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hasunoha 問答検索結果 : 「私 あの世 」
検索結果: 740件
2023/10/20

性同一性障害の手術とご先祖様との関係

私は、現在25歳の男性で、性同一性障害に幼い頃から悩んでいます。 治療をすると子孫は残せなくなります。 親は性同一性障害に理解がまったくなく、治療に真っ向から反対で 「この代でこの家系を途絶えさせたらあの世でどうご先祖様と顔を合わせるのか?」と言われております。 今現在、味方が家族の誰もいません。 私自身、そういう言葉や状況で身体に手をつけるのは踏みとどまって生きてきました。 しかし、苦痛が限界を突破しているのか数年前に精神疾患を発症し、かなり追い詰められており、もう少し自分に素直に生きようと思い、家族との問題はいったん諦め、支えてくれる友人たちに助けてもらい、親には秘密で思い切って手術を受けることを決めました。 しかし、家庭環境以前にまったく関係のないご先祖様に対し、大変罰当たりなことをしていることは私もわかっています。 まずは大好きだった祖母の墓前で「ごめんなさい、あなたにひ孫を見せられませんでした。お許しください、また、私の代で家系は終了です、申し訳ありません」と謝罪しました。 とにかく打てる手は全て打ち尽くし、来週手術に臨むつもりで、自分の人生にとっては最高の選択なのに、どうしてもご先祖様のことで心の中にもやもやが残っており、前向きな気持ちで手術を受けられそうにありません。 1.あの世に行った時に私はどのようにご先祖様に顔向けすればよろしいのでしょうか…。 2.このまま我慢して男として生きていくべきだったのでしょうか…、、。 3.私が最後の代=墓が無くなってしまうのですが、それは罪なのでしょうか…? 4.罪深いことをしてしまった私は、残りの50年くらいの人生、どのようにご先祖様と向き合っていけば良いのでしょうか… 長文乱文申し訳ありません。何卒よろしくお願いします。

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死について

このタイトルの質問は多くたくさんは拝見するのですが、少し私は考えが違うかもしれませんので、投稿させていただきます。長文御容赦ください。 私は死について考え出したのは小学6年生の時でした。 そのときは、死んでしまうともうこの世には帰ってこれないし、今楽しいと思うことはもう二度とできない。といったものでした。 そして、考え方は年々変化しました。 今は以下のことを考え、夜になると吐き気をもよおすこともあります。 ・死んだらどんな姿になるのか ・姿が変わっても親や妻、夫に会えるのか、また後から来る人にも会えるのか ・生まれ変わるというが、今実際前世何かだったという記憶も多分ありません… ・あの世でも老化ということがあるのか?あればどのくらい前の人まで会えるのか?なければ老けない姿でどうやって会いたい人を探すのか? ・なんといっても向こうでも働くのか?食べるのか?ずっと活動するのか? といったことがこれでも一部ですが、考えてしまいます… 誰も死に逢ったことはないし、わからないものです。 ですが、かといってこういうふうな捉え方をするなと言われてもできそうにはありません… ありがたきお言葉をお待ちしております……

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人は死んでも見ていてくれるのでしょうか

人は死んだら無になるのでしょうか。仏様になって私たちを見てくれてはいないのでしょうか。 幼い頃から大好きで大切だった祖母が最近、亡くなりました。私の家には仏壇が無いため(親戚の家にあります)、祖母の写真を置き、その前にお供え物をしています。祖母は亡くなるまでの半年間は食べ物や水を一切口にすることができませんでした(病院から飲食を禁じられており、栄養はカテーテルで摂っていました)。しかし本人はずっと「食べたい」「水が飲みたい」と言っていたのにそれが叶うことなく亡くなってしまったため、あまりにも哀れで、せめて天国ではたくさん食べてほしいと思い、お供え物をたくさんしています。けれど、ふと思うんです。こんなことをして、祖母は食べてくれているのだろうかと。人は死んだら仏だのあの世だの霊だのそんなものはなく、完全に無になるだけなのではないかと。だとすれば、毎日あれこれと飲み物や食べ物をお供えしているのは、単なる私の自己満足に過ぎません。それを考えると、虚しくなります。仏もあの世もなく無になっているのなら、お供え物もお墓参りも完全に意味の無い行為と言えます。ネットで色々と検索してみたら、霊感のある人は「ちゃんと食べてくれている」という意見を述べていたのですが、私には霊感がないので何も感じ取ることができません。 それに、祖母は20年以上前に亡くなった祖父のお墓参りをずっとほぼ毎日やってきましたが、祖父が見てくれていたようにも思えないのです。なぜなら、祖母は長年、体の不調に苦しみ続けていましたし、長文になるので割愛しますが最期の時もあまりにも惨めなものでした。よく「故人を思ってお墓などを大切にすると幸せになれる」ということを聞きますが、祖母は最後まで哀れでした。このことを考えると、やっぱり人は死んだら無になるだけで、それ以上は存在しない、つまり私たちを見てくれてはいないのかなと思えてしまいます。 難しい質問かとは思いますが、回答、宜しくお願い致します。

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夫のお位牌とお骨を義父母から返してもらうのは非常識?

