前回ご相談させていただきました。丁寧なご回答を頂きまして、強くなろうと何度も読み返しておりますが、少し疲れました。 私の悩みは自業自得で小さなことですが、それでも苦しいです。 橋の上から飛んだら鳥になれますか? こんなことを考える私は愚かな人間ですね。 自死を考えてる方やご遺族のご相談も読ませていただいて、悲しみは深く一生消えない傷をおわせてしまうこともわかりました。 その度に思い止まることができていますが、いつか衝動に駆られた時、自分を押さえられるか不安です。 今夜はとくにそう思います。 あと何回こんな夜を越えないといけないのか…… なんだかとても疲れました……… これはご相談ではないですね。 申し訳ありません。
妻が先週首吊りで自死しました。 遺書はなく、死んだ理由が分かりません。 妻は鬱でしたが、色々状況が良くなってきていて、これからという時でした。 死んだ理由について色々考えました。これかもというのはありますが、本当のところの理由は分かりません。以下質問でございます。 ▪️仏教的には自死した人は救われないのでしょうか?(妻は無神論者でした。死後の世界を信じていませんでした) ▪️仏教的には自死を止められなかった私が幸せになっても許されるのでしょうか? ▪️この運命は、私達の前世の行いの結果なのでしょうか? ▪️私が妻にできることは何でしょうか? (父は仏教をかじっています。 質問について聞いたところ、自死した妻はまた自死するような人生を歩む。私が許されるかは私の良心次第、この結果は私のカルマ(前世の行い)だと言います。) いかが思われますでしょうか? お考えで大丈夫でございます。
学生時代にお世話になった友人達に残したい遺言は、どのように記せば良いでしょうか? 今までありがとうという言葉と、過去に私の精神的未熟さが原因でさんざん迷惑をかけてしまって申し訳ないという二点を伝えたいです。 しかし既に嫌われている可能性も十分あるので、もしかしたら受け取ってもらえないかもしれません。その場合、手紙ではなくメールやラインなどで伝える方が物として残らず良いのでしょうか? ただ、自死を止めてほしいのではなく、単純に今までの謝罪をしたいだけなので、万が一大事になってしまっても…と思い、上手い文章が思い付きません。 皆様どのようにされていますか?よろしくお願いいたします。そもそも遺言なんて遺そうとする方が頭がおかしいのでしょうか?
生きることは苦しい、と昔からぼんやり思っています。もちろん日々楽しいことや嬉しいことはありますが、生きることへの絶望感?のようなものがずっと纏わりついて心から喜びを感じられません。 ここ最近体調を崩していて、死を意識する機会があったのですが、その時考えていたのも医療費の心配とか、体が痛いのは嫌だなとか、死んだ後に行く世界のこととかばかりで、今ここで自身の命が終わるということについてはあまり重大さを実感できませんでした。 こんな考えは不謹慎だと思うし、周りの人が聞いたら絶対に悲しむと思います。私自身も自分の人生に絶望したまま死ぬなんて嫌です。この心にかかったぼんやりとした苦しみをどうにか取り除いて、心の底から生きることを楽しみ、喜んでみたいです。
らららら社交的で、思った以上に頑張り過ぎてしまうことが多く頼まれて断りきれず始めたラーメン屋さんの仕事、、ボランティアでしてた国税調査 孫の面倒 辞めている会計士の頼まれた仕事ほか多数、本当にするべき事が多すぎて忙しかったと思います。いつも、走り回り誰かのため自分の事は後回しにして、人のために走り回る母でした。亡くなる前の日、私は次の日子供を見てたもらうため実家に泊まっていました。お風呂入ってる最中に脳内出血が起き朝お風呂場で倒れてるところを見つけました。朝父親が叫ぶ声に慌ててお風呂場に行きました。給湯の音が夜中にもなっていたのは知ってました、、でも、、また、夜中にお風呂に入ってるんだなとしか思わず見にも行きませんでした。お風呂に入らなければ、入ったとしても私がすぐに気になって見に行っていれば、どーにかなったのではと、、なぜ見に行かなかったのか、、そんな事ばかり考えてしまい 母の最後があまりにも虚しく。