こんにちは。 私は現在海外の大学に留学しています。小学生の頃からの夢でした。頭のいい高校や大学に進学するためにずっと習っていた英会話を辞めて受験英語を勉強したり、海外への留学プログラムなどを諦めたりして入った高校で私は精神を病みました。結局退学して、4年かかったけど最後には通信制の高校を卒業しました。そしてついに海外の大学に合格して、現在も日本を離れて勉強しています。やっと私の人生を楽しめるとさえ思いました。将来は作家になりたいんです。 そんな矢先に母が乳がんになりました。正月に帰省した時にそう告白されました。その時は私が海外で頑張ることで母を勇気付けることになると自分に言い聞かせて飛行機に乗り、また日本を離れました。 でも夜中になると目が覚めて、目がさめると不安でどうしようもなくなってしまいます。朝が来ても不安で、また夜になっても母の事が心配でたまりません。時差があってなかなか連絡するタイミングが合わなくて、それでも合間を見つけては電話をします。電話越しで少し体勢を変えるだけで体が痛いと辛そうにしている母を見て、私は留学なんか辞めてすぐに日本に帰るべきだと思いました。母にも 「出来ることなら一緒にいたい」と言われました。分かっているんです。私は日本に帰るべきなんだ。 でも。夢を諦めて、現地で出来た友達や好きな人のことも諦めて、病気の母の元に帰って、もし母が死んでしまったら私には何が残るのだろう。最終学歴は通信制の高卒、自分で終わらせようとしている留学生活への無念などしか思い浮かびません。だからすごく無理矢理な考え方かも知れないけれど、なんだか死ぬしかない気がしてしまうんです。全部諦めて母まで死んでしまったらきっとどうにかなってしまうから、その前に死んでしまいたいんです。
前回、5月に亡くなった娘の夢について質問させていただきました。 まだまだ悲しみが深く、娘がいなくなった事が受け止められない時と、もうどうしようもない、元には戻れないと言う現実を諦めると言いますかなんとも表現できない感情の繰り返しです。 最近は自分の悲しみ、辛さより娘が一人で寂しく泣いていないかという心配で泣けて泣けて仕方がありません。 娘の為にも明るく前向きにとは思っているのですが、そんな日ばかりではありません。 友達や兄弟も心配してくれて、会いに来てくれる、そんな日は一日がとても早く過ぎて嬉しいのですが、何をしていても娘の闘病中の事が思い出して胸が張り裂けそうです。 今回、前回と同じ質問なのですが、娘の夢を又見ました。 夢の中でも娘は死んでしまう夢です。 これで3回目です。 どうしてこんなに悲しい夢ばかり見てしまうのでしょう? 私が泣いてばかりなのでしょうか。 楽しく笑っている夢が見たいです 娘にも申し訳なくなります。 私が生きる事の意味がわからず、いつまでも悲しんでるからでしょうか? 寝るのも怖くなってしまいます。 主人に話たら、なるべく楽しい思い出を思い出したら?と言います。 ご回答宜しくお願いします
まず現状は別居しています。 その経緯は、ちょっとした喧嘩からお互いの意見がすれ違い、脅迫のような連絡が来た事で怖くなり両家両親を巻き込み話をしたところ、主人が自分の都合の悪い部分を知られ、私の両親へ殺す、帰れなどと罵倒し、そこから私と子供は実家に帰り、現在3年程になります。 今年に入り話し合いをして、今現在は毎日何かしら連絡は取っていますが、本日急に死にたいと言い出しました。 何があったのか聞いても、自分っていう人間は必要か?や、寂しくて死にたい、何でこんなに迷惑ばかりかけてしまうのか、など内容の分からないことを言うので、どうしたらいいのか分かりません。 今主人は転勤の多い仕事で私の実家からは新幹線乗り継ぎしないと行けないような所に一人でいます。 正直言って、別居する事になったのは主人が原因です。自己中で自分都合なところがあるので。 私は離婚も視野に入れて別居期間を過ごしていたので、再建築を考えとりあえず主人が変わるかどうか見定めている状態ですが、前向きに考えてる事を伝えている中での発言なので、正直心中は、何言ってるんだ?という感じです。 ですが私の性格上死を簡単に捉えられないので、せめてどう声を掛けてやればいいのかアドバイスいただきたいです。 よろしくお願いします。
