原因は元彼に新しい彼女ができたことです。 それでも追いかけてしまいそんな自分が嫌です。 とめられずイタズラもしてしまぃました。 じぶんと自分の向き合いかたがわかりません。 すべてうしなってまた新たにスタートするのに 自分が怖くて怖くて死にたくなります。 飛び降り自殺したくてしかたなく、ビルとか海辺を、眺めることがふえてしまいました。 どうしたらとめられますか。。 カウンセリングは受けるつもりはあります。でも不安すぎて怖いです。
私より早く死なないでよ〜と歳上の方がよくおっしゃるテンプレートな言葉がありますよね。私を大切に想ってくれている言葉だと理解してありがたく思う反面、好きにさせろ!と思ってしまう自分がいます。 長く生きることが大切なことなんでしょうか?私は全力でやりたいことをやってすぐに死にたいと思ってしまうのですが...。 人生に悲観的なわけではないんです。私はおかしいのでしょうか。
私は仏教徒ではありません。しかし、1つの生きる智慧としての仏教に興味をもち、色々と小さな脳ミソを使い調べてきました。 それで思ったのが、仏教は私に「生きることは思い通りにならないことばっかだけど、残念ながら諦めるしかないよ」と言ってるのではないか?ということです。 私のような若造でもこれは理解できます。うまくいくことよりもうまくいかないことの方が圧倒的に多いですし、楽しいことより辛いことの方がたくさんあります。 そこで私の中に「ならば、生まれさえしなければいいのでは?」「辛いと分かってるのになぜ子どもを産むのか?」という疑問が生まれました。 言うなれば、辛い世界に「送り込んだ」親は加害者、「勝手に送り込まれた」子供は被害者という構図です。 そこで質問なのですが ・この考えは正しいのか間違っているのか ・間違っているなら、どう違ってるか ・正しいなら、なぜ人間は子どもを産むのか 教えていただきたいと思います。
つい先日、父が亡くなりました。 病気が発覚した時には既に進行した状態だった為、闘病生活は一年半にも満たなかったと思います。 覚悟はしておいた方が良いと他の方に散々言われてきてはいましたが本人は「大丈夫だからね」と弱音も吐きませんでした。 スマホの検索履歴を見ると、自身の病状についてたくさん調べてあって、本当は辛かったんだろうな……と考えると辛くて仕方がありません。 学校へ送ってくれたのも、料理を作ってくれたのも、何か欲しい物があった時「良いよ」と言ってくれたのも、「すごいね」と褒めてくれたのも、もう二度と無いんだなと考えてしまいます。せめて私が成人するまでは生きていてほしかったな……。 コロナの影響で面会にも行けなかった事も、少しだけ退院した時に全然会話ができなかった事、「治るんだろう」と思い込んで心配の言葉をかけられなかった事、後悔もたくさんあります。 父の死への向き合い方、立ち直り方を、教えてください。お願いします。
私は小学生から社会人になるまでずっと「死にたい」という気持ちがつきまとってきました。 高校生までは、勉強に打ち込んだり遊んだりして気を紛らわせていました。酷い時でもたまに学校を休んだり、家族と話したりすることである程度落ち着いていました。 大学生になって一人暮らしを始めてから、死にたい気持ちは酷くなりました。 授業にいけなくなり、一人で家に引きこもるようになりました。 単位もまともに取れず、一年留年もしました。 大学3年の時に、不凍液を飲んで自殺を図り、20日間入院をしました。 それでも、壊れてしまった心を取り繕いながらなんとか大学を卒業し、社会人になりました。 社会人になって一年目で早速自殺未遂を図りました。1ヶ月休職もしました。次鬱になったら会社をクビになるそうです。 ようやく職場にも慣れて、仕事もある程度もらえるようになりました。 それでも死にたい気持ちは常につきまとっていて、月1,2回、突発休で休んでしまいます。 もう有給はないので、休んだ分給料が引かれます。 以上のように、死にたい気持ちとなんとか同居しながら人生を送っています。 ただ、やっぱり疲れます。疲れ過ぎて、眠れなくなってしまいます。 命が、心がなければどんだけ楽か。 仕事をするロボットになりたいです。 なので、近いうちにまた自殺しようかと思います。 ドライアイスを水を張った風呂に投げ込み、そこに飛び込めば凍傷で死ねるそうです。 死ねなければ、手足の指、あるいは腕や脚を切り落とすことになるかもしれませんが、もうそれでも構いません。 友達も少なく、年老いた父だけが心の支えです。母親は私の醜形を嫌っており、私も母を殺したいほど憎いです。 先の見えている将来に絶望しております。 もう、長々と駄文を書くのにも疲れました。 地獄なんてないと思います。 死んだら、何もかも終わりです。 さようなら
いつもお世話になっております。 ありがとうございます。 身近な人から傷つく言葉をきいてから、 会いたい気持ちがなくなってしまいました。 ですが、またいずれ会うときがくると思います。 会いたくない人と会ったとき、 まわりのことを考えると、笑顔でいた方がいいと思うのですが、 自然と顔に出てしまいそうです。。 どのような心構えで居たらいいのでしょうか?
