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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 死 」
検索結果: 865件

父親を亡くした子どもへの寄り添いかた

以前から拝見していましたが、ご助言をいただければと思う出来事があり、、初めて質問させていただきます。 娘の保育園の関係で親しくなった一家の旦那さんが、少し前に若くして病気で亡くなりました。 その家には2人の子どもがいますが、お母さんは気丈にがんばっています。 私もなるべく力になれればと思い、一緒にご飯を食べたり、話を聞いたり(とはいえあまり自分の辛いことを話さない人なので、世間話や仕事の話、子どもたちの話題ばかりですが)、大変なときは子どもたちを預かったり、、というようなことをできる範囲でしています。 子どもたちも小さいなりに(小学1年生と4歳)父親の死を理解しているのですが、特に上の子(男の子)は小学校という新しい環境に入ったばかりということもあるのか、穏やかだった以前とは違って最近はいつもイラだっているか、自分の欲求をまわりにぶつけて、意に添わないと一緒に遊んでいる妹やうちの子をいじめたり暴言を吐いたりしています。 この年頃の男の子は多かれ少なかれそんなものだとも思いますが、やはり寂しさや、どこにもぶつけられないモヤモヤが、怒りやイライラとなっているのではと思うと、かわいそうになります。 お坊様がたにお聞きしたいのは、 このような場合、周囲の大人は小さい子どもたちにどのように接すれば、少しでも安心感をあげられるか、そしてお父さんの死を、どのように扱えば良いのか、ということです。 子どもたちには特に、今までどおり何も変わらない接し方を心がけていますが、もし伝えてあげたら子どもが少しでも楽になれるような言葉があるのなら、伝えてあげたいです。 こうして書いていると、お坊さんではなくて児童カウンセラーに質問すべきことかしら…と思えてきましたが(汗)、色んなお立場からのご助言をいただけたらと思い、質問させていただきます。

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彼女のお父さんがお亡くなりになられました

こんにちは。 昨日、私の彼女のお父さんが癌のためお亡くなりになられました。まだ若く70歳でした。 2年前の11月に年内までと余命宣告を受けておりましたが、お父さんの生きる気持ちが強かったのか余命宣告を受けた後もしばらくはとても元気に生活をされていたと聞いています。 ここ数ヶ月は体調の悪化で入退院を繰り返し、後半は酸素マスクが必要な状態となっており、私もそのタイミングで初めてご挨拶をさせていただきまして、そのちょうど1週間後に息を引き取られました。 彼女は、お父さんがいなくなった悲しみや「余命宣告されてから2年間もあったんだからもっとお父さんの写真や動画を撮ったり、親孝行しておけばよかった」といった後悔を感じているようです。 こうした悲しみや後悔の心の状況にある彼女にお坊さん方から、何かお言葉をいただけると幸いです。 また、これからもっと想い出を作っていきたかっただろう彼女の気持ちや、お会いした時のお父さんの顔を思い浮かべると私自身も辛くなる時があります。 私の心の持ち方や彼女にこれからどう接していくのが良いのかも合わせてアドバイスいただけたらなと思っております。 どうぞ、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
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2025/06/07

苦しいです

いつもコメントをくださる皆様ありがとうございます 母の自死からなんとか立ち上がろうと何度もここを頼らせていただいています だけど…限界を感じています 母の死を受け止めようとしましたし、残されたいざこざもなんとかしたい・なんとかしようと思ってきたのですが… 心と体が悲鳴をあげています なんでもない瞬間に涙が出たり、ただただそこにいることがとても恐ろしくなり…例えばベランダから飛び降りそうになってしまうのです それを抑えるのにも大変な労力が要ります たぶんですけど、母もこんな状態で死んでしまったのかもしれないと思いました とても悪い意味で「心が震える」という感じでしょうか… 胸が痛く、苦しく、呼吸もままなりません でも、どこも悪くありません すべてストレスでしょう きっと、私の自然な死はまだまだ それまでこんな心と体の苦しみは続くのでしょうか 残された実家の家族を、私には支えきれない 手を離したい でも、 私が手を離したら…きっと家族の誰かが母の後を追う 福祉に繋げたつもりだったけれど、家族が福祉を拒みました… もうどうしていいかわからない… 私にできることはない… 勝手に手を離しても、「家族」だから いつか私に尻拭いがやってくると思うと… 生きている意味があるのでしょうか ただ苦しいだけです 人間誰しも、楽しいばかりではないです みんな何かを抱えている わかっているのだけど… それを乗り越えられる強い人がいて でも、乗り越えられなくて自ら死を選ぶ人もたくさんたくさんいて 私は後者なのだととても強く感じています 私にはずっと希死念慮があったけど、 それとは違う「限界」を 今まさに感じています できれば家族のためにもここは乗り越えたいです 一時的なものでも構いません 何かアドバイスをいただけないでしょうか… よろしくお願いいたします