数年前まで、都内で母方の親族が経営するメーカーで事務職に就いていました。 実家は愛媛県ですが、会社所有の土地や不動産があり、その会社と強い結びつきがあります。 親族は、複数おりますが、会社経営に関わる親族と、そうでない親族がおり、ずっと対立が続いていました。 叔父や叔母、従兄弟たち経営陣たちからは、対立する親族と関わらないよう言われていました。 それなのに、その対立する親族と接点を持ってしまったり、両親を敵に回すような態度をとってしまいました。 そうして、私は経営者である叔父や叔母だけでなく、縁故採用のきっかけとなった母を裏切るような行動を取ってしまい、家族や親族からの信用を失いました。 会社の従業員の人たちとの人間関係にも悩み、心療内科に通っておりましたが、経営者親族や両親ともコミュニケーションがうまくとれていなかったため、メンタル不調を理解してもらうこともできませんでした。 その結果、任されていた会社の経理の仕事もうまく勤まらなくなりましたが、鬱の治療を受けたり、休職願いを乞うこともできず、そのまま自己都合退職してしまいました。 東京から愛媛県の実家に戻りましたが、親からは家を出て行けと言われ、唯一の頼りだった身内との繋がりも失い、途方に暮れています。 鬱の治療もままならないまま、やっと見つけた仕事は、工場での派遣で、福利厚生もありません。 お給料は、親族のメーカーに勤めていた時の方が、遥かに上回っています。 経理というデスクワークに、縁故採用してもらい、手厚い待遇を受けていたのに、経営者親族とうまくやれなかった自分。 東京という街で、キャリアを築くこともできたのに、地方に帰ってしまった自分。 もしあの時、仕事や人間関係に悩んで、経理が手につかなくなっていたのなら、正直に鬱病であることを報告して、休ませて貰えばよかった。 親族間の対立や、両親とのこじれた関係も、うまく距離をとったり、会社での立場と公私混同せずに、自分のキャリアに集中すればよかった。 結果として、家族との繋がり、親族からの信用、仕事、キャリア、出世、全てを失うことになりました。 社長だった叔父は亡くなり、副社長の叔母からは、「顔も見たくない」と言われました。 母も、口を聞いてくれません。 謝っても、泣いても、何も取り返しがつきません。 毎日、死ぬことばかり考えています。
つい先日、父が亡くなりました。 病気が発覚した時には既に進行した状態だった為、闘病生活は一年半にも満たなかったと思います。 覚悟はしておいた方が良いと他の方に散々言われてきてはいましたが本人は「大丈夫だからね」と弱音も吐きませんでした。 スマホの検索履歴を見ると、自身の病状についてたくさん調べてあって、本当は辛かったんだろうな……と考えると辛くて仕方がありません。 学校へ送ってくれたのも、料理を作ってくれたのも、何か欲しい物があった時「良いよ」と言ってくれたのも、「すごいね」と褒めてくれたのも、もう二度と無いんだなと考えてしまいます。せめて私が成人するまでは生きていてほしかったな……。 コロナの影響で面会にも行けなかった事も、少しだけ退院した時に全然会話ができなかった事、「治るんだろう」と思い込んで心配の言葉をかけられなかった事、後悔もたくさんあります。 父の死への向き合い方、立ち直り方を、教えてください。お願いします。
初めて質問を書きます。 生き死に について。 私は24歳です。 3年前、大変な仕事で精神的にも肉体的にもボロボロになってしまいました。 心療内科の先生からは抑うつ状態との診断を受けました。 その際、カウンセリングの先生から生き死にに関して問われました。 私は、生きるということに対して貪欲でないことに気が付きました。 生きる未来より死ぬ未来の方が安心していました。 ただただ、生きていたんだと思いました。 いままで大きな病気をしたこともないので、死を目の前に感じ、恐怖したことは有りません。 日本は尊厳死、安楽死の法整備は進んではいません。 自殺という方法でしか死ぬ日が決められないのかなと思いました。 私のような考えはおかしいのでしょうか。 私が生きていていいのでしょうか。 御坊様方、どうかお教えください。
私は長く高齢者施設で働いています。施設では医療行為は行えず、死を待つだけ。 昔は床の間の畳の上で看取りをしていましたよね、施設とは云え同じように職員が看取っていくのです。 人の生きる姿を見るときは、死はまだまだ遠い先に見えるものなのです。しかし死へ向かう姿を見るときは目先に見えるものです。私たちはどのように送り出せばよいのか、心を痛める瞬間が多いです。何もできない。わずかな時間手を握ることそれだけです。それ以外の時間は業務です、体を拭いて・点滴をして・清潔な環境・シーツ交換・栄養補給…。 私は人の死に向かって生きる姿・死を前にされている方にどんな手が差し伸べられるでしょうか。
