hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「私 生きる 」
検索結果: 29042件

旦那さんから離婚したいと言われてます

私は19才の時に子供を産み同い年の人と結婚しました。 子供はいま9ヶ月なのですが子供が3ヶ月の時に浮気が発覚しそれから喧嘩になり旦那は離婚するといい私は子供のことも考え離婚したくないといっています。 いまは別居しています。 子供は男の子なんですがやはり実の父親の元で一緒に育ててあげたいという考えなのですが旦那さんは無理の一点張りです。 最近の旦那さんは仕事もくびになり一応バイトしてるみたいなのですがまともにお金も振り込んでもらえずいまはなんとか私がバイトしているお金でやりくりしてます。 家は私の実家に住まわせてもらってるのでなんとか生活していますが、ぶっちゃけ妊娠9ヶ月ギリギリまでバイトして産後1ヶ月半もたたずにバイトに復帰し家事や育児やっていたのですがそれでも浮気されて旦那さんに認めて貰えず最近では体はもお疲れきってボロボロ、精神的にももおボロボロで一時期は周りからは生きてるのかもわからない状態といわれて精神科に通っています。 ぶっちゃけいまもどーやったらこの苦しみから抜け出せるのだろーとかどーやったら死ねぬのだろーとか考えてしまう自分がいます。 やはり離婚したほうがいいのでしょうか?

有り難し有り難し 33
回答数回答 1

赤ちゃんとは?

いつも貴重なご回答をいただき、ありがとうございます。考え方の参考にさせて頂いています。 私には生まれつきの病気を持つ赤ちゃんがおり、手術のために入院したり、病状を見るために血液検査をしたりと、自分の子ども時代と比べると、かなり頑張って痛い経験にも耐えながら頑張って生きています。 辛い治療や血液検査の時などでも、痛い思いをして泣きわめいた後に、それを行った人に対しても笑顔を見せてくれるので、菩薩様でも入っているのでは!?と思ってしまう時もあります(親バカな意見ですが…) しかしそれは我が子だけが頑張っているというわけではなく、同じ病院で頑張ってる子ども達それぞれが、何かしらの痛い思いや辛い経験をしながらも必死に頑張っていて、みんな本当にいい子達なので、辛い状況の中でも前向きに生きる姿はどの赤ちゃんや子どもたちにも当てはまる人間としての特性ではないかと思います。 一方、退院してから自宅に戻ってきてからは、物は全て放り投げる、何でも口に入れて食べてしまう、髪や皮膚を容赦なく引っ張るなど、毎日何かしらの悪事をはたらいております。 ニヤニヤしながら物を破壊したり、ひたすら泣きわめいている姿は、悪魔にでも取りつかれているのでは?と思うくらいです。 赤ちゃんらしいといえば、赤ちゃんらしい姿になり、少し安心している面もありますが、入院していたときのような面も知っているので、不思議な感じがします。 勿論、赤ちゃんは善悪の区別がつかないし、赤ちゃんとはそういうものだということも分かっています(一人目の子ではありませんし…)。 しかしまだ物事が分からない時期の赤ちゃんだからこそ、善悪の二面性が見られるのが凄く不思議で…そこで仏教における赤ちゃんとはどんな存在であるのかということを知りたいと思い、質問させていただきました。 お忙しいところ、くだらない質問で申し訳ありませんが、御教授いただけると助かります。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1
2023/11/20

劣等感を感じる人生

私の人生についてです。 今まで、家族や職場以外にはずっと職歴について嘘をついて生きています。 正社員で保育士として働いている 実際は、パート保育士だった。 現在、正社員で接客業で働いている 実際は、アルバイトです。 家族の1人から、生きていくには正社員にならないといけない。両親に甘えているということを言われ続けています。 言っている本人は、正社員で働いており、上の地位にいるので何も言えません。 その人は、とても凄いので私が比べてしまい、劣等感を感じています。 現在、友達おらず、愛している人もいないです。いたとしても、本当の事を言ったら 世の中はドン引きするのだろうなと思うため言えずに生きてきました。 私の性格上、嘘をつくのが下手な方で つけたとしても罪悪感が残ります。 どこかで本当の事を言いたくて、書かせて頂きました。 持病があり、体力がある方ではないため 調整をして仕事をしていますが、正社員ではない自分に劣等感を感じ、朝起きては泣き、夜も考えて泣いています。 ボーッとしてしまうことも多くなってしまいました。 自分の歩んできた人生を肯定出来るようになりたいです。 回答、宜しくお願いします。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