前の日の夜、風邪気味で熱も少しあったため、、早く先に寝てねーっと言ったのが最後、、お休みと目も合わさず、しんどそうに部屋に行きました。あの頃から、もう予兆は見えてたのかもしれません。、でも、何を言っても後のまつりです。母は帰ってきません。時間よ取り戻したいと何度も思いました。父のことも心配です、急だったため、なんの心構えもなく、お風呂場で目に入った光景は、未だに忘れられません。ただ父親と一緒に母の死を分け合えたこと、死を2人で受け入れ救急車を呼び兄夫婦を呼びに行ったり、父親とお風呂場での時間、、あれを父1人ではなく私も一緒に分け合えたことが、なにより良かったとは思います。 母が一番びっくりしてるのではないでしょうか、私は、まだまだやらなければいけない事がいっぱいなのに、死んでられないって、、なんで死んだのって、、1番悔しいのは母ですよね、、孫の面倒をお願いし過ぎてたなと、、母は自分の事はさておき、私や子供達の事を1番に考え本当に助けてくれました。わたしは母に大した事何1つしてあげれてないです。旦那の実家はわたしのいま住んでる所から4時間ほどです。そちらに引越ししようかと言ってる所でした。母に行ってらっしゃといわれてるのか、、こちらで生活しなさいと言われているのか、、私はもう孫の面倒を見れないから、旦那の実家に行きなさいと死をもって教えてくれてるのかと思ったりしてます。
私は母の死を乗り越えられるのでしょうか? 辛くて逃げ出したいです。 昨年の2月に母の末期癌が分かり、ずっと母の介護をしてきました。 先月、緩和ケアに入院し、今日、先生からは余命は週単位だと言われました。 癌が分かってから、私は仕事を辞めて、心身共に母を中心に生活してきました。 今も、週に何度かは病室に泊まり、ほぼ一日中、病室で過ごしています。 それだけに、母が逝ってしまった後の喪失感を考えると、怖くて怖くて仕方ありません。 周りの人からは、「ずっと付き添っていられるのは幸せなことよ。お母さんとの時間を大切にしてね」と言われますが、どんどん弱っていく母の側にいるだけで、私の心が潰れてしまいそうになって、これでは、母との大切な時間を無駄にしてしまいそうです。 母の側にいるのが辛い理由として、残された時間が少ないことを母本人に隠しているということもあるのです。 なので、母は「頑張って食べないと元気になれないもんね」など、元気になると信じて頑張ろうとしているのです。 その一方で、どんどん弱っていく身体に、何となく気が付いている感じで、たまに悲しそうな目をします。 そんな姿を見るのが辛く、できることなら逃げ出して、知らない間に逝ってくれないかなぁと思ったりしてしまいます。 母にとっては、どうしてあげることが良いのでしょうか? 私は、どうしたら乗り越えられるのでしょうか?
高校2年生の女子です。 先日、私の習い事の先生が突然亡くなったと知りました。私はその習い事を8年続けており、その先生とも親しかったです。先生とは、1週間前に話したのが最期になってしまいました。その時はいつも通り元気だったのに…もうあと少しで、その習い事の発表会があったはずなのに…先生と一緒に本番が迎えられるはずだったのに…たくさんお世話になったのに、何も感謝を伝えられないまま逝ってしまった…… そう考えるととても悲しくて感情の整理ができません。 私はここ10年ほど、周りの人を亡くした経験がなく、ひい祖母が亡くなった時もまだ幼かったため、ただ漠然と、「もう二度と会えないのか」と思った程度でした。しかし、冷たくなったひい祖母を触った時、生きている人間とは違う冷たさに驚き恐怖を感じたことは鮮明に覚えています。 久しぶりに人の死と向き合い、本当に突然で、とても混乱しています。 数日後にお通夜に参加する予定なのですが、自分がどんな感情を持つのかが怖いです。先述した通り、とても悲しく、寂しく、先生への思いも沢山あります。それなのに、何となく、その先生が亡くなられたことを冷静に見つめている自分がいて、自分は薄情なのかと思ってしまいます。泣きたいのに何故か涙が出なくて、悲しいはずなのにどこか冷静に考えている自分がいて、相反する感情がグルグル回ってます。 私はどうすれば良いのでしょうか。 長文乱文失礼しました。 何かご意見を頂けると幸いです。