私は難病に罹患しており毎日その症状と向かいあっております。 『治療法は残念ながらありません』とドクターに言われても痛みに耐えられないので何度も病院に行き、せめて症状を緩和する方法や薬などないかドクターに聞くと。 『だから難病なんですよ』と言われてしまいました。 口腔内の痛み 鼻の痛み 喉の痛み 舌の痛み 気道の痛み 呼吸をするたびにドライヤーの風を吹き付けられているような症状等々。 痛み止めは効かないです。 痛みと苦しみがエンドレスで半永久的な辛さで少しずつ進行しております。 気が遠くなるような長い闘いですが頑張ってきました。 毎日24時間続く痛みを緩和する方法はないか自分なりに試行錯誤して工夫して来ました。 西洋医学だけでなく東洋医学も試しました。 この難病を受け入れて上手く付き合っていこう。と夫と子供達にも励まされ一日一日を頑張って生きてきました。 現代の医学をもっても『この痛みを緩和する方法はない』と言われても、私はあきらめず自分自身で色々な事を試しましたが痛みを緩和する事ができませんでした。 自ら命を経つのは良くない事だとは分かっています。だからこそ家族の為にも今まで病気と向き合いながら生きてきました。 私も本心は家族と別れたくはありません。ずっと一緒に居たいです。 しかし最近はあまりの痛みに、死んだらこの永遠に続く痛みから解放されるのかもしれない。痛みのない所に行きたいのです。 家族と一緒に居たい自分がいるのに、痛みの支配が大きくて痛みには勝てません。 自ら命を経てば阿弥陀如来さまに地獄に落とされますか? 現世では難病でこのような日々を過ごし。 来世もまた地獄に行きますか? どうかお教え下さい。
昨年主人が仕事中に倒れ、亡くなりました。心臓が原因の即死でした。その日の朝は普通に会社に行ったのに、もう一生帰って来ません。話もできません。 何が何だか分からず半年が過ぎました。葬儀通夜、事務手続きも多忙でしたが、ここのところ落ち着いてきて、今が1番悲しいです。主人には何でも相談してきました。2人でのドライブがとても楽しかった。私はこれから何を楽しみに生きていったら良いのでしょう。主人はあんな死に方をして後悔していませんか?家を建てる話もしていた矢先にこんな事になり、悔しいです。辛いです。 私の周りには気持ちを相談できる人がいません。 仕事は淡々とこなしているのでもう、大丈夫だと思われているようです。 今、私の気持ちは全然大丈夫じゃないです。
こんにちは。 今犬を飼っているのですが、将来必ず訪れるペットの死に怖さを感じてしまいます。 今は元気にしているのに、いつか居なくなってしまうことが怖くてはなりません。 一日も無駄にしないようにと、休みの日は色々遊びに行くのですが、ここ最近は暑すぎて外に出られず、時間を無駄にしてしまっているのではないかと思ってしまいます。 こんな気持で向き合うのは良くないと思っているのですが、どうしても考えてしまいます。 今を集中して楽しむ方法はございますでしょうか。 よろしくお願い致します。
読んで頂きありがとうございます。 前にもご相談させて頂きました。 昨年離婚し、7歳の子供の親権を取りましたが子供が「パパと暮らしたい」と主張し親権者変更を行いました。 せっかく離婚できたのにいつもいつも、元旦那の思い通りになる 話し合いをしてもいつも心を抉るような言葉ばかり 嫌で嫌で仕方なくて いつも、パパ死んでくれないかな…という思考になります。 子供が1番悲しむ事だと分かっているのに私は1番自分の事しか考えていない 母親失格です 人の死を望むような最低の人間です そんなだから幸せになれないのだと思います こんなウジウジしたウジ虫のような思考回路の自分が嫌になります そして自分が死にたくなります こんな事書きながら、そんな事ないよ いいんだよって言ってもらいたいのもダダ漏れです。 死を望むようなクズに神も仏もあるのでしょうか
私は死が怖くてたまらないのです。毎日朝から晩まで死のことを考えない日はありません。病気の不安もすごくて、こんなに死が怖いなら、死んだ方がまし。と、自分でも、訳の分からないことを考えてしまいます。死の何が怖いのかもわかりません。主人とか、子供達に聞いても、意外とあっけらかんとしています。生に対する執着が強すぎるのでしょうか?でも、苦しいのは確かなのです。病気のせいでしょうか?死の恐怖心に苛まれている私に、何か救いのあるアドバイスをください。本当に困っています。どうぞ宜しくお願いします。
