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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 死 死にたい」
検索結果: 1494件

愛犬の死を受け入れられるか不安

こんにちは。 私の家では犬を飼っており、生後1週間からずっと一緒に暮らしてきまして、今年で12歳になります。 しんどいとき、辛いとき、ずっと一緒でした。私が落ち込んでいる時は慰めてくれて、いたずらで怒って、たくさんの思い出をくれました。 そんな愛犬がここ1年病気がちになりました。 腰の病気になり、ケージから出てこなくなりました。 痛むのか、お尻辺りが震えることが増えました。 今年より家をでて独り暮らしをしているのですが、帰ってくるたびに身体はどんどん老化して、寿命が近付いているように感じます。 よく、お空から見守っている、泣きたいだけ泣けばいい、という表現がありますが、私はそういう考え方ができません。 12年間も一緒に育ってきた家族が死んだとき、はたして私は受け入れられるのだろうかと不安で溜まりません。最低ですが、愛犬が死んだ後に子犬を受け入れれば絶望も減るかもしれないと、里親募集のサイトを見てしまうくらい悩んでいます。この子の代わりなんていないのに。 そして、私は現在うつ病で休職中なのですが、更に愛犬が死んでしまった時にそのストレスに耐えきれるのか怖くてたまらないのです。絶望感で自殺してしまうのではないかと思います。 私は一体どうすればいいのでしょうか。

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生きるのも死ぬのも嫌な時は、、

初めまして。ご覧いただきありがとうございます。 私は現在29歳ですが、これからの人生を生きるということに迷いがあります。 なぜ迷っているのかをお話しする前に、私の生い立ちを書かせてください。 私は本来あまり喋らない性分ゆえ、小学生時代はいじめっ子の標的でした。 そのため中学に上がる際には、いじめられたくないという思いから、本来の自分よりも明るく振る舞い、他人に嫌われないようにすることを第一に心掛けました。 また、親が厳しかったことからも、親の機嫌を損ねないようにすることを無意識にしていました。すると、気づいたときには、嫌われない・怒られないように他人の顔色ばかりうかがい、自分のやりたいことなど何もない主体性のない人間になっていました。 中学・高校時代は幸いなことに友達にも恵まれ、勉強部活恋愛全てにおいてとても充実していました。大学受験も成功し、就職も無事できましたが、特に入りたかった企業ではありませんでした。 そして働いて数年が経つころに、先述した自らの主体性のなさに気がつきます。 そこから自分のやりたいことは何だろうと考えたのですが、そう簡単に見つかるわけもなく、生きる意欲だけが削がれる堂々巡りが続きます。そこに、愛犬の死が訪れます。 身近な存在の死は幼い時に祖父を亡くして以来で、非常に辛いものでした。そしてこれ以降、人生において特にやりたいこともないのに、これから先には家族や友人の死、自分自身の老いなど、向き合いたくないことが沢山待ちかまえているとなると、もう生きなくても良いのではと思うようになりました。 既に書いたように、非常に充実した学生時代を過ごしました。十分楽しんだと胸を張って言えます。しかし、私が死ぬと悲しむ人がいるため、簡単に自ら死ぬことはできません。 生きる意味がわからないながらも日々頑張って生活している人が多数いることはわかっていますが、多数がそうしているのだからそれにならって頑張りなさいというのは腑に落ちないのです。常に多数派が正しいとは限らないからです。 自分自身が納得する結論は出ないと思います。主体性がないので、やりたいことが見つかることはきっとありません。 しかし、生きるべきか死ぬべきか、生きるならどうするべきか、途方もない難題に苦しむ日々が嫌になりました。少しでも楽になる方法はありますでしょうか。長文失礼しました。

