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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 どうしたらいい」
検索結果: 2178件

妻の急死から1ヶ月。小2の娘と2人です。

妻が7月15日に急性骨髄性白血病で亡くなりました。入院は4日間しかありませんでした。 亡くなる1ヶ月前ぐらいから昔からあるいぼ痔が痛くなったらしく6月末に肛門科を受診しました。血栓を取って落ち着いたら手術しようという話でした。血栓を取ったらなかなか血が止まらず、痛みもとれないので鎮痛剤など薬を飲んで様子をみていたのですが一向に良くならず、頭痛と吐き気、からだにアザまでできてきたので調べたら鎮痛剤の副作用かもしれないから肛門科の先生に伝えたら薬を一旦やめようと言われて。そこからは痛みとの戦いでした。毎晩痛くて眠れず、隣で寝ている娘に気付かれないように泣いていました。 別の病気もうたがって内科に行き、血液検査を7月10日にして、結果が良くないのですぐにきてくださいと連絡が入り専門の病院を紹介されました。その日のうちに紹介された病院に行って再度血液検査をしてたぶん白血病だろうといわれたのですが、週末ということもあり専門医も不在ということもあったので、週明けから検査入院をして治療計画をたてようということになりました。 しかし、自宅に戻った翌日に痔の痛みが激しくなり救急車で病院に行きました。病室に着いたら妻も少し落ち着いてきたので二人でゆっくり話をしながら早く治してお家に帰ろうねと話して私は自宅に戻りました。 次の日に髄液をとって検査をするので2日後に正確なな結果はでないけどある程度の治療計画がたてられるから病院に行く予定でした。病院に私が行く日の朝方電話がなって、すぐに来てくれと言われてタクシーで向かうと、すでに意識のない妻が。脳内出血を起こして脳が反応しない状態でした。すでにICUに入っていて何がなんだか全く理解できませんでした。前日の夜に電話で話して睡眠薬飲んで寝るね。と言っていた妻が、もう2、3時間かもとか言われてどうしたらいいのか、とにかく理解ができませんでした。それから約24時間後に亡くなりました。最初に白血病と言われた時に私にこんな体でごめんね。と泣きながら言ってきた顔が頭から離れません。それから葬儀を終え、私は仕事も退職するしかなくなり、就職活動と妻の手続き、家事と地獄のような毎日です。妻のご家族には助けてもらってはいますが、この先どう暮らしたらいいのか全く分かりません。子供もいるのに毎日死にたいと思ってしまいます。ただ妻に会いたい。会って謝りたいです。

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お寺の歴代僧侶について

先日、祖母を亡くしたことをきっかけに信仰心が芽生えました。自宅から車で1時間ほどのところに菩提寺があり小さい頃から正月、お盆等は手を合わせに行っておりました。祖母の死をきっかけに菩提寺さんが真言宗であると理解し、今まで何となくで持っていたお念珠も真言宗のものを新調しました。 先祖代々の墓には曽祖父も眠っておりますが、その方が菩提寺で副住職をされていたと父から伝え聞き、そのことも信仰心の芽生えへと繋がっております。 そこで曽祖父が本当に副住職をしていたのか知りたくなり、菩提寺さんの寺務所で事情を説明しましたが、歴代の住職、副住職の記録はないとのことで、曽祖父の名前を伝えたところ分からないとの回答でした。自分の中ではひいおじいちゃんのお寺と愛着があったので少しショックでした。 その菩提寺は戦後に本山となったみたいで、戦前に僧侶をしていたのなら余計に分からないと言われましたので、仕方ないとは思いましたが、将来私が墓守りをしますし、自分の芽生えた信仰心をご先祖の供養に繋げたい、更には自分の子にその寺が菩提寺である所以を伝えていきたく思っております。 拙い文章で申し訳ございませんが、自分の気持ちを聞いていただきたく質問に書かせていただきました。 何か良いアドバイス等ございましたらよろしくお願いいたします。

