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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2817件

仏門に入れば戒律を守らなくてもお坊さんとよべるのでしょうか

戦国時代の大河ドラマをみていました。 織田信長が比叡山を焼き討ちにした後、信長の奥さんがお坊さんをたくさん殺すなんてとんでもないと信長を激しく非難します。 しかし、信長は「比叡山の僧は酒をくらい女を抱き、夜盗のような暮らしをしている。あんなものは僧ではない」といいます。 だからと言って殺していいわけではないと思うのですが、確かにお坊さんなのに武器を持って武士を殺し、仏を敬わず酒色におぼれる。 お寺に住んでいるけれど、戒律を守らずに略奪ばかりしている。 とてもお坊さんと呼べるような人たちではありません。 もちろん時代劇ですので、面白いように脚色しているのはわかります。 しかし、現代でもお坊さんなのに悪いことをする人もいるし、権力闘争で世間を賑わす人たちもいます。 一度仏門に入ってしまえば、悪いことをした後でもお坊さんとしていられるのでしょうか。 お坊さんも僕らと同じ人間なので、誘惑に負けたり間違った判断をすることがあると思います。お坊さんが悪いことをするとどうなるのですか?悪いことをして死後地獄におちた場合、お坊さんだと仏様に近い生活をした分だけ罪が軽くなるのでしょうか?

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将来の考え方について

こんばんは、以前友人関係で相談させていただいたものです。その子とは和解できました! この春高校生になりました。わたしの通っている高校は進学に力を入れています。しかし、私は将来の夢ややりたいことが決まっていません。 前は動物と小さい頃から一緒で困った時には支えてくれるので恩返しがしたいと思い獣医など動物にかかわる仕事がしたいと思っていたのですが、経済的に厳しくなくなく諦めました。 別のことをさがしていました。 修学旅行の時法話を聞き、自分でも誰かを救えるのではないかと気づき仏教やお坊さんについて興味を持ちました。 先日駒澤大学のオープンキャンパスに行ってきました。仏教学部の資料館の見学や写経を体験させていただきました。写経ではすっと集中でき、周りの音が気にならなくなり、とてもいい気持ちよくなりました。また、仏教の世界に感動しました。 仏教やお坊さんについて教えてください。 1つ目は身内にお坊さんがいないのですが、私が志しても良いのでしょうか? 2つ目はお坊さんや尼さんをやっていて良かったと思ったことを教えてください! 3つ目は尼僧さんはどのような場所でおつとめできるのでしょうか?また女性を受け入れていただけるお寺はあるのでしょうか? まだまだ未熟なので失礼な質問があったらすみません。よろしくお願いします!

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祖母のお骨についてアドバイスお願いします。

昨年祖母が亡くなりました。 葬儀は密葬で行い、お寺を通さなかったので祖父や曾祖父母が入っているお墓に納骨しておりません。 当方は結婚して実家を出ている為、このお墓に今後入る予定はないのですが実の両親はこのお墓に入りたくないので祖母のお骨も入れていません。 両親がこのお墓に入りたくない理由としては祖父が他界した時(約20年前)このお寺から戒名代もかなりな高額で、その時の住職さんやお寺関係者の態度も傲慢だったのが父には我慢出来なかったそうです。 その後、事あるごとに実家にとって高額なお布施やとうば代を要求するお寺のやり方についていけないのもあり、お寺の方針を受け入れられないのです。 その為両親はお寺に不満が溜まり、祖母と話し合った結果、祖母のお骨は手元に置いておくという約束を生前の祖母としたみたいです。(当方は祖母から実際にこの話を聞いていないので両親が本音で話しているかは不明ですが…) しかしこの決断を受け入れられない叔父や親戚から「祖母をきちんとお墓に入れるべき・お金の問題ではない・祖母が可哀想」と言ってきます。 父は断固として叔父や親戚の意見を受け入れずにいます。 私は嫁に出た立場なので何も言えませんが、故人のお骨で家族や親戚がいざこざ起こすのは祖母が一番悲しむと思います。 私は今後どのようにしたら良いでしょうか? 私は祖母の意思を尊重してあげたいとも思うし、交友があった親戚が祖母をお参りしたい気持ちも分かります。 ただ喪主である父の意思が固すぎるので何を言っても父は受け入れてくれません。 