死が怖いです。大切な人や自分がこの世からいなくなる、どうなるか分からないことへの不安と恐怖で毎日ぐるぐる考えては1日を無為に過ごしてしまいます。 こんなに怖いなら生まれなきゃよかったと思うし、自我が芽生える前にしんでればよかったと考えてしまいます。 二十数年間生きてきて、大切なものも増えてしまいました。それらを失うことも怖いです。 朝目が覚めるだろうか、この車は私の元に突っ込んでこないだろうか、大きな事件や災害が数秒後に起きるかもしれない、目を離したとき愛犬が倒れたらなど不安が多くて、家から出られません。 事件事故のニュースを見ることも出来ませんが、何も知らずに生きることも怖いのでネットニュースを読むことはできるように頑張っています。 街中で妊婦さんやお子さんをお見かけすると、この人たちはとても幸せそうに見えるけど次の瞬間には…と恐ろしい事態を想像してしまい、素直に祝福できなくて自己嫌悪します。 50を過ぎた母が、「私はもう死んでもいい」「あと5年で逝くからあんたそろそろ自立しなさい」などと口にすることも私の不安を駆り立てます。(母は現時点で健康体です) 不安や恐怖を解消するまでにいかなくても、上手に向き合う?付き合っていく?方法はないのでしょうか
昨年の春に家族で東京から私の地元へ引っ越しました。 引っ越しをしてからすぐに身内が自死しました。 少し前から仕事のことで悩んでいるということは聞いていましたが、私たちの前では元気そうで近くに引っ越したことを喜んでくれているようだったので、家族全員が「まさか」と思うような出来事でした。 その後、生活に必須な自動車免許を取得したのですが、取得後立て続けに二度、交通事故を起こしてしまいました。 幸いどちらも相手の方に大きな怪我はありませんでしたが、悪いことが連続して起こったので、怖くなってしまいました。 身内の死の悲しみはとてつもなく大きいですが、ゆっくり受け入れていくしかないと思っています。 交通事故については自分の不注意を深く反省し、安全運転に徹しようと心に決めてます。 そう思ってなんとか前に進んでいかなければと思うのですが、そもそもここに引っ越してきたのが間違いだったのだろうか、今後自分の大切な人たちに何かあったらどうしよう・・そんな考えで頭がいっぱいになってしまいます。 何か、自分の意識だけでは抗えない大きな力が動いているのではないか、そう思ってしまうのです。 今後どのような心持ちで毎日を過ごせば良いのでしょうか。 アドバイスお願いいたします。
以前も質問致しました。 何も改善されず、とうとう上司も中立ではなくなり、他の社員が言った事が正とされるようになりました。それが例え事実と違っても。 8年この会社で我慢しました。人生としての落ち込んだ期間は13年以上になります。どれだけやり直し、努力し、頑張っても、いつもまた落ちていきます。落とされていきます。その度に心の耐性も一緒に疲弊していきました。 この会社はパワハラで8年の間に5人も自殺しています。それでもこの対応。プロパーの頭の中はポカポカです。 今は、実名を挙げての嫌がらせの数々を記した書類を残し(1部は公に出るように対応)、猫を大切に育ててくれる方を探し(これが唯一心残りです)、家、物、全部片付けて全てを終えたい。 狡いやり方で自分の立場をよく見せ人を陥れる奴らを落ちるところまで落としてやりたい。復讐と言われようが、間違っていると思われようが、もう関係ない。限界なんです。 友達が何人か怒りました。1人は生きたい親友を失った事があるから自死は許さない、と。 それさえどうでも良い。私だって友人を癌で亡くしています。彼女は生きたかったけど、42歳と短い人生を終えられました。 追い込まれた事も無い人間に、自死は許さないと言われたって心には響きません。誰の言葉も響かないほど、私の心は壊れているのかも知れません。 今更何を言って欲しいのかも分かりませんが、ここが空くのをずっと待っていたので、せっかくなので残させていただきたく記載させて頂きました。 死にたい。 消えたい。 生きていたくない。
