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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 人生 」
検索結果: 2748件

仏教的に見た、善人と悪人・罪人

10代の頃から悩みの多い人生で、未熟なまま大人になりました。 家庭を持ち30代になっても周囲に対して愚かな言動をしてしまい、人を気付けたり迷惑を掛けたりしてトラブルになってしまった事が複数ありました。 反省と後悔で苦しみながらこちらにもお世話になっています。 様々な問題を抱えており、これから先の人生に希望をなかなか持てずにいます。 ハスノハでもいろいろな回答を読み、特定の宗派と言うよりは、お坊さんのお話で自分にしっくりきたものを取り入れさせてもらっています。 ある宗教評論家の方が出されている本で、とても気になる事が書いてありました。 それは、「この世の中には善人も悪人も必要」 そして「人間は皆それぞれに役割が決まっていて、それぞれ精一杯にその役を演じれば良い」 更には、「お浄土へ行った時、仏様に労われるのは悪人・罪人の方」との事。 極端な物言いを売りにしているので、この抜粋だけでは著者の本意が伝わらないかも知れないのは恐縮ですが、お坊さん方はこの考えについて、どのようにお感じになりますか。 (ちなみに、誤解を恐れずに言うと、私は少し救われた気持ちになりました。 だからと言って、罪を犯していいとか人を傷付けていいとは決して思いませんし、著者もそういう意味では言っておられないと思います。) お坊さん方の見解をお聞かせ頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 31
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怖いことが多いです

度々お坊さん方にはお世話になっております。 ご質問なのですが、私には怖がることが多いです。怖がってしまう対象は、人や、会社や、学校、様々です。 例えば、今は、就職活動中ですので、この会社は自分が入って、いじめられないどろうかや、信用して本当に大丈夫か、進展はあるか、ブラックではないか、などです。 人でも、疑り深く、本当はこの人は私の事を嫌いではないだろうか、本当は影で悪口を言ってるのでは?などや、今言ったことに対し、嫌われなかっただろうか。などです。怖いというのは、相手を信用して裏切られたときに、傷付いたり、散々な目に会うのが怖いのです。会社選び、友達選び、恋人選び。なので、常に一人で生き、社会からぽつんと浮いてしまってる気がするのです。 人を疑り深い目で見ることは、大変失礼だと思います。ですが、20そこそこの経験が少ない大学生が、やれ恋人に裏切られ自殺だ、会社がブラックで働きすぎで過労死だ、などと、様々な問題があると言われると、警戒心が強くなり、こわがってしまうのです。そのため、結婚もしたくなければ、子供も欲しいとは思えないです。結婚すれば離婚のリスクがつきます。子供を授かれば、離婚をした時、自分が育てていかねばなりません。そうなると、私一人の収入では、どうしても子供に満足な生活をさせることは、このご時世厳しいです。 このように、様々なものを警戒して、行動まで中々踏み出せません。自分でも苦しくて、どうしようもなく沈んでしまいます。なにか、心持ちを変えられるようなことはないでしょうか?

有り難し有り難し 8
回答数回答 1
2024/09/21

防衛本能をどう生かすか

お世話になっております。久々に質問させていただきます。 私は非常に怖がりな人間で、危機や違和感といったものに人一倍敏感で、そのせいでチャレンジしたいことができない・本当はもっと深く付き合えたかもしれない人たちとそれ以上わかり合えない、といったようなことが度々あります。「ん?これ(この人)なんか違うかも?」と思ったとたんに、「これ以上はやめといた方がいい、面倒なことになるぞ・危ないぞ」と自分の中の危機管理担当(?)みたいなもう1人の自分がストップをかけてくる感じです。 「この人/この会社とは関わらない方がいい気がする・ある場所にどうしても行く気がしない・何か嫌な予感がする・Aを選んだ方が得なのに、自分はBの方がいいと思う」といったような感覚は、未知のものに対する一種の防衛本能であると聞いたことがあり、このような感覚は誰にでもあると思います。しかし、私の場合は、それがあまりにも過剰になりすぎている気がします。もう少し危機感をゆるめたら、もっと人生や人間関係が開けるのに、と思うことがあります。一方で、これまで大きな怪我や事件に巻き込まれずに元気で生きてこれたのは、違和感や危機感を無視しなかったからだ、とも思います。 このような違和感や、危険信号のようなものを感じたとき、お坊さんはどのように対処しますか?防衛本能を過剰に発動させず、色々なことにチャレンジしながら、必要なときにだけ自分を守る判断ができるようになるには、どんな心がけが必要でしょうか?また、本当の危険を察知する力は、どうやって磨けばいいでしょうか? お坊さんは、日々精神を鍛錬されてバランスを取っている印象があるので、質問いたしました。何かヒントをいただけると幸いです。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2
2023/05/20

