はじめまして。 母親が入院しています。 腎臓が悪く透析をはじめ、そして先日、子宮に癌がみつかり摘出しました。その後、腹痛が続き再度入院しました。今度は腸に穴が空いている可能性があり、癌が他に転移しているのではないかとのことです。 母親はまだ旅行も美味しいものも食べたいだろうに。そして私の家族に新しい命が秋に誕生することもあり、まだまだ生きたいと思うのですが 今日の説明で最悪はどうしようもなく、骨に転移していたら痛みを伴うと。。。 悲しくて、悲しくてたまりません。 まだそのことを知らない母親がかわいそうで、最初は1週間くらいの入院でしたので、5月には帰れるかな、、一回帰りたいなとつぶやくので、泣きそうなります。 いや、もしかしたら気付いているのかもしれません。それを一人で背負っているのかもと思うと切なくて。 今はコロナ感染の影響で会いに行くことも叶いません。 人の死とは必ず来るものだと思いますが、悲しいですね。 どのように接してあげるのが良いかなど、とても悩みます。不安を少しでも拭ってあげたいです。 まだ身内の死を見たのは祖父の時だけです。一番身近で一緒に生きてきた母親がいなくなるのはやはり嫌です。なんとか少しでも生き延びて欲しい思いと、病気で苦しむなら早く逝かせてあげたい気もしますが、まだまだ気持ちの整理がつきません。 祖父の時は少しでも長生きできないかと、咄嗟に祖父が好きな仏像を病室に届けてしまいました。非常識なのでしょうが、何かできないかと言う思いです。 死を覚悟しないといけないのはわかります。でもどうかなんとか、、、という思いで相談しました。よろしくお願いします。
変な話ですが、ずっと家族に迷惑をかけていた親戚が病気で余命半年って宣告されました。 わたしはずっと彼に死んでほしいと思っていたのでその話を聞いて悲しむどころか嬉しくなりました。ようやく死んでくれるんだって。 かなり近い親戚なので、両親にも礼服を買っておくよう言われており、必ず出席させられると思います。 彼は精神障がい者なので周りに人がいなく、式も家族でのものかと思われますが、こんな考えの私がどんな顔で参列するのでしょう? こういうものはかなり前に祖父の葬式に出たきりですが、思い出してもどの場面でも今の私に悲しい顔をできるとは思えません。 こういうのは仏教的にどうなんでしょうか? 私にはそもそもあんなにお金をかけて葬式をする意味がわからず(お坊さんに対しすみません)、形だけで悲しむだけなら参列したくないです。 昔、朝起きるのが難しかった時期に、お葬式に行くのを嫌がったところ激怒された経験があり、尚更そういった場が苦手です。 親を説得できるとも思えませんが、何かアドバイスいただけたらと思います。
昨日、父が自殺しました。自宅で首を吊ったそうです。発見したのは母でした。長年、父母は仲が悪くこんなことになるのではないかと思ったこともあり、防げなかった自分の至らなさが苦しく、子供として夫婦の間を取り持つことができなかったことにも無力感を覚えます。 私は実家を出ていますが、末の妹は父母と同居しており、先ほど電話で詳細を聞きました。父が母に『食事に毒を入れているだろう』等とひどい暴言を吐き、母はショックを受けて翌日に離婚届を渡したそうです。ここまでは以前にも数回あったことでした。父は自分が吐いた暴言が取り返しのつかないほど母を傷つけたことに気づけなかったようです。『もし俺が離婚に同意しなかったらどうするんだ』『なら協議離婚しましょう』と母は引きませんでした。 その後父は自室に一旦こもり、しばらくしてから母と妹に『俺が明日死んでたら嬉しいか』と聞いたそうです。『嬉しいわけないでしょ』と話は終わり、父が玄関から出る音がしたそうです。頭を冷やしに散歩でも行っているのか、それにしては帰ってきた音がしないな、と探しに外に出た母が自死した父を見つけました。 夫婦仲が悪く、それを見たくなくて私は実家を逃げ出したようなものです。こうなるような気はしていたのに何もできませんでした。 明日、母、妹、そして父だった者に会いに行きます。あてつけのように死んで見せた父が悲しい。弱くて甘えだらけで許せないとも思います。母や妹になんと声をかけるべきかもわかりません。 それでも、生きていかなくてはならないし母にも気に病まずにいて欲しいのです。どのような気持ちで接すればいいのか、気持ちの持ち方を教えていただけたらありがたく思います。
