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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 死 幸せ」
検索結果: 981件

後悔しかない父の死

突然、眠ったまま父が亡くなりました。 お酒を飲みにでかけ、帰宅してソファーで寝てそのまま明け方に亡くなったそうです。 私は父とはあまり会話をせず、母とばかり話していました。父は頑固で変わり者でした。 実家から徒歩1分のところに私は子ども2人と住んでおり、子供を連れてよく母に会いに実家に行きます。 亡くなった前夜も子供たちだけ母の実家に行って遊んでいて、あたしは迎えにだけ行きました。 奥の部屋で寝てる父とは会話もしませんでした。そのまま眠って亡くなるとも知らずにです。 次の日に父が亡くなったと出勤中に電話があり頭が真っ白になり整理できませんでした。 いざ硬直している父を見ると心がポッカリ穴が開いた状態になりました。 警察に連れて行かれ、自宅に帰ってきて父の遺体を横にして後悔の念が溢れてきました。 もっと喋れば良かった。もっといっぱい一緒にいたかった。 私は父ときちんと会話することさえしていませんでした。 私の子供にチョコレートをあげようとしたりすると、まだ1歳だからあげないで!と怒ったりすることもよくありました。でも父は父なりに私の子供をとても可愛がってくれていました。 私は父に[お母さんはどこ?あ、いないのか。それなら帰るわ。』という会話しかできていなかったと思います。 今考えれば、母がいなくても父とももっと子供たちと遊ばせて私も会話したかった。 突然逝ってしまった父の存在はじわじわと私の中で大きくなり、こんなに父の存在が私にとって大切なのかと今更気付かされたのです。 私は父が嫌いだと思っていましたが、本当は大好きでした。 好きで好きでたまらなく、いまも喋りたくてしょうがないです。 明日お通夜です。 父はもう起き上がりません。話すこともできません。 私は後悔しかないです。 もっと父と話したかった。 ごめんね、ありがとうと言いたい。 なんとかして想いだけでも面と向かって話したい。 この一生分の後悔と父への思いはどうしたら良いのでしょうか。

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祖父の死、後悔が尽きません

癌の余命宣告を受けていた祖父が旅立ちました。宣告されていた余命よりも長く頑張りました。 幸いにも、亡くなる1週間ほど前までは元気で、薬は飲んでいたものの、入院することもなく、亡くなる前日まで散歩をしたりしていました。 私は祖父と同居していたこともあり、おじいちゃんっ子でした。 海外に住んでいるため、コロナ禍ということもあり、祖父が亡くなるまで一度も日本に帰り会うことはできませんでした。 そのため、毎日祖父にビデオ電話をかけて、お喋りすることにして、連絡を取り合っていました。でも、毎日と決めていたのにも関わらず、3日間連絡が空いてしまうことや、祖父の話をちゃんと聞いていなかったときもあったなあ…もっといろいろ聞いて、もっと闘病中の祖父を労ってあげればよかった、という後悔で押しつぶされそうです。闘病中でしたが、ご飯もよく食べ、散歩もし、元気だったため、その姿に甘えて、寄り添ってあげれてなかったのではないか…実は苦しかったのにそれを見せなかっただけだったのか…考え出すと苦しくて涙が止まりません。人間未熟な自分が嫌になります。 まとまりのない文章で申し訳ございません、いまの素直な感情を書かせていただきました。私もいつか祖父のいる場所に行く時が来たら、また会えると信じています。また会いたいです。