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わんこの死がただただ悲しいです。

先日、15年一緒に居たわんこが亡くなりました。あと少しで16歳でした。 妹のような姉のような存在で私の人生の半分以上を一緒に居てくれました。 3年前、お腹の半分ほどの腫瘍ができて危ない状態だったにもかかわらず大きな手術を3回頑張って回復し先日まで側に居てくれました。 当時は毎週、血液検査があり足に痛々しい注射痕が沢山出来てとても痛かっただろうに頑張り屋さんでした。 私に似て食い意地が張っていたのにさいごの方は食べる事ができなくなり、それでも私がお芋を食べていると側にきて一緒に少し食べてくれました。 家でも職場でも、何をしてなくてもただ生きてるだけで涙が出てきて仕方ないです。 周りの人はとても心配してくださってます。 夜中に「朝までもたないかもしれない」と母に起こされた時のこと。その24時間後に、母とわんこと3人でリビングで寝てた時に「もうだめだ」と母に起こされた時のこと。その時すでに居なくなってしまっていたけどまだ温かかったことが忘れられないです。何回もフラッシュバックします。 最後に抱っこした時、とても軽くて「もうあと少ししか居られない」と悟ってしまった時の事も忘れられないです。 私の家庭環境はあまりよくなく、両親は喧嘩ばかりしているしその際父は物を投げたり壊したりするのでわんこはよく怖がっていました。それでも私が泣いていると側に駆けつけてくれる優しい子でした。 3年前のもしかしたら死んでしまうかもという状態の時も「こんな家に引き取られて、わんこは幸せだったのだろうか」と一人部屋でドアを閉めて静かに泣いていたところ、ドアを開けて駆けつけてくれた本当に優しい子です。 さいごらへんは立つのもやっとだったのに私の仕事のお見送りは欠かさずふらふらと玄関まで来てくれました。 最後の日は身体が動けなくなってしまいましたが、母に抱っこされてお見送りしてくれました。 急変した前日は休みの日で、私は1日家にいたのに用事があり部屋に引きこもって一緒に居られなかったことを悔やんでいます。 その用事は必ずしもその日でなくても良かったのに。 いつのまにか私の部屋で我が物顔で寝るようになったわんこはもういないです。お風呂から出ても私の部屋にいないし、私が寝る時一緒に部屋にも来てくれないです。 もう私が泣いていても側には居ないです。 いい加減に涙が止まってほしいのです。

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12月までに死ぬことに決めました

もう生きることに疲れました。 31歳の誕生日を迎える前に死ぬことにします。 私は毎日明るく楽しく生きています。 職場でも頼りにされムードメーカーとなり、成果が認められ1月から希望していた営業に移籍することも決まりました。 ですが、全て本当はどうでもいんです。 幼い頃から機能不全家族で育ち、お前は家族じゃないから家から出ていけと言われ、日常的に殴られたりしていました。 親に愛されず自分は必要ない人間だと思っています。 そんな私ですが、友だちには恵まれ本当に私のことを愛してくれる人達ばかりです。 ですが、いつも満たされず孤独で虚しい思いを抱えて生きてきました。 自分を必要として欲しいという思いと容姿のおかげか恋人は途切れませんでしたが、結局最後はお前は必要じゃないと言われるのが怖くて自分から別れを告げています。 今年の5月から会社の課長から誘われ不倫を始めました。 すごく優しくて大事にしてくれ愛してくれ、この人は私のそばに居てくれると勘違いしてしまいました。 当たり前ですが奥さんの方が大事ですし、私が1番辛い時も彼は奥さんの方を取ります。 それは仕方ないけど、私が辛くて耐えきれなくなったので別れを告げました。 それから、私はやっぱり誰にも必要とされない人間なんだと確信しました。 馬鹿馬鹿しいと思われるでしょう。 だって、不倫なんてそんなもんだから。 自分でもわかっています。 けど、これはあくまできっかけでこれが自殺のトリガーになっただけです。 最近彼とまた会ってしまい、関係を持ってしまいました。 その時、ちゃんとせフレになろっかと言われました。 そう言われた瞬間、少しでも期待していた自分がほんとに愚かに感じました。 別れる時に彼にどれだけ想っているか、だからどれだけ辛いかを伝えたのに、そういうことを言われてしまうような価値のない人間なんだと確信しました。 友達や姉に死にたいと告げると、とても真剣に励ましてくれ、いつでも私の味方でわたしを助けられるなら、どんな事でもすると言ってくれました。 それを聞いて、私はこんなに愛されているんだと嬉しくなり、これで心残りなく幸せな気持ちで死ねると安心しました。 ここに投稿させて頂いたのは、こんな人間がいたのだと誰でもいいから知って欲しかったのかもしれません。 こんな拙い文書と醜い気持ちを読んでくださりありがとうございました。