つい先日、持病により大好きな祖父が孤独死しました。 お通夜で久しぶりに見た祖父の顔は痩せこけており、足が悪くなったせいで病院や買い物にも行けていなかったそうです。 葬儀では棺に今までの感謝と謝罪を書いた手紙と、家族の写真を入れました。 今更になってもっと連絡すればよかったという後悔や申し訳なさ、寂しさで心が潰れそうです。 祖父を思い出すと涙が止まらなくなり、その度に遺骨に向かって謝ってしまいます。 質問 ①副葬品について 手紙は読んでくれているでしょうか。 写真の中の私も共に火葬されることで、私の魂のほんの一部でも一緒に祖父といられるのでしょうか。 ②食欲について 痩せ細って亡くなった祖父を思うと自分だけ食事をするのが申し訳なく、食欲が出ず食べても美味しいと思えません。 どうすれば悲しみを克服できるでしょうか。 ③祖父の気持ちについて 会いに行けなかったことや電話出来なかったことについて怒っているでしょうか。 もし怒っているならば赦してもらう方法を教えていただきたいです。 ④合う方法について また祖父に会いたいです。 どうすれば会えるのでしょうか。
はじめまして。私は23歳実家暮らし社会人の女です。 親は高齢出産のため両親ともに60歳です。私は小さい頃から家族が大好きで、そして家族、大切な人の死が常に怖く、最近特にその事を考えてしまって一人で泣いています。 母にもその不安を話したのですが、母はいずれは人は死ぬ来る運命に従うんだよと私よりも何倍も強い気持ちです。しかし、私はやっぱり耐えられません。ずっとずっと仕事中も両親のことを考えてトイレで泣いてしまいます。大学生の頃、一人暮らしをしていたのですが、両親のことを考え、少しでも恩を返そうと実家に戻りました。感謝はできるだけ伝えたいのですが、やっぱり死を考えるだけで辛いです。 また、遠距離恋愛をしています。片道4時間程の距離ですが、いずれ自立して彼の元へ行こうと思ってます。しかし、両親のことが心配でならないのです。両親は子供が幸せならいい、自由に生きてほしい方針なのですが、私が心配でならないのです。本当に不安です。彼の元へ行きたい気持ちも両親のことが心配な気持ちふたつあって辛いです。精神的に自立して前向きに生きたいです。 心療内科も予約済みなのですが、それまで時間があります。この常に抱えてる親の死の不安、精神的自立の仕方どうかご享受願いたいです。 日々不安で辛いです。助けてください。
前回ご質問させて頂いた続きというか重なる部分があります。 22歳の誕生日前日母の自死。 母は直前あの夫婦(姉と姉の旦那)に言われた事が忘れられません死にます。と残していました。 母の死から1ヶ月経たず、母を死に追い詰めた姉が亡くなりました。 詳しいことは分かりませんが病死だとの事でした。 周りからは母が連れていったんだ、長女で初めて出来た子供だから大切で大好きだから連れていったんだと言われました。 そんな事を言われて悲しかった。 私もお母さんの娘。私を連れて行ってよ。私をママのそばにいさせてよと思いました。 本当に母が連れていったんでしょうか。 死んでしまいたい、消えてしまいたい。お母さんに会いたい。 毎日毎日死にたい消えたいママに会いたいそう思っていても、朝が来て夜が来る。 私には死ぬ勇気すらない。それなのに生きる力もない。 お母さんにあの時声をかけられなかった手を取ってあげられなかった温かい言葉で温かい存在で包み込むことが出来なかった。未だ後悔でいっぱいです。毎日母の分まで生きようと過ごしていますが、でもそれすらも疲れてしまった。 薄情で人としていけないけれど、正直姉が亡くなったと知った時悲しいという感情はうまれませんでした。