以前から拝見していましたが、ご助言をいただければと思う出来事があり、、初めて質問させていただきます。 娘の保育園の関係で親しくなった一家の旦那さんが、少し前に若くして病気で亡くなりました。 その家には2人の子どもがいますが、お母さんは気丈にがんばっています。 私もなるべく力になれればと思い、一緒にご飯を食べたり、話を聞いたり(とはいえあまり自分の辛いことを話さない人なので、世間話や仕事の話、子どもたちの話題ばかりですが)、大変なときは子どもたちを預かったり、、というようなことをできる範囲でしています。 子どもたちも小さいなりに(小学1年生と4歳)父親の死を理解しているのですが、特に上の子(男の子)は小学校という新しい環境に入ったばかりということもあるのか、穏やかだった以前とは違って最近はいつもイラだっているか、自分の欲求をまわりにぶつけて、意に添わないと一緒に遊んでいる妹やうちの子をいじめたり暴言を吐いたりしています。 この年頃の男の子は多かれ少なかれそんなものだとも思いますが、やはり寂しさや、どこにもぶつけられないモヤモヤが、怒りやイライラとなっているのではと思うと、かわいそうになります。 お坊様がたにお聞きしたいのは、 このような場合、周囲の大人は小さい子どもたちにどのように接すれば、少しでも安心感をあげられるか、そしてお父さんの死を、どのように扱えば良いのか、ということです。 子どもたちには特に、今までどおり何も変わらない接し方を心がけていますが、もし伝えてあげたら子どもが少しでも楽になれるような言葉があるのなら、伝えてあげたいです。 こうして書いていると、お坊さんではなくて児童カウンセラーに質問すべきことかしら…と思えてきましたが(汗)、色んなお立場からのご助言をいただけたらと思い、質問させていただきます。
彼氏が自死しました。 付き合ってから本当にとても濃い毎日を過ごしていました。 彼とは喧嘩が多く、少し前に喧嘩をしてから距離をおいていて、やっと仲直り出来た矢先の出来事でした。 家族宛の遺書に書いてあった自死を選んだ理由はとても自分を責めていて本当に苦しかったのだろうなと思える内容でした 相談して欲しかったという思いや、仲直り出来て会えた時、様子がおかしいことにも気付いていたのになぜ何もケアできなかったのだろうかという思い 自死直前にも電話をしていました。その時必死に止めましたが止められなかったという事実 私宛の手紙は愛情と後悔と未練の塊でした。 周りの人はそんなことは望んでいない、少しずつでいいから前向きに生きて欲しいと言いますが、正直難しいと思うのが本音です。 もう少しでお葬式がありますが、終えたら私も旅立とうかなと思っています 彼に会いたい、抱きしめたい、色んなお話をしたいと思います 49日で成仏してしまうというのを見て焦っています。急がないと間に合わない 毎日死ぬ事ばかり考えていて苦しいです 本当は彼と生きたかった でももうそれが叶わないという事実も苦しい 早く彼を追いたいです しかし気持ちの整理がうまくつきません
お気に留めていただきありがとうございます。 近日辛いことがありました。 一昨年、家族以上に信頼していた親友が自殺しました。 その1ヶ月後、職場で付き合っていた彼氏と別れました。 その1ヶ月後、その彼と私の先輩の女性が付き合いました。 二人は社内恋愛を隠さず、毎日一緒の車で通勤しています。よく私の車の後ろに着くこともあります。二人が職場の人間によく話をするので、同棲を始めた事や、旅行に行った事など、順調に付き合っていて幸せな報告を又聞きします。二人を見るのが辛いです。 唐突ですが、私には姉がいます。私と2歳違い。中学生の時から社会不安障害、鬱の症状をもち、受験や学校のストレスで両親に夜な夜な泣きついていました。両親は毎晩姉を慰め、寝不足で仕事に向かっていました。 思春期の自分はそんな3人の世界について行けませんでした。いつも家では姉中心。私はいじけていつもイライラして、当たって、不快にさせていました。 