hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 2427件

主人の死と向き合えていなかったこと

こんばんは。 歩き出しては立ち止まり、迷ってはお坊様方にいただいた回答をもう一度読み返し、気持ちを切り替えてきました。そして、ようやくひとつ先へ進めたかのように思えていた矢先に、ある音楽を耳にしました。それは、2人で良く聴いていた曲でした。 私はとても嫌でした。聴いていられませんでした。なぜだかそのときはわからなかったのですが、あとからじわじわと気づきました。 私は主人の死に全く向き合えていませんでした。 亡くなったらどうなるのか、それがわかれば生きていける、そればかり気にしていて、根本的なことを受け入れていなかったのです。 主人の為にお葬式や新盆はしっかりやってあげたかったし、会社の方が来られてもしっかりした様子を見せたくて気を張っていたし、子供たちにはあまり悲しい顔を見せないように、もちろん子供たちが辛いときは一緒に悲しみに寄り添い、いままでと変わらない元気で明るい家族でいたくて頑張ってきました。主人の為、子供たちの為に進んでいくしか、生き方がわかりませんでした。 周りの人に「ちゃんと前に進めてるよ」って言ってもらいたかったのかもしれません。 そのために死を受け入れる時間は後回しに、どう向き合っていくことが幸せなのかを優先に考えてしまったのだと思います。 主人の死を受け入れるためには、どうすべきなのでしょうか。向き合う必要性があるのかすら私にはわからないのです。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2
2021/10/04

死への恐怖が辛いです

何度かご相談させていただいていますが、また失礼いたします。 最近、「死」への恐怖が以前に増して強くなっています。 心療内科で「強迫性障害」(軽度)と診断されています。 死に直結するような病気にかかったかもしれない、かかるかもしれない、そんな不安が絶えません。 これまで気にしなかったようなこともすべて死ぬことに結びついてしまうのではないかと、不安になります。 先日実家に少し帰った際、いっそう「死」への恐怖が増しました。 親より先に死にたくない、これで今生の別れになりたくない。 そんな感情が溢れてきて、駅に向かう道すがら、新幹線の中、居住地付近に戻ってからの通勤電車の中、帰宅後と泣いてしまいました。 この不安が「強迫性障害」から来ているのはよくわかりますし、不安を感じたときは抗不安薬でなんとか抑えることはできています。 しかし、やはりどこか根本的な意識を変えなければならないのだろうと思います。 仏教の方面から「死」の恐怖への打ち勝ち方、ないしは恐怖の受け入れ方、といったところを是非アドヴァイスいただけませんでしょうか。 いまこの文章を書いているときも、直前の行動が不安でたまりません。 そんな不安は馬鹿げていると思える自分と、不安に震える自分が拮抗し、震えるほうがすこし優位になっているような感じです。 拙い文章で恐縮です。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

母親の死

10日まえに母親が亡くなりました。約10年前に肝硬変と診断され5年前位より肝臓ガンになりカテーテル手術を数回致しましたが、1年前より肝臓ガンが大きくなり、年齢も考えると体力もなく手術もできなくなりました。食欲もなく体力もなくやせ細り、最後は苦しみながら旅立っていきました。亡くなる前に家に連れて帰りましたが、姉と一緒にみましたが以前よりの看病疲れや仕事の疲れも重なり、母が間なしに水をというのに対して、怒ってしまいました。今更ながら後悔していることがたくさんあり、毎日自責の念、後悔、悲しみ、虚しさ、これからの人生どうすればという気持ちがこみあげてきます。 日によって、時間によって悲しみの波が押し寄せてきます。 私はバツイチで子供もなく両親と同居してましたが、母親とはケンカすることも多く、亡くなる一年前は母と口を聞かないことがあり、また色々なことでものすごく親不孝してきました。母親は姉に亡くなったあとの私の行く末について心配していたそうです。私はかなりの情緒不安定なので、冷静になり物事を考えなさいとの事も言っていたそうです。母の遺言を受け、改めて生きていかなくてはと思ったり、もう生きていきたくないと虚しさがあったり。どうしていいのかわかりません。母親に対して、申し訳ない、後悔の気持ちでいっぱいです。 母親は許してはくれないでしょうね。苦しみから解放され天国へいってることを信じたいです。長くなりすみませんでした。とにかく後悔、何故母親を苦しめてしまったのかと、そして、母親が成仏してくれることを願いたいです。生きる気力をなくしました。私も母の元へ行きたい気持ちもあります。