もうこれから先姉に苦しめられる事はないんだとホッとしました。 でもそれと同時に、1度は目の前で母に手を合わさせたい、母にごめんねありがとうと伝えて欲しかった。 止められなかった自分も憎いけれど、それ以上に姉が憎い。償ってほしい。一生許せない。母が亡くなってそれだけの感情で過ごしていました。 そんな姉まで居なくなり気持ちのやり場がなくなった気がします。 毎日苦しくて辛くて死んでしまいたくなります。 姉ではなく私を連れていってくれたら良かったのにな。 どうしてよりによってあの人を…と思ってしまいます。 死ぬ勇気もない、生きる力も湧かない私はどうしたらいいんでしょうか。 簡単に死ねるのならいいのに、いざとなると怖くて出来ない。 母の死との向き合い方、大嫌いな憎い姉の死との向き合い方が分かりません。 父と話していた時ふと、父私妹3人でもう死んでしまおうかと思った事もあったと。 それを聞くと、母を守れなかった事で父の笑顔、生きる気力までも奪ってしまったとまた後悔に押しつぶされそうになります。 下手くそな文ですがどうかお願いします。
付き合って半年以上の彼氏がいます。 私は、母親とトラブルがあって以来、家族とは疎遠になっています。 頼れる人がいない中、同い年の彼氏は、私のことを父親のように可愛がったり、とても支えてくれています。 将来のことなど、たまに話したり、幸せな未来を想像します。 そのとき、私は、人生の終わりの死まで考え始め、もし、ある朝、大切な彼氏がどんなに起こしても目覚めなくなったらどうしようと、不安と悲しさでいっぱいになりました。 大好きで大切な、家族のような彼氏が私より早く亡くなったら、もう笑いかけてくれないし、話をきいてくれたり、ハグしてくれなくなると思うと涙がとまりません。 人はいつか亡くなりますし、人生の長さも決めれません。 分かった上で、彼氏より先に私が天国に行ければとも考えたのですが、逆に彼氏が悲しむと思います。 絶対に死んでほしくなくて、私がいつも歩道側を歩きます。 ですが、考えつくのは、こうなったらどうしようという、悪い想像ばかりです。 もし、彼氏が先に亡くなったら、私は、この世界で生きていけないと思います。 それだけ、彼は、なくてはならない存在になっています。 今までいろいろ乗り越えてきましたが、彼の死は乗り越えられないと思います。 私の方が先に亡くなる可能性もあるのですが、彼の死に対して、気持ちを落ち着けようとしても、人生経験と、思考が足りず、どうすればいいかわかりません。 どうしたら、この不安な気持ちを落ち着けられますか。
こんばんは。 私が中学〇年生の頃、私の母親は病気で亡くなりました。 家族含め皆が母親の死を悲しむなか、私は涙がでるどころか、ちっとも悲しくありませんでした。 私と母親の中は決して悪くはありませんでした。 余命宣告をうけたのは亡くなる1年前であり、そのときはわんわんと泣いた覚えはあるのですが、一年後には悲しいどころか、どうでもいいというような感覚にさえなっていました。 私には母親の死を悲しむことすらできないのでしょうか? また、幼い頃から甘ったれで努力というものをせずに育ってきました。 その結果なのかどれほど頑張ろうと努力を継続することができずにいます。 自分なりにやり方を変えて努力しようとするのですが、その苦痛に耐えきれずに逃げてしまうのです。 そもそも努力できないのでなにもできません。 そのうえ人として当たり前の感性すら持ち合わせていないのが私です。 そんな私にどうか御教授いただければなと思い相談しました。
はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。
