3月で愛犬との別れから1年が経ちます。 わたしは友人達から異常と言われたほど愛犬を溺愛していました。 ものすごく溺愛していました。 一生懸命、愛犬の命を守り続けていました。 愛犬とわたしの絆は強かったと信じています。 そして去年3月、痴呆症で自力で寝ることができない愛犬に病院から処方されていた鎮静剤を飲ませて寝かせました。 そのまま心臓が止まってしまい永遠の眠りについてしまいました。 家族は、わたしのペットロスを心配して早い時期に新しい仔犬を我が家に迎えました。 とても可愛い女の仔です。 誰からも好かれる仔です。 新しく家族となった仔のことも大切に育てています。 愛犬がわたしの元に届けてくれた仔だと思っています。 そして、わたしは先住犬、先々住犬(3月に亡くなった愛犬)の遺骨を自宅に置き毎日お線香をあげて話しかけています。 家族の思いは全員一致でペットと一緒に入れるお墓を購入予定です。 わたしは自分が他界しても愛犬達と別々のお墓は絶対にイヤと思っています。 でも、わたしがいくらそう望んで寂しくてどんなに泣いても愛犬が夢にでてきてくれません。 わたしの母は愛犬が夢に出てくると言います。 愛犬はもう、わたしを忘れてしまったのか、わたしをキライになってしまったのか。 せめて1度だけでも元気な姿の愛犬と夢で逢いたいです。 人間も動物もあの世に逝ってしまったらどんな形でも繋がることはできず、もうなんの繋がりもなくなってしまうのでしょうか? 幽霊をみたことがあるという人もいますが幽霊は見た人達の幻覚にすぎないのでしょうか? わたしは愛犬達の魂が家の中に居てくれていると思って話しかけていますが別れから1年経とうとしているのに夢で逢えない、なぜわたしは夢で逢えないのか、寂しくて悲しくていられません。 見る夢も怖い夢ばかりでハッとして目が覚めます。 亡くなった人、ペットと夢で逢える人、逢えない人、何か理由があるのでしょうか。
もうすぐ父の四十九日です。 大好きな大切な父が65歳という若さで天国に旅立ってからもう・・・ 良く悲しみ、辛さ、寂しさは時間が解決と言われますが、大切な父・・・ 時間が経てば経つほどむしろその想いは日に日に増しているように感じます。 父がやっていた陸上にもっと興味を持って会話の話題にしてあげればよかった、今年になりコンディション悪い時にもっと気遣って温かくしてあげればよかった(僕自身、コンディション悪い父に対して冷たい態度を取ったり、そのような状況下であるにも拘らず自分のことを思っていろいろ言ってくれた父に対しあろうことか冷たすぎる馬鹿丸出しな意地っ張りで言い返してしまったり・・・父が救急車呼ぶために電話を貸してと必死に訴えてきたにもかかわらず、あまりにイライラしてしまい家を飛び出してしまったり・・・)など情けないどころではないですが後悔ばかりです・・・ あんなに自分が幼少時から温かく可愛がってもらったにも拘らず・・・ 父は優しいから言葉には出しませんがきっと傷ついたり、あるいは天国から恨まれているかもと思うこともあります。 夢には最近ほぼ毎日のように出てきてくれて、時に自分を抱きしめてくれたり(久しぶりの父の胸は温かかったです)、微笑みながら一緒に寝てくれたり、他にも風呂上りに裸足で歩くとある部分だけ明らかに温かくて自分が入浴中きっと父がここにいたんだろうな、と思うこともあります。 納棺時に父宛のお手紙で、目に見えない・声がなかなか聞けない以外は全部これまでと同じで食事の時も散歩に行くときもいつも絶対一緒に生活してねと記したので、きっといつも・・・と思っておりますが・・・ とはいえ、私も母もですがいくら日が経っても悲しくて寂しくて辛いですし、早くまた親子3人で笑顔で暮らしたいねと口を揃えています。 こんなに後悔ばかり残るのも情けないのですが・・・ 父のLINEにこれまでみたいにメッセージを送るときもありますし、遺骨や位牌に話しかけることもしばしばですが、きっと読んでくれてますよね!?聞いてくれてますよね!? 来週父のお誕生日の日に49日法要ですが、帰宅したらこれまで通りお誕生日プレゼントを何かお供えして父のお祝いをしてあげようと思います。 どんどん増す悲しみ、寂しさ、辛さ・・・私も母も早く父に会いたいです。 (とはいえ、自殺すると永遠に会えなくなるのでしませんが)
昨年母方の祖母が亡くなりました。 私はただ一人の孫の立場にあります。下記の人物は私からみた立場を記載しています。 数週間後に納骨を行う予定ですが、生前に祖母本人が希望しなかった方法で納骨されようとしており、これを止めるべきか悩んでおります。 祖母は生前から祖父と仲が非常に悪く、望まぬ結婚であったことや、祖父や祖父の家から嫌がらせを受けていたと孫の私に言っていました。 そのような事情から、生前に私や母、近所の仲の良い友達、祖父母と同居している叔父(母親の弟)と叔母などに「祖父の家の墓には入りたくない」と常々言っておりました。 葬儀などの手続きは生前の祖母の指名で叔父が行い、納骨に関する手続きも叔父が行っているのですが、叔父は祖父の家の墓に納骨することを決定しました。 叔父は当然「祖父の家の墓には入りたくない」という生前の要望を知っているはずなのですが、これを無視している形です。 永代供養墓や、叔父から許可がでれば私の家庭の墓に入ること(生前本人に提案済)など他に手段はいくらでもあったはずで、私は祖父の家への納骨を考え直して欲しいことを進言しました。 しかし叔父叔母は聞く耳を持たず、母親からは「○○(祖父母の名字)じゃない人間が口を出すな!」と言われ、全く聞き入れられない状態です。 「祖父の家の墓には入りたくない」という生前の願いを踏みにじるような形で納骨が行われては、墓参りの度に祖父の家への納骨を止められなかったことを後悔しつづけるのではないかと思っています。 本心ではどんな汚い手を使ってでも遺骨を守りたいのですが、孫の立場では止めることは難しいとわかっています。 このままではずっと後悔が残り続けてしまい、祖母に合わせる顔がないです。本人が望まなかった形で納骨されて供養になるのでしょうか?
