亡くなった実父が元気だった頃に 何気なく葬儀の話をした際に、生家と同じ宗派での葬儀を希望していることを知りました。 数年後の父の急逝時に在住地近くの当該宗派の寺院に問合せましたが、 檀家の葬儀のみ受付との事で叶わず、 喪主の兄の知人である他宗派のご住職に葬儀を引き受けて頂きました。 無事に葬儀は済み、現在も法事でお世話になっており感謝しています。 ですが、私としては父が希望していた生家で慣れ親しんでいたお経を一度でもという思いが消えません。 私が個人的に読経をその宗派の方にお願いすることは失礼でしょうか? 私の在住地にはその宗派の寺院が 幾つかあること、 実家とは離れているので 兄やお世話になっているご住職の 耳に入ることはないので 実現できないものだろうかと 考えております。 また、檀家でなく一見の人間からの 依頼で読経をお願いする事は可能なのかも併せて教えて頂けると幸いです。 仏教用語その他の知識がないので、 間違い失礼等ございましたら申し訳ありません。 どうぞ宜しくお願い致します。
私は最近、曹洞宗の菩提寺さんと関わる機会がありました。それを機にもっと自分の宗派のことや、それ以外の宗派のことも知ってみたいと思い、お寺巡りをしてみたいと思っています。 まずは、近所のお寺に行ってみたいと思っているのですが、私の住んでいるところはなかなかの田舎で、お寺に行こうにも少し気が引けてしまいます。 それに、私はまだ高校生で、変わった人だと思われそうで心配です。お坊さんと話してみたい気持ちもありますし、色々なお寺を参拝したいという気持ちもあります。 やっぱりお寺を参拝する時は事前に電話で行ってもいいか確認したほうがいいんでしょうか? また、せっかくお寺を参拝するなら御朱印も集めてみたいと思っています。 大きなお寺では、御朱印受付所があるのは知っていますが、近所のお寺では見たことがありません。御朱印は全てのお寺で頂ける物なのですか?またお寺を参拝して、何と言ったら頂けるんでしょうか? なんだか長文になってすみませんm(_ _)m
疑問に思っていることがあり教えていただきたいと思います。 我が家では祖父の葬儀はお寺で行い、法事もしました。お盆には毎年迎え盆、送り盆を家族でしています。仏壇もあります。 自分の家の宗派も認識していますが、かと言ってそれ以外に仏壇にお線香を上げる等以外は日常で仏教的な事をしている訳ではありませんし、クリスマスを祝えば、神社にお参りする事もあります。典型的な日本人だと思います。 「私は仏教徒です」と言えるのはどういう場合なのでしょうか?逆に無宗教とはどういう状態でしょうか?身内が亡くなった際はどうしているのでしょうか。 仏教の本を読んだり仏像を拝観するのは好きですが、私の場合は無宗教なのか?と思ったりします。
いつもありがとうございます。 私の実家の菩提寺は日蓮宗で、お仏壇には法華経を唱えております。 しかしながらこちらで質問させていただくにつれて、 般若心経のお話を聞いたり、禅のお話を聞いたりするようになりました。 このように宗派に関わらず仏教に触れても良いのでしょうか。
こんばんは。 以前よりこちらのサイトにお世話になっておりますゆうでございます。 さて、在家出家はずっと思っていたこともあり、そして長年悩み続けた悪縁とも縁がきれ、最小限の浮世のつながりとなりました。今もっとも心は自分が出家するタイミングなのではないかと思っています。 いっそ本当であれば何もかも捨てて、出家をしたいとは思いますが、まだ子供が幼いために、在家での出家を望んでおります。 私の実家の菩提寺は臨済宗ですが、なぜか小さなころからご縁があるのが真言宗です。臨済宗、真言宗、どちらも素晴らしい宗派と思っております。 真言宗とのご縁をとるか、臨済宗の教えをとるか悩んでおります。 この時点で悩んでいる私などが在家出家する資格があるのかとも思いますが、どちらかを選ぶ手段と在家出家の仕方など教えてください。
よろしくお願い致します。 実家時代に家族とともにおまいりをしたように、いま一人暮らしの生活をしていても親しくおまいりをしたいと思うようになりました。 この場合、いまの住まいの近くの同じ宗派のお寺さんを探して、おまいりすればよいのでしょうか。それとも、いつものお寺さんに口利きなりお願いするのが礼儀でしょうか。 実家には年老いた母がおり、父が亡くなる前に急に一人でおまいりすることがふえたエピソードをひいて、私が一人でお寺さんにいきたい旨の話をするとやたら心配するもので、どうも地元のお寺さんに行きづらいところがあります。 (実家は田舎なので母に黙っていくことは難しいです。) また、蛇足ですが、私がいわゆるLGBTにあたる者であるということは、お寺さんには黙っていた方がよいでしょうか。
先日同居の彼がお通夜に参列して帰宅してきた時に塩持ってこいと言いました 最初訳も分からずポカンとしてたら、清めの塩やったこと無いのか?と呆れられてしまいました (いくら私が寺の孫でも宗派違えばやるやらないがあるのに…) 大人になるまで清めの塩も見たことなく、その他の作法も知らないのは私がおかしいんでしょうか?(故人を蔑むみたいで、清め塩とかやるのは正直嫌なんですが…)