職場である農園で、害獣駆除のため、動物が銃殺れています。 園内に銃の音が響いた時、涙を流してしまいました。 泣かないで。あの動物たちのせいで作物がどれだけ被害にあっているか。ここに来るのが悪い 。 とおっしゃる方や、 ただなぐさめてくれる方、 それぞれです。 他に涙を流す人はいません。私はいい人ぶっているなかと恥ずかしくなりました。 ただ、人間の都合で突然命を落とす動物の一生を考えると、胸が痛みます。 こちらの命を奪われかねない危険な動物がいることも理解はしていますが、共存できないことに悲しみを感じてしまいます。 このような気持ちになるくせに、私は、動物を食します。植物もすべて命をいただいていると考えますし、ありがとうと思っています。しかし目のある動物や魚が死ぬとなると、かわいそうという気持ちがどうしても浮かんでしまい、食べる権利はないんだろうな、と考えます。 とても矛盾しているし、自分の弱さに情けない気持ちでいっぱいになります。 こんな自分とどう向き合えばよいか教えてください。
『100万回生きたねこ』を読みました。 猫が何度も生まれ変わってようやく解脱(?)するところが感動的だったのですが、仏教っぽい気がしました。 他にも、この作品のこの部分は感動したし仏教的に感じる、というようなものがありましたら是非教えて頂きたいです。
適応障害です。 また自傷行為をしてしまいました。 家族には理解してもらえず もう迷惑かけんなと言われてます。 ソーシャルワーカーさんにも あなたよりご家族の方がもっと辛いんだよ あなたは心が弱いの 自立したいならもっと家事しなさい お話がありました。 私の事を思ってお話してくださったと 思うんですが 申し訳ないんですが傷つきました。 私が悪いってわかってます。 なかなか治らなくて ずっと悩んでて苦しいです。 また働きたい 笑えるようになりたいと思って 日々過ごしていましたが もう居なくなりたい どうやって死ぬかを ずっと考えている自分がいます。 母が亡くなってから まだ自分はこんな状態で 家族もさらにバラバラになって 大好きだった母に申し訳ない気持ちで いっぱいです。 幸せになってねって母の願い 叶えたかった
煩悩がいかによくないことであるかは解ったのですが、人生苦しむことなく、つまり、煩悩が芽生えることなく、膨張することなく、上手に生きていくひとたちは、多く居るものですか? そういうひとたちばかりであるなら、煩悩だらけであった自分が恥ずかしくて、情けないです。 それとも私と同じように、だれだって成長するにつれて、煩悩も増えていってしまうものですか? 私は、仏教を知るまでは、煩悩だということに気づくことが出来ませんでした。それがとても情けないような気がしました。
いつも運転にはかなり気を付けており、10年以上ゴールド免許でした。 小さな事故も起こした事がありませんでした。 今月は仕事が忙しかったのもあり、自律神経の乱れか、めまいで倒れる事がありました。 その後回復し普通に生活していました。 関連があるかわかりませんが、普段必ず一旦停止していた道を無意識に止まらず進んでしまったことがありました。 もし車が来ていたらとぞっとし、疲れているのかもとさらに気を付けていました。 しかし先日知らない道を通った時に一旦停止を見落とし、事故を起こしてしまいました。 相手の方も命は無事だったのですが、全治1ヶ月ほどの怪我を負わせてしまい、車も廃棄処分になるそうです。 本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 自分が乗っていた車も昔両親に買って貰いとても大切にしていたので、この様な形で廃棄処分されるのがとても悲しく、家族にも心配や迷惑をかけていたたまれないです。 相手の方へ謝りに行った時も両親に頭を下げさせてしまい、賠償など保険では賄えない部分のお金の負担なども迷惑をかけてしまいます。 沢山の人に迷惑をかけ、痛い思いをさせてしまい、毎日涙が出ます。 気を付けているつもりでも、標識に気づけない自分が今後車に乗るのが怖いです。 しかし車が無いと仕事をやめなければいけません… 取り返しのつかないことをしてしまい、 全ての信頼を失ったような気持ちになります。 後悔ばかりで、これからどうしていくべきか頭が働きません。 人の役に立たなければ生きている価値がないと教えられて育って来たので、人に迷惑をかけてしまったり心配させてしまう事がとにかくつらいです。