再度の相談です。 10年以上前に離婚した夫は孤独死し、約2ヶ月後に発見されました。子供と荼毘にふし、遺骨も引き取りました。 離婚の原因は、結婚当初同居していた義母の浪費癖と、その後元夫の浮気、私に相談無しの独立でした。 義母の浪費については元夫と話し合い、私たちの貯金で工面しました。その後義母とは別居しましたが、家賃滞納やお金の無心をされることもありました。私も仕事をしていましたし、一回の金額はそれほど高額ではなかったので、元夫には内緒で工面してきました。 その後元夫は浮気したことが発覚したのです。私は気付きませんでしたが、相手の方のご主人から告げられ知ることとなりました。 話し合い、やり直す約束をして新居を購入しました。私はすべてを許す覚悟でした。 しかし元夫は私に相談することなく独立を計画し、全て準備してから私に切り出してきました。 私はこれまで元夫を許してきましたが、そこで愛情が切れてしまいました。しかし子供もいるのですぐに離婚はせず、フルタイムの仕事に就いて、生活を支えるようになりました。 元夫の事業は3年後順調になりましたが、お金を持つようになって、人が変わってしまいました。私を見下す発言も多くなりました。 離婚は私から申し出ました。調停を起こし、養育費の額も決めました。元夫の仕事はその後しばらくは順調のようでしたが、東日本大震災を機に経営が難しくなっていったようです。養育費の支払いも止まりました。 私はフルタイムの仕事、日雇いでのアルバイトで、子供の教育費を貯めていきました。おかげで子供を私立理系大学院まで進ませました。 元夫には、当初憎しみしかありませんでした。 でも時々連絡を取り合うようになり、元夫は子供を本当に大切に思っていたし、経済的に支えられないことを悔やんでいることも理解できました。また、元夫が経済的に行き詰まっていることを知ってから、私は負債を整理できたなら、一緒に暮らしたいとも考えていました。 元夫との最期の会話の際に「離婚なんてしたくなかった」と伝えました。元夫はありがとうと言ってくれました。 体調が悪いと知っていたのに、私は何で元夫を病院に連れて行かなかったのだろう。私が見殺しにしたのではないかと、苦しい毎日を送っています。 どのように気持ちの整理をつけたらいいでしょうか?