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「仕事が怖い」という気持ちを抑えたい

久しぶりに悩みを投稿させていただきます。 以前、hasunohaでお世話になっていた頃から、前々職、前職での退職勧奨とパワーハラスメントを受けたり、友人の死を経て、3年前の12月に前職をアルバイト勤務に切り替え、2年前の4月から改めて通信制の大学で学びなおし、今年の3月に卒業、資格を取得しました。 4月から新しい職場で、正社員としてお世話になっています。 ですが、前職、前々職共に 「お前は生きてきた過程が間違いだ」 「人格に問題がある」 「人として限界だ」 と言った、人格否定の言葉を投げかけられ、精神面に不調がでてしまったことがトラウマになっています。 今の職場は、雰囲気としては暖かく、やりがいもあります。 ですが体力的には大変で、新しく覚えなければならないことが多く、ミスややり残しもしてしまいます。 そのことについて、上司も先輩方も、私のためを思って注意してくださいます。 それはとてもありがたく、自分の中で反省して次に繋げようと思えることなのですが、どうしても「一般的な他者からの注意」と、数年前まで受けていた「人格否定」を混同してしまいます。 最近は仕事に行くのが怖く、「また怒られてしまう」と、職場でも家に帰っても恐怖と緊張感を抱えて過ごしています。 前職と前々職で受けていた、私の人格を否定するものではないということはわかっているのですが、どうしても頭の切り替えが出来ません。 現在は夜勤もある仕事なので、また精神的につらくなり、仕事を辞めたり、アルバイトの立場になってしまったらどうしようという気持ちが頭から離れません。 思い切って上司に相談しようと思っても、「新人の立場で生意気なことを」と思われるのが怖く、勇気が出ません。 自分でも本当に情けないと思うのですが、こうしたトラウマを克服するにはどうすればよろしいでしょうか?心穏やかに、今の職場で働くために、仏様、お坊さまの力を借りたいと思い、投稿させていただきました。 何かお言葉をいただけたら幸いです。よろしくお願いします。

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生きる気力がない

なんども質問してすみません。 20年前に弟を自死でなくしました。私があのときもう少し気にかけていたら・・・と自責の念があり、そこから自分の幸せは望まなくなりました。 子どもが2人とも先天性の病気があったこともあり、この子たちが幸せになることが自分の幸せだと思い今まで過ごしてきました。 10年前には夫の転職により夫が定年まで単身赴任となり経済的にも厳しくなりました。子どもたちや家のことがすべてわたしにかかっていると思い、私もよりお給料の高い職場に移り節約して必死でいままでやってきました。 上の子が進学のため家をでて下の子も来年には進学するので、とてつもなくさみしく気持ちが苦しくなりました。でもこちらに相談しながらなんとか主人の定年まであと13年前向きに生きていこうという気持ちになっていました。 それなのに昨日主人の定年が5年伸びるということが分かり、定年まであと18年もかかることがわかり、なんとか頑張ろうと思っていた気持の糸が切れました。 家族がバラバラになった今、なんのために生きているのか分からなくなりました。 今はただ働くために毎日職場と家の往復です。笑うこともなくなりました。新しい服や美味しい食べ物にも興味がなくなりました。友だちや周りの家庭がうらやましくて妬ましくて、疎遠にしています。 幸せになる資格がないと思い生きてきましたが、周りのために生きることがこんなに幸せだったとは…なくしてから知りました。誰かのために料理を作ったり、部屋を暖かくしたり…そういった幸せを失ってしましました。 私はこの先どう生きていけばいいのでしょうか。 お金のために働き、死んだら迷惑がかかるのでかろうじていきている…今はそんな状態です。