(編集部より、利用規約により投稿の一部を修正しています) こんばんは、私は社会に絶望してしまいました。 一人の大人として、世の中に関心を向けて知れば知るほど惨めな思いをするからだ 何やっても、敗戦国に光は当たらないのだと、他にもとある理由である国を恨んでおります 何が選挙だ民主主義だ、主権のない国モドキでそれをやって頑張ったとこで潰されるだけだ 226事件の磯部浅一に取り憑かれたのかというほどここ最近は憎しみが止まらない 恨みと怒りこそが原動力、 なんてことは冗談に聞こえますか? 円安で神も仏も金で買われる状況で祈りなんてなんの役に立つのか?教えてください、おそらく今年が分水嶺なんです。 何もかも許さない
10年弱、遠距離で友達以上恋人未満の彼に告白したのですが、今は付き合えないと言われました。 その彼とは年に2,3回会う仲で、私も少し前まで友達としか思ってなかったのですが、 とある話を聞いてから彼への印象が変わり、彼を支えたい、将来を共にしたい、と思うようになりました。 彼の家庭は会社を経営しており、次期社長ということもあって今住んでいる場所から離れることはありません。 約1年前に彼と会った時、「もしりんごが同じ街に住んでいたら結婚前提に付き合ってと伝えてたと思う」と言われました。(この言葉を聞いた後も、私はしばらく彼を友達としか見ていませんでした。) 付き合って、と断言しなかったのは、付き合うことは結婚を意味し、私が彼の街へ住むことになり、私の人生を大きく変えることになるから断言しなかったのかなと思いました。 そんな出来事がありつつも、先日告白して振られました。 なぜ”今は付き合えない”なのかと尋ねると、「好きな人がいるが、その人は今別の人と付き合っている。もしその人が結婚したならその人のことを諦めて、りんごに付き合ってって伝えると思う」と言われました。 私のことをどう思っているか?を聞いても、「言葉にするのが難しい…でも、前に伝えた言葉(もし同じ街に住んでいたら結婚前提に付き合いたい)は本当だ」とも言われました。(身体の関係は一度もありません。) 私自身、好きという感情を通り越し、彼のことをこれからずっと支えたいという想いが大きかった為か、大きく凹むことはありませんでした。でも、もちろん振られてはいるので、少し心に穴があいた気分です。 彼には、これまでのように会える関係でいたいと伝えました。彼も同じ気持ちだそうです。 私は、彼と将来を共に歩む日が来るまで彼を待つべきなのか、それとも彼とはこれまでの関係を続けながら、別の人と共に歩むべきなのか、迷っています。 どうか、助言を頂けると幸いです。
こんばんは、いつも拝読しております。 お坊様皆様のお言葉、すごく感受深く思います。 最初に相談して半年以上経ちました。 やはり、元妻と彼氏が気になって良からぬ事を考えてしまう私が居ます。 本当に馬鹿だよな…先生に言われたように考えてもどうしょうもない事だといつも思います。 何でこんなに執着するのか。答えは分かっております。元妻が再婚するのが、結局怖いんで す。息子達が心配です。 最近、睡眠していたら昔の生活、結婚して幸せだった日々が走馬灯のように現れます。 目が覚めたら、昔を思い出して辛い… あの日、こうしていたら。後悔ばかりです。 先へ進むには自分が変わらなきゃいけない。答えは分かっています。 友人達も離れていき、酒を飲んですぐ寝る毎日です。 生きる糧は自分が見つけなくてはいけませんが、アドバイスが欲しいです。 宜しくお願い致します。 御拝読頂いたお坊様ありがとうございます。
という、宮沢賢治の童話があります。 署長さんが赴任した町には、禁じられた漁法があります。その一つが毒もみで、自然由来の材料で作った有毒な薬を川に浸すなどして、浮いてきた魚を獲る方法です。署長さんは町の人たちを取り締まり、いかにも職務を全うしているかのように装いますが、ある日、こっそり毒の材料を取引しているところを町の子供に見られてしまいます。町の大人たちは真偽を確かめようと、署長さんに詰め寄ります。署長さんは憤慨し、名誉にかけて犯人を捕まえると約束。しかし、皆が当てはあるのかと問うと、ちゃんと証拠はあると言い、町長さんの前にずいと顔を突き出して、こう告げます。 「実は、毒もみは私ですがね」 かくして、署長さんはお縄頂戴となり、死刑が確定。そして、いよいよ死刑執行のその時、彼は笑ってこう言いました。 「ああ、面白かった!