2/4に実父が亡くなりました。35年前に母と離婚をしており私もその際、母方に。 今現在、父の血の繋がりでは、娘の私のほか、父の妹2人(76.78才)と、異母兄妹が3人います。父は、2年前脳梗塞で倒れてからは寝たきりとなり、生活保護を受給しながら施設におりました。 私は海外在住ですが、実父が亡くなる時ちょうど名古屋におり、お見送りができました。葬儀は市が設けて下さりましたが、宗派を問われ、あわてて父方の静岡にあるお墓の菩提寺を調べ、名古屋の曹洞宗のお坊さんを呼んでいただきお経をあげていただきました。遺骨はしばらく葬儀所に預かっていただき、納骨は私がまた日本に帰国した際に、静岡の菩提寺へと思っていましたが。。 確認のために、菩提寺に葬儀後にご連絡をしましたら、もう一度葬儀(戒名式)をしないと納骨はできないと言われてしまいました。ただ、もう一度お葬式をあげ、納骨をしても、父方ご先祖様のお墓をこれから引き継ぎお守りする人がいなく、どうしたらよいものか悩んでます。 しかも、菩提寺でもう一度葬儀(戒名式)をして、納骨するにしても100万、先祖代々を永代供養するとしたら、もう何百万とか言われてしまい、あまりの金額に途方にくれています。 ただ、葬儀に来ていただいた、名古屋の曹洞宗のお寺さんでは、合同墓地ですが、永代供養に10-15万と、こちらは私でも出費できる金額でした。 代々続くご先祖様のお墓に納骨するには莫大なお金がかかりますが、やはり菩提寺へ納骨してあげるべきでしょうか。お墓を引きつぎ見守りする人もいないので、それを放置するのも心配ですが、、先行くお金もなく、どうしたら父を供養できるのか、混乱してます。 よきアドバイスいただけたら幸いです。
今回は納骨のご相談をとも思っていたのですが、質問がなかなか出来なかった事もあり(苦笑)、他の方への回答を拝見し、自分の中で解決を付けました。 入籍の際、彼が私の籍に入っても良いという事でしたので、その時は深く考えもせず、我が家の籍に入って貰いました。(私の怠け癖の為、書類等の手続きが面倒だったので)が、彼は二度目の結婚、前のご家族に何の連絡もしていなかったようです。 ご家族としては棄てられたという気持ちが強かったと思います。それでも、息子さんは、ご自身の結婚の報告、彼の葬儀にも列席してくれましたが、分骨の必要はなし、彼が墓守をしていた養家のお墓を守るつもりは無いので、お寺様には私のほうから連絡してほしいとの事。 彼の遺骨は私共の菩提寺に納骨することに致しました。幸い兄も「仏さまになったんだからなんの遠慮がいるものか」と言ってくれているので、(他の兄家族の中には不満もあるようでしたが、)私も兄の言葉に甘え、これからも彼の供養をしてゆきたいと思っております。 彼は赤ん坊の時に養子に出され、養家の墓守をしておりました。両養子(血の繋がりが無い)の弟さんとは、十数年来、音信不通。今回司法書士の方の尽力で連絡を取ることが出来、養家の墓守をしていただくことが出来ました。(もしも弟さんが見つからなければ、どちらの菩提寺に納骨するべきかを迷っておりました。) 養家の菩提寺のご住職様はどのようになるのか心配をしていたので、なんとか丸く収まり、安堵いたしております。 まだまだ彼に対しての罪悪感はあります。 が、考えてもわからないことはそのままにしておくしかない。彼はもう居ない、これからは彼と一緒になる前の自分のように全て自分で決定してゆくしかない。(涙) まだまだ自分の気持ちも色々揺れておりますが、11月からアロマセラピストの資格を取りに行き、私に出来ることで(あまりムキにならずに)、他の方の役に立つことをして行きたいと思っております。 これもひとえにこちらのhasunohaの御坊様達の教えのお陰です。ありがとうございます。 写経、禅(明日は井上老師の坐禅会)、は菩提寺にて続けてゆくつもりです。
2016年7月22日にガンと10年近く闘病していた母78歳を病院で看取り、8月11日に肺水腫と心臓病だった愛犬チワワ、名前アピ12歳半を自宅で看取りました。結婚してからも、母の看護や食事の介助などでお見舞いに行く生活が続き、母のことがいつも気がかりで過ごしていました。アピも病気になり最期の半年は母と、アピの治療で病院を行き来する生活でした。 母は痛みに酷く苦しみ、何度も入退院を繰り返し、最期の10日間は緩和ケア病棟で手厚く看護され、家族全員で看取る事ができました。 アピは、母のことも大好きで実際に8年間一緒に過ごした時期があり、アピが死んだら自分のお墓に入れてと言うのが約束であり母の願いでした。 アピの遺骨は今、私の家にあり近々母の納骨式で私の家から出ます。近親者はみんな口を揃えてお母さんと逝ったんだねと言います。私の代わりに母の傍に逝ってくれたんだと、私も思います。 母の葬儀が終わった直後からアピの呼吸が苦しい日々が続き、別れが近づいていると心の準備はしていましたが、穏やかに過ごす日もあり安心していた矢先の事でした。 亡くなる前日はいつもよりも長く私を何度も見つめていました。 最期に苦しんだ瞬間がフラッシュバックで悲しみと共に襲ってきます。こんな時、母がいてくれたらこの悲しみを話せたらと、母とアピがいない現実を受け入れてはいるのですが苦しみが日々重くなっていきます。 私は、不妊治療もしたり母のこともあったので仕事を辞め専業主婦をして四年になります。いつかこの悲しみを乗り越えられたら仕事を探そうと思っています。 でも一生、この喪失感は忘れられないのではないかと不安もあり、忘れないという気持ちもあります。 長い間、母のお見舞いを軸に1週間のスケジュールを立て行動していたことが終わり、大切で大好きなアピと過ごした時間も突然終わり、どう過ごせば良いのか苦しいです。 アピにもう一度触れたい、見つめ合いたい。 夫に心配をかけたくないとわかっていても家事以外はやる気がおきず、今は突然泣き出したり落ち込んだりしてしまいます。私はいつかこの喪失感から立ち直ることができるのでしょうか?