姉が大学に進学し家を出た後は、今までずっとイライラしていたことを猛反省し、いい子になりました。そうしたら親戚は誰も私のことを心配しなくなりました。社会人になっても姉は親族に泣きついていました。私は「あなたは大丈夫だよね」と言われました。 そんな私と友達になってくれた、中学からの大親友が一昨年自殺しました。 そこからおかしくなってしまいました。仕事中も、涙を抑えきれず泣きながら仕事をしました。今もまだ涙が出ます。 親友の死より少し前に、当時付き合っていた彼に結婚を意識してほしいと言われていました。結婚はその時点で考えらず、その事を優しく伝えようと思っていました。でも、言い訳ですが頭がおかしくなってしまい、強く当たり散らかすように伝えてしまい、別れました。彼をたくさん傷つけました。 順調に幸せに向かっている二人を見ていると、辛いです。「元カノに配慮をしよう」と思えないほど、自分は彼に悪い事をしたのだという自己嫌悪。幸せな二人を憎く思っている自分が嫌い。ずっと拭えません。 二人の不幸を願ってしまいます。家族に構ってもらえなかったことを憎んでしまいます。友達の死を悲しみ続け前に進めません。 悲しみや他責のループから脱し一人で強く生きていくためには、自分を律するのが良いのでしょうか。自分を許せばいいのでしょうか。どうすれば、立ち直れるのでしょうか。
5月の末、父が突然の事故で亡くなりました。本当にあまりにも突然でした。川へ転落して、全身の損傷によって、身動きが出来ないままの溺死ということでした。タフな父でした。私よりずっと健康でした。それがなぜ。 事故前日、ふらっと実家に寄った時は、いつも通り元気で、普段通りのたわいもない会話をしたばかりでした。翌日、警察署の遺体安置所で父の姿をみるなんて思ってもいませんでした。 私は、身体が弱く、発症以来、入院や療養期間も長く、迷惑をかけていました。やっと昨年、結婚して家を出るも、色々な疲れが溜まったからなのか、休職を余儀なくされ、ようやく今年の春に復職したばかりでした。そして、この夏の終わりには、迷惑ばかりかけていた私も、孫の顔を見せるという親孝行が出来るところまで、あともう少し、本当にあともう少しというところまで来ていました。 どうしてそんな転落するような場所へ一人でボランティアに行ったのか、なんでもう少し(コロナでどこにも行けない)辛抱ができなかったのか。 今でも実は、ただいま~って帰ってきているんじゃないか。死んでしまったなんて、何かの冗談ではないか。色んな手続きや、法要が進んだのに、未だに信じられません。 父と同世代の方を見ると、それだけで涙が止まりません。どうして父だけを連れ去り、この人たちは生きているのでしょうか。 本来なら、忌引きが明けて、会社に出社しているのでしょうけど、それが上手く出来ていません。本来なら、生まれてくる子供を楽しみに準備していたと思うのですが、それが出来ません。父の死が、頭から、心から、身体から、その悲しみが離れる事がありません。 そして、まさに言葉の通り身動きがとれなくなります。正直な気持ち、今、この状態で子供が生まれてくることが怖いです。悲しみが強すぎて喜べそうにないのです。どうやって父の死と、これからの事に向かい会っていけば良いのでしょうか。せめて、残された母、出産する妻、生まれてくる子供には、笑顔を向けたいのですが、今、それすら出来ずに困っています。
先日大伯母が亡くなりました。 98歳という大往生でした。 通夜と葬式を昨日終えたところです。 晩年は認知症で私の事は忘れたようで「どちら様ですか?」と言われました。 それでも私は大伯母の事が大好きでした。 大正時代から生きて、結婚への圧力は凄かったでしょう。それでも生涯独身を貫き一人で雑貨屋を営んでいました。 実家から徒歩2分ほどの場所に住んでいたので、小さい頃から料理を作ったら届けに行くのが日課でした。 いつも笑顔で接してくれて、何歳になっても背筋が真っ直ぐでした。 就職にともない実家を離れてからは会う機会が月に1回、半年に1回と少しずつ減りました。 