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いつかその日が来た時に

いつもこちらではお世話になっております。 沢山の教えの中に日々気づきを頂いております。 ありがとうございます。 今日相談させていただきたいのは、檀家というお寺との関わりに関してです。 以前にも相談したことがあるのですが、私には歳の近い親戚が突然死したこともあり、不安症なところがあり、発作的に「家族の死」を考えて落ち込みます。 ですが、従姉妹の死が「その時が来たら、自分が見送られる側じゃなくて、見送る側だったことを見つめるんだよ」「あなたがこっちにきたら私も、祖父母も、みんないるから、会えるから寂しくないからね」と、教えてくれているようで、時間を要しながらも、今目の前にいる家族を大事にしよう。と、顔を上げることが出来ています。 そして、いつも思うのが、 わたしには今恋人も、自分の家族もいないので、いつか一人になった時に、誰にもこの悲しみを言えずに悲しみから抜け出せずに潰れていくのではないかということにも不安の要素があるのだと気付きました。 そこで思ったのが、 自分が日頃から関わっているお寺があれば、日頃からもっと仏教に触れることはもちろんですし、葬儀でお経をあげていただくことになっても、知っているお寺の方でしたら気持ちが落ち着きますし、法名の相談もできるかもしれません。 何より一人で辛い時には説法を聞きに行けたりして、孤独ではない、自分が生きているのは今であるということを感じる時間を持つことができるのではないかと思いました。 ですが、我が家は既に地域の納骨堂を用意しており、お墓のことを含めて檀家にというのは難しく思います。 更にお寺によるかと思いますが、お金もだいぶ掛かると聞きます(収入はそんなに高くないので) この場合、檀家になったり、馴染みのお寺を見つけることは難しいことなのでしょうか。 もちろん一番大事なのは場所ではなく、気持ちだというのはわかっているのですが、未熟者ゆえ、このように考えてしまいます。

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人生のタイムリミットに焦っています

日々、心の中に焦りのような恐れのようなものがあります。 死というものが、必ず訪れる、しかもいつ訪れるのか解らないということに言いようのない恐怖と悲しみがあると同時に、いまこのある生を良く過ごせているだろうか、という強い焦りがあります。 以前は楽しめていた趣味も、こんなことをしていていいのだろうかと過ぎってしまい楽しめません。 仕事をしていても、こんなことを続けていていいのだろうか、と身が入りません。 休日、一日中布団の中で寝たり起きたりをして体力を回復するだけに一日使った日はとても悲しい気持ちになります。 コロナ問題もあり家からあまり出ない生活をしていますが、まったく人と会わないままあっという間に日が過ぎてしまう・・・ 日本人の平均寿命からして、健康寿命がこれくらいなので、そうするとあと1万日程度だろうか、いや、何らかの理由で死ぬのは明日かもしれない。そんな貴重な1日を、1週間を、1ヶ月を、こんなふうに暮らしていていいのだろうか。そんなことばかりを考えてしまい、特に夜になるとつらい気持ちになってしまいます。 ずっと、時間が無限にあるかのように過ごしてきてしまいました。 いつかやればいいだろう、と色々なことを先送りにしてきましたが、先送りした先に時間がない、というのが、この人生の折返しの歳になって切実になってきてしまいました。 それにも関わらず、これまでのクセがあってなかなか動き出せない、そんなことにも強く焦りを感じます。 どのように心を持てば、穏やかに過ごせるようになるのでしょうか? お導きいただけますと幸甚の至りです。

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離れて住む姉の死

今月離れて暮らす姉が突然亡くなりました。訃報を聞いた時からなにが起こっているのか現実を受け止められずにいます。 駆けつけ、姉の顔を見た時に本当に亡くなってしまったのかと思いました。 葬儀やその後の手続きで忙しかったということもあり何かよくわからない感情のまま時間が過ぎてもうすぐ1か月になろうとしています。 姉が居なくなってしまったという空虚感が残りました。 ただ本当は帰ってくるのではないかとか、どこか遠くに行ってしまっただけではないかとか受け止められずにいてまだ悲しみに暮れるということがありません。 年老いた両親の憔悴した姿を見たということもあり、支えることに必死だったというのもあります。 強がらなくていい、気丈に振る舞わなくていいと言われますが私自身普通にしているつもりではないのですがよくわからない感情の中で今を生きています。 葬儀のときも私は涙は出ず参列者の方々の方が泣いていたりしていました。 昨日は、姉とよく行ったショッピングセンターで夕陽を見た時に胸が苦しくなったり、夢で会えた時涙がつたっていたりと小さな悲しみがくる時があります。 いつか姉の死を受け入れ、こんなふわふわした感情ではなくなる時がくるのでしょうか。

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