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災害と死への恐怖と不安

不安で仕方がありません。 災害、事故、事件、世界情勢、常に全てに怯えていますが住んでいる地域の特性から最近は火山災害が特に恐ろしいです。 今住んでいる場所から逃げ出したい気持ちでいっぱいですが、現実的に難しい状況です。家族もいるし、お金もないためです。 不安を見て見ぬ振りしようにもふとした瞬間に恐ろしい情景が頭をよぎり恐怖でいっぱいになります。無駄に想像力があるので手に負えません。 災害への備えは少しずつ始めているのですが、備えにだって限界はあるし間に合わないかもしれないし、そもそも即死の可能性だってあります。 そして私が怯えたところで減るわけでも増えるわけでもないのが災害。その日は明日かもしれないし、一生来ないかもしれない。遭遇しても案外平気かもしれない。そもそも突然の事故で今死ぬかもしれない。 未来に対して不安になることそのものが無駄なのだと理解をしつつも、浮かぶ全てが恐ろしくとても苦しいです。 常に次の瞬間滅びるかもしれないという気持ちで、怯えながら毎日を過ごしているのでとても充実しているとは言えません。することもしたいことも見つけられず、恐怖と不安で無気力になってしまいます。 私は一体どうすればいいのでしょうか。

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死を意識せずにいられない。どうすれば前向きに生きれるのか。

初めての質問失礼致します。 拙い文章で長文となってしまうかもしれませんが、回答いただければ幸いです。 私は自分の職場で一昨年父を看取りました。 精神障害をもった父で事故なのか自殺なのかわからない状態で病院に運ばれました。 亡くなってから1年くらいは何とか普通に生活していましたが、仕事の関係でカルテを読まなければならない機会があったのです。 そこに事故当時に私や家族がどういう状況だったのかということが詳細に書いてあり、事故当時のことが今起きているかのようなフラッシュバックが起こるようになってしまいました。 職場に居ること自体ストレスになってしまい、半年頑張りましたが、仕事をしてる時でも突然父のことを思い出して泣き出してしまったり、体調を崩してしまったので情けないですが退職を考えています。 また、、職場自体赤字で残業をしても残業代がつかないというブラックな状態になってしまったのでついていけないということも退職を考えざるを得ない理由の一つです。 私は今、現在心療内科にも通院していますが、医師にもうつ病すれすれの状態で頑張っている状態と言われました。 幸い、フラッシュバックをすることがなければ普通に生活できますが今の死の現場に居るのは非常に大きなストレスなので今の職場には長くいない方が良いとも言われています。 幸いにして2、3年くらいは余裕で暮らしていけるくらいのお金は手元にありますが、これからの人生をどう暮らしていけば良いのか途方に暮れています。何だか生きることに疲れてしまいました。 思い出すことと退職後、大したスキルももっていないのでこれからどうやって生活していこうかと不安でたまらなくなり、私も死んでこんな記憶を思い出さずに楽になりたい、といつも考えてしまいます。 残された家族のことを思うと非常にショックを受けると思うのでそれをせずに何とか生きている状態ですが死の誘惑は常にあり、毎日気力を使ってなんとかそれに打ち勝っています。 こんな私はどうしたらもう少し前向きにきちんと現実を見据えて適格な行動を取って生きていけるようになるでしょうか。 何かアドバイスいただければ嬉しく思います。 長文ですが、目をとおしていただきありがとうございました。感謝いたします。

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父の死の受け止め方について

先日、父が亡くなりました。まだ60代でした。 元々、滅多に風邪もひかない人で、体調が悪いと言い出してから数日で倒れ、心筋梗塞と重度の糖尿病が発覚して入院し、手術の予定日の朝に突然、呼吸と心肺が停止しました。 父は、あまり自分の話をしない人でしたが、母から聞いていた限りでは、辛い経験を幾度となくしてきたようで、それらを父はいつも独りで抱え込んで、弱音を吐くこともなく耐えてきたのだと思います。さほど強い人ではないので、そのせいか少しひねくれてしまったところもありますが、頑張り屋だったのでしょう。 体のことも、入院時には主治医から「よく生きて病院まで辿り着いた」とまで言われたほどなので、実は随分前から体調は芳しくなかったのだと思います。そんな様子は全く見せてくれなかったので、私たち家族には正に『青天の霹靂』で、あれよあれよという間にいなくなってしまったという感覚です。 母と弟には、非常に大きなショックだったようで、時折放心したようになったり、色んなことを悔いたり、「早すぎる」と泣いたりしています。 私はというと、悲しくないわけはないのですが、どこか腑に落ちたというか、納得してしまったような感覚なのです。 父はさほど強くもないのに、これまで多くの苦難に独りで耐え忍び過ぎたと思います。 そしてこれから先、母を看取ることや、自分が寝たきりや要介護になることは父にとって、この上なく耐え難い苦痛であり、それを避けられたことは、父にとって決して悪いことではなかったと思えてしまうのです。 これは私自身の死生観ですが、生き抜いた先に穏やかに眠れる場所があるなら、それは『救い』だと思いますし、私もいつかそこに辿り着けることに安堵感すら抱いています。 体から解放された父はこれからは、痛い思いも苦しい思いもせず、誰かに傷つけられたり、辛い思いをしたりすることもなく、『楽』になってくれているように思えるのです。 なので、母や弟のような悲しみ方が私には出来ず、このまま日常にスっと戻れてしまうようなのですが、周りとの温度差がありすぎて、これは私がまだ悲しみを実感出来ていないだけなのか、それとも私の感覚が少しズレているのかと考えてしまいます。 私のこの感覚や考え方は、特殊なものなのでしょうか?

