の陰謀だの 荒唐無稽なデマを拡散して マスク着用や新型コロナウィルスワクチン接種を妨害するビラを駅前で配っている怪しい団体がいたりします。 このような団体の代表は東京都知事選挙や千葉県知事選挙に立候補して病棟の最前線で働いている疲弊している医療従事者を「ありもしない新型コロナウィルスで騒ぎを起こして金儲けしている利権関係者」などと誹謗中傷する演説をしていました。 過去に女子中学生を強姦して妊娠させた事実も発覚して週刊誌にも記事になったそうです(相手は親告罪なので刑事告訴はせず、民事訴訟に発展しているそうです) このような連中が新型コロナウィルス感染拡大を引き起こしたと思います。 法律では罰せられませんが、新型コロナウィルスの犠牲者の数を考えると 私はこんな人達は普通の殺人犯より罪が重いと思います。地獄があるなら 彼らは地獄に落ちて欲しいです。 地獄は本当にあるのでしょうか? 2つ質問しましたが、 要するに あの世 霊魂 天国 地獄 霊能者や霊媒師 因果応報など 一般人の目に見えない者が存在するのか? と言う質問です。 よろしくお願いします。
私は父親にこんな私を 育ててくれてありがとうと 伝えたいです。 私は顔に障害があって産まれて きました。産まれてきて 最初に私の顔を見てびっくりしたと 思います。多分、二人とも嘆いた事でしょう でも、今の私は孫にも恵まれ幸せな 日々を送っています。 私の両親は小さい頃の事は 全然話してくれません。 私はいじめをうけましたが 私より、もっと不自由な人が いるのだから、耐えれました。 私の両親があの世に行く前には きちんと、私を産んでくれて ありがとうといいます。
なぜ生きなければいけないのでしょうか。人生辛いこと、悲しいこと、大変な思いばかりしていて、もうこれ以上生きていたいと思いません。死にたいのですが、自殺したら地獄に行くと知って、ああもう自分は死んでも地獄、生きても地獄だなと感じています。せめてあの世で苦しみから解放されたいのになと思っています。