私の父はこれまで、商売のためだと言って親戚を保証人にしたり、お金の無心をしてきました。しかも直前まで家族には分からないようにしており、家業を継ぐべく仕事を手伝っていた夫を連帯保証人にしたり、給与の不払い等々に至るまでお恥ずかしい話、そこまでとは気づきませんでした。 父が言い訳にしていたように運転資金を確保したかったのも事実でしょうが、それ以上に父親のワガママで数年ペースで車を乗り換えたり、自身の旅行や遊びに使ってしまっていた部分が大きかったのが響いたのだと思います。 そのため娘が生まれてちょうど100日目に不渡りを出しどうにもいかなくなり、手伝っていた夫も失業し、その後も多大な迷惑をこうむっています。 不渡りを出すまで、後を継ぐべく仕事のためだと、家族のためだと思って、辛くてもお金の工面等々、出来ること思いつくことを頑張ってきました。ですが、そんなこんなも… 私たちが進んで勝手に良かれと思ってやったこととは言え… ダメになった商売の片付けや手放すことになった実家の片付けの際、なんでお願いや感謝をしなきゃいけないのか?と、お前達夫婦が破産すればいいと面と向かって言われ絶望しました。 幼い頃から、父方の祖母に意味のない子と言われてきたので(長男の娘=女なので後継としては無意味)まぁ、その息子な父親だから仕方ないか… と、私一人でしたら割り切れたのでしょうけど、大切な娘や夫にもそういった態度で… 3年ほど前に我が家に転がり込んできてから、面倒みてもらえて当たり前な態度を取られて好きなことしかせず(友達と出かける等、普通に地下鉄やバスで出かけられます。)風呂にも入ってくれず、トイレとご飯を食べる時以外は寝っ転がってテレビを見ていること、シャッターすら開けてくれない日も多いことがとても腹立たしく悲しいです。 現在、私は娘の用事もこなしたいしとワガママを貫くべく週3回の夜勤のみですが、共働きでそれなりに頑張っているつもりなのですが、疲れて帰ってきても心が休まらず… 父が早くいなくなることを願ってしまいます。娘にはそういった部分を見せたくなかったのですが、転がり込んできてからはもう無理で… かと言って、父が作った借金返済のために余裕もなく別に物件を借りる等は難しい状況です。 人としてダメだと分かっているつもりですが… 無視してもいいでしょうか?
私は小学五年生の時に父を亡くしました。 父は急死しました。原因も分かっていません。急だったので何も伝えられず、何も聞くことができず、会えない存在になってしまいました。目の前に冷たいお父さんがいた時は涙も出ませんでした。ただ眠ってる、そう見えたのです。火葬されて遺骨を見た時の光景は目に焼き付いていて 苦しいです。毎晩思い出してしまいます。 その2ヶ月後におじいちゃんが亡くなりました。短期間で2人も親族を亡くし、精神がおかしくなりました。 私には兄がいるのですが、 父が亡くなってから一切喋らなくなり お風呂に入らなくなり、髪も髭も生やして 他人には見せることの出来ない姿になってしまいました。その状態で8年が経とうとしています。このことを誰にも話せなくてとても苦しいです。昔から私は泣かない子で大人びてる子供ていうあれがあって 家族の前では泣くことができません。 心配もかけたくありませんでした。 でも夜になって1人で泣くことはもう 何年もしています。私はこのままでいいのでしょうか。母を思うと、夫を亡くして お父さんまでも亡くして、その上、 兄が引きこもりになっている状況を考えると辛くて辛くてどうにかして助けて あげたいのですが、自分には何もできません。お兄ちゃんが楽しくしゃべっていたあの頃が懐かしいです。 この苦しい気持ちを少しでも改善する方法はありますか??泣くのに疲れてしまいました。