漠然としたタイトルですみません。 私はここ1年の間に ・就職して1年以内の退職 ・大好きな父の死 ・母からの借金の依頼、断ると産まなきゃ良かった、死んでやるなどの暴言を受ける ・実家を競売にかけられ失った、そのため地元の友人とはほぼ絶縁 などという経験をしました。 現在は希望の仕事に就き、プライベートな時間も持てるようになり、趣味を楽しむ気持ちもあります。 家族に関しても同様に、住む場所を無くした母と祖母が同居してから、最近は生活が安定して昔よりは仲良く出来ています。(母が困ると私がお金を貸しています。少しずつ返してくれています) 少ないながら友人もいますし、優しい彼氏とも出会え、生活に大きな不満は感じません。 ですが、満たされない部分を考え出すと止まらなくなってしまいます。 昔の同級生が結婚して両親に孫を見せている、仲の良い家族みんなで旅行、など私の家庭環境で叶えることは難しいことです。 自分の中で結婚と家族ということに重点を置きすぎているとも理解していますが、夫と子どもを持ち、私の両親が祖父と祖母になった姿を見るのが人生の夢だったので辛いです。 彼氏は離婚歴があり、再婚には早い・いつかははっきり言えないとのことで結婚ですらまだまだ先の話です。 仕事や趣味に打ち込んでいる時間でも、ふとした瞬間にこんなことばかり考えてしまう自分が嫌になります。 友人の中で親を亡くしている人もいないし、結婚や出産はまだ早いと考えている人が多いです。 それか普通なのか、とも思います。 父の死についても、まだ遺骨が家にあり納骨堂など用意すら出来ていない状態です。(金銭的な問題です) 一周忌も特に何も出来ませんでした。 家族で貯金があるのは私だけなので、私が貯金を切り崩せば父の供養に関しては解決します。 ですがそれをしなかったので薄情な娘だと後悔しています。 生きていくのに大きな障害があるわけでもないのに、生きる意味が分からなくて死んでしまいたいと思うときがあります。 長々とまとまらない文章で申し訳ありません。 こんな私でも少しでもプラスに、幸せだと感じて生きていくにはどのような気持ちをもてばいいのでしょうか。
先日急逝した父の納骨や今後の供養、親戚付き合いについて相談させて下さい。 両親は別居していた為、遠方に住む父が亡くなった事も親戚から連絡をいただきました。親戚には父のことで迷惑をかけていたのでとても淡白な連絡で、駆けつけた私たちに対しても親戚と住職で葬儀の話を進めており、私たちはついていくのに精一杯でした。 住職に対しても少し不信感があります。駆けつけた際に喪主である母ではなく親戚の方にしか話をしないしお酒も飲んでいました。葬儀が終わり四十九日前の法要でも父の名前を確認する際に読み間違える始末。袈裟の下は普段着と靴下で、挙句に四十九日法要に喪主である母が来ることに大げさに驚かれていました。遺族が参加するのは当然なのに…近くに住んでいる親戚がいればいい、私たちは蚊帳の外のような気がして気分が悪かったです。 今後四十九日を迎えるにあたり、お骨をどうするか悩んでいます。お墓が実は本家と近場に二か所あります。でも近場の納骨堂でも私たちにとっては遠く、未だ気持ちの整理ができていないことから私たち家族は遺骨を持ち帰り我が家で供養したいと思っています。気が済むまで納骨せずに手元に置いておきたいのです。でも親戚のことを考えると納得されないんじゃないかと…住職には立派な納骨堂があるんだから、遅くとも一周忌までには納めるのがよろしいと言われました。普段は遠くてなかなかお参りできなくても、自宅で写真を飾って線香をあげればいいと。分かっているけど、私たちの悲しみや後悔はそれでは追いつかず。気の問題だと思いますが。 円満に解決するためには、分骨にしてそれぞれ納骨堂と我が家で供養がいいでしょうか。分骨は想定していなかったのですが何か手続きは必要でしょうか。また、その場合初盆はどのようにしたらいいのでしょうか。納骨堂か父の自宅(仏壇)に私たちが出向いてあのご住職にお経をあげてもらうべき?できることなら家族のみで我が家でじっくり父を偲びたいです。それではいくらなんでもということなら、どこか近所のお寺さんを探してお経を読んでもらうというのはだめでしょうか。その際は親戚をこちらに呼ぶべき??分からないことだらけです。四十九日に出す結論で今後の納骨、法要、お墓の管理の問題に関わってくるなぁと身構えています。 ゆっくり父を偲ぶことも許されていないようで非常に辛い日々です。 ご助言いただけると嬉しいです。
