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検索結果: 397件

たばこはやめるべきか

私はカナダに旦那、息子と3人で住んでおります。 今回は旦那のマリファナ常習について少し気になり、ご意見を伺いたく投稿させて頂きました。 旦那とは訳あって3年間離れて生活していましたが、やっと先日から家族3人一緒に暮らし始めました。 もともと子どもが生まれる前からマリファナ常習者という事は知っていましたが、だいぶ前にもう辞めたと聞いていました。 しかし一緒に暮らし始めたその日に「半年間一度も吸っていない。久々にたまにはいいかと思って買ってきた」と言って吸い始め、まだ1週間程ですが毎日、しかもかなりの量を吸っているようです。 もちろん私はできれば辞めてほしいと思います。 ただカナダではマリファナ合法になり、酒たばこのような依存性はないし、マリファナは危険なものではないと言い張ります。 旦那の両親は共にマリファナ反対派で彼は自分が常習者である事は隠しており、私にはあまりその感覚が分からないのですがカナダではマリファナ自体が日本でいうたばこのような感覚なのかと思っています。 もともと旦那はストレスを感じやすい性格で更に仕事も忙しく、かなりストレスを抱えマリファナでリラックスしている事は分かります。 なので自分でもいつかは辞めた方がいいと思っているがなかなか辞めれないというのが本当のところかなと思います。 マリファナ=大麻、違法という観点ではなく、日本で一番近い感覚のたばこでお考え頂けると嬉しいです。 本人が辞めない限り、私や周りがどうこう言っても変わらないだろうから何も言わないというのが今の私なのですが、辞めるように本人が頑張るよう何か言うべきなのでしょうか? それとも人を変える事はできないし、ありのままの彼を受け入れようと私が寛容に考えるべきでしょうか?

有り難し有り難し 32
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新興宗教信者の彼女とその子供にたいして

出会ってから一年になる同い年の彼女が某新興宗教の信者でした。僕自身が宗教に疎かったのと新興宗教に偏見がありましたから、良い機会だと思いその新興宗教の事を書籍やネット等で調べてみましたが、どうもお金が目当てなだけの宗教としか思えないのです。 彼女は10才からこの宗教の信者だったためか、かなり熱心に信仰しているようで、月に数回お清め所という所に出向いて、自分自身やお薬等を清めている(心の病を抱えているため)とのこと。 加えて昨年産まれてきた子供に、10才になったら入信してもらうとも言っていました。 僕としては10才というまだ考え方が未熟な時期に新興宗教に触れさせたくないのです。それが子供の可能性を奪う結果になってしまったり、虐めの原因になったりしては可哀想ですし、その宗教に染まってしまった後では都合よく引き返すことがとても難しいと思うからです。 子供の事に触れましたが、様々な事情があり実をいえば僕とは血の繋がりはありません。 血の繋がりもなく、彼女と籍も入れてない立場からどこまで口を出していいのか戸惑ってしまいますし、強く主張しすぎて彼女の心の病に障ることがとても怖いのです。 しかし、こういった問題をクリアしない限り結婚したあとで必ず後悔するとも思っています。 なんだか漠然とした内容になってしまいましたが、僕はこの先どういう風に彼女と子供と関わって行けば良いのか、あるいは自分の主張を変えた方が良いのか教えて欲しいのです。 分かりにくい文章ですが、見てくださった方々からの意見を聞かせて欲しいです。

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

仕事について

前回も相談にのっていただきましたが自分に自信が無いのでクヨクヨとしています。またアドバイス頂けたらと思います。お願い致します。 仕事に自信が持てず勉強をしてもいざその場になると自信が無くなり行動に移せません。自信がないので仕事でミスをしてしまうのではないかと休みの日も不安になってしまいます。 また上司から理不尽な叱責を受け、やる気も無くなり後輩からもバカにされる始末で自分が情けなくなります。理不尽な叱責とは例えばですが事務室を空にして休憩室でタバコばかり吸っている上司が「お前はろくに仕事もしないし出来もしない」といった感じです。 やる気が出ず不安ばかりの毎日のなか、どのように考えていけばいいのか悩んでいます。インフラの仕事なので倒産の心配は無く、他の方より恵まれた環境にいます。また結婚も考えており今の彼女の将来を考えると辞めにくい状況です。恵まれた環境に感謝はしていますがその分、悩んでしまいます。何かアドバイスを頂ければと思います。 長くなってしまい申し訳ありませんがもう一つあります。 会社に知られてしまうと大変なので詳しくは書けないのですが後輩が自殺をしてしまいました。とても明るく真面目で皆に好かれる人間だったのですが上司に追い詰められたようで自ら命を絶ちました。 追い詰めたと思われる上司は自分の責任とは思っていないようで詳細を明らかにしません。またパワハラとわかればクビになるので隠しているのだと思います。隠している会社と上司を信用できない状態です。 しかしそれ以上に考えてしまうのが後輩の事です。よく自殺してしまうと天国には逝けず地獄逝きという話を聞きます。凄く真面目な後輩だった為、天国に逝ってゆっくりしてほしいと思っています。 このように生前、頑張っていた人間が自ら命を絶ってしまった場合、仏教ではどのように考えるのでしょうか?