死ぬのが怖い

私は死ぬのが怖いです。 前からふと「死」について考えてしまう事があります。その度に泣いたり、怖くて苦しくなり鼓動が早く息が苦しくなったり、発狂しそうになりました。 しかし、そうなる事も数年に何回かある程でしたが、今はここ一週間程ずっと考えてしまいます。 死んだらどうなるのか、今こうやって物事を考え、生きていること全てが消えてしまう。「無」になってなにも無くなってしまう事が怖くて怖くて仕方ありません。 どうすることも出来ないのに、どうなるのかを想像して、その度に苦しくて苦しくて仕方ないのです。ずっと生きていたい。生きていられるのなら例えどんな事でも出来ると思う程に、生きていたいと思うのです。 私は、眠りにつくのと死は同じだと思っています。寝てる間は意識がなく、今は自然と目を覚まして、自分が寝ていたという事に気づきますが、死とはそのまま起きることが無い状態なのだと。考えても、誰も答えは知らないので、仕方の無いことだとは思うのですが、ふと考えてしまい、苦しくて怖くて何も手につきません。それでも、次の瞬間には、まだまだ先のことだから今考えても仕方ないと思ったり、きっとその後の世界があると思ったり、ふと気楽に考える瞬間もあるのです。そしてまた、ふと怖くなって・・・。この繰り返しを一日に何度もしています。どうか、助けてください。

有り難し有り難し 26
回答数回答 2
2023/09/15

この世に生まれた意味が分からなくなる

普通に生きていて焦燥感に襲われます。 何のために生きているのか分からなくなって、死ぬのは嫌だけど生きているのが苦しいと感じます。 そう思う理由は人と関われないコンプレックスにあると考えています。 人間は動物なので、悩みの答えは生物学とか脳科学にあると思ってよく本を読みます。 生物的には、この世に生まれた意味は「遺伝子を残す」というシンプルなものに行き着きました。 また、人間は社会的生き物なので、社会的にこの世に生まれた意味は「歯車となって社会の役に立つ」といったものだと思います。 どっちも一人で生きていくのを否定し、群れで暮らすことで達成できる目標です。 一方で。自分にはこの世に生まれ、やりたいことが一応あります。絵を描くことです。芸術は自分の内面と向き合う孤独な作業だと感じます。描いてる間は時間と身体感覚が吹き飛んで没頭できる時もあります。 でも、お金にもならず、究極に自分のためでしかない行動をしていると不安になるのです。 生まれた意味、生き物としてすべきこと、役割を放棄しているおまえは存在していたらいけないんだ。誰かと繋がって次世代に貢献しないといけないんだ。人のためにならないお前はだめだ。 そんな気持ちになります。 そのため勉強して人との上手い付き合い方を日々実践していますが、皆がよそよそしくて深い仲になれないと感じてるのが現状です。 この世に生まれた意味は、自分の生きたいように生きるためでしょうか? それとも、誰かの役に立つためでしょうか? 以前に投稿した内容と少し被っていてすみません。幸運にも回答を頂けてずいぶん考えましたが、どうしても辛くて2回目の質問に至りました。 自分の経験は取るに足らない、もっと苦労されている方が大勢いるのだと教えて頂けた気持ちで、改めて自分は弱いことに気付けました。 もしお時間が宜しければお答えいただけるとありがたいです。長文失礼しました。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

自ら命を絶つことはいけないことですか?