数年前に、家族を自死で亡くしました。 原因はうつ病でした。 一時、残された家族はどん底まで突き落とされましたが、 穏やかな日々を送れるように、前向きに頑張っています。 それでも、数年経った今でも「○○(私や他の家族)のせいでこうなった」と家族から言われる事があります。 精神的に不安定なのが理解できますので、 何も反抗する事無くその発言を聞き入れ、じっと耐えています。 精神科の受診も勧めましたが、気が進まないのか今まで行った事はありません。 なるべく刺激しないよう、あまり連絡はとっていませんが、間違った行動を起こさないか、いつも心配です。 どのように接していけば良いでしょうか。
私は数年前に母を突然亡くしてしまいました。亡くなったとわかった時は信じられない、受け入れられないという気持ちで、それから時間が経つにつれて少しずつその気持ちや寂しさ、悲しさを自分なりに克服出来たつもりでした。 でも、今も時々思い出して寂しくなったり、家族と意見が合わず喧嘩した時に「お母さんがいてくれたら私の気持ちをわかってくれたのかな…」と考えて悲しくなったりします。 また母の死が本当に突然だったこともあり「人はいつ死ぬかわからない」という事実を改めて突きつけられたようで、それ以来家族や友達、恋人が死んでしまったらどうしようとふとした時に不安で仕方なくなります。例えば恋人が仕事で遠くに行くと聞いたら「行った先で事故や事件に巻き込まれたら…」とか、家族に車でどこかへ送ってもらう時に「私を送りに外出して、帰りに事故に遭ったら…」とか。 こういった不安やふとした時の寂しさ、悲しさがあるのは仕方ないことなのでしょうか?それとも、気持ちの持ちようで少しは軽減されると思われますか?
お世話になります。 娘が亡くなって3ヶ月。お墓が建ったので納骨をすることができますが、それが近いからかホンとに実感させられる気がして辛いです。 明るくいられたり、でも急激に甦りたまらなく寂しく苦しくなります。 家族で写ってる写真を見ると存在していたんだと思うのに苦しくなります。 何も考えなくても思いだしますが、自分の意思で最期の姿を思いだしたりします。 苦しいのに。 いつか、この気持ちから解放されるのでしょうか。 苦しいじゃなく笑って思い出せるときが。
6歳の娘を育てていますが、その子がやたらと死を意識するような言動が多く不思議です。子どもとして正常なのでしょうか? その子のまえに2歳離れた娘がいましたが、先天性の疾患があり4ヶ月でお空に帰ってしまいました。わが家には長女の仏壇があり、朝夕に手をあわせ、月命日には墓参りをしています。 3ヶ月前にはわたしの祖母が亡くなりお通夜に参列しました。棺に手紙を入れて、亡骸と対面もしています。 飼っていた猫も老衰し、亡くなる時を見守り、ペット葬儀場でお骨になるまでをみせています。 同年代の子どもより亡くなった人(ペット)と接するエピソードが多いからかもしれませんが、「◯◯ちゃん(長女)はお空にいるんでしょ?今日は背負って一緒に小学校に行くんだ~」 成人式のニュースをみて、どんな振り袖が着てみたい?と話しかけた主人に「パパは成人式の時まで生きてるの?いつまで生きてるのかな?」 祖母のお通夜をした葬儀場前を通ると「大バァちゃんはまだここにいるの?死んだらどこにいるの?」などよく聞いてきます。 死に対して恐怖を感じてる様子はありませんし、死を意識した会話を悪いことだとは思っていませんが、なにかにつけてまわりの大人たちに「いつまで生きるの?」と聞くため、変な子どもと言われます。 長女の死について詳しく話したことはありません。長女の死因や死生観についてなど、なにか特別な説明や教育をしてやったほいがいいのでしょうか?どうしてやればいいのかわからずモヤモヤします。ただ、変な子どもと言われるのは不本意だし、よくないなと思っています。なにかいい言葉がけなどあれば教えてください。よろしくお願いします。