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父の死についての罪悪感を拭いたいです

先月、父が73回目の誕生日に他界しました。 その死について強烈な罪悪感がぬぐえません。 四十数年間、様々な経験をしてきたのでこうやって冷静に質問させて頂いてますが、若い頃の頃の私なら自殺をも考えたであろうほどの罪悪感です。 とうのも父は6年前に末期の胆管がんを患い、お医者様からもその年を越すのも難しいと言われてました。私なりに父の病気を調べてみても2年生存率は0%でした。 悲しむ母や妹を励ましながら、私は助かる方法を調べ、実行し、詳細は述べませんが、奇跡的に父の症状は回復し半年もせずに退院するにまで至りました。私は家族に感謝されました。 退院後も父は抗がん剤治療を通院しながら続けていましたが、父を救うべく素人ながらに必死に医療を勉強した私は、退院して2年ほど経過した時の父の血液検査の結果から、抗がん剤を止めれるのではないかと思い、抗がん剤治療に疲れていた父も賛同、主治医に相談した結果、止めることになりました。 父の体調も更に良くなり、度々一緒に旅行に行ったりもしました。とここまでは良かったのですが、抗がん剤を止めたとはいえ定期的に病院に通って検査していましたが、確か去年の春くらいの検査時に、少し悪い傾向が見えたので、先生から抗がん剤を再開しようかと言われたのですが、私なりの根拠でまだ大丈夫と父を説得して再開しませんでした。その後も検査の都度、2度ほど再開を先生に勧められましたが、私の一存で再開しませんでした。 しかし、今年4月の検査結果を見た私は、次の結果でも悪い傾向が続くなら抗がん剤治療を再開しようと父と話し合い、10月に予定してた検査時から再開する予定だった矢先に、父が静脈瘤の破裂による出血多量で自宅で倒れ、救急車で搬送され一時回復するも約10日後の父の誕生日に永眠しました。 死亡診断書には胆管がんからの静脈瘤破裂により、最後は急性肝不全と書かれてました。 母と妹は、あなたのおかげで6年も生きることができたと言ってくれましたが、私自身は私の治療再開の判断が間違っていたと後悔・自己嫌悪と押し寄せる罪悪感が絶えません。 一時は私が救ったという驕り、自信過剰な性格、謙虚さの欠如、他様々な要因で判断を誤ったという思いです。 これも寿命とお坊様から言われましたがまだ消化できません。 このままでは一生背負うであろう罪悪感をどうしたら拭えるでしょうか。

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2023/01/19

母の死をどう受け止めたら良いか

お世話になります。 先日、母が突然亡くなりました。 実家の近くのマンションでの自死でした。 母はもともと昔から「寝れない」とよく言っていたのですが、ここ2年は特に睡眠時間も3、4時間程となっており、また去年の1月には雪道で転び骨折をし入院リハビリ後に歩けるようになりましたが、以前より脚が動かしにくかったりたまに気持ち悪さや貧血等が起きるようにもなり、心身の不調から外出に不安を抱いていたように思います。 また持病があることからコロナ感染の心配をよくしていたこともあり外出する機会はスーパーへの買い物くらいになっていました。 そうなるとなかなか息抜きもできず、さらにもともと心配性な性格であったため、自分自身だけではなく家族の心配もしてくれていました。 コロナが流行り出してからは母の気持ちが少しでも楽になればと思い母の好きなキャラクターグッズや喜びそうな物をプレゼントしたり、月に一度私が実家近くの美容室へ行くタイミングで母と待ち合わせて話をする等していました。 母の他に父と兄がいるのですが私が1番母と出かけることやLINEでのやりとりが多かったり、また母と私の好きな物が同じことも多い等、母と1番仲が良かったのかなと勝手に感じています。 ただ3ヶ月程前に私自身、仕事がうまくいかず精神的に厳しくなり退職し1月の半ばからは新しい職場での勤務が始まることがあり今思えば私は自分のことで精一杯で母のことに意識を向けられていなかったなと思いますし、母は自分のことでしんどい中で私の仕事のことも心配してくれてたんだな、自分は昔からお母さんから連絡がくると面倒くさいと感じたこともあったなと思い悪いことをしたなとずっと後悔をしています。 母はあの時どのように考え行動したのか自死するまでの映像を何回も想像しては怖かったり痛かったり寂しくなかったかと考え辛くなることが1日の内に何度もあります。 1日が長く辛くどのような心持ちでこれから過ごしていけばいいのか分からず、母の元へ行きたいとも考えてしまいます。 お坊さん方にお聞きしたいこととしまして、 母にあの時もっとこうしてれば、あの言葉をかけていればと後悔をしてしまうこと、 自死では地獄に行ってしまうと聞いたことがあり母の死後が不安なこと、 いずれ私が死を迎えた時にあの世で母に会えるのかどうか、 これから先どのように過ごせばいいのか お聞きしたいです。