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飼い犬を死なせてしまいました

はじめまして。 1年以上前の、春の話ですが、飼い犬を死なせてしまいました。 赤ちゃんの時からずっと一緒で、どこへでも連れて行っていました。 あの日、犬と一緒に一泊旅行で山へ出かけました。 すごく寒い日で、車中泊だったのですが、暖房をつけても寒く、なかなか寝られず、、 翌朝、明朝から私だけ軽い登山へ出かけました。 犬は車内でお留守番してもらっていました。 登山に予想以上に時間がかかり、すごく日が昇ってきました。 犬が心配になり、急いで下山しましたが、熱中症で亡くなっていました。 寒い日だったので熱中症のことは全く頭にありませんでした。 私の知識不足です。 犬は、リードを咥えて亡くなっていました。 車内が熱くなっていて、出して欲しかったんでしょう。犬は汗がかけないので、舌を出してはぁはぁして体温調節をします。その息が水滴になって、身体はびっしょりになっていました。 どれだけ苦しんだか分かる亡骸でした。 その光景がいまでも頭から離れません。 私の知識不足で死なせてしまったこと。 まだ6歳でした。 生きていればあと15年は生きられたと思います。 その日から、罪の意識で苦しんでいます。 仕事は辞め、いまもまだちゃんとは働けていません。 あの子の笑顔を思い出すと涙が出てくる。 あの子の苦しんだ亡骸を思い出すと、死にたくなります。 いまは同じ犬種の保護犬をもらい、一緒に暮らしています。いまの子を愛することで、贖罪になればと思っていますが、いまの子に愛情をかけても、なぜ前の子にはそこまでしてやれなかったのか、と後悔ばかりです。 また会いたい。会って、抱きしめて、私の過ちを謝りたい。 亡くなった日、まだそのときは何も知らない遠くに住む家族の夢に、犬が出てきたそうです。 ですが、私の夢には一度も出てきません。なぜでしょうか? いまだに骨壷を部屋に置いています。その子が、離れたくないと言ってるような気がして、、 どうしたら、前向きに生きていけるでしょうか。