最後の日も母から「午前から血圧が高くなってるらしいの、またお見舞いにいってやって」 と言われ 「分かった、じゃあまた今度の休みに行くよ」 そのまま午後に大伯母は亡くなりました。 なぜ「また今度来るね」という状況を作れなかったのか、それは未だに悔やまれますが 大伯母は棺桶の中の姿があまりにも綺麗で、死化粧も素敵に施していただけました。 葬儀場の椅子が足りなくなるほどの人に囲まれ、顔が見えなくなるほどの花に囲まれ焼かれていきました。 私は、出棺の時に棺を持ち上げても、大伯母がわずかばかりの真白な骨に変わっても、その骨を箸で掴んでも、なんだかピンとこないまま今日を迎えてしまいました。 涙は出ないままでした。 むしろ誕生日をお祝いするように穏やかな気持ちのままなんです。 現実逃避をしているのかもしれません。 今もどこか大伯母が生きているようで、一人暮らししていたあの家にいるような気がしてなりません。 あずきサンドが好きで、熱いお湯で淹れたお茶が好きで 今日も電子レンジでご飯を温めすぎて「嫌な熱さだ」と怒ってるかな。 なんて考えてしまいます。 生きてる姿しか見えません。 こんな経験は初めてです。 今までは、誰が死んでも葬儀が終わるまでには実感が湧いてきて涙が出てくることばかりでした。 なぜこうも思い入れの深い人に限って受け入れられてないのでしょう。 そもそもこれは現実逃避なのでしょうか むしろすべて受け入れた結果のようにも思えます。 実感のない死との向き合い方 ご助言いただければ幸いです。 よろしくおねがいいたします。
主人が自殺しました。まだまだ手がかかる子供達を残して。これからの成長が楽しみな子供達を残して。 あれから、生活が180度変わりました。残酷な生活へ。 主人の家族からは私の両親含め子供達までも殺人犯扱いを受けております。 他の投稿で仏様に導かれて極楽浄土へ行くとありましたが、その投稿を見ても自分だけ楽になってスッキリしてという思いが強くなりどうしても許す事ができません。 死に追いやったのは私のせいですが、ここまで生活してきて我慢ならない事がたくさんありました。なんなら私の方が全て投げ出して楽になりたかった…とさえ思ってしまいます。 しかし私はそんな事は絶対にしません。周りの人を苦しめるだけだから。 自分で死しか選べず逝ってしまった事はほんとに苦しかったね…ごめんなさいとは思って安らかにと思う反面、人生最大の裏切り方をされたという思いが交互にやってきてパニックになりそうです。 私は第一発見者でした。なので笑っていた顔も怒っていた顔も泣いていた顔も声も全て思い出せず、思い出そうとすると最期のあの姿しか思い出せません。 そして夜になると、暗いところに行くと思い出してしまいとてつもない恐怖が襲ってきてお風呂も寝るのも1人でできません。 なのに何故あなたは1人だけ楽になり、みんなから可哀想、可哀想と言われ、何故残された私たちは形見の狭い思いをしなくてはならないのですか? 夢から覚めて朝が来たら、あなたがいると希望を持ちながら、起きると現実に戻り絶望感からの目覚めになります。 このような事から、あの世では苦しまないで欲しいと思いながらも、心から供養する事ができません。これからの人生明るくなるとは到底思えません。 時が解決してくれると皆は言いますが、ごめんなさい、そうは今の所思えないのです。 自分でも、このような感情でいるのがほんとに白状な事だと思っていますが、やはり心から供養できないままです。
はじめまして 現在独身で、関係が良好で健在の両親とペットたちと敷地内同居しています。 最近自律神経の不調により精神不安が増大し、将来や死について考え過ぎてパニックになり様々な不調が出てきました。 今は少しずつ改善されてきましたが、未だに不眠や不安で苦しくなったりします。 精神不調の時は「今〇歳だから△年後に衰えて□年後に亡くなってしまうんだな」と考えて、収入についての不安というより心の寂しさが大きく強くなってしまい目の前の作業効率が落ちてしまう事があります。 