有り難し有り難し 14
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生き続ける

生きるとは何なんでしょうか。いつかは僕も死んでいきます。 そう考えると頑張ったり、努力しようという気が失せてきてしまいました。 つい最近祖母が息が苦しいということで入院しました。 家族、親族でお見舞いに行くと鼻にチューブを入れて息苦しそうにしていました。 「もう、こんな状態で…チューブ刺して生きとうない。もう年を取り過ぎた。楽に死にたい」と言いました。 でも家族や親族は「何言ってるんですか。生きてくれないと私たち悲しいですよ」とか「頑張って乗り越えていきましょう」とか言っているわけです。 でも僕は「もうこんなに息苦しそうにしてて、老衰でこれから改善していく可能性はほぼ0。楽にしてあげたらいいんじゃないか」って思ってしまいました。 祖父もチューブを鼻に刺して最後は本当に苦しそうにして死んでいったそうです。 僕も立ち会っていましたがあまりにも息苦しそうにしていたのでたまらず部屋を出てしまいました。 そういうことを考えると苦しまず楽に死なせてあげてはって思ってしまいます。 またそういうのを目の当たりにしていると先に述べた結局死が来て無になるんだし、頑張ったり努力したりしてもなって…なんかこう生きる活力的なのが一気に失せてしまいました。 こんなこと思うと虚無感がここ最近ひどい感じになってしまって…。 何かこう生きる意味だったりを教えて頂けないでしょうか。何をするにも虚しく感じているんです。 それと苦しくても生き続ける意味とかもあるのでしょうか。何か周りの気持ちだけで楽にしてあげるのを阻害している気がして祖母を可哀そうに思っています。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 27
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怒りを向けるとすれば自分か他者か

はじめまして、お坊さま。 私は夏頃に仕事を辞め、現在転職活動中です。 中々仕事が決まらない中、一年ほど前から始まった過食嘔吐という摂食障害を治療すべく12月ごろから毎週精神科に通っています。 診察を受けたところ、正確にはむちゃ食い障害という衝動を自分では抑えられない病気らしく、その衝動を抑えるための薬を処方されるようになりました。 それからは何種類か薬を試し、ようやく今処方されている薬が効きはじめ、過食嘔吐も治まりつつあると共に昔から苦しんでいた過去の失敗体験のフラッシュバックや、日に何度も起きていた頭の混乱なども治まり、今処方されている薬が合っているのだとすごく安心していました。 ですがこの薬を飲みはじめて自分の気持ちが落ち込むことが減り、過去や現在の自分を責めなくなったかわりに、過去の嫌だったことや不満に思っていたことについて母親に当たり散らすようになってしまいました。 事の責任の所在を他者に求め、自戒自罰するのではなく、他罰的になってしまったのです。 そして、私は母が怒り出すまで執拗に母を詰り、怒り出すとその場を逃げ出し、また顔を合わせるたびに嫌味を言うという行為を繰り返してしまいます。 母は現状について薬が合っていないため気分が高揚し、ハイになっている、量を調整するか、薬を変えた方がいいとしつこく言ってきます。 しかし私は10歳くらいから29歳の現在まで特別なことがなくとも常に希死念慮が付き纏う毎日で、今の薬を飲み始めるまで毎日がただ理由もなく辛くて生きていることがたまらなく嫌でした。 それが、この薬を処方されてからとても楽になり、頭の混乱がなくなり、過去を思い出しても苦しくなくなりました。 だから薬を飲み続けたいと思っています。 そこで質問なのですが、他者を理不尽に痛めつけても、自分の心の安寧を選ぶことは悪なのでしょうか? それともまた以前のように単に薬で調整できる脳内物質による頭の混乱に振り回されながら、生きるか死ぬかと己自身で葛藤し手足を自傷し続ける方がまともなことなんでしょうか? 教えてください。