性善と仏性、性悪と救い

ずっと日蓮聖人と法然上人、親鸞上人のことが頭から離れず、キリスト教を勉強しながらも反芻していました。 人の本質を仏性とすることを日蓮聖人は言われてたと思うし、窮地に追い込まれても 法華経を支持する神仏を信じることで内に起こる恐怖や不安からくるお気持ちと闘われたと思います。法然上人、親鸞上人は、法華経を目指しても自分の力ではなれない悪人と悟ることで仏の光が差し、念仏によって阿弥陀様に救われる。とされた気持ちもわかります。 悩んだあげくキリスト教を勉強し始め、生きる軸としようと生きています。 キリスト教は、自分の悪を知り、弱さを知り、懺悔を、神の御心とキリストを通して贖罪をし、罪を作らない知恵を学び祈りとするのだと思います。父が学会員だったり、祖父が浄土真宗ということで里心があるのかもしれません。地獄は人間が作った観念だと思います。神仏は地獄を作ってないと思います。時々、御布施や献金のお願いばかりして、本当に神仏を必要とした老後や病気や貧困になった時は自己責任と見放すのがお寺や教会かなって思い、まあ神仏は見放しませんよって説かれても そうだよねって思う。ちょっと信仰心も冷静になる。書いてる内に落ち着いてきました。結局、介護士になり、人の生き死に寄り添いケアをする仕事に神仏をおき、自分の命をつなげるお金をいただいていることに感謝と献身することを神仏に導かれたと思います。いろいろ悩んでいた頃の以前の履歴を恥ずかしく懐かしく想いながら、自己の命と介護させて頂く命が神仏に救われていくように祈り、頑張りたいと思います。相談したかったことは、私は許され生きていけるのかということでした。 大失恋をしたような気持ちでしたが書いている内に救われていると思えてきました。ありがとうございました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

どう生きればいいのか

お世話になっております。コロナの影響でご相談が相次いでいる中、申し訳ありません。 僕は以前の相談でも書かせていただいたことがあるのですが、外見的な特徴(髪、肌、体型などいかにも不健康な容姿)をしています。おそらくhspでの過剰なストレスが原因です。これは非常に大切なことですが、「治そうと思っても治せません」。性質ですから。これらの理由から人から見下されたり、バカにされたりすることが毎日のようにあります。中2までは全く気になっていませんでした。中3になったある日、大人の女性からいかにも気持ち悪いものを見た時のような顔をされました。おそらく、ストレスによる酷い肌荒れです。それから人の視線を気にするようになり、やはり前述した女性のような顔をする人や目で追われたりしました。(ここでよく言われるのは、「お前が見ているから見返してくるのでは?」という疑問ですが、視線を感じた後で見ているので違います。) いずれ、これらの出来事によって人間不信になりました。大人からは鼻で笑われることもあり、とてもショックでした。大人の本性を見極めてしまったのです。人生を生きていく上では人間関係からは逃れられない。しかし、僕は人間不信です。僕の居場所など何処にあると言うのでしょうか?親さえも信じられない。たまたま縁によって僕という子供の親になったわけですから、愛情を注いでくれるのでしょうが、立場が変わればどうなります?きっと周りの大人達のように僕を見下すことでしょう。 友人も信じられませんし、いつ嫌われるかびくびくしながら毎日を過ごしています。普通は信頼関係を築けるのが本当の友人だと思いますが、人間不信だとそうはいきません。学校で安心して暮らせるために、友人関係を作ってしまっています。 もちろん本当の友人は欲しい。しかし、人間を信じるのがとても怖ろしい。おそらく、傷付きたくないのでしょう。これまで散々傷付けられ、なぜこれ以上傷付けられなければいけないのか...。「どうせまたバカにされる」と諦めムードです。 このような現実を引き受けた後、僕にはなにが出来ますか?どうかアドバイスをお願い致します。 あらかじめ書いておきますが、当然ですが僕の人生はお坊さんの人生とは違います。どうか上記の(hspの身で生まれ、不健康な人間に育ち、人間不信に陥った人生)を想像しながらアドバイスをお願い致します。