父は次男で最近は、親戚とも疎遠になっってきています。私もバツイチで子供もいないので将来のことも考え永代供養納骨堂を契約しました。 永代供養は宗旨・宗派を問わないとの事ですが、供養に関しての読経は真言宗とのことです。私の父の実家(本家)臨済宗です。こう言う場合、お葬式は臨済宗・真言宗どちたにするべきでしょうか? 永代供養のお寺(高徳院)にお聞きしたところ、改宗しても問題ないとのことですし改宗した方が良いのでしょうか
実家は真宗大谷派、私自身は現在実家から新幹線の距離の街に住んでおります。 父の死後、母と兄の私や家族に対する態度の豹変、虚言による中傷の為実家とは絶縁しています。 今年の夏、亡父の七回忌ですが、今住んでいる街で自分達だけの法要をしたいと思っております。ここ1年ほど近所の日蓮宗のお寺で写経会や行事に参加しており、事情を話しましたらご住職より快諾頂きました。 地方も宗派も違うので法要のお布施の額も全く分からず、街の仏具店で尋ねましたら、そもそも檀家でもないのに法要を行うのはその寺の檀家さんからすると義務を果たさず美味しいとこ取りともいえる、かなり図々しいことなのでお布施はこの程度はするべき、と実家の菩提寺の法要のお布施の2.5倍ほどの額を提示されました。そこまでは厳しいので多少躊躇しています。 お寺の写経会は本当にいいの?というくらいお金がかからないし、誘われるまま行事にも参加していましたが、やはり檀家さんからすると余所者がお寺を利用しているという認識もありかな、と思っております。 また、宗派も違うのに法要をお願いするのは常識外れなのではと今になって悶々としています。 住職さんは快く受けてくださいましたが、なら一層お布施くらいは高額納めるべきなのか? そして檀家でもない者が気軽にお寺を利用して良いものか。 助言くだされば有り難く存じます。
仏教のどの教えがオススメとか、私は仏教のここが好きとか、もしあれば教えてください。 一人で仏教を勉強することに疲れました。 薬物依存の治療中の友達のいない一人暮らしの無職の男です。 よろしくお願いします。
初めて質問させて頂きます。 母は熱心なとある新興宗教の信者です。私はその2世になりますが、幼少期から嫌な思いがあり活動してません。 ですが神仏に興味があります。色々勉強していきたいのですがどのようなことをすればいいでしょうか。色々な宗派もお有りなので教えも様々でこんがらかってしまいます。 今子供の事やお金の事など色んな事に直面してて勉強して心豊かな人間になりたいと思ってます。 どうかご教授お願いします。
はじめまして慈空と申します。 仏教を勉強中の宗派すら分からない若輩者です どうか私の疑問にお答えください。 両親の位牌が心配なのです、 もしも私が社会不在、 或は死滅した際、位牌はどうなるのか? 生きてる内に対処するべき事は何か?方法はあるのか? 現在私の状況は天涯孤独に近いです。 正しい考え方が分かりません。 宜しければ皆様方のお力を賜れば幸いです。
日本の仏教(浄土真宗を除く)は何故『肉食妻帯』が許されるのでしょうか? 浄土真宗を除く宗派は『肉食妻帯』の禁止が前提で作られていたのでは無いのですか。 肉食関して仏陀は肉食を禁止していないや三種の浄肉をおっしゃる方が多くいますが、その部分だけを引用するとそう解釈できるか分からないですけど、当時は「托鉢」や「午後の食事の禁止」が前提の話で、日本の僧は「托鉢」や「午後の食事の禁止」をしているわけではないのに、その部分だけを引用するのは如何なものでしょうか。 また中国経由の日本の仏教には関係のない話であり、仏陀は肉食を禁止されなかったという個々の考えがあるのであれば、上座部やチベット、真宗などに改宗するか新たに肉食を禁止されない宗派を開宗すべきで妻帯の禁止及び菜食主義であった既存の宗派を変える事は以ての外ではないでしょうか 私は肉食妻帯に対して反対しているのではなく、真宗以外の諸派は肉食妻帯な禁止が前提として作られているのだからそこは徹底的にして欲しいのです。 妻帯については後継者問題があるからとは言いますが、なぜそこまで出家にこだわるのに、妻帯の禁止にはこだわらないのでしょうか。出家せずとも知識ある在家としてお寺を見守る家系として生きていけばいいではありませんか。 出家しているのに妻帯だと在家とあまり違いが無いではありませんか。 これは勝手な私論ですが 末法無戒を、唱えた日蓮上人ですら肉食妻帯をしていませんよね?それは「僧が袈裟を着る事」や「人が人を殺す事はいけない事」と同じ様なもので、その当時は肉食妻帯はしないのが当然なので末法無戒には含まれないからでは無いのでしょうか。 もし政府が「僧の服の着用勝手たるべし」とでも法令出したとしても、日蓮上人は直接は言及していないが、服を着るのは当然でその上で末法無戒と言ってるなんて誰でも分かるじゃないですか。 まとめると肉食妻帯の容認を当初からしている真宗以外は、かつてと大きく肉食妻帯に対しての意識が変化しているのにも関わらず、別宗派を作らず元の宗派を名乗ったまま肉食妻帯を許しているのか。 また現在における出家と在家の違いはなんなのかです?