死については、このサイトの他の方の問答を拝見したり色んな方からのアドバイスで「死後家族や縁のあった動物たちや友人たちとの魂の繋がりは無くならないので安心してください」「両親も自分たちの両親に会える幸せがある」「死は不幸では無い」「また会える」と受け取れる内容のものがあり、そういうものなんだと考えると死自体についての恐怖は少し緩和されました。 しかし、今生きていて、現在パワフルな両親が数年後衰えて介護が必要になる姿を目の当たりにした時のショックは大きいだろうな、本人たちも苦しいだろうな、社会性の乏しい自分が介護や契約等きちんとフォロー出来るだろうか、市役所が助けてくれるのだろうか、今元気なペットたちもいずれ…そもそも自分が先に自死では無く事故や病気等で亡くなってしまったら…と想像した時にまた不安が増大します。 目の前にある成長のための物事に一生懸命取り組みたい、進化したい、けど避けられない将来の寂しい思いが強く出てきて不安が増大し、立ち止まってしまいます。 両親への敬意や感謝の気持ちが非常に強いので、寂しさが強いのだと思います。 ペットロスは3回経験しましたがとても辛かったです。 姉夫婦と甥と姪が隣県に居ますが、関係が良好でも頼っても良いものなのかという不安もあります。友人たちも遠方なので苦しい時は一人なのか、というのも不安です。 自律神経の改善が進めば多少落ち着くと思います。将来寄り添ってくれる友人と出会えるかもしれない。自動運転や色々な相談窓口等世のシステムが進化して生き易くなってるかもしれない。とポジティブに考えたいのですが、やはり不安が強いままです。 考え方を上手に切り替えるアドバイスやお話を頂きたいです。 宜しくお願いします。長文失礼しました。
自殺願望で多々ハスノハの皆様にお世話になったものです。これまでさまざまなお言葉を頂いた身で申し訳ないのですが、今一度お力添えを頂きたく存じます。 私はこれまで、「やることが思いつかない」「死ぬという恐怖にかまけることが嫌い」「社会貢献を盾に社会の一部分である個人を殺しうる今の日本の労動環境で生きたくない」といった言い訳をしながら、どうやって死の痛みや人情による自殺の意志のブレに立ち向かうか、ということばかり考えてきました。 希死観念が薄れてきた今、その理由を自分なりに分析したのですが、その結果「家族の不甲斐ない面に執着してきた」という結論に至り、その執着をどう払拭すべきか迷っています。 私の両親は自分が希死観念の悩みを打ち明けた時に「生きててよかった」と言ってくれる人情の持ち主ではあるのですが、父母ともに看過できない欠点があります。 まず、母は祖父母から戦争経験を言い聞かせられたことで過保護で心配性な面があり、食事を作りすぎる悪癖があります。私はそのせいで幼少期から肥満に悩まされたこともあって食事制限と運動を一年ほど続けて体重を10キロ落としたのですが、母はそのことを今も良く思っておらず、帰省時に私が食事を減らして欲しいという度に不機嫌になります。 父は、母よりは精神的に落ち着いてますが、山奥の集落育ちで地域の外との交流が浅かったためか度が過ぎる不器用を見せることがあり、父方の祖母の嫁いびりを咎められず母にトラウマを植え付けてしまったり、効率の悪い仕事ばかりして母を怒らせてしまったりすることがあります。 ただ、私が一番気に食わないのが、こうした問題点を咎める度に「仕事が忙しくてできない」「年のせいで上手くいかない」「人間はお前みたいに強くない」などと言い訳をして逃げ腰になる両親の姿勢でした。私の希死観念は、どうもそうした元来の人の弱さを克服したい、という克己心が暴走するあまり、死の恐怖すら克服しようとしたものではないか、と思っています。 私は、人の内発性を出来るだけ尊重したいと思ってるので、最近は両親に苦言を呈する事は無くなったのですが、こうした両親に対する諦観を野放しにすると、自身の反骨精神がまた暴走しかねないという不安も抱えています。 人道で悩むべきか。修羅道で戦い続けるか。今、選択支の瀬戸際で悩んでいます。