はじめまして。 先日、二年前に母と離婚して以来疎遠だった父が危篤との連絡があり、その翌日に亡くなりました。 父は昔から怒りっぽく乱暴で、母と兄は大変な思いをしていました。 しかし末っ子長女の私にだけは甘く、私も小さいときはお父さんっ子でした。 しかし、大人になるにつれ、母と兄への当たりの強さに嫌気がさし 父とは離婚の三年前ほどから、ほとんど会話もしていませんでした。 その後離婚が決まり、父を家から追い出す形で疎遠となりました。 先日までずっと父を恨んでいました。 家族の人生をめちゃくちゃにした男だと。 父は大家族の末っ子でしたが、幼いときから家族に迫害され続け、家族と絶縁するために 母と結婚するときに婿養子となったそうです。 私や兄の父親として、母の夫としては未熟でした。 しかしそれは父の生まれ育った環境のせいだったのではないかと思います。 それでも先日までは、今までの恨みが消えず、死んでも何も思わないだろうと思っていました。 しかし病院で息絶えた父と再開し、主治医から二年間のことを聞いたとき、 なぜ生きているうちに会ってあげられなかったのか なぜ離婚前に父の苦悩を受け止めてあげられなかったのか 後悔が押し寄せてきました。 何度も涙が出てくるのです。 父はこの二年間、体も精神的にもぼろぼろで、働き口もなかったようで生活保護を受けていました。 私は一人、亡くなった当日に病院へ駆けつけ、父の身支度を手伝い、病院から直接葬儀場に送っていただくのを見送りました。 その時立ち会ってくださった看護師さんが父にかけた「娘さん来てくれて嬉しいね」の言葉が心に突き刺さり抜けません。 その感情が来てよかったの気持ちなのか、間に合わなかった後悔なのか、たった一人苦しんで旅立った父を哀れむ気持ちなのかわかりません。 数日後には火葬されるので、その日も行く予定です。 しかし遺骨などは色々な事情により引き取りができないため、父は無縁仏になります。 ずっと孤独に戦ってきたであろう父。 父は私を家族を恨んでいるでしょうか。 身寄りのない父を家から追い出したこと、 一度も連絡を取ることなく、死に目にも会えなかったこと、 死んでもなお一人にさせてしまうこと。 そして私は父の死とどう向き合っていけばよいのでしょうか。
ネットの他所でも投稿させて頂いており、マルチ投稿になってしまう事をお許し下さい(そのサイトでこちらを紹介して頂けました)。また場にそぐわない見当違いな投稿内容かも知れませんがその場合もお許し下さい。返答もこのサイトのシステムがよく分からないのですができる限りします。 <br> 母が他界→直葬で火葬直前に依頼した浄土真宗の僧侶さんに来て頂き短い読経を上げて頂く(お布施代3万包みました)(親戚関係者10人弱程度で見送りました)→地元のお墓に納骨した <br> で終わりのはずだったのですが、 <br> 県跨ぎの所に別居中の姉が母に戒名が無いのがいたく気に入らなかったらしく、持ち帰った遺骨で相談無しで姉の近場のお寺で母の戒名をして貰う(←父が同席していたので後で私が知った。戒名の大きい札のようなものも自宅にあります)→四十九日に私が依頼した住職さんにお墓の前で読経して欲しいとの事。 <br> 質問は ・この場合火葬前の読経はどういう扱いになるのか ・その読経をして頂いたお坊さん(住職さん)に再度依頼するのは失礼では無いのか。かなり憤慨されるようなことになってもおかしくないのではないか。別の浄土真宗のお寺に依頼した方が無難では無いのか。その場合宗教的にNGという事は無いのか。 <br> です。補足として、火葬のお坊さんとは家の距離も近く、お寺にも一度来訪しており今後も考えてあまり良くない感情を持たれたくないのです。 <br> ただ、県跨ぎの向こうの僧侶さんに着て頂くのはお車代や移動の負担を考えてやりにくいのも分かります。 <br> なので姉の方でこちらの地域の別の僧侶さんに依頼して貰ってはどうかと思ったのです。私が全く関与しないでやって貰った方がまだ筋が通るように思えるからです(姉に対しては怒りの感情はありません。戒名したいのならこちらに相談してくれればまだ良かったように思います。その方がまだ話の流れがある程度自然だったのでこちらのお寺にも相談しやすかったと思うからです)。 <br> なお姉が戒名したお寺は曹洞宗、20万円で戒名しています。