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【失礼をお許し下さい】仏様は、精神医学がそんなに嫌いかい。

いつもお世話になっております。 暴言、失礼発言お許しください。 仏教、坊さんって精神医学とか発達医学そんなに嫌いなんですか?じゃあ今まで私が拝んできた仏様は一体なんだったのさ? ✳︎ 先日、菩提寺の僧侶と話をしました。 「貴女は自分を自閉症だって言ってるけど、思い込まされているだけだからね。 医者如きが数値や検査結果で人格決めるとかwあなたの何がわかるっていうの? そんなだったら宗教成立しないからwww」 確かに私は自閉症ではありません。 「自閉性スペクトラム障害(別名:広汎性発達障害)」と診断は受けましたが、それで混同したと思われます。 ✳︎ その後薬を自己判断で中断し、著しく症状が悪化、職安の担当者さんにきつく叱られました。 「無責任な発言。希死念慮のある人だったら自殺未遂をする」とも言っていました。 ✳︎ この話をその僧侶にしたら 「本当にごめんね!ちゃんと病院行ってる?薬飲んでる?」と心配してくれている様ですが、 未だに腹の虫が治りません。まるで 「仏教的に見ても精神疾患、障害者は悪!!」 とでも言いたげな発言でした。 ✳︎ 仏教は、精神医学、脳神経医学が嫌いなんですか?だとしたら、 これから私は何に縋ればいいの? 極楽浄土にも行けないの? 教えてください。よろしくお願いいたします。

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生きてるのが怖い

死ぬのは怖いです。 死は未知です、五億年という時を経っても意識は永久に無くまるで気絶した時のようです。 私はとても自殺願望が高いですが、私でもわかるようにこの世にいる人は誰も本来的には死にたくないと。 死はとても美しいものです、全てが虚無になります。 どんなにクローンが生まれたとしても、それは自分の意識でもなくクオリアもありません。 しかし同じように生きてるのも怖いです。 人生一回しかないという重い重い現実があります、そこにはどんな物理法則も変えられないという絶対的なルールがあるので一度でも足を切断やらしたら永久に手が生えてくる事もありません、誰かが死んだら永久に会えません、一度顔面に塩酸をかけられたら二度と顔は再生しません、一度ホームレスになると一生勝ち組になれません、一度HIVになると一生治りません。 悲惨な人生だったら一生悲惨なままです。離婚したら離婚したままで今後誰からも愛されることはありません。 そういうのが怖い。 人生は可塑性がありすぎて一度何かをやったらそこから変わる事がないです。 死と生は表裏一体です。 死があるから生が尊いものになります。一度しかないから一生とかいう言葉を使い自分の人生を有り難がります、死があるから身近な人が死ぬのを悲しみます。 私は、この物理法則が次々変わるのがこわいです。 現実が移り変わるのが怖い。 いまこの瞬間があるのが怖いです。 いつも恐怖や不安を抱えています。 私達は現実に金融資本で搾取されてます、労働で自分の貴重な人生の時間が搾取されています、二度と返ってこないです。 何処かで働いたら金になるだけでその時間は二度と返ってこない、私の親は底辺職に就いてたので何十年と人生を安く買い叩かれて人生という貴重な時間を費やしていました。 私は20代ですが私の貴重な時間を使用して作られた富を老人に吸われています。 また同じように過去の偉人や天才やらが貴重な人生を使用して発見、発明した数式や発明品やらなんやらを何の苦労もなく得ています。 そういうのが怖い。 いつか重い病気になったり、事故ったりして苦しみのが怖い。 来月の今頃は何か嫌な悩みが増えてると予想できるのが怖い 明日は口内炎で口が痛いかもしれない。 明後日は親友と仲違いするかもしれない。 生きるのが怖い。死ぬのが怖い。 恐怖から逃げたいです。