これまで自殺願望について何度もご相談させて頂いたものです。皆さんの真摯な対応のおかげで希死観念は徐々に薄れてきて、心の余裕が出来た事で過去の自分と向き合う事をしているのですが、その中で気がかりな方に気づいたので僭越ながら再びご相談させて下さい。 私は、自由意志の尊重をきっかけに自死について興味を持ちました。「他人に命のあり方を左右されるくらいなら自分で死んだ方が得心が行く」という心持ちに至った訳です。 その発端は世間にはこびる根拠の薄い方便でした。「死は悪である」「子供を産むのが人のあり方である」「生産性の無い人は生きてはいけない」…こうした社会を回す為の方便を自明の考えとして押し付けられる事は今でも受け入れられません。 特に、死を絶対悪とする発想は金輪際受け付けないと思っています。現在の自分は生の目的を少しずつ見つけたので辛うじて死を適度に恐れていますが、それでも全ての人に悪であると考えることは思い上がりも甚だしいと多々感じます。 逆も然りです。誰かの生き様に無責任な横槍を入れる発言を私はしたくありませんしまして本人の納得の外で当人の生き死にを自分が左右する事に大変忌避感を覚えます。恐らく政治や企業経営などは自分には全く向いていないのでしょう。 このように自他の意志を尊重しようとすると、どうしても傍観者の立場を取る事になり、一向に他人との繋がりを見出せなくなってしまうのです。 自己という存在は縁起で成り立っているという事を知っておきながら、いざ生活すると他人の預かり知らぬところで淡々と幸福を追求することになります。 全くもって不思議です。 つまるところ、今の自分は人間不信なのだと思っているのです。 他人が信用できないから自分の力でどうにかする術を追求し続けたということです。しかし、そのあり方を果たして続けていいのか、いやしかし「貴方の為を思って」とうそぶきながら自己の為に他人を操作するのもどうなんだろうか、そんな事をずっと思い続けているのです。 これは果たして人間の在り方としてどうなんでしょう。それとも私は人間を名乗る事を辞めた方がいいのでしょうか。
以前から希死観念について相談させて頂いている者です。何回もお世話になり申し訳ありません。 これまでの相談で、私は生きる理由が無いにも関わらず原始的欲求や死の苦痛に対する恐怖、なけなしの人情などに屈して死ねない自分に苛立ってきました。そんな中で「人の煩悩、ひいては人という概念に打ち勝つ」という人生で初めての目標を持ち、それを自殺によって達成しようと思いました。 しかし、数々のご相談で皆様になだめられ、煩わしさを感じながらも踏み止まる間、ある偉人の格言に出会いました。 「戦いは万物の父である」 古代ギリシャの哲学者ヘラクライトスの言葉です。 彼は「存在する」という万物の本質を「空間や構成要素の奪い合い」つまり戦いと解釈し、万象を陰陽や男女といった対立概念で説明した人です。 しかし、彼は決して酷薄な考え方をしたわけではありませんでした。何故なら、彼の言う戦いは、相対する存在を断滅する事だけではないからです。 彼は、対立概念が共倒れしない理由として「調和」というあり方を提唱しました。対立概念が居場所を取り合って争ううちに譲歩の仕方を学び、釣り合いを取るというあり方です。それは、片方が死滅するまで終わらぬ死闘ではなく、鎬を削りながらも相手を尊重する世界一優しい戦いです。 私は、生命の本質に抗う自分を戦士として鼓舞し、死という選択肢がありながらその恐怖に屈する人々や頑なに生を説い続ける皆さんに辟易していました。そうしていれば、生に抗う自身が特別に見えたからです。 しかし、存在することは戦うことだと説くこの格言を言い換えるとこう表せます。 人間は生きるだけで戦士である、と。 生に屈したと思われた人たち、生を説く皆様は死に抗っていました。戦う相手、戦い方が違うだけの戦士だったのです。 仏道を進む皆様はことさらに凄い。不完全な自身を抹殺対象ではなく研鑽の相手として受け入れた上、他人に寄り添って共に戦っています。自分を殺そうとした私と違い誰も殺そうとしない。 世界一優しい戦士だったのです。 私は戦い方を間違えていました。今やるべきことは死を恐れて理想から遠ざかる自身を受け入れ、研鑽し続けることです。 前置きが長くなり申し訳ありません。 私は皆さんのように、万象と調和する戦い方をしたいです。 世界一優しい戦い方の心得を教えて下さい。