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弟の死を理解しているけど理解できない

先日、弟が持病の発作で他界しました。まだ20代で、仕事の資格を取るために日々勉強して頑張っていました。 先天性で治ることはないのですが、毎日薬を飲んでいれば何ともない病気にかかっていました。 本人は定期的に通院して薬も飲んでいると言っていましたが、実際は2年程通院せずにごく稀に手持ち薬を飲んでいただけのようです。病気に対する認識が甘かったのだと思います。 他界する2時間前まで父とLINEでやり取りをしていました。数日前から調子が悪かったようですが、発作が起きたのは彼自身が亡くなったことに気付いてないのではないか、と思うくらい突然のことだったと思います。 一人暮らしをしている部屋で、誰にも見守られることなくたった一人でいってしまいました。いってしまった翌日に、違和感を感じた父が家を訪ねました。第一発見者は父でしたが、苦しんだ様子が見られたそうです。 若い男の子の一人暮らしなので、散らかった部屋でいってしまいました。発作のせいもあるのでしょうが、極度の脱水状態だったようです。 弟自身そのことは考えてほしくないかもしれませんが、最期を思うと無念でかわいそうでどうしようもない気持ちになります。 薬さえ飲んでいれば、誰かに寸前にSOSを伝えられていれば…と思うと家族全員でやるせない気持ちになります。 家族全員で暮らしていた日々のことを考えると楽しかったことを思い出します。あんなことで笑ったな、こんなことしたな、何ともない普通の日常が愛しくてたまりません。 そんなことは不可能だとは分かっていますが、故人を蘇らせる方法はないかと毎日調べてはどうすることも出来ないことを思い知りまた辛くなります。 葬儀も済ませ自宅にお骨もあり、こんな風にもう生きていないことは理解しているのにどうしてもあの子がここにいないことが理解できなくなります。 ここにいないのは仕事が忙しいから来られへんねんなー、と思えます。そんな風に思った次の瞬間にもうあかんのか…と思いまた泣き、でも仕事にも行きごはんも食べ、会話をして笑い、でもまた落ち込んで…の繰り返しです。 時間が癒してくれるのかな、とも思います。でも自分自身どうにも気持ちの持って行きどころがなくて堪らなくなります。 こんな取り留めのない質問にならない内容で申し訳ありません。あの子はいまどこで何をしているのでしょう。もう苦しみからは解放されているのですか?

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愛犬の死をつぐないたいです

先日、愛犬を自宅で家族と看取りました。 13歳の小さなかわいい子、うーたんといいます。 土曜日に異変を感じ、その後容態が急変し、月曜日の朝に息を引き取りました。 脳腫瘍でした。 土曜日曜と連日で病院に行ったものの、病名の候補をいくつか告げられ、はっきりとした診断はありませんでした。つらい検査だけで、大変なストレスだったことと思います。ふらふらする足元で階段から踏みはずすこともありました。自分のせいで、死期を早めてしまったに違いありません。 あのとき病院に行かなければ、あのときゆっくり寝せておけば、、あのときちゃんと見ていれば、、あのとき獣医さんが、、あのとき、、あのとき、、と後悔と懺悔ばかりです。 私に出会わなければもっと幸せだったのではないだろうかと、出会ったことさえも否定してしまいます。 小さな命をまもることを心に、これまで大切に大切に育ててきましたが、最後の最後で取り返しのつかない、命にかかわる過ちをおかしました。 あんなに優しくて愛のかたまりだった子が、なぜあんなに急に苦しい死となってしまったか。 自分のせいで。自分が性急に病院に行ったりしたから。あんなに病院が嫌いな子だったのに。もっと冷静にうーたんの気持ちだけを考えて行動したらよかった。 悪夢のように土日のことが繰り返し繰り返しループし、自分の人生があの2日間だけになったようです。このループが、脳腫瘍による旋回の症状と重なります。 悲しみを癒すとか乗り越えるなんて、そんなおこがましいことは考えていません。 うーたんにとって一番よいことを教えていただけますでしょうか。 お話を聞いてくださってありがとうございます。

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婚約者の自死

婚約者が亡くなりました。 橋から落ちて亡くなりました。入籍予定日の前日です。 彼は、仕事で悩んでいました。仕事内容には問題がなかったのですが、職場での人間関係に悩んでいたように思えます。わたしも職場は違いますが、同じ職種の仕事をしていたので…。 彼はあまり愚痴をこぼさない人でした。が、キツそうなのは、そばにいてなんとなく分かっていました。 彼は、今の仕事に誇りを持っていたので、思い切って職場を変えて別の場所で、今の仕事をすることを以前から何度も薦めました。しかし、彼は辞めませんでした。 彼は、わたしとの結婚をとても楽しみにしていたように思います。今となっては憶測でしかないのですが。 しかし、彼が亡くなる前日にケンカをしました。 結婚の準備を進めていく中で、彼が仕事と結婚の両立していくのがキツそうな感じだったので、 「今の職場をやめよう?別のところでも仕事できるし」と言ったのですが、「辞めれない」と彼が言ったので、「なら結婚のばす?仕事が落ち着いてからにしよう」と言ったのですが、大きく首を横に振り、「それだけはやだ!」と強く拒否していました。 わたしも、これ以上辛そうな彼を見たくなかったので、「意地悪で言ってるんじゃなくて、あなたのために言ってるんだよ?」と強く言ってしまいました。言い訳になるのですが、わたしも自分の仕事で精一杯で、なかなか彼の気持ちに寄り添うことが出来ていなかったなぁと今になって反省しているところです。 その後、言いすぎたことを謝りました。彼からの最後のことばは「○○ちゃん(わたしの名前)がいなかったら、もっともっとキツかったよ」でした。それから、わたしが眠っている間に、橋に行き、亡くなりました。 あれから、二週間経ちますが、今のわたしにはこの出来事があまりに重く、どう受け止めていいか分かりません。仕事もできません。 彼が亡くなったことが悲しいし、側にいてあげることが出来ないことも悲しいです。後悔もたくさんあります。 あなたは人生これからなんだから!って色んな人に言われますが、よく分かりません。 死にたいと思ったこともあります。死んだ方が楽かなって初めて思いました。でもわたしは死ねません。 まだまだ未熟なわたしは、この出来事をどう受け止め、どういう風に納得していけばいいでしょうか?とてもしんどいです。助けてください。