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母の死。こんなに辛く苦しいものなんて‥

母が亡くなって三七日となりました。 日毎に寂しさがつのり、この寂しさや悲しみがいつまで続くのかと困っています。 情けないのですが、朝起きた瞬間から母の不在が悲しく、夜も途中で目が覚めて不安です。 私たち親子は親友のような同志のような親子で、私が結婚してからも近くに住み、毎日の様に顔を合わせていました。 父の看取りの時、父の死後の母の生活の支えや私の子供の育児、母の闘病生活などいつも母と二人で頑張ってきました。 私が子供を生んだ15年前からは育児や家事も手伝ってくれ、5年前に病気を患ってからも「いつかは〇〇ちゃんにお世話になる時がくるから、元気な時は少しでも手伝ってあげたい。元気なうちに身体を使って〇〇ちゃんにお返ししてるよ。」と言って、私が仕事に出ている間にいつもうちに来て、洗濯をしたり、掃除をしてくれ、孫の帰りを楽しみにしてくれていました。 闘病生活中も辛い治療にも弱音をはかず、「苦労ばかりやったけど、今が一番幸せ。こんな病気になっても今が一番幸せやねん。ひ孫を見るまで頑張る。」と強く前向きに生きていました。そんな母を励まして支えてあげることが、私の生きがいの一つだったような気がします。 2月迄は元気で自転車にも乗れていたのに、3月に救急搬送され、4月20日に亡くなりました。病床で「もう一回家に帰って、ママのお手伝いをして△△ちゃんが学校から帰るのをお帰りって迎えてあげたい。おばあちゃんはそれが幸せやねん。今度はお婆ちゃんが△△ちゃんの子供に産まれるから可愛がってな。」と孫である私の息子に話していたそうです。 一度は峠を越え持ち直し、2週間頑張ってくれました。コロナで面会制限がされている中、付き添い許可を出して頂き、私と最愛の孫、母の妹が看取りまで一緒に過ごせたのですが、母は家に帰ることを夢見ていたのに、連れて帰ってあげることができなかったことが悔やまれてなりません。 生きることを諦めなかった母に死が近いことを気づかせたくなくて、最後まで希望を持たせてあげたくて、感謝の気持ちや家に帰らせてあげれなかったことを謝れませんでした。 そんな最後の入院中のことや家の中でも街の中でも母の姿が思い出され寂しくて悲しくて。 毎日仏壇に手を合わせて、母に話しかけています。母に気持ちは伝わっていますか? 遺骨はうちにご安置しました。母は今、私や孫の側で一緒に過ごせていますか?

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父の死から立ちなおる事ができません

1月末、コロナウイルス感染症により父が亡くなりました。75歳でした。私の家族は子連れ同士の再婚家庭で、私は長年継母からの虐待に耐え、父からの辛い言葉にも耐えながら「きっといつかは分かり合える、家族なんだから」といつか父とまた家族として関われる事を心の拠り所に生きてきました。 大人になり結婚し、漸く人並みの幸せを得て、父と親子として再出発する為始めは実家にこまめに足を運んでいましたが、継母や義妹との関係は変わらず顔を見せても冷たい言葉をかけられるので精神的に参ってしまい、実家に姿を見せるのは年に一度程度になっていました。 年老いた父が私に会えずに寂しそうにしているのは分かっていましたが、長年の虐待や孤立により「私は必要のない人間」という感覚が無意識下で刻み込まれていた為、猜疑心に苛まれていた為に父の寂しそうな顔も無意識に疑う状態になっていましたが、長年の溝を埋める為にもまず父と2人でゆっくり話せる時間を作ろうと模索している最中でのコロナ感染でした。 父の最後はLINE電話で義妹が看取り、喪主も継母の意向で義妹が務め、最後の最後まで私は蚊帳の外のまま、父に会えないまま私は一般席でひっそりと父を見送りましたが、父の死後に自分の中に刻まれていた「私は必要ない」という考えの癖が邪魔をして、父の想いが届かなくなっていた事に気づき、父にとてつもない寂しい思いをさせたまま、父の為に何ひとつできなかった事に苦しんでいます。 どんなに孤独で辛くても、父と分かり合える未来に希望を持ち強く生きてきましたが、寂しそうにしていた父の顔や「お前と話したい」と最後の電話で言っていた父の言葉が頭をよぎり、ここにきて心が折れかけています。笑う事も、幸せを感じる事も、拒む自分がいます。 寂しがり屋な癖に頑固で、どこか弱くて、支えてあげたいと思える、私にとってかけがえのない大事な父でした。 元はお母さん子だった私が父について行く事を選んだのは、家族と離れ1人ぼっちになる父を守ってあげたいと子供ながらに思ったからでした。 でも、私は父の為に結局何もしてあげられませんでした。寂しそうにしていた父の顔があまりに辛く毎日泣き暮らして、後を追いたいと考えてしまいます。 父に会いたい、会って話がしたいです、こんな気持ちを抱えて生きていく自信がありません。