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親との関係悪化でうつに…

今年大学4年生になるものです。 少し前から体の不調が続き、大学から勧められた病院に行ったところうつということが分かりました。 原因は大方見当がついています。 母親との関係悪化があるのではないかと感じています。 昔から母はいわゆる毒親と言われるような人でした。しかし、親を悪く言ってはいけない、親のせいにしてしまうのはダメだと思い母を毒親だと思わないよう過ごしてきました。 しかし、母との関係が悪化していくと同時に目に見える形で体の不調が出てしまうのです。 今現在、大学は実家から遠い距離にあるため一人暮らしです。病院に行くことが出来たのも1人だったためです。以前にも母に不調を訴え、病院に連れていって欲しいと頼みましたが、心療内科、精神科のような病院は人をダメにすると言われ連れていってもらえませんでした。 恐らく、その頃から患っていたはずなのに放置してしまったため悪化し、今では日常生活が困難、希死念慮すら出てきてしまう始末です。 今年から就活も始まってしまいます。 母は実家に帰ってくるよう求め、一緒に暮らすように言っておりますが、私は関東のほうで就職したいと考えております。 ですが、このまま不調が続けば就活はおろか、大学卒業すら出来ないかもしれません。うつのことも母に話すのが怖く伝えておりません。 こうなってしまったのは母のせいだと思ってしまう一方、ここまで育ててくれた人に対してなんてことを思っているんだ、こうなったのは自分のせいだという自責の念に板挟みになっていて非常に辛いです。 どうしたらいいのでしょうか。何かお言葉をいただきたいです。

有り難し有り難し 49
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何度も申し訳ございません。

何度も申し訳ございません。 懺悔し続ける日々を意識して過ごしていたのですが、後悔や自責の思いに押し潰されてしまい、一歩も足がでず、ここで人生終わりだと思ってしまい、進めずに困っているので申し訳ございませんが再び質問をさせていただきます(><) 私は今まで生き方を間違えてしまい、流れる様に楽な方、楽しい方…へと進んでいき、またたばこを吸ったり派手な格好をしたり、毎週のようにクラブに行ったり、挙げ句の果てに中絶をしたのにも関わらずなかったかのことにして、懺悔もせず進んで来てしまいした。 反省をしないまま進んでしまったため、本当の自分の人生がボロボロであまりにとんでもないことになっているので、恐ろしさのあまり、自分の人生に蓋をしてしまいました。 すると、生きている心地や、感情もなくなってしまい、今何が起こっているのかも、もはやよくわかりません。なぜこんなに変な感覚なのだろうと思うと、最近わかったのですが離人症になっていました。離人症は不治の病のようで自分ではどうすることも出来ません。 少し話は違うのですか、私の場合、自分で抱えることができないほど、人生をどうでも良い!と投げ捨てて記憶がないほど、散々今が楽しければそれで良いというような生き方をしてきて、自分の人生の責任が今さら取れないような、取ろうとすると吐き気や絶望間のあまり死ぬしかありません。 仏教は因果応報だと聞きますが、因果応報ということを私の人生に当てはめると、耐えきれずに身動きが取れず人生に押し潰されてしまいます。夢でも地獄にいるような夢ばかりを見て毎日のようにうなされています。きっと現実でこの地獄のような世界(現実)を目の当たりにすると、耐えきれずに死んでしまうから、離人症になることで、自分を保っていると思います。本当に苦しいです。 自分の人生を背負うことができないのであれば、やはり死ぬしかないでしょうか?(><)少しでも人様のためになるようなことをし生かせて頂くという目標にし、自分の人生を何とかごまかしながら生き延びると言う道を選んではだめでしょうか? 自分がふらふらなのに人様のために…なんてあつかましく、間違いなのはわかっておりますが、このままでは死を選ぶしか道がありません。何年間も離人症でもあるためもうお手上げです。死なずに何とか生き延びる道はありませんでしょうか?