母が急死して、もう1ヶ月経ち、ここにたどり着きました。 三日、四日の出来ごとです。 朝、実家にバイクを置き、顔を会わせた時は、普通でした。 夜に会社から実家にバイクを取りに行った時、顔を会わせた時は、正直、死相が出てる顔でした。 親に対して、死相が出てるとは言えず、急に5、6年歳とったねと、とっさに言ってしまいました。 次の日は、用事があり休みでしたので、普段電話しませんが、胸騒ぎで朝から電話したら普通でした。 夕方にも、気になって電話したら会話が途中で聞こえなくなり、急いで行ったら倒れてました。 救急車を呼び、緊急手術となりましたが、深夜に手術の麻酔の前に、短いながらも、お母さん本当にヤバイよ。 生きるか死ぬかの瀬戸際だよと言いました。 母は、ニッコリ笑いながら、うん判ったよと言い、それが最後の会話になりました。 手術は終わったのですが、夜中に一旦帰り、提出する書類とかを用意したりなどで、あわただしかったです。 次の日、集中治療室に行きたくなかったんですが、集中治療室のチャイムを鳴らした時に、今亡くなりましたと言われました。 父親が亡くなってから、いつしかこうなる時は判ってたんですが、父親が亡くなってから永く、いつしか邪険に扱ってました。 亡くなってから、後悔とか、切なさ虚しさなど、込み上げてきてる毎日です。 無理にでも、直感に頼って病院に連れてけば良かったかなと。 たら、れば言っても遅いですが… 唯一、親孝行出来たと言えば、結婚して孫も見させられて、孫の面倒を見させたと言うか短いながらも触れ合えたくらいです。 せめて1ヶ月、永く生きてたらランドセル姿を見れたのにと残念でなりません。 葬儀後の二日目に、静かに食事中に、真横で実家で自分かあげた杖に付けてる鈴の音がしました。 鈴なんてありませんし、杖もありません。 ちなみに、嫁も聞こえてました。 49日まで母の遺骨がある部屋の出来ごとなので、ありがとうねって意味だったのかなと、勝手に思ってます。 自分の誕生日前で、未だにマザコンって、重い知らされた様な出来ごとでした。
1月14日朝8時45分ごろに千葉県でマンションで一人暮らしをしていた母方の祖母が膵臓がんで87歳で亡くなりました。 1月1日に末期の膵臓がんだと診断されすぐに入院して後1ヶ月持つか持たないかでした。 膵臓がんは予後が悪い上に早期発見や治療が今でも難しく既に手遅れだったそうです。 祖母は喫煙や飲酒は全くしないのになぜ…って思いました、ただ10年前に肺炎で祖父に先立たれて一人暮らしをし始めて孤独によるストレスを感じていたのかもしれませんが…。 去年の12月に腹痛を訴え病院に行きましたがその時は膵臓がんの疑いがあると言われたのみでした。 生前に献体登録をしており亡くなってすぐに献体に出されました。 遺骨が戻ってくるまで4年くらいかかるそうです。 なので葬儀は2月に東京のお寺で1日家族葬を行います。 祖父2人も既に他界しており現在存命しているのは老人ホームで暮らしている90歳の父方の祖母のみになりました。 寝たきりで車椅子で移動しています。 仕事には行けるのですがそれにより私の気持ちが不安定になってます。 理由はいとこたちと葬儀や法要で会うのに抵抗が強く動悸してしまうからです。 何年も会ってないので姿が確実に変わってそうなのもあり葬儀や法要に行くのがかなり憂鬱です。 一応、病院にも相談をして頓服の精神薬を貰いましたがそれでも不安です。 私は栃木に住んでおり東京のお寺まで遠いのもあるのできついです。 行かない訳にもいかないのは分かってますが祖母の49日の法要が終わるまで不安が止まりません。 そんな中で職場で気になってる人にそろそろ来週あたりに雑談をし始めたいと思ってます。 その人とは私と同い年です。 今は挨拶もいつもしますし一緒に仕事をしてる時に仕事のことで話すときも何回かありました。 このタイミングで話しかけてもいいのか悩んでます。祖母が亡くなったばかりのことも言うべきなのかも悩んでます。 ただ、その気になってる人の存在が本当に数少ない心の支えになってますしなにせ放っておけないです。 ご回答をよろしくお願いします。
おはようございます。 またお話を聞いていただきたく、 宜しくお願い致します。 恥ずかしながら、また弟のことです。 前回のご相談から数日後、弟から連絡がありました。その際、部屋の管理会社から9月いっぱいで退去することで話がまとまり、引っ越しに向けて荷物の片付けや部屋探しをしていると報告を受けてほっとしたのも束の間、また管理会社から私の方に退去期限が迫っているにも関わらず、弟と連絡がつかないと。 部屋の確認に入る為、 了承して欲しいとの連絡を受けました。 確認をしていただいた所、 部屋の荷物はそのまま(一人暮らしですが、私が地元に住んでいた当初からの家族4人分の家具等が入っているので相当な量です)だということ。私が帰省して片付けをすることも管理会社の方に話をしたのですが、荷物が多すぎて私一人ではどうにもならず、高い旅費を使って来てもらうより少しでも荷物の処分代にまわしてもらえないか?と提案されました。 処分代は少なく見積もっても50万円はかかるとのこと。 毎月コツコツ貯めてきた何年分かの貯金が返せる見込みのない弟の為に、水に流すようなことに納得いかず、何より本人と連絡が取れないので文句の一つも言えません。 