有り難し有り難し 13
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何の為に生きているのか

何の為に生きているのか、わからなくなる時があります。 後継の為に生まれたのか、自分の人生とは何か、眠れなくなるほどです。 何故、後継の話が出てくるのかというと、私の実家はお寺だからです。 特に、ここ数年は私が後継として見られるようになりました。 私には男兄弟がおらず妹が二人だけなので、後継として見られるのは自然なことだと思っており、またそれを受け入れているつもりでした。 そんな中で、私は後継の為だけに生きているのかという思いが出てきました。 理由として、周囲の友人が次々と結婚し出したのもあり、自身の結婚を焦っていること、また、難病を発症してしまい、妊娠・出産できるかわからない身体となったことです。 もし結婚できなかったら、もし子どもが作れなかったらと思うと、後継としての意味が無いのでは?と思い悩んでいます。 それでも、まだ若い妹たち(学生)に実家を任せる訳にはいかず、ましてや実家を手放す気にはなりません。 私は何でお寺に生まれたのかと思う始末です。 これも運命ならば仕方ないのですが、今後をどうしても悲観的に考えてしまいます。 家族には迷惑をかけると思うと相談できず、自分でもこんなことで悩むなんて…と泣けてきてきまいます。 長々と申し訳ありません。 少しでも心を軽くできたらと思い、投稿ささていただきました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 80
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忘れてしまいたいです

こんな質問、お坊さんにさせて頂いてもいいものか、迷ったのですが悩んでいます。どうか質問させてください。 私は思春期に両親共になくしました。 現在は大人になり普段は忘れて楽しく生活していますが、ふと、例えば故人の誕生日、命日が来た時、親戚からお仏壇にあげて!とお菓子が送られてきた時など 思い出して現実に引き戻されます。 その度に情緒が不安定になり泣いたり食欲がなくなったりで困っています。 私にとって両親をなくしたことは人生において最も邪魔な記憶であり、思い出したくないことです。 仲が悪かった母のことはもちろん、過労死の父も思い出す度に色々な感情が湧き上がってきて心がぐちゃぐちゃにされます。 出来れば全て忘れて、無かったことにして、自分の人生を前向きに歩きたいです。 仏壇も母が買ったものなので今すぐ捨ててしまいたいです。お菓子なんかあげたくない。もう私には関係ない。思い出したくない。 両親に関わる全てのものを視界から消したい。 記憶が消えたら、思い出さないでいられたらどれだけ楽か、さわやかな毎日なのかと考えています。 親不孝でしょうか。バチあたりでしょうか。でも忘れたいです。 許されないことでしょうか。

有り難し有り難し 26
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法事の際に受けた説法が引っ掛かっています

先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。 その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、 (忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。 その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。 つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、 『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。 ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。 身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。 また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。 その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。 (今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。) 不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。 余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。 もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。

有り難し有り難し 149
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2023/09/10

最愛のペットを殺めてしまいました。

昨日最愛のペットを私の不注意で殺めてしまいました。 その子はハムスターで「おはぎ」ちゃんといいます。 私の人生で初めてのペットで、妻が一目惚れをしてお迎えしたある意味特別な子でした。年は1.6年と人間でいう60〜70歳くらいです。 ※以下生々しい描写があります。ご注意ください。 その日はいつも通りおはぎちゃんがお外に出たがっていたため、お部屋を散歩させるべくケージから出してあげていました。おはぎちゃんはお利口なので目を離してても部屋をぴょこぴょこ歩いているか、飽きたら自分のケージに戻るような子でした。 少しして私と妻はコーヒーを買いにコンビニに行こうという流れになりおはぎちゃんをそのままにして家を出ようとしました。 車に向かう途中で忘れ物をしたので部屋に戻り後ろ手で部屋の引き戸を閉めようとしたら、いつもと違う感触が。 下を見るとおはぎちゃんが倒れていました。口から血を出してピクピクとしている様子。顔面蒼白で叫ぶ妻の顔。ジタバタしながらもがき苦しみ普段鳴かない子がキュゥキュゥと弱っていく様子。 ことあるごとにフラッシュバックして自責と後悔の念に駆られ胸が痛いほど締め付けられます。 その後、1時間かけて緊急の夜間病院に車を走らせましたが間に合わず息を引き取りました。 おそらく扉に挟まれた衝撃での内臓破裂だろうと獣医さんから言われました。 なんて可哀想なことをしたんだろう。 こんなことがなければ明日がまた来ていたのに。 天命を全うしていたのに。 部屋を離れるときにケージに戻していれば… 後悔してもしきれません。 こんな間違いを2度と犯さないように徹底して他のハムスターたちに愛情を注いで可愛がろうと心に誓いました。 しかし、心の切り替えというのは未熟な私にはすぐにできるわけもなく、思い出しては心が締め付けられます。 妻は私を責めずに励ましてくれます。 ただ、私は自分が許せない状態です。 どうしたらおはぎちゃんは報われるでしょうか。 おはぎちゃんのためにできることはあるのでしょうか。 殺めてしまったのは私なのに助けを求めるのはおこがましいとは思いますがお坊さんから助言や救いの言葉をいただけたらと藁にもすがる思いで質問させていただきました。

有り難し有り難し 10
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