有り難し有り難し 22
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釈尊の言行

 厚かましく、非宗教説を続けます。  釈尊の言行については、立川武蔵先生の「ブッダをたずねて」の受け売りですから、皆様先刻ご承知と思いますが、信仰について言及したいと思います。  先ず釈尊は、偶像崇拝を禁止したとのことですが、釈尊の死後、舎利を分配して、早速信仰の対象にしました。  仏像も信仰の対象として作成され、祇園精舎での説教で済むところを、巨大な寺院を建築し、仏像を納めて 荘厳さを競いました。  これは中国の仏教を模倣したのでしょう。  釈尊の言行からはまったく不要なものであるはずです。  次に釈尊の死が近づいたときに、近隣の村人たちが釈尊の葬儀の支度を始めているのを見て、弟子にあそこに参加してはならないと戒めたそうです。  元々葬儀には無関係だったようです。  確か応仁の乱で加茂川に死体が放置されていたのを、僧侶が荼毘に付したのが始まりだったようです。  釈尊の言行に従って、これらの行事を無くせば、仏教はただ説教と修行に励むことだけが残ることにはなりませんか?  仏教は信仰とは無縁だと思います。これが非宗教説です。  蛇足ですが、通常寺院の参道に仁王門がありますが、これが参道の入り口ではなく中ほどに建てられいます。  これは参道が、輪廻転生を示したと考えられます。  参道の入り口は娑婆です。参詣者は参道を通って本堂に向かいます。  本堂は娑婆から切り離された死の世界です。  本堂に居続ければ平穏ですが、娑婆に還るときは仁王門で苦しめられます。  「チベットの死者の書」によれば、丁度3週目に怒りの神々に遭遇します。  仁王門が中途にあるのはそれを模したものと考えられます。    従って輪廻転生は仏教にとってそれ程重要なものです。  現在仁王門の像は参道を向いていて外敵を防ぐと言われていますが、参道の中途にあるのも不自然だしその必然性が考えられません。  像は本堂を向くべきだと思います。  さびれたお寺の仁王門がその向きになっているとの記事も見かけました。

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親の期待(結婚、孫)に応えられず許せない

30歳です。孫どころか結婚とも程遠いです。婚活しお付き合いもしてみましたが、相手を大事にできず、結局ダメになりました。人間関係が上手く行かない時はどちらか片方だけの問題ではないとは言いますが、9:1くらいで自分が原因だったと思います。これまでの人生、友情・愛情を問わず、本当の意味で赤の他人を好きになったことがありません。周りにも私の心の冷たさが伝わるのでしょう、昔から付き合いが続いている友人なども居ません。我ながら可哀想な人間です、他人に何も与えられない人間なのですから。周りからも「あなたは他人に興味がないね」等と言われる始末。人を好きになるという当たり前のことが出来ない欠陥人間だと言われた気がします(そしてそれは限りなく事実…)。 以上の事から私は誰かと人生を共にする資格などありません。 私が生きている以上、両親は少なからず私がごく普通の女性が辿る幸せな人生を歩むことを期待するでしょう。しかし期待するほど、私がそのポジションとは程遠い場所にいる事実にどんどん失望が積もっていくでしょうし、少しずつ長い時間かけて、非積極的なやり方で私は両親を悲しませているのです。 では逆に私が自殺なり事故に遭うなり死んでしまえば?両親は瞬間的には悲しみのどん底に突き落とされると思いますが、時間と共にその傷も癒え、結婚や孫の期待など持つ必要もなくなり、周りの同年代の孫自慢などの話を聞いても我が娘と比べる余地もなく「死んだのだから仕方がない、生きていたなら今頃もしかしたらね」くらいの気持ちになれるのではないかと。 馬鹿馬鹿しい考えとは分かりつつも、もはや無為に生き続けてジワジワ失望を与え続けるより、全てに諦めのつく「死」を選んでしまったほうが、長期的には良いのではないか?等と半ば本気で考えてしまいます。甘えですが。 私は決して積極的に死にたいと思っているわけではなく、突然コロッと死ねたらいいなくらいの消極的な気持ちです。同年代の人達にコンプレックスを抱かないこともありませんし、私自身子どもは欲しいと思うのですが、その前段階として人を愛することができない以上子を持つ資格も当然ないでしょう。里帰りをして親の顔を見るたびに、年々「こんな子供でこめんなさい」と思う頻度が増え、会うのも辛いです。 この苦しさから解放されるために私にできることは何でしょうか。人生の先輩方からのアドバイスお願いします。