乱文失礼いたします。 高校生の女子です。 最近、死にたいというわけではないのですが、このまま生きることをやめてすっとこの世界から消えて楽になりたいと思うことがよくあります。 今現在私の複雑な家族関係や、学校、受験、のことなど生活の中が問題で溢れかえっていて、普段はなんとかそれらの問題に向き合っていますが、一人になったときやふとした瞬間にとてつもなく苦しくなって、涙が溢れてきます。 また、テレビなどで、生きることがどれだけ恵まれているか、ということを教えるため(?)の感動ドラマや、かわいそう、という共感を目的とした番組などを見て、どうして人間はそこまで生きることにこだわるのだろう?という素朴な疑問を抱いてしまいます。 世の中の大人の方々ってすごいなって思います。みんないろいろなものを背負いながらも頑張って生きてきていて…私は、今のような苦しい思いをしながらこの先何十年も生きていける自信がありません…。 人はどうして生きることを必死に求めるのですか?本能ですか?死にたくないから生きるのですか?自ら生きることを絶つのはいけないことですか? 話がうまくまとめられず、よくわからない文章になってしまい本当にすみません…

有り難し有り難し 139
回答数回答 4

震災で亡くなった母の気持ち

3月11日震災の日が近く、ある女性の手記を目にしました。その女性はお母さんと一緒にいる時に津波が来て逃げようとしたところ、お母さんは瓦礫に挟まり身動きが取れなかったそうです。 でも津波はどんどん迫ってきて、女性はお母さんを置いて逃げる事しかできなかった。その気お母さんは、「待って!行かないで!助けて!」と、ずっと叫んでいたそうです。女性は「ごめんなさい…ごめんなさい…どうか許して…」と、胸を引き裂かれる思いで避難したとの事でした。そしてお母さんは遺体で見つかったと…。 9年経つ今でも、ずっとお母さんの声が頭から離れず苦しんでいらっしゃいます。一緒にいてあげれば良かったのか、何とかできなかったのか…という思いが何度も押し寄せるそうです。 少し話は違いますが今まで質問させて頂いた通り、まもなく私には赤ちゃんとお別れした日がやってきます。それに加えて震災でのこうした手記などを読み、最近は命や魂が救われているのかをよく考えます。 この世に生まれる事なく空へ帰った赤ちゃん(水子様)は一切の恨みや煩悩は無く、私などが思うより限りなく純粋な魂であり、母が幸せに前を向いて生きていく事を望んでいるとハスノハで学びました。本当に尊いです…。また、煩悩などは生まれてから大人になるにつれて身に付くものだとも学びました。人間には生きたいという本能があると思います。だから女性のお母さんは、そう叫んだのだと思います。 赤ちゃんはこうした気持ちは持っていないかもしれません…。でも女性のお母さんの魂や思いは、仏様に救われているのでしょうか?本能でその瞬間は助かりたいと叫んだのだと思います。でも、娘さんである女性がずっと苦しむ事を望んでいるわけでもないと思うのです…。女性が間違った行動をしたとは思いません。自分の事もお母さんの事も、助けようと必死だったはずです。私なんかがとてもおこがましいですが、自分とリンクして考えてしまいました。赤ちゃんを助けたかった、本当は自分が死んでもいいかは産んであげたかったです…。それができなかった酷く愚かな母です。 でもそんな私を清らかな赤ちゃんは受け止めてくれていると学びました。女性のお母さんも今は救われているのでしょうか?女性を恨んだりなどしていないと信じたいです。 長々とすみません。色んなご意見をお聞きしたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