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育てて貰った兄の死を受け入れられません。

私は親が小さい頃他界し歳の離れた兄姉に何不自由なく育ててもらいました。20歳の頃、遊びすぎで言うことを聞かない私と厳しい姉から猛烈な叱りを受け怖くて帰れないまま20年もの時間が過ぎてしまいました。怖くて連絡が取れなかっただけで、仲の良かった兄弟から冷たくされるのも怖くて謝りにいけませんでした。ただそれでも母のお墓参りには行っていたのですが、先日恐れていた事が起きました。 母の日のお墓参り行った際、新しいお塔婆で兄の死を知りました。 家出した身分ですが、私は小さい頃から兄姉が大好きで5歳くらいから末っ子なので自分がみんなを看取るかもしれないと未来を恐れていました。本当は心の底から許してほしくて仕方がありませんでした。でも怖くて会いに行けなかった。謝ることもできずに私は私の暮らしをして勝手に生きていたのです。  でも20年の日々の中どうしたら謝りに行けるかをずっと考えていました。それでも行動に移せず、こんな現実を迎えさせてしまった自分は生きる資格なんてない、なぜ生きているのかと毎日苦しくて仕方がありません。兄は私達を育てるのに10代から昼夜働き苦労ばかりさせてしまいました。私は何一つ孝行できずに私は幸せに生きています。そんな自分が許せません。こんな未来は本望ではなかった、謝りたかったし身代わりになれるならなってあげたかったです。こんなふざけた自分をこの先どう生きていけばいいかわかりません。大切な人を傷つけた最低な自分です。死ぬ事もいけないこと精神を病む事もいけない事とわかっていますが毎日毎日苦しいです。最後まで逃げていた自分を許す事ができません。厳しいお言葉をお願いします。

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2022/10/23

ペット オカメインコの死 戻せない時間

長年共に過ごしたオカメインコが亡くなりました。よく喋り遊ぶとても大切な家族でした。 今回、私のミスで病気になり亡くなりました。完全な知識不足でした。 本来なら後悔すべきところはここなんだと思います。 でも、このこと以上に愛情の注ぎ方に後悔しています。 私はこの一年以上家にいましたが、自分が嫌になるくらいだらけた生活を送っていました。 毎日「遊ぼう」と元気に鳴き呼んでくれていたこの子に「ちょっと待っててね」とこちらの用事ばかりを優先したりテレビを見ながらの ながら遊びをしたり。 可愛がり方も朝晩の掃除の時間も人間都合でした。  体調が悪くなり、最後の数日は朝から夜まで付きっきりでみていました。最期は私の手の上で息を引き取りました。頑張り抜いたこの子を看取れて幸せだったと思う反面、一緒に過ごそうと思えばこんなにも時間があったじゃないかという感情が湧きました。 家族は悲しみの中からも後悔が少なく楽しかったねと話します。その後もこれまで通り頑張っています。 いわゆる健全なペットロスのようです。 私は、罪悪感と自己嫌悪でなんとも言えない気持ちから抜け出せません。 一緒に過ごせる最高の時間を台無しにしてしまった。全身で愛情表現してくれるこの子に甘えていました。 後悔先に立たず。 ペットロスのことを調べれば調べるほど色んな情報が載っていて、どう捉えて良いものか分からなくなってしまいました。 酷いことをした私が泣くのは違うのではないか?と思ったり。 静かな部屋で水とご飯を替え写真に向かって話しかける。 私は今更何をしているんだろう。なぜ生きているこの子に合わせた生活を送らなかったんだろう。真っ直ぐな愛情を注がなかったんだろうと、戻らない時間を悔やみ続けています。 それなのに、お願いだから私を忘れないで。もしも生まれ変われるのなら、もう一度私の前に現れてほしいと、勝手なことを願ってしまいます。 今のこの気持ちをどのようにもっていけば良いのか。 この思いが後悔だけでなく執着になるのなら、この子が苦しんでいるのではないかということも心配になりました。 本当に素晴らしい子だったので、幸せになって欲しいと願っています。 そもそもこの子は幸せだったのか、私のことを残念に思い怒っているのか正直そこも気になっています。 どうかお言葉をいただけたら幸いです。 よろしくお願いいたします。