有り難し有り難し 5
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2021/12/14

二ーバーの祈り

変えられるもの。変えられないもの。その線引きについての質問です。 仏教版の「二ーバーの祈り」を知りたいと思いました。   ※二ーバーの祈り(大木英夫 訳)   神よ、 変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。   変えることのできないものについては、 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。   そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。   (ここまで)     そこに明確な線引きなど無い、と分かってはいるのですが…。   例えば、他人の感情・行動です。 原則として、変えることができない、と思います。 しかし、自分から働きかけることで、一部変えられる可能性もあります。 だからこそ、自分から働きかけて、相手が自分の思い通りにならないときに、苦しいんだと思います。。   ならば、変えることができるものは、「自分の感情と行動だけ」と捉えて、それ以外は、変えることができないものと、割り切るべきでしょうか。少しストイックすぎるようにも思えますが。。   漠然とした質問で恐れ入りますが、ぜひ皆様のお考えをお聞かせください。  

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

自灯明・法灯明の真意とは

 大乗経典はあたかもお釈迦様が直接に説いたかのように書かれた物語的なものが多くあるといわれています。お釈迦様以降に悟られた方が、仏教のすばらしさを広く一般の人まで広げることを目的にしたのでしょうか。  大乗経典には、きらびやかな極楽浄土や荘厳な仏国土、功徳のすばらしさなどなど珠玉の言葉で埋め尽くされているように感じます。  先輩が口をすっぱくしていうことには、「経典に書いてあるからといって、そのまま信じてはいけない。そもそも信じるとは「知らない」ということだ。20メートルの崖から「信じて」飛び降りる人はいない。飛び降りて死ぬということは判り切っているから「信じる」必要がない。「信じる」というのは「知らない・体験がない」ということに他ならない。仏道は「体験」してなんぼのものだ。言葉はすべて方便であり、言葉では表現できない実体験で確認するものだ。坐禅和讃の最後にある「当所即ち蓮華国 此身即ち仏なり」を体験しなさいということでした。死んでから極楽浄土へ行くのではなく「今ここ」で体験する。因縁によって生まれてきた意味は、体験することだ。」ということでした。 「自灯明・法灯明」の真意は、修行を先行させ法によって確認せよということでしょうか? 体験できるかどうかもあやふやな修行よりも、お念仏によって西方浄土で修行したほうが効率的ではないでしょうか?

有り難し有り難し 53
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鬱病の引きこもりは見守る?病院に引っ張って行く?

お線香のことを教えていただいたばかりなのに間を置かないで、それに長文でごめんなさい。急ぎの相談ではありません。お暇な時にできたら助言をいただけると、とても助かります。 私には少し離れた実家に鬱病の妹がいて母と暮らしています。彼女が自分から病院に行くと言うのを待つか、少し強引でも病院に連れて行くか、どうしたらいいか考えています。本人は病院に行きたがっていないようで、母は見守る考えですが、そうして時間が経っています。もしよかったら、お坊様のお考えを教えてください。 まず彼女の性格と今までの経緯を説明させてください。 彼女は責任感が強くて、先が見えないうちに「失敗してもいいからやってみよう」と進めません。文学が好きで芸術的で、こだわり屋です。努力家で挫折を深く悔やみ、他人にとても気を遣います。 2010年頃、進路等の挫折がきっかけかよくわからないけれど、死にたい願望が出て食事をしなくなって病院に行きました。その後回復したように見えて働きに出たのだけど、2014年頃に仕事を辞めて実家に引きこもりました(職場に性質の悪い人達がいて、日頃からいじめられていたみたい)。 2016年にまた通院しましたが治らないまま止めて、今に至ります。食事量は少ないけど食べていて、外出や掃除はほとんどできない感じです。お酒を飲んで母に「私は不幸だ」「私は何をやってもだめだ」「希望が見えない」と言って泣くらしいです。 私は挫折の度に鞍替えして自分の食料を手に入れることしか考えなかったから自責の念や自己嫌悪もなくて、彼女が長く悩んでいる気持ちがわかりません。気持ちがわからない私が考えたことは当てはまらないかもしれないけれど、このままにしておくとよくない気がします。 本人に任せて見守り続けるか家族が病院に連れて行くかお坊様によって異なると思いますが、ご意見を仰ぎたいと思います。それらはすべて貴重です。

有り難し有り難し 47
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僧侶になりたいが別の職も目指したい

有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。 しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。) もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。 親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。 休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。

有り難し有り難し 24
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2021/09/29

自分の行く場所

「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を 分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて 段階があります。 地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。 こちらの文章はとあるサイトの一文をコピーさせていただいてます。 https://biz.trans-suite.jp/20492  ←こちらのサイト様です と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか? 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。 不安です。 というか、どれだけいいことをしても無意味ってことですかね。 人に優しくしたり、色々あると思いますが・・。 自分の行くべき場所はもう決まってる訳ですから・・・ 生きてるのもしんどくなりますね。

有り難し有り難し 23
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