自分が背負ってきた過去の意味

悪いことが重なる人生を送っている人達はよく、「前世でよっぽど悪いことをしたんだ」と言って自分を宥めます。 不幸が前世の行いによるものならそう言ってもらえたほうが楽です。 私にとっての不幸は、未就学児にしてレイプされたこと、いじめられたこと、父親がアルコール依存症だったこと、家庭が相対的貧困だったこと、自殺未遂をしたこと、自傷行為をしたこと、です。 これらのことが、自分は恵まれている方だと理解していても、どうしても頭から離れず、危機的な状況から脱しているのを理解していても、心が休まりません。 いつまでも自分を許せなくて、恥じています。なんとか、自分を人間として認めてもらえるように生きようとしてますが、難しいです。 今も、自分は何歳まで生きる、あと何日しか生きられないからもっとまともに生きようという奮い立たせ方しかできないでいます。それは実際に自分の寿命を自分自身で勝手に決めて、その歳になって生きていたら死のうと決めているような感じです。 誰かを愛したり、好きになったり、心を開いたり、はっちゃけたりするような、人間的な要素が消えてしまったように思います。それか育たなかった。 いつも効率重視で、無駄がないように誰かの時間を奪わないようにと頭で考えてます。 こんな人生を恥じています。 誰かのために生きたいと願うけど、それは感謝されたいという不純な動機からですし、過去の精算をしなければと必死です。 毎日、過去の出来事が蘇ってきては、自分を恥じます。生まれてきたことを後悔、ではなく、申し訳なく思います。こんな娘でなければ、こんな人生でなければ、関わる人を苦しめることはなかったはず。 この、お荷物にしかならない過去の意味を教えて欲しいです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

両親への歪んだ依存に悩んでいます。

はじめまして。20代の男です。 私が幼い頃から両親の仲が悪く、毎日喧嘩が絶えない家庭でした。 母はアルコール依存症で絡み酒が酷く、父は浪費癖と浮気癖が酷かった様です (酔った母の愚痴が主ですが、そうとうな嫌がらせをされていたのは真実だと思います)。 毎日両親の喧嘩を仲裁し、めずらしく喧嘩が起こらない日も、母の酔った時のヒステリックな愚痴を聞いたり、 不機嫌になっていく父親を見てまるで生きた心地がしない日々を送っていました。 そんな影響か、小さい頃から他人が苦手で、小中学校で不登校を経験しています。 不登校になった理由は、閉鎖的な空間で他人の顔色を窺う事や、他人に自分を合わせる事、 それでボロが出てしまう事、そして何よりも怒られることや、 誰かが怒られている場面に遭遇することがとても怖かったからです。 これらは現在でも恐怖を感じ、そういった場面を避けてしまいます。 現在は就職活動をしてなんとか内定を貰えましたが、同時にこのまま生きている事に意味を感じなくなってしまいました。 昔から現在まで両親の顔色を伺い、なんとか仲を取り持ち、歪んでいると理解しながらもそれを生き甲斐にしてきましたが、苦しい状況で父が身内の借金を肩代わりし、一度収まりかけていた母の飲酒が始まってしまいました。 現在母は肝硬変まで悪化し、それでも酒を辞めずに毎日大きな声で暴れ。父は昔から見たら角が取れて喧嘩に発展することはなくなりましたが、 それでもやはり雰囲気が悪くなってしまいます。離婚をするという話も出ていますが、結局高齢の母は一人で酒を飲み孤独死は免れません。そしてそうなると、私の存在理由をすべて否定される様でとても苦しくなります。 私自身、もう大人になり親離れをすべきだと思いますが、物心付いてから家族と仲よく過ごすことが生きる上での夢であり目標だったので、 他に生きる意味を見出す事が出来なくて困っています。 もちろん生きる目標がなくても生きていく事は出来ますし、今は仕事も見つかりなんとか一人でも生きていけると思います。 しかしそれが逆にとても強い罪悪感に苛まれてしまいます。 何度か自殺をしようとしましたが、失敗や躊躇し頑張って生きようと考えていましたが、 結局同じことの繰り返しになります。 何か生きやすくなるためのヒントなどを頂けたら幸いです。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