日々忙しく過ごしており、そんな中でも、静かに、心穏やかに、過ごす時間を作りたいと思っております。 実家は無宗教で、もちろん仏壇などありません。 今は独身で、独り暮らしではありますが、小さな小さな仏壇でよいので準備をして、お経を唱える環境を整えて、静かな時間をつくりたいと考えております。 身内に亡くなった人もおらず、先祖からの決まった宗派はわかりません。 私自身は真言宗への傾倒があり、自分なりに学びを深めてきました。 このような状況で、お経を唱えるというのは、不謹慎なことなのでしょうか。 アドバイスいただけたらと思います。 よろしくお願いいたします。
お坊さんの上下関係は、厳しいですか? 私は以前、テレビで、“お坊さんの上下関係は厳しい”と聴いた事が有ります。お坊さんには、はっきりした官位や地位(僧正、僧都等)が有るので、やはり上下関係は厳しいものなのでしょうか。 又、私は浄土宗の僧侶を志しているのですが、浄土宗でも、上下関係は厳しいのでしょうか? 法然上人の「敬上慈下」という御言葉は、上下関係を意識し、上の者には敬い、下の者には慈悲の心を以って接せよ、という意味ではないかと私は思うのですが、それは、今の浄土宗の上下関係にどの様に影響しているのでしょうか。 これを見て下さっているお坊様方、どうか私に教えて下さい。宜しくお願い致します。
知識のない一般人としての質問で大変申し訳無いのですが・・・ ブッダがいた時代は、大乗仏教や宗派ができる前ですが、ブッダが一番言いたかった、伝えたかったこと(メッセージ)というのは、大乗仏教の中にどう生きていると思われますか(大乗仏教の様々な宗派の中でどの部分に一番それが象徴されていますか)? 大乗仏教において、ブッダの教えとその宗教としての儀式などがどこか矛盾していると感じてしまうことがありますがそれはどう捉えればよいでしょうか。(ブッダのいう悟りから得たもの(教え)と大乗仏教の在り方が矛盾してみえることがある) 菩薩という存在は、大乗仏教のなかでどう捉えたら良いのでしょうか。
宗派によっては、お盆の際には、迎え盆、送り盆でお墓に行きますが、仕事で迎えには行けたものの送りが難しい場合など、どうしようかと困る場合があります。先日は遅い時間になり、おまけにどしゃ降りでした。お盆だけお客様として迎え入れるのではなく、毎日がお盆のようにしてはいけないのでしょうか?
こんにちは。 いつもお応えいただき感謝です。 私は今、日蓮宗で先祖供養をしています。 しかし、出身が香川でもともと真言宗、というわけではありませんが、なんとなく真言宗が好きです。 最近ご縁があり日蓮宗のやり方で先祖供養を始めたのですが真言宗のように般若心経を読みたいなと思っています。 そこで質問です 【質問】 ・ふたつの宗派で先祖供養するのはいけないことですか? ・真言宗はどのような方法で先祖供養しますか? ・合わせる場合どのような方法で行えばいいでしょうか? 先祖供養は家で毎日できたらと思っています。 今度高野山に行く予定です。そこで先祖供養に必要なものを買えたらと思ってます。 よろしくお願いいたします。
主人が亡くなり1ヶ月半が過ぎました。 主人の実家は浄土真宗本願寺派で、私の実家と宗派が異なります。 浄土真宗では四十九日を待たずに仏様になると聞きました。今まで四十九日まで亡くなった人は側にいると思っていただけに寂しく思っています。 主人はもう近くにいないのでしょうか? また主人がこの先気持ち穏やかに幸せに過ごせるように、私たちができる弔いとは何なのか… たくさんの愛情を残してくれた主人にこの先も寄り添っていきたいと思っています。 主人を想う先はどこにあるのでしょうか?
我が家は真言宗智山派です。 私自身、毎朝においてご先祖供養として開経偈から普回向まで唱えています。 ①我が家の墓前において、お彼岸やお盆などにおりんを鳴らして般若心経のみを唱えることはご先祖様や隣接のお墓に対して問題ありませんでしょうか。 ②親類縁者などの墓前で、上記と同様のことをすることは問題ありませんでしょうか。 ③違う宗派の場合がありますが、その場合も般若心経を唱えて問題ありませんでしょうか。 同じ質問が過去にありましたら、同じ質問で申し訳ございません。 お忙しいところお手数をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。