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なぜ死んではいけないのか

はじめまして。お忙しい中、この質問を見てくださってありがとうございます。 表題の通り、「なぜ死ぬことが悪いのか」ということを教えて頂きたいです。 決して、今から死ぬということではありません。ただ、「いつ死のうかな。早く死にたいな」と思って生きています。思い上がりかもしれませんが、私が死んで悲しんでくれる婚約者や姉兄がいるのは知っています。それでもどうしても死ぬことを考えてしまいます。考えないように「命は尊い」と思い込もうとするのですが、イマイチぴんときません。 私が初めて死のうと思ったのは5歳の時でした。物心ついた時から両親の怒鳴り声の絶えない家庭でした。親のことはあまり思い出せませんが(理由はプロフィールに簡単に記載しております)、父親は私が言うことをきかないと決まって「じゃあお父さん今から死ぬわ。お前が言うこと聞かないから死ぬ。お前のせいで死ぬ」と目の前で自分の首を絞める振りをしたりしていました。幼稚園に入るか入らないかくらいの年齢だった私は、本能的に「死ぬ」ということがとても怖いことだと思って泣きながら謝っていました。 そのせいなのか、気付いたら私の中の「命の価値」は相手に言うことをきかせるためのトレード品程度になってしまいました。 5歳の時に死のうと思ったのは確か、家族の誰かと喧嘩をしたので自分の言うことをきかせるためだったと思います。そして少しばかり「お前のせいで私が死ぬんだぞ、責任を感じろよ」と思っていました。 大人になった今でも、どうしてもわかりません。「神から授かった命」とか「地球より重い」とか言われても全く頷けないのです。自分の命は交渉材料でしかありません。私が今死んでいないのは今まで自殺に失敗してしまった経験から二の足を踏んでいるためです。「生きたい」と思えません。死にたいとこぼすとそんなこと言うな!と頭ごなしに叱られますが、結局どうして死ぬことは悪いのでしょうか? 自分なりに考えても答えが出なかったので、皆様のお考えをご教授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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私が死んだとき成仏できるのでしょうか?

私は人が怖いです。 この話をすると全員決まってしたり顔でこう言います。 「自分だって人が怖い。怖くない人なんていない。」 自分の恐怖心が伝わっていないのです。 私にとって人は、野犬や狼の群れです。飢えていなければむやみに襲ってくることはないですがそれでも怖いものは怖いのです。 彼らが野犬の群れの中に平気で入っていけるというのであれば納得しますがそのような人は一人もいないでしょう。 私は、いじめを受け人が怖くなりました。その恐怖の対象は家族にも及びます。 そんな風に人に恐怖を感じている自分が情けなくまた、恐怖心を植え付けた者が幸せに暮らしているのが妬ましく感じます。 もちろん、今の自分をきちんと見て評価してくれる会社の上司や頼ってくれる後輩がいます。 しかし、彼らとの間に壁を感じてしまうのです。もちろん、その壁を作っているのは自分だとわかっています。 いままで、このままではいけないと頑張ったことがあります。それこそ数えきれないほど。 それでも、壁を破ることはできませんでした。 多分、私はこのまま孤独に生き死ぬのだと思います。 (別に今すぐ死にたいとかそういうことではありません。生きれるだけ生きるつもりです。ただ、死がやってきても逃げはしないのだと思います。) そんな人と壁を作り孤独を続けている私が死んだとき、善良な「人」が成仏した先に行けるのでしょうか? やはり、妬みを持ったまま地獄に行くか怨霊になるのでしょうか?

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