管理会社の方も心苦しいと思って下さって、 私に良い方法を模索しているそうで、それはありがたいのですが私が全て背負わないといけないものなのか?と悔しくてたまりません。 と同時にやはり弟に対して特別な感情を持ってしまいます。 部屋にある父の遺骨は私の所へ送骨して頂くことになりそうです。それは私も思っていたので構わないのですが、父にはまだ戒名がなく、戒名を付けて永代供養をしたいと考えています。 母の戒名は、父の実家のお寺(菩提寺、檀家かどうかは不明)で納骨の際に付けていただいたもので、私の実家はお寺と付き合いがありません。位号(大姉)が入っていているのですが、当時父と一緒に叔父がお寺に伺っており、知識も金銭の余裕もない父に変わって叔父が段取りをしてくれたと思われます。やはり母と同じ位号を付けてあげる方が良いとは思うのですが、こちらは付き合いがないのに、母は立派な戒名を付けていただいて、父もそうするべきなのかを考えてしまいます。 立ち止まるとくじけそうなので、 それでも前を向いてどうにか弟のことも父のことも解決したいと思っています。 良いアドバイスを頂けたら幸いです。
姉が亡くなりました。事情があり10年以上も疎遠でした。波乱万丈な人生で周りにも迷惑をかけてきた姉でしたが、根は優しい性格で私も昔は可愛がってもらいました。 自殺ではないのですが、ずっと自殺願望がありさみしいとずっと思っていたみたいです。 姉の一人暮らししていた部屋に行きました。20年も前に私が書いた手紙をずっと持っていてくれました。写真などもたくさん出てきました。 私は自分の生活を守る為に、姉に優しい言葉もかけず冷たい妹でした。何かしてあげれなかったのか...今は辛く寂しい気持ちです。 遺骨は姉の旦那さん(籍のうえで)が持ち帰りお寺に納骨すると言っていました。私は分骨してもらい、今は自宅の父のお仏壇に。もう少ししたら、父の納骨堂に納骨するつもりです。 事情があり、お葬式もあげてなく火葬の時にお経をすこしあげてもらっただけです。今は毎日、般若心経をあげています。 そこで教えてください。 1,般若心経以外にもお経をあげたいです。どのようなお経をあげたらいいですか?(浄土真宗です。) 2,納骨後も家のお仏壇でも供養したいのですが、戒名もこちらにはなく、(姉の旦那さんは戒名をつけてくれたかは分かりません。)自宅のお仏壇には姉の写真だけしか残らないのですが、それでも姉がいるお仏壇として供養できますか? 3.今後、一周忌や、三回忌、、、ずっとお経をあげていきたいのですが、お経の本とかがあれば教えてください。 生きている間に仲良くなれなかったことはとても心残りですが、これから姉が上の世界で成仏できるように供養したいです。 どうぞ宜しくお願いします。
私62歳男です。墓についての相談をさせて頂きます。9年前までは東京に住んでいまして今は約500kmほど離れた地方に住んでいます。両親はすでに他界していまして祖父の時からの墓地が都営霊園にあります。父には8人兄弟と腹違いの弟80歳(いわゆる私生児で私からみて叔父)がいます。叔父は生母が3歳位でなくなれたとの事で父や他の兄弟と一緒に暮らしていた時期もあり仲良く交流もありました。特に私の両親とは住まいも比較的近かったこともあり叔父の奥さん(叔母)も私の両親をとても大切にしてくれていました。が私の両親亡き後、他の親戚とは仏事を除き通常の交流はありません。唯一私が1年に1〜2度会って食事をしたりはしています。その叔母が昨年9月頃亡くなり(親戚には知らせていないとの事)私は喪中葉書をもらい直ぐ叔父の元に行き私が確認するも他に知らせなくて良いとのことでした。叔母も先方の甥の方以外の身内との交流はなく、叔父はまさに天涯孤独になってしまいました。(私とは戸籍上の繋がりはないので)叔母に最初に手を合わさせて頂いたあと叔父と話をしましたが、「もうどうでもいいや」などとかなり気弱になっていましたので叔父さんが望むなら私が引き受けると話すと少しほっとした様子で「独りじゃないんだな・・」と言ってくれそれからは毎週1〜2回程度電話をしています。 前段が長くなりすみません、叔父は叔母の遺骨を住まい近くの納骨堂に埋蔵したいとの事です。それは私も賛成です。そしていずれ自分も同じ所にと思っているようです。ただいずれ私が居なくなると誰も叔父夫妻の所にお参りに行くことはなくなるでしょう。(叔父はそれで良いと言っていますが)そこで私の家の墓に叔父亡き後は叔母と一緒に埋葬できないか?霊園の制度や費用の点も考慮し埋葬するところは同じで墓誌を叔父夫婦の為に別にするのはどうかと思います。もちろん叔父本人が拒否するかもしれません。また私の姉(外に嫁いでいます)まだ健在の他の叔父1人叔母3人がおり反対するかもしれません。私は叔父本人が了解すること、法的にも霊園的にも問題がなければ良いのではと思いますが仏教的にはいかがなものなのでしょうか?この話を叔父に伝えた場合傷をつけることになるでしょうか?またご先祖様はどう思われるのかなと考えています。教えください。