初めて相談させていただきます。 私は現在アラフォーの処女です。 恋人いない歴=年齢です。 アラサーの時から『友人や周りの人は結婚出産しているのに、私は処女なのはヤバイのではないか?』と思い悩み始めました。 恋愛に興味がないわけではなく、誰にも相手にしてもらえないまま(婚活等も失敗)、今日まで来ました。 おそらく容姿のせいだと思います(容姿を理由に学生時代に男子にからかわれたこともあるので)。 綺麗になろうと努力しても限界があり、疲れました。 処女を捨てようと、出会い系や女性用の風俗の利用も考えましたが、一夜を共にしたら相手を好きになってしまいそうで怖くてためらっています。 それに、容姿を理由に断られたらとか、仲間内で「こんなブスが抱いてくれって言ってきてさー」みたいに陰口を言われたらと思うと気がひけます。 最近『高齢の童貞や処女が馬鹿にされるのは、その年齢まで誰からも体に触れるのを許してもらえるほど愛されたことがないからである』という説を見かけ、とてもショック受けました。 『私は誰からも愛してもらえなかったのだな』と。 家族や友人からの愛とは違う、恋愛感情として愛してもらえない自分が、人間としても生物としても劣っているように思えてなりません。 処女を捨てたいというよりも、誰かに心身共に愛されたかったという感じです。 家族仲は悪くないですが、家族が亡くなれば孤独死が待っている確率が高そうで、それも悲しいです。 年齢的に、出産時のリスクもあり、結婚も難しい(子供を生める若い女性を望む男性が多い)ので、孤独死は覚悟していますが、心身共に愛されたかったです。 悲しいです。
私は両親と、姉と暮らしています。 もちろん未婚です。 両親も年齢を重ね、体調崩す事が増えてきました。その度に、いつか1人になる…と思い怖くなります。 父か母どちらかがいなくなると仕事も続けられなくなるなぁ…とか、姉は障害を持っている為、両親が倒れたら、私は何からしたらいいんだろう…とかばかり考えて不安になってしまいます。 生活環境もがらりと変わるでしょう… 仕事に関しても、一応管理職となり、長期のお休みももらいにくい職場です。 以前は難病の父の心配ばかりでしたが、最近は母の体調が悪く、検査をする事になりました。 母も歳をとって来たせいか、気持ちも弱くなっており、支えて行く私の方が辛くなってきています。 それでも、家族の前では明るく笑顔で、仕事場でもいつも通り元気な姿で頑張っていますが、本当は辛くて仕方ありません。 「私がしっかりしなきゃ」と思えば思うほど、正直しんどいし、恐怖と不安でたまらなくなります。 最近若くして無くなった俳優さん。 特別ファンではありませんでしたが、何故か頭から離れません。 自死はいけないことかもしれませんが、自分が楽になる為の1つの手段だったのかなぁ…と思ってしまいます。 もし楽になれるなら、その選択もありなのかもしれない。 でも、私がここでいなくなる訳にはいかない! この2つの思いが頭の中をグルグル回ってとても苦しいです。
遠方の家族が危篤状態です。会いにいった方がいいのかもしれませんが、死が目前の人と会うのが怖く、また帰省して沈んでいる他の家族と過ごすのも辛いと思ってしまいます。 自分の心を守るためには遠くから安らかに過ごせることを祈っていた方がいいと思います。こんなことを考える自分が最低だと思いながら、かなり気持ちが滅入っています。どうしたらいいのかわかりません。
いつもお世話になっております。 以前から死の恐怖について相談させていただいておりました。 最近は仕事もプライベートもそれなりに忙しく充実しております。体力的にも時間的にも死の恐怖に囚われている時間は少なくなり、心安らかに過ごしていました。 ですがふと、 やっぱりこの世は諸行無常で、今の幸せや充実もいつか無になり、私は私を自覚できなくなり、死んだあとは未知でしかなく、「死」という未来が待っている以上この先の人生のエンディングは絶対的な絶望なのだ、と 以前と同じ恐怖が強くよみがえりました。 日々の幸せに夢中で死を考えなくなり、「まあでも、これが今の私なりの死への向き合い方なのだろう」と甘く捉えていましたが、 結局、恐怖は忘れていただけで、死ぬ事実も絶望感も変わらずに私の中に存在します。 たくさんのお坊さんにご回答をいただき積極的に「心安らかに死んでいける心持ち」を探し求めても、知識だけが増え頭でっかちなまま、結局は恐怖も絶望感も拭えぬまま、不安な心のままです。 お坊さん方の視点から、私は今後、どのように死と向き合ってゆくのが良いと思われますか。 