有り難し有り難し 56
回答数回答 2

母の死

7月19日に母が66歳で天国へ旅立ちました。 10年前に乳がんを患い、それとは別に3年前に大腸がんを患いました。 大腸がんは、肝臓や肺へ転移してしまい、1年半ほど抗がん剤治療を行いましたが劇的な効果はなく、抗がん剤を辞めて3ヶ月ほどで天国へ旅立ってしまいました。 亡くなる1週間前から会話などが出来なくなり、最後数日は寝たきりの状態でした。 父とお嫁さんと私で世話をし、最後は自宅で看取ることができました。 最後1週間は母のそばにずっといることができました。 母が亡くなって数週間はバタバタしていたこともあり、実感が湧かず、悲しむことが少なかったのですが、最近になり悲しみがどんどんと膨らんで行くのを感じています。 日々の生活の中で母を思い出し、 私は母に最後ちゃんと恩返しが出来たのか。 自分なりに頑張って母の世話をしたつもりだが、母はどう思っていたのか。 親孝行出来たのか。 そんなことを考えては泣いてしまいます。 父は母にべったりで、何をする時も2人一緒に行動する夫婦でした。 そのため、父の精神的なショックは大きいです。 1人になってしまった父は、食欲がなく夜も眠れないようです。 心配なのでなるべく実家に帰るようにしているのですが、そんな父の姿を見ていると切なくなってしまいます。しかし、なんと声をかけていいのかわかりません。 こういう時、父になんと声を掛けたらいいのでしょうか? そして私たちは母を失った悲しみを乗り越えることができるのでしょうか?

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

愛犬の死

先月の中旬に愛犬をなくしました。 病気がわかってから8ヶ月、 仕事を調節しながら、 後半は ほぼ一緒の時間を過ごす事が出来ました。ペットロスの心配を考えて、後悔ないよう。 そう思って毎日一緒にいたのに、お別れの日、 今日はいつもと様子が違うな‥と思ったにもかかわらず、お互い足を向けて寝っ転がっている時に逝ってしまいました。 ふと あの子を見た時に、手足がピーンと伸びて、もうそんな体力あるわけないのにおかしいと思い起き上がり、顔を見ながら名前を呼んでも反応なく、もう何をやっても仕方ないとわかっていながらも、怖くて、携帯を取りに振り向いた瞬間、 ドクンと一瞬 身体が動いたのが視界に入ったんです。 まだ生きてる!と思って動物病院へ電話しましたが、電話口で先生から胸の音とか皮膚の色とか瞳孔の様子とか色々聞き、確認しました。 やっぱりもう逝ってしまった後でした。 病気に対しての治療、介護は何の悔いもありません。なので思ったよりペットロスは平気そうです。けどそれはただの自己満足です。 けど最後の日を思い出すと辛くてたまりません。 最後の日、あの子の視界がなくなる時に自分が看取ってあげれなかった事、声をかけてあげれなかった事、携帯なんて取りに行かないで傍にいればよかった。苦しくて辛くて動けないまま、そのまま息を引き取ったのではないかと思うと、かわいそうで辛くなります。 みんな、幸せだったよって言ってくれますが、 それは本人しかわからないし…。 わかれば教えてください。 亡くなった今、病気も一緒に消えるのでしょうか?もう苦しい思いはしてないんでしょうか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

生きることの意味がわかりません

先月末に鬱で会社を退職しました。 退職して賃貸も引き払い、実家に戻り母親の扶養で暮らしています。 実家に戻って以来、自分の生きる意味についてよく考えます。 私にはやりたい事も、楽しみな事もないです。 ただ、なんとなくいまを生きています。 しんどくはないですが、無味乾燥しています。 だからといって、すぐに働きたいかと問われると、働きたくないです。 仕事の辛さや人間関係の事。 支払うべき税金の事。 それをこの先何十年も苦しみながら続けなければいけないのかと考えると、この先も働きたくないと思います。 親にいつまでも頼れるわけではないですし、甘えた事を考えているなと思います。 自分の心情は「死」に傾いてると思うのですが、それでも毎日生きようとしてしまいます。 死を選択して首を吊っても、橋の上に立っても、いざとなれば死ぬ事に恐怖します。 半分は生きたいのかもしれません。 しかし、生きる意味が見つからず、毎日生と死の狭間で揺れ動いています。それがしんどいです。 ・生きる事は苦痛なのに、なぜ生きなければいけないのか? ・全ての人間に等しく死が訪れるのに、なぜ自ら死を選ぶ事はダメなのか? よろしければ、お知恵を拝借させて下さいませ。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