去年11月に病気で大切な母親が永眠しました。84歳でした。一周忌に墓に納骨をしようと準備していますが、母親の先祖代々のお墓のある寺に問い合わせたら、墓の管理者の許可が必要といわれました。母親は四姉妹の末っ子で長女と母親が先祖代々の名前です。長女と母親は生前あまり仲良くなかったらしいのですが、母親は代々のお墓に入るのを望んでいました。長女には何の遠慮もせんでいいよと常々言ってました。長女親族とはずっと連絡などしてこなかったのですが、墓の管理者となるとやはり長女の子供たちでしょうか。長女も生存してるのか不明です。今名古屋に住んで30年経ち、代々の墓は石川県で遠方で、数年に一度母親共々墓参りしていました。自分は40代独身で父親と姉の3人です。まだまだ一周忌経ってないので日々淋しさと悲しさは溢れた日々です。 代々の墓に普通に入れると思っていたので、今不安と一番最善はどうしたらいいか、そして、自分もおそらくこのまま独身で生きてくと自分が亡くなった後の不安、母親と同じ場所に絶対に入りたいのでどうすればいいか、、是非ともアドバイスいただけけたらと思います。 もし、先祖代々の墓に母親が入れないと母親との約束が果たせない辛さ、悲しさとか強く抱いてるので、不安です。 片足が不自由だった高齢の母親といつも一緒にいれたことが凄く幸せでした。側にいて当たり前と思ってた大切な存在だったので悲しみと淋しさもとてつもないです、、 今はまだ母親の遺影と遺骨をミニ仏壇に添えて日々お参りしています。涙が止まりません。 今後の残った自分、高齢の父親、姉の3人も絶対に母親と一緒に永遠にいたいのでその点も含めてアドバイスよろしくお願いします。。
先日は両親の遺骨の分骨について教えて頂き、ありがとうございました。 両親が亡くなって、寂しい、悲しいなどいろんな気持ちが溢れては消え、消えては溢れる…そんな毎日の中で、最近 ふっと両親が生きてた時に話してくれた事を思い出します。父親は、私が怪我をしたりすると「痛い痒いは生きてる証拠。」とか、またある時に私が新しい生活に慣れなくて悩んでいた時などは「いつか良くなるって思うから苦しくなる。まっ、こんなもんか、って力を抜けば何か知恵も浮かぶってもんだ」など、今になって思えば、その通りだなぁっと思う事をいろいろ教えて貰った事に感謝してます。母親からは、嫁いだ時に「いくら義父母や旦那に腹が立っても、自分の言いたい事はよく考えて言いなさい。一度、言葉に出してしまったら、その言葉は拾えないからね。」と、言われた事は今でも私の人間関係を築く上で、大切にしています。そんな両親が残してくれた言葉を思い出した時、何にも変えられない両親が生きた証…今度は私が子供に残してあげようと思いました。 生きていると嫌な事や辛い事の方が、楽しい事や嬉しい事よりも多いと思いますが、両親のように幸せ探しをこれからもして行こうと思います。お坊様方は、生きてく上で辛い時に思い出す言葉はありますか? 子供の頃からお坊様にいろんな話しをして頂いた事もあり、是非ハスノハのお坊様方にも聞いてみたいと思いました。 宜しくお願い致します。
今年1月に主人を亡くしました。 我が家に子供はおらず主人はひとりっ子で、主人のお骨は主人の両親が代々お世話になっているお寺に納骨しています。 主人の位牌は私の家と両親の家の2つあります。 主人の両親の死後は、主人と同じ場所に納骨し主人の位牌もまとめるそうです。 そこに私も死後は入るか?と聞かれているのですが… 主人の両親との折り合いが悪い訳ではないのですが、私の気持ちとしては結婚生活も短かったので、死後は主人と2人だけでどこかに入りたいのです。 ですが主人はひとりっ子ですし、主人も両親を好きでしたし一緒がいいだろうとは思ってます。 それでご相談なのですが、私の死後は私の手元にある位牌と、可能ならば分骨もして2人でどこかに別のお寺に入るというのはできるのでしょうか。 主人の両親は位牌や骨を分けると魂が分かれる、成仏できないんゃないかと思ってるようで反対されます。 分けると問題があるのか、分ける事が無理ならば2人で静かに死後過ごせる術がないかお知恵をお貸しください。
7年前に息子が病気で亡くなりました。私の勝手な気持ちで、まだ納骨していません。亡くなった人は納骨してあげた方が幸せですか? 息子が亡くなってから、息子の夢を見ることも気配を感じることもありません。息子を感じることはもうできないのでしょうか。