自分が嫌いでどうすればいいか分からない

生きていくにつれて、自分がどんどんダメな方向へ進んでいっている気がして、生きるのが辛いです。時折とても死んでしまいたくなります。 私は幼い頃から人とコミュニケーションを取るのが苦手で、静かで内気な性格です。外見のせいで中学生のときに軽いいじめに合い、それからずっと自分の容姿が酷くコンプレックスになっています。この頃から心の浮き沈みが激しくなり、「自分はなんで生きているんだろう」とか「死ねば楽になれるかな」と毎晩考えたり、自殺のやり方を調べたりしていました。 高校卒業後は、なんとなくで入った専門学校を半年ほどで中退し、フリーターをしている今に至ります。 何故真面目に進路を考えなかったのか、悔やみました。しかし、その時面接練習や勉強をしなくても良い1番楽な選択肢を選んでしまった自分が悪いんだと思い、本当に自分が嫌になりました。 少し辛いことがあるだけで逃げたくなる自分が情けなく感じます。なんとかしたいと思うのに結局変われない自分が嫌で、事ある事に「死」を考えてしまいます。それでも、死ぬのが怖い感じたり家族に迷惑がかかることを考えると、今はやめよう、と毎回実行には至らずにいます。死にたい死にたいと言っているくせに死ぬのが怖いなんて、自分は本当に弱いんだなと嫌悪します。 結局今も親に甘えてアルバイトをして生活をしていますが、このままではダメだと分かっていても不安や自信の無さ、惰性から何も行動できないままの状態です。 今のバイト先でも度々ミスをして迷惑を掛けてしまうことがあるので向いていないのかな、とか自分は社会で生きていけないダメ人間なんだ、と極端に落ち込んでしまいます。甘えだと分かっているのですが、社会や生きていくことが辛くて怖いです。社会に馴染めず、外見も良くない自分に生きる価値なんてあるのだろうかと日々感じます。 自分は絵を描くことや映像などに興味があるので、それを生かしてお金を稼げるようになれたらいいなと考えています。ですが、努力次第と分かっているのに今の現状や将来の不安に気持ちが落ち込み、「これでお金を稼げるようになれるのか」「どうせ下手だから」と練習や勉強に力が入りません。 心の内を上手くまとめられず長文且つ読みにくい文章になってしまいましたが、こんな自分に自信のつけ方や考え方などをアドバイスいただけたら幸いです。

有り難し有り難し 48
回答数回答 2

素晴らしい人生のはずが希死念慮が消えない

お世話になっております。どうか私の現状に助言を頂きたく、乱文ながら投稿させていただきます。 私は、世の中が理想とするような現状に身を置いています。私にはもったいないような大きな会社へ所属し、一人で暮らすには十分な金銭を得て、仕事も基本的には定時で上がれるような素晴らしい環境に身を置いています。 また、私はこの社会的立場こそが幸せと定義されるものであり、そのために不器用ながら努力を続けてきたつもりでした。その結果、一番に望んだプロセスでないにせよ、幸せをつかみ取ったと確信しておりました。 そして、私が渇望していた、”自分も他人も、私を認めてくれること”を叶えてくれるものだと信じて疑いませんでした。 しかし、最近では、手に入れたはずの幸せは、私にとって何の価値もないのではないかと思い始めました。 そのきっかけは、芸術分野で生きる知人の成功体験や、働かずとも両親の許で自由に暮らす友人が、自分の好きに生きて、それでいて何不自由なく幸福に生きていることを目の当たりにしたためです。 私は、私が定義した幸せを得るために自身の願望の大半を退けながら生きてきました。優秀な学校に行き、大手企業に入社する。それが私の全てでした。だからこそ、趣味という趣味も持たず、肉体が拒否反応を示そうとも机に向かう日々を過ごしていました。 しかし、結局のところ、社会的立場を得たとしても私の世界は何も変わりませんでした。大きな組織に属しているからといって、私が有能になれるわけではありませんし、友人に尊敬されると信じていたはずが、ただ一言「ふーん。すごいね。じゃあ今夜の飯、奢ってよ」と言われるだけでした。 その事実は、まるで私が信じていた世界が崩れ落ちるような感覚を植え付けました。心に秘めた虚しさを埋めるために、過去に私が関心を持ちつつも退けた事象にお金をかけてもみましたが、過去のような関心も戻らず、ひどく打ちのめされた気分になりました。 最近では、全てのことが無価値に思えてきました。仕事も、頑張っても誰からも認められない気がして熱心にやる必要性を感じられなくなりました。唯一の趣味の執筆も、昔から執筆を続ける人々との才能の差を感じてほとんど手を付けなくなりました。 そして唯一、私の頭に浮かぶのは、酷い虚無感と自殺願望だけです。 どうか、ご助言を頂けたならば幸いです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