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不安と希死観念はどうすれば

いつもお世話になっております。 今年5月に休職し、10月に元の会社へ復帰する事になりました。環境は変えてもらい、職種は前と同じとなりました。 ただ早くも人間関係や環境など、それに前のように仕事が日々こなせるのか心配です。自信がありません。 前と同じで少人数のため、戦力にちゃんとならないと部署が回っていかないのではというプレッシャーもあります。 休職中は回復に努め、実家の仕事を毎日手伝っていました。 本当は転職したかったのですが微妙で、 これといって行きたい企業がまだ上手く見つからず。家族も猛反対してきます。何度話しても今はダメでした。 職業訓練校も学びたい分野を色々調べたり2日間の初級講習へ行ったりしましたが、ちょっと違うのではないかと思ってしまいました。 転職で書類選考が全然通らないのと、元の会社に戻ってほしいと家族の後押しもあり、心配と不安を抱えながら会社に復職する事にしました。 様子見しながらまた転職活動も今度こそ...と思ってます。 また、もし再び劣悪な環境で病んでしまった場合は今度こそ立ち直れる気がしないので自殺も考えています。最終手段があると却って安心感があります。 心療内科医から復職可能と診断を貰いましたが、1日に1回は「なんで生きているんだろう」と思いますし消えても良いのではと考えてしまいます。 休職の原因となった上司はあまりお咎めなしで、元同僚は入籍し幸せそうだと聞きました。 世の中、結局はずるい人達が成功してばかりなのだと思います。 真面目に生きているのが本当に馬鹿らしいです。(怒) こんなに性格がクソでも仕事丸投げしてくる奴でも結婚出来て仕事も上手くいくのかと。妬みも勿論ありますが本当に世の中クソだと思いはらわたが煮え繰り返ります。 好きな分野の勉強も将来の種まきとして続けてきまして、それに救われてはいますが... 次の配属先は家から近くです。 ますます自立もできなくなりそうです。 でも出来る事からやっていくしかなさそうです。 本当に復職を選んで良かったのか、 でも世間体とリハビリも含めてがむしゃらに頑張るしかないのだと思います。 支離滅裂な文章で申し訳ありません。 本当に全部マイナスにしか考えられなくて困っています。 何かアドバイス等ありましたらお願いします。気分を悪くされたらすみません。

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父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

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高齢の愛犬の死を考えると怖い

こんにちは。 私は今年15歳になるラブラドール・レトリバーの女の子と暮らしています。 実は私は母が病気でほとんど歩けず認知症も少し出始めていたので長年介護を続けていました。母も愛犬をとても可愛がりいつも3人家族だね、クーちゃん(愛犬の名前です)私より先に亡くならないでね、と話していました。しかしその母が先日2017年4月18日肺炎のため入院9日目に突然亡くなりました。 毎日母の事を思うと後悔ばかりでお経をあげる事しか出来ない毎日ですが、泣くばかりも出来ずいずれ近いうちに私は(鬱病でかなり以前から無職でした)仕事を探して働かなければいけない状況になりました。 しかしどうしたら良いのか悩むばかりしているのが高齢でもうよぼよぼと歩いている愛犬クーの事です。 もうそんなに寿命も長くはないと獣医さんにも言われている愛犬に、できるだけのことをしてあげたいのです。出来れば今までの様にずっと側にいてあげたいけれどそう言う訳にはいかないことはわかってはいるのですが、ひとりにしていたときに何かあったらと思うと不安でたまりません。 独身で、父は早くに亡くなり兄弟姉妹もいない私には今はこのクーがただひとりのかけがえのない家族なのです。 私が甘え過ぎなのでしょうか? 私はどのように気持ちを持てば良いのでしょうか? このままではクーの事が気になって仕事探しも難しいです。 なかなか他人に相談しづらくて、母の死によって突然変わってしまった状況についていけません。 愛犬にとって一番良いのはどうすれば良いのでしょうか? 愛犬がいなくなったら母もいない今となってはもう自分はどうなってもかまわないとさえ思ってしまいます。 どのように気持ちをもてば良いのかお教えください。 よろしくお願いします。

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死の捉え方がみんなと違う自分

94歳の祖母が8月に他界、葬儀が私の旅行に被りました。 家族は私の気持ちに任せるといい、祖母は急死ではなく自分的にも心の準備をしながら接してきました。 また祖母の死を目の前にしても一般的な死の捉え方ができず悲しみはあったものの死というものが自分でもよくわからない感覚のものになっていました。 そして私は通夜.告別式に参列せず旅行に行ってしまいました。 一緒に行く彼も反対をしましたが私は自分の都合の良いように言い通して行きました。 旅行に行く前は生前祖母には自分なりに出来るだけ接してきたつもりで、自分では旅行に行くことを後悔しないと思いました。 しかし旅行中祖母のことが頭から離れず、帰ってきてからも家族や親戚には非常識人間と叱られ、 旅行に行ってしまったことを後悔しました。 でもどこかで祖母が骨になるところ、形としてなくなってしまうところを見たくなかったという想いもあります。 こんな自分を非常識であり、優しさの欠片もないと思われても仕方ないと思います。 葬儀に参列しず祖母や周りの人を傷つけてしまったことを反省しています。 でも反省している自分や看護師として働いている自分が表面上だけなんじゃないかと思えてきて、本当は偽りの自分なんじゃないかと怖くなります。こんな非常識な自分が今後また誰かを傷つけてしまうのではないかと不安でたまりません。 死に対しても常識、非常識についても何が正解なのかわからなくなっしまってます。 こんな私になにかアドバイスをいただけないでしょうか?