有り難し有り難し 16
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鬱病を患って抜け出せません…

私は中小企業の中間管理職をしています。5年ほど前に下請け業者のミスでお客様から恫喝されてしまい、自分一人で責任を負いそれ以来、不眠・仕事への意欲・生きている意味さえわからなくなり精神科を受診し、重度の鬱病と診断され、今は精神的には落ち着いていますが仕事に復帰することが怖くて、会社に出ても誰とも話さないようにして、隠れるように過ごしています…。病院では薬も処方されていますが、社会人として社会復帰するのが怖くて仕方ありません。 そんな中、先日伯父の葬儀に参列する機会があり浄土真宗(お西)のご住職の説教を聞きましたが、心に響くものが全くありませんでした。 そこで浄土真宗のことを調べてみようと思い色々とネットで検索しているとYou Tubeで法話が沢山出ており、自分にとってとても心に響くお話を聞くことができ、毎日貪るように見るようになり、今までの人生を振り返りお釈迦様のお教えとは真逆の生き方をしてきたことを痛感しました。 それ以来親鸞聖人の残して下さった正信偈を毎日読んでおります。 なるほどなと思うこと多々あるのですが、今の全く前に進めない自分をどうすればいいのかの答えが見いだせず、けっきはこのまま死に向かってただ時間だけが過ぎていく毎日なのかと、暗闇から出ることができません。 このような自分を前向きにお導きくださるようなお教えがあればお教え願えないでしょうか。 わらをもすがる思いで、毎日朝と夜のお勤めと、月に一度お寺の常例法座にお参りさせて頂いております。 人生は地獄…。荒波にもまれて溺れてしまいそうです。良きアドバイスを頂けましたら幸いです。 ちなみに53歳、妻と3人の子供がおります。 宜しくお願い致します。南無阿弥陀仏

有り難し有り難し 6
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2024/09/10

信じていた友人は全て嘘でした

高校時代からの親友は長年白血病と闘っていたのですが、ある日音信不通になりました。 しばらくすると彼女の唯一の肉親である姉と連絡が取れ、本人の意思で本当のことを話すことはできないという事と共に彼女の死を暗に示す返信がありました。 それから4年間、行き場のない想いを抱えながら彼女に思いを馳せ生きていました。 しかし、先日当時の担任と再会する機会がありそこで衝撃の事実を知らされました。 それは、彼女の言動の全てが嘘だったということです。 彼女が抱えていたのは白血病ではなく演技性パーソナリティ障害という精神疾患で、闘病の様子や複雑な境遇など私が聞かされていた全てが嘘だったのです。 そして彼女は今も生きています。 私がやり取りしたと思っていた彼女の姉は、姉を装った本人でした。 彼女は白血病の他に脳腫瘍を併発、酒乱の父からは暴力を振るわれ母はガンで高3の時に亡くなったと聞かされていました。 今思うと少し行き過ぎています。 どこまでが嘘かは分かりませんが、担任の話だと母は生きているそうです。 一時、彼女が心肺停止となりしばらく意識がない間に彼女の姉と連絡を取りあったことがありますがそれも本人だったようなのです。 友人は非常に頭が良かったので、正確な知識を持ったエピソードと緻密な演出で説得力を醸し出すことができてしまったのだと思い、どこか腑に落ちる部分はありました。 注目をされたいという思いから始めた演技が成功する度エスカレートし、最終的には終わらせることしかできなくなってしまったのでしょう。 しかし、私は彼女を心から信じ病気と闘いながら懸命に前向きに生きる姿を応援し、いなくなった後も共に過ごした時間を大切にしながら今日まで生きてきました。 その全てが虚構だったという事実を、どう受け止めたら良いのか分かりません。 裏切られたというような怒りや失望はありません。生きていてくれて本当に良かったと思うことも事実です。 ただ、信じていたものが存在しなかった虚しさは消えず、何をするにも力が入らない毎日です。 彼女に再び会うことはないと思います。 きっと彼女も望まないし、全てを知った今彼女に会う勇気は私にはありません。 ですが、気持ちの落としどころが見つからず困っています。おそらく世の中でもあまり例のない話だと思います。 私はどのようにこの事実を受け止め、乗り越えたら良いのでしょうか。

有り難し有り難し 11
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