俺、毒もみだーい好き!今度は地獄でやろっかな」 皆はすっかり感服しましたとさ。おしまい。 という話なんですが、人は誰しも「分かっちゃいるけど、やめられねえ~アホレ~スイスイスイ~♪」ってことが、よくありますよね。その理由は自己を客観的に見れない切なさに起因していると思いますが、例え、見れても根源的な欲求が満たされない限りは苦しむ。 その根源的な欲求とは「生きる意味」ではないか。そこがそもそも欠落しているから変なことをし、そして、これをどう捉えるかで人生が変わる。後付けでその理由を作った人、にっちもさっちもいかずに道元禅師を尋ねた人、何かに夢中になることで考える暇をなくした人。色々、居ます。どれを選ぼうが本人の自由で、また、それ故に人を愛し、人を傷つけ、妬み憎んで七転八倒。それを糧にして物を作ったり、歌ったり、ままならぬ人生の詩を詠んで何とか生き抜き、それが今度は他者を慰める糧となる。 大事なのは、覚悟を持って挑めるかどうか。誰が何と言おうが、坊さんに叱られようが「ああ、面白かった!次は地獄で!」と腹くくって言えるなら、それでいいじゃないの。 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いますが、我々は圧倒的に愚者。経験に学ぶしかない。大事なことはスムーズには進まないし、簡単には伝わらない。だから、お坊さん怒らないで。皆、助言には感謝しているけれども、対等な姿勢を示さないと逆効果だと私は思うのです。 ※言葉足らずだったら後で補足します。
初めて質問します。 いくつか質問を読んでみたら50歳になった人の悩み相談がけっこう目に留まりました。 これからどうやって生きていけばいいですか。 これまで築いてきた地位がなくなってしまった。 私も40代ですが、だんだん生きてきた時間のほうが長くなって、これから残された人生をどうしていけばいいのかなと思うときもあります。 50歳で何かを失ってしまうと20代のころと違ってかなりつらいのでしょうね。 50歳になったときに悩まないように、心構えととか、強く生きられる応援歌をください
お付き合いをしていた方と別れることになりました。彼が新興宗教の活動をしているからです。 その宗教に対して私はいいイメージがないと言いました。 どの宗教を信仰するのかは、自由だと理解はしています。 彼は、①私・家族に勧誘しない。②訪問等もさせない。③活動は趣味として割り切って欲しい。と言いました。 彼自身は、真面目に活動していないと言っていましたが、実は幹部をしていました。 幹部と言う事は、その組織に対して何かしらの責任があり活動が増えていく事が不安でした。 私も例会のある団体に一時期所属していたこので、活動がある事自体は理解できます。 結婚とは、日常を過ごすことになりますよね?私は、結婚したら家族で同じ時間を大切にしたいと思っています。勿論、趣味や一人の時間を無くせということではないです。 仕事、家事をする中で極力家族で楽しい思い出を作りたいのです。なので活動する毎に、私は不満を抱えてしまうと思いました。 でも、彼の根底にある宗教を脱会してほしいとか、活動にたいして制限する発言はしたくなく。 その宗教に対していいイメージがないと言っていたので、悪いものではないと説明?説得をしてくれたのですが、そういう事ではなかったのです。 彼の日常に、宗教活動があったのでこの気持ちは理解されにくく、彼の幸せは活動することでもあります。 彼が言っていた①、②は、私の日常(勧誘がないのが普通)だったので、譲歩でもなく当たり前にしてほしい事でもありました。 また、宗教を趣味としてとらえることが出来ませんでした。(日常生活に関わってくる) 話し合いが足りないと感じていたが、彼の時間も無駄にしたくなく、私が活動してほしくないという思いを持ったまま結婚ができず別れを選択しました。 宗教に関して寛容であると思っていましたが、いざ自分の身に降りかかると思っていたよりも寛容ではない私がいると知れました。 今後、世間的にも結婚したらどちらかの宗教に属することは減ってくるのではと思っています。また、同じ宗教でも活動頻度の違いですれ違ってくると思います。 相反する場所にお互いの幸せがある時にどういった心構えでいたらよいのでしょうか?(これは宗教以外にも言えてしまいますね・・・) 自分が嫌だと思っていることに対して、「許す」・「受け入れる」にはどうすれはいいですか?