幸せになれない

勉強しようとすると抑えられない破壊衝動と怒りが込み上げて、家の中にあるものを片っ端から壊したくなります。これだけ勉強が嫌なくせに、大学は良いところに行きたい、幸せになりたいから尊敬できる人が多い場へ身を置きたいと、夢(もはや妄想)が膨らんでいきます。 勉強ができない自分、他人に必要とされることは無いのに自分は他人を求めて依存しないと心が潰れてしまう自分、自分が好きだった事も嫌になった自分、恋人に依存して見放されそうになった途端自殺をほのめかして困らせてしまう自分、他人のために生きられない自分、どうせ自分には出来ないと全て諦めた自分、自分の内面が全て嫌いで、今生きるのが本当に辛くて苦しくてたまらないです。今の現状、自分の事も自分の周りの事も、全てが嫌です。 今後生涯、幸せに生きている自分が思い描けません。近い将来、ふと思い立って自殺する自分が鮮明に思い描けます。 自分がどうなりたくてどうしたいのかがわかりません。 こんな苦しくて辛い人生を送り続けるなんて耐えられません。だったら死んだ方がマシです。 この辛い気持ちをどうすれば変えることができますか。全てを諦めて希望のない心をどうすれば回復させることができるのでしょうか。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

どうしてそんなに生命を軽く扱うんですか?

生来の体質ゆえに普通の人と同じような人生を送ってこなかった私ですが、十代の頃から長いあいだ「希死念慮」という死神に貼り付かれてきました。死ぬほうが楽なことは一杯ある。いままでそれに負けなかったのはひたすらに自分自身に負けたくない気持ちゆえにです。子供の頃からずっと「死」について考えてきました。 私は特定の信仰を持ちませんが、なんとなく「生かされている」という気がしています。 「お天道様が見ている」というのに近いかな? この「お天道さま」は誰も人が見ていなくても非道なことをすると罰を与えます。「天罰」というやつですね。 大事故で九死に一生を得て助かる人もいますし、大災害で亡くなる方もあれば、奇跡的に助かる方もおられます。特に東日本大震災のような災害で、本当にわずかな差で生死を分けた人の話を聞いたりすると、本当に不思議な気持ちになります。 なにが運命を分けたのかわかりませんが、私はこう考えてしまいます。「助かった人は生き延びてまだやるべきことがあったんだ」と。 不幸にして亡くなられて、遺族に大きな悲しみを残された無念の死を迎えた人も、その大きな犠牲によって、多くの人に訴えるものがあって、改善のきっかけになったこともあるし、遺族がその人の分も力強く生きていこうとする力の源になったのかもしれないなあ…とも…。 すべて私が勝手に思っているだけのことですが、だからこの世に「無駄な生命」はひとつもないのです。天命だか運命だか、寿命がある人はその時まで、生き延びる運命にあるかもしれないし、短く定められた寿命の人は普通なら大丈夫、くらいのわずかなことで命を落とされることもあります。 …だから、私も、生きているということは自分なりの役目があるから生きているんだと思っています。それがちゃんと出来てからじゃないと死ねないかもしれません。 黒柳徹子さんのエピソード。ユニセフの仕事で「寿命があるなら大丈夫だから」と地雷原にずんずん入っていかれるという話。単に無謀とは違って黒柳さんの中にも「生かされて生きている」感覚が強かったんじゃないでしょうか。 生きているうちはこの世での役目があって、それが完了するのが死ぬ時。自分勝手に途中で投げ出したら、それまでの苦労も無駄になりますよね。 相談ではなくてすみません。一度しかない人生、大切にしていただきたい切なる願いです。

有り難し有り難し 28
回答数回答 2