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検索結果: 428件

興味と愛情

私はいろんな宗教の教えに興味があります。その中でも特に仏教に興味を持っています。 海外では激しい宗教対立がある中で日本では独自の均衡を保っているように思い非常に素晴らしいことだと感じています。 しかし教えを拝聴することも有り難いのですが、等身大で「話し合える」お坊さんとお酒でも飲みながらぶっちゃけトークをしたいと常々思っていました。 ところで、私の両親は敬虔なクリスチャンのはずなのですが、幼い頃から私を殴ったりののしったりして、彼らが思う通りにした時だけ「愛してる」と言われてきたので、「相手の思う「何か」をしないと私はいてはいけないんだ」と思うのが当たり前でした。 そして心身ともに病んでしまい、病院に通うも長年の投薬の副作用でホルモンバランスを崩し体重の激しい増減を繰り返し、免疫力がなくなり肝臓、腎臓、皮膚疾患、病気になりやすく転職を繰り返しています。 そんな私を両親はののしり、私は自分自身の不甲斐なさに落胆しています。 何回も挫折を繰り返してきましたが自分や病気、誰かのせいにするのではなく心の平穏を得たいと前から気になっていたお寺に通い始めました。 最初はただ境内を歩いたりするだけでしたが、本堂でお経を読む会に参加したりお坊さんとお話をするようになりました。 そして少しずつ前向きになり転職先も決まりこれからという時に 檀家さんの派閥争い?の様なものに巻き込まれ、悪口を耳にし凄く悲しい気持ちになっています。 なぜ同じ「仏」「神」を信仰しているはずなのに、他人の行動を批判するのか? 私には解らないのです。 また同年代のお坊さんの考えや展望など率直な意見を交わしたいのです。 そんな思いの中、少し年下のお坊さんでフランクな対応をして下さる方に最初に記述したお酒を飲みながらぶっちゃけトークをこの方なら出来るのではないかと思い連絡先を渡し飲みに行きたい旨をお伝えしました。 今はこれが知的好奇心、興味なのか恋慕なのかわからなくて混乱しています。 そしてそれが相手のご迷惑になっているのか不安です。 皆様からしたらこういう事は迷惑でしょうか?

有り難し有り難し 16
回答数回答 3
2022/06/02

早く死んで救われたい

母は浄土真宗門徒で議員の娘、父は士族の跡取りで公務員でしたが私の年齢と誕生日を知らないまま13年前に父は死亡、別居ではありません 5歳の時に母から三田線に突き落とされ、その後も一緒に死ぬ?父からも早く死んでくれと言われ続けました。父の死後裁判とその過程で夜中に伯母から首を絞められても警察は来なかった 中学生から母親にあなたは三十歳過ぎたら二人の男子を産むと毎日言われて今43歳で独身です。 小学校から高校卒業までいじめ、高校で性犯罪被害、大学生の時に出かけた先で知らない人に監禁された。 いとこは全員医療従事者で結婚して幸せに暮しているそうです、彼らは障害者を招きたくなかったので私は結婚式に招かれなかった。 武蔵野女子を卒業後にカトリック学校に進学、宗教的な環境でしたが私自身は神道が根付いているのでキリスト教も仏教も学問でした。武蔵野で覚えているのは現世利益や占いは宗教として正しくない、これはとても納得できます。 大学卒業後の障害と病気のために外出は難しく死ぬ事が救いと思い毎日が過ぎていきます、誰かに痛い思いをさせた事はありませんが選ばれなかった人生に意味はなく、70すぎて生きるのは罪という考えを一族全員が持ち曽祖父も祖父も父も65になる前に死んだので死に方は尊敬しています。 私の名前は改名をしたもので他人がつけたものではありません、私は他人から贈り物をされた事がありません家は相続ですが獲得するまでに裁判をし時間とお金を多く支払い伯母から首を絞められ髪を切られて得た物です。誕生日を祝われた事がありません、何も得ず何も残せませんでした、事件と事故でご遺体を六回見ましたが何も感じません。親が子供に言う暴言は全部聞き、詐欺以外の犯罪は大体遭いました。 母の姉は拝み屋ですが私は目的のために祈ることが嫌いです占いやまじないは信じません、十分耐えたのでそろそろ死んで救われたいです。 周りが安全で幸せに暮らすのが理解できません私をいじめた人が結婚し子供を産んで幸せに暮らしているのを見るとあの時彼らの目を抉れば私は虐められなかったと思い、力で押さえつけられた時の解決策は相手よりも強い力だと知りました、忍耐は解決策ではありません。ここで先生と言われる方は小さい頃から大事にされて職業の選択肢に宗教家があったのですが同じ日本でこれだけ違うなら生きる意味がわかりません。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