仏教の観点から、人工呼吸器等のいわゆる延命処置を行うことについてどう考えるのかをお聞きしたいです。 私には重度の身体障害を持った20代の姉がいます。自分で体を動かしたり、考えていることを口に出したりすることはできず、ものを認識しているのかどうか、視力がはっきりしているのかどうかも分かりません。食事は胃瘻チューブから液体を注入し、数年前に気管切開をして今は喉の穴から呼吸をしています。その手術により、前までは「あー、」と時々出せていた声も出すことができなくなりました。 その姉が数週間前から調子を崩し、現在ICUで人工呼吸器を付けています。私たち家族には、ついにここまで来てしまった、という感覚があります。当初は人工呼吸器を外して今まで通り在宅で過ごすことができるようになるかもしれないという希望があったのですが、先日お医者さんから「人工呼吸器は外せないかもしれない」と言われてしまいました。 今まで何度も入退院を繰り返し、胃や喉に穴を開ける手術を乗り越える度に、自分で意思表示ができない姉の代わりに、私たち家族が処置を受けることの承諾をしてきました。今回も「挿管をしますか?」とお医者さんから決断を迫られ、苦しそうな姉をどうにかしたいという私たちの気持ちで「YES」と決断しましたが、これで良かったのかどうかは分かりません。電気が無ければ生きていけない体になってしまい、人工呼吸器を止めれば命が危うくなるという状態になってしまったことや、姉がどういう気持ちでいるのかが分からず、沢山の管を繋がれた様子を見ると、本当は本人が望んでいないのではないかと思ったりもして苦しい気持ちになります。「これで良かったんだよ」と肯定して欲しいという自分のエゴから質問をしているのだと思いますが、自分の感情から一歩引いて、仏教の観点から、人工呼吸器などの延命処置を受けることについて、違う見方ができれば…と思い質問させていただきました。 医療の技術が進歩し、本来は亡くなっていたはずの命が引き延ばされていっていますが、「自然の力に抗っている」というマイナスな捉え方をされるのでしょうか? 長文を読んでいただきありがとうございます。
文章の下手なところがあると思いますがよろしくお願いします。 私の母親との付き合い方、気持ち的な問題に悩んでいます。 私の父親は、酒乱で母にも暴力をふるっていました。 父ももともと病気があったらしく、それを悲観していたのか酒におぼれてやりたい放題の生活でした。そんな中、母は働いていたスナックで1人の男性に相談していたらしく2人で逃げて行きました。父は26歳という若さで病気で亡くなりました。当時私は3歳。離婚調停で親権は父にありましたが亡くなったので親族が母に相談すると「いまさら遅い!育てる気はない!」と言ったそうです。私は母方の祖父母に育てられました。その間もほとんど母は会いにも来てくれませんでした。 最近、その男性が病死したらしく、電話で「寂しい」と訴えてきます。 私は怒りや恨みの感情しかありません。 どう接していけばいいのでしょう?
5年以上前の話なのですが、田舎で一人暮らしをしていた頃、仕事帰りの道端で子猫に出会いました。 子猫が突然私の原付バイクの前に飛び出してきたので思わずとまると、原付バイクの下に潜り込みました。 捕まえて顔を見てみると、とてもとても可愛らしい小さな子猫でした。今でも鮮明に覚えているくらい愛らしかった… しばらく辺りを探しましたが親猫は見当たらず、連れて帰ろうかどうしようかしばらく悩みましたがいるかもしれない親猫と離れ離れにしてしまうのは悪いと思い、 元いた草むらの道路から離れた場所まで連れて行きました。 何度かついてこようとしていましたが、振り切って帰ってしまいました。 現在私は地元に戻り、家庭を持ち母親になっています。 随分昔の出来事ですがいまだにふと思い出すのです。 あんな小さな子猫を放って帰ってしまった事、 親猫は見当たらなかったのだから保護してあげるべきだったんじゃないか、 運命のような出会い方をしたのに、救ってあげる運命だったかもしれないのに救えなかった事、 あんな可愛い子猫は見た事がなかった。 無事に生き延びただろうか ふと思い出して悲しくなり、自分を責めてしまいます。 その頃は自分がとても辛い時期であり、救ってほしいと毎日思っていたのにその子猫に対しては救う事をしなかった自分が嫌だなと思います。 子猫に当時の自分を投影しているから今でも救ってあげたいと思うのでしょうか。 しょうがなかったと思うようにしても忘れられません。 ただただ元気に生きていて欲しいです。 ごめんなさい。