積極的に怖さに向き合い死を学ぶショック療法のような形か(ただ、もう死の恐怖に面と向かって辛い思いはしたくないという甘えも自分の中に今はあります)、 それとも自然の流れに身を任せて死を忘れたような日々を過ごすのか(そのうち死を自然と受け入れられると信じて)、 はたまた仏様に全てを任せ不安な心持ちのまま生きてゆくならば、まだ心の底から仏様を信じられない愚かな私の、実在する「不安な気持ち」をその都度「大丈夫」と躱していけばそのうち信心が得られるのか、など。 もちろん最終的に何を選択するのかは私が決めるべき問題と思っておりますが、 なんだかもう、自分でもどうしたら良いのか分からなくなってしまったため、アドバイスをいただけたらと思います。 お忙しいところ大変恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
大好きだった父が自死しました。 性格は、真面目で優しくて、少し神経質なところがあり何事もきっちり管理をしたい人でした。 実家で1人暮らしていたのですが、軽度の認知症を患い、1人で生活するのが難しくなり父の希望により施設に入所することになりました。 父が何も言わないのを良いことに私達姉妹が会いに行くのは、年に数回で、人付き合いが苦手な父にとても寂しい思いをさせてしまっていたのではないかと思います。 施設での生活が1年を過ぎた頃、父は一度目の自死をはかりました。なんとか一命をとりとめましたが、大変落ち込んだ状態になっておりました。父は自死の理由を自分の思う通りに行動や生活ができなったことで私達に迷惑をかけたくなかったからだと言っていました。 その後父に一緒に暮らしたいと言われましたが、姉と私にも家庭や仕事があり、父を介護することができないこともあり、しっかりと介護をしてくれる施設へ入るほうがいいと勧めてしまいました。 ただ、自死をしたということもあり、すぐに受け入れてくれる施設はなく、まずは精神科で見てくださいと言われました。 その後、精神科を受診し、精神科の医師の判断で精神科病院の閉鎖病棟に入院することとなりました。 そこでの生活は色々と制限が多く、看護師さんにも厳しくされ父にとっては厳しい環境でした。 2ヶ月が過ぎ、入所できる施設が決まろうとしていた矢先、二度目の自死を図り亡くなりました。 自死を図る3日前に会ったときは頑張って生きると笑顔を見せてくれていました。 そのこともあり、何で自死を図ったのか分からず、何でだろうと考えてしまいます。 自分の中で、精神科に入院させてしまったことや一緒に暮らせないと言ったこと、寂しい思いを沢山させてしまったことが要因ではないかと自分のことを許せなく毎日責め続けています。 父の悲しい顔ばかりが頭に浮かびます。 父を苦しめた私だけ幸せな人生を送ってはいけないと毎日考えてしまい苦しいです。 父を成仏させてあげるには、悲しい気持ちを持ってはいけないと聞きました。明るくしないとダメだと思うのですが、父の写真を見ると辛く悲しく泣いてばかりです。 父が成仏でき、幸せでいてくれているのか心配です。
先月、お付き合いしていた方を亡くしました。 彼は、家族や周りの人に結婚したい相手だと伝えていてくれて、 通夜、告別式共に参列させて頂けました。 彼が居ない世界は、寂しく、虚しく、 自分の人生をこの先どうしたら良いか 途方に暮れています。 私は医療系の仕事をしていて、日々、患者様の生活を良くしていく、それがやり甲斐にも繋がっていたのですが、 彼が亡くなって、患者様と接していて、感じてしまうのです。 どうしてこの人には彼には無かった未来があり、私の彼はなぜ亡くならねばならなかったのか。 彼に対して、医療的なアドバイスや突然死に繋がる兆候を見つけられたのでは無いか。 一緒に居たら、救命できたのでは無いか。 上記の感情に囚われて、今、患者様の前に出る事が出来なくなってしまいました。(仕事は休職させて頂けました) この先、生きていく為に仕事をしなくてはなりません。 自分の中の醜い羨みや後悔を、どうしたら捨てされるでしょうか…?