有り難し有り難し 12
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2025/07/22

自分の寺と他の寺の後継者問題について

私は現在、40代独身で、地方の田舎寺で住職をしております。 親の跡を継ぎ、20代で仕事をやめ、本山での修行を終え、僧籍を取得後、何もわからない状態でお寺の世界に入りました。 元々父方の祖父母が寺をやってまして、その後は父が継承し一人でやってましたが、その父も途中病気にかかり、頼むからそろそろ継いでほしいと頼まれたのがきっかけでした。 母は檀家の紹介の見合いで寺に嫁いできて、私と姉が産まれ、結婚後は祖父母と同居しながら檀家の対応までやってましたが、慣れない子育て、田舎暮らしや檀家の突然の訪問などが重なりうつ病にかかってしまい、見かねた父が寺からかなり離れた場所に家を建ててそこで暮らしてました。 私も姉もそちらの一般住宅育ちで寺とは全くの無縁な生活をしてました。 そちらで就職してしばらく働いたのち、寺を継ぐことになったため、姉も仕事をやめ、現在一緒に寺を手伝ってもらってます。 実をいうと、私も寺を継いだものの、人付き合いが元々好きではなく、葬式での檀家との付き合いなどが毎回大変で、精神的に参ってます。 私も姉も独身で、今後結婚は難しく、60ぐらいで還俗し、他人への継承を考えてます。 幸いなことに檀家数は400件前後(近所の住職無住寺を複数兼務でやってます)いて、経済面での苦労は全くありません。 実は、ほかに懸念していることがありまして、私がほうるいになっている近所の住職のお寺の跡継ぎがいません。結婚してても子供がいない寺と独身の高齢住職の寺があり、両者檀家数は150件前後なのですが、そのあとを私にやってほしいみたいなことを言われてます。 書類上、私がその寺のほうるいになってるのですが、私自身の寺の檀家の対応だけでもう精一杯で精神的に参っており、これ以上はとてもじゃないができません。 近所の独身の高齢住職がそろそろあぶなく、一番若い私がその寺の檀家の対応をまた兼務で押し付けられるような感じになってしまうのではないかと心配でなりません。 本来ならその住職が跡継ぎをなんとかしておきべきなのですが、もう高齢化で仕事もできなくなりつつあります。 私の寺は、あと10年くらいしたら本山か宗務所に声をかけて次の跡継ぎ候補を探してもらい、60前には住職を辞めて、姉と寺を出ていこうと思ってます。 高齢住職の寺とはもう関わりたくないのですが、どうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 30
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なぜ生きていなければいけませんか?

昔国語の授業で死生観の話になり、先生が「死ぬのがいけないと言うことに対しての絶対的な否定はできない。」という話をしました。 その時の話に妙に納得し、胸にすっぽりとはまってしまった考えはなかなか抜けず、今でもその問題に悩み続けています。 今の私の生活は、特に何が悪いと言うわけでも、何が楽しいと言うわけでもありません。悲観するべき人生でないのは恵まれていると思います。 ですが、このまま自分は生きている今なんてあるのかな、と思ってしまいます。 自殺する人たちに向かって、「これから生きていれば良いことがあるよ。」と説く人がよくいますが、別にこれからの楽しみに期待はしていません。これでは生きていく意味になりません。 「周りの人のために死んではいけない。」と言う言葉は確かにその通りだと思います。ですが、家族や友人、私の死後の事を考えると、それらはただの今の私の重荷でしかないと思います。 人生は先行きがわからなくて、その時その一瞬や1日によって状況が全く変わったりしますよね。辛いことも苦しいこともたくさんあって、日々の暮らしや将来にあまり期待もしていなくて、こんな状態で生きていく意味はありますか? 生きていくのに必要な「欲」がなければ、生きていく意味はないのでしょうか なぜ人は死んだらいけないのでしょうか。 生きていかなければならないのでしょうか。 生きるって何がゴールですか? 先の見えないゴールなら自分で素早く終わらせても一緒じゃないですか? 死ぬってなんですか? 結局皆終わりには死ぬのに、生きる意味はありますか?

有り難し有り難し 86
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夫の死

去る3月22日夫が自死いたしました。 あれから80日近くたち、涙は枯れてまいりましたが、日々彼に対する罪悪感、己への嫌悪感は増すばかりのような気がいたします。 私が、彼のいう事にもっと耳を傾けていたら、なぜ彼は一人で出てゆかなかったのだろう? 生きてくれさえすれば・・・ どう泣きわめこうが、謝ろうが反省しようが、もう彼はこの世には居ない。解っているのです。 49日が過ぎるころから、自死念慮は収まったように思います。 が、人生の希望が見えないのです。 何もやる気がおきないのです。 これではいけないと、こちらで拝見した、井上貫道老師の坐禅会にも参加致しました。カウンセリングも受けています。自死遺族の会(築地本願寺は気分がすぐれず、伺えませんでした)も参加してみようとは思っております。  はやく普通の生活を営めるようにしなくてはと思っているのですが、なかなか思うようにゆかず、まだ、彼の亡くなった家へも立ち入ることが出来ません。 また、長時間の外出は気分が悪くなってしまい、ついつい引きこもってしまいます。 どうしてよいのか解りません。 また納骨のことでも気がかりがあります。 それは、また次回お尋ねいたします。 脈絡のない文章で済みません。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1