3年半前、祖母は余命2~3ヶ月の末期癌と診断されました。 ですがよい病院に巡り会え、度々余命宣告されても、家での治療を続け元気な姿を見せてくれました。 その祖母も、春に余命2週間を宣告され、そのとおりに亡くなりました。 亡くなる数日前までは酸素も回復し、本人も「みんなでお花見しよう」「退院したら○○へ夕飯行こう」なんて楽しそうに話していて。 突然危篤状態になり、次の日にという流れでした。 私はこの3年間延命してる姿を見て「こんな笑ってる人が死ぬわけない」と思い込み、祖母に優しくできなかったことをとても後悔しています。 仕事を理由に何度も誘いを断り、私が口ベタなこともあり話のキャッチボールが少なかったり。 まともな思い出も去年秋の旅行と、亡くなる前の誕生日会くらいです。 亡くなって2ヶ月半経ちますが、かなりの頻度で夢に出てきます。 街中で同年代のお年寄りを見かけるだけで悲しくなります。祖母の願いであった私の結婚報告も、式の参列へも、叶えられなかったことを考え泣いてしまいます。 亡くなる数時間前、駆けつけた私を見て涙目で手を握ってくれました。 必死に抱きしめようとしてくれましたが、医療器具やベッドの柵が邪魔で出来なかった悲しみや、死の直前まで生きたいと願っていた祖母の姿が頭から抜けません。 死の悲しみは誰もが通る道だとは分かっていましたが、、 どうすれば前向きに生きられるでしょうか。
認知症の母を亡くしました。 私が目を離したすきに、室内の事故で、です。 直前まで元気だったのに、突然でした。 母と一緒にいることや母の回復に喜びを感じる一方、私が自分勝手な父の要求をきかないといけないことや自分の時間がなく、社会から遅れていくことに不安や怒りを持っていた、こう言う気持ちが結果的にこのような結果になったと、何処に気持ちを持っていけばいいか、辛くてたまりません。 実生活では時間や家事に追われ、辛かったですが、こうなると世話をやらせていただいていて、一番幸せであり、もう二度とお願いしても大金をはたいてもやらせてもらえない。大事なものは身近にあったのに、それを活かせなかったじぶんにも後悔しかありません。 これからも私のいのちあるかぎり、いきていかないといけないですが、寂しすぎて私も母のところにいきたいし、ダメならこれからどうやって、何をして生きていけばいいのか、全くわかりません。 突然だったので、子供の頃から今までのこと、謝ることもお礼も言えなかった。全て、後悔しかなく苦しくてたまりません。 せめて夢などで話せたら…ただ、出ても来てくれませんが…
いままで生きていた弟が自殺してしまいました 一番下の弟です それも電車で飛び込み自殺です16歳でなくなってしまいとても悲しくなんであんなこと言ったんだろうとかひどく後悔してます 自殺した原因がわからず 弟は学校でいじめにあった事が根に持っていて こんなことになったのかな どうしたら自分の気持ちがおさえられますか?
介護の仕事をしています。 そして家では相棒の20歳の猫が弱っていく様を目のあたりのして、 人間も動物も歳をとり身体が思うように動かなくなり肉体的にも精神的にも痛く辛い思いをするように思います。 なぜかはわからないけれど命には寿命があって、皆いずれ死なねばならない。なのになぜ命は、わざわざ苦しみやすく出来ているのか、 脳ミソが、老いて寿命が近くなったら自動的に幸せホルモンのようななにか痛みを緩和させて穏やかになるような麻薬物質でも分泌すればよかったのに(そういうものがあるかもわかりませんが)、なぜそのように進化せず、やはり苦しみがちになるのだろうかと疑問に思っているのです。 また、相棒の猫は確かに20年いっしょに暮らしてきた家族だけれど、言葉を通してなにをしてほしいか、なにが食べたいかを迅速に伝えられない訳だから、きっとひとりぼっちで寂しくて、体も痛かろう、初めて老いて初めて死に向かうのに淋しかろうと、100%助けてあげられなくてすまなくて悲しくて眠れません。 やはり施設で暮らす高齢者の方々も寂しい思いで暮らしているだろうと思います。猫と比べるなと言われるかもしれませんが、同じように思ってしまいます。 道元禅師の生死の巻で、薪と灰の話、 前後裁断があったかと思いましたが、 今の私には死はやはり老いた先にあるもののように思えてなりません。身体の細胞ひとつひとつが活動できなくなった先にある死で、やはり苦しまずにはいられないんじゃないかと感じてしまいます。 あのお話だったか、生と滅にそれぞれ“さきありのちあり”とあった気もしますが、なにか私が今目の前にしているものの解釈のヒントになりそうなのに、いまいち理解ができません。 わかりにくい質問で申し訳ないのですが、ようは、なぜ命は苦しまなければいけないのか、なぜ苦しむのに生まれてくるのか、そしてそれをずっと繰り返してきたはずなのに、脳ミソが苦しみを除外するよう進化しなかったということはやはり必要があっての苦しみなのかしらと素人考えをしているわけです。かといって私の相棒の猫さんが死に向かって1人老いて苦しむのは切ない事です。。。それらが不思議で切なくてならないのです。 自然の摂理だから仕方がない事なのでしょうか?