母親の死について

昨年末に母親が亡くなりました。最初、父親から連絡がありまず噓だと叫び号泣しました。兎に角信じられず現在も受け入れられず何処かで生きてるんじゃないかと思ってます。正直自分も母親の後を追うと真剣に考えましたけど、何とか踏み止まりました。それからは虚脱感、脱力感、後悔の念ばかりです。母は兎に角昔から頑張り屋で自分が物心付いた時には病室に居た記憶が多いです。癌も患い子宮癌に甲状腺癌と最後は腎臓の透析をしてまして、夜中に大動脈解離で手術は無理という事で亡くなりました。自分と両親は離れて住んでまして私は長野、両親は千葉でして元々母は長野の出身で2年程前には両親は長野に住んでたのですが事情があり弟夫婦と住む事になりました。事情と言うのは、私は長男ですが昔からだらしなく弟の方がしっかり者で兄貴にはこれからの両親面倒は無理と判断したのでしょう、自分が引き取ると言う形になりました。本当に恥ずかしく、情けなく思います。話が逸れましたが私は母ととても仲が良くて買い物や色々と良く出掛けました。他人から見たらマザコンです。兎に角、父も母も弟も皆負けず嫌いで頑張り屋で努力家で自分は皆と正反対の性格で一言で駄目人間です。でもそんな自分にいつも皆は優しく特に両親には一生頭が上がらないです。だからこれから頑張って親孝行したかった。。特に母にはしたかったです。。その矢先に母が亡くなり自分を恨みました。生きてる時に何で何でと思いましたが、親孝行したい時親はなしと言いますが本当にその通りです。今は無念で何かあれば何処でも涙が出て辛いです。今も母の思い出の中で生きてる感じです。人間はいつかは旅立ちますのはわかってますがあの頑張り屋の母がと思うと寂しい悲しい空しい悔しいです。母ではなく自分が代わりにと思いました。後から家族から聞いた話で亡くなる前は私の名前を何度も連呼してたと聞き心が痛くなりました。結局離れて暮らしてからは電話では話たけど合いには一度も行かなかったです。母は痛いし辛かったのを我慢して頑張ってました。本当に辛いです。死にたいと思いますが正直怖いです。私はこれからずっと母の思い出の中で生きてくのでしょうか?どうぞ何卒下らな事ですがご回答の程宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1
2022/09/16

娘の死

前回、5月に亡くなった娘の夢について質問させていただきました。 まだまだ悲しみが深く、娘がいなくなった事が受け止められない時と、もうどうしようもない、元には戻れないと言う現実を諦めると言いますかなんとも表現できない感情の繰り返しです。 最近は自分の悲しみ、辛さより娘が一人で寂しく泣いていないかという心配で泣けて泣けて仕方がありません。 娘の為にも明るく前向きにとは思っているのですが、そんな日ばかりではありません。 友達や兄弟も心配してくれて、会いに来てくれる、そんな日は一日がとても早く過ぎて嬉しいのですが、何をしていても娘の闘病中の事が思い出して胸が張り裂けそうです。 今回、前回と同じ質問なのですが、娘の夢を又見ました。 夢の中でも娘は死んでしまう夢です。 これで3回目です。 どうしてこんなに悲しい夢ばかり見てしまうのでしょう? 私が泣いてばかりなのでしょうか。 楽しく笑っている夢が見たいです 娘にも申し訳なくなります。 私が生きる事の意味がわからず、いつまでも悲しんでるからでしょうか? 寝るのも怖くなってしまいます。 主人に話たら、なるべく楽しい思い出を思い出したら?と言います。 ご回答宜しくお願いします

有り難し有り難し 33
回答数回答 2

愛犬の死

14歳3ヶ月で亡くなりました愛犬に後悔とごめんねばかりで毎日泣いています。自分の意思で早朝から夜遅くまで週末も会社の日々を7年、長時間の留守番、長年寂しい思いをさせていた上に一緒に居る時は日常の色々にいつも苛々し犬にあたってしまった事もありました。命を預からせて頂いた責任や命の重みを軽視してしまっていました。このままでは駄目と生活や考えを改め一緒に居る時間を増やし大事にしてきたつもりですが転居数回、一緒に居る人や環境変化多い生活に付き合わせ日々の中でも自分優先の考えや行動が多々でした。 3年前仕事をしながら資格を取る事に決め段々と余裕が無くなり私の中に消したいのに消えない自分がいました。犬を撫で微笑みかけながら「可愛いいい子何年も寂しい思いをさせてきた分も世話させてね、甘えてね、長生きしてね」と言いながら心か頭のどこかで「寝たきりになる前に、、、歩けなくなる前に、、、いつ死ぬの」という言葉が出てきて犬に見えない様に自分の頬を叩いていました。 1年前から2週間に1回の血液検査、私は獣医師の前で萎縮してしまい聞いたり言ったりが殆ど出来ず家族である自覚も足りず時々検査や処置に疑問を抱き転院を考えながらもその病院へ行っていました。 ある昼間いつもと全く違う様子ぐったりしていたのに当日朝に病院へ行っていた事もあり夜に嘔吐もしましたが薬をあげて様子を見てしまいました。翌朝病院へ行き入院以降絶食絶水点滴のみで9日目朝に10gだけフードをあげガツガツ食べたと。その翌朝誤嚥か何かで肺炎を起こしたと酸素室の話も無いまま急変すると今日明日わからない、点滴を病院と自宅どちらで続けるか聞かれ連れ帰りその日の夕方息を引き取りました。亡くなる迄の長時間お腹を激しく上下させとても速い呼吸、苦しく辛そうな様子ばかり鮮明に出てきます。入院は私にとってだけの安心でしかありませんでした。特にここ数年どれ程痛みや辛さを我慢し頑張ってくれていたか、体調悪い中歩み寄ってきてくれたのも力を振り絞ってのことだった、なのに私は無理をさせてしまっていた、わかろうとしていなかった考ていなかった、と。10gのフードをガツガツ食べた、生きようとしていたと思えてなりません。じーっと私を見ている子でした。余裕のない私と私の中の消したい気持ちを感じ取っていたと思います。あの時、別の病院へ行っていたら等の後悔も次々と出てきます。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