二度目の質問になります。 昨年他界した夫は、夫側の先祖代々続くお墓で眠っています。そして、私と義父母は険悪な状態です。 義父母は長男である息子が亡くなったことで、その子供であるうちの長男を跡継ぎにと考えているようですが、夫の死から数知れぬ仕打ちをされてきた私たち家族にとって、義父母とは二度と会いたくない存在です。 私自身、婚姻関係終了届を提出すれば他人になれますが、子供たちはそうはいきませんし、完全に縁を切ることで夫が眠るお墓の問題が出てきます。夫には姉が一人いますが、すでに嫁いでいます。 百か日は私と子供が欠席で、あちらの親族のみで行いましたが、今後は義父母が欠席しても、しっかり喪主を務めてほしいと言われました。 私自身、喪主をするのは全然問題ありません。しかし、正直お寺さんも義父母とは精通する仲、しかも葬儀の時子供たちのいる前で散々夫の死を悪く言われたのでお願いしたくありません。 彼らを見てると、所詮見栄と体裁と金だけか!と強く感じています。 義父母は、相変わらず私の兄弟や友達に電話し生前残した夫の負債額や私の悪口を散々語り、挙句には残された財産や年金額をしきりに聞き出そうとしています。もう、はっきりいって全てが恐いです。 私は、鬼になろうと思いました。もうこれ以上振る舞わされたくありません。もう終わりにしたいんです。 私が死んでもあのお墓には入るつもりはありませんし、子供がお墓を守るか否かは子供が成人し物事の分別が付くようになってから子供自身に考えさせたい。だから、無理やり押し付ける事だけはしたくない。 でも、義両親はそれを待ってはくれない。 そんなんだったら、今後争うことを覚悟で夫のお位牌とお骨を家族のもとに返してもらい、全てを清算したいと考えています。 これって、矛盾ですか?これって勝手ですが? これらを実行することで、夫はあの世で苦しむのでしょうか?独りぼっちになって悲しむのでしょうか? 宗派が違うお墓に夫を眠らせたら夫は苦しみますか? 私の考えは、この世にいる身勝手さで、あの世では通用しない話なのでしょうか?すべてが分らなくなりました。 支離滅裂な文章ですみません。 どうか、どうか、助けてください。

有り難し有り難し 12
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月命日に来られるお坊様。

4年前 大学卒業間近の息子を事故で亡くしました。あまりにも突然の死を受け入れ事は出来ず、未だに涙する日々ですが、毎朝、お仏壇にお花、ご飯、コーヒーをお供えしお線香を上げて、「我が家に生まれてきてくれてありがとう。亅と語りかけています。友達も多かったので 帰省の折には、必ず我が家にお参りに来て下さり、お線香を上げ息子を偲び、私の体調を心配してくれます。 優しいお友達に恵まれて、本当に幸せな21年間だったのだなあと思います。   お坊様にお聞きしたい事は、月命日に 来て下さるお坊様が、お供えしてある お土産や本、手紙などを、当たり前のように、手に取って、中をみたり読んだりされるのが嫌で、辞めて頂きたいという相談です。 お茶を出すために、席を外し戻ってきたら、遺品の財布を開けられている事もありました。お坊様だから勝手に触る権利はないですよね。その方個人のモラルだと思うのですが、お坊様が来られる日は、お仏壇の周りには、何も置かないようにしています。   ところが、先日お茶を持って部屋に戻ってきたら、息子のパスポートを見ながら 「あちこちの国に行かれたのですね。」 とー 床の間の端に置いてあったパスポートや 本を離れている場所から持ってきたようで、パラパラめくっている所でした。 悪意はなく、ただ興味本位でされている様ですが、不快でたまりません。 実はお経を上げている時も、珍しいものがないかと、首がぐるぐる回ってあちこち見ているのが、後ろに座っていてもわかります。世間話でも、自分の息子の話をされているので、配慮のない方だなと悲しくなります。 主人の家が長くお世話になっているお寺ですが、月命日の日が本当に憂鬱です。 主人は、私以上に悲しみの底にいて 未だに、お墓にも行けず、お仏壇にもお線香を上げる事はできない状態ですので、相談もできません。 私が、神経質なのでしょうか? 出来れば、月命日に来られる方も、他のお坊様に変えて頂きたく思っています。 どうか、良いアドバイスをお願いします。 長文読んで頂き、ありがとうございました。