生きる意味と信心、今の私にできること

初めて質問させていただきます。よろしくお願いいたします。 昨年夏から、長男である主人が仏壇のお世話を引き継ぐことになり、自己流ながら、hasunohaの記事を参考に、手を合わせています。 主人の実家が事業の困難から実家を売却した流れで、我が家に来ました。 また、同時期、大学4回生の長女が睡眠障害が悪化、かろうじて卒業できましたが、就職は叶わず治療中です。娘2人とも自閉スペクトラムの障害があり、二次障害が悪化したのです。 特に次女は、不登校を乗り越えて通信制高校を卒業し、志望の大学を楽しんでいた矢先に、腎臓の難病の入院を引き金に、鬱が再発。私に、なぜ産んだのか?と激しく問い、抱きしめて、パパと出会い産んだことは幸せと伝えても「そっちは幸せでも私は辛いことしかなかった」と。今まで困難にも自暴自棄にならず、乗り越えて来た次女も、ついに限界で拒食症で死の淵でした。 そんな時にhasunohaと出会い、同じように困難をかかえる方へのご回答に救われ、お仏壇と話すようになりました。今は朝晩話しかけて、命日に般若心経を唱えたり、お墓まいりも時々行きます。 幸い今日も娘たちは生きていてくれています。それだけで幸せです。 私と主人の実家は共に融通念仏宗で、住居を3回引っ越すも、なぜか同じ融通念仏のお寺の傍。娘らはそのお寺の幼稚園に通い、主人はずっと融通念仏ゆかりの華厳宗のお寺の学校に勤務。こんな仏縁に感謝し家族幸せになりたいです。 現在は50回忌も済んでるので、お寺とのお付き合いはなく、法話会のようなものもなく、境内の地蔵様に手を合わせに行くぐらい。実家のほうの菩提寺は後継者が無くてお寺じたい無くなり、命日には本山から交代でお参りに来られてます。本山にはお参りする習慣がなくて、何となく敷居が高いです。信心の仕方について、また生きる意味について、相談できるお寺が欲しいです。また他宗の座禅会に縁あって誘われましたが、行って大丈夫でしょうか? また、娘達は高校大学とキリスト教系で、次女は学校の礼拝と聖書の講義が好きで、大学の教会に行きたいそうです。お仏壇には自発的に食前食後お礼を言って御先祖さまの存在を感じるそうです。教会も休学中の大学に通うきっかけや心の支えになれば。でもお仏壇と教会通いは両立して大丈夫でしょうか?生きる意味、私たちなりの信心の仕方について教えていただけたら幸いです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1
2023/10/13

宗教心って?

 いつもお世話になっております。最近、「宗教心とは何か」と いう事を考えています。     私が考える宗教心は、 「目に見えないものに縋ったり拝んだりするだけじゃない。 人に慈しみと感謝を持って行動する心が主」 「どんなトラブルが起こっても、不確かな情報に惑わされたり うろたえて間違った行動をとらないよう、冷静に対処できる 心を養うための心の拠り所」 だと思います。それが、仏教含め、世界中の宗教の共通項だと 思っています。  なので私は、毎日科学関係の本や記事とにらめっこをしています。 不確かな健康情報に惑わされないようにするため、また、自分が どのような状態かを知るためです。これも仏道修行と思っています。  世界にはさまざまな宗教問題があります。仏教では、スリランカ での仏教僧団による、ムスリム弾圧。身近なものだと、霊感商法・ 開運商法。  アインシュタイン先生のお言葉に、 「宗教なき科学は不具、科学なき宗教は盲目」 というものがあります。アインシュタイン先生は、ルーズベルト 大統領に送った手紙をきっかけに原子爆弾を発明してしまった ことを、大変お悔やみになったそうです。  私が尊敬する科学の先生で、とても破天荒な方がいらっしゃい ます。その先生のお話を断片的に聞いていると、なんて滅茶苦茶な 人だ、と思う人もいるかもしれません。  しかし、よくよく聞いてみると、 「世の中にはびこる、人を惑わしめ苦しめる偽科学をなくしたい」 「自分の儲けは二の次にしても、みんなに本当の事を伝えたい」 というお心を、確かにお持ちと感じます。  また別の先生は、 「科学的にメンタルを強くする方法を教えてほしい」 という質問に、 「そのような方法は、存在しません」 とお答えになりました。  科学と宗教は棲み分けが大事だとも思います。  宗教は、「心の拠り所」。なので、宗教は科学に干渉しない。 科学も、宗教に依存しない。  私の捉え方は、間違っていますか?ちなみに、私の精神科の 先生のお友達のお医者さんは、プロテスタントのキリスト教徒 さんだそうです。先生に、 「ガンモドキみたいな事してませんよね」 と聞いたら、 「若いのによくその人知ってるね(笑)彼はそんなトンデモは しません」 と言っていました。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