先日、クラスメイトが亡くなりました。 たまに話す程度の仲でしたが、小学校からずっと同じ学校でした。 1ヶ月以上経った今でも、死について考えるのが怖いです。死についてどころか、生について考えるのも怖いです。ニュースの誰が亡くなったという情報にも、過剰反応してしまい、なかなか恐怖が収まりません。友達と人狼ゲーム(敵味方を見分け人を殺していくゲーム)をする時も過剰に怖がり、ゲームに水を差してしまいます。毎晩毎晩寝るのが怖いです。 祖母が認知症になり、死に近づいているのが嫌でも分かります。そうなると自分も死に近づいていると気づいてしまい、何故生きているのかが分からなくなります。 生きることに理由がなくても怖くはありません。始まりと終わりがあるのが怖いのです。 死んで魂がなくなるのも怖いのですが、死んで魂が残る(輪廻転生、霊になる、違う生き物として生まれる)のも怖いです。 動揺していて話にまとまりがなく、すみません。どうか助けてください。
いつも、お返事ありがとうございます。 毎回、お坊さま方々の優しいお言葉に励まされ、何とか生きています。 我が家には、お仏壇があります。 朝晩にお茶、お水、ご飯をお供えし、出掛けてる時には行って来ます!帰った時にはただいま!と声をかけています。 最近なんですが…。朝の挨拶で「いつもありがとうございます。今日も一日頑張りますので宜しくお願いします」と呟やきながら、義父母の遺影を見ていると、「○○、今日も頑張って!大丈夫!大丈夫だからね!」と言う言葉が、胸の中にスーッと入って来たのです。 きっと、自分の勝手な思い込みなのかも知れませんが。 挫けて涙が溢れて。生きていく事に疲れて。もうダメだ。もうダメだ。って思う事も沢山ありますが。 お仏壇?義父母?からの大丈夫!大丈夫!と言う言葉に救われてもいます。 娘の遺影も優しく笑いかけてきます。 私は、弱くて頼りなくてダメな人間で、死にたいと言う想いもいつも頭の片隅にありますが。 何だか、まだ大丈夫!死ぬにはまだ早い!大丈夫!きっと幸せになれるって励まされている様な気持ちになります。 ホントに勝手な思い込みでしょうが、お仏壇に手を合わせることで、何となく私は救われていると思います。 纏まりのない話しで申し訳ありません。 亡くなった人達と心と心で繋がっているって思ってもいいのでしょうか。
介護の仕事をしています。 そして家では相棒の20歳の猫が弱っていく様を目のあたりのして、 人間も動物も歳をとり身体が思うように動かなくなり肉体的にも精神的にも痛く辛い思いをするように思います。 なぜかはわからないけれど命には寿命があって、皆いずれ死なねばならない。なのになぜ命は、わざわざ苦しみやすく出来ているのか、 脳ミソが、老いて寿命が近くなったら自動的に幸せホルモンのようななにか痛みを緩和させて穏やかになるような麻薬物質でも分泌すればよかったのに(そういうものがあるかもわかりませんが)、なぜそのように進化せず、やはり苦しみがちになるのだろうかと疑問に思っているのです。 また、相棒の猫は確かに20年いっしょに暮らしてきた家族だけれど、言葉を通してなにをしてほしいか、なにが食べたいかを迅速に伝えられない訳だから、きっとひとりぼっちで寂しくて、体も痛かろう、初めて老いて初めて死に向かうのに淋しかろうと、100%助けてあげられなくてすまなくて悲しくて眠れません。 やはり施設で暮らす高齢者の方々も寂しい思いで暮らしているだろうと思います。猫と比べるなと言われるかもしれませんが、同じように思ってしまいます。 道元禅師の生死の巻で、薪と灰の話、 前後裁断があったかと思いましたが、 今の私には死はやはり老いた先にあるもののように思えてなりません。身体の細胞ひとつひとつが活動できなくなった先にある死で、やはり苦しまずにはいられないんじゃないかと感じてしまいます。 あのお話だったか、生と滅にそれぞれ“さきありのちあり”とあった気もしますが、なにか私が今目の前にしているものの解釈のヒントになりそうなのに、いまいち理解ができません。 わかりにくい質問で申し訳ないのですが、ようは、なぜ命は苦しまなければいけないのか、なぜ苦しむのに生まれてくるのか、そしてそれをずっと繰り返してきたはずなのに、脳ミソが苦しみを除外するよう進化しなかったということはやはり必要があっての苦しみなのかしらと素人考えをしているわけです。かといって私の相棒の猫さんが死に向かって1人老いて苦しむのは切ない事です。。。それらが不思議で切なくてならないのです。 自然の摂理だから仕方がない事なのでしょうか?