有り難し有り難し 57
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読経

昨日、母の初盆で自宅にお坊さんに来ていただき、読経していただきました。 今まで無宗教だのあの世は信じないだの威勢のいい言葉を並べて生きてきましたが、母の死に直面して、純粋に「苦楽から解放されてあの世では安らかに過ごして欲しい」との思いで父方の宗派の浄土真宗大谷派のお寺さんにお願いして節目の法要をお願いしています。 お坊さんの法話で、私たちが心配しなくても極楽浄土で過ごされているから心配は無用なんだとの旨を教えていただき、少しずつ自分でもネットで調べて仏教に触れ、今まで無知だった仏教に対しての印象も段々と変わってきました。 そんな私のお坊さんに対する疑問ですが、母の法事のお坊さんの読経中は生前の母は「こんなことあったな」「あんなことあったな」と色々思いを馳せたり、お坊さんの「南無阿弥陀仏」が聞き取れた時はお坊さんの言葉に重ねて頭の中で南無阿弥陀仏と唱えているのですが、未熟なものでそのうち「お経長いな」とか「お坊さん、歌うまそうだな」とか「お経は何て言ってるのかな」とか色々と雑念がわいてきて、母や法事と無関係なことを考えてしまいます。正直お経の意味すら知らない自分が読経に合わせて手を合わせることに意味があるのかなんていう素朴な疑問もよぎります。 自分でも失礼だと思うし、「せめて今日ぐらいはお袋や先祖さま、お袋も可愛がっていた先代のペットのことを考えてやれよ!」と自分自身に突っ込みをいれたくもなるのですが、失礼な言い方ですが読経に自分でか「飽きてしまってる自分」もいるのだと思います。 そこでお坊さん方にお聞きしたいのですが、法事はもちろんこれからも参列する機会もたくさんあると思いますが、お葬式やお通夜など含めてお坊さんの読経中はどういった心持ちでいるべきなのでしょうか? もし同じような雑念が出てきてしまったら、どのように持ち直す?脱線を修正したらよいでしょうか? またお坊さんたちは自身のお勤めの際、どのようなお気持ちで読経なさるのですか?例えば劇の時のように、感情を込めてそのたちばになりきるように、お経の中の言葉の意味に思いを込めて唱えられるのでしょう?また同じような雑念がわくことはありますか? 子供じみた質問で申し訳ありません。

有り難し有り難し 15
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2024/09/29

トラウマと負の連鎖について教えてください

詳しくは書けないですけど、当時の父の心情や諸々の理由から自死だと私は確信しましたが、でも母と弟は頑なに認めず周囲に不慮の事故死だと説明してました。 生前の父は普段は寡黙でしたが、毎晩家で大量の飲酒をして酩酊状態でコンビニや行きつけの呑み屋まで行こうとしたり(さすがに車には乗りませんでしたが、自転車で蛇行運転して警察のお世話になった事が何度かありその度に私と母が迎えに行って謝りました)、友人や親戚に片っ端から電話を掛け朝方まで長話に付き合わせたりしてました。 それでも、私達に暴力を振るったり仕事を辞めたりしなかったのは不幸中の幸いだと思ってます。ただ、父は最期まで精神科を受診せず、代わりに(?)母と私が通院し、私は通院してた病院が最近閉院してしまって以来、どこにも通えてないですし薬も服用していません。 弟は父がまだ生きてた頃には既に自立してましたし、今は家庭を持ってますけど義妹(弟の妻)とは結婚どころか交際を始めたのは父が死んだ後です。なので彼女は父の事は一切知りませんし、母の介護にも非協力的です。 実は父は自分が亡くなる50年前に大学の同級生が命を落とす現場に居合わせていて、その方とは死因や状況がほぼ同じだったため、葬儀に参列した一部の友人が『あいつは◯◯(前述の若くして命を落とした友人)にこの50年間恨まれ続けてたに違いない。だから◯◯があの世に連れて行ったんだ‥。』とヒソヒソ言い合ってたり、中には母がその事実を知らずに父と結婚したんだと思い同情した人もおりました(何を思ったか、葬儀終了後に母に直接伝えに来たので)けど、母は『そんなのとっくの昔に知ってた。でもその上で私は一緒夫の側にいようと、むしろ自分の愛の力で死にたい気持ちを払拭させてみせよう!と決意したんだから後悔してない。』と、泣きながら話していました。 ですが、それが母の本心だったならあまりにも軽率というか、正直浅はかだなと思いました。 母は加齢と共に希死念慮が年々強くなり、同居する私の手に負えなくなりつつあります。私は独身なので、可哀想ですが近い将来施設に入れる事も考えてます。 浴びる様に酒を呑んで大勢の人に迷惑を掛けて身体も壊して、最終的に親友と同じ死に方をした父は、今度は私や母を道連れにする気でしょうか? 私は別にいつ死んでも構わないんですけど、死んでからもこれ以上母を苦しめるのは許せません。

有り難し有り難し 5
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死後の世界について

最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。

有り難し有り難し 19
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