異宗教間の恋愛は不毛でしょうか。

 お付き合いしている方がいます。彼の家庭はキリスト教徒で特に母親が敬虔な方です。一方、私の家庭は仏教徒。同じく母親が熱心に信仰しています。  彼自身は、「子どもの頃は信じていた」「子どもの頃みたいには信じていないけど、神社やお寺には手を合わせたくはないかな」と言っています。  私は、父を幼少期になくしており、私達家族にとっては、仏壇に手を合わせることは父を想うことに直結しています。特に母はその思いが強く感じます。このことは、彼にもシェアしています。  彼とは幼馴染で、家族のこともある程度知っていて、交際前からフランクに何でも聞き合える関係です。しかし、宗教については、センシティブなことなので、どこまで聞いてもいいのか、怖くてこれ以上踏み込んで聞けない自分がいます。 年齢的にも、結婚も考える歳です。お互い信仰心の強い家庭で育ったことは、お互いの信仰心を理解できることに繋がるのではないかと思っています。 一方で、これから、どこまで宗教が違うことが障害になるのか不安です。年を取って旅立った時、同じお墓に入れないのかな、空の上では会えないのかなと思うと悲しい気持ちになります。  異宗教間の結婚は、どんな問題が待ち受けているのでしょうか。解決の糸口はあるのでしょうか。愛していても離れる決断をするほうが幸せなこともあるのでしょうか。。

有り難し有り難し 15
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自分のカッチカチの価値観をなんとかしたい

初相談になります。相談にのってください。 キッカケはセンター試験の自己採点で実力を発揮できなかったことでした。 今まで私はこんな成績になるために生きて来たわけではないのだと嘆いています。 というのも、私は今まで学歴のために生きたのだと思っているからです。母親がとても教育熱心で多くの習い事をやっていました。小学校・中学校の時は「習い事と塾とでやりたいことが出来なかったけど、まぁ仕方ないか」と自分になんとか言い聞かせていました。その上「将来のために貯金するんだよ」と言われ【母にとって価値あるもの】にしかお金を使えなくなりました。 高校に入ってからは、母に認めてほしくて、自分の気力と体力の限界を越えて毎日勉強や部活等に勤しんでいました。なんとか宿題を終わらせるために趣味をも犠牲にしましたが、流石に限界が来て習い事の数を減らして部活もやめました。 私はかつてのアニオタ的趣味を楽しめないほど心が疲れ切っていましたが母は勉強することだけを求めました。 無理。 浪人することになって売り言葉に買い言葉で予備校の寮に入ることになりました。親元から離れて、お金と時間の使い方が自由になり、勉強の合間や休みの日に今まで親に良い顔をされなかったことを色々(バラエティ番組を見るとかおしゃれに手を出してみるとか)やってみたり、昔からの友人に誘われてアイドルのライブに行ってみたりしました。 でも「学生におけるメイクなんてのは頭悪い人が自分を飾るためのものだよ」「グッズでお金を使って何が残る?」と私の中で造られた価値観が純粋に楽しむのを邪魔をします。 母の「将来苦労しないよう良い大学に行かせてあげたい」という願いは理解できるし今まで教育にお金をかけてくれたことに感謝しています。だけど呪わずにはいられません。 センター試験で失敗して、勉強の出来ない自分にとても価値がないように思えます。でも、本当はそれ以外にも私の価値を測るものさしがあることは知ってます。どうしたら勉強や学歴を第一におくような価値観(≒母の呪縛)から抜けられるでしょうか。

有り難し有り難し 4
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