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生まれ育った町を出る、家族と離れる寂しさ

こんにちは。 私は現在生まれ育った町に戻ってきています。 留学に近いことをしていて、 一度親元を離れて暮らしていました。 休みなので帰ってきましたが、 もう残り僅かの時間が悲しくて仕方ありません。 留学へ行くときはさほど寂しくありませんでした。 親ともまた会えるし、いつでもここへ戻ってこれ ると思っていたからです。 今ではそんなこと思えません。 一度離れた、慣れ親しんだ町へ帰ってくると いかに思い出があるか、いかに愛着があるか、 いかに家族といたいかということを痛感してしまいます。 その上、父の仕事の関係で家族全員が会えることが滅多にないなかで、 いま一番好きな場所で会えてしまっていることが 幸せすぎて 本当にこの時間が終わって欲しくない。 次いつ会えるか確実でない家族と離れることが 違う場所で暮らすことが、そばにいないことが、こんなに悲しいなんて知りませんでした。 誰かと本当に会えなくなってしまうのではないかと不安でたまりません。 母は重めの体調不良で 「もしかしたら病気なのでは、」 という考えが頭をよぎるし、 父だって、 不規則な生活をしていて、年齢のこともあります。 どうしても笑顔でまたねと言える気がしないのです。どうしたらこの不安でたまらない気持ちを取り除けますか。どうしたら泣かないでいられますか。どうしたら留学先に明るい気持ちで帰れますか。 どうか教えてください お願いします。

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生より死が近く感じてしまう

生きてしまいました。 まずは、私の質問や悩みがどれだけ愚かであっても常に優しい言葉を掛けて下さること、心より感謝申し上げます。一件一件に御礼を書き込むだけの精神的余裕が得られる見込みがないため、この場にてお許し下さい。誠に申し訳ありません。 自業自得により、生よりも死の方がリアルに感じられる状況にあります。心の弱さや人間不信を理由に、しかるべき時に就職活動を行わなかったことで、自らの将来を閉ざしてしまいました。 元々の社会に対する悲観的な意識や積み重なった上手くいかない経験により、「生きる」「幸せになる」「人並みでいられる」「やるべきことができる」自分の姿よりも、「死ぬ」「失敗する」「落ちこぼれる」「救おうとするふりをして救ってくれない社会きら見離される」自分の方がリアルに見えてしまいます。 私はちょっとしたことで傷付く性質で、家族からもよく「そんなんじゃ生きていけない」と言われて来ました。 今更になって就職活動のようなものを始めてみましたが、しかるべき時にに始めていた方々でも苦労するのに、私のような人間が上手くいくとは思えません。筆記試験、業界研究、面接対策。「就活」「いつかは、なるべく早いうちに正社員に」と思うだけで呼吸が乱れます。 新卒で正社員になれなければ、その後のハードルは大きく上がります。正社員でなければ、という焦りは尽きることがありません。 私は、今の社会や世界では、全員を生かすことは出来ないと考えています。どうしても物質がなければ生きていけない以上、生きられる命には限りがあります。そして今は、その限られた以上の命を抱えてしまったのだと思います。 そして、満たされていた過去を知っていた人々は、今までのように満たされようと他から奪い、奪われた人々がまた他から奪うループであると感じています。 私はいつか、こうして私に優しくして下さった方々のように、苦しみを抱えた方々にに向き合うことをしたいと考えております。しかしそれにはまず私が生きて、しっかり労働生活をしなければなりません。自業自得により、常識のレールから外れた私が、もう一度戻れるでしょうか。そして、この世界に絶えられるでしょうか。社会が受け入れてくれるとは考え難く、自分で自分を追い込んでしまいます。 生きることがこんなに辛く難しいものだとは